Archive for 5 月 22nd, 2008
atwordhighend @ 11:50pm
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2004年9月23日 (木) 19:59の版(JST)のストーリーの加筆が、公式サイトの転載。その後、該当部分は変更が加わっているものの、現在も少し公式サイトと一致する文章が残っています。Terotako 2005年3月23日 (水) 15:33 (UTC)
- (削除)特定版削除ですね。ストーリーに大幅加筆したのは私ですが、差し替えというわけではなく一部の文章を残してしまったので、コピペされる直前の版に差し戻しした後、公式サイトの転載文と一致する部分を抜き取って改稿したものを再投稿、という手順になるでしょうか?--Charon 2005年3月25日 (金) 13:34 (UTC)
- (対処)2004年9月12日 (日) 11:44(JST)まで復帰しました。では、ごゆっくりどうぞ>Charonさん--PiaCarrot 2005年5月13日 (金) 02:24 (UTC)
- (コメント)正しく復帰されていることを確認しました。-Hhst 2005年5月13日 (金) 02:33 (UTC)
- (コメント)ありがとうございます。しかし、最新版のデータをローカルで保存するのを忘れていました……googleに引っかかっていないようで加筆後の版のデータが消えてしまっています。一から書き直すのはさすがにきつい…何とかなりませんか?--Charon 2005年5月14日 (土) 01:46 (UTC)
- (確認)特定版削除確認。竹麦魚(ほうぼう) 2005年5月19日 (木) 10:52 (UTC)
- (コメント)とりあえずサルベージの方法は、最終版(削除テンプレの前)をWikipedia:削除の復帰依頼に出していただき、復活したところでソースを拾っったのち削除(復活したものは自動的に削除依頼行きになりますので)という方法でしょうか。 sphl 2005年5月20日 (金) 11:04 (UTC)
- (コメント)記事内容については、記憶をたどって大体を復元し、ついでに英語版も参考に大幅加筆したので解決しました。--Charon 2005年5月21日 (土) 12:34 (UTC)
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宣言的記憶(Declarative memory)とは、人間の記憶の一種で、事実と経験を保持するもの。宣言的記憶は意識的に議論したり、宣言(言明)したりすることができる。このため陳述記憶とも呼ぶ。
概要
宣言的記憶は意識的に記憶される。一方、非陳述記憶は意識しなくとも記憶される。
教科書を使った
学習や
知識は宣言的記憶として保持され、心の眼(mind's eye)で再体験できる。対照的に
手続き記憶は技能を扱う。宣言的記憶は忘れることがあるが、頻繁にアクセスされる記憶はそれだけ長持ちする。宣言的記憶をよく保持するには、
記憶術や
反復練習の一種である active recall(積極的に思い出すこと)を利用することがよいとされる。
宣言的記憶の分類
宣言的記憶は以下の2つに分類される:
- エピソード記憶: イベント記憶。ある期間と場所での出来事についての記憶。
- 意味記憶: 時間や場所に依存しない事実や知識。
エピソード記憶と意味記憶が実際には一種類の記憶であるとする考え方もある。しかし、一般的には両者は全く異なっていて区別されるべきとされている。
神経心理学
物理的に言えば、宣言的記憶には、中部側頭葉、特に
海馬と
大脳皮質の関連部位が必要とされる。有名な記憶喪失者 H.M. は中部側頭葉に構造的損傷を負い、宣言的記憶に障害を持っていた。
参考文献
関連項目
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鹿児島テレビ放送に関するカテゴリ。
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グリーンツダボクシングクラブは、大阪府大阪市西成区にあるボクシングジム。
概要
- 津田博明が1980年2月に設立。下町の小さなジムだったが、初年度から赤井英和を輩出し人気が高まり、関西を代表する名門ジムとして世界王者を輩出するまでに至った。2007年に津田が死去すると妻が会長となった。
- ジムの名前は、設立当初は「愛寿ボクシングジム」であった。また「三和ツダボクシングジム」となっていた時期もあった。現在のジム名である「グリーン」は当時のスポンサーグリーン観光の名残。
- 2005年4月11日、所属選手の亀田興毅が移籍を希望していたことに対し、最低落札額3000万円からの入札移籍を本人確認の無いまま公表。これに対し亀田が不満を持ち、JBCに相談。JBCから本人の意思を重視するように指示を受け入札は取りやめたが、協栄ジムが3000万の移籍金を払い亀田は移籍した。
- 2007年5月、所属選手の高山勝成が4月7日新井田豊とのWBA世界ミニマム級タイトル統一戦で得られる予定のファイトマネー350万円のうち、330万円が支払われないとグリーンツダジムをJBCへ訴えた。JBCの聞き取りの結果、グリーンツダジムには4200万円ほどの負債があり支払い能力が無いことが判明。
- 高山は、グリーンツダジムからWBC世界バンタム級王者:長谷川穂積のチーフトレーナーを務めていた山下正人が旗揚げする真正ボクシングジムに移籍する事が正式決定した。
- また興行を行うグリーンツダプロモーション社が6月末で解散を決定した。プロモーションは解散するがジムは、縮小し維持される。
- 負債の解消を目的として、グリーン部分の命名権を販売することにした。
主な選手
歴代世界王者
現役有名選手
過去の有名選手
所在地
関連項目
外部リンク
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東急玉川線(とうきゅうたまがわせん)は、東京都渋谷区の渋谷駅と、世田谷区の二子玉川園駅(現二子玉川駅)を結んでいた、東京急行電鉄の鉄道路線(軌道線)である。通称「玉電」「玉川電車」。
1907年(明治40年)に道玄坂上を起点に部分開業後、主に玉川通り(国道246号)を中心に砂利輸送、地域輸送を行っていた。路線の延伸、支線の開設、譲渡を経て、1969年(昭和44年)に、一部区間(現在の世田谷線)を除いて廃止された。
1907年(明治40年)から1938年(昭和13年)までは、玉川電気鉄道(たまがわでんきてつどう、玉川電鉄)が運営、以後玉川電気鉄道が東京急行電鉄となって以降は東京急行電鉄が運営した。
本項では、玉川線の支線であった砧線(きぬたせん)および溝ノ口線(みぞのくちせん)、ならびに東京都に買収された天現寺線(てんげんじせん)、中目黒線(なかめぐろせん)についても記述し、現在も三軒茶屋~下高井戸間で運行されている世田谷線は除くこととする(世田谷線の項を参照のこと)。
路線データ
下記のデータは特記なければ路線廃止時点(溝ノ口線については大井町線編入前)のもの。
- 路線距離(営業キロ):
- 玉川線:渋谷~二子玉川園間 9.1km
- 砧線:二子玉川園~砧本村間 2.2km
- 溝ノ口線:二子読売園~溝ノ口間 2.1km
- 軌間:1372mm
- 駅数:(起終点駅含む)
- 複線区間:
- 玉川線:全線
- 砧線:なし(全線単線)
- 溝ノ口線:二子~溝ノ口間
- 電化区間:玉川線・砧線・溝ノ口線とも全線(直流600V)
- 閉塞方式:スタフ閉塞(砧線)
歴史
玉電(玉川線)は、1896年(明治29年)、玉川砂利電気鉄道により、二子多摩川付近の砂利を東京都心に輸送することを主目的として、東京市麹町区の三宅坂と玉川の間の路線開設が出願されたことを起源とする。1902年(明治35年)に渋谷~玉川間の軌道敷設が許されると、1903年(明治36年)玉川電気鉄道が設立され、1907年(明治40年)、玉川電気鉄道の手により渋谷~玉川間が開業した。
玉川から運んできた砂利を都心に輸送するため、渋谷では、都心に線路を伸ばしていた東京市電と軌道が接続され、渋谷には砂利運搬車両の留置線も設置された。1922年(大正11年)、玉川電気鉄道により渋谷~渋谷橋の間に天現寺線が開通すると、玉川線と天現寺線は直通運転された。1924年(大正13年)には玉川~砧(のちの砧本村)間に砧線が開業し、二子橋の上流にあたる大蔵付近(東京府北多摩郡砧村)の砂利の輸送を開始した。このように、砂利輸送を主目的とした性格から、「ジャリ電」と呼ばれることもあった。関東大震災後の市内補修の砂利運搬には威力を発揮した。
玉川電気鉄道は路線を拡張してゆく。1925年(大正14年)、三軒茶屋-下高井戸間に支線(のちの世田谷線)を開業。1927年(昭和2年)には天現寺線渋谷橋より中目黒に至る中目黒線を、同年溝ノ口線(玉川~溝ノ口)を開業した。溝ノ口線の開業時には、多摩川を渡る二子橋の建設費の一部を玉川電気鉄道が負担し、二子橋は橋の中央に線路が敷設された形態の道路・軌道の併用橋となった。
1934年(昭和9年)、二子橋より下流での砂利採取が全面禁止され、さらに玉川電気鉄道の経営権が東京横浜電鉄や目黒蒲田電鉄を経営していた五島慶太らに移って以降は、砂利輸送からは撤退し、軌道線は旅客輸送が中心となっていった。1938年(昭和13年)、玉川電気鉄道は東京横浜電鉄に合併され、1942年(昭和17年)、社名変更に伴い東京急行電鉄となった。
砂利輸送から旅客輸送に軸足を移した玉川電気鉄道は、東京府世田谷区の新町(現在の世田谷区深沢七丁目・八丁目付近)に東京信託を通じて住宅地を開発し、沿線住民を電車利用者とする施策をとった。溝ノ口線開業の際には、溝ノ口駅付近・久地近辺の丘陵部を開発した。
また、玉川電気鉄道及び後身の東京急行電鉄は、旅客誘致の施策の一環として、明治期から景勝地であった玉川・瀬田地区に、多摩川の川魚を出す料亭や演芸場「玉川閣」(ぎょくせんかく)を擁する玉川遊園地を開設したほか、玉川第二遊園地(のちのよみうり遊園、二子玉川園)や玉川プール(現在の東急自動車学校の地)を瀬田河原に開設し、二子多摩川の兵庫島、久地の梅林、二子の桃林などとあわせて、玉川線・溝ノ口線を都心部からの行楽輸送の足としても機能させている。
玉川線の支線として開設された三軒茶屋~下高井戸間(現・世田谷線)は、渋谷~下高井戸間で直通運転がなされた。溝ノ口線は、1943年(昭和18年)、溝口周辺の軍需工場関連輸送に対応する輸送力を確保するために狭軌に改軌の上、大井町から二子玉川園に至っていた鉄道線である大井町線に編入され、二子橋の併用軌道の上を大井町線の電車が走り溝ノ口まで乗り入れるようになった。天現寺線は、戦前は渋谷で天現寺線とレールがつながり直通運転されていた時期もあったが、玉電ビルディング(現・東急百貨店東横店西館)の建設に伴い分断され、東京市電への運営委託を経て、1948年(昭和23年)に東京都に譲渡された。
1969年(昭和44年)5月11日、玉川通り(国道246号)上への首都高速道路3号渋谷線の建設、営団地下鉄銀座線と接続する地下鉄(のちの新玉川線、現在は田園都市線の一部区間)建設の計画等により、支線である三軒茶屋~下高井戸間を除いて、玉川線、砧線は全線廃止された。
玉川線・砧線の廃止後、同区間の代替交通として、代行バスが運行された(後述)。
現在は、玉川線の支線であった三軒茶屋~下高井戸間が、東急世田谷線と名を改めて存続している。
路線概要
玉川線
路線
開設当初の渋谷駅は、現在の渋谷駅ハチ公口付近の地平にあり、省線山手線のガードをくぐってハチ公口に至っていた東京市電と線路がつながっていた。玉川電車もまた省線山手線のガードをくぐって東口に抜け、直角に南下して稲荷橋から並木橋へと
明治通りを天現寺橋まで進んでいた。
1937年(昭和12年)、玉電ビルディング(のちの東急百貨店東横店西館)建設時にこのビルの2階へ渋谷駅が移転し、廃止までこの位置にあった。これは現在の
渋谷マークシティ内、京王井の頭線と東京メトロ銀座線の線路に挟まれた場所にあたり、連絡口を介して山手線に直結していた。JR渋谷駅の「玉川口」「玉川改札」という名称は玉川線が走っていた当時の名残である。ホームは対面式2面2線で一方は降車専用、もう一方は手前に下高井戸方面、前方に二子玉川方面と乗り場が分けられていた。
渋谷~道玄坂上(のち上通)間には碓氷峠や京阪京津線と同様の66.7‰勾配が存在していた(「道玄坂越え」とも言われる)。道玄坂上~大橋川あたりまでは東京都交通局のトロリーバスが並走し、交差する架線部分にはデッドセクションが設けられた。
道玄坂から先はほぼ併用(路面)軌道であったが、渋谷~道玄坂上間、玉電中里~上馬付近、桜新町~用賀、瀬田~身延山別院間、支線(現在の世田谷線)の三軒茶屋~下高井戸間に専用軌道が存在した。用賀付近の専用軌道跡は1990年頃まで東急の物置き場として静かな佇まいを残していたが、その後、東京都道427号瀬田貫井線に転用された。玉電中里、駒沢、用賀には駅舎と売店が設けられていた(駒沢は東京オリンピックに備えた道路拡張の際に消滅)。
併用軌道で大坂を下り、目黒川を渡り、大橋車庫を過ぎ、三軒茶屋の三叉路で、中央の信号塔によってポイントを操作し本線と支線に分岐。支線は専用軌道に入り、西太子堂から下高井戸へと向かっていった(世田谷線参照)。本線は、道路拡幅後は上下線とも上り車線上に敷かれた併用軌道上を走行し、中里付近から上馬まで専用軌道に入り駒沢を過ぎると旧大山街道を進み、新町付近では疎水に寄り添い、桜新町の桜並木を左手に、やがて用賀付近で再び専用軌道へ。併用軌道に戻り環八通りを横断し瀬田を過ぎて右手に多摩川の河原を眺めつつ国分寺崖線を下り、二子玉川園に至っていた。
車庫
車庫は大橋に設けられ、渡り線は大橋、三軒茶屋、玉電中里、駒沢、用賀に設けられた。用賀にも車両基地予定地が存在し、
第二次世界大戦末期には空襲に備え大橋車庫の車両の一部が疎開していた。また、最後の新型車両150型の入線もここの引き込み線から行われた。大橋車庫は当初、電気供給事業も行っていた。のち
東急バス大橋営業所に転用され、現在は
首都高速道路大橋ジャンクション建設地になっている。二子玉川園の駅にあった留置線は
玉川高島屋用地となり、駅跡には新たに新玉川線・大井町線の駅が建設された。用賀の玉川線車両基地予定地は、玉川線の廃止後に一時新玉川線構想(銀座線延伸案)の車庫として構想されたこともあったが転用されることなく、久しく空き地であった。新玉川線の起工式は
1964年(昭和39年)
2月、ここで行われた。この用地は、現在は
世田谷ビジネススクエアになっている。
車両
2両連結の流線型連接車軸の奇抜な電車(
デハ200形)を
1955年(昭和30年)に導入。「
タルゴ」「
ペコちゃん」の愛称が普及した。また
芋虫型に見えたことから「イモ電」「いもむし」とも呼ばれることもあった。
1両のみで運行される場合と、2両連結で運行される場合があった。2両連結の場合、1967年(昭和42年)より「連結2人のり」の標識が車外に取り付けられ、乗客は車両の前・最後部で乗車し、各車中央、連結寄り扉で降車していた。乗務員は運転手(1両目)と車掌(2両目)だけであった。この方式は現在も世田谷線で実施されている。
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遺構
併用軌道区間が長かった玉川線は、廃止後、併用軌道区間の道路整備が進み、また、大橋車庫跡が首都高速道路
大橋ジャンクション建設用地に転用されるなどし、構築物の撤去が進んだ。
国鉄山手線の玉川線への改札は「玉川改札」「玉川口」と呼ばれたが、玉川線もバス乗り場も消滅した現在でも、改札の名称は往時のまま残っている。
その他、玉電の名残として、東急バスの停留所名に旧電停の名称が用いられている例が見られる(道玄坂上、大橋、池尻、三宿、三軒茶屋、中里、上馬、駒沢、用賀、瀬田、身延山別院、二子玉川)。旧用賀駅跡には、かつて駅があったことを示す石柱が設置されている。
砧線
路線
砧線は
軌道線として敷設されたが、
1945年(昭和20年)に
地方鉄道法に基づく
鉄道線に転換された路線である。
砧線は、二子玉川を発車後、ほぼ90度のカーブを描いて玉川通りを横断、京西小学校分校(現在の二子玉川小学校)南側に存在した中耕地を経て西進、多摩堤通りと平面交差して吉沢に至り、吉沢橋で野川を渡り、東京都水道局砧下浄水場(旧渋谷町立浄水場)脇を通り、砧本村へ至っていた。概ね沿線には田園が広がっていた。
吉沢~砧本村間の伊勢宮河原(側線あり交換可能)、大蔵の2つの停留所は戦前に廃止され、戦後、吉沢の側線も撤去された。
終点の砧本村は、開設時は東京府北多摩郡砧村にあり、停留所が設けられた付近が砧村の字本村であったことから、砧本村の名が付けられたものである。駅前には切符委託販売も兼ねた売店があり、行商が商う姿もみられた。戦前、砧本村停留所前にわかもと製薬の工場があり、砧線はその通勤の足としても用いられた。わかもと製薬跡地は現在、駒澤大学玉川校舎となっている。
廃線後は、代替交通として、二子玉川と砧本村の間に、多摩堤通りや天神森橋を経由するバス路線が開設された。
車両
車両は玉川線と同型が用いられた。運賃は、軌道線である玉川線が線内のみの運賃体系であったのに対し、鉄道線となった砧線は他の鉄道線と通しで計算された。
閉塞はスタフ閉塞を用いていた。
遺構
砧線の線路跡地はおおむね道路(一部歩行者専用)になった。中耕地停留所跡地の歩道上には、砧線が走ったことを示す
レリーフが埋め込まれ、駅跡には石碑が建てられている。吉沢橋東側の吉沢停留所跡に建つクリニックの敷地には、玉川電気鉄道の社紋の入った境界標が3本残る。
2007年(平成19年)に上流の新吉沢橋と合わせて架橋しなおされ新しくなった吉沢橋には、吉沢橋を渡る玉電の写真(
林順信著「玉電の走った街 今昔」より転載されたもの)と玉電についての解説文の掲載された碑が設けられ、欄干には玉電のレリーフが埋め込まれた。砧本村駅跡地は整備され、現在は世田谷区立鎌田二丁目南公園と東急バス折返場になった。旧砧本村駅前広場である東急バス待合所付近には、旧線路脇の石製の柵が残されているが、かつてここが駅であったことを示すものはない。
溝ノ口線
1927年(昭和2年)
7月15日に開業。当初は玉川線と線路が接続し、区間便のほか玉川線との直通運転もされていた。玉川~二子間は
併用軌道(
二子橋を参照)だが、二子~溝ノ口間は
専用軌道で開業した。
1943年(昭和18年)に
東急大井町線に編入された後、
1945年(昭和20年)に地方鉄道に転換、
1966年(昭和41年)に高架化されて二子橋の併用軌道が解消され、現在は
東急田園都市線の一部区間となっている。
譲渡路線
1938年(昭和13年)まで、玉川電気鉄道、東京急行電鉄は、天現寺線と中目黒線の2路線を、渋谷以東で運行していた。
天現寺線は、渋谷を出ると、山手線の内側、渋谷川に沿って南下し、渋谷川の橋の袂に停車しながら天現寺橋に至る路線であった。中目黒線は、天現寺線の渋谷橋から西進し、中目黒に至った。中目黒は、東急東横線中目黒駅とは接続しておらず、現在の山手通りと駒沢通りの交点付近(東横線中目黒駅の南側)にあった。
渋谷を発着する天現寺線は、玉川線が渋谷駅地平に発着していた1937年(昭和12年)まで、線路敷設の主目的でもあった砂利輸送のため玉川線と線路がつながっていたが、同年玉電ビル建設により玉川線が玉電ビル2階に発着するようになって、玉川線と分離されている。
