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いなだ詩穂って?

いなだ 詩穂いなだ しほ10月17日生まれ)は、日本漫画家


1994年白泉社LaLa DX『カムフラージュ』(第4回LaLaまんがグランプリ佳作)でデビュー。



概要

「幻影奇譚」などで注目され、1998年講談社Amie小野不由美悪霊シリーズ』第1作のコミカライズである『悪霊がいっぱい!?』(『ゴーストハント』KCN第1巻収録)を連載開始。


連載終了時点でAmieは休刊、シリーズ2作目以降は『ゴーストハント』と改題し、なかよしでの連載となる。


第6巻以降は雑誌掲載はせず、コミックスに書き下ろしとなっている。


現在9巻まで刊行。

『ゴーストハント』は2006年10月より、テレビ東京系で深夜アニメ化されている。


(原作ではなく漫画版のアニメ化と見受けられる)


また、ゴーストハントは、別名義で小野不由美作品の同人誌を発表していたいなだ詩穂を作者・小野不由美が知り、直々に指名された経緯もある。



作品リスト

  • ささやかな野望(1993年 増刊LaLa3/10号掲載)
  • カムフラージュ(1994年 LaLaDX1/10号掲載)
  • ロック・ハンターズ(1994年 LaLaDX3/10号掲載)
  • いつか、ね(1994年 LaLaDX7/10号掲載)
  • かえらない波(1994年 LaLaDX7/10号掲載)
  • マザーアース~処女航海~(1995年 LUNATIC LALA3/10号掲載/若木未生原作)
  • LMSカット・漫画講座(1995年 LaLa4月号~1996年5月号掲載)
  • 天国をつくろう(1995年 LaLaDX5/10号掲載)
  • 君がいれば天国(1995年 LaLa DX 9/10号掲載)
  • 幻影奇譚(1995年 LUNATIC LALA12/10号掲載/HC『幻影奇譚』収録)
  • 背中ノ思イ出(1996年 LaLaDX5/10号掲載/HC『幻影奇譚』収録)
  • 幻影奇譚~鬼哭~(1996年 LUNATIC LALA6/20号掲載/HC『幻影奇譚』収録)
  • 幻影奇譚~現夢~(1996年 LaLa7月号掲載/HC『幻影奇譚』収録)
  • ハッタレ!(1996年 LaLa9月号掲載)
  • 幻影奇譚~宿木~(1996年 LaLa11月号掲載)
  • 幻影奇譚~花宵~(1997年 LaLaDX1/10号掲載/HC『幻影奇譚』収録)
  • 幻影奇譚~春待~(1997年 LaLaDX3/10号掲載)
  • 幻影奇譚~光月~(1997年 LaLa5月号掲載)
  • 幻影奇譚~瞑夏~(1997年 LaLaDX9/10号掲載)


           ※コミックス収録先を明記していないものは、全て未収録


  • ゴーストハント(Amie1998.1~5月号・なかよし1998.8~2000.10月号に断続的に掲載、以降コミックス描き下ろし
      /KCN『ゴーストハント』収録)



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星野昭吉って?

星野昭吉(ほしの あきよし, 1941年-)は、日本政治学者。専門は、国際政治学平和学


東京都生まれ。早稲田大学卒業、東京大学大学院修了。現在、獨協大学法学部教授。



著書


単著

  • 『国際政治――紛争と平和のダイナミズム』(新評論, 1980年)
  • 『世界政治の変動と権力――アナキー・国家・システム・秩序・安全保障・戦争・平和』(同文舘出版, 1994年)
  • 『世界政治における行動主体と構造』(アジア書房, 2001年)
  • 『世界政治の原理と変動――地球的規模の問題群と平和』(同文舘出版, 2002年)
  • 『グローバル社会の平和学――「現状維持志向平和学」から「現状変革志向平和学」へ』(同文舘出版, 2005年)
  • 『世界政治の理論と現実――グローバル政治における理論と現実の相互構成性』(亜細亜大学購買部, 2006年)
  • Principles and Dynamics of World Politics: In Quest for a Theoretical Framework of the Changing Global System (Teihan, 1994)
  • Prospect for Global Politics: Change, Conflict, Governance, and Peace in Globalization (Teihan, 1997)
  • Deconstruction of International Politics and Reconstruction of World Politics: Global Politics and World Politics (Teihan, 2003)



