その81 遊義門院
とはずがたり第6弾。
昨日出てきた東二条院のただ1人の娘、遊義門院について書きたい。実は、長々書いてきた目的はこの人のことである。もう想像がついている方もいらっしゃると思うが、この人、実は二条の娘ではないかと思うのである。
二条が曙に手引きされた有明の月と契ったときにできた女の子がいた。この子が後に病にかかったときに生まれてすぐに連れ去られたこの子のことを二条が気にかけているからだという占いがあり、曙が会わせたことがあった。曙の子供として、将来は帝へ差し上げるつもりで育てているということだった。
曙(のモデルと言われている人)には宮中へ上げた女子が3人いた。このうち、最初は一番上の子が二条の子供だろうという説が出た。でも、それは消えたらしい。
実は、二条は上の子が入内するときに女房として出仕している。出家するまでのとても短い期間らしいが。そのことからその説が有力になったのだろうと思うが、何しろ二条である。そんなことをしたら、「私が母です」という態度を隠すだろうか。まず確実にそういう態度を出すと思うのである。二条のことを幼い頃から熟知している曙がそんな危険なことをするだろうか。実際、この時に二条が、二条という名前さえ気にいらないのに、三条とつけられたものだから、相当文句を言ったらしい。ただ、既に二条という名前は他の人についているので、ということでなだめられた。
で、二条が産んだ女の子を対面させるときに、曙がいろいろ条件をつけている。父母の墓参りの後にと二条が言えば、それは縁起が悪いとか、5月にといえば、5月は不都合だとか。結局4月の30日に会ったのだが、5月が困る理由についてはよくわからないが、
墓参りの後が縁起が悪いというのは、もしかしたら死の穢れとか何とか、そういうこともあるのかなと今思っている。
とはずがたりには、なぜか東二条院のお産の場面が出てくる。それもこの遊義門院を産むときだ。今までが今までなので皆胸つぶれて大騒ぎの中で、もうだめかと思っていたところ、生まれたという記述がある。この時東二条院40歳。もう後がないかもしれない時期だ。なぜわざわざこれを書いたのだろう。
もう1つ。この日記の最後の方で、二条は遊義門院の御幸に会い、ちらと姿を見た瞬間から涙を止められず、段差を降りかねている遊義門院に涙をぬぐいながら、「どうかこの肩を踏んでお降りください」といっている。どう考えてもあの東二条院の娘に対する態度ではない。また、遊義門院の侍女の中で、自分のことを知っている人がいないか、なんとか自分が誰なのか知らせたい知らせたいとしきりに書いている。普通、あれだけのことがあった人の侍女に、自分が二条だと知らせたいだろうか。知られたところで、あまりいい顔をされないと思うのではないだろうか。だとすると、他に何か事情があって、そのことを知っている者を探していたのではないか。この時既に後深草院も東二条院も亡くなった後だ。
さらに、この女の子を二条が身ごもったときに扇に油壷の夢を見ている。扇といえば、最後に、尼になった二条が那智の山にこもっているときに、夢で院から貰ったものが醒めても手元にあり、これを後に遊義門院に献上したという記述がある。この夢の中で、二条の父雅忠が、院が来る途中だといい、その後に遊義門院もいらっしゃるぞと言っている。そして、夢の中の遊義門院は、那智に篭るために、二条がついに両親から受け継い形見の品を東と西に売ることになったことに対して、気の毒だから、この衣を賜ぶぞと、左右から白い衣を取り合わせ二条に下賜している。その後に、院からの白い扇だ。なぜわざわざ雅忠が「遊義門院の御方も出でさせおはしましたるぞ」というのだろう。もう、こうなるとこの遊義門院が二条の子供でないという方が難しい。そして、二条の子であるという前提に立つと、この日記を書いた動機がはっきりしてくるのである。
では、父親は誰か。
二条が女の子を受胎するときのことだが、ここで相手が曙なのか有明の月なのかとても分かりにくく書いてある。前に有明の月だろうと書いたが、よくよく考えるとどうも不自然な気がしてきた。取ってつけたように「有明の月」らしき、曙とは別の人が出てくるのである。いくら有明の月が人に頼ってもという性格だったとしても、あの時期にそれはどう考えても不自然。やはり本当は曙と二条の子供なのではないかと思うようになった。実際、この女の子の出産に際して、曙は春日の社にこもったふりをして、代わりの者をこもらせ、自分はずっと二条のそばにいたのである。これほどのことを、いくら自分が手引きしたからといってできるだろうか。
また、最後に遊義門院御幸のときに、曙の息子もいたのを見て、
「太政入道殿の左衛門督など申しし頃の面影も通う心地して」
つまり、二条がその女の子を身ごもった時期の曙にそっくりだと書いている。なぜわざわざそういう記述をするのか。
結局、途中で女の子の父が曙だとまずいと思い、皇族の男性らしく書き、二条を追いかけた高貴な阿闍梨のことを院にも「有明の月」と呼ばせることで、既に亡き阿闍梨のことと印象づけようとしたのではないだろうか(作中でも、有明の月との出会いからすっかり院に話したことになっているので、院にも女の子を産んだ話はしていると思われる)。有明の月は院の弟とみられている。
なぜ曙だとまずいのかというと、東二条院は曙の叔母で、東二条院の後ろ盾というのは、実は早くに祖父、父を亡くして名門の家を守っていかなくてはならなくなった曙なのである。曙が自分の子供を院の子供にしたとなれば、これは政変の材料になるのだ。
もう1つ、このお産の記述が、史実に残っている時期より約1年遅い。もし史実通りの出産だとしたら、二条がまだ東二条院方に出仕していた時期でもある。この縁の近さは、もし東二条院が産んだ子が死産、もしくは生まれてすぐに亡くなったとして、その子供とすりかえることが可能だっただろう
(その場合は二条の出産の時期も違ってくるが)。また、もしこの子供が二条の子供だとしたら、東二条院があれほど激しく二条を追い出そうとした、本当の理由として合点がいく。
曙は、一番上の子を後深草院の皇子である伏見天皇に、二番目の子を、なんと亀山院に入内させている。亀山院の皇子である後宇多天皇には入内させなかった。当初はこれは曙の妹が亀山院に愛されず、皇子を産むことができなかったことへの恨みからと言われるが、その後は後宇多天皇の最愛の人が遊義門院であったことも、影響したのではないだろうか。
ちなみに、後宇多天皇は北山准后九十の賀で遊義門院を見初め、皇后にしたが、後深草院側が手放さず、何年も経てから後深草院の御所から盗み出し、彼女が亡くなるまでむつまじく暮らした。そして彼女の死の2日後に出家した。
この日記は、遊義門院が38歳で亡くなる前年で終わっている。







