その14 『春琴抄』
春琴抄。谷崎潤一郎の中期の作品。
この作品は、百恵・友和の映画などでも上映されているので、知っている方も多いのではないだろうか。この作品、文庫本の厚さを見ると、かなり薄い。でもそれは点や改行が極端に少ないためで、その内容はギュッと詰まっている。
内容は、驕慢な女性をあがめ仕える男性の話だ。
表面的に見ると異常なような気がするが、谷崎潤一郎と松子さんの話などをいろいろ調べたりすると、一般的な男女にも理解できることもある。
谷崎潤一郎は、「やくざな素人」を好んだ。『痴人の愛』のナオミのような。だけどそれはまだ若いころのことで、やはり本当にじゃじゃ馬なのはだめだと感じたらしい。松子さんとの出会いによって、そこに解決策を見つけた。「芝居気」である。本当に驕慢では困るが、必要に応じてそういうふうに演じることができる女性がいいと。
春琴抄を書く頃、松子さんとその美しい姉妹に仕える使用人の役を自ら演じていたらしい。だから、彼女たちもそのイメージを壊さないように、一所懸命演じなくてはならない。仕えているようで、実は主人は谷崎潤一郎自身である。
この「芝居気」というのは、女性の気持ちからも興味のあることである。女性は基本的に女優なので、限度を超えなければ大歓迎。でも、谷崎潤一郎のように、それが仕事にかかわり、しかも事実上はその芝居を強制しているようなのはしんどいと思う。
松子夫人はこのしんどいことを谷崎潤一郎が生きている間、ずっと続けて妻の座を守ったといえる。お腹にできた谷崎潤一郎の子供を中絶してまで。
(松子夫人は本当に産みたくて、出版社の社長やいろいろな人を動員して夫の説得にあたったが、谷崎潤一郎はとうとう首を縦に振らなかった。彼の死後、本当は産んでもいいと心が揺れていたというメモを発見し、目の前が真っ暗になったと松子夫人本人が書いている)
そういうことを踏まえて読むと、また違った解釈が見えてくる小説だと思う。







