みよこの部屋 コメントページ

2002 年 6 月 12 日

その80 二条という人

カテゴリー: 古典作品 — みよこ @ 12:00 AM

とはずがたり第5弾。
今日は作者二条本人ついて書きたい。
きのう、近衛大殿と亀山院について書いたが、ここではいかにも仕方なしにという書き方をした。実際に、二条は仕方なしにこの2人と契ることになった。が、本当のところはどうだったのだろうか。
この人は、本当に嫌だったら嫌という意思表示のできる人である。実は、この2人についてはひそかに好意をもっていたフシがあるのだ。
二条は、父方が村上源氏の流れをくむ久我氏、母方が四条家であり、女御として入内してもおかしくない家柄の出身である。したがって、常日頃自分の出自に引き比べて、なんと屈辱的な扱いを受けているのかと嘆いている。二条という名前さえ気にいらないのだ。そんな中、上記の2人は後深草院に対して二条の目の前で二条の家柄の良さについて説いている。つまり、二条の気持ちの代弁者なのだ。
六条院の女楽の席次のことで、二条はこともあろうに祖父に屈辱的な思いをさせられた。そのとき、彼女は枇杷の弦を切り、和歌を残して御所を出奔した。これに対して、後深草院は最初怒り出そうとした。が、ここで亀山院は彼女のやり方を素晴らしいといい、その場の雰囲気が二条に対する同情に変わるということがあった。また、彼女が御所を追放された後、北山准后九十の賀に出席できることになったときも、亀山院はなぜ彼女が歌を差し出さないかと気遣った。とはずがたりの中で、亀山院は常に彼女の味方だ。近衛大殿も、あのようなことがある前に後深草院に久我氏と四条家について語っている。
後深草院にも、そのあたりの二条の気持ちが伝わっていたのだろう。だから、自分はかまわないみたいな対応をしたのだと思う。でも、決してそうではない。亀山院のときには、正直言って、二条がはっきりと断ってくれることを後深草院は期待していたのではないだろうか。つまり、二条は二条で院にかばってもらいたく、院は院で二条にかばってもらいたかったように思う。
だいたい後深草院は、自分でとりはからっておきながら、後であてこすりを言ったりすることがある。二条がいかにも不承不承という感じで、院の合意のもとに別の人と契るのは自分がかかわっただけに仕方ないと思うが、自分の知らないところで、二条が積極的に別の男性と関わるのは気にいらないのだ(当たり前だが)。これは有明の月の場合にも当てはまる。そして、二条は二条で、このことについて「犯せる罪もそれとなければ」などと嘯いている。つまり、あまり罪悪感は持ってないし、後悔もしていない。が、読者の手前、一応言い訳がましく書いているだけだ。

院が、なぜ二条を公の妻にしなかったか。それは既に東二条院という後ろ盾のしっかりした中宮がいたからである。院は何かとそちらの意向を気にせざるを得ない。でも、二条からすれば、東二条院と自分とどこが違うのかということになる。そういう態度は常に出ていたに違いないと思える。だから、東二条院はことあるごとに「我をないがしろにする」と言って二条を非難する。
東二条院は、何人か子供を産んだが、いずれも育たなかった。結局姫宮1人だけが残った。皇子は産めなかったのだ。それに対して、二条と比較的気の合ったらしい東の御方という人が皇子を産んでいる。でも、東の御方の親は東二条院の気持ちをおもんぱかって、あまり大喜びできない。それくらい東二条院はそのことを気に病んでいたのだろう。
なぜ東二条院の産んだ子が育たなかったか。実は彼女は後深草院の叔母である。母の妹なのだ。つまり近親結婚だ。私は結局このことが原因だったように思う。だから、自分より10歳どころではない20歳以上も若い、自分に仕えている二条に院の手がついたときから、東二条院は猛烈に嫉妬したのだろう。
でも、二条も院との皇子を1人産んだが、結局育たなかった。これはなぜだろう。実は、二条の母は院の性教育係だったが、役目を終えたあと、別の男性の愛人になった。でも、院は二条の母を忘れられず、隙をみては「人わろく盗み云々」と院が述懐するようなことがあった。院は常々二条のことを「あが子」といっているが、もしかしたら、冗談ではなく本当に「あが子」だった可能性もある。

コメントはまだありません »

コメントはまだありません。

このコメント欄の RSS フィード

コメントをどうぞ

*
画像に書かれた文字を入力してください

スパム対策用画像
ログインすると画像認証なしで投稿できます

Powered by WordPress

ホットワード 部屋 コメント 二条 padding margin
割引クーポンまとめ情報 - クー割