Archive for the 'ドラゴンボール' Category

ドラゴンボールレーダー

6 月 16th, 2009

ドラゴンボール実写映画版でも、ドラゴンボールレーダーは、はずすことはできないでしょう。どのような、作りになっているのかも、楽しみです。リアルに、実在してほしいと思うのは、ファンなら誰しも思うことでしょう。ドラゴンボールの、DVDボックスでは、特典でドラゴンボールレーダーがついていたこともありました。

コミック版の方では、ドラゴンボールレーダーは、ドラゴンボールの発する特殊な電波をとらえることができる、小型探査機です。縮尺を自由に拡大したり、縮小したりする事が出来ます。特殊な部品を使用しているので、いつでもどこでも、すぐに作れるわけではありません。懐中時計程度の大きさなら、細かい位置まで、的確に表示することが出来ます。これを、作ったのは、ブルマです。

また、ブルマが作った同様の装置を、レッドリボン軍やピラフ一味も持っていました。ですが、それはブルマのドラゴンボールレーダーよりも大型で、低精度でした。

物語の中で、ペンギン村でブルーに奪われた時は、則巻千兵衛博士の子供である、ターボくんがなんと飛行機のパーツから作り直しました。その時は、ターボくんがどうやってその「特殊な部品」を調達したのかは未だに謎です。

また、その特殊なドラゴンボールの電波は、生命体の体内に呑み込まれてしまうとレーダーをキャッチできなくなります。また、レーダーの縮尺を広げると、ドラゴンボールがある周辺の地形も、大方把握できるようになります。

ドラゴンボール実写映画化でも、始めはやはり、マンガと同様ブルマが持っているようです。

精神と時の部屋

6 月 15th, 2009

実写映画では、このような精神と時の部屋のシーンはでてくるかは、まだ分からないですが、ドラゴンボールの世界では、大切なシーンです。

この、精神と時の部屋というのは、神の神殿にあるもので、修行のための部屋です。広さは地球と同じぐらいで、真っ白な空間が、延々と広がっています。部屋の外と比べて、時間の進む速さが極端に遅くて、この部屋の中の1年は、外の世界の1日にあたります。この部屋で、1年過ごしたとしても、外の世界ではたったの1日しか経っていないのです。

部屋の中の空気は薄く、部屋の重力は、なんと外の10倍、気温は50度からマイナス40度に常に変化しています。外界の情報は一切伝わらず、気さえも感じません。

悟空は少年時代に1度だけこの部屋にはいったことがあります。ですが、初めて部屋に入ったときは、部屋の過酷な環境のために、1ヶ月もいられなかったというのです。この部屋には、孫悟空、孫悟飯、ベジータ、トランクス、ピッコロ、孫悟天らが使用し、修行をしました。

この精神と時の部屋は、初登場時から登場する度に、幾つかの制限が追加されています。一生のうちに48時間しか使用できずない、とか、その時間を超えた場合は、出口の扉が消えてしまって出ることができない、とか、部屋に入るのは、一度に2人まで、などです。

しかし、後のストーリーでは、この制限事項とは幾つか異なる事があります。魔人ブウが入った時には、4人が入室していました。また、外部の情報は一切伝わらないとしていたのに、ピッコロはテレパシーで悟天達と交信することできました。作者、鳥山明によると、ブウ編までに、何度か改良されたためとのことです。ドラゴンボール実写映画化では、でてくるとしたら、どのような設定で、映されるのでしょうか。

気について

6 月 12th, 2009

ドラゴンボール実写映画版でも、戦闘シーンは見ものです。
ですが、悟空達が、戦う時につかう気は、どのようにして、体からだすのでしょうか。

気とは、体の中を流れるエネルギーの例えのことです。
これを自由に操作して、飛行したり、凝縮させたりして、放出気功波を作りだすことができるのです。

“気がゼロになる”という事は、死を意味します。ですが、逆に致命傷を負っていたとしいぇも、気さえ残っていれば、助かる可能性があるのです。また、気の弱っている者に対し、別の者が気を送ることもできます。また、訓練さえすれば、相手の気の強さを感じたり、位置を感じることもできます。数億キロ離れた相手の場所さえも分かってしまうのですから、驚きです。

