その41 渡辺淳一文学館
札幌遠征のとき、例によって文学散歩をした。そのうちの1ヵ所、渡辺淳一文学館について書きたいと思う。
さすが現役作家の文学館だけあって、1日中いても飽きないような文学館だった。特に、地下の講義室ではビデオが上映されていて、なんと1本1時間半位! 本当に盛りだくさん。こんなに長いビデオを上映する文学館はめずらしい。どういう経緯で作家になったとか、どういうことを書きたいのかとか、とにかく自分のことを知ってもらいたい、また、ここに来たからには楽しんでもらいたいという熱意を感じた。
渡辺淳一の本は、文庫本になっているものの多くは読んだ。男性の心理を知るのにとても役立つ小説が多い。ただ、読んでいくうちに女性の描き方に不満を持ったりして、ここのところご無沙汰していた。そのあたりのことは、『うたかた』のあとがきで本人がこう書いている。
「男女の小説を、男の視点から書き始めてからほぼ八年になる。それまでは主に女の視点から書いていたのだが、それでは女流作家が書いた女のリアリティーにおよばないかもしれない。しかも女が主人公では、小説を書いているあいだ中、こういうときは女はどう考え、どう行動するかと、常に女形の発想を保ち続けなければならないのも辛い。
ならば一層、男に徹して男を書き、女はそのつど、男の目に映る女としてだけ書こうと思ったのがきっかけであった。むろんこの場合の男は、既成概念でつくられた、いわゆる男ではなく、外見の男らしさのなかに無数のいい加減さや猾さ、曖昧さ、女々しさ、好色さなどをもった、本音の見える男である。
当然、そのなかには、中年の傲慢さとともに、疲れや侘しさ、そして優しさや虚無など、さまざまなものを矛盾しながら内包している。」
確かに、多くの小説では男性は「かくあるべき」男性像として描かれるか、「こうあってはいけない反面教師のような」男性像として描かれる場合が多かった。ただ、何作品も読んでいると、女性のモデルが同一人物のようで、「またか」と思ってしまうのである。そう、女優なら黒木瞳のような。渡辺淳一作品のヒロインは彼女が一番似合う。
そんな中で、伝記物には好きな作品が多い。島村抱月と松井須磨子のことを書いた『女優』や、与謝野鉄幹、晶子夫妻のことを書いた『君も雛罌粟我も雛罌粟』や、北海道が産んだ歌人、中城ふみ子のことを書いた『冬の花火』など、男女の心理についてとても勉強になった。
今回この文学館を訪れて、改めてまた色々な作品を読んでみたくなった。また新たな発見があるかもしれない。
今後のテーマも気になるところだが、それを占うような映像があった。
それはここで見たビデオの最後の方にあった。
ある老人ホームを訪問して、渡辺淳一は、こういうところは男性が少ないから、男性はもてるのではないかと言っていた。それに対してホームの女性が言っていた。
「歳をとると、知性が邪魔しなくなるのでとても正直に気持ちを表現されます。ただ、いざそういうことになったときにうまくいかないと、男性はとてもがっかりされて悶死なさいます。だからそういう気の毒なことにならないように気をつけてます。」
なるほど。やっぱり男性は大変なのね。