分断以降の天現寺線の渋谷駅は東横線渋谷駅前に置かれていた。のちハチ公口にあった都電渋谷駅前電停がこの地に移り、ターミナルを形成。現在は東口都バス乗り場となっている。また山手線のガード跡は東急百貨店西館と東館を結ぶ連絡通路となっている。
1938年、両路線は東京市電に運営が委託され、1948年(昭和23年)に東京都に譲渡された。東京都譲渡後は、天現寺橋~渋谷橋~中目黒間が8系統(築地始発)、天現寺橋~渋谷橋~渋谷(渋谷駅前)間が34系統(金杉橋始発)として運行された。渋谷橋~中目黒間は1967年(昭和42年)12月9日、天現寺橋~渋谷橋~渋谷間は1969年(昭和44年)10月25日に廃止されている。
両線の運行区間と停留所は以下のとおりである。
天現寺線
渋谷~天現寺橋間 2.6km
渋谷 - 稲荷橋(いなりばし) - 並木橋(なみきばし) - 渋谷町役場前→渋谷区役所前(しぶやくやくしょまえ) - 比丘橋(びくばし)- 恵比寿駅前(初代)→渋谷橋(しぶやばし) - 恵比寿橋(えびすばし) - 新橋(しんばし) - 豊沢橋(とよさわばし) - 天現寺橋(てんげんじばし)
中目黒線
渋谷橋~中目黒間 1.4km
渋谷橋 - 恵比寿駅前(えびすえきまえ) - 長谷戸(ながやと) - 鎗ヶ崎(やりがさき) - 中目黒(なかめぐろ)
玉電廃止後のバス交通
代替バス
1969年(昭和44年)
5月11日に専用軌道のみの三軒茶屋-下高井戸間以外の区間が廃止され、同日より
東京急行電鉄が代替バスを運行した。代替バスは、旧玉川線・溝の口線・砧線の区間をおおむねなぞるものと、新町~瀬田間で玉川通り新道を進むものとが設けられた。新設された代替バス路線、及び補完路線の系統番号と行き先は次のとおりである。
- 渋01 渋谷駅 - 三軒茶屋(直通運転あり)
- 渋02 渋谷駅 - 用賀折返所(旧用賀停留所裏手にあたる。急行あり)
- 渋03 渋谷駅 - 二子玉川園駅(旧道経由)
- 渋04 渋谷駅 - 溝の口駅(旧道経由)
- 渋12 渋谷駅 - 二子玉川園駅/高津営業所(新道経由。急行あり)
- 渋13 渋谷駅 - 砧本村(新道・二子玉川経由)
- 渋14 渋谷駅 - 向ヶ丘遊園駅(新道・二子玉川経由)
- 渋21 渋谷駅 - 上町駅
- 玉06 二子玉川 - 砧本村
- 黒03 目黒駅 - 砧本村(清水線を二子玉川園~砧本村間延長)
旧道とは、新町~瀬田間で桜新町を経由する玉川通りの旧道を、新道とは、同区間における現在の国道246号を指し、旅客案内上、旧道経由・新道経由との表記が使用された。
目黒区大橋にあった大橋車庫は、玉川線廃止とともに、東急バス大橋営業所に転換され、同営業所は代替バスの運行を受け持った。但し渋04と渋14は高津営業所の所管路線であった。
二子玉川園駅-砧本村間のバスルートは、砧本村方向は廃線跡の南側・玉川高島屋北側の道路を吉沢まで進み、吉沢から廃線跡が転換された道路を進み砧本村にいたるルートで、二子玉川方向は、廃線跡から外れ天神森橋を渡り多摩堤通りを二子橋東詰まで進むルートを取り、8の字型の運行形態となった。
1977年(昭和52年)、渋谷-二子玉川園間に新玉川線が開通し、これにより、上記に列挙した系統のうち渋12、渋13、渋21、玉06、黒03以外の系統及び渋12の急行運転は廃止され、渋13、黒03ものち廃止された。渋14は用賀駅-向ヶ丘遊園駅に短縮・変更され(渋14→向02)、のち二子玉川園駅-向ヶ丘遊園駅に短縮された。玉06は二子玉川発着(駅前に入らない)から、のち二子玉川園駅発着に変更された。
玉電渋谷駅跡
玉川線の渋谷駅跡は、廃線後、バス乗り場に転換され、東名急行(現在は解散)・渋70・渋24などの路線バスや東急百貨店東横店と本店を連絡する無料送迎バスが発着した。終端部分は
ターンテーブルでバスの向きを転換する方式であった。また、渋谷駅と道玄坂中腹を結ぶ旧専用軌道跡はバス専用道路となった。渋谷駅再開発事業に伴う
渋谷マークシティの建設により、現在はこのターンテーブルのあるバス乗り場とバス専用道路はほぼ消滅したが、道玄坂の玉川線専用軌道入口部分は現在マークシティへの接続道路となっている。
歴史
駅一覧
〔〕内は路線廃止時以前に廃止された電停、駅(現在の世田谷線を除く)。
玉川線
渋谷(しぶや) - 〔道玄坂上〕(どうげんざかうえ) - 上通(かみどおり)- 〔大坂上〕(おおさかうえ) - 大橋(おおはし) - 池尻→玉電
池尻(たまでんいけじり) -
三宿(みしゅく) - 〔太子堂→東太子堂〕(ひがしたいしどう) -
三軒茶屋(さんげんぢゃや) - 中里→玉電中里(たまでんなかざと) - 上馬引沢→上馬(かみうま) -
真中(まなか) - 駒沢(こまざわ) - 弦巻→新町(しんまち/東横吸収合併後名称変更) -
桜新町(さくらしんまち) -
用賀(ようが) - 瀬田前→瀬田→
玉電瀬田(たまでんせた) - 〔
身延山別院前→玉川遊園〕(たまがわゆうえん) -
玉川→よみうり遊園→二子読売園→二子玉川→二子玉川園(ふたこたまがわえん)
砧線
二子玉川園 - 中耕地(なかこうち) - 吉沢(よしざわ) - 〔伊勢宮河原〕(いせみやがわら) - 〔大蔵〕(おおくら)- 砧→砧本村(きぬたほんむら)
溝ノ口線
二子読売園 -
二子(ふたこ) -
高津(たかつ) -
溝ノ口(みぞのくち)
注釈
関連項目
参考文献
- 『玉電が走った街 今昔』 林順信編著 JTBキャンブックス 1999年 ISBN 4-533-03305-9
- 『RM LIBRARY 15 ありし日の玉電』 NECO PUBLISHING CO.,LTD. ISBN 4-87366-213-3
- 「東横・目蒲・玉川電車 沿線案内」 1937年(昭和12年)3月(「玉電が走った街 今昔」所収)
- 「玉川電車沿線名所図絵」 1933年(昭和8年)(「玉電が走った街 今昔」所収)
- 『世田谷のちんちん電車《玉電今昔》』 林順信編著 大正出版 1984年
- 『大東京三十五区之内 世田谷区区分図』 1941年(昭和16年)2月20日日本統制地図株式会社発行 人文社 ISBN 4-7959-1573-3
- 『古地図・現代図で歩く 昭和東京散歩』 人文社 2003年 ISBN 4-7959-1294-7
- 『新玉川線建設史』 東京急行電鉄、1980年。
- 『日本の路面電車II』 原口隆行著 JTBキャンブックス ISBN 4-533-03459-4
外部リンク
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国鉄485系電車(こくてつ485けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交直流特急形車両。
1964年に登場した481系電車の発展型で、1968年から1979年にかけて大量に製造され、四国を除く日本各地で特急列車に広く用いられた。2007年現在、東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)が保有している。
本項では、基本構造の共通する481系・483系・489系の各系列についても記述・解説する。
概要
1950年代半ば以降、国鉄は地上設備の低廉性などから
交流電化を推進した結果、
直流電化区間との直通車両が要求され、交直両用特急形車両として開発されたのが485系グループである。
交流60Hz対応の481系、同じく50Hz対応の483系、50・60Hz両対応の485系、碓氷峠での協調運転に対応した489系の4系列が誕生した。近年ではジョイフルトレインへの改造も行われている。
外観・設備
外観は
151系の流れを踏襲しているが、
1972年以降に製造された後期形車両は、
183系に近い外観に一新された。床下機器の寸法に合わせ、床面の高さを
近郊形・
急行形よりも10mm高い1,235mmとし、屋根高さも151系に比べて125mm高い。使用される路線の
ホーム高さに合せるべく扉にはステップを装備。また、寒冷地区への投入を考慮し耐雪耐寒構造で竣工。就役当初は、側面行先表示に従来通り
サボを使用したが、国鉄車両としては初めて自動巻取式
方向幕の準備工事が施工されており、当初は18コマ対応、後期形以降は40コマ対応の物が搭載された。のちに前期形車も交換されている。
冷房は、前期形がAU12形ユニットクーラー1基ないし2基を屋根上の「キノコ形」ケースに収め、先頭車には5基、中間車には6基搭載するが、パンタグラフや交流機器が屋根上のスペースに設置されているモハ480・482・484・488形は、AU12形3基に留まり車内機器室に床置形のAU41形を3基設置した。後期形では、AU13形5基。パンタグラフ搭載車がAU71形1基搭載に変更。
また、揺枕吊を廃止した空気バネ台車DT32A形を電動車に、TR69A型を付随車に採用。後期形では同系台車の改良型にマイナーチェンジも行われた。
走行性能
MT54系モーター(出力120kW)を特急形車両としては初めて採用し、
MT比1:1でも20‰程度の勾配を登坂できるようになり、経済性が向上した。また
MM'ユニット方式を採用し、M車には自動ノッチ戻し機構付きのCS15系制御装置を採用、山岳区間での走行も考慮し勾配
抑速ブレーキを搭載している。M'車には
主変圧器・
主整流器などの交流機器を搭載しており、M車の直流機器用電源を供給する「走る
変電所」とも言うべき車両で、
401系・421系電車から一貫する手堅い国鉄交直流電車の基本構成方式を採用している。また、
パンタグラフは直流区間での離線対策から2基搭載をしていたが、国鉄末期以降は
架線の損傷を避けるため原則的に第2パンタグラフの使用を中止もしくは撤去した。ただし、JR東日本の一部車両では架線霜取のため、130km/h運転を行う
湖西線では引き続き離線対策のため2基使用を行っている。
車両形式
481系
1964年に登場した、西日本地区向け交流60Hz対応車。
北陸本線金沢~富山操車場間の電化に伴い向日町運転所(現・
京都総合運転所)に41両が新製配置され、当初は同年
10月1日からの運転が予定されたが、車両落成の遅れなどにより12月25日に新設された大阪~富山間の「
雷鳥」と名古屋~富山間の「
しらさぎ」で運転を開始した。
- モハ481・480-1~26
- 新製後は、北陸特急や山陽・九州特急で使用されたが、1975年の山陽新幹線博多開業で全車鹿児島運転所(現・鹿児島総合車両所)に転属し、九州地区のみで使用された。1982年より老朽廃車が開始され、1985年に全車廃車となった。
主変圧器の対応周波数に関係しない付随車のクハ・サロ・サシ481形は、483系・485系においても引き続き導入された。詳細は485系の節を参照のこと。
483系
1965年に東北特急用として登場したが、厳密な意味での本系列はモハ483形・482形の2形式のみで、481系との差異は搭載する主変圧器が交流50Hz用になっていることである。
仙台運転所(現・仙台車両センター)に配置され、「ひばり」・「やまびこ」に投入。東北本線・常磐線系統の特急列車で運用された。
- モハ483・482-1~15
- 1982年の8から老朽廃車が開始されたが、12~15は1985年に仙台運転所から勝田電車区(現・勝田車両センター)に転属、JR東日本に承継された後1990年まで使用された。
485系
1968年に登場した交流50・60Hz共用のTM14形主変圧器を搭載し、国鉄在来線の電化方式すべてに対応した3電源形である。3電源区間を直通する定期列車は大阪~青森の「
白鳥」のみであったが、真の狙いは車両運用と全国的な広域転配時の自由度にあった。
厳密には電動車のモハ485・484形の新規2形式のみで、481・483系では側扉寄りに取り付けられていた車側表示灯が、本系列では車体中央寄りに変更されている。製造期間は長期に及び、その間に大きな改良や特殊な派生形式の設定などが行われている。
当初使用されていたTM14形主変圧器は絶縁油にPCB(ポリ塩化ビフェニル)を使用していたため1972年以降に製造中止となり、絶縁油にシリコン油を使用し、互換性のあるTM20形に変更。新造車では1974年製の1500番台から導入され、それ以前の車両にも交換が施工されている。
1981年6月に発生した長崎本線脱線事故でモハ485-117・モハ484-221・クロ481-53の3両が7月27日付で廃車となったが、これは旧国鉄時代に発生した唯一の事故廃車である。
基本番台前期形
1968年~1972年の製造。1972年製造車は空気バネをベローズ式からダイヤフラム式に変更したDT32E・TR69E形となっている。また、1969年製以降のクハ481-30~40・クロ481-5は、ボンネット外気取入口のスリットが横型から縦型となっている。
- モハ485・484-1~96
- クハ481-1~40
- ボンネット形先頭部を持つ制御車であり、151系電車と同じ150kVA電動発電機(MG)と容量3,000l/minの空気圧縮機(CP)が搭載されている。ベースとなったクハ151形とは運転台周りから屋根にかけての造形が若干異なっている。新造時にはバックミラーが取付けられていたが、破損が多く保守困難なため1970年代前半に撤去された。後方監視窓を設けている。
- 後方防護用として編成後部の前照灯には赤色フィルターを取付け、不時停車時用に交互点滅回路が設置されていた。しかし、ATSの完備等により1966年10月に廃止された。
- 向日町運転所配置の1~8は、登場当時スカートを赤く塗装している以外は151系に準じた塗装になっていたが、翌1965年増備車の9~18より交直両用車であることを示すべく下部ライトケースの上に赤い「ひげ(眉)」と呼ばれる塗分の追加とスカートも赤にクリーム帯を付与した塗装に改められた。これが「交流60Hz区間限定編成」を示すことになった。
- 仙台運転所配置の19~30と、電動車が485系となった向日町増備車の31~40はスカート塗装がクリーム1色となった。
- 向日町配置車は1975年に全車九州地区に転属となったが、1977年以降下部ライトケース上の赤い「ひげ(眉)」が省略された。また60Hz用赤スカートの1~18のうち、12・14・17は鹿児島所属時代にスカート部のみ、その他は1985年の勝田電車区への再転属後1986年3月までに郡山工場で検査の際にスカート部のクリーム1色に変更と「ひげ(眉)」を復活させている。
- 分割民営化時には1~32・34・36・38・40がJR東日本に、その他がJR九州に承継された。
- クロ481-1~5
- 1968年の奥羽本線山形電化により「やまばと」と「あいづ」が電車化されることになったが、仙台運転所の編成は奥羽本線板谷峠の急勾配によるM:T比2:1以上と磐越西線のホーム有効長から9両編成までの制約から、食堂車と一等車を同時連結した上で9両化されることになり登場した。
- サロ481形をクロ481形50番台に改造する工事も行われたが、新造車も改造車に合わせた設計となっているため、クハ481形0番台よりも全長が短い21,100mmとなっている。車掌室、トイレ、洗面所、出入口は後位側に設けられ、定員は36名。冷房装置はAU12形を4基搭載する。
- 日本車輌製造が製造し、仙台に配置されたが、1975~1982年には南福岡電車区に転属。うち3両は1984年にクハ481形に改造されたが、全車とも分割民営化時にはJR九州に承継。1994年までに廃車となっている。
- クハ481-101~126
- クロ481-101~104
- 1971年から製造されたマイナーチェンジ形。前照灯がシールドビームとなり、MGが小型・大容量化(150kVA→210kVA)され、ボンネット内から床下へ移設したために100番台に区分される。CPのみとなったボンネット内冷却用の外気取入口には、ダクト状のカバーが付いた。また、タイフォンはクハ481・クロ481とも101のみスカート部設置で落成したが、102以降はボンネットに移設している。
- クロ481形は、全車仙台運転所に新製配置された。クハ481-101~104もそれぞれ同日に同じ仙台に配置されている。1982年にクロ481形は4両とも南福岡電車区に転属、そのままJR九州に承継され1988年にまたも全車揃って鹿児島運転所に転属。1995年から1996年にかけて全車廃車となった。
- クハ481形は、前述の101~104が仙台に、残りは向日町運転所に12両、青森運転所(現・青森車両センター)に10両が新製配置された。しかし、青森配属車は、全車とも早期に向日町へ転属。また、101~104も1985年に向日町に転属しており、翌1986年までグループ全車が向日町に集結をした。
- スカートはクリーム1色が正式であるが、109だけは60Hz用赤スカート塗装で1972年5月青森運転所に配置されたが、同年9月には向日町に転属している。
- 分割民営化時に102のみJR東日本上沼垂運転区(現・新潟車両センター)に承継。他はJR西日本(向日町運転所と金沢運転所)に承継されたが、2004年までに全車が廃車となった。
- サロ481-1~51
- 一等車→グリーン車で客室定員は48名。前位側から和式トイレ・洗面所、出入台、専務車掌室、洋式トイレ・洗面所の順にレイアウトされており、181系とは見付が異なっている。1979年以降、九州配属車は洋式トイレ・洗面所を廃止してその部分に車販準備室を設置している。
- サハ481-1~14
- 1970年、高需要から12両化される「ひばり」「やまびこ」用に全車仙台運転所に新製配置された。
- 1972年1・2はサハ489形に改造、3~11は1975年に長崎本線・佐世保線電化用として南福岡電車区に転属。AU13E形を搭載した後期形の15~19も増備されたが、16~19は「雷鳥」「しらさぎ」増結用で金沢運転所に配属された。1978年に12以降の仙台車はサハ481形100番台と交換する形で、金沢車は仙台への転出車を補完する形で向日町運転所に転属後、1984~1985年にクハ480形へ改造。未改造車は1996~2000年にかけて全車廃車となり区分消滅した。
- サシ481-1~39
- 食堂車の基本構造はサシ151形に準じ、食堂定員も同じ40名だが、大きな相違点として回送運転台が調理室側妻面にも設置された。調理に電気レンジを使用するため自車給電用として70kVAのMGを搭載。なお、1989年に廃形式となっている。
基本番台後期形
1972年下半期から1976年まで製造されたグループで大きな変更点は、クハ481形がボンネットを廃止。冷房装置がモハ484形は1基で1両全体を冷房できる
集中式のAU71形に、その他の形式が
分散式のAU13E形5基搭載になり、特徴的なきのこ形カバーを持つAU12形や薄板プレスの車内ルーバーは廃止され全体的により機能優先指向となった。このため、モハ484形は新たに200番台に区分され、クハ481形は前面貫通形である200番台区分の製造後、貫通扉が廃止された300番台が製造された。台車は電動車がDT32E形、付随車はTR69E形だが、クハ481-311・313・315~354、サロ481-115~133、サハ481形100番台はブレーキシリンダをダイヤフラムシリンダとしたTR69H形を履く。また1974年製以降のクハ481形300番台・モハ485-207~255・モハ484-309~345・603~614・サハ481-15~19・101~118は、従来のT-17系
回転クロスシートに代わり、R-51系
簡易リクライニングシート装着で落成している。また、以後に登場した各番台は基本的にこのグループの仕様を踏襲している。
- クハ481-201~263