さらに、気の強さをコントロールすると、気配を隠すことができたり、強さをカムフラージュすることもできます。訓練次第では、気をゼロにまで下げることができ、完全に気を消した場合、肉眼で探すしかないのです。

戦闘に用いる場合は、気功波として放つ方法以外にも、体の一部分に込めることにより、防御力や攻撃力を上げたり、用法は様々であります。敵として登場したキャラクターのほとんどは気を感じることができていなかったのだが、フリーザ編でのベジータや、魔人ブウ等は、パワーアップした時に、気を感じることができるようになっていました。強さの差、イコール、気の総量の差と思われていますが、決して、そうではありません。気というのは、高めるのと引き換えに、大幅にスピードが落ちるのです。総合的にも弱くなったとする表現も中にはあり、力量を測るものさしにはなるが、絶対的なものではないようです。

ドラゴンボール実写映画化の戦闘シーンは、見ものだと、関係者は語っているみたいです。

鳥山明の性格

6 月 11th, 2009

ドラゴンボール実写映画化の、原作コミック、鳥山明は、マスコミなどへの露出は、あまり好んでおらず、インタビューでの記事や本人の写真が、マスコミ関係に掲載されるケースは、ごくわずかです。その理由は、単に小さな町なので、顔がばれてしまうのが、嫌だったかららしいです。当該写真にも、顔にはガスマスクが合成されています。

ただ、そんな鳥山明でも、かつては『徹子の部屋』に出演していしたり、NHK特集の『わが青春のトキワ荘 現代マンガ家立志伝』に、荒木飛呂彦と一緒に登場したりもしていたました。『Dr.スランプ』での単行本にも、近況漫画や鳥山明自身の写真を、積極的に載せています。最近では、テレビゲーム『BLUE DRAGON』のCMに少しだけですが、出演しています。

彼は、人付き合いがあまり得意でないと公言しており、家族と気の合う友達、信頼できる仕事仲間以外の人とは、積極的に会いたいとか、関わりたいとは思わないと語っています。なので、田舎に住んでいる理由のもそのような理由からきています。 初めは、本名ではなく、水田二期作(みずたにきさく)というペンネームを使おうとしていました。ですが、結局本名でデビューしました。ですが、悲しいことに、「鳥山明」という名前は、愛知県には数件しかいなくて、イタズラ電話が頻繁にかかって来たとのことです。本人曰く、ペンネームにしとけば良かったと、若干後悔しているみたいです。

これまでに、代表作、ドラゴンボールや、Dr.スランプなど、ユーモアのある作品を書き続けてきた彼だが、実生活では、少しかけはなれているようです。ですが、彼の描く作品は、本当に素晴らしいので、ドラゴンボール実写映画化でも、忠実に再現してほしいものです。

鳥山明は面倒くさがり

6 月 10th, 2009

ドラゴンボールの作者である、鳥山明の漫画作品は、あまりタッチをつけないで、均一な線が用いられています。また、スクリーントーンもあまり使われていません。それは、単に、鳥山明自身が、非常に面倒くさがりだと言うことです。

なので、トーンを使わないのも、切ったり貼ったりするのが面倒だからと、自分には合わないと言っています。本人言うには、「スクリーントーンを切り貼りする作業は、漫画を描く作業ではないと思う」とのことです。ただし、スクリーントーンが嫌いな訳ではないのです。むしろ使いたいと話していたこともあります。

また、鳥山明の漫画では、ネームを描かずに、下書きをいきなり始めるという、普通とはすこし違った、製作方法を取っています。これも、鳥山明自身が、「3度も描くのが面倒」だと、担当編集者である鳥嶋に話したのです。

