百姓徒然日記帳 inいわて

美味しい米にこだわり、完全天日干し・完全自然乾燥・完全天然乾燥米を生産しながら、野菜作りや日頃の農作業を日記調に綴って参ります。 お立ち寄り下さり、誠に有難うございました。心より感謝申し上げます。

Archive for the ‘連載(掲載)’ Category

1 月
31

連載“酪農フォト短歌”NO11

Posted by kome111 on 1 月 31, 2012

毎日毎日厳寒の日が続いています。
いよいよ1月も今日で終わり、明日より、寒さも次第にゆるぎ始めるであろう2月に入ります。
この寒さも、後ひと月ほど辛抱すれば待望の春を迎へ和らいできます。
カウベルを首にかけ(今はないかも)、青々と茂った牧草をはむ牛たちの姿が、草原では確認できる季節がもう直ぐそこに来ています。



酪農フォト短歌11作目が掲載されました。
『高原の 長閑に揺らぐ 風に乗り カウベルの音 心和まむ』


<Essay>


私は若い当時、牧場を経営したいと思った事があった。
広大な原野で馬に跨ったカウボーイが、腰には銃、手にはムチを持ち颯爽と風を切り牛を追う姿が「カッコいいな」と、西部劇を食い入るように見たものだ。その影響もあってか牧場経営に憧れを抱いたものだ。
そんな事もあって若かりし頃、友人の伝手を頼りに江別市の山田牧場を紹介して頂いた。秋口から冬にかけての約3ヶ月間、住み込みで研修する事になった。冬季という事もあり、草地や畑での作業は経験出来なかったが、牛舎での作業はみっちりと経験させてもらった。中でも、力には多少なりとも自信があって「干し草の運搬などは力の見せどころ」とばかりに気合を入れて取り組んだものだった。また、100kg前後の牛を見ると、ついつい肩に担ぎたくなって、その姿を撮影してもらった事があった。実はその写真に短歌を詠もうとしたが、探しても見つけ出せなかった。
他の作業としては、搾乳や朝夕の餌やり、バーンクリーナーの清掃が主な作業だったが、ある日、子牛小屋での作業の途中、一瞬気を失った出来事があった。下を向きながら中腰になり、フォークで牛糞の処理をしていた。すると突然両肩に衝撃が走り、その重みに耐えかねてうつ伏せになってしまった。当然下は牛糞だらけ、ただ、咄嗟にフォークを前方に投げたのが不幸中の幸いだった。後で思ったのだが、その牛は、トレーニングがてらに担いだ牛であったのではなかっただろうか。



酪農ジャーナル2012年2月号>>

フォト短歌「カウベルの音」

フォト短歌「カウベルの音」




1 月
02

連載“酪農フォト短歌”NO10

Posted by kome111 on 1 月 2, 2012

酪農フォト短歌10作目が掲載されました。

職人の 技に安堵し 牛たちの 手入れの後に 乳量増して

<Essay>


職業も多種多様である。
知人の牧場を訪れたその時、牛舎の裏手の方から「グィーングィーン」と何かを削っているようなサンダーの音が聞こえてきた。「何だろう」と不思議に思い、音のする方へと近づいて行った。すると結構体格の良い若者がサンダーを右手に持ち、牛爪の手入れをしていたのである。私は初めて見る削蹄の仕事に、しばしの間食い入るように見ていたのだった。
それにしても世の中には色んな職業があるものだ。
「仕事とは自分の能力や興味、価値観を表現するものである。そうでなければ、仕事は退屈で無意味なものになってしまう」とアメリカの心理学者ドナルド・E・スーパーは云っていた。
また、小説家であり政治家でもあった山本有三は、著書『路傍の石』の中で、「たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない一生を本当に生かさなかったら、人間、生まれてきた甲斐がないではないか」と述べている。
景気の低迷や収益効果を高めるため、労働力を海外に求める日本企業が後を絶たない状況の中で、やりたい仕事や、仕事へのやり甲斐を求めるのは厳しい状況だと言わざるを得ない。しかしながら削蹄師の彼のように、ニッチな業種にこそ、やり甲斐があり、自分を表現できる仕事が未だ未だ眠っているのではないかと、彼の活き活きとした表情をみていて、ひしひしと感じたのだった。