- 将来予想される分割・併合運転を考慮し前面貫通形を採用した。構造的には581系・583系と同様に外扉を設けて貫通扉などを隠すのは変わりないが、外扉の開閉は空気シリンダーにより自動化。MG・CPは床下搭載とし、容量は2,000l/minに変更。ボンネットを廃止し客室スペースが拡大し定員は8名増の64名となったが、連結面車体長は21,000mmと短縮されている。前頭の列車名表示器は貫通扉の幅に制約され、小型の正方形で手動式である。この前頭デザインは後述の300番台や1000番台と共に愛好者から俗に「電気釜」とも呼ばれる。
- 営業運転での正面貫通路の使用開始は1985年の紀勢本線特急「くろしお」からで、それ以前から使用する見込みのない車両は腐食防止や隙間風対策の観点から外扉を溶接したり、あるいは貫通路を完全に埋込んだりしている。
- このグループは全部で63両が製造されたが、新造時にその2/3に当る42両が青森運転所に、残る21両も向日町運転所に集中配置された。青森には100番台車も10両が配置されていたが、200番台配置に伴い全車が向日町運転所に早期転属となっている。これは、当時東北本線系統と奥羽本線系統の特急を福島で分割・併合運転する計画があり、その準備段階として集中配置を行ったためであったが、ホーム有効長の問題、奥羽本線板谷峠急勾配でM:T比2:1の制約、新形式導入の必要性や輸送量などの諸事情等で計画は白紙に戻された。さらに欠点である隙間風や居住性の悪さが乗務員から敬遠され、300番台以降の非貫通型クハに置き換えが進み青森の200番台は国鉄時代に全車転出している。
- 青森配置車の203・204・207・208には電気連結器と自動解結装置および自動貫通幌引出装置が試験的に装着されていた。これらは来たるべく分割・併合運用の際に作業の省力化を狙ったものであったが、数度のテストのみで使用されたにとどまり、1976年に撤去されている。
- クハ481-301~354
- 1974年に登場した300番台の区分。スタイリングは200番台ベースだが、隙間風などの運転室居住性問題と併結運用が当時は計画のみで必要性を欠いていたことから貫通路を廃止。運転室の環境改善も考慮され、車体長を250mm延長し0・100番台と同じ連結面車体長が21,250mmとなり、同時に運転室床上スペースが余ったため助士席下部へCPを移設した。また列車名表示器は大型の長方形で側面方向幕連動の電動式となった。
- モハ484-201~345
- AU71形搭載によって、床置冷房装置AU41形収納機器室と業務用室を廃止したため、定員が8名増加し72名となり、200番台の番号区分が行われた。
- モハ484-601~614
- 200番台に車掌室と業務用室を設けたための番号区分。定員は200番台より8名少ない64名。
- 一般に特急列車の専務車掌室は編成中央部にあるグリーン車のものを使用する傾向があるが、東北特急では仙台運転所編成がクロ481形を連結していたため編成中央部にあるモハ484形0番台を使用する一方、青森運転所編成もサロ481形を2号車に連結していたため、編成中央部付近に専務車掌室を持った600番台が必要になった。この構造は後の1000・1500番台に受継がれることになる。
- 600番台は、全部で14両製造され新製配置は青森・仙台のみであった。しかし、分割民営時にまで全国各地にバラバラとなり、JR東日本に承継されたのは勝田電車区の603のみで、601・602はJR九州に、604以降はJR西日本に承継された。
- モハ485-97~255・サロ481-52~133・サハ481-15~19・サシ481-40~76
- 冷房装置以外の車体構造に大きな変更がなく、定員も変わらないため車番は在来車の続番となっている。
- モハ485-229は、1990年3月18日特急「にちりん47号」での運用中踏切事故に遭遇し、床に大きな損傷を受けた。復旧に際し、保留車となっていたモハ485-23の車体を流用したため、冷房装置がAU12形6基という異端車となっている。
- サロ481-115・116・122・123・127・128の6両は床下にMG・CPを搭載し、前位車端部に車販準備室・車販コーナー設置といった仕様変更が行われている。
- サハ481-101~118
- 1976年登場。サハ481形の後位側に車販準備室・業務用室を設けたために定員が8名減の64名となるために番台区分された。向日町と南福岡に集中配置されたが、床下にMG・CP設置準備工事が施されていたことから、1978年10月改正で東北地区特急3MG化のために一部が仙台運転所に転属している。後に大部分がクハ481形や183系・189系の先頭車化改造がされた。108・109の2両が1998年に廃車されて区分消滅している。
1500番台
1974年、北海道向けに製造された特別耐寒耐雪形である。函館本線では711系による急行「さちかぜ」が札幌~旭川間ノンストップ運転でビジネス客から好評を得ていた。そこでさらなるサービス向上を期し、711系をベースにした新型交流専用特急車が計画されたが、主変圧器に使われていたPCBの毒性が判明し、対応のために計画は一時頓挫する。それでも沿線からの要望が強いことから、485系での投入が決定された。
川崎重工と日立製作所の2社で新造されたが、22両全車が札幌運転所への配置である。初年度は耐寒耐雪装備の試用を兼ねて大阪~青森間の特急「白鳥」に使用されたが、名目上は青森運転所への貸渡しである。翌年に渡道し、7月から新設エル特急「いしかり」として運転を開始した。
「いしかり」は6両モノクラス編成のためグリーン車と食堂車は製造されず、モハ484形は専務車掌室や車販準備室を設けた600番台の構造を踏襲。台車は耐寒耐雪強化タイプで電動車がDT32G形、クハ481形が路面清掃装置付のTR69G形を履くが、本州復帰時にDT32E・TR69H形に交換された。
クハ481形は300番台と同様の非貫通型だが、運転台上前灯は降雪時の視認性向上のため2個に増設し、さらに渡道後の1976年に尾灯が巻き上げて付着する雪に遮られて見えなくなるため車体内側から交換する標準タイプから外側より交換する外付式に苗穂工場で改造したほか、前頭部連結器を密着自動型に交換、暖房装置の強化・凍結防止ヒーターの増強などが施された。しかし、冬季に入ると無接点制御装置搭載の711系に比べ485系は制御装置を始め可動部品や接点が多く、本州では問題のなかった電装機器を中心に酷寒地での凍結に対して脆弱な面が露呈。また、北海道特有の細かい雪が出入口から大量に車内に侵入する問題も多発。様々な対策が施されたが、いずれも根本的な解決にはならず北海道での485系の使用は困難との結論から、711系をベースに781系が開発され1978年には試作車が登場、量産車が1980年夏に落成。1500番台は全車揃って青森運転所に転属し、分割民営化時にも全車揃ってJR東日本に承継された。
- モハ485・484-1501~1507
- MM'ユニット7組14両は全車動きが一貫しており、本州復帰後は1985年2月に青森から向日町運転所に転属、さらに1986年11月1日には上沼垂運転区に再転属。全車指定席車両の床面嵩上・側窓の天地方向の拡大・背面テーブル付フリーストップ式リクライニングシートへの交換とシートピッチ拡大などの「グレードアップ改造」が施工されたが、2001年から2002年にかけて老朽化のために廃車となった。
- クハ481-1501~1508
- クハ481形は、本州復帰後青森に残った車両と上沼垂運転区・南秋田運転所に転属する車両に別れたが、最終的には全車とも一度は新潟に転属している。JR化後は新潟車を中心にグレードアップ改造が施行された。各車のその後・現状を以下に示す。
- 1501
- 1987年にクロハ481-1020へ改造、1999年にクロハ481-3020にリニューアル改造され、長年青森をベースに活動していたが、2006年に新潟車両センターに転属。R28編成に組み込まれている。
- 1502・1503
- 2006年にジョイフルトレイン「彩(いろどり)」に改造され、クロ481-1502・1503に改番。長野総合車両センター所属のN201編成。
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- 1504・1505
- 勝田車両センター所属のK60編成。波動輸送対応のため定期運用は持たない。
- 1506
- 2000年にクハ481-3506へリニューアル改造され、新潟車両センターR24編成の6号車に組まれていたが、JR羽越本線脱線事故で大破。2007年3月31日付で廃車となった。
- 1507
- 新潟車両センターT21編成に組み込まれていたが、2006年6月1日付で廃車。
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- 1508
- 1508は1985年の広域転配の牽引車として鹿児島運転所にも足を踏入れており、電化区間の最南端と最北端どちらにも足跡を残しているという貴重な車両である。さらに現在まで山梨県、三重県、鳥取県、島根県、香川県、徳島県、愛媛県、高知県、長崎県、大分県、宮崎県と普通鉄道のない沖縄県を除く35都道府県を走行しているが、これは日本の鉄道用電車としては最多都道府県走行のタイトルホルダーである。JR化後も秋田・青森ベースで活躍したが、2000年には新潟車両センターに転属し、現在ではT18編成の6号車として組込まれている。また、この車両は2度目の青森所属時代にATS-P形を装着しており、時折「ムーンライトえちご」に投入され、首都圏で確認することもできる。
1000番台
485系は元々耐寒耐雪構造ではあったが、それでも冬期の東北・北陸方面ではしばしば寒冷が原因の故障を起こした。これに対し1500番台および183系1000番台をベースに本州向け耐寒耐雪強化形として、1976年から製造された区分番台である。床下機器の配置見直しや密閉化、クハ481形では乗務員室の暖房強化等の設計変更が行われている。その中のひとつが3MG化でありサロ481形にMG・CPを搭載し、トラブル発生時には運転席からMGの給電区分を即時変更できるように引通線も増設されている。在来車との混結も可能だが、その際にはMGの給電区分変更機能などは失われる。そのためにクハ481形は片渡りとなり方向転換が不可となった。モハ484形は600番台の構造を取入れているが、これは将来のモノクラス化時の専務車掌室確保や車販準備室用としての意味合いが強いものであった。台車は電動車がDT32E形、付随車がTR69H形を履く。
1979年6月19日付落成のモハ485・484-1085~1088、クハ481-1040~1043をもって長きに渡る485系の新造に幕を閉じた。
- モハ485・484-1001~1088
- クハ481-1001~1043
- サロ481-1001~1008
- 本区分番台では食堂車は製造されず、所要となるサシ481形は基本番台後期形車両の一部とサシ489形から改造の80番台に引通線増設などの対策を施工の上で充当した。
- クハ481-1013~、モハ485・484-1025~は座席のリクライニングが背もたれを倒した状態でロックすることが可能なR-51BN形簡易リクライニングシートに改良された。
3000番台
1996年から2001年にかけて、JR東日本が1000番台車を中心に行ったリニューアル改造車。全車共通の改造内容は、外板塗装の変更。側窓の下辺を台枠から845mmとし、窓の大型化と窓ガラスの内側取付ユニット化。化粧板の張替。出入台照明のダウンライト化。貫通引戸と側引戸をハニカム構造で軽量化を図った物に交換。扉ストッパーのキャッチャ式化。電気式となるパルサーチの検知方式を採用し、客室仕切戸を自動化。出入台と運転室の床敷物をノンスリップタイプに交換。各車両の仕切戸と妻引戸上部に電光表示の室内案内情報装置、号車番号案内装置、禁煙表示装置の設置。行先表示器のLED化。トイレは真空吸引式洋式に交換。従来の洗面所を撤去し、ユニット式になる男子トイレと小スペース用洗面所を新設するなどの施工がされている。また、車内放送のオルゴールにクラシック音楽が採用されている。
室内は、グリーン車が新幹線200系電車と同様の荷棚、カーテンキセを含めたFRPカバーへの交換。クロハ481形は4列のまま新型シートに交換、サロ481形は種車が3列シートのグレードアップ車のためモケット張替を施工。普通車もシートはピッチは910mmのままだがフリーストップリクライニングと座面のスライドが可能な物に、荷棚も新タイプへ変更。喫煙車への空気清浄機の取付。モハ484形では、遮断器が空気式(ABB)から真空式(VCB)に交換。一部車両に車椅子対応座席の設置などのバリアフリー化、モハ485形の一部車両への車販準備室と電話室の設置も行われている。
この改造で大きく変わったのは、先頭車のクハ・クロハ481形で従来の運転台屋根部分をすべて撤去し、新しい屋根構体に載せ換えて前面ガラスを1枚の大型ガラス化。前面にFRP製マスクを取付し、愛称表示機をLED化。さらには、スカート部へのカバー取付、前灯も変更したためにデザインが大きく変わり、大幅なイメージチェンジとなった。また補助電源はMGからSIVに、CPも静音床下搭載タイプの2,500l/minへ増大した物に交換した。
改造施工は、土崎工場(現・秋田総合車両センター)と青森運転所東派出所。9両編成2本、6両編成12本と増結用MM'ユニット3組6両の96両が改造され、青森運転所と上沼垂運転区に配置された。上沼垂所属車のうち9両→6両に編成を組替えたために外されたサロ481形は保留車。2005年12月25日に発生したJR羽越本線脱線事故により大破し、物的証拠として警察に押収されたR24編成は、捜査の終了により全車2007年3月31日付で、3000番台で初の廃車となった。
現在、青森車両センターには6両編成(A編成)6本と増結用MM'ユニット4組8両の44両が配置され、「白鳥」「つがる」で運用されており、全編成が津軽海峡線対応車となっている。また2006年には、旧A9編成のクロハ481-3020、クハ481-3350、モハ485・484-3056の4両が、JR羽越本線脱線事故による車両補完のために新潟車両センターに転属した。
新潟車両センターには6両編成(R編成)7本と増結用MM'ユニット1組2両、保留車2両の46両が配置され、「北越」「いなほ」を中心に運用されている。
なお、青森車と新潟車について次のような違いがある。
- 外板塗装は、どちらも白と青を基調にしたものであるが、青森車は若干紫に近い青。新潟車は、側引戸と連結面周辺がアクセント的な要素で緑色に塗装されている。
- クハ・クロハの前面マスク部分の塗装が異なる。青森車は黄色で「North East Express 485」と「EAST JAPAN RAILWAY COMPANY」のロゴが、新潟車は緑色で運転台下付近にJRのロゴマークが入る。また乗務員扉前に青森車は、先頭部と同じロゴが入るが、新潟車は9両編成(R1・2編成)時代に「はくたか」運用についていたR26・27編成は翼をモチーフにした銀色のエンブレムが付いており、北越急行ほくほく線入線のために搭載されていたATS-P形を現在も装備しており、波動輸送や「ムーンライトえちご」などで首都圏にその姿を見せることもある。
- どちらも同じ6両編成で車両構成は同じだが、クハとクロハが逆向きとなる。
- 青森車(←青森/6号車)ThscMM'MM'Tc(八戸・函館・弘前/1号車→)※4号車に車いす対応車。5号車に車販準備室・電話室。
- 新潟車(←新潟/6号車)TcMM'MM'Thsc(青森・金沢・新宿/1号車→)※4号車に車いす対応車。5号車に車販準備室・電話室。
青森駅基準で見た場合、編成的にはクロハが先端で同じ位置になるが、MM'ユニットと号車名が逆向きとなる。
各形式についての詳細は以下に記す。
なお※は、羽越本線脱線事故による廃車車両
- モハ485・484-<3009>・<3014>・(※3018)・<3022>・(3030)・<3031>・(3033)・(3034)・<3035>・(3037)・<3038>・3039・(3040)・※3044・<3046>・<3047>・<3049>・3050・<3051>・3054・3056・<3059>・(3060)・<3062>・(3065)・3066・<3067>・<3068>・3070・3075・<3081>・3086・<3087>
- * ( )は、新潟車両センター所属、モハ484形車いす対応車。
- * < >は、青森車両センター所属、津軽海峡線対応車。
- 車番は原番号+2000。モハ485形の定員は72名。一部の車両ではトイレを車販準備室に、洗面所を電話室と荷物置場に変更している。
- モハ484形では、一部の車両にバリアフリー対応の車いす対応大型洋式トイレ、多目的室を新設。客室出入台側に車いす対応座席を2脚設置した。通常車が定員64名であるのに対し、車いす対応車は58名となっている。
- クハ481-<3005>・<3006>・<3010>・(3011)・3018・<3020>・<3022>・<3030>・(3034)・3043・3342・3348・3350・※3506
- * ( )は、新潟車両センター所属、ATS-P形搭載車。
- * < >は、青森車両センター所属、津軽海峡線対応車。
- 車番は、1000・1500番台からの改造車が原番号+2000、300番台からの改造車が原番号+3000、クロハ481形からの改造車はクハ時代の原番号+2000である。
- クロハ481-3004・3008・※3010・<3012>・<3015>・<3016>・<3017>・<3019>・3020・<3021>・3024・(3026)・3027・(3037)
- * ( )は、新潟車両センター所属、ATS-P形搭載車。
- * < >は、青森車両センター所属、津軽海峡線対応車。
- 車番は原番号+2000。定員はグリーン室16名・普通室36名。
- 3026・3037は2006年に編成替えのため新潟車両センターで施工されたクハ481-3026・3037からの改造車。
- サロ481-3106・3107
- 車番は原番号+3000。グレードアップ改造車のサロ481-106・107に再改造施工。主に「はくたか」に使用されていたが、683系化により現在は定期運用から外れて保留車となっている。
489系
信越本線横川~軽井沢間の碓氷峠は最大66.7‰の急勾配区間であるため、電車は最大8両に制限、台枠・連結器の強化などをする通称横軽対策をし、EF63形の推進・牽引による無動力運転を行っていた。しかし、協調運転用機器を搭載することにより12両まで通過可能となるため、上野~金沢間の「白山」ならびに、後に間合い運用での「あさま」用として、協調関連装置を装備した485系の派生形式である。485系のデザイン過渡期と同時期の1971年~1974年と1978年~1979年に製造されたため、それぞれに対応する区分番台が誕生している。
EF63形と連結される上り方のクハ489形500・600・700番台は、連結器カバーが省略され、ブレーキホース(500番台のみ)、協調制御用KE70形ジャンパ器が設置された。このためクハ489形はクハ481形と異なり、片渡りで方向転換ができない構造となったため、上り方と下り方の0・200・300番台で番台区分を変えている。また協調運転装備を追加した結果、付随車についてもすべて489形となり485系の付随車とは別形式となった。なお協調機能は失われるが、基本設計が共通の485系と混結することは可能である。
「白山」充当時には6M6Tの12両編成を組成しており、全部で14編成が就役したが、1971~1974年にTc14組28両、Ts28両、MM'ユニット42組84両、Td、Tが14両ずつと編成単位の製造が行われた。最終的にはサロ489形1000番台10両の追加新造と分割民営化後にJR東日本が2両を485系から改造編入をしており、総車両数は180両。
