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グラシア(
USS Glacier, AVG/ACV/CVE-33)は、
アメリカ海軍の
護衛空母。
ボーグ級航空母艦の1隻。その名を持つ艦としては2隻目。
艦歴
グラシアは
ワシントン州タコマのシアトル-タコマ造船で1942年6月9日に起工した。1942年9月7日にリチャード・P・ルーカー夫人によって進水し、1943年7月12日にウォード・C・ギルバート艦長の指揮下就役する。1943年7月15日に CVE-33(護衛空母)に艦種変更された。
1943年7月31日にレンドリース法に基づき、ブリティッシュコロンビア州バンクーバーでイギリス海軍に移管され、アスリング(HMS Atheling, D51)と命名された。アスリングは第二次世界大戦をイギリス海軍で運用される。
戦争が終了するとアスリングは1946年12月6日にバージニア州ノーフォークでアメリカ海軍へ返還され、1947年2月7日に除籍、11月26日にNational Bulk Carriers, Incに商船ローマ(Roma)として売却される。1967年11月にイタリアで廃棄された。
関連項目
外部リンク
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柔(やわら)
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[E]
ANZスタジアム(ANZ Stadium)はオーストラリア・シドニー西部近郊のホームブッシュ・ベイ (:en:Homebush Bay) 地区にあるシドニー・オリンピック公園にある競技場。
シドニーオリンピック開催のために1999年3月6日にスタジアム・オーストラリアとして開場。こけら落としはラグビーのナショナル・ラグビー・リーグ。当時の収容人員は11万人だったが、2001年に83,500人に縮小された。スタジアム名も、2002年にオーストラリアの電話会社テルストラによる命名権取得でテルストラ・スタジアムに改称された。公共放送などで命名権による呼称を回避する場合は「ホームブッシュ・スタジアム」 (Homebush Stadium) と呼ばれる。
2003年、ラグビーワールドカップの決勝戦の会場となり、イングランド代表が延長の末開催国オーストラリア代表を下し、北半球の国として初優勝を飾った。
2005年11月のサッカーワールドカップドイツ大会大陸間プレーオフでは、オーストラリア代表がワールドカップ出場を決め、歓喜に包まれた。
2008年1月より7年間、ANZスタジアムへ競技場名を変更した。
外部リンク
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岩手県道・宮城県道48号弥栄金成線(やさかえかんなりせん)は、岩手県一関市弥栄から宮城県栗原市金成に至る主要地方道である。
概要
- 実延長:18,676.3m
- 岩手県側:17,195.3m
- 宮城県側:1,481.0m
- 起点:一関市弥栄字沼畑(国道284号・県道239号交点)
- 終点:栗原市金成日向(国道4号交点)
歴史
- 1993年(平成5年)5月11日 - 県道花泉東山線の一部と花泉金成線が、弥栄金成線として旧建設省から主要地方道の指定を受ける。
- 1994年(平成6年)3月15日 - 弥栄金成線として、岩手県側の区間が県道に認定される。
- 1994年(平成6年)3月18日 - 弥栄金成線として、宮城県側の区間が県道に認定される。
通過する市町村
重複区間
交差・接続する道路
- (国道重複区間)
- 国道342号・登米方面(一関市花泉町金沢字内ノ目)
- 宮城県道・岩手県道185号有壁若柳線・有壁方面(一関市花泉町花泉字田畑後)
- 宮城県道・岩手県道185号有壁若柳線・若柳方面(一関市花泉町花泉字一本松前)
- 国道4号(栗原市金成日向)
関連項目
外部リンク
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モール・ミュージック(morr music)は、ドイツ・ベルリンのレコードレーベルである。テクノ、とくにエレクトロニカやIDMを中心としたリリースを行っている。
概要
1991年にトーマス・モールによって設立された。所属するアーチストの多くは
エレクトロニカや
IDMに分類されるが、ボーカルをのせた
ロック風な楽曲や、チープな電子音を使用して
チップチューン寄りの楽曲をリリースするアーチストもいる。