編著

  • 『国際化日本の現在――国際化をめぐる諸問題への学際的アプローチ』(白桃書房, 1994年)
  • 『グロ-バリゼ-ションと国際政治の変動』(テイハン, 1999年)
  • 『地球的規模の問題群とその解決』(テイハン, 2001年)
  • 『グローバル化社会における世界政治の現在』(テイハン, 2005年)
  • 『グローバル政治とグローバル・ガバナンス』(テイハン, 2007年)




共編著

  • 臼井久和)『世界政治学』(三嶺書房, 1999年)
  • (臼井久和)『平和学』(三嶺書房, 1999年)





訳書

  • クロード・ジュリアン『アメリカとは何か――国境なき帝国の実証的研究』(サイマル出版会, 1970年)
  • J・K・ガルブレイス, Z・ブレジンスキー他『限りなき危機――シンポジウム アメリカの再生をめぐって』(サイマル出版会, 1972年)
  • カール・ドイッチュ『ナショナリズムとその将来』(勁草書房, 1983年)



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古龍って?

古龍(こりゅう、1936年-1985年9月21日)は、台湾武侠小説作家。金庸梁羽生と並んで新派武侠小説の三大家と称される。


幼少時代は、香港で過ごしたが、13歳の時に台湾に移住。


1956年に文壇デビューをしたが、当時は武侠小説は書いていなかった。


1960年に発表した『蒼穹神剣』以降、武侠小説を書くようになり、生涯およそ80の作品を書いた。1985年に病死。


当時の台湾の政情も起因してか、古龍の作品は、具体的な事件や人物が挙げられることが少ないとされる。



著作リスト

『多情剣客無情剣』、『陸小鳳伝奇』、『辺城浪子』、『歓楽英雄』、『聖白虎伝』などが翻訳されている。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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形式陶冶って?

形式陶冶(けいしきとうや)は、教育による働きかけの捉え方のひとつ。陶冶自体は、ドイツ語のBildungの訳語で、人間形成のことである。

形式陶冶は、実質陶冶に対置して言われる言葉で、形式陶冶は、単に知識をあれこれと子どもたちに教え込むことではなく、その知識を使いこなす能力、それをさして「形式的」というのだが、それを発展させることで、思考力(記憶力・推理力・想像力などの精神的能力)がつくとする教育の立場である。時に、その効果(学習転移)も形式陶冶ということがある。速読、多読、百ます計算体験学習、勤労体験などは、いずれもこの形式陶冶から派生してきた教育活動のアイディアである。


実質陶冶は、これに対して個々の内容的な知識を身につけさせることをいう。


形式陶冶と実質陶冶は、そのformaleとmaterialという形容詞は、ギリシア哲学の形相と質料、つまり器(かたち)と内容(心)を意味する言葉の対比から着目されたもので、いずれか一方のみが重要というものではない。ただ、武道華道茶道などの教育で、かたちから心へとか、心が出来れば形に表れるといった表現が往々にしてなされるように、いずれか一方の教育成果が、自ずと他方に連鎖的な効果をもたらすという見解を表明する教育学者もままある。


形式陶冶をまず最初に提唱したのは、ドイツの教育者ヴィルヘルム・フォン・フンボルトで、彼の考え方は、その後20世紀初頭のゲオルグ・ケルシェンシュタイナーの労作教育の考え方にも反映された。またクルト・ハーンのアウトワード・バウンドなどの身体的鍛錬を重視した考え方も、これにつながるものである。

古典語と数学がこの極の教科として認められた。 しかし、19世紀にすでにこれに対する反対があった。


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伊勢半って?

株式会社伊勢半は、総合化粧品メーカーである。



沿革

1825年、江戸で始めての紅問屋として『伊勢屋半右衛門』(通称、伊勢半)を日本橋小舟町で創業。創業者は澤田半右衛門(寛政2年、現在の埼玉県川越市生まれ)で、独自の研究により玉虫色に輝く小町紅を開発し、商品の人気を拍し江戸一の紅屋といわれるまでになる。

