とはずがたり第11弾。
関東から帰り、奈良へ行った後都へ帰る途中、源氏である二条にとってはゆかりのある石清水八幡宮に参詣する。このとき、二条は小人と行き会い、その人に、なぜそのようになったか、宿縁について思い当たることはないのかと聞いている。おそらくこの小人は、前世が悪いとこのようになってしまうなどという見世物にされていたのだろう。ここで、後深草院に呼び止められる。
このとき、後深草院も出家していた。同じ墨染めの衣を着ながら、2人は語り明かす。このときの話の内容はそれほどのことはないが、院はその場で小袖を3枚脱ぎ、「人知れぬ形見ぞ、身をば放つな」といって二条に与えている。
この、石清水という場所と、小人、院という取り合わせが、後に出てくる父の夢にかかってくる。二条は父に夢の中で院の体の不具合についていかなる宿縁でと尋ねているが、父は、「あの御片端は、いませおはしましたる下に、御腫物あり。この腫物といふは、われらがやうなる無知の衆生を、多く後へ持たせ給ひて、これを憐みはぐくみ思し召す故なり。全くわが御誤りなし」と答えている。この言葉は、二条が旅をして得たものの1つだろう。体が不具合=前世の悪業によるものというのは誤りであるという。この場所で、この小人と一緒のときに院と再会したということでそれを印象づけようとしているようだ。
その後、熱田の炎上に遭遇し、その足で伊勢に参ったあと京に帰ると、院から何度か召しがあったが、気が重く思っていたところ、院が伏見に行くとき、ぜひと言われてついに院に会いに出かける。
院からは、なぜ自分に恨み言を言って来ないと言われるが、こうして世に漂っていることのほかは恨んでいないと答えている。つまり、御所追放が返す返すも悔しいのである。そして、ついに年来の思いを告げるときがくる。
院が、女の身でこのように旅をするのは大変だろう。誰かに世話になっているのだろうと言ったところから戦いは始まる。二条は今までの旅で出会った人々、詠んだ歌について、あちこちの神仏に誓って潔白を訴える。院は納得せず、都の中については誓ってないが、都の中に誰かいるのであろうと言う。それに対しても二条は神仏に誓ってきっぱりと否定する。さらに院は、では、昔の人と復活しているのであろうと言うと、二条は、これからのことはわからないが、今までについては神仏に誓ってそういうことはないと言った。これに対して、院はしばし沈黙の後、ついに「何にも、人の思ひしむる心はよしなきものなり。まことに母に後れ父に別れにし後は、われのみはぐくむべき心地せしに、事の違ひもて行きしことも、げに浅かりける契りにこそと思ふに、かくまで深く思ひそめけるを知らず顔にて過ぐしけるを、大菩薩知らせそめ給ひにけるにこそ、御山にてしも見出でけめ」という詫びの言葉を口にする。そして、院が都に帰ったあと、二条へ生活の足しにと物資を送る。
この作品には他にもクライマックスと言われるところはあるが、この場面が一番緊迫して好きである。二条の苦しみ、恨みが晴れる瞬間である。
この後、二条は下のように感想を書いている。
「いはんや、まことしくおぼしめし寄りける御心の色、人知るべきことならぬさへ、置き所なくぞおぼえ侍りし。昔より何事も、うち絶えて、人目にもこはいかになどおぼゆる御もてなしもなく、これこそなど言ふべき思ひ出では侍らざりしかども、御心1つには、何とやらん、あはれはかかる御気のせさせおはしましたりしぞかし、など、過ぎにし方も今さらにて、何となく忘れがたくぞ侍る。」
一見、しみじみとした述懐なのだが、しばらくすると妙に憎らしさを感じるのは私の偏見?
何だか二条が「ふんっ」と言いながら得意に鼻をうごめかせている様子が見えてくるのだ。
とはずがたり第10弾。
熱田神宮、二条の父がかつて知行した国にある。二条の誕生以来、父は毎年神馬を奉納していた。そういう由来があってか、二条はとはずがたりの中で4度熱田神宮に参っている。そして、熱田神宮の炎上という歴史的事件に出会い、草薙の剣発見に立ち会う。この事件を契機に、二条は宗教者として目覚める。
二条は度々熱田神宮で写経をしようとするが、それに対して熱田神宮は極めて冷たい。まあ、二条は墨染め。熱田神宮は神様なので、当然といえば当然かもしれない。が、伊勢でも墨染めということで制約のもとに参詣しているが、それに際しては随分配慮がなされている。そのことと対比すると、熱田の冷たさが際立ってくる。なぜだろう。熱田神宮といえば後深草院が後嵯峨院から相続した社だというのに…
修行編では熱田神宮については避けることができないが、私にはまだ消化できない。
渋谷パルコ劇場で上演された、『儚』を、9日の初日に見た。
井川遥の演技力についてはいろいろ言われていたが、よく演じていたと思う。
初めに赤ん坊の泣き声をするのだが、うまく泣けていた。これだけのためにも随分練習したことだろう。声もしっかり出ていた。それにしてもしょっちゅう激しく転ぶ役なので、体のあちこちに傷が絶えなかっただろう。
さて、この舞台劇、高尚なのか下世話なのか、物語の中には『源氏物語』、『方丈記』の出だしや、さらには音楽の時間に習った『平城山』が出てくるかと思えばとてもお下品な言葉がたくさん出てくる。でも、いやらしくない。