レーベルとしての活動はドイツ内だけでなく、アメリカやカナダ、日本などへのツアーが開催されていることから世界規模であると言える。
主要アーチスト
- Arovane
- Herrmann & Kleine (Christian Kleine)
- Isan
- Manual (Limp)
- mum
- Phonem
- Solvent
- Styrofoam
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ベイサイドプレイス博多埠頭(ベイサイドプレイスはかたふとう、英称:Bayside Place Hakata Futoh)は、福岡県福岡市博多区博多埠頭にあるターミナルや外食店の複合施設。
概要
博多港には複数の
埠頭があり、そのうちの1つが
博多埠頭である。博多埠頭には2つの
旅客ターミナルがあり、第1ターミナルと併設する外食店・雑貨店など
テナントの入居する建物が
ベイサイドプレイス博多である。博多埠頭交番に接するA棟、中央のB棟、第1ターミナルを擁するC棟の3つの棟からなる。一般的には、第1ターミナルとテナントの建物のみならず、
博多ポートタワーや屋内
スノーボード場など博多埠頭にある施設すべてを総称して「ベイサイドプレイス」と呼ぶ。本項ではこの広義のベイサイドプレイスについて述べる。
施設はロマンチックなウォーターフロントの雰囲気を演出している。総合プロデューサーは浜野安宏。サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフを彷彿とするデザインである。
1991年にオープン。経営母体は福岡市第三セクターの「サン・ピア博多」であったが、2005年9月に経営破綻。管理運営は九電工子会社の九電工ネットプロデュースに移行して現在も継続する。
博多どんたく港祭りでは、1日目の午前に開会の式典が行われる。
施設
- 博多埠頭第1ターミナル
- 第1ターミナルには福岡市営渡船(西戸崎・大岳・志賀島ゆき、玄界島ゆき)、安田産業汽船の「うみなかライン」(海の中道ゆき)、西鉄シティホテル(西鉄の子会社)が運営する博多湾クルーズ船「マリエラ」、九州郵船の壱岐・対馬航路ジェットフォイル「ヴィーナス」などが発着する。桟橋は5バース。
- アクアリウム
- 高さ8m直径9mの円筒形の水槽。
- ベイサイドホール(大会議室。休業中)
- ベイサイドギャラリー(小会議室。休業中)
- レストラン&カフェ
- コンビニエンスストア・ファミリーマートベイサイド博多店
- 雑貨店
- 第2ターミナルには、九州郵船の壱岐・対馬(厳原)航路フェリー「ちくし」「ニューつしま」および比田勝(上対馬)航路フェリー「げんかい」、野母商船の五島航路フェリー「太古」などが発着する。
- 全高100m。展望室の高さは70m。入出港船舶の動静を把握し、博多港VHF海岸局「博多ポートラジオ」を設置して船舶に必要な情報を提供。展望室からは博多湾ならびに福岡市が一望できる。
- 博多港の役割を紹介する施設。コンテナクレーンの操作を体験できる。また古代から現代までの貿易船の模型や、博多港からの輸出品を展示。当初は第1ターミナル内にあったが、2007年9月30日に博多ポートタワー1階に移転。
- 1年中スノーボード滑走が可能なインドアゲレンデ。ゲレンデ内はマイナス3度に保たれる。幅30m・長さ60m。カフェやギャラリースタンドも備える。
- ベイサイドパーキング第1・第2
- 市営築港駐車場
- 博多埠頭突端の公園。
- 博多総鎮守櫛田神社の浜宮。博多祇園山笠ではここで棒洗いが行われる。
- ベイサイドプレイスからマリンメッセ福岡までの海岸を整備し、散歩やデートなどに適した雰囲気を演出。「まちに飽きたら、港へおいで」がコンセプト。フリーマーケットも行われていた。
なお、東日本フェリー新潟県上越市直江津航路船(運休中。再開未定)や、国際釜山航路船「ビートル」「コビー」「ニューかめりあ」は中央埠頭に発着する。
市内交通
経営破綻問題
ベイサイドプレイスは博多港湾
再開発の一環として計画。
1988年に福岡市5%、第三セクター博多港開発株式会社10%、福岡商事10%、西日本不動産開発10%、福岡地所10%、そのほか
九州電力など地場企業の出資により資本金4億円で「サン・ピア博多」が設立され、
1991年6月にベイサイドプレイス博多がオープンする。社長は歴代福岡市職員OBが務め、開業当時は年間来場者数400万人超の市内有数の集客施設であった。