他に、鳥山の「面倒くさがり」を表すエピソードとして、こんなものもあります。『Dr.スランプ』では背景を描くのが面倒で村を舞台にしたことや、「雨を描くのが苦手」ということで、漫画家の妻と結婚するまで、彼の作品では、雨を降らせなかったようです。『ドラゴンボール』では、超サイヤ人の髪をベタ塗りせずにしたのは、時間短縮になるからです。また、フリーザの最終形態も、簡単にすることで、作画の手間をはぶかせました。描くのに時間がかかるような、市街地などは、すぐに爆破させたり、移動させたりなどしていました。

描かれる作品には、動物が、あたりまえのように、人間の言葉を話し、人間社会にも溶け込んでいます。そして、様々なメカニックなどが登場します。サブキャラクターに動物や異星人が多い理由は、普通の人間だけでは、顔を描き分けるのが大変で、動物や異星人・ロボットなどを描く方が楽だからということらしいです。

作者は、かなりのめんどくさがりやですが、実写版映画に出演する人達にかんしては、丁寧に演じてほしいものです。そもそも、ドラゴンボール実写版に出演する人たちは、鳥山明の性格なんて、知らないですよね。

鳥山明のデビュー後

6 月 8th, 2009

1978年に、読み切り作品である『ワンダー・アイランド』が『週刊少年ジャンプ』に掲載されて、デビューを飾りました。

ですが、デビュー作のアンケート結果では、最下位であり、その後の週刊少年ジャンプ本誌や増刊号で発表された短編作品の人気もあまり良いものではありませんでした。鳥嶋和彦に促され、1979年の読み切り作品『ギャル刑事トマト』という作品を描きました。その作品は、鳥山明自身が本来苦手とする「女性を主人公とした」作品でした。すると、この作品が、とても評判が良く、これを機に『週刊少年ジャンプ』での連載が決定したのです。

1980年開始の初連載作品では、『Dr.スランプ』が掲載されました。

この作品は、いわゆる「博士物」であり、鳥山明は初め、天才科学者則巻千兵衛を主役にと考えていたのですが、鳥嶋和彦のアドバイスで、女の子のアンドロイド、則巻アラレを主人公設定したのです。ですので、千兵衛は脇役に据えました。これが良かったのでしょう。初の連載作である『Dr.スランプ』は、当初より人気作となりました。

1981年からは、『Dr.スランプ アラレちゃん』として、TVアニメ化もされ、最高視聴率36.9%を記録します。歴代アニメの平均視聴率で見事3位と、大ヒットアニメとなりました。

『Dr.スランプ』連載の一年目では、3日に一回しか寝ることができず、最高連続徹夜6日を記録したとのことです。ペン入れをした記憶がないという回があるなど、多忙を極めたようです。連載は5年程度続きましたが、単行本は全部で18巻です。これは、本人がネタが不足してしまったということで、1984年に終了させたとのことです。

そして、『Dr.スランプ』終了後すぐに、今回、実写映画化にもなった『ドラゴンボール』の連載が開始されます。当初はアンケートでも、大きな反響は無く、人気も、ありませんでした。ですが、徐々に地球を守る戦いを中心としたストーリーとなることで、人気を獲得していきます。そして、1995年までの11年間、連載が続き、親子2代に渡る壮大なスケールの作品が描かれることになったのです。ドラゴンボール実写映画化は、3部作から、成り立つ予定です。

鳥山明の幼い頃

6 月 6th, 2009

ドラゴンボール実写映画版の作者である、鳥山明は、小さい頃から、絵を描くことが大好きな子供でした。子供の頃に通っていた、絵画の教室で、『101匹わんちゃん大行進』の絵を描いて、表彰されました。その出来事によって、絵を描く事に自信を持ったと、本人は語っています。そして、小学校の写生コンクールでは、何度か賞を貰っています。また、高校時代でも、美化キャンペーンのポスターで、なんと全国高校生の部で入賞もしているのです。