  • 1935年化粧品ブランドのキスミー( Kiss Me )を商標登録。
  • 1945年戦災で大きな損害を被る。澤田半右衛門商店として再建。
  • 1946年戦時中から続く物資不足の中、植物性油脂ラノリンを配合した『キスミー特殊口紅』を発売しヒット商品になる。
  • 1947年株式会社へ改組。社名を伊勢半とする。
  • 1954年キスしても色落ちしにくい口紅『キスミースーパー口紅』を発売。
  • 1955年キスミー販売株式会社の設立。
  • 1965年キスミー販売株式会社の社名を株式会社キスミーコスメチックスに変更。
  • 2005年株式会社キスミーコスメチックスと株式会社伊勢半が合併し新会社に組織改変する。新会社の社名を株式会社伊勢半とする。品質マネージメントの国際規格であるISO 9001-2000の認証を取得する。



主なブランド

  • キスミー
  • キスミー フェルム
  • SUSIE NY
  • PASSION NY

    • Kiss



関連企業とそのブランド

  • 株式会社エリザベス
  • 株式会社伊勢半本店
  • ビー・エル・オーバーシーズ株式会社
  • マーシュ・フィールド株式会社(カモフラージュメイク用製品)
  • ルボタン株式会社

    • マリーペレ
    • ジョイアップ

  • アイカーケミカル株式会社





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Series700BNormalSeat2.JPGって?

700系B編成の普通席(3人) 投稿者自らが撮影 たぶん1月27か26日


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索引_しろって?

[しろ]



しろ



しろあ



しろい



しろう



しろえ



しろお



しろか



しろき



しろく



しろこ



しろさ



しろし



しろす



しろそ



しろた



しろち



しろつ



しろて



しろと



しろな



しろに



しろね



しろの



しろは



しろひ



しろふ



しろへ



しろほ



しろま



しろみ



しろむ



しろめ



しろも



しろや



しろゆ



しろら



しろる



しろれ



しろろ



しろわ



しろん




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徳陽シティ銀行って?

株式会社德陽シティ銀行(とくようシティぎんこう)は、かつて営業していた日本第二地方銀行である。宮城県仙台市青葉区国分町に本店があった(現在の)。1997年11月26日経営破綻。当時の銀行コードは「0511」であった。


1994年に殖産銀行と北日本銀行との3行合併を発表したが、北日本銀行の行員の間から徳陽との合併に強硬に反発する声があがり、合併は破談となった。結局これがきっかけとなり1997年に経営破綻となった。


なお、1997年11月は、徳陽シティ銀行の前にも、「三洋証券」(11月3日)、「北海道拓殖銀行」(11月17日)、「山一證券」(11月24日)と、金融機関の破綻が実に4件も相次いで起こるという、日本金融史上例を見ない「金融システム危機」の時期であった。


管轄していた税務署は仙台北税務署であった。



沿革



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国鉄デニ6450形電車って?

デハ6340系は、かつて日本国有鉄道の前身である鉄道院、鉄道省に在籍した直流用電車を便宜的に総称したものである。


本項では、デロハ6130形デハ6340形クロハ(サロハ)6190形クハ6420形デハユニ6450形およびこれらの改造車について取り扱う。



概要

本系列は、1914年(大正3年)から1918年(大正7年)にかけて、東海道本線京浜線)の電車運転用として製造されたもので、従来の中央線山手線用の系列とは、車体長・車体幅・集電装置・主電動機出力など、あらゆる面で一線を画するものである。

車体形状は、妻面が平妻非貫通型の3枚窓、側面には車体端部に寄せて片側2箇所に客用扉が設置されており、全ての扉が引戸となっている。屋根は車体全長に及ぶモニター形である。車体幅は8フィート6インチ(2700mm)と幅が広くなり、車体長も電動車が50フィート(15240mm)であったのに対し、付随車は52フィート11インチ(16240mm)と長くなった。前面は平妻非貫通の3枚窓であるが、反対側は開き戸方式の貫通扉が設けられている。


集電装置には、日本の国有鉄道では初めてパンタグラフを使用したが、架線と接する部分がローラー式で、開業当日に大きな問題(後述)を引き起こした。通風器は、モニター屋根側面に水雷型のものが設置されている。電動機はゼネラルエレクトリック(GE)社製GE-244Aで、架線電圧は直流600V・1200Vの複電圧仕様、これにより電動発電機を駆動して制御用の600V電源を得ている。制御器はGE社製の電空カム軸式自動加速制御器であるMAコントロール、ブレーキはGE社製のJ三動弁によるAVR自動空気ブレーキ台車は、新設計の釣合梁式である大正3年形(電動車用TR14=DT10、付随車用TR11)である。


