生命の大きな流れ/生命学の観点から
5 月 7th, 2009 by
baucafe
個体は生死を繰り返すが、生命の大きな流れは決して絶えないと、ヴァイツゼッカーは言う(『ゲシュタルトクライス』より)。
「死」とは観念であり、人間に固有の現象なのだ。人間により強いて切り取られた、生命の「ある断面」が「死」と呼ばれる。
Posted in ボディワーク |
baucafe
個体は生死を繰り返すが、生命の大きな流れは決して絶えないと、ヴァイツゼッカーは言う(『ゲシュタルトクライス』より)。
「死」とは観念であり、人間に固有の現象なのだ。人間により強いて切り取られた、生命の「ある断面」が「死」と呼ばれる。
Posted in ボディワーク |
8 月 29th, 2009 at 1:05 AM
「このブログは、個体と関わらない生のサイクルのお話をしている」わけではありません。
ヴァイツゼッカーの言葉を借りると、個体の死は、生を区分し、更新します。
私たちは普通、「自覚」としては、個体として生きているでしょう。すなわち、「意識」を持った個体として生きているでしょう。
さて、「意識」とは「自我」のこと、つまり「私」のことでしょうか。
書き手はボディワークという、身体に関わる仕事をしていますが、この「私」は私たちの存在の表層にすぎないと思うのです。
「人間」という言葉を使われましたが、その存在は「私」の領域内に限られたものではないと思います。
「個体が『私』に囚われた状態」から自由な視点で、私たちが生命を見るとき、私たちが「無駄に生きて無駄に死んでいく」とは思われなくなるかもしれません。