担当編集者である、鳥嶋和彦は、家は貧しかったみたいだが、両親共に、のんびり屋でマイペースな性格で、夕食を食べるお金がないからと言って、代わりに二人でワルツを踊るような人であったと語っています。また、子供時代の鳥山明は、お腹を空かせながら漫画を描く事が、彼の唯一の楽しみであったとはなしています。

幼少時代では、漫画やアニメに熱中していた鳥山明ですが、小学校高学年以降は、映画やテレビドラマの方に興味が移り、マンガをほとんど読む機会が無くなってしまいました。しかし、絵を描く事は好きで、また自信もあったため、進路は、愛知県立起工業高等学校デザイン科へ進みます。そして、1974年に卒業した後には、デザイン会社に就職します。ここでは、チラシなどを作っていたのですが、結局、サラリーマン生活に嫌気が差してしまい、2年半ほどで退職しました。

退職後は、自由気ままな生活を送っていたために、金銭的にとても困っていました。そして、その時、たまたま手に取って見てみた、『週刊少年マガジン』で、新人賞への応募作品を募集している記事を見つけます。その賞を取れば、賞金として50万円が手に入ることを知り、鳥山明は、賞金のために23歳で初めて本格的に漫画を描き始めたのです。ですが、結局『週刊少年マガジン』の新人賞の締め切りに間に合わすことができず、毎週作品を募集していた『週刊少年ジャンプ』の方へ作品を投稿するようになりました。この頃の作品は、『スター・ウォーズ』のパロディなどを描いていたとのことです。

当時の鳥山明の作品は、新人賞レベルには及ばないものであったとのことです。鳥嶋和彦は、鳥山明の作品の中に、色々なものを色々な角度から描くことができ、また、絵が非常に丁寧に描き込まれている事にセンスを感じていました。「今は下手だが頑張れば何とかなるかも」とアドバイスをし続けたとのことです。そして鳥山明は、厳しくボツを出す鳥嶋の元で、懸命に修行することになります。なんと、この時のボツ原稿の総量は、1年間に500ページにも及んだと言っています。

このような、下積みがあってこそ、鳥山明の作品、ドラゴンボールは、世界中の人から愛されるのでしょう。

ブルマ

6 月 5th, 2009

ブルマは、コミックで、悟空が出会った最初の仲間です。そして、ブルマは、全ての物語の引き金となった、カプセルコーポレーションの令嬢でもあります。物語前半では、ヤムチャと交際しています。ですが、後に破局、なんと、ベジータの妻となり、トランクスとブラという子供まで産んでいます。つまり、母親になったのです。

ブルマは、西遊記でいうならば、玄奘三蔵に相当するのですが、性格は正反対に近いでしょう。 また、名前の由来はブルマーからです。鳥山明自身が、『DRAGON BALL 冒険スペシャル』での質問コーナーで、「女の子がはいているブルマーからきています」と答えています。

そして、2008年のハリウッドで実写映画化する「DRAGONBALL」では、ブルマ役に、エミー・ロッサム(「オペラ座の怪人」) が、決定しています。彼女は、MySpaceの彼女自身のページで、進捗状況を報告しています。現在は、アメリカ国外で、とっても、エキサイティングな新作の撮影をしていると、ドラゴンボールの撮影の事を語っています。また、チョウ・ユンファという素晴らしい俳優との共演で、自分がこれまでに演じてきた役柄とは、全く違う役ができて興奮しているみたいです。彼女は、このブルマというキャラクターを、とても気に入っていて、皆と楽しみを分かち合えるから、ずっと興奮しっぱなしだと言っています。

もちろん、映画に入る前には、とてつもなく、厳しいトレーニングをして、ファイトシーンの動き方や銃の撃ち方を習ったようです。もちろん、マーシャルアーツもです。彼女は普段、穏やかな平和主義者みたいなので、このような、ちょっと物騒な役柄を、とても楽しんで演じているとも、ドラゴンボール実写映画化に対しての意気込み語っています。