本系列の電動車は基本的に片運転台で製造されており、車体も前後非対称であったため、運転台の向きにより区別を行う必要が生じた。さらに検修上の要請から、床下機器の配置を運転台の向きにかかわらず一定としたため、上り(東京)方に運転台があるものに奇数番号、下り(桜木町)方に偶数番号を付与した。この慣例は、その後に製造された電車にも連綿と受け継がれ、国鉄が民営化された後の最新形電車にまで踏襲されている。


本系列は、デロハ6130形20両、デハ6340形24両、クロハ(サロハ)6190形21両、クハ6420形4両、デハユニ6450形6両の計75両が製造された。



基本形式


デロハ6130形

1915年の京浜線運転開始にともなって、1914年度に製造された二等三等合造制御電動車である。側面窓配置は1D12222221D1。車内は前位は三等室、後位は二等室に区分され、両室の間には仕切り壁が設けられている。座席は両室ともロングシートであるが、二等室のものは奥行きの深いものである。定員は二等24人、三等51人(うち座席26人)である。

本形式の製造状況は、次のとおりである。

  • 1914年度(20両)

    • 汽車製造支店 - 6130~6134(5両)
    • 鉄道院新橋工場 - 6135~6144(10両)
    • 鉄道院大宮工場 - 6145~6149(5両)




デハ6340形

デロハ6130形の姉妹形式で、こちらは全室三等車である。車体もほぼ同形(ただし、後位側車端部の小窓がない)で、車内に仕切り壁がない程度である。製造の状況は次のとおりである。定員は103人(うち座席56人)である。

  • 1914年度(20両)

  • 1917年度(4両)



クロハ(サロハ)6190形

京浜線運転開始にともなって製造された二等三等合造中間付随車である。側面窓配置はD12222221Dで電動車とほとんど変わらないが、車体が長い分窓吹き寄せ部が広い。最初の10両の製造当初は、中間付随車と制御付随車の記号が区分されておらず、クロハ6190形と称したが、1915年に中間付随車の記号「サ」が制定されたため、サロハ6190形と改称された。さらに1917年(大正6年)には3両増備、同年には後述のサハ6420形からの改造車が4両が加わり、1918年(大正7年)には8両が増備され、全25両が出揃った。

定員は二等26人、三等56人(うち座席30人)である。


本形式の製造の状況は次のとおりである。

  • 1914年度(10両)

    • 日本車輌製造 - 6190~6199

  • 1917年度(7両)

    • 鉄道院大井工場 - 6200~6202(3両)
    • 同上改造 - 6203~6206(4両改造。旧形式クハ6420形)

  • 1918年度(8両)

    • 日本車輌製造 - 6207~6214




クハ6420形

1916年(大正5年)に製造された三等制御付随車である。車体はクロハ6190形と同形で、第一次世界大戦の影響で電装品の輸入が途絶したため、デハ6340形に不足を生じ、仮「クハ」として製造されたものである。1917年にデハ6340形4両が製造されると、サロハ6190形(6203~6206)に改造され、形式消滅した。製造所は、すべて鉄道院大井工場である。

デハユニ6450形

本形式は、日本の国有鉄道において初めて登場した郵便物取扱施設を持つ電車である。車内は前位から運転室・荷物室郵便室・三等室に区分されている。側面窓配置は1d1D(荷)11D(郵)12221Dで、定員は51人(うち座席28人)、荷物室荷重2t、郵便室荷重2tである。

製造の状況は次のとおりであるが、1920年(大正9年)度製造車は、設計を従来からのヤード・ポンド法からメートル法に改めており、細部の寸法が異なる。

  • 1916年度(2両)

    • 鉄道院大井工場 - 6450,6451

  • 1917年度(2両)

    • 鉄道院大井工場 - 6452,6453

  • 1920年度(2両)

    • 鉄道院大井工場 - 6454,6455




京浜線開業時の大失態

1914年(大正3年)12月18日に東京駅が開業したのを機に、12月20日から東京~高島町間に本系列を使用して電車が運転されることとなった。この開業日は、建設工事とは全く関係ない要因により設定されたもので、12月18日に東京駅の開業式典を行い、青島攻略戦の凱旋将軍神尾光臣中将を品川に出迎えて東京へ送り、貴族院衆議院の議員らを東京から横浜まで試乗させる手筈であった。

