新婚の頃、よく作った料理。本当はツナ詰めなのだが、ツナはマサノリがダメなので、鶏のささみを使った。この料理はささみをゆでて細かく裂き、マヨネーズであえたものをゆでて半分に切ったピーマンに詰めるだけという簡単なものだ。
ピーマンは、子供が嫌いなものの代表の緑のやつだ。炒め物に使う場合はなかなか減らないこのピーマン。この食べ方なら1袋全部使っても、あっという間に食べてしまう。
でも、ツナに比べてささみの場合、手間がかかるし、私としてはツナの方がおいしいと思っていたので、一度だまして食べさせたことがある。でも、罪悪感にかられて白状したところ、マサノリが激怒!
以来、この料理は作っていない。
ここでふと思いついた。以前、赤や黄色の大きいピーマン(パプリカ)を炒め物に使ったら、大量すぎて、食べてみたらあまりの甘さに持て余してしまって以来、この野菜を使っていなかったが、赤や黄色のパプリカをトマトカップのようにして、いろいろなものをのせたら、おいしいだろうな。
早速今夜やってみよう。もちろん鶏のささみを使って。
2003.1.31
パプリカ、失敗した。半分に切って作ったんだけど、パプリカって、肉厚なのよね。食べにくいし、存在感が強すぎた。マヨネーズを辛子入りにしたのも失敗だった。ふつうの、酸味の強いマヨネーズにすればよかった。ゆで卵を加えたため、塩も足りなかったから、もうパプリカの味だらけ。
マサノリは、大きすぎて食べにくいよ。この半分に切ればよかったのに。 と言って、残していた(;_;)
調味料のCMで、手軽な煮物ということでとり大根が例にあげられている。
この煮物、私も好きで、よく作る。調味料は、CMのものより「昆布つゆ」が好みだ。今は、こういう便利なものがあるから助かる。
材料は鶏肉と大根だけというシンプルなものだが、ちょっとしたことで味がだいぶ違ってしまう。
まず、大根は一度やわらかくなるまでゆでてから水を替えること。昔は米のとぎ汁などと言ったが、今は無洗米だし、今の大根は苦くないので、普通の水でよい。面倒でもこれをやらないと、妙に酸味のある煮物になってしまう。
鶏肉は、大きめに切る。うちは一度にたくさん煮るので、大きく切っておかないと、何回か火を通すうちに、鶏肉がバラバラになってしまうからだ。また、大きめに切ると、盛り付けたときの見た目もよいし、味も、鶏肉の大きさによって微妙に変わってくる。ちなみに私の好みはもも肉。カロリーを考えると胸肉の方がいいのかもしれないけど、硬いのは嫌なので、どうしてももも肉になってしまう。
それにしてもこの煮物、本当においしい。こんなにシンプルなのに、なんでこんなにおいしくなるのか。このごろシンプルでおいしい料理に関心が向いている。
永六輔著『職人』を読み始めた。岩波新書で出ている。わが家でこの本を買ったのは誰だろう。マサノリだろうか、義父だろうか。わが家には、トイレの前に小さな図書棚がある。家族が買った文庫本がそこに並んでいる。傾向としては、義父が歴史物、私が現代小説、義母は私が読んだものを読む、義父の歴史物はマサノリや私が読む。マサノリは外国の推理物で、大きい本が多いので、その棚にはあまり並ばない。
で、職人だが、今読んでいるのは「語る」というところだ。いわゆる職人語録。味があるものもあれば、トンデモなものもある。これから読み進むのが楽しみだ。
私の仕事はDTPオペレーターだ。というよりも、自分にとっては組版オペレーターの方がなじみがいい。紙面に文字や写真を見やすく組むのが仕事だ。その仕事をなるべく早くこなすために、ワークフローを考える。早くこなすからといってみっともない組版はできない。ソフトの都合上なかなかうまくいかないところでも、何とかうまくいくように工夫をする。だから、新しいソフトを使うときは大変だ。「何でこうなるの?こんなこともできないの?」とぶつくさ言う。そう言いながら、そのソフトでどうやったらうまく作れるか考える。そして私流のワークフローが出来上がる。
会社などでは、ワークフローを考える人がいれば、それに乗る人もいなくては成り立たない。でも、1人1人が職人だと、それは難しい。自分流の仕事の仕方でなければ面白くない。言われた通りの手順で黙々とこなすのが好きという人もいるが、古くから組版の仕事をしている人にはまずいない。
職人にとって道具は大切だ。自分が使いやすくなるように、一生懸命手入れをする。それがパソコンの場合もしかり。だから職人がパソコンを共有するのはむずかしい。経営者からすると、この問題は頭が痛い。規模の有利さを出すには人材を自在に動かす必要がある。
