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ミザンセーヌ仏語Mise-en-scène [mizɑ̃sɛn] )は、演劇界および映画界において用いられる表現であり、作品をつくりだすことの位相を表す語である。それは映画批評において「偉大なる未定義語」であったが、定義の欠如がその理由ではなく、むしろ、同語はあまりにもたくさんの異なる意味をもっており、そのために、その定義にはほんのわずかのコンセンサスしかないからである。日本語では「演出」の訳語があてられる。


同語は、演劇から発生し、フランス語の「mise en scène」とは、字義通り訳せば「舞台に置くこと putting on stage」の意である。映画へと援用されたとき、「ミザンセーヌ」とはカメラの前に現れるすべて、およびそのアレンジを意味する。つまり、セット装置)、小道具俳優衣裳照明といったものである。「ミザンセーヌ」には、セットにおける俳優の位置や動き、「ブロッキング blocking」と呼ばれるものも含まれる。


「ミザンセーヌ」についてのこの教義の定義は、すべての批評家に共有されているわけではない。ある者たちにとっては、視覚的スタイルの「すべて」の要素、つまりセットとカメラの諸相の両要素だとする。またある者にとっては、たとえばアメリカの映画批評家アンドリュー・サリスなどは、作品の感情的なトーンに関連する神秘的な意味を採用している。


最近、同語は、カメラの動きをともなうひとつのショットを通じて、おもにあるシーンの情報を伝達することのスタイルを表現するようになってきた。モンタージュスタイルの映画づくり、つまり編集を通じてマルチアングルで撮影した断片を組み合わせることと比較されるようになった。いずれにせよ、「ミザンセーヌ」の語は、登場人物あるいは状況の印象を、音声的に明確に表現することなく、話されるセリフのフレームワークを通じて提示したいという意思を映画監督がもったときに用いられる語であり、典型的にはリアルなセットを表現しない。一般的な例でいえば、それはとり散らかされ、混乱した部分であり、それはかつて一般的に登場人物の人生においての混乱を反映していたものであり、あるいは、スパルタ的に装飾された部分であり、設定において特別にそして故意にいかなる実践性をも無視する「空っぽの魂 empty soul」をもった登場人物をつたえるためである。


1910年代1920年代ドイツにおける映画製作では、ひとりの者が「ミザンセーヌ」を通じて伝えられたトーン、意味、そしてナラティヴな情報を観察することができた。おそらくこのことのもっとも有名な例は『カリガリ博士』(1920年)であり、同作においては登場人物の心象風景はセットデザインとブロッキングによって表現される。


似たような音感だが関係のない語である「メテランセーヌ metteurs en scène」(字義通り訳せば「舞台屋 stagers」)は、作家主義理論によって用いられ、作品に個人的なヴィジョンを持ち込むことのない監督に対して軽蔑的に張ったレッテルである。


ブロッキングを撮影することに関係することを理由に、「ミザンセーヌ」は、プロフェッショナルの脚本家たちのあいだで、セリフの間にあるト書きを示す語として用いられることもある。


まれにではあるが、「ミザンセーヌ」の語が批評家によってほかの芸術形式に用いられることがある。しかし、写真文学コミックを分析するときに効果的に用いられてきた。



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参考文献

  • ミザンセーヌについての章が割かれており簡潔な定義がある。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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