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2002 年 7 月 26 日

その93 院との再会

カテゴリー: 古典作品 — みよこ @ 12:00 AM

とはずがたり第11弾。
関東から帰り、奈良へ行った後都へ帰る途中、源氏である二条にとってはゆかりのある石清水八幡宮に参詣する。このとき、二条は小人と行き会い、その人に、なぜそのようになったか、宿縁について思い当たることはないのかと聞いている。おそらくこの小人は、前世が悪いとこのようになってしまうなどという見世物にされていたのだろう。ここで、後深草院に呼び止められる。
このとき、後深草院も出家していた。同じ墨染めの衣を着ながら、2人は語り明かす。このときの話の内容はそれほどのことはないが、院はその場で小袖を3枚脱ぎ、「人知れぬ形見ぞ、身をば放つな」といって二条に与えている。
この、石清水という場所と、小人、院という取り合わせが、後に出てくる父の夢にかかってくる。二条は父に夢の中で院の体の不具合についていかなる宿縁でと尋ねているが、父は、「あの御片端は、いませおはしましたる下に、御腫物あり。この腫物といふは、われらがやうなる無知の衆生を、多く後へ持たせ給ひて、これを憐みはぐくみ思し召す故なり。全くわが御誤りなし」と答えている。この言葉は、二条が旅をして得たものの1つだろう。体が不具合=前世の悪業によるものというのは誤りであるという。この場所で、この小人と一緒のときに院と再会したということでそれを印象づけようとしているようだ。
その後、熱田の炎上に遭遇し、その足で伊勢に参ったあと京に帰ると、院から何度か召しがあったが、気が重く思っていたところ、院が伏見に行くとき、ぜひと言われてついに院に会いに出かける。
院からは、なぜ自分に恨み言を言って来ないと言われるが、こうして世に漂っていることのほかは恨んでいないと答えている。つまり、御所追放が返す返すも悔しいのである。そして、ついに年来の思いを告げるときがくる。
院が、女の身でこのように旅をするのは大変だろう。誰かに世話になっているのだろうと言ったところから戦いは始まる。二条は今までの旅で出会った人々、詠んだ歌について、あちこちの神仏に誓って潔白を訴える。院は納得せず、都の中については誓ってないが、都の中に誰かいるのであろうと言う。それに対しても二条は神仏に誓ってきっぱりと否定する。さらに院は、では、昔の人と復活しているのであろうと言うと、二条は、これからのことはわからないが、今までについては神仏に誓ってそういうことはないと言った。これに対して、院はしばし沈黙の後、ついに「何にも、人の思ひしむる心はよしなきものなり。まことに母に後れ父に別れにし後は、われのみはぐくむべき心地せしに、事の違ひもて行きしことも、げに浅かりける契りにこそと思ふに、かくまで深く思ひそめけるを知らず顔にて過ぐしけるを、大菩薩知らせそめ給ひにけるにこそ、御山にてしも見出でけめ」という詫びの言葉を口にする。そして、院が都に帰ったあと、二条へ生活の足しにと物資を送る。
この作品には他にもクライマックスと言われるところはあるが、この場面が一番緊迫して好きである。二条の苦しみ、恨みが晴れる瞬間である。

この後、二条は下のように感想を書いている。
「いはんや、まことしくおぼしめし寄りける御心の色、人知るべきことならぬさへ、置き所なくぞおぼえ侍りし。昔より何事も、うち絶えて、人目にもこはいかになどおぼゆる御もてなしもなく、これこそなど言ふべき思ひ出では侍らざりしかども、御心1つには、何とやらん、あはれはかかる御気のせさせおはしましたりしぞかし、など、過ぎにし方も今さらにて、何となく忘れがたくぞ侍る。」

一見、しみじみとした述懐なのだが、しばらくすると妙に憎らしさを感じるのは私の偏見?
何だか二条が「ふんっ」と言いながら得意に鼻をうごめかせている様子が見えてくるのだ。

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