酪農ジャーナル1月号>>


フォト短歌「耐えて忍ばむ」

フォト短歌「耐えて忍ばむ」






12 月
02

連載“酪農フォト短歌”NO9

Posted by kome111 on 12 月 2, 2011

酪農フォト短歌9作目が掲載されました。


牛と犬 闘い臨む 縄張りの 天より下す 鼻息荒らし


<Essay>
12世紀の頃から、イギリスでは雄牛と闘犬を闘わせるブル・バイティングというスポーツが行われていた。
それは、雄牛を柵に縄や紐で繋ぎ、そこに闘犬を放して闘わせるといったいわば牛虐めの残酷なスポーツ(1835年に禁止された)だった。当然、賭け事の対象にもされていた。また、ブルドックやブルテリアなどはその為に改良された犬種だとも言われている。
これらのスポーツとはまったく別に、それぞれ「生きる為」の原理原則としての闘いは決して少なくはない。

生き物にとって生存する上で必要な物とは、何といっても食べ物である。その餌となる食べ物がある場所を確保、獲得する為に動物たちは縄張(テリトリー)り争いをする。
勿論、動物の種類が違っているにしても、餌となる物が共通の場所に限る。
しかしながら動物たちの場合は、わざわざ戦わなくとも本能的に相手の力量を咄嗟に判断する事ができる。
やっかいなのは人間だ。

真っ向勝負、素手の喧嘩であれば当然相手の体躯をみて咄嗟に強いか弱いかの判断を下す。
その為に取り返しのつかない状況にはなり難い。
しかしながら、人間は脳の発達や進化と共に武器を持つようになり、武器を身に付けた獣と化す。
その武器も大量破壊兵器ともなれば大変な事態になる。
領土問題で揺れる日本の西と北だが、人間のコミュニケーション能力である「言葉」を最大限に生かし、決して力勝負に出るのではなく、穏便な話し合いで解決してもらいたいものだ。



やはり喧嘩は素手に限る。手加減が分かるからだ!

酪農ジャーナル12月号


フォト短歌「馬鹿は人なり」

フォト短歌「馬鹿は人なり」







10 月
30

連載“酪農フォト短歌”NO8

Posted by kome111 on 10 月 30, 2011

酪農フォト短歌8作目が掲載されました。


 草原に エンジンの音 たなびきて 干し草薫る 少年の頃


<Essay>
 私は干し草の匂いが好きだ。
足元から特有の匂いがまつわりつく乾燥した干し草が、一面に広がる畑や田圃の畦畔を歩くのが好きである。
「香りの錬金術は南仏プロバンヌの穏やかな草原も、東洋のエキゾチックな快楽も、エレガントな女性が闊歩する大都会も誕生させる。
唇に笑みを、目に涙をもたらせる。そして人を遠ざけも引き寄せもする」とロジャ・タブは云っていた。

 また、エレガントさとはまったく縁もゆかりもない独特な匂いとして、微かに聞こえてくる読経に耳を傾けながら境内に入ると、実に豊かで心落ち着くお香の柔らかな匂いが広がってくる。
その何とも言えない心落ち着く香りのように、私にとっては少年時代の思い出が干し草の匂いに沁み込んでいるのである。

 嘗て我が家でも2頭ほどの乳牛を飼っていたことがある。
サラリーマンだった父の希望で購入したと記憶しているが、その牛の世話はもっぱら教員を退職した祖父の係であった。
私は小学校から帰ると直ぐに祖父のもとへと駆け寄ったものだった。
干し草を取り込んでいる祖父の傍らで嗅ぐ匂いは、医学の父と呼ばれたギリシャのヒポクラテスの著書『金言』の中で、女性の治療の為には芳香浴が良いと述べられてあったが、私の芳香浴は正しく干し草の匂いによるものであると思っている。