東京~品川間については、既に電化されていた区間であり、何の問題も生じなかったが、品川以西の新線区間に乗り入れた途端に架線事故が続発することとなった。東京を出発した最初の電車ばかりか、その次もそのまた次の電車も横浜に到着しないということで、関係者を向かわせたところ、一番電車は子安付近で、その次の電車は大森~蒲田間でいずれもパンタグラフを架線に引っ掛け、運転不能になっているのが確認された。横浜行きの一番電車が目的地に到達するのに2時間あまりを要したという。翌日、鉄道院総裁名で新聞に謝罪文が掲載された。


原因は、突貫工事により路盤の地固めが不十分であったこと。その上を走行する重量級の電車が大きくローリング(横揺れ)したり、曲線区間における架線の張り方の不備によりパンタグラフが架線から外れ、架線との接触部をローラーとしたパンタグラフの押し上げ力不足により復帰に時間がかかり、アークが発生して架線が切断されたことなどであった。


京浜線は12月26日をもって運行を中止し、不具合を是正することとなった。この改修には約4か月を要し、運行が再開されたのは翌1915年(大正4年)4月10日のことであった。これにより、本系列のローラー式パンタグラフを通常のシュー式に交換している。



改造と廃車


山手線への転用と扉増設改造・関東大震災の影響

京浜間での電車運転は好評を博し、輸送量も増加していった。そのため本系列の昇降廊形2扉車では次第に乗客の乗降に支障をきたすようになっていた。そこでデハ6430形について1922年(大正11年)から車体中央部に幅1100mmの客用扉を増設し、片側3扉とする改造が実施され、山手線への転用が行われた。これにより側面窓配置も1D1221D1221Dに変更となった。

デロハ6130形、サロハ6190形については、1925年から扉増設と二等室の格下げが行われている。これにより、サロハ6190形は記号を「サハ」に改めるともに関東大震災により焼失した2両(6194,6199)を末尾の2両(6213,6214)で埋番するよう改番した。


デロハ6130形については、デハ6340形の末尾に編入されたが、関東大震災で焼失したデハ6340形3両(6351,6352,6361)を埋めるように3両(6142,6144,6145)改番されたほか、末尾の5両(6145~6149)に対し、デハニ6450形への改造(6455~6459)も行われている。デハニ6450形の改造車グループの側面窓配置は1d1D(荷)1D322D1である。


デハユニ6450形については、代替形式(デハユニ43850形)の製造が1924年ごろまでずれこんだため、長く京浜線で使用された。これも1924年度に山手線への転用されることとなり、郵便室を客室に転用して幅1100mmの扉を増設し、側面窓配置は1d1D(荷)1D3221Dとなり、形式もデハニ6450形に改められた。この際、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災で焼失廃車となったデハユニ6451を埋番する形でデハユニ6455がデハニ6451に改められている。



事業用車への改造

1925年度に本系列2両が事業用車配給車)に転用された。改造されたのは6140と6355で、いずれもデヤ33100形に編入(33100,33101)された。当初の外観は一般の6340形とほとんど変わらなかったが、後年中央扉が拡幅(1800mm)され、外観が変わった。

郵便荷物車、荷物車への改造

1927年8月、デハ二6450形4両(6456~6459)がデユニ33850形(33850~33853)に、1927年10月及び翌年4月、デハ二6450形6両が(6450~6455)デニ6450形(番号同じ)に改造された。さらに1928年8月にはデハ6340形1両(6389)がデユニ33850形(33854)、デハ6340形(6370~6372)がデ二6450形(6459~6461)に追改造されている。

デ二6450形は、種車によって形態が異なっており、5つのグループに細分される。また屋根上には後位側にもパンタグラフが増設され、2基装備となっている。本系列に属するものは、強調文字で表示する

  1. 6450~6454 - 側面窓配置は1d1D(荷)11D32D(荷)1D。荷重は9t。デハニ6450形改造。
  2. 6455 - 側面窓配置はD1D(荷)23D1D(荷)1d。荷重は9t。デハ二6450形改造
  3. 6456,6457 - 側面窓配置は1d1D(荷)1D12D(荷)21D。荷重は9t。種車はデハニ23850形(23850,23851)。
  4. 6458 - 側面窓配置はD1D(荷)1D22D(荷)2D1。荷重は8t。唯一狭幅車体を持つ異端車。種車はデハニ6465形(6465)。
  5. 6459~6461 - 側面窓配置はD1D(荷)1D1D(荷)1D1。荷物用両開き引戸の幅が1800mmに拡大されている。種車はデハ6340形。


