Archive for 5 月, 2009
Strawberry Blues
日曜日, 5 月 17th, 2009

旅行者と地元民の間には、様々なGAPがある。発展国や途上国とか、狭い意味ではなく、
価値観、金銭感覚、温度(テンション)の差など、もっと広い意味でのGAPだ。
誰かの日常に、誰かの非日常が入り込む。
Usualとunusualな人々の交わり。
今年4月に行ったベトナム。
高原の街ダラットにて、
朝の市場から宿へ戻る途中、そんなことを考えていた。
ダラットに向かったのは、ベトナム日本語情報誌「ベトナムスケッチ」のダラット特集がきっかけで。
”ダラット高原の名産”として紹介されていた美味しいイチゴを食すため、この街に来たのだ。
(チェンマイ産のイチゴ等もあるがまぁまぁで、タイでおいしいイチゴはほとんど手に入らないのです)
早朝6時、新鮮な生鮮食品が集まるという朝市場へ出かけると、
あるわあるわイチゴ屋台がいっぱい!
ただ、中には乾いていたり鮮度の良くないものもあるため、味見しながら良い店をさがすことに。
そして数カ所巡った頃、つやつやと美味しそうなイチゴを発見!
きれいに積み重ねられ、輝くイチゴちゃん。
ぷっくりツヤツヤ。
味見よりもとりあえず一枚、と思いシャッターを切ろうとした瞬間、
ファインダーの右上よりアルミのトレイがさっと現れ、
同時に、怒気を含んだ声が聞こえたのはその時。
「⁑∂$▽*?○%†℃▽∞◉$⁑∂”ーーー!!!」
おばちゃんは、買いもしないのに写真を撮るだけだと思い、私が気に入らなかったらしい。
私の「sorry,sorry」という声もむなしく響き。
彼女は「シッシッ」と手の平を返しながら唸り続け、私が去った後もわけのわからん言葉を怒鳴り散らしていた。
とりあえず、目的を果たさなければならなかったので、イチゴは他の店でゲットし帰路へつく。
市場とはローカルな人達の生活の場だということもよく分かってる。
でも、旅行者にだって購入するものを選ぶ権利があるし、
でももしかしたら、おばちゃんに嫌な思いをさせた旅行者が今までにいっぱいいたんだ、とか複雑な考えを張り巡らし、
心ではなんだかとっても寂しかった。
これまで旅行をしながら、何度も味わてきた「とけこめない感」だけれど、
この日あらためてそれを実感。
このイチゴは、そんな寂しさを彷彿させるイチゴだ。
チェンマイで出会ったモン族の布
水曜日, 5 月 13th, 2009
早速その週末に深夜バスでGOしてしまったのは、そういえば昨年のことだっけ。
「あるスタイリストさんがチェンマイで布をさがしまくる」という特集に触発され向かった先は、
ワロロット市場裏手に曜日限定で出るモン族の市場(タラート・モン)。
市場と言ってもテントを立てただけの砂利の空き地に、大量の布が並べられている、
というよりかは乱雑に積まれているところ。
実際にモン族の人が売りに来ています。
買いに来るのは、リアルモン族の方か、チェンマイのアート系若者、そして残りわずかが旅行客。
布は古い物が多く、ほとんどがボロで色あせていて砂埃にまみれ、
ゴソゴソひっくり返してあさっていると、鼻がむずむずしてくる…そんな市場です。
実は、もうタイも3年も住むと民族衣装にもいい加減飽きてしまって、
カオサン通りでトライバルなカッコして土産物売ってる売り子とか見ても「ああ、まただ」くらいにしか思わなくなっていたけれど、
ここでは「ハッ」とさせられた。
決して現代のセンスからは生まれない、昔の布の美しさに。
手に取って、じっくり見れば見るほど、魅(み)えてくる。
色々な意味をもつモチーフやパターン、目を見張るほど細かい刺繍、自然から抽出された染料…。
一つ一つ時間をかけ、手作業で生まれた重み。
デパートやスーベニアショップでは会うことのできない、本当の布に出会える数少ない場所です。
とり残された村、チャンパサック
火曜日, 5 月 12th, 2009

南ラオスの田舎町(というか村だ)チャンパサックに行った時、「とり残された場所」だと思った。
時代にとり残されたような、とは使い古された表現であまり好きではないけれど、
この村に足を踏み入れた時、肌で、目で、薫りで、とにかく全身でそう感じたのだ。
パクセーから30キロ南下し、広大なメコン川を船で渡った所にあるこの村は、
東はメコン川、西は連なる山々とその先にタイとの国境、つまり完全に山と川に挟まれている。
パクセーも田舎ではあるが、ここでは、カフェもバーもコンビニもあるパクセーがとっても都会に感じる。
ここに来たのは、ワットプーという2001年に世界遺産に登録されたクメール(のちのカンボジア)遺跡を見るため。
ラオス語で「ワット(=寺)プー(山)」というこのヒンドゥー教寺院は、
5〜15世紀にかけて栄えた都市の中心であり、現在でもラオス人の厚い信仰を集めている。
用水路でバシャバシャ遊ぶ子供たちを通りすぎ、
キラキラした「日本むかしばなし」的田園風景を越え、
人より牛の数の方が多いんじゃないかと思うほどに静まり返る村の中心部をバイクで抜け、
山の中腹にあるこの遺跡へと向かった。
姿形はアンコールワットに近いものの、土産物屋もなく、ただ一軒無機質な博物館が申し訳程度にあるだけな地味な遺跡だ。
上を目指し、石畳をつらつらと歩く。
ただ赤茶けた石の上を「見所あんまないなぁ〜」と思いながら歩く。
そして階段を全て上りきった時、眼下に広がったパノラマ。
決してきらびやかではないが、「ただそこにある」というかたくななまでの美しさに心が打たれた。
森の奥にひっそりと佇む遺跡は、今日も静かに輝く。
Silomの夜とJohnnie Walker。
日曜日, 5 月 10th, 2009

ある晩気づけば、シーロムソイ4にいた。
ここはバー「Telephone」。
各テーブルに電話機と番号札が置いてあり、気に入った子を見つけたら電話をかけることができる、
ちょっとエンターテインメントなゲイバーである。
友達と久々に再会し、タイ料理屋で一杯飲んた後、ここに移動してきたんだった。
「刹那的」というコトバを最もイメージさせる街の一つがシーロムだ。
日中のオフィス街が、夜はたちまち歓楽街に変貌するここの夜は、バンコクの街柄をよく表している。
連なる屋台には、文字通りチープなブランドもののコピーがずらりと並び、
ギラギラと眩しい裸電球の下を、つらつらと歩く観光客の群れ。
「おにぃさーーん、いらっしゃいまーせぇー」と、独自の日本語で呼び込みするゴーゴーバー娘たち。
中には、人のセックスを見せるショーなんてのも存在し、過激すぎてビビってしまうが、
そんな男も女も関係なく何でもありなのがこの街なのだから、しょうがない。
人間の欲がどよどよとうごめく。
明日よりも今日を、今日よりも今この瞬間を。
後先なんて考えず、飲み、食い、遊び、買い、欲望を果たしていく。
でも、ふとした瞬間にどこかもの悲しさを、まるで悪寒のようにゾクリと感じてしまうのは、
その夜が、その瞬間が、永遠に続くものではないと、ここにいる全員が心の隅で知っているからだろうか。
そんな寂しく燃えるシーロムの夜を、今日もJohnnieは歩く。