素材は平安時代の『長谷雄草紙』。鬼と双六をして美女を得たが、百日の辛抱ができずに抱いてしまったところ、水になってしまったという物語だ。これを恋の物語にアレンジしたのが『儚』だ。
舞台では、賽の河原で青鬼が語るという設定なのだが、この青鬼の正体が、うっかりしているとわからないかもしれないが、なんとなく悟らせてくれるようになっている。日本のインタビュー・ウィズ・ヴァンパイアといったところだろうか。そういえば、初めの方で、赤鬼が青鬼に「なんだ、また昔話しているのか」と言っていた。後から思い出すと、ふぅ~んと思う。
で、重要な登場人物に、人形がいる。ツキの神様だ。可愛くて残酷な神様。人形はとてもよくできていた。でも、人形の演技力が…
私は見ていて、この神様がどういう感情でこういう行動をしているのかというのがよくわからなかった。たぶんこういうことだろうというのはわかるのだが。だから、舞台の間中、モヤモヤしていた。後で上演台本を読んで、「やっぱり」ということになったのだが、もう少しなんとかならなかったかなぁ。
マサノリにそう言ったら、彼はツキの神様の感情については何も考えず、ただひたすらツキの神様ってのはいるんだということを言っていた。彼は職場でこの神様に翻弄されているたくさんの人を見ているのだ。これに限らず、男性と女性では、見るところが微妙に異なる。ラブレターズでもそういう傾向があるようだ。この差というのが、また面白いところかもしれない。
私たちが見たのは初日だったので、ハプニングもあった。赤鬼が、とても軽快な動きで舞台上を飛び回るのだが、最後の方で水にぬれた舞台のせいで転んでしまった。みごとにスッテーンと。これには場内大爆笑。で、そのまま通せばいいのに、律儀にやり直してた。マサノリは、あんな、演技とは関係のないところで笑われて、悔しかっただろうなと言っていた。
赤鬼、河原雅彦は、カーテンコールのときに、とてもさわやかに、かっこよく手を振っていた。「いいな」と思った。
とはずがたり第9弾。
善光寺から戻り、いよいよ都へ戻るべく、二条は旅立つ。その際に、飯沼左衞門尉という人から旅衣を贈られる。どうも、この人の家には度々遊びに行って、連歌などを行っていたため、噂が立ったらしい。
で、そのときの歌なのだが、
着てだにも身をば放つな旅衣
さこそよそなる契りなりとも
である。これ、曙が二条が院と契ることになったときに贈ってきた鶴の毛衣の歌に似ている。
また、この飯沼左衞門尉は、新将軍を都から迎えるときに、前の将軍が通ったところは縁起が悪いので、「足柄山とかやいふ所へ越え行くと」聞いたと書いている(増鏡では、理由は同じだが、「足柄山をよけて」となっている)。なんだか曙っぽい行動だ。この人についての記述はあちこちに何気にちりばめてある。
なお、この日記を書いた頃にはこの人は亡くなっている。
そして、いよいよ都に戻るが、すぐに奈良、つまり春日大社へ向かう。その際に、自分は藤原氏ではないから、そちらの方はそんなに行ったことがなかったが、近いから行くことにしたと書いている。言い訳っぽい書き方だ。照れているようにも見える。しかも、あえて春日と書かずに「奈良」である。で、誰がゆかりかというと、曙である。
そういえば、最後の方に遊義門院と石清水で会ったときも、奈良から来たと言っていた。
とはずがたり番外編。
よく、恋が終わった後、長いこと自暴自棄になる人がいる。たとえば、中森明菜などはその典型ではないだろうか。とはいいつつ、この人もようやく復活の兆しがあるようでなによりである。
二条の場合、1つは御所追放という形でいきなりピリオドを打たれた。自分は裏切っていても、院だけは、東二条院から何を言われても自分をかばってくれると、そのときまで信じていた。結局、追放を後見人である四条隆親に直接指示したのは東二条院であり、院はそれを追認したということを隆親から聞くのだが、でも、院からも直接とても冷たい、もし自分の身だったらゾッとするような冷たい言葉を浴びせられたのだから、これは院の意思でもあることは疑いなく、北山准后九十賀のときの後ろ向きの態度を生み出す結果となった。
が、もう1つの曙とのことは、恋人としての関係は昔話になっていたが、そういうつらいときはには心配してくれる人だった。その後、彼との関係はどうなったのか、確実なのは、表向きもう彼とは会えないということだろう。それくらいの何かまずい事態になったことは、旅の中で始終述べている嘆きから推測できる。また、鎌倉から戻ったときも、京にいづらく、すぐに別のところへ旅に出ることになる。それほどのいづらさというのは、いったい何があったのか。まあ、いづらさ自体については本筋からはずれるので、これについては掘り下げない。でも、次の旅については少し興味深いことがあるので、このことは次回書く。
とにかく二条は出家した。そして、旅をつづける間に自分のこれから行くべき道を見つける。ここにいたるまでにはかなり危ない事態にも遭遇する。でも、なんとか持ちこたえたのは父雅忠の遺言があったからだろう。これはその後の彼女の生きる指針となった。
自分を心から愛してくれた人がいたという気持ちというのは、人間を窮地から救う。自分は一人なんだと思う瞬間があったとしても、自分を心から愛してくれた人がいたことに気付ければ、その人は助かるのではないだろうか。
気付けるか、気付けないか、それはその人次第である。