分割民営化時にはJR東日本とJR西日本に承継されたが、長野新幹線の開業で信越本線の横川~軽井沢間が廃止され、本来の目的を失ったことや老朽化などにより、東日本所属車はサロ481形改造のサロ489形1050番台の2両を除いて廃車。西日本所属車は、金沢総合車両所に34両。京都総合運転所に5両が在籍。2007年4月現在総計41両が車籍を有している。なお、最近では横軽対策車を示す車号表示前に付く「●」マークを省略した車両も見受けられる。
0・500番台
- モハ489・488-1~15
- クハ489-1~5・501~505
- サロ489-1~10
- サハ489-1~4
- サシ489-1~4
1971年~1972年上期に製造されたグループ。外観は485系0番台と同じくAU12形クーラーを搭載。ただしクハ489形に関してはクハ481形100番台(210KVA・MGは床下、CPはボンネット搭載)に準じており、下り方は0番台、上り方は+500の500番台に区分される。タイフォンは、1971年上半期製造の1・2・501・502はスカートに、3~5・503~505はボンネット部分に備える。なお、台車は1971年製造車が電動車はDT32A形、付随車はTR69A形、1972年製がDT32E・TR69E形。現存車は、モハ489・488形ユニットが2・4・6・13~15とクハ489-1~3・5・501~503・505の20両で全車金沢総合車両所に所属する。
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200・600番台
- モハ489-16~30
- モハ488-201~215
- クハ489-201~205・601~605
- サロ489-11~20
- サハ489-5~8
- サシ489-5~8
1972年下期に485系200番台と同じく先頭車の貫通化やクーラーの変更などがされたグループである。モハ488形と下り方クハは200番台、上り方クハは0・500番台とは異なり+400の600番台に区分(他の車両は0番台の続番)され、CPも2台搭載となっている。また、先頭車前面連結器を並形自動連結器から密着連結器に変更した。サハ489形には当初からCPを搭載、台車は電動車がDT32E形、付随車がTR69E形を履く。なお、新製配置は1972年製が向日町に、1973年製以降の車両は金沢。クハ489形200番台は2003年に廃区分番台となり、現在はモハ489・488形ユニット19~22+204~207・26+211・30+215、サロ489-13、クハ489-604の14両が現存する。
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300・700番台
- モハ489-31~42
- モハ488-216~227
- クハ489-301~304・701~704
- サロ489-21~28
- サハ489-9~12
- サシ489-9~12
1974年製造の485系300番台に対応するグループである。下り方クハは300番台、上り方クハは+400の700番台(他の車両は0・200番台の続番)。CPはクハ481形と異なり床下搭載で700番台は600番台と同様の2台搭載となっており、外見上は助手席下部のCP用機器搬入口が無いことで判別可能である。なお、このグループの普通車座席はR-51系簡易リクライニングシートを装着して落成している。
サロ489-23・25・27が金沢所属、クハ489-702・704が京都所属で現存する一方で300番台は2004年に廃区分番台となっている。
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1000番台
- サロ489-1001~1010
1978年10月ダイヤ改正より共通運用となった「白山」及び「はくたか」は3MG・8M4T編成化されたが、三相回路配電盤搭載のサシ489形とCP搭載のサハ489形が編成から外されるために1978年と1979年に計10両が新製された。同時期に製造されたサロ481形1000番台に協調運転機能を装備した形で外観と性能などは準じ、210kVAMGとC2000形CPを搭載する。1004がMG・CPを撤去し101に、それ以外の車両も先頭車改造されたため1991年に廃区分番台となっている。
改造車
485系・489系の改造車は、軽微な引通線改造や電装解除、さらには車体構体を載せ換える大掛りな物まで多種多様であり、車両番号の変更のない改造事例もある。なお、グレードアップ改造やクハ481形200番台の前面非貫通化改造、またJR東日本が行ったリニューアル改造車(3000番台)については割愛する。また特記する場合を除いて改造施工工場等の名称は、当時のもので表記する。
クロ481形
- 51~57
- 1968年、東北特急が9両編成に統一されることになり、仙台運転所のサロ481形を郡山工場で改造した。改造方法は種車の車体の一部を分解し、その台枠上に車両新製時と同様の方式でボンネット型の運転台を組上げる工法が採用された。その際に台枠の延長は行われていないため、クハ481形0番台よりも全長が短くなっている。しかも、新製車であるクロ481形0番台も改造車の設計に合わせたものになったため、差異はほとんど見られない。
- 改造後も仙台所属で活躍したが、1975年に7両とも南福岡電車区に転属、国鉄時代に廃車された52~54(53は事故廃車)を除く4両がJR九州に承継されるも1995年までに全車廃車された。晩年はRED EXPRESS塗装を施されたものもあった。
- *サロ481-19~25→クロ481-51~57
- 301
- 1990年にクハ481-243をJR九州小倉工場で全室グリーン車化改造を施工。出入台前位に乗務員室を増設したため、乗降扉横の窓は2分割された。窓配置とシートピッチは一致しない。1区分1両の珍車であったが、2000年に廃車された。
- *クハ481-243→クロ481-301
- 2001~2005・2101
- 1989年、北陸特急「スーパー雷鳥」新設に伴いサロ489形1000番台に展望型運転台を吹田工場で新設した車両。
- 車内は当時流行の2+1配置のシートが設置された。その後681系「サンダーバード」の投入により「しらさぎ」にコンバートされたが、その「しらさぎ」も683系に置き換えられたため、旧国鉄色に塗色変更を受け、現在は「雷鳥」に使用されている。
- 2101は、種車がサハ481-118で窓配置や車体長が異なる。
- *サロ489-1001・1006・1003・1007・1009→クロ481-2001~2005
- *サハ481-118→クロ481-2101
- 2201・2301~2303
- 1990年にJR西日本が「かがやき」「きらめき」へのグリーン車連結に際してクハ481形300番台を吹田工場で座席配置2+1のグリーン車に改造した車両。2003年に京都総合運転所に転属して、現在は「雷鳥」に使用されている。2201は、1992年に増発用として松任工場で改造した車両。こちらは種車が200番台だが、2003年に廃車された。
- *クハ481-224→クロ481-2201
- *クハ481-307・325・327→クロ481-2301~2303
- 2351
- 「スーパー雷鳥」編成の「しらさぎ」転用に際し、不足する先頭グリーン車を補うために登場した。改造施工は金沢総合車両所。種車がクハ489形のため、先頭部はパノラマ型ではない。2003年に廃車された。
- *クハ489-301→クロ481-2351
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クロ480形
- 1~15
- 1984~1985年に「有明」短編成化に伴いサロ481形を鹿児島車両管理所と小倉工場で改造した下り向き専用車。クロ481形50番台とは異なり、クハ481形300番台車に準じた運転台が台枠ごと接合される形となったため、外観および定員などは大きく異なる。1~4AU12形5基搭載の初期車からの改造車だが、後年冷房容量増強のために後位にAU13E形を1基増設している。5~はAU13E形搭載車で改造時に1基撤去して4基搭載に変更したが、のちにこちらもAU13E形を1基運転台側に増設した。
- 15両全車がJR九州に承継されたが、11と12はのちに半室普通車化改造によりクロハ480-51・52となった。また後年は「かもめ 」「にちりん」でも運用されたが、2000年までに全車廃車となった。
- *サロ481-40・43~45・53・56・58・64・67・76・78・83・87・103・130→クロ480-1~15
- 1001~1004・2301
- 1988年、「北越」短編成化に伴い吹田工場で改造。種車がサロ489形1000番台のため番号区分された。0番台同様、運転台は元のトイレ・洗面所側に設置、車販準備室をトイレ・洗面所に改造している。金沢総合車両所に配置されたが、1991年に1002は「かがやき」用として、吹田工場で車掌室を撤去し座席配置を2+1としたクロ480-2301に再改造された。1000番台は2004年までに全車廃車となったが、2301は現在も「雷鳥」用として京都総合運転所に在籍。
- * サロ489-1002・1005・1008・1010→クロ480-1001~1004
- * クロ480-1002→クロ480-2301
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サロ481形
- 134・135
- 1983年にサロ489形を鹿児島車両管理所でサロ481形に改造。2両ともJR九州に承継されたが、1990年に廃車された。基本番台新製車の続番となっているが、種車の関係でクーラーはAU12形。
- * サロ489-6・8→サロ481-134・135
- 501~509
- 1985年3月ダイヤ改正で登場した「雷鳥」の和式グリーン車「だんらん」用にサシ481形を改造した車両で、改造施工は吹田工場と鷹取工場。車内は衝立で1卓4名の7室に仕切られた和式仕様となり、調理室部にはビュフェを設置し、側窓下には金帯が入れられた。一部列車の「スーパー雷鳥」化により1989年に運用を離脱、502~505・508・509はラウンジ付きグリーン車サロ481形2000番台に改造されたが、残りの3両は1993年に廃車となり区分消滅した。
- * サシ481-54・55・69~71・73・74・81・82→サロ481-501~509
- 1051~1056
- 当初から車販準備室やMG・CPを設置し、1000番台車に準じた仕様のサロ481-115・116・122・123・127・128に1978年の東北地区特急列車増発時に1000番台対応引通線追加改造などを土崎工場で施工、改番した区分である。1000番台車との差異は行先表示器の位置・クーラーの位置・客用扉に違いがある程度である。
- 1989年に1051がサハ481形300番台に、1990年に1052・1053がサロ489形1050番台へ改造され、残りは1994年に廃車され区分消滅した。
- * サロ481-115・116・122・123・127・128→サロ481-1051~1056
- 1501~1506
- 元々485系への編入を予定して製造されたサロ181形1100番台を181系引退後の1982~1983年に盛岡・土崎・郡山の3工場で改造編入したグループ。
- 改造落成後は青森運転所に配置され、1985年の「ひたち」増発時に勝田電車区に転属した。1989年から老朽車取替のため1両を除きクハ481形1100番台に改造され、残った1両も1997年にジョイフルトレインの改造種車となって区分消滅している。なお、1500番台新製車との関連は全くない。
- * サロ181-1101~1106→サロ481-1501~1506
- 2001~2006
- JR西日本が「スーパー雷鳥」用として1989年と1991年にサロ481形500番台のうち6両を吹田工場で再改造した車両で、車内は座敷部が2+1配置のリクライニングシートに、ビュフェ部がラウンジに改められ、側面には方向幕が新設された。クロ481形の改造種車搭載のCPが本車両に移設されており、常にクロ481形の次位に連結されていたが、2001年の「しらさぎ」転用時の編成替えで対象から外れて廃車となり、CPはモハ485形500番台に再移設された。また台車はサハ481形600・700番台に転用された。
- * サロ481-502~505・508・509→サロ481-2001~2006
クロハ481形
特急列車の短編成化と少なからず要求されるグリーン車需要に対応すべく、クハ481形の客室前位にグリーン室を設置した形式である。
- 1~13
- 1987~1988年にJR九州小倉工場でクハ481形200番台から1~8に、クハ481形300番台から9~13に計13両が改造された。グリーン席は3列×5=15席。1993年に1がクハ481-226に復元されたほか、2000年には9~13が廃車され、現存するのは200番台ベースの車両の4両。
- * クハ481-226・232~234・239・241・251・262・312・328・329・341・353→クロハ481-1~13
- 201~208
- 1986~1987年に「有明」熊本発着3両編成用としてクモハ485形100番台とともに登場、クハ481形200番台から8両が小倉工場で改造された。200番台区分だが、登場は0番台よりも先である。
- 全車がJR九州に承継された。グリーン席は登場当初3列×3席でシートは新幹線0系電車グリーン車の廃車発生品を用いたものであったが、承継後の1989年に全車0番台と同数の15席とし、シートも新型のものに交換された。201・203・205が現存。
- * クハ481-236・242・244・248~250・252・259→クロハ481-201~208
- 209~215
- こちらも1986~1987年に登場したが、このグループは「北近畿」用改造車で施工は吹田工場。グリーン席の座席配置は2+2で、普通席との仕切部の窓の大きさが縮小されている。1991年に213はクハ481-201へ復元、それ以外はクロハ183形800番台に改造されて区分消滅した。
- * クハ481-209~212・201・204・205→クロハ481-209~215
- 301~303
- クハ481形300番台からの改造車で、301・302は1986年吹田工場施工の「北近畿」用、303は1989年土崎工場で改造の「たざわ」用の車両である。301は1989年にクハ481-309へ復元、302は1990年にクロハ183形へ改造、303は2000年に復元と同時にリニューアル改造されクハ481-3348となり区分消滅している。
- * クハ481-309・354・348→クロハ481-301~303
- 1001~1030
- 1986~1988年、1993年に「たざわ」「はつかり」用として土崎工場と青森運転所でクハ481形1000・1500番台から改造した。「はつかり」用ではグリーン室定員を16名に増員したほか、奇数向きであることが特徴である。のちに3000番台化やクハ481形への復元。さらに3000番台改造と同時にクハ復元など複雑な改造経緯の車両もある。
- * クハ481-1018・1024・1012・1032・1026・1034・1036・1008・1014・1001・1003・1009・1015・1017・1021・1023・1031・1033・1039・1501・1013・1042・1002・1004・1028・1038・1040・1019・1035・1041→クロハ481-1001~1030
- 1501
- 元々は、485系への編入を予定して製造されたサロ181-1101。181系運用終了後、サロ481-1501に改造。さらに「ひたち」の老朽化先頭車取替用としてクハ481-1104に再改造されるも1993年に「ビバあいづ」用として再々改造された。他のクロハ481形がクハ481形ベースの改造車であるのに対して、この車両のみサロ481形ベースとなっているために種車の小窓が並ぶ窓配置となっている。181系グループの車体を使用した最後の車両でもあり、現在は勝田車両センターK40編成に組み込まれ、団体・臨時列車などの波動輸送で運用中。
- * サロ181-1101→サロ481-1501→クハ481-1104→クロハ481-1501
クロハ480形
- 1987年~1988年にクロハ481形0番台と同時に登場した形式であるが、クロ480形の半室を普通車化した点で別形式とされた。改造施工は小倉工場。前位側のグリーン席5列を残して普通車化されたが、52は1992年に復元改造を受けクロ480-12に復帰した。残った51も2001年に廃車されて形式消滅した。
- * クロ480-11・12→クロハ480-51・52
クハ481形
- 501・502
- 1984年2月ダイヤ改正で九州地区特急列車増発による先頭車不足解消のため、上越新幹線開業で保留車になったクハ181-109およびクハ180-5を鹿児島車両管理所で改造して登場した。車体は181系時代のままで屋根上前灯もなく、他の485系車両との床面高さや屋根の高さも異なっており違和感があった。また、元クハ180形の502は種車同様カバー無しで自動連結器がむき出しになっていた。塗色は、落成当初は501の連結器カバーを赤一色に変更した以外はボンネットの赤帯やグレーのスカートなど181系時代のままであったが、のちに赤帯抹消・スカートのクリーム色化などが行われている。
- 1986年11月改正で設定された「にちりん」の下関発着列車に充当された際、交直切替スイッチがないため同列車を小倉で運転を打切るというトラブルがあったため同スイッチを取り付けた。なお、検電アンテナは改造当初からクハ481形後期形車と同型のものを設置している。改造後1980年代は、1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属するような動きをしたが、501が1993年に南福岡で、502が1991年に鹿児島で廃車された。
- * クハ181-109・クハ180-5→クハ481-501・502
- 601~603
- 東北新幹線開業で保留車になったクロ481-3~5を1983年に鹿児島車両管理所で格下げ改造した車両。車掌室部分を客室化し、種車の小窓が並ぶ窓配置がそのまま残されているが、窓割と座席間隔は一致していない。座席は当時「サロンエクスプレス東京」への改造で不要となった14系座席車の簡易リクライニングシートを転用した。
- 3両ともJR九州に承継され、1980年代は1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属するような動きをしたが、601は1995年に廃車、602は1988年にクロ481-4に復元後1993年に廃車、603は静態保存されている。
- * クロ481-3~5→クハ481-601~603
- 701・751~753
- 701は1985年にサハ489形にクハ481形300番台に準じた運転台・MG・CPを取付けた車両で、改造施工は松任工場。AU13E形クーラー搭載の後期型車から改造されたため、新製車との差異は屋根上のクーラーの配置が異なること、運転室側面窓の後ろがやや間延びしていること、トイレと洗面所の位置が逆であることなどである。CPは運転台下にあり、搬入口は300番台同様に存在する。