デユニ33850形についても、1927年度改造の4両と、1928年度改造の1両で形態が異なる。荷重は郵便室3t、荷物室5t。

  1. 33850~33853 - 側面窓配置はD1D(郵)23D1D(荷)1D1。デハ二6450形(旧デロハ6130形)改造。
  2. 33854 - 側面窓配置はD1D(郵)11D1D(荷)1D1。荷物用両開き引戸の幅が1800mmに拡大されている。デハ6340形(旧デロハ6130形)改造。



1928年10月の車両形式称号規程改正にともなう変更

1928年(昭和3年)10月1日に施行された車両形式称号改正では、本系列に属する車両はそれぞれ、三等制御電動車(旧デハ6340形)は'''モハ1形'''(1001~1025,1065~1067)、郵便荷物合造制御電動車(旧デユニ33850形)は'''モユニ2形'''(2001~2005)、荷物制御電動車(旧デニ6450形)は'''モニ3形'''(3001~3012)、事業用制御電動車(旧デヤ33100形)は'''モヤ4形'''(4001,4002)、三等中間付随車(旧サハ6190形)は'''サハ25形'''(25132~25154)に整理・編入された。

モハ1形のうち3両(1065~1067)については、他車種への改造のため大井工場に入場中であったため、便宜上の仮番号として付番されたものであり、現車に標記されたものではない。これらは、形式称号規程改正後にモユニ2形(2006)、モニ3形(3013,3014)として落成している。


各車の新旧番号対照は次のとおり。斜体字で表記したものは新形式番号規程による番号。



改番後の状況

モハ1形は、100PS電動機を持つ電車としては一番古いものであったことから1931年(昭和6年)から廃車が開始され、1933年(昭和8年)までに、全車が除籍された。このうち1932年(昭和7年)以後に廃車となった3両(1020,1022,1023)は、三信鉄道の開業用として譲渡され、いずれも後年鋼体化されている。

モユニ2形・モニ3形は、旅客用車よりは長く使用されたが、1934年(昭和9年)からモハ10形改造のモユニ12形・モニ13形への置換えにより、横須賀線での夏季の荷物輸送用に、電装解除の上残されていた2003と3007を除いて1938年(昭和13年)までに淘汰された。このうち、2003は付随車代用のまま1945年(昭和20年)1月にクハ79025に部品流用され消滅した。


モヤ4形は、特殊用途であったことから太平洋戦争後まで使用され、1948年、1949年(昭和24年)に廃車となっている。


サハ25形に編入されたグループは、電動車が早期に淘汰されたのに対して、長く使用された。これは1937年(昭和12年)に日中戦争が始まり、戦時体制となったことから資源活用の面から廃車が控えられたためである。また、1935年から開始された木製車の鋼体化改造に際しても、台枠構造の面から不適とされ、全車が木製車体のまま太平洋戦争後まで使用された。最後の車が廃車されたのは1952年(昭和27年)1月のことである。



戦前の譲渡

  • 1020 - 三信鉄道デ3(1934年) → デ103(1936年) → デ303(1939年) → 鉄道省デ303(1943年) → クデハ303(1951年) → クハ5802(1953年) → 伊豆箱根鉄道モハ47(1959年)
  • 1021 - 三信鉄道デ2(1933年) → デニ201(1937年) → 廃車(1942年)
  • 1022 - 三信鉄道デ1(1933年) → デ305(1939年) → 鉄道省デ305(1943年) → クデハ305(1951年) → クハ5804(1953年) → 大井川鉄道クハ506(1959年)



  • 3003 - 博多湾鉄道汽船デハ13(1940年) → 西日本鉄道モ15(1944年) → ク64(195x年) → モ15(1960年)(77)
  • 3010 - 三信鉄道デ102(1936年) → デ302(1939年) → 鉄道省デ302(1943年) → クデハ302(1951年) → クハ5801(1953年) → 小湊鉄道キハ5801(1959年)
  • 3012 - 駿豆鉄道モハ101(1935年5月) → 岳南鉄道モハ101(1949年) → モハ1103(1960年) → 近江鉄道モハ102(1985年)
  • 3013 - 駿豆鉄道モハ102(1935年5月) → 岳南鉄道モハ102(1949年) → クハ102(1953年) → 廃車(1963年)



