雑記/身体教育・・・

2 月 4th, 2010 by baucafe

ボディワークを身体教育として実践するためには、意識を前提としない主体概念( 『これがボディワーク』 p.123-127 では「身体主体」とした)が必要である。

ボディワーカーの強いる即座の変化は、学習のチャンスをクライアントから奪ってしまう。クライアントに学ぶ時間がなければ、身体教育は成立しない。

「『私』は決して連続的ではありません。たとえば『私』の行為を追ってみましょう。『私』は椅子に腰を下ろし、『私』はテーブルのコップへ手を伸ばし、『私』は指先でコップに触れ、『私』はコップを持ち上げ・・・ところが気がつくと、『私』なしに水を飲み、味わい、コップをテーブルへ戻しています。どこかで必ず『私』は途切れてしまいます。そして、それまで『私』が存在していた場所を、身体が独占しています。身体はその場所で、周囲を感覚したり、自身の中にくつろいだりしています。『私』がこのように途切れがちで、簡単に身体に取って代わられるのは、元来、身体が誕生した後に『新参者』としてやって来たからなのかもしれません。」(引用: 『これがボディワークだ』 p.124 注98 )

・ ・・・
 絶えず変転し、
 不連続である
 捕えたと思えば、
 跡形もない
 止まる処を知らず、
 囚われる事もない・・・

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