- MG出力が160KVAの750番台は1986年に幡生車両所で改造。CPが床下搭載のため助手席下側のCP機器室搬入口がない。種車の関係でAU12形クーラー搭載の751・752が分割民営化時にJR西日本に承継され1991年に183系に改造。753がJR東日本に承継され、2001年にジョイフルトレイン「きらきらうえつ」に再改造されて区分消滅している。
- * サハ489-11・202・203・5→クハ481-701・751~753
- 801・802・851
- 「くろしお」で使用されていたクハ480形のうち「北近畿」転用車は、MG・CPの取付改造が行われクハ481形の本区分に編入された。
- 801・802は1986年に大宮工場改造されたが、MG・CP共床下搭載としたため、機器類は全面的に配置変えをしている。851はMGが160kVAによる区分で1987年に吹田工場で改造。
- クハ481-801を除いて1990年に183系800番台に改造されている。
- * クハ480-8・6・5→クハ481-801・802・851
- 1101~1108
- 常磐線で使用されていたクハ481形初期車置き換えのため、1989~1991年にかけてサロ481形1000・1500番台を先頭車改造と同時に普通車格下げした車両で、施工は郡山工場。グリーン車の窓配置がそのまま残されたため小窓が並ぶ。
- E653系の投入に伴い、「ビバあいづ」用のクロハ481-1501に改造された1両と、ジョイフルトレイン「せせらぎ」の種車となった2両以外は1999年~2000年に廃車となり廃区分番台となっている。
- * サロ481-1003・1004・1006・1501~1505→クハ481-1101~1108
- ロール式ヘッドマーク改造車
- 1970年代初頭に向日町運転所所属のクハ481-2~7・9~11・15~18・37・38が吹田工場で独特のロール式ヘッドマークに改造された。これは盗難防止と交換作業省力化という見地から行われた改造で、電動の自動巻取式を採用。故障時には、ヘッドマーク正面向って右側に取付けられたクランクハンドルの差込口で手動操作も可能なものであった。もちろん従来のプラスチックヘッドマークも装着可能である。向日町から転出後はロールマークは使用されていないが、差込口が残されているので識別は可能である。難点は、奥まって付いているため晴天の日中判読しにくいことであった。
- ロールマークで確認されている列車名
- *「つばめ」「はと」「しおじ」「うずしお」「みどり」「なは」「日向」「雷鳥」「しらさぎ」「北越」「はくたか」「有明」「白山」「かもめ」「にちりん」
- ビデオカー改造車
- 1980年より鹿児島車両管理所配置のクハ481-33・35・37・39にサービス向上の一環として、運転台仕切にスクリーンを設置、床面を雛壇式に改造してビデオ上映サービスが行われた。出入口付近には「ビデオ特急」のステッカーを掲出し、主に「有明」で使用された。しかしJR移行直前に上映を中止し、のちにビデオ機器が撤去されている。
- 仙台運転所配置ボンネット車タイフォン移設工事
- 仙台運転所配置のクハ481-19~30のタイフォンは、当初スカート部に設置されており、向日町配置車と同様にカバーがないタイプ、中折れ式のカバーを設置したタイプの両方が存在した。しかし、雪の多い東北地区を走行するため後に回転式タイフォンカバー装着車も登場し、さらに1970年代前半にはボンネット部に移設が行われている。また屋根上前灯カバーについてもホイッスル部のスリットから雪が入って中に溜まるのを防ぐため、カバー後方を切欠いている。そのために向日町配置車との区別が可能になった。
- クロ481-1~5・51~57も同様の改造工事を施工した。
- クハ481・クロ481-101も100番台で唯一スカート部にタイフォンを設置して登場したが、1973年に他車と同じ位置に改造された。その名残としてタイフォン上部に手擦が残っている。
- 向日町運転所100番台車キハ65形連結改造
- 1986年12月、「雷鳥」に大阪~金沢間で併結する形で七尾線に乗り入れる大阪~和倉温泉間に臨時特急「ゆぅトピア和倉」を運行開始することになったが、当時の七尾線は非電化であったため「ゆぅトピア和倉」はキハ65形気動車によるジョイフルトレインを用い、大阪~金沢間では「雷鳥」に無動力で牽引される形態をとった。そのため、向日町運転所所属の100番台車の多くが、運用上の制約を避けるために200番台・300番台車と同様な密着連結器への交換およびジャンパ連結器の設置などを施工した。
- 施工車両は次の車両。
- *クハ481-101・103・105・106・111・112・118~123
- 勝田電車区0番台車2編成併結運転対応改造
- 1993年以降「ひたち」の2編成併結の14両編成運転に対応すべく勝田電車区所属のクハ481-31・32・34・36・38・40に施工された改造。内容は、前面スカートの一部を欠取り、連結器の密着型への交換および制御回路用KE70形ジャンパ連結器を上り方は正面向って左側、下り方は右側に設けたため、引通しが片渡りとなり方向が固定された。
- 下り方の先頭となる車両にはジャンパ栓とジャンパ栓受けも設置されたが、これは同区の300番台・1100番台車にも設置された。栓受けは、他区所転出後もそのまま残された車両もある。
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クハ480形
1985年の「くろしお」増発には、経費節減のため新幹線開業などで余剰となった485系を投入して賄うこととなったが、不足する先頭車両を1984年~1985年に長野・広島・幡生の各工場と新津車両所でサハ481・489形から改造した。
クハ481形200番台に準じた貫通型運転台が取付けられたが、分割・併合運転を頻繁に行うため一枚貫通扉の簡単な構造としている。貫通扉の特急マークは落成当初一部車両が一般的な立体型のものを付けていたが、貫通路構成時に通行に支障をきたすため、すぐに平面型のものに交換されている。短編成用のためMG・CPは未搭載で、サハ489形からの改造車についてはCPを撤去している。またAU12形クーラー搭載の初期車も種車として用いられたほか、交流区間に一切乗り入れない運用などが当時は注目の的になっていた。
1986年に「くろしお」が381系に再度統一されることになり、南福岡電車区や「北近畿」用として福知山運転所に転属した。南福岡へ転属した車両は車体改修時に貫通扉を埋込まれるなどの改造がされたが、2000年までに全車廃車となった。また福知山転属車は1986年と1987年にクハ481形800・850番台に改造された後に1両を除き183系化改造された。
- * サハ481-12~19・サハ489-201・204・252→クハ480-1~11
クモハ485形
- 1~15
- クロ480形0番台とともに1984年~1985年にモハ485形の前位にクハ481形300番台と同様の運転台、機器室を設置し110kVA・MGおよびCPを搭載した車両。さらにその後ろに出入台を設置したため、定員は16名減って56名となった。改造両数はクロ480形0番台と同数の15両である。改造施工は鹿児島車両管理所・小倉工場・幡生工場。
- 全車JR九州に承継、一部が現存する。
- * モハ485-97・98・100~102・104・105・109・111・113・116・118・120・134・145→クモハ485-1~15
- 101~108
- 1986年に熊本発着分の「有明」の3両編成用としてモハ485形の前位にクハ481形300番台と同等の運転台を新設した。改造施工は鹿児島車両管理所と小倉工場。短編成用のためMG・CPを省略し定員64名を確保している。また、出入台および行先表示器は後位に移設された。
- 「ハウステンボス」に転用されたのち、現在では「K&H」カラーが施されている。全車JR九州で現存。
- * モハ485-235・236・240~245→クモハ485-101~108
- 201~207
1991年に「スーパー雷鳥」の七尾線乗り入れに伴い、付属編成用としてモハ485形の前位に切妻貫通型の運転台を設置した区分である。改造施工は吹田工場と松任工場。後位車端に電話室を設置。指定席車仕様として座席床面を70mm嵩上、R55系フリーストップ型リクライニングシートを1,010mmピッチで配置し、定員は60名。のちに「しらさぎ」に転用されたが、683系化で全車運用から外れて2003年に205が廃車、他は全車がクモハ183形200番台に改造されて区分消滅した。
- * モハ485-219・220・235・236・246・247・239~クモハ485-201~207
- 1001~1009
1986年に「たざわ」短編成化のために登場した。MG・CPは省略されているが、編成中のMGが1基のみとなってしまうため、非常電源装置と非常充電装置を搭載して冗長性を確保している。現在は廃車が進行している一方、1001と1009は1997年にジョイフルトレイン「ニューなのはな」の改造種車となっている。全車土崎工場改造。現存車はすべて秋田車両センター所属。
- * モハ485-1017・1048・1019・1072・1080・1079・1073・1023・1076→クモハ485-1001~1009
モハ485形
- 501~506
- 2001年の「スーパー雷鳥」編成「しらさぎ」転用に際し、編成から外されるサロ481形2000番台に搭載されていたCPを移設し改番した区分である。改造施工は金沢総合車両所。種車には「スーパー雷鳥」時代にトイレと洗面所を撤去し自動販売機が設置されていた車両が選定され、床下水タンク跡にCPを設置している。
- * モハ485-234・222・218・232・248・237→モハ485-501~506
サハ481形
- モハ485形電装解除車(JR九州)
- 1992~1994年に「ハウステンボス」用にモハ485形の電装解除をした車両(相方のモハ484形はこの時に廃車)。改造施工は鹿児島車両所と小倉工場。2000年までに全車廃車となった。
- * モハ485-93・126・153・159・163・195→サハ481同番号
- 201
- 1983年にサハ489-251から横軽協調装置とCPを取り外し481系化した車両である。改造施工は小倉工場。JR九州に承継されたが、1990年に廃車になった。
- * サハ481-1→サハ489-51→サハ489-251→サハ481-201
- 301~308
- 1989年「スーパーひたち」の登場に伴い、通常の「ひたち」は短編成モノクラス化されることになった。そのため車販準備室のある普通車が必要となり、サハ481形100番台が転用されたが、不足する車両は保留車のサロ481形1050番台・サロ183形1050番台・サロ189形50番台などから郡山工場で改造された。種車の形式は多岐に渡っているが、これらはすべて元々サロ481形0番台車からの改造車であり種車による差異はほとんどない。その後のE653系の投入による置き換えで2000年までに区分消滅している。
- * サロ481-126・129・1051・サロ183-1054・1051・サロ189-51~53→サハ481-301~308
- 501~503
- 「しらさぎ」用付属編成の捻出と「スーパー雷鳥」用編成の10両貫通編成化を目的として、1997年にサロ481形より金沢総合車両所で改造された。外観は種車と大差なく、窓割と座席間隔が合っていない。
- * サロ481-66・121・131→サハ481-501~503
- 601~604
- 2001年の「スーパー雷鳥」編成の「しらさぎ」への転用時にモハ484形を電装解除した車両。冷房装置がAU71形のままなのが特徴。
- * モハ484-333・335・332・331→サハ481-601~604
- 701・702・751
- 2003年の「しらさぎ」「加越」に683系投入→「雷鳥」転用の際、600番台のみではサハが不足するためにモハ485形を電装解除して登場した。751は1000番台を種車としたための番号区分。なお、このグループと600番台はトイレ・洗面所を撤去して、自動販売機を設置している。
- * モハ485-227・228・1029→サハ481-701・702・751
サシ481形
- 1000番台対応引通線改造車
- 1000番台は3MG化が行われ、トラブル発生時には運転席から給電区分変更できるなどの重装備が加わり、サシ481形も対応する引通線増設改造が土崎工場で施工された。本来ならサシ481形1000番台ともいえる改造ながら、番号変更は行われていない。
- * 1000番台が登場した1976年に57~59・61~63の6両が改造された。このグループは1973年、向日町運転所に新製配置、1975年に南福岡電車区に転属するも長崎本線・佐世保線の電化工事の遅れから休車扱いとなり、「つばさ」電車化時1000番台落成までの暫定投入で秋田運転区に再転属。他の車両が南福岡に復帰後も秋田に残って改造された。1982年に57~59が向日町に、61~63が金沢に転属しているが、全車1986年3月31日に廃車されている。
- * 増発のために1978年に金沢運転所から転入の1973年製の65~67、1974年製の75・76、サシ489形改造の80番台3両の計8両が追加改造された。1986年3月31日に全車廃車されている。
- 81~83
- 1978年、「白山」の食堂車廃止で捻出されたサシ489形から横軽協調運転装置の撤去・485系1000番台対応引通線改造を土崎工場で施工した車両。3両が改造されたが、1985年に81・82はサロ481形500番台に改造、83は1982年にサシ489形に復元されているが、1988年にスシ24 506に再改造されている。
- * サシ489-10・11→サシ481-81・82(→サロ481-508・509→サロ481-2006・2005)
- * サシ489-12→サシ481-83(→サシ489-83→スシ24 506)
サロ489形
- 101
- 1988年にサロ489-1004のMG・CPをサハ481-118→クロ481-2101の改造に供出するため、松任工場で撤去・改番した車両である。2003年に廃車されている。
- * サロ489-1004→サロ489-101
- 1051・1052
- 1990年にサロ481形1050番台に489系の横軽協調装置を長野工場で装着した車両。VIP対応車で防弾ガラスなどを備え、お召列車用としての装備を持つ。現在は保留車。
- * サロ481-122・116→サロ481-1053・1052→サロ489-1051・1052
モハ489形
- 「ラウンジ&コンビニエンスカー」改造車
- 1989年、「白山」用にモハ489-18~21の前位側の窓4枚分の座席を撤去して、ショーケースを備えたラウンジに改造したグループである。その際洗面所を冷蔵庫に、トイレを倉庫に改めている。この改造により、座席定員が32名に変更されたが、改番などは行われていない。
- 2002年に18が廃車となったが、残りの3両は現在も金沢総合車両所に所属。急行「能登」で使用されているが、すでにコンビニエンスストアの営業は行っていない。
サハ489形
- 51・52→251・252
- 1972年、サハ481形に横軽協調装置を搭載を行いサハ489形50番台に改造改番、翌1973年にEF63形との協調運転時にパンクさせる空気バネ台車への空気の再供給を短時間で行う改善のためCPを取付250番台となる。施工はすべて吹田工場。
- * サハ481-1・2→サハ489-51・52→サハ489-251・252
- 200番台
- サハ489形のうち、1~4には当初CPを搭載していなかったが、1973年に吹田工場で取付施工と改番を実施した。取付理由は250番台と同じであり、これによりサハ489-1~4は以後欠番となる。1985年と1986年に他形式に改造されて区分消滅した。
- * サハ489-1~4→サハ489-201~204
サシ489形
- 83
- 元は1974年に製造され金沢運転所に配置されたサシ489-12で、1978年「白山」の編成変更(3MG化。食堂車の廃止)によって、土崎工場で横軽協調装置を取外されると同時に485系1000番台対応の引通線追加改造が行われ、サシ481-83となり、秋田運転区に転属。その後1982年の「白山」食堂車復活のため横軽協調装置を松任工場で再装着してサシ489-83となった。再配置も古巣の金沢で、1985年には「白山」食堂車全廃後は保留車となるも、分割民営化直前の1987年3月11日に北長野運転所に転属、JR東日本に承継され1988年2月に新津車両所でスシ24 506に改造され尾久客車区に配置。現在も「北斗星」で活躍している。24系化改造の際には調理室の小窓がひとつ埋められている。
- * サシ489-12→サシ481-83→サシ489-83→スシ24 506
- 101・102
- サシ181形100番台を1972年に長野工場で489系に転用改造したグループ。台車は種車が181系のためマクラばりの低いTR69C形を改造の上で床面高さを揃えているが、181系と485系列では車体断面が微妙に違うために若干の違和感が見られる。また、調理室側回送運転台が増設されている。しかし内装には手が加えられておらず、特徴的なベネシャンブラインドや「あずさ」充当を記念して壁面に飾られた中央東線沿線の名峰のレリーフもそのまま残されていた。2両とも1986年に廃車となり、JRには承継されなかった。
- * サシ181-102・103→サシ489-101・102
津軽海峡線対応車
青森車両センター所属車のうち
海峡線(
青函トンネル)運用に充当するモハ484形は第1パンタグラフを高速走行に優れたPS26B形への換装。制御車にはATC-L形が設置されている。また、1000番台の制御車に関してはATC搭載のためにCPが床下に移設されている。
「あいづ」充当車専用改造
1993年、「あいづ」の上野~郡山間が廃止されたが、残存運転区間が64.6kmと短距離であったことから、様々な特色が設けられた。また、その後「あいづデスティネーションキャンペーン」で復活した際も独自改造が行われた専用編成が投入されている。全編成とも仙台車両センター所属、郡山総合車両センターが改造施工を担当した。
- 「ビバあいづ」編成
- 1993年に登場した編成。勝田電車区所属の6両編成に以下の改造を行い投入した。
- * 銀色をベースとした専用塗装。
- * 先頭車運転室屋根上部前灯の撤去。
- * クハ481-1104の上前位を定員16名のグリーン室に変更し、クロハ481-1501に改造。
- * 3号車に組み込まれたモハ485-1008を定員0名のフリースペース「インビテーションカー“赤べこ”」に改造。車内は会津若松市の歴史や観光案内、物産品の展示などが行われていたが、1998年12月に再び座席車に復元されてその使命を終えた。
- 2002年で運用を終了し、MM'ユニット1組(1008)が廃車され、4両が勝田電車区に再転属。現在では塗装変更され、団体・臨時列車で運用されている。
- *←会津若松クロハ481-1104+モハ485・484-1053+モハ485・484-1008+クハ481-345→郡山・喜多方
- 「あいづデスティネーションキャンペーン」編成
- 「ビバあいづ」運転終了後に転属してきた青森運転所旧A7編成を改造して「あいづデスティネーションキャンペーン」で2005年夏の臨時「あいづ」に投入した編成と2006年夏のキャンペーン用に投入された編成(青森車両センター旧A3編成)の2本があるが、どちらも次の共通する改造がなされている。