しかし交通アクセスの悪さに加え、シーサイドももちや市内大型商業施設に客が奪われて来場者は減少。2000年3月期まで赤字が継続していた。2002年11月にベイサイドシティ株式会社が運営する大型温浴施設「博多一番風呂」や飲食店「博多屋台街」などが開業して年間来場者数が300万人に回復するものの、居酒屋チェーン「鷹王」の無理な店舗展開によりベイサイドシティが2005年6月に自己破産を申請。同社がベイサイドプレイスで経営する店舗は博多一番風呂を含めて25店中5店、床面積にして4分の1を占めていた。収入源の7割がテナント収入だったサン・ピア博多にとってベイサイドシティの破綻が痛手となり、2005年9月に民事再生法の適用を福岡地裁に申請し受理された。負債総額はおよそ39億円(うち金融債務は33億円)で、福岡市からの融資3億4,000万円は債権放棄となった。これは福岡市の第三セクター初の破綻であった。この破綻は福岡オリンピックへの批判でも言及され、山崎市政不信任に繋がる1つとなった。
破綻後も福岡市職員OB出身社長のもとサン・ピア博多によりベイサイドプレイスの運営は続けられており、定期航路や一部テナントは事業を継続している。サン・ピア博多の資産は九電工に売却され負債の整理に当てられる。将来の運営母体である九電工は、六本木ヒルズなどを手がける森ビル系列の森ビル都市企画と共同で商業アミューズメント施設を運営することを計画している。
関連項目
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夜嵐おきぬ(よあらし おきぬ、生年不詳、弘化元年(1844年)説 - 明治5年2月20日(1872年3月28日))は、幕末から明治初期に実在した毒殺犯原田きぬの通称、および後年製作された映画作品のタイトルである。近代法に基づく資料、およびメディアが確立する前の事件だったという都合上、正確な資料は少ない。本項目においては「東京日日新聞」という当時比較的信頼性を置ける資料を元に口伝と残されたと資料を以て当人の人物像を描き出す。このような資料的限界から本記事は事件から生まれた小説、映画等の物語にみられる人物像の影響も加味されていることは否定しない。
来歴・人物
1844年あるいは
弘化年間前後の時代に、
三浦半島城ケ島の漁師・佐次郎の娘として生まれたらしい。彼女は16歳のときに両親と死別し、伯父に引き取られ江戸に出て左褄をとることになり「時尾張屋」において「
鎌倉小春」と名乗りその美貌から江戸中の評判を取る。そのとき、
大久保佐渡守(
下野国那須郡鳥山藩三万石城主)に見初められ、、大久保家の
御部屋様(
側室)となり、名を
花代と改めた。
安政4年(
1857年)、お世継ぎの
春若、土佐守は44歳の若さで逝去し、二人の新婚生活に終止符が打たれた。
花代は当時の慣例に従って仏門に入りることになり、名を「真月院」と改め、亡き夫の冥福を祈る生活に入った。しかしながら、これは半ば強制されたもので、真の信仰心から仏門に入ったのではなかったので、そのような生活には馴染めず、やがて欝状態になり、勧める人があって箱根に転地療法に出かけることになった。
しかしながら同所で「今業平」の異名を持つ日本橋の呉服商紀伊国屋の伜、角太郎と出会うことになり、やがて二人は恋に落ちた。江戸に戻った後も二人の関係は続き、角太郎がきぬの元に通う生活が始まった。だが、そのような禁断の恋が許されるはずもなく、やがてその乱行不行跡が大久保家の知るところとなり、きぬは同家から追放された。その後、角太郎に縁談話が持ち上がり、彼の足はおきぬから遠ざかっていった。
その後きぬは元の芸者の生活に戻ることになった。戊辰戦争時、旧幕府時御鷹匠であり、その後金貸し業を生業としていた東京府士族小林金平が、明治2年おきぬを気に入り身請けした。そして彼は浅草の歌舞伎三座付近の猿若町に妾宅を設けおきぬを住まわすことにした。小林はきぬを溺愛し、彼女の求めるものなら何でも与えた。
彼女は歌舞伎役者嵐璃鶴(あらし りかく、後の市川権十郎)との役者買いにのめり込み、恋人との結婚を願い、障害となる旦那である小林金平を殺鼠剤で毒殺した。
逮捕、裁判にかけられた時、彼女は妊娠しており、死刑判決を受けた後、出産まで刑の執行が延期され、小塚原刑場で処刑された。当時近代刑法が確立しておらず、断頭の後三日間梟首に処せられた。執行に際し残した辞世の句から、きぬは「夜嵐おきぬ」と渾名で呼ばれるようになったとされる。
- 夜嵐の さめて跡なし 花の夢
フィルモグラフィ
この事件は当時センセーションを巻き起こし「毒婦夜嵐おきぬ」事件として世に知られることになった。きぬの処刑後10年も経たぬうちに
岡本起泉が『夜嵐阿衣花廼仇夢』(1878年 - 1880年)として小説化している。さらに後年、映画の主題となった。
関連事項
参考文献
- 底本 - 岡本勘造編、芳川俊雄閲『夜嵐阿衣花廼仇夢』、金松堂、1878年 - 1880年
註
[2]