1人で仕事をするようになってから、改めて思うようになった。
「私は1人でやるのが一番。」
現代の職人は情報交換も重要だ。たくさんの人たちから有用な情報を受け取り、自分からも提供する。そして、お互いに自分の仕事に活かせれば、それはうれしい。そうすることによって、共通の言語が出来上がり、仕事の流れもスムーズになることを期待している。
仕事をしているうちに、どうしても外注が必要になることもあるだろう。そのときは、潔く一件丸ごと相手に任せるつもりだ。
久しぶりに『とはずがたり』の二条のお話。
いろいろ書いたけど、結局二条はただの女房だったし、扱いしてもただの女房(上臈ではあるけれども)だったのよね。でも、二条としては子供の頃から御所で育ち、後深草院に「あが子」と呼ばれて育ったわけで、どうしても自分は特別な人間なんだという意識があるのよね。それに、もともと家柄はよかったのだし。
二条の娘は誰かという議論があるのだけれども、読んだときにはどう見ても遊義門院のように思えたが、はたしてどうなのだろうか。学説では、比較的高い年齢でわざわざ亀山院に上がった西園寺実兼の次女がそうらしいといわれている。年齢的には合うような合わないような。でも遊義門院よりは合う。
確かに、長女と三女に比べて、この人の扱いはことさら冷淡に思われる。表面上はいずれも北の方の娘なのに。だが、亀山院は彼女をことのほか愛し、彼女もそれに応えて、とても仲むつまじかったようだ。女性関係でいろいろあった亀山院が最後までこの人を愛したということは注目される。もともと二条に関心の強かった院であることを考えれば、なんとなく合点がいくような気がする。
二条がこの日記を書いたときには、この日記に書かれた時期のことを知っている人はほとんどいなくなっている。ただ1人、実兼が生きている。あくまで後深草院との関係を強調しているわりには、雪の曙をことさらかっこよく書いているところに作為はないだろうか。実際、尼になった後、彼の世話になっているようににおわせている。あくまでにおわせているだけで、決してそうだとは書いていない。そして、遊義門院についての思わせぶり…
その後「増鏡」に「とはずがたり」を出典とする記事が多くみられることを考えると、後に彼女は表舞台へ復活できたようだ。二条の父方ゆかりの村上源氏から帝の母も誕生した(これが実際は遊義門院の子かといわれている)。公家の女性でありながら諸国を歩き、教養があり、しかも長生きした彼女が、当時とても貴重な存在になっていたことは想像にかたくない。
今ごろになって、『ママの遺伝子』というドラマを見終わった。例によってマサノリがビデオにとり、あとでまとめてみるのだ。
主人公の男の子、かわいかった。もしそばにいたら、くちゃくちゃに抱きしめてしまいそうなほど。ぽちゃぽちゃして、目がキラキラして。う~ん、かわいい。
それにしても、このドラマ、私の高校受験のときとそっくり。私、高校は3校受けたんだけど、いきなり滑り止めの滑り止めで落ちてねぇ。このとき、親戚のおばさんが苺を持ってきてくれたわ。とってもやさしかった。先生は、これはいけないと二次募集の受験を勧めたけど、経済的余裕がなかったので断ったら、すねてしまったっけ。でも、その後の滑り止めに受かって、最後の本命にも受かったので、助かった。本命に受かったとき、担任の先生、本当に喜んでくれたけど、最後まで最初の失敗のことを言われたなぁ。
本命の発表のときは、家に帰ったら母が固まっていてね、血圧が上がってた。万事のんびりした母がここまで心配したということにジーンときたものだ。実際、本命に受からなかったら、滑り止めに行くしかないのだけれど、当時そんな余裕はなかった。つまり、受けたはいいけど、行けるわけがなかったのだ。本当に、最後公立に受かってよかった。もし落ちていたら、母は倒れていたかもしれない。
それにしてもこのドラマ、お受験に的を絞っているからあまり深刻にはならなかったけど、実際、同居は大変だよね。私などは気を使わないと決めているので、まあ、相当グウタラな嫁なんだけど、こうあるべきとかあああるべきとか、「ベキ」を言い出したら、やっていけないよね。でも、あまりにグウタラなので、さすがのマサノリも小言を言ったりするが、実際、万事マサノリが決めて旗を振っていれば誰からも文句は出ないし平和なのだ。その分、マサノリにはきついと思う。でも、私がアーダコーダ気にし出したら、相当暗くなるので…許してね。これでも感謝しているのよ、マサノリ。