- * クロハ481形をクハ481形に復元。
- * 座席交換とシートピッチの拡大(1,100mm定員380名→319名)。
- * 保安装置にATS-P形に追加。なお、06年度改造車はATS-Ps形も追加。
- * 外板塗装の変更。2005年改造車は、東武100系電車と同色の塗装。2006年改造車は、会津大学短期大学部学生のデザインをベースとした赤と黒の2色に「あいづデスティネーションキャンペーン」のマスコットキャラクター「あかべぇ」をまとわせた専用塗装に変更している。
- 2005年改造車は、キャンペーン終了後に先頭車正面の列車愛称表示器を撤去、運転台部分を1枚窓の新しい構体へ交換、3号車の業務用室を多目的室へ変更、東武ATSや列車無線、自動放送装置(声は堺正幸)搭載などの再改造を行い、小山車両センターに転属し、東武鉄道乗り入れ特急「日光・きぬがわ」に投入されている。
- *←会津若松・仙台クハ481-1017+モハ485・484-1055+モハ485・484-1058+クハ481-334→郡山・喜多方・新宿・上野
- 2006年改造車は、現在も仙台に所属し快速「あいづライナー」で使用中。
- *←会津若松・仙台クハ481-1015+モハ485・484-1032+モハ485・484-1077+クハ481-1016→郡山・喜多方・新宿・上野
訓練車
1991年にJR東日本では、乗務員を対象に定期的に行う異常時の取扱いや応急処置等の教育訓練のため、保留車を活用して訓練用編成を整備することになった。そのために485系でもモハ484形を種車にモヤ484形に改造した訓練車が2編成整備され、青森運転所と勝田電車区に次の編成が配備された。
- 青森運転所訓練車編成(A13編成)
- 青森←クハ481-24・モハ485-60・モヤ484-1・クハ481-16→上野
- 勝田電車区訓練車編成(K26編成)
- 青森←クハ481-17・モハ485-61・モヤ484-2・クハ481-26→上野
訓練車編成は、21世紀になると殆ど壊滅的になったボンネット形クハを東日本地区で見られる数少ない存在のために人気を得ることになった。そして2001年には勝田所属であるクハ481-17が60Hz仕様の赤スカートに復元されている。青森車が2005年、勝田車も2007年に廃車された。
- モヤ484-1・2
- 改造施工は1が青森運転所、2が郡山工場(現・郡山総合車両センター)。室内は座席を一部撤去して、テーブルとパイプ椅子を持込みミーティングルームとし、備品収納用ロッカーや視聴覚教育用モニタ、ビデオを搭載するためのラックが装備されている。外観上は白線2本と「訓練車」の表記が追加され、一般車とは区別されている。
JR九州車体改修車
- 783系以降の新型車との格差解消のためにJR九州が行った車内外の改修。
- 外板塗装を水戸岡鋭治主宰のドーンデザイン研究所が提案した物に変更
- グリーン車の3列シート化(4列シート車のみ)
- グリーン車、喫煙普通車へ空気清浄機を取付
- トイレへ換気扇の取付
- クロ480形組込5両編成のモハ485形はトイレ・洗面所を業務員室・車販準備室に変更
- 普通席リクライニングシートの交換(一部はモケット張替のみ)
この結果、現存車はすべて改修車となり、以下の6種類が登場した。
- KAMOME EXPRESS(消滅)
- MIDORI EXPRESS(消滅)
- RED EXPRESS(Dk10~16、Do31編成)
- HUIS TEN BOSCH(Do1・3~7、Dk8編成)
- 「ハウステンボス」時代は4両でMc(緑)+M'(青)+T(黄)+Tc(緑)の配色だったが、「きりしま」「ひゅうが」に転用する際Tが廃車され、Mc(緑)+M'(青)+Tc(緑)の「K&H色」となった。
- KIRISHIMA EXPRESS(2000年に一旦消滅したが、2004年に復活:Dk9編成)
- 旧国鉄色(2000年にミレニアム記念で登場、現存:Do2編成)
ジョイフルトレイン
485系をベースとしたジョイフルトレインは、次に示す車両がある。すべてJR東日本による改造・所有となっている。
- リゾートエクスプレスゆう
- 宴
- 華
- ニューなのはな
- やまなみ
- せせらぎ
- NO.DO.KA/のどか
- きらきらうえつ
- 彩(いろどり)
なお、編成全体の詳細はジョイフルトレイン(「リゾートエクスプレスゆう」と「NO.DO.KA/のどか」については183系も)を参照。
型式
全車とも改造車で、車体構体を流用したケースや、下回りだけ流用してまったく新しい車両構体に載せ換えをした車両まで様々である。
- モロ485形
- 1~9
2以降はすべて構体を新規に製造して載せ換えて、お座敷(和式)電車として誕生している。また、2・4・8・9がテレホンカード式公衆電話、3・5・7がトイレを備えるほか、休息室や更衣室も備えている。
- 1:「リゾートエクスプレスゆう」の中間電動車。1998年10月の和式化で定員が33名→28名と変更されている。
- * サロ189-6→モロ485-1
- 2・3:「宴」の中間電動車。定員はともに28名。
- * モハ485-56・37→モロ485-2・3
- 4・5:「華」の中間電動車。定員はともに28名。
- * モハ485-87・149→モロ485-4・5
- 6・7:「ニューなのはな」の中間電動車。6は定員が畳敷44・座席64名。7は畳敷40・座席56名。
- * モハ485-1017・1076→クモハ485-1001・1009→モロ485-6・7
- 8:「やまなみ」の中間電動車。定員28名。
- * モハ485-58→モロ485-8
- 9:「せせらぎ」の中間電動車。定員32名。
- * モハ485-1071→モロ485-9
- 1007・1024
「彩(いろどり)」の中間電動車。構体は種車の物を流用。室内は4人用簡易コンパートメントで構成され、フルフラットにすることも可能である。3号車(1024・定員28名)にはマッサージチェアとパウダールーム、5号車(1007・定員22名)には車いす対応座席とトイレ、添乗員室を装備。
- * モハ485-1007・1024→モロ485-1007・1024
- モロ484形
- 1~11
パンタグラフ付中間電動車で各車ごとで誕生の経緯が異なる。-4以降はすべて構体を新規に製造して載せ換えてお座敷(和式)電車として誕生している。本グループのパンタグラフはオリジナルのモハ484形と異なり、すべて1基搭載に変更されている。また、4~8・10・11の低屋根部はミーティングルームを備えている。
- 1:モハ484-701の項目を参照のこと。
- 2・3:「リゾートエクスプレスゆう」。1998年10月の和式化で定員が39名→32名と変更されている。
- * サロ189-7・8→モロ484-2・3
- 4・5:「宴」。定員24名。
- * モハ484-56・37→モロ484-4・5
- 6・7:「華」。定員24名。
- * モハ484-87・251→モロ484-6・7
- 8・9:「ニューなのはな」。定員は畳敷28・座席40名。低屋根部に8は車販準備室・テレホンカード式公衆電話を、9は業務室・多目的室、畳敷への転換機構のない固定クロスシート4組を備える。
- * モハ484-1017・1076→モロ484-8・9
- 10:「やまなみ」。定員24名。
- * モハ484-58→モロ484-10
- 11:「せせらぎ」。定員32名。
- * モハ484-1071→モロ484-11
- 1007・1024
「彩(いろどり)」。構体は種車の物を流用。2号車 (1024) は、室内は4人用簡易コンパートメントで構成され、フルフラットにすることも可能。4号車 (1007) は、フリースペースでソファとテーブルを備えている。「BOSE」社製のスピーカーと液晶ディスプレイを設置。車端部に設けられた多目的室は扉で仕切ることが可能。反対側には喫煙室も設置される。種車の第2パンタグラフを撤去し、第1パンタグラフは485系初となるシングルアーム式PS32形を搭載しており、狭小トンネルである中央本線への乗り入れを可能としている。
- モハ484-1007・1024→モロ484-1007・1024
- クモロ485形
- 1:クモハ485形700番台を参照。
- 2:「リゾートエクスプレスゆう」の下り(常磐線基準)向き制御電動車。1998年10月の和式化で定員が21名→20名と変更されている。トイレ・洗面所を装備。
- * サロ189-5→クモロ485-2
- クロ481-1502・1503
「彩(いろどり)」の制御車。室内は1列+2列の回転リクライニングシートをレイアウトした。運転室背後に談話スペースを設置し、32Vの液晶モニタには前面展望映像も映し出される。前面の愛称表示機も市販の40Vワイド液晶モニタに交換されている。中央本線の狭小トンネル対策のために静電アン テナを後位に移動し、屋根上のヘッドライトを撤去している。
- クハ481-1502・1503→クロ481-1502・1503
- クロ485形
すべて構体を新規に製造して載せ換え、お座敷(和式)電車として誕生している。全車MG・CPを搭載。3を除いた先頭部に展望室を持つ。
- 1:「宴」の奇数向き制御車。定員24名。
- * クハ481-25→クロ485-1
- 2:「華」の奇数向き制御車。定員24名。
- * クハ481-21→クロ484-2
- 3:「ニューなのはな」の奇数向き制御車。定員は畳敷32・座席48名。
- * サロ481-1007→クロ485-3
- 4:「やまなみ」の奇数向き制御車。定員24名。
- * クハ481-40→クロ485-4
- 5:「せせらぎ」の奇数向き制御車。定員28名。「やまなみ」と併結運転するために高圧用のKE10形ジャンパ栓がなくなり、制御用のKE70形が取り付けられている。外観は「やまなみ」と比べて前灯が四角形になり、上部にプロジェクタランプが追加されている。
- * サロ181-1102→サロ481-1502→クハ481-1105→クロ485-5
- クロ484形
3以降は構体を新規に製造して載せ換えてお座敷(和式)電車として誕生している。全車MG・CPを搭載。3・4・6・7は先頭部展望室を設置。
- 1:クハ484-701の項目を参照のこと。
- 2:「リゾートエクスプレスゆう」の偶数向き制御車。1998年10月の和式化で定員が21名→20名と変更されている。
- * サロ183-1008→クロ484-2
- 3:「宴」の偶数向き制御車。定員24名。
- * クハ481-22→クロ484-3
- 4:「華」の偶数向き制御車。定員24名。
- * クハ481-28→クロ484-4
- 5:「ニューなのはな」の偶数向き制御車。定員は畳敷32・座席48名。
- * サロ181-1106→サロ481-1506→クロ484-5
- 6:「やまなみ」の偶数向き制御車。定員24名。
- * クハ481-34→クロ484-6
- 7:「せせらぎ」の偶数向き制御車。定員28名。「やまなみ」と併結運転するために高圧用のKE10形ジャンパ栓がなくなり、制御用のKE70形が取付けられている。外観は「やまなみ」と比べて前灯が四角形になり、上部にプロジェクタランプが追加されている。
- * サロ181-1104→サロ481-1504→クハ481-1107→クロ484-7
- サロ485形
「リゾートエクスプレスゆう」のラウンジカー。MG・CP搭載。「ゆう」編成では唯一、構体を新規に製作して載せ換えている。ドーム型の展望席やイベントスペースを設置。
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- モハ485-701・モハ484-701・702
モハ484は低屋根化してパンタグラフを1基搭載し、狭小トンネル区間走行にも対応させている。
- モハ484-701:元は1990年8月に登場した「シルフィード」の中間電動車。トイレ・洗面所・更衣室を設置。2001年10月にカーペット敷き電車に再改造し、「NO.DO.KA/のどか」と改称、定員が30名→36名に変更された。
- * サロ189-3→モロ484-1→モハ484-701
- モハ485・484-702:「きらきらうえつ」のMM'ユニット。モハ485-702は3号車で定員40名、リクライニングシート装備の座席車で、業務用室・多目的室を設置している。モハ484-702は4両編成の2号車で和風ラウンジカーとなっており、パンタグラフ低屋根部に茶屋(ミニビュフェ)と18名分のボックス席(フリースペース)、反対側車端部に映像ゾーンを持つ。
- * モハ485・484-1078→モハ485・484-702
- クモハ485-701
元は1990年8月に登場した「シルフィード」の制御電動車。165系改造車である「パノラマエクスプレスアルプス」(現・富士急行2000形電車)と同じように運転席を2階にし前面展望スペースを備える。2001年10月にカーペット車化再改造がされた。
- サロ189-2→クモロ485-1→クモハ485-701
- クハ485-701・クハ484-701・702
- クハ485-701・クハ484-702:「きらきらうえつ」の制御車。種車の下回りを流用し、構体を新規に製造して載せ換えた。定員38名。トイレ・洗面所、パイプいすを備えた簡易展望スペースが設置されている。
- クハ481-349→クハ485-701
- サハ489-5→クハ481-753→クハ484-702
- クハ484-701:元は1990年8月に登場した「シルフィード」の制御車。クモハ485-701と同様の前面構造を持ち、MG・CPのほか非電化区間でサービス用電源を自力で供給するための発電用ディーゼルエンジンを床下に搭載。2001年10月の再改造で定員が24名→32名に変更された。
- サロ189-4→クロ484-1→クハ484-701
他系列への改造車
181系電車への改造車
- サロ481-26~28→サロ181-1051~1053
- 改造詳細はこちらを参照のこと。
183系電車への改造車
- 改造詳細・西日本所属車の番号区分についてはこちらを参照のこと。
JR東日本所属車
- サハ489-7・9、サハ481-107・105・104→クハ183-101~105
- サハ489-8・6→クハ183-151・152
- サハ481-110・111→クハ182-1・2
- サハ481-117・103・112・104・102→クハ182-101~105
- サロ481-90・98・112・133→サロ183-1051~1054
- 1051・1054は、1989年にがサハ481形300番台に格下げ改造のうえ勝田電車区へ転出した。その後、E653系の投入に伴い2000年までに全車が廃車されている。
- 1052・1053は、1988年サロ481-98・112に復元改造(同時にシートの3列化などのグレードアップ改造も施工)されている。
JR西日本所属車
- 交流機器の撤去、もしくは使用停止によって183系化された200・700・800番台の改造車。制御回路は485系と共通しており、直流区間内であれば無改造の485系との併結運転も可能であるが、本来の183系であるJR東日本車とは制御回路が違うことから併結はできない。
189系電車への改造車
- モハ485-109・203~205→モハ189-501~504
- モハ484-301・305~307→モハ188-501~504
- サハ481-113・106→クハ188-101・102
- サハ481-101・115→クハ188-601・602
- サロ481-110・111・113→サロ189-51~53
- 改造詳細はこちらを参照のこと。
113系電車への改造車
- サロ481・26・27→サロ181-1051・1052→サロ110-302・303
- サロ489-1~5・10~12・7・9・17・18→サロ110-351~362
- サロ489-19~22・24、サロ481-93・95・96→サロ110-1351~1358
- 改造詳細はこちらを参照のこと。
24系客車への改造車
- サロ481-52・101・102→オハ24 301~303
- 1990年に「なは」のレガートシート車へ3両が改造された。車体内外の改造のほか、引通回路の変更、ブレーキ装置のCL化が行われている。
- サシ489-3・4、サシ481-52→スシ24 1~3
- JR西日本宮原総合運転所所属。1988年イベント用に鷹取工場で改造後、翌年からは「トワイライトエクスプレス」で使用されている。
- サシ481-67・75・76・64・68、サシ489-83・7、サシ481-50→スシ24 501~508
- 501~503・508がJR北海道札幌運転所、504~507がJR東日本尾久車両センター所属。1987年~1989年に「北斗星」用に改造された。車体色・引通回路の変更、ブレーキ装置のCL化、耐寒耐雪構造の強化、青函トンネル通過に伴う防火対策、回送運転台の撤去、ダイニング内装のグレードアップと食堂座席定員の変更(40名→28名)が施工されている。
詳細は国鉄24系客車も参照のこと。
保存車・民間転用車両
鉄道車両としての使命を全うし、廃車後に静態保存やカットモデルとなる以外に車両を丸ごと他の施設に転用する例もある。485系の場合は圧倒的に食堂車が多いが、閉店→解体の運命をたどっている車両も少なくない。
- 廃車後も解体を免れてJR九州小倉工場に留置されていたが修復工事を行い、2003年に開館した福岡県北九州市門司区の九州鉄道記念館で保存、一般公開されている。
- JR東日本勝田車両センターに所属していた訓練車編成中の2両を郡山総合車両センターでモヤ484-2はモハ484-61に復元、また屋根の色を灰色から国鉄時代の銀色に、クハ481-26の機首部分の前灯をシールドビームから本来の白熱灯に戻すなど整備の上2007年5月に大宮総合車両センターへ輸送し、同年10月埼玉県さいたま市大宮区に開館した鉄道博物館に保存。
- 茨城県鹿嶋市で個人経営のレストランに転用された。車両には少々痛みや経年変化は見られるが、現在も営業中。
- 岩手県盛岡市にある太田スポーツセンターの横で喫茶軽食堂として1988年頃にオープンしたが、1990年代後半には閉店となっている。
- 1989年頃、京浜東北線(東海道本線)蒲田駅前で「グルメステーション蒲田」に転用され、その後ラーメン店に改装されるも再び閉店。車両も撤去・解体された。
- 1986年4月、西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)前にサシ481-26を転用したイタリアンレストラン「ヴェズビオ」がオープンした。同店はおリからのバブル景気とイタ飯ブームに乗り、支店を南宮崎駅前にサシ481形(車番不明)、川内駅にサロ481-16を使い開業、小倉駅前にはサシ481-24を使ったフレンチレストラン「トランドール」も開店させた。経営母体は、国鉄九州総局→JR九州。しかし、景気の後退による利用者の減少、施設の老朽化により閉店し、車両もすべて解体された。
- 北海道勇払郡むかわ町字汐見にあるドライブインに転用されたが、現在ではすでに閉店し放置された状態とのこと。国鉄分割民営化時にはJR北海道へ承継された車両で、1990年に廃車後、サハネ581-14・36と共にこの場所に移設された。サハネ581形の方は現場で横転しており、状態は非常に悪い。
運用実績
国鉄時代
485系は北陸特急「雷鳥」「しらさぎ」用として登場し、さらに東北方面や山陽方面に進出、「
つばめ」「
はつかり」「