亀仙人の相棒

6 月 4th, 2009

ドラゴンボール実写映画化では、出てくるかは、わかりませんが、いつも亀仙人のそばにいる、あのカメについて、詳しく知っている人は、少ないのではないでしょうか。

人の言葉を話す亀仙人の愛亀は、松茸狩りの最中に迷い、迷子になります。そして、1年以上も陸地をさまよい続けてしまします。そして、孫悟空とブルマに出会うことになるのです。

ブルマは亀を見捨てようとしましたが、孫悟空が海辺まで連れて行ってあげたので、無事に、亀仙人の所に帰ることができました。そして、このお礼として、悟空は、亀仙人から筋斗雲をもらうのです。そして、亀仙人が首にぶら下げていた、ドラゴンボールである、三星球をブルマは手に入れることができたのです。

では、なぜ、亀仙人が、海亀と一緒にいるのか、気になりますよね。それは、筋斗雲に乗れない亀仙人の、海上での唯一の、移動手段なのです。

海亀の性格は、スケベな亀仙人とは違い、亀仙人の数々のセクハラを見たり、聞いたりする度に、注意を行い呆れ返っています。ですが、心の底では、大変立派な武術家として、とても慕っています。また、ピッコロ大魔王編で、亀仙人の死を聞いた時や、ドラゴンボールで生き返ったと聞いた時には、涙を流していました。

また、少年期の悟空やチチからは、「ウミガメ」なのに「ウリゴメ」と間違った呼び方で呼ばれていたことも有りました。 ちなみのその呼び方の由来は「海亀」をそのままカタカナに表記しただけのことです。

そして、なんと、アニメでは悟空の魚取りにウミガメが付き合った時、息子・タローと出会います。息子の名前の由来は、「浦島太郎」からとられています。

ですが、ドラゴンボール実写映画化には、外せない存在ですよね。

ドラゴンボール(龍珠)

6 月 3rd, 2009

ドラゴンボール、そして映画に欠かすことができないもの、それが、作品名にもなっている、ドラゴンボール。漢字で表記すると龍珠となります。大きさは、野球ボールくらいで、オレンジ色の球です。そして、その球は7つあり、世界中に散らばっています。中には赤い星が入っていて、神秘的な輝きを放ち、にぶく光っています。ドラゴンボールは、特殊な電波を放っており、ドラゴンレーダーでその位置を特定することができます。ドラゴンボールが近くに2つ以上あるときは、共鳴してより強く光ります。

ドラゴンボールを7つ集めると、神龍を呼ぶことが出来ます。そして、神龍を呼ぶと、空が暗くなり神龍が出現し、願いをかなえてくれます。神龍を呼び出して、願いをかなえてもらった後は、ドラゴンボールは、はるか遠くに飛んでいき、石になります。そして、ドラゴンレーダーにも映らなくなります。1年経つと、石になっていたドラゴンボールは元のドラゴンボールへと、戻ります。また、生物の体内にあったり、特殊なケースに入ったりすると、ドラゴンレーダーに映らなくなります。

ドラゴンボールは、それを作ったものである神、もしくは神と一心同体であるピッコロが死んでしまうと、ドラゴンボールも消滅してしまします。ドラゴンボールの球の強度はきわめて高く、カリン塔の頂上、あんな高い所から地面に落下させたり、どどん波の直撃を受けても割れることはありません。

アニメのオリジナル設定では、このような説があります。まだ人間が正直だった頃のドラゴンボールは、もともとは大きな一つの球でした。ドラゴンボールは、神が人間を祝福し、与えたものであり、人々の願いをかなえるために、神殿に飾られていたものでした。ですが、人間たちが欲深くなってしまったために、それを神様が7つの球に分割し、そして各地に散らばらせました。実写映画化では、どのように、集められていくのでしょうか。



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