戦災廃車

本系列も、太平洋戦争末期の米軍の空襲により、多数が失われた。これらは、戦後の1946年に除籍され、輸送力不足にあえぐ私鉄に譲渡された。これらは、復旧と併せて鋼体化を実施のうえ使用された。戦災廃車(同時期の事故廃車を含む)は、次のとおりである。

  • 25134 - 東京急行電鉄(入籍せず)
  • 25136
  • 25137 - 東京急行電鉄(入籍せず)
  • 25142 - 東京急行電鉄(入籍せず)
  • 25144(事故)
  • 25148 - 西武鉄道クハ1319
  • 25149
  • 25150
  • 25153 - 西武鉄道クハ1320



老朽廃車と譲渡

戦中戦後の酷使により疲弊した本系列は、63系電車の量産と並行して整理が進められていった。これらのうち大半は西武鉄道に譲渡され、輸送力の増強に一役買った。その状況は次のとおりである。

  • 4001 - 富士山麓電気鉄道モハ20(1949年) → モハ601(1951年?) → 岳南鉄道(貸渡。1957年3月) → 岳南鉄道モハ1102(1960年4年) → 廃車(1969年12月) *譲渡時にモヤ4002と振替


  • 25132 - 西武鉄道クハ1221(1951年9月) → クハ1425(1953年9月)
  • 25133 - 西武鉄道クハ1222(1951年9月) → クハ1230[2](1953年9月) → クハ1413(1955年9月) → サハ1413(1958年10月)
  • 25135 - 秩父鉄道クハ33(1950年) → クハ68(1953年10月) → クハニ29(1953年11月)
  • 25138 - 西武鉄道クハ1328(1953年)
  • 25139 - 西武鉄道クハ1223(1953年6月) → クハ1417(1955年9月) → サハ1417(1958年12月)
  • 25140 - 西武鉄道クハ1227 → クハ1228 → クハ1274 → クハ1316(??)
  • 25141 - 西武鉄道クハ1224(1951年9月) → サハ1510(1955年5年)/ → クハ1330(53/6月)
  • 25143 - 西武鉄道クハ1272(1953年6月) → クハ1228[2](1954年6月) → クハ1411(1955年9月) → サハ1411(1958年8月)
  • 25145 - 西武鉄道クハ1271(1953年6月) → クハ1227 → クハ1425(1954年6月)
  • 25146 - 西武鉄道クハ1312(1953年6月) → 伊豆箱根鉄道クハ81(1968年) → サハ81(1971年)
  • 25147 - 西武鉄道クハ1313(1953年7月)
  • 25151 - 西武鉄道(西武側に入籍の記録なし)
  • 25153 - 西武鉄道クハ1320
  • 25154 - 西武鉄道クハ1226 → クハ1272 - クハ1317(1953年)



脚注


参考文献

  • 沢柳健一・高砂雍郎 「決定版 旧型国電車両台帳」 - ジェー・アール・アール ISBN 4-88283-901-6(1997年)
  • 沢柳健一・高砂雍郎 「旧型国電車両台帳 院電編」 - ジェー・アール・アール ISBN 4-88283-906-7(2006年)
  • 新出茂雄・弓削進 「国鉄電車発達史」 - 電気車研究会(1959年)
  • 寺田貞夫 「木製國電略史」 - 「日本国鉄電車特集集成 第1集」に収録
  • 「木製省電図面集」 - 鉄道資料保存会 編 ISBN 4-88540-084-8(1993年)



関連項目

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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HOTEL_α-1って?

ホテルアルファーワンHOTEL α-1)は、株式会社ホテルアルファーワン事業本部が運営している全国展開しているビジネスホテルチェーンの名称である。



沿革

  • 1970年 中央鋼建産業株式会社として設立
  • 1983年 ホテルアルファーワンブランドの1号店となる、ホテルアルファーワン富山(現 富山荒町)開業
  • 1989年 株式会社ホテルアルファーワン事業本社に商号を変更



チェーンホテル



関連会社

  • 株式会社ホテルアルファーワンシステムズ
  • 株式会社ホテルアルファーワンディベロップメント
  • 株式会社ホテルアルファーワンレント営業本社
  • 株式会社プラストレーディング



外部リンク


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