つばさ」「白鳥」などに充当された。その後は新幹線の開業により、短距離・短編成の特急を多く生み出し、民営化に至る。
北海道地区
1974年4月~1980年9月、札幌運転所に配置。詳細は
こちらを参照。ただし、分割民営化時にJR北海道へ承継された車両がある。詳細は
こちらを参照。
東日本地区
東北本線優等列車沿革も参照のこと。
東北を中心とした東日本地区での使用車両は、仙台運転所→仙台電車区(仙台車両センター)・青森運転所(青森車両センター)・秋田運転区→南秋田運転所(秋田車両センター)・勝田電車区(勝田車両センター)・上沼垂運転区(新潟車両センター)の各所に配置された。
1965年、仙台運転所に44両を配置し「ひばり」「やまびこ」に6M4Tの10両編成で運用を開始。1968年のダイヤ改正では奥羽本線山形以南電化により「やまばと」「あいづ」も運転を開始するが、板谷峠越えのためにMT比2:1。磐越西線内ホーム有効長の関係から9両に抑えられかつ食堂車を連結する制約のためにクロ481形組込6M3T編成に組換えられた。しかしその後も増発と長編成化され、1972年から1973年にかけて東北地区の485系は大きな変化を迎えることになる。
- 1972年3月15日国鉄ダイヤ改正
- 「やまびこ」2往復、「ひばり」2往復、「やまばと」1往復増発。
- 1972年10月2日ダイヤ改正
- 一部列車のエル特急化。
- 羽越本線全線電化により、「白鳥」「いなほ」の電車化。「いなほ」は1往復増発の2往復になり、増発分は青森まで運転区間を延長。
- 常磐線特急「ひたち」の電車化。上野~平(現・いわき)・原ノ町・仙台で5往復運転。
- 「ひばり」2往復、「やまびこ」2往復増発。
これらの大増発により仙台運転所に続いて青森運転所にも485系を配置。さらに増備は続き、11月3日からは休日運転の「やまびこ」1往復を運転開始。翌1973年3月1日からは季節列車の「はつかり」1往復の運転がされた。そして1973年1月31日からは、「ひばり」にグリーン車2両組込の13両編成も登場し、以下のようになった。
- 仙台運転所の編成
- TscM'MM'MTdM'MTc(6M3T)
- TscM'MM'MTdTM'MM'MTc(8M4T)
- TscTsM'MM'MTdTM'MM'MTc(8M5T「ひばり」専用編成)
- 青森運転所の編成
- TcTsM'MM'MTdM'MM'MTc(8M4T)
- TcTsTsM'MM'MTdM'MM'MTc(8M5T「白鳥」専用編成)
- 当時、青森運転所の運用は長距離かつ仙台・盛岡・秋田などで停泊が続き、1週間近く帰所できず、不定期列車で丸一日上野口で停泊や折り返し間合の時間を長めに取られた運用も存在した。これは首都圏側に485系が配置されていなかったため、車両故障や雪による遅延でダイヤが混乱した際、後続の折り返し列車に停泊編成を充当させることで定時性確保や不用意な運休を避けるための措置である。しかし運用変更を多用すると検修周期の問題が発生し、予定外の場所で検査切れになるケースもあるため、青森⇔上野で回送列車を仕立てたり仙台運転所の車両で代走させるなど青森運転所の苦労は絶えなかったという。
- 度重なる増備にも関わらず、車両不足や運用に余裕がないなどの諸事情で本来特急列車として運転されるところを455・457系電車による急行列車として運転された列車に臨時急行「エコーもりおか」と仙台~青森の「くりこま」がある。詳細についてはこちらも参照。
1973年10月1日ダイヤ改正では「はつかり」・「ひばり」2往復、「ひたち」も1往復増発。1975年3月10日国鉄ダイヤ改正でさらに「ひたち」が2往復増発で8往復体制となるが、仙台運転所の12両編成からはクロ481形とサハ481形をクハ481形とサロ481形に差替えた。
1975年11月、奥羽本線秋田電化によりキハ181系で運転されていた「つばさ」を電車化。秋田運転区に当初は200番台、翌年から1000番台が投入されるが、この頃が東北方面485系特急のピークである。
- 「つばさ」は1日2往復運転のために本来3編成でも運用が可能なところ、有効時間帯の見直しも含め4編成での運用を行った。これは豪雪地帯である奥羽本線内で雪による遅延に備え、当初は在来車による運行であるために用心したからである。そのため秋田運転区には、使用48両・予備車を含めて72両と大量配置がなされた。
- 他の東北特急のグリーン車が上野寄りの1号車(クロ481形使用列車)、2号車(583系も含む)だったのに対して「つばさ」では6号車に組込まれていた。これは3MG方式を導入する1000番台投入時に再び編成変更して、乗客などに混乱を与えない配慮もあったが、トラブル発生時に運転台から給電区分を簡単に変更できるようにするため、編成中央部付近にMG・CP装備のサロ481形1000番台が組成されている方が都合がいいためでもある。
- また、上野口特急グリーン車の連結位置に関しては、信越・上越方面の列車も含めて連結位置を統一する動きがあり、1978年10月の改正で仙台所のクロ481形組込編成と臨時列車として設定されていた「白根」(183系1000番台7両編成)を除き、上野口定期特急電車のグリーン車は6号車(2両組込編成は7号車も)に統一された。
1978年10月2日国鉄ダイヤ改正では、「はつかり」1往復、「ひばり」2往復、「ひたち」3往復増発、「やまばと」→「つばさ」1往復区間延長をされたが、東北本線、高崎線で規格ダイヤが導入され、特急列車の所要時間が軒並み増大した。また、仙台の9両編成がサシ481形→サハ481形に置き換えられたほか、食堂車の営業を休止する列車も登場し、1982年に東北新幹線と上越新幹線が開業するとこれら多くの特急は廃止・削減され主力は新幹線連絡列車となり、盛岡発着は青森へ「はつかり」、秋田へ「たざわ」、新潟発着は「いなほ」が設定され、それまでの「いなほ」は「鳥海」と改称した。
1985年3月のダイヤ改正では東北・上越新幹線の上野開業により「やまばと」が全廃、「鳥海」も臨時列車に格下げとなり、東北本線で上野に出入する485系特急は「つばさ」1往復と共通運用の「あいづ」だけとなる。東北特急は新幹線連絡の性格を強め、短編成化が行われた。また、「ひたち」はこの改正で勝田電車区に移管となり、仙台から485系が消滅。合わせてこれまでの急行「ときわ」をすべて格上げすることにより一気に下り12本、上り11本が大増発され、下り24本、上り23本にまでになった。これに合わせて九州からボンネット形のクハ481形が大挙して転入している。
そして1986年11月1日に国鉄最後のダイヤ改正が行われ、上沼垂運転区にも485系が配置され、「白鳥」を受持つことになる。この体制で国鉄分割民営化を迎えることになった。
西日本地区
西日本地区485系の歴史は、1964年に向日町運転所に新製配置された481系41両が「雷鳥」「しらさぎ」へ投入されたことに始まる。
また、東海道新幹線開業により新大阪~博多に運転区間を変更した「つばめ」「はと」は、車両数の問題と交流区間の走行距離が短かったことから直流用の151系で運転されたが、翌1965年10月には九州特急用の481系が落成。「つばめ」が名古屋~熊本間の特急となり、485系グループの東海道・山陽方面での運用を開始した。
向日町への481系増備に伴い151系は181系へ改造されるが、関東地区での増発のために181系は転出を繰り返し、1973年に向日町から181系は姿を消す。一方、1969年には上野~金沢間運転の「はくたか」も「雷鳥」と共通運用を組んで向日町で受持ち、東は上野、西は熊本までの広域運用を行うことになる。
- 「はくたか」の交流区間は60Hzのため、金沢で「雷鳥」を介して向日町の481・485系と共通運用を組むことになった。しかし、冬期は豪雪地帯で名高い上越線を経由するため下り「はくたか」は大幅に遅延するケースも多く、そのような場合には「雷鳥」から上り「はくたか」に入る予定の編成を「雷鳥」で大阪に戻し、遅延した下り「はくたか」を上り「はくたか」で上野に送り返す運用にプログラムされていた。しかし、こちらも「はくたか」の遅延が慢性化し、折り返し運用が続くと当該編成が向日町に戻ることができず、検修の問題や金沢運転所の489系による代走などの弊害が発生していた。
1972年3月15日、山陽新幹線岡山暫定開業により連絡特急が岡山始発になるも「しおじ」は大阪発着として残存。「有明」への投入により西鹿児島(現・鹿児島中央駅)へ進出、また4月27日には日豊本線の「にちりん」にも投入され、九州島内運用も受け持つようになる。さらに、1974年4月25日には南宮崎電化で運用区間が延長、向日町の485系は新潟・上野・宮崎・鹿児島とさらに広域運用が行われるようになった。しかし、1975年3月10日に山陽新幹線博多開業により、山陽本線昼行特急は全廃。向日町の485系は北陸運用使用車を除いて南福岡と鹿児島に転属した。
一方、北陸地区への485系車両の配置は、1972年の「白山」運転開始の翌年に489系を向日町から金沢運転所へ転属させ、「白山」のみならず「雷鳥」「しらさぎ」「北越」にも投入した。1975年に「雷鳥」が米原経由から湖西線経由に変更となり「加越」が登場すると485系も金沢に配置される。その後489系は「白山」の間合い運用で「あさま」への投入、1978年には3MG化と食堂車が廃止され「白山」と上越線経由の「はくたか」は共通運用化。上越新幹線開業で「はくたか」廃止、食堂車の復活→再廃止などがあったが、分割民営化を前に「あさま」用189系補完のため27両が長野運転所に転属している。
また、1985年3月のダイヤ改正では紀勢本線の「くろしお」を4往復増発する際、他地区で余剰となっていた485系44両を日根野電車区に配置し充当したが、諸事情により翌1986年11月1日のダイヤ改正で福知山運転区と南福岡電車区に全車転出した。詳細はこちらを参照のこと。
九州地区
九州地区における485系の運用は1965年に始まるが、配置区所は向日町運転所で本州からの直通運用が主体であった。1975年の山陽新幹線博多開業により本州からの昼行特急がなくなり、余剰車が
南福岡電車区と鹿児島運転所に転入。後に青森運転所や仙台運転所からも車両が転入するが、一部は本州に再転出した。九州地区に新製配置された車両は長崎本線・佐世保線電化用名義のMM'ユニット9組18両のみで、書類上は南福岡電車区に配置されたものの同所では使用されず秋田運転区に転属しており、純粋な意味での新造車配置はない。
1976年には長崎本線・佐世保線全線電化より、「有明」「にちりん」に加え「かもめ」「みどり」にも充当されるようになる。当初は大部分の列車が肥前山口駅で併結・解結を行っていたが、1986年11月の改正ではすべて分離運転となった。以降、民営化後の783系登場までこの体制が続くことになる。
1985年3月および1986年11月の改正では充当列車は変わらないものの、急行列車からの格上げや増発、また1984年2月改正では九州から583系が撤退し、運用本数は大幅に増加した。同時に増発による短編成化も推進され、先頭車化改造車や半室グリーン車が登場しており、「有明」向けに3両編成も登場している。
1980年代に入ると初期車の置き換えが始まり、鹿児島所属の481系電動車とAU12形搭載のサシ481形は1985年までに淘汰された。またこの頃から、モハ484形の第2パンタグラフの撤去も始まり、撤去形態は碍子のみ残す物や完全撤去など様々であった。
1987年3月には当時非電化だった豊肥本線熊本~水前寺間で「有明」をDE10形ディーゼル機関車の牽引・推進により、当初はスハフ12形、その後は電源車に改造したヨ8000形28000番台を連結して、毎日運転の臨時普通列車として入線させた実績がある。この乗り入れは後に783系投入後も引続き1994年7月まで行われた。
分割民営化時には、JR九州に324両が承継された。
広域転配
485系で3電源方式を採用した真の狙いは、電源方式を選ばない特性から全国に渡る広域転配を可能にしたことである。実際に、国鉄時代には以下のような広域転配が何度となく行われた。
山陽新幹線博多開業
1975年3月10日国鉄ダイヤ改正により山陽本線の昼行特急は全廃され、新幹線連絡の九州島内特急が増発されることになった。そのため北陸方面で運用する車両を除き、向日町運転所の485系が南福岡電車区と鹿児島運転所に転属した。
- 鹿児島には、モハ481・480形を含む初期車中心、南福岡には200番台中心に振分けられている。これは、長崎本線・佐世保線電化時に分割・併合運用を行うことが予定されていたためである。
- 上記のような鹿児島向けと南福岡向け、そして向日町に残る車両の振分けをするため、半年近く前から編成替えや運用に細心の注意を払い準備していた。転属のための回送列車を極力減らし、そのまま改正ダイヤでの新列車運転をスムーズに行うため、前日に九州や下関、広島で運用が終了する編成は軒並み転属車で運転された。
- 少数ではあるが、東北地区の予備車確保のため青森運転所と仙台運転所に転属した車両もある。
奥羽本線・長崎本線・佐世保線電化
奥羽本線の山形~秋田間電化により、キハ181系で運行されていた「つばさ」に耐寒設備を強化した1000番台の投入が1976年に予定されたが、電化工事は1975年秋に完成していた。
一方、長崎本線・佐世保線電化は1975年に完成予定であったが、工事の遅れで1976年に延期された。そこで、「かもめ」「みどり」充当用として確保されたまま南福岡で休車扱いとなっていた200番台車を一時的に秋田運転区に転属させ、「つばさ」に充当することになる。
また長崎・佐世保特急は分割併合のためクハ481形200番台の使用を予定していたが、逆に東北地区では隙間風の侵入や居住性で乗務員からの不評も多く300番台の投入が要求されていた。また「みどり」は4両編成でかつグリーン車連結のために仙台所属のクロ481形を捻出させるなど複雑な事情も絡み合っていた。
- 向日町→南福岡に転属した編成
- TcM'MTsTsTdM'MM'MTc(6M5T)
- 「つばさ」編成
- TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc(8M4T)
- 「かもめ」「みどり」編成
- TcM'MTsTM'MTc+TcM'MTsc(6M6T)
そのため山陽新幹線博多開業によって、向日町から南福岡に転属した編成からは、南福岡に残留する車両と秋田に転属する車両、さらに一部のクハ481形200番台とサロ481形は仙台と青森に転属する車両に分けられた。これによって捻出された仙台のクロ481形とサハ481形は交換される形で直接南福岡に転属、青森への転属車は別途製造されたMM'ユニットと今後の増発と予備車確保のためであった。
クロ481形に関しては、先頭部同士での連結ができない上に方向転換の必要性もあったために回送経路はさらに複雑な動きを要求されたと共に、事前に郡山工場で両渡り構造への改造も行われていた。
転属車とは別にクハ481形300番台20両とサロ481形2両、さらにMM'ユニット9組18両が新造されている。クハは東北地区取替名義で青森と仙台に、サロ2両は仙台に配置。MM'ユニットは、長崎・佐世保電化名義のために書類上は南福岡配置をされてから、同所で使われることなく秋田転属となっている。また青森に投入されたクハ481形300番台で捻出した200番台を秋田に転属させるとともに「つばさ」用として秋田にサロ481-115・116・122・123・127・128が新製配置された。
これによって、在来車で組成された「つばさ」は次のような72両で構成されていた。
- クハ481形200番台12両は、青森から10両、南福岡から2両の転属車。
- MM'ユニット24組48両は、南福岡からの転属車。
- サロ481形6両は、新製車。
- サシ481形6両は、南福岡からの転属車。
翌1976年に1000番台が落成。秋田に配置されたことにより、サシ481形を除いた全車が南福岡に再転属している。また同時にサロ481形が青森から1両、さらに東北地区へクハ481形300番台の投入による捻出で200番台が青森から6両、仙台から2両転属した。
1978年10月改正と特急増発
いわゆる「
ゴーサントオ」と呼ばれる1978年10月の
白紙ダイヤ改正では、急行列車の特急格上げで増収を図り、特急が36本増えた代わりに急行が57本削減された。特に東北地区は利用率が高かったために増発が集中、大量の485系が必要になった。
また、首都圏対北陸を運行する「白山」「はくたか」は増発も行われると同時に信越特急「あさま」、上越特急「とき」とのグリーン車連結位置の共通化と食堂車の不連結、並びに3MG化がされた。そのため次の車両が新造されることになるが、一部列車の増発は車両落成の遅れから1979年4月1日にずれ込んだ。
- 485系1000番台161両(クハ481形 - 25両、サロ481形 - 2両、MM'ユニット64組128両)を青森運転所と秋田運転区に集中配置。
- サロ489形1000番台10両を金沢運転所に配置。
東北地区への1000番台集中投入により、捻出された青森運転所の在来車は、仙台運転所と金沢運転所に転出することになった。
- 青森→金沢転属車(44両)
- 青森→仙台転属車(34両)
- クハ481形7両、MM'ユニット13組26両、サロ481形1両
さらに、仙台運転所の9両編成からサシ481形をサハ481形へ置き換えることになった。同時に3MG化も行われるためにMG・CP搭載準備工事が施行されていた向日町運転所の100番台と車両交換を行っている。
- 仙台→向日町転属のサハ481-12~15
- 向日町→仙台転属のサハ481-101~107
- 仙台転入車が多いのは、13両編成置き換え分も含まれているため。
- 仙台転入車は1985年3月に向日町へ全車出戻り転属をしている。
- サハ481形補充のために金沢所属の16~19も向日町転属となった。
また逼迫する国鉄財政の中で新製費を抑えるため、不足するグリーン車や食堂車は改造で対応することになった。このため次のような改造が行われた。
- サロ481形1000番台化改造(南福岡電車区→秋田運転区)
- 115・116・122・123・127・128→1051~1056に改造。
- サシ481形1000番対応引通線追加改造(金沢運転所→秋田運転区)
- サシ489形→サシ481形1000番対応引通線追加改造(金沢運転所→秋田運転区)
- サロ481形→サロ181形改造(鹿児島運転所→新潟運転所上沼垂支所)
- サロ481形→サロ183形改造
- 90・98→サロ183-1051・1052(南福岡電車区→新潟運転所上沼垂支所)
- 112→サロ183-1053(金沢運転所→新潟運転所上沼垂支所)
- 133→サロ183-1054(青森運転所→新潟運転所上沼垂支所)
- サロ481形→サロ189形改造(金沢運転所→長野運転所)
さらに2年後の1980年には、北海道で使用されていた1500番台22両が札幌運転所から青森運転所に転属してくると玉突きで200番台車が青森から南福岡電車区に転属している。また、仙台運転所からもクハ481形200番台2両とサロ481形1両、MM'ユニット4組8両の計11両が南福岡に転属している。これらの車両は、1980年10月1日国鉄ダイヤ改正で九州地区の増発に充当された。
東北・上越新幹線開業
1982年11月15日国鉄ダイヤ改正により、6月に開業した東北新幹線の増発、上越新幹線は大宮暫定開業し、485系を使用した在来線特急は、次に示すような動きがあった。
- 首都圏と直結する「ひばり」「やまびこ」「とき」「はくたか」は全廃。その他の特急は大幅削減。主力は新幹線連絡列車としての役目に移行した。
