百姓徒然日記帳 inいわて

美味しい米にこだわり、完全天日干し・完全自然乾燥・完全天然乾燥米を生産しながら、野菜作りや日頃の農作業を日記調に綴って参ります。 お立ち寄り下さり、誠に有難うございました。心より感謝申し上げます。

Archive for 12 月, 2011

12 月
23

ごんぼ掘り

Posted by kome111 on 12 月 23, 2011

ゴボウの事を、この辺では「ごんぼ」と謂います。
早朝母親から、「今日ごんぼ掘りしてくれ」と頼まれ、予定を返上して畑に向かう事に相成りました。

最近はとんと聞かなくなりましたが、この「ゴンボ掘り」という言葉の使い方、私が小さい頃にはしょっちゅう聞いたような記憶があり、
母親に、「ゴンボ掘り」の本来の意味は何だと尋ねたところ、「ほんだね、あんたの小さい頃を思い出せば分かるんじゃないか~」との、
如何にも説明上手な、元教壇に立っていたお袋らしい返答が帰って参りました。

そんな事もあって、スコップ担いで畑に向かい、寒風吹き荒む中汗だくになりながらも、「ゴンボ掘り」の本来の意味を探りながら土と戯れて参りました。

「ゴンボ掘り」本来の意味とは・・・
無理難題を言ったり、ゴネたりする事により「手がかかる」場合など、子供らに対してよく使われるこの辺の方言です。
と謂うことは、私も小さい頃はよくゴンボ掘ってたようであります。 とんと記憶にありませんが・・・。







12 月
20

新聞掲載

Posted by kome111 on 12 月 20, 2011

今日の朝刊、岩手日日新聞15面の見出し記事に、
去る10月28日、東京都千代田区の如水会館を会場に行われた、日本パワーリフティング協会40周年記念行事の一環として、
各都道府県協会役員の表彰も行われました。
不肖私もその受賞者の一人として末席を汚しましたが、
その事を、岩手日日新聞社の千田昭彦記者の取材により、枠組み掲載となって紹介されました。

詳しくは>>





12 月
15

霜後の滝

Posted by kome111 on 12 月 15, 2011

農ヶ喜クラブ、次回の研修先となる一関市の熊谷さん宅に、当クラブ幹事の小原君とお邪魔してきました。
熊谷さんご夫婦は、やはり我々同様いわて農業入門塾のOBで、10期程先輩に当たり、入門塾開設間もなくの塾生との事。
稲作を初め、野菜類はもとより山菜類に至るまで多くの品種の栽培を経験され、また実に研究熱心です。

「ただ作ればいい」という旧態依然の農家体質ではなく、生産コストをしっかりと把握し、更には、今後の生き残りを掛ける農家にとって、一番肝心であろう流通に関してまでも造詣を深くし、TPP問題が深刻化する中、農業で生き残る為には、「熊谷さんのような方が生き残るんだろうな」と思える、逞しい、謂わば良きお手本になれる方だなと確信を持ちました。
「特に女房の尽力が大きい」とのご主人の弁。何とも素晴らしく、羨ましいご家族だなと思いながら熊谷さん宅を後にしました。

来年2月の講義、農ヶ喜クラブが実に楽しみです。

霜後桃源記(熊谷さんのブログ)
因みに、現代農業(月刊誌)にも以前紹介された方です。


フォト短歌「霜後(そうご)の滝」

フォト短歌「霜後(そうご)の滝」









12 月
12

サイト・リニューアル!

Posted by kome111 on 12 月 12, 2011

私が経営する平泉アスリートセンターのホームページをリニューアル致しました。
以前のホームページは何分にも独学により、「ただ公開できればいい」との単純な判断から、
Tableタグをふんだんに使ったサイト構成で作成しておりました。
詳しくは>>


平泉アスリートセンター(リニューアルサイト)
尚、Flashを表示する為には、最新のFlash Playerのインストールが必要かも知れません。





12 月
02

連載“酪農フォト短歌”NO9

Posted by kome111 on 12 月 2, 2011

酪農フォト短歌9作目が掲載されました。


牛と犬 闘い臨む 縄張りの 天より下す 鼻息荒らし


<Essay>
12世紀の頃から、イギリスでは雄牛と闘犬を闘わせるブル・バイティングというスポーツが行われていた。
それは、雄牛を柵に縄や紐で繋ぎ、そこに闘犬を放して闘わせるといったいわば牛虐めの残酷なスポーツ(1835年に禁止された)だった。当然、賭け事の対象にもされていた。また、ブルドックやブルテリアなどはその為に改良された犬種だとも言われている。
これらのスポーツとはまったく別に、それぞれ「生きる為」の原理原則としての闘いは決して少なくはない。

生き物にとって生存する上で必要な物とは、何といっても食べ物である。その餌となる食べ物がある場所を確保、獲得する為に動物たちは縄張(テリトリー)り争いをする。
勿論、動物の種類が違っているにしても、餌となる物が共通の場所に限る。
しかしながら動物たちの場合は、わざわざ戦わなくとも本能的に相手の力量を咄嗟に判断する事ができる。
やっかいなのは人間だ。

真っ向勝負、素手の喧嘩であれば当然相手の体躯をみて咄嗟に強いか弱いかの判断を下す。
その為に取り返しのつかない状況にはなり難い。
しかしながら、人間は脳の発達や進化と共に武器を持つようになり、武器を身に付けた獣と化す。
その武器も大量破壊兵器ともなれば大変な事態になる。
領土問題で揺れる日本の西と北だが、人間のコミュニケーション能力である「言葉」を最大限に生かし、決して力勝負に出るのではなく、穏便な話し合いで解決してもらいたいものだ。



やはり喧嘩は素手に限る。手加減が分かるからだ!

酪農ジャーナル12月号


フォト短歌「馬鹿は人なり」

フォト短歌「馬鹿は人なり」







12 月
01

短歌について

Posted by kome111 on 12 月 1, 2011

一日一首を目標にしていたフォト短歌ですが、如何せん思うように時間が取れず、写真撮影はおろか、歌も浮かんで来ません。
もっとも、写真を見て歌を詠むといったスタイルでやっていると、その元となる写真がなければ話になりません。
かと言って、「フリー写真素材」という手もありますが、やはりオリジナルに拘りたいところです。

本日、今年最後となる篠弘(日本現代詩歌文学館)館長による添削が行われました。
受講生による個々の作品の添削に入る前に、今回は馬場あき子さんの、短歌現代終刊号となる「萩の盛りに」について解説がされました。馬場さんの歌の特徴として、「景と情の一体感」が挙げられるとのこと。
今回の添削は、この「景と情」について触れながらの講義となりました。

以前立ち読みをしながらちらっと読んだ短歌本の中に、アララギの流れを汲んでか、「叙景歌に心情が入るのはおかしい」との一文がありました。
私は、この意見には納得がいきませんでした。
花や自然の美しさや、或いは厳しく険しい大自然の景観を観て、いいようのない感動や、メラメラと沸き立ってくる押さえようのない昂奮など、心の底から、偽りのない感情がふつふつと湧いてくるものです。

そんな心情を、その風景と共に表現し歌にする事が自然であると感じていました。
そんな事もあり、今日の講義によって、短歌に対する煮え切らない思いや葛藤を振り払う事が出来た、「雲霧披きて青天を観る」思いのした爽快な講義の時間であったと思っております。


フォト短歌「強き翼」

フォト短歌「強き翼」







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