 燦々と降り注ぐ太陽の下、心地の良い秋風に吹かれ乾しあがった干し草の匂いを嗅ぐ度に、今は亡き、祖父の優しさや頑丈な背中を思い出すのである。




酪農ジャーナル11月号の紹介>>



フォト短歌「干し草の夢」

フォト短歌「干し草の夢」








9 月
30

連載“酪農フォト短歌”NO7

Posted by kome111 on 9 月 30, 2011

酪農フォト短歌7作目が掲載されました。


遥かなる 北上山地 望みおり 夫婦の絆 牧野に誓う

岩手県金ヶ崎町の西部、和光地区にS牧場がある。
約束の時間に自宅を訪れ、母親のAさんの案内を受け、早速母屋の裏手に見える電牧線を跨ぎ、牛たちが朝夕通うであろう踏みわけ道を電牧線に沿って上ってみる事にした。

途中、牛の蹄の跡があちらこちらに見え、その足跡を追うように100m程上った。
すると視界がパアっと開け、一面に草地が広がる約6ヘクタールの清々しい牧場の景観が目に飛び込んできたのだった。
何とも長閑で、実に雄大であろうか。そこには牛たちが気持ち良さそうに草を食んでいた。
北西の方角に駒ケ岳の雄姿を仰ぎ、東側には北上盆地が広がり、その奥には日本百名山のひとつ、早池峰山を擁する北上山地の山々が薄っすらと確認でき、正に眺望抜群の別世界がそこに広がっていた。

岩手にもこんな風光明媚な場所があった事に、改めて感慨を深めながら、ふと、西の高台に目をやると、快く話に応じてくれたS牧場3代目、Aさんと奥さんのMさん夫婦が中睦まじく草集めをしていた。
鈴木牧場は、成牛32頭、子牛22頭、他にジャージー牛の成牛が1頭、総畑地面積約20haの専業酪農家。
牛以外の同居者といえば、ヤギ1頭、犬1匹、猫数十匹。
猫は、捨て猫を見るに見かねて世話をしているのだという。そんな心優しき若者夫婦が、愛情いっぱいふりそそぎ、心を込めて育てた牛たちから搾り出された牛乳は、また格別に美味しいのではないだろうか。


酪農ジャーナル10月号の酪農フォト短歌はこんな内容で掲載されました。


フォト短歌「夫婦の絆」

フォト短歌「夫婦の絆」







8 月
29

連載“酪農フォト短歌”NO6

Posted by kome111 on 8 月 29, 2011

酪農フォト短歌6作目が掲載されました。


今回の短歌は 『ひさかたの あさぎの空の 雲遠く 酷暑に涼む 松の木陰で』

今回のエッセイは
昨年の夏は記録的な猛暑が続いた。今年の夏も昨年ほどではないが、やはり暑い。
ゲリラ豪雨や竜巻の発生により、日本各地、いや全世界で自然災害による被害が多発している。
その原因として指摘されるのが地球温暖化である。それは無分別な化石燃料使用に伴う人災であると言っても過言ではない。
今から半年前の3月11日。
未曾有の大災害をもたらした東日本大震災により、「世界でトップクラスの安全を誇る」と豪語され、殆どの国民は疑う余地もなかった原発事故に、ただただ、指をくわえてその成り行きを見守るしか術がなかった。
その影響により、ここ岩手県一関市でも、今から3カ月前の6月中旬には、セシュウム濃度が許容値を超えたとして、牧草の利用や放牧の自粛要請が県畜産課から通達を受けた。
また、「原発さえなければ」と書き残して自ら命を絶った福島の酪農家もいた。
写真に見える薄あさぎ色に染まった清らかな空や、夕暮れ時の長閑な牧場の景色、そしてそれらを包み込む澄み切った空気を、決して核の毒物で汚してはならない。
未来永劫、汚れの無い空気を、後世まで残し、そして守る責任が我々にはある。
昨今の自然現象や自然災害をみていると、その殆どが我々人類の自然を甘く見、私利私欲に拘り、傍若無人に振る舞った結果の人災であると思えて仕方がない。
そして神が、その警鐘を我々人類に鳴らしているかのように思えてならない。


