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2002 年 7 月 2 日

その88 東国への旅立ち

カテゴリー: 古典作品 — みよこ @ 12:00 AM

とはずがたり第8弾。
北山准后九十賀から何年かたって、二条はついに出家の本意を遂げる。そして、子供の頃に読んだ西行の修行のやり方にあこがれ、自らも旅を修行とすべく、その最初の行き先として関東を選んだ。
慣れない旅に心細さを感じながら、それでも順調に旅は進んでいく。そんな中、美濃国赤坂の宿で遊女の姉妹に出会う。その姉が墨染めの二条に、なぜこの旅を思い立ったのですかと、
思ひ立つ心は何の色ぞとも
富士の煙の末ぞゆかしき
と歌をよこす。それに対して二条は、
富士の嶺は恋を駿河の山なれば
思ひありとぞ煙立つらん
と返歌している。つまり、恋のために旅を思い立ったのだと言っている。
誰に恋してだろう。その前にも遊女が一夜の契りを求めて歩くさまを見ながら
立ち寄りて見るとも知らじ鏡山
心の中に残る面影
と詠んでいる。
誰の面影が心の中に残っているのだろう。
その後のなりゆきを読むと、後深草院ととるのが順当なのだろうが、私にはそうは思えない。
御所を追い出される時に院に投げつけられた冷たい言葉、それはその後の二条の心にずっと残っていたに違いない。そういう相手に対する気持ちを恋と言うだろうか。二条の院に対する気持ちと恋という言葉はどうしても結びつかない。では誰か。曙しかいないだろう。この場合。と、私は思う。だけど、表立ってそんなことは書けない。この日記は表面上、院とのかかわりを主体に書いている。

で、この旅だが、その後のいくつかの旅に比べて、随分羽振りがいいのである。供の者もいて、京の土産なども持ってきている。当初から鎌倉を目指して、その後善光寺へ行く目的があったようだ。
鎌倉到着後、将軍に仕えている親戚筋の人から、こちらへこないかと声をかけられたが、面倒なので、近くに宿をとっていたところ、善光寺への案内のために連れてきた人が病に倒れる。続いて、二条も倒れ、結局この人(小町殿という)にいろいろ世話になる。が、父雅忠が生きているときは風邪とか、少しの病気でも雅忠が陰陽・医道の洩れることなく、家に伝わる宝、世に聞えある名馬まで、霊社・霊仏に奉納したりしていたが、今回は神にも仏にも頼ることなく、ただひたすら寝ていた。こんなことは今までになく、二条は非常に心細い思いをしたらしい。
そんなこんなしているうちに、将軍の交替劇に出会う。今までの将軍は後深草院の甥だったが、この将軍が罪を着せられ京に送還された。二条はこの様子をとてもいたわしいこととして、細かく描写している。そしてその後、新将軍として来たのが後深草院の皇子だ。後深草院側と接近したい鎌倉側と、鎌倉との関係を強化したい後深草院側(というよりも西園寺実兼)の思惑が一致した結果である。おそらく関東申次である西園寺実兼の運動が実を結んだのだろう。

この皇子を迎えるにあたって、小町殿を通じて執権などからいろいろ相談を受ける。二条は嫌だ嫌だとさんざん言うが、小町殿は、ただ京の人ということで誰だとは言わないからと、何だか訳のわからない理由を付けて二条を説得する。結局二条は五つ衣の重ね方や御所のしつらいについて指導する。

これ、偶然だろうか。曙から何か言われて来たのだろうか。それとも曙の知る東国を見たくて旅をしてきた二条を、これ幸いと鎌倉側が引き入れようとしたのだろうか。

そうそう。二条は人間関係のわずらわしさが嫌になって、旅に出たとも書いている。
将軍交替劇のため小町殿から何だかんだと頼まれているうちに善光寺に参詣できなかったのをくやしく思っていたところ、小町殿(と書いたところで刀で切られている。つまり抜けている)とは別の人に川口に行く用事があり、年が明けたら善光寺に一緒に行きましょうと誘われて、喜んで同行した。どうやら小町殿は善光寺には無関心だったらしい。
ついに善光寺参詣が実現するが、大勢ついてきたのがわずらわしくて、善光寺についたら、人々の心配を振り払い、一人でしばらく残った。

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