外部リンク
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ヨランド・モロー(Yolande Moreau, 1953年2月27日 - )はベルギー・ブリュッセル出身の女優・コメディアン。1982年には舞台女優として一人芝居に出演、フランスやスイスなどを回る。その後劇団に所属し、テレビシリーズ"Les Deschiens"で知られるようになる。
映画「アメリ」ではコンシェルジュを演じている。
2004年に自身が監督・脚本・主演をこなしたコメディ"Quand la mer monte..."でセザール賞主演女優賞を受賞した。
主な出演作品
- 冬の旅 Sans toit ni loi (1985)
- アメリ Le Fabuleux destin d'Amélie Poulain (2001)
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2006年3月30日に投稿者が撮影
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株式会社ユニバースは、青森県八戸市に本部を置き、下北地方を除く青森県を中心に、岩手県の内陸北部と沿岸北部、それに秋田県の鹿角市の各地に店舗を構え、食料品を主体とした青森県内最大手のスーパーマーケットチェーン運営企業である。
マエダと共に、青森県の主要スーパーマーケットとして県内各地に店舗を展開している。
概要
同社は
1967年10月に設立され、八戸市内に本社を置くスーパーマーケットとしては、老舗組の
よこまち(よこまちストア)・スーパーみなとや・
三光(三光ストア)よりも後発ではあるが、八戸市内では来店客数が最も高いと言われている。
全41店舗中、店舗名「ファル」を3店(上田店・茶畑店〈以上、盛岡市〉、磯鶏店〈宮古市〉)、「ビッグハウス」を1店(湊店〈八戸市〉)、「パワーズU」を1店(十和田店〈十和田市〉)、残る36店は「ユニバース」(うち、ショッピングセンター「ラ・セラ」2カ所(三内・東バイパス)を含む)となっている(2008年2月1日現在)。
他に、関連会社として「ホテルユニバース」(八戸・青森・仙台・塩釜・東京茅場町)、全国共通のホテルポイントカード『Aカード』を運営している「Aカードホテルシステム」、ホテルユニバース内のパブ・レストラン事業を運営する「シェルブール」などがあるが、本業のスーパーマーケット事業に専念させるため、2008年3月末を目処に、同業であるホスピタリティオペレーションズに株式を譲渡し、ホテル事業から撤退することが決まった。なお譲渡後のホテルの名称については当面は現状のままで営業を継続することとなっている。
2007年3月に東京証券取引所第二部への上場の承認を受け、4月24日に上場した。これにより、青森県内では銀行(青森銀行・みちのく銀行〈いずれも東証1部上場〉)以外の企業としては初めての東証上場企業となった。
また八戸市に本社を置く企業では、ジャスダック市場のサンデーに次ぐ株式上場となる。
沿革
ファル
- ファルの民事再生法申請からユニバースの子会社化するまでの経緯
2002年10月26日、ユニバースが岩手県盛岡市に本社を置いたスーパーマーケットの「株式会社ファル」へ資本・業務提携をした。ファルは1999年2月期の234億7,000万円をピークに売上が減少し、さらには宮城県内の不採算店舗や借入金の増大、それに競争の激化などで経営を圧迫し、2002年2月期に196億7,000万円まで落ち込んでいた。このことから、自力での経営再建を断念し、2003年2月13日に東京地方裁判所へ民事再生法の適用を申請し、事実上破綻した。ユニバースは破綻したファルを支援し、当時19店舗あったファルの店舗を9店舗閉鎖して10店舗に減らした。その後、2003年9月にファルをユニバース全額出資による子会社化し、一部の店舗を「ファル」から「ユニバース」へ順次転換している(ただし、店舗面積などがユニバースの基準を下回る4店舗に付いては、「ファル」の名称を変えずに直営で運営している)。ファルは後に各店舗の酒販事業を行う会社として存続していたが、2006年4月21日付けで親会社のユニバースに吸収合併された(なお、ファル4店舗については、合併後も「ファル」の店名で営業を続ける)。
その他
関連会社
- 株式会社ホテルユニバース
- 株式会社Aカードホテルシステム
- 株式会社シェルブール
- 株式会社ドラッグ・ユー
- ユニバース興産株式会社
外部リンク
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