酪農ジャーナル9月号の酪農フォト短歌はこんな内容で掲載されました。

本日、民主党の代表選挙が行われ、野田財務大臣が決選投票の末、新しい代表に選ばれました。
兎も角、政局云々よりも、一刻も早い原発事故の収束や、復旧・復興に終始してもらいたいものだと心の底から思っています。


フォト短歌「平穏願う」

フォト短歌「平穏願う」





8 月
02

連載 “酪農フォト短歌”

Posted by kome111 on 8 月 2, 2011

酪農フォト短歌5作目が掲載されました。
今回の内容は、趣味の釣りに興じながらどんどん上流へと釣り上がっていくと、辺り一面、緑豊かな牧草地が広がっていました。
釣果は皆目無し、つまり0匹。

竿を畳んで牛でも見にいこうかと、牧草地をてくてくと歩き、その先にあった牛舎にひょいと顔を出したところ、牛たちが快く歓迎してくれた様子。
といった内容のあらすじですが、ふと牧草地のところで原発事故によるセシュームの問題が脳裏を過りました。
それに触れるべきか否か非常に迷ったあげく、敢えて触れない事にしました。
何かを思う時や、何かを書いていると次第に、知らず知らずのうちに原発問題が目の前を過っていきます。
出きる事なら思い出したくもないのですが、ここ暫くの間はやはり無理なんでしょうな~。


フォト短歌「一牛鳴地」

フォト短歌「一牛鳴地」







7 月
04

フォト短歌「犬馬の労」

Posted by kome111 on 7 月 4, 2011

月刊「酪農ジャーナル」7月号に、新連載酪農フォト短歌「犬馬の労」が掲載されました。

草(早)暁の 牛舎にうねる 息荒く 犬馬の労の けなげな若人

※本来であれば早暁と書くべきですが、牧場をイメージさせる為に敢えて草という字を用いました。


十代の寡黙な若人が、牛舎の中でもくもくと、しかも真面目に働く姿を見て、「俺は今迄いったい何をやってきたのか」。
反省、或いは後悔の念がこみ上げてくる中、暫くその様子を眺めていました。
働くとはいったい何か、働く事の意味とは、男としてのあるべき姿はどうあるべきかを改めて考えさせられました。


フォト短歌「犬馬の労」

フォト短歌「犬馬の労」






6 月
01

推敲不足(随筆)

Posted by kome111 on 6 月 1, 2011

昨日、酪農ジャーナル6月号(月刊誌)が届きました。
今号で3度目の掲載となる酪農フォト短歌ですが、読み返してみたら、
「ありゃっ、もうちょっと違った表現の方が良かったな」と後になって思ったりするのは常ですが、
今回もやはり御多分に洩れずそうでした。

確かに、何度も読み返す事によって、さし障りの無いまとまりのある文章や短歌は詠めます。
しかしながら、読み返せば読み返すほど、推敲すればするほど、その当時の感情や素直な気持ち、
或いは本心とはまったく違ったものに仕上がってしまう事が往々にしてあるものです。

そんな事もあって、ブログなどは、あまり過去に書いたものは読み返さないようにしています。
勿論、人生も同じだと感じています。
過去は過去、「過ぎてしまえばみな美しい」と高校時代、同じ応援団仲間が口癖のように話していた含蓄のある言葉ですが、
今尚心の糧として、事ある毎に肝に銘じながら今に至っております。

過去は過去、過ぎてしまった過去にはもう絶対に戻れません。
但し、反省する事ぐらいは、「心掛けるべきだ」と常々思ってはいるのですが。・・・


フォト短歌「推敲不足」

フォト短歌「推敲不足」







5 月
10

連載第2弾

Posted by kome111 on 5 月 10, 2011

酪農学園大学エクステンションセンター発行の酪農ジャーナル(月刊誌)に、フォト短歌の連載が決まり第2作目が掲載されました。
第1作目は>>
今月号(5月号)の酪農フォト短歌は、2か月前に発生した3・11東日本大震災に触れた内容となりました。
私の住む岩手県一関市でも、沿岸部とは違い津波による被害はありませんが、
本震・余震とも震度6弱から6強の強い揺れに2度襲われました。

詳しくははこちら>>



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