- 常磐特急「ひたち」は、余剰車を使って増発が行われた。
- 北陸地区、九州地区でも増発が行われた。
- 「白山」の食堂車復活。
このために青森運転所、秋田運転区、仙台運転所を中心に他地区へ次のような広域転配が行われている。
- 青森運転所からの転出車両
- 青森運転所→向日町運転所(4両)
- 青森運転所→南福岡電車区(43両)
- 青森運転所→鹿児島運転所(22両)
- 秋田運転区からの転出車両
- 秋田運転区→金沢運転所(11両)
- サシ481形11両(ただし1両はサシ489形に改造して転属)
- 秋田運転区→向日町運転所(3両)
- 仙台運転所からの転出車両
- 仙台運転所→向日町運転所(12両)
- MM'ユニット2組4両 クハ481形4両 サロ481形4両
- 仙台運転所→南福岡電車区(16両)
- 仙台運転所→鹿児島運転所(14両)
鹿児島への転属は中間車のみで、老朽化していたモハ481形・480形の取替がその目的であったと言われている。これらの転属車の受入れと引換えにモハ481形・480形ユニットは大量廃車が進み、翌年末には3ユニット6両のみが残存、1985年に全廃となった。
また、東北地区内では次のような転属が行われた。
- 青森運転所→仙台運転所(14両)
- 青森運転所→秋田運転区(12両)
- 秋田運転区→青森運転所(9両)
- 1000番台MM'ユニット3組6両 サロ481形1050番台3両
また、「ひたち」編成ではサシ→サハ置き換えのために九州から仙台に転属する車両もあった。
さらに運転の終了した181系から、1978年製のサロ181形1100番台の485系化改造が行われるとともに、「あさま」増発用に485系から189系化改造された車両も誕生した。
- サロ181形→サロ481形改造(新潟運転所上沼垂支所→青森運転所、6両)
- サロ181-1101~1106→サロ481-1501~1506
- モハ485・484形→モハ189・188形改造(青森運転所→長野運転所、8両)
- モハ485-199・203~205→モハ189-501~504
- モハ484-301・305~307→モハ188-501~504
この広域転配によって、「白山」の食堂車復活や、向日町運転所でも485系が転属してきたことによって「雷鳥」を増発、および583系運用の一部を置き換え、九州地区の特急増発が行われた。
分割民営化前・短編成化
1985年3月14日国鉄ダイヤ改正では東北・上越新幹線上野開業で「ひたち」と共通運用の「あいづ」、信越特急「あさま」「白山」、近距離運転の
新特急を除き上野乗り入れが打ち切られたが、捻出された車両で他地区での増発を行った。また短編成化の推進によって不足する先頭車の確保も要求されたが、485系はすでに製造が終了しており、これらには食堂車やグリーン車を含めた余剰車の再利用、つまり改造も含めた広域転配が行われることになった。
この改正での485系に関する動きは、次が焦点となる。
- 東北地区の特急列車運用の見直しと短編成化
- 「ひたち」を仙台受持から、勝田電車区へ移管。
- 「雷鳥」をはじめとする北陸特急からの食堂車の廃止と和式グリーン車「だんらん」(サロ481形500番台)の導入。
- 「くろしお」増発分に余剰車投入。
- 九州地区の短編成化と初期車の老朽化による置き換え
東北地区では、車両の余剰化が激しく、今回の改正では、編成替えのために向日町への転出と南福岡、鹿児島への転出が多数を占めることになる。また、「ひたち」は急行「ときわ」を全廃し格上げが行われる増発が図られることになるが、同時に仙台運転所から勝田電車区への移管となるための転属が行われる。増発用車両は青森と仙台の余剰車が充てられるが、同時にクハ481形を非ボンネット形からボンネット形への置き換えが行われ、九州地区から大量に初期車の転属が行われた。これは、短編成化した際の座席確保の点から、改正後11両編成となる「ひたち」にボンネット車を充当させることで短編成車に非ボンネット車を充当させるのが目的で、引き換えに東北地区からは、クハ481形200・300番台が軒並み向日町や九州地区に転属している。
- 九州地区から勝田電車区に転属したクハ481形
- 鹿児島所属車
- 1~13・15・16・18・20・34・36・38・40
- 南福岡所属車
この移動は改正前の1984年から行われており、改正前に転属した1~4・8・9・12・14・15・17~19・22・36・40は一旦仙台所属となり、改正に合わせて勝田に再転属という形を取っている。なお、この一連の移管により仙台運転所は485系の配置がなくなった。
また、1000番台の東北地区から他地域転出が初めて行われ、青森運転所や秋田運転区からMM'ユニットのみだが、向日町運転所に転属が行われている。同時に1500番台のMM'ユニットも全車青森から向日町に転属したが、翌年全車が上沼垂に再転属している。
向日町ベースでは食堂車の廃止が行われ、サシ481形改造の和式グリーン車サロ481形500番台「だんらん」の連結、並びに編成替えと増発に必要な車両が青森、秋田、仙台から転入している。なお、翌1986年3月に余剰となったサロ・サシ481形が廃車となったが、一部車両は分割民営化直前に車籍を復活している。
また「くろしお」を4往復増発することになったが、本来381系を投入すべきところを経費節減のために余剰化していた485系を日根野電車区に投入し対処することになった。
- モハ485・484形ユニット 青森運転所・仙台電車区から11組22両が転入
- クハ481形200番台 南福岡電車区から11両が転入
- クハ480形11両
- 向日町運転所・金沢運転所所属のサハ481・489形を先頭車化改造し投入
紀勢本線は季節や区間によって乗客数の変動が大きいため、4両編成を2本つなぎ合わせて対応することになった。その際に不足する先頭車は付随車改造のクハ480形を充当、同時に4両と短編成のため MG・CP はクハ481形からの供給で充分と判断され、未搭載となっている。しかし、天王寺~新宮の所要時間は振り子式車両の381系と比べ1時間半ほど長く、気動車急行列車と大差がなく苦情も多発したため、運用を見直し翌1986年11月1日のダイヤ改正で日根野から485系は撤退し、一部のクハ481形はクロハ481形に、クハ480形はMG・CPが搭載されクハ481形に改造され、福知山運転区に転属し「北近畿」に転用される車両と九州地区に復帰する車両とに分けられた。
九州地区では1984年のダイヤ改正で増発を行ったが、短編成化による先頭車不足から、東北・上越新幹線開業による保留車をクハ481形に改造対応していた。さらに本改正に向けて、モハ485形をクモハ485形に、サロ481形に運転台を取付けクロ480形にするなど短編成化改造を多数行っている。特にモハ485形→クモハ485形への改造は、定員数の問題からモハ484形200番台のユニットが充当されたために鹿児島運転所の初期車は南福岡車と交換が行われたほか、青森運転所からMM'ユニット9組18両が転入している。また、東北地区にボンネット形クハを大量供出した見返りに非ボンネットクハ16両が南福岡電車区に転入している。
この後、先頭車化改造や半室グリーン車のクロハ481形への改造が頻繁に行われるようになり、短編成化はさらに推進された。そして、国鉄分割民営化時に安定した承継と列車運行を前提とした国鉄最後のダイヤ改正が行われる。この改正では、分社化時のJR各社の車両運用や供給も考慮された車両転配が行われた。485系に関しては、些細な転配を除くと次の点が目立った点である。
- 日本海縦貫線に関係する特急車両配置基地の見直しを行い、新潟運転所上沼垂支所を上沼垂運転区と独立させ、青森運転所、秋田運転区、向日町運転所から485系が転入。「雷鳥」「白鳥」「北越」の運用を担当することになった。
- 金沢運転所の489系は、200番台車を中心に27両が「あさま」用として長野運転所に転属。
こうして、483系8両、485系1,087両(付随車含む)、489系164両がJRに引継がれることとなった。
国鉄分割・民営化後
2007年現在、427両の485系がJR北海道・JR東日本・JR西日本・JR九州の4社で営業運転を行っている。しかし、最も車令の若い車両でも製造から28年以上を経ていることや、
651系・
E653系・681系・683系・
E751系・783系など後継車両の登場により廃車が着実に進んでいる。
北海道旅客鉄道
所属車はないが、JR東日本青森車両センター所属車が「白鳥」(1988年3月13日~2002年11月30日は「はつかり」)で函館駅まで乗り入れている。かつては1000番台も使われたが、現在では3000番台のみで運転されており、津軽海峡線を走行するために対応編成に限られる。ただし、車両の故障時には予備車が少ないために
函館運輸所の
789系による代走が行われるケースもある。JR北海道と東日本の乗務員交代は原則として
蟹田で行われるが、一部列車は
青森で行われる。
- 国鉄からの承継車
- 1500番台の北海道撤退後、サシ481-50とサロ481-37・41・47・60・63・94が津軽海峡を渡り、JR北海道に承継され札幌運転所に配置された。
- * サシ481-50は1987年3月27日に青森運転所から転入。当初は車籍抹消後レストランに転用するという計画もあったが、「北斗星」1往復(3号・4号)を季節運転から定期列車へ格上げされ食堂車組込が必要となり、1989年に苗穂工場でスシ24 508に改造され、現在も使用中。
- * サロ481形は、全車向日町運転所の所属車両で1986年3月31日に一旦廃車扱いとされ渡道。分割民営化直前の1987年3月6日に車籍復活したが、営業運転に使われることなく1990年に全車廃車となった。ジョイフルトレインの種車に使われるという計画もあったが、その真偽は不明。
東日本旅客鉄道
現在、JR東日本では保留車を含む230両が在籍しており、主に東北・上越新幹線との連絡特急列車や快速列車などに充当されているケースが多い。
また、JR西日本所属車も以前は大阪~青森時代の「白鳥」「雷鳥」「北越」などでもが乗り入れていたが、現在では金沢総合車両所の489系が急行「能登」と間合い運用の「ホームライナー鴻巣・古河」で使用されている。
青森車両センター(盛アオ)
東北新幹線八戸開業までは「はつかり」「いなほ」(南秋田運転所と共管)などの新幹線連絡特急に使用されたほか波動対応の編成や運用も多く、1992年には夜行急行「津軽」にも投入された。そのため首都圏乗り入れも考慮したATS-P形搭載車も在籍していた。1996年からはリニューアル改造を施行した3000番台が登場。現在は3000番台の6両編成(A編成)6本と増結用の中間車8両が配置されており、「白鳥」「つがる」に使用されているほか、間合い運用で津軽線の普通列車にも投入されている。
秋田車両センター(秋アキ)
東北新幹線盛岡開業後も「つばさ」「やまばと」の奥羽特急で上野乗り入れを続けるほか、「たざわ」「こまくさ」などの新幹線連絡特急も担当し、上野口では共通運用で「あいづ」にも投入されるなど、すべて1000番台で運用が行われいた。しかし、東北新幹線上野開業時に「やまばと」が廃止。山形新幹線に伴う改軌工事で「つばさ」は仙山線経由で上野乗り入れを継続するも、山形新幹線開業時に廃止され上野口から撤退、さらに新庄延伸で「こまくさ」は快速格下げ。秋田新幹線開業では「たざわ」廃止、「いなほ」の上沼垂運転区移管など、新幹線によって運用を縮小され続けている。現在では専用塗装の1000番台3両編成3本の在籍となり、定期運用は秋田~青森間の「かもしか」のみで、通常は使用2本、予備1本となっている。
仙台車両センター(仙セン)
東北特急撤退後の1993年に「ビバあいづ」用編成が配置されたが、その後2回の編成の入れ替えが行われ、現在では2006年夏の臨時特急「あいづ・仙台あいづ」で登場した「あかべぇ」塗装をまとう6両編成1本(A1・2編成)が所属しており、2007年3月18日のダイヤ改正より磐越西線郡山~会津若松間の快速「あいづライナー」2往復(多客期には3往復)で運用されている。
新潟車両センター(新ニイ)
民営化後に指定席車両のシートピッチ拡大と窓の大型化、グリーン車の3列シート化などを行ったグレードアップ編成が登場し、塗装も「上沼垂色」と呼ばれるものに変更された。のちに未工事車も同色に変更され、同センターの標準色ともいえる形になった。これらはT編成と呼ばれ、「雷鳥」「白鳥」用9両編成のT1~8編成も在籍していたが、2001年3月3日改正で「雷鳥」の新潟乗り入れが廃止され運用を離脱。一部は4両に減車されて快速「くびき野」用のT21・22編成となったが、2006年にT21編成のクハ481形を除いて6両がジョイフルトレイン「彩(いろどり)」に改造された。
また、1997年にはリニューアル改造の3000番台車によるR編成も登場しているが、サロ481形を組込んだ「はくたか」用9両のR1・2編成は2005年3月1日改正で681系・683系化したため、6両編成化を行いR26・27編成となった。また羽越本線脱線事故当該のR24編成を補完するために2006年に3000番台4両が青森車両センターから転入し、増結用のMM'ユニットを組入れR28編成を組成している。
現在では、T・R編成ともすべて6両編成となり、上沼垂色のT11~18編成と3000番台のR21~23・25~28編成が、「いなほ」「北越」、快速「くびき野」などに充当されている。
また、2003年には、「ムーンライトえちご」から165系電車が引退することになり、置き換え用に青森運転所のA10・11編成が国鉄色のまま転入し、K1・2編成として共通運用の「フェアーウェイ」と「らくらくトレイン村上」にも就役している。しかし、K編成には予備車がないため、検査・故障の際にはATS-P形・車内減光装置搭載のT18編成が第一予備。第二予備には、R26・27編成のいずれかが投入されることになる。
他の所属車は、増結用3000番台MM'ユニット2両(モハ485・484-3086)、ジョイフルトレイン「NO.DO.KA」「きらきらうえつ」、保留車としてサロ481形3000番台2両とVIP仕様で防弾対策などを備えたサロ489形1050番台2両も配置されており総数は115両(実質稼動車は、111両)となっており、現役車両の1/4強、JR東日本だけ見ても同社所属の半数が集結するJRグループ最大の485系配置基地となっており、同センターの運用の特徴として定期運用では青森・金沢・新井・新宿・黒磯にまで足を伸ばし、さらにシーズンによっては、会津若松や大阪にも姿を見せる広域運用を組んでいる。最近では、2004年10月27日~11月28日には10月23日に発生した新潟県中越地震の影響で上越新幹線越後湯沢~新潟間が不通になり、長野新幹線への乗り継ぎを図るため新潟から越後線・信越本線経由の臨時快速列車に充当、特急「みのり」廃止以来久々に長野まで入線した。
小山車両センター(宮ヤマ)
ジョイフルトレイン「宴」(G4・5編成)「華」(G6・7編成)の6両編成2本と東武日光線に直通運転する新宿~東武日光・鬼怒川温泉間の「日光」「きぬがわ」用6両編成(G58編成)1本が配置されている。なお、485系が大手私鉄へ直通運転されることは初となる。
G58編成は予備車がないため、検査や車両故障などの場合は東武100系が代走、列車名にも「スペーシア」が付けられるが、東武車も使用できない場合は大宮総合車両センター所属の189系(OM201編成「彩野」)が使用される。
その他
- 勝田車両センター(水カツ)
- かつては「ひたち」や「あいづ」の運用を担当、初期ボンネット車や483系も所属し、1991年には、非電化の鹿島臨海鉄道大洗までディーゼル機関車牽引で乗り入れる夏季臨時特急「ビーチイン大洗ひたち」の運転が計画されたが、同年5月14日に発生した信楽高原鐵道列車衝突事故により、「不測の事態への対応がしにくい」等の理由により、数度の試運転を実施したのみで、営業運転は実施されなかった。E653系投入で定期列車用485系は全廃となり、現在はジョイフルトレイン「リゾートエクスプレスゆう」(K30編成)、K60編成(6両)、K40編成(4両)が所属。主に「わくわく舞浜東京号」などの臨時列車や団体列車に使用されている。
- 長野総合車両センター(長ナノ)
- 1986年11月から「あさま」用の489系9両編成3本が在籍するも長野新幹線開業後の2000年までに全車廃車となった。しかし、2006年にジョイフルトレイン「彩(いろどり)」が配置された。
- 高崎車両センター(高タカ)
- ジョイフルトレイン「やまなみ」「せせらぎ」の4両編成2本が所属する。時として、連結して8両編成として運転するケースもある。
- 幕張車両センター(千マリ)
- ジョイフルトレイン「ニューなのはな」6両編成1本が所属する。
なお、全般検査は秋田総合車両センターが秋田・新潟所属車、長野総合車両センターが自所所属の「彩(いろどり )」を担当。他の車両はすべて郡山総合車両センターが担当している。
東海旅客鉄道
481系電車登場と共に「しらさぎ」で名古屋駅への乗り入れが開始され、1965~1972年には「つばめ」でも485系電車が顔を出していたが、分割民営化以後はエリア内に交流電化区間もなく、承継された車両もない。2003年までは、JR西日本所属車両が「しらさぎ」と間合い運用の「ホームライナー大垣・関ヶ原」で使用されていたが、683系電車に置き換えられ定期運用は消滅した。現在でも稀に北陸地区からの団体列車が入線するものの、485系での運転は減少している。
西日本旅客鉄道
124両が在籍し、全車両が旧
国鉄色となっている。「雷鳥」と急行「能登」に使われるほか、臨時・団体列車にも使用される。また「北越」でJR東日本新潟車両センター所属車が乗り入れている。同社車両の特徴として、電動車ユニットの組換えが頻繁に行われていることが挙げられる。
なお「雷鳥」は、3年後を目処に新型車両に置き換えられる予定である。
京都総合運転所(京キト)
485系9両編成10本(A01~A10編成)が在籍しており、大阪方先頭車はグリーン車で、そのうち6編成がパノラマグリーン車となっている。489系も5両が健在で、A07編成にクハ489-604、A08編成にクハ489-704、A05編成にはクハ489-702、モハ489-26+モハ488-211が組込まれている。かつてはクハ481形100番台やサロ481形も所属していたが、2003年9月までに全車廃車となった。また、1997年3月~2001年3月までは在来線電車特急として最長距離を走る「白鳥」で青森まで足を伸ばしていたが、現在は主に「雷鳥」に投入されているほか、金光駅への臨時列車(通称:金光臨)にもよく投入される。
金沢総合車両所(金サワ)
489系9両のH01~H03編成が、定期運用で上越線・北陸本線経由の「能登」と間合い運用の「ホームライナー鴻巣5号・古河3号」に、7両編成のH04編成が波動輸送や定期列車の代走に充当される。また、ATS-P形や客室減光装置を装備しているため、京葉線団体列車(通称・舞浜臨)に使われることもある。2002年までに全編成が「白山色」から旧国鉄色に塗替えられ、現在では唯一残るボンネット形クハを両端に連結しているのが特徴でだが、同所の旧国鉄色は雨樋がオリジナルと異なりクリーム4号となっている。
なお、以前は485系が大量に配置されており、様々な形態の編成が在籍していたのも特徴である。
- 「しらさぎ」「加越」用(K編成) 7両編成 1988年~2001年
- 両端は基本的にボンネット車、4号車にサロ481形が組込まれ旧国鉄色で組成されていたが、米原方先頭車の電気連結器の装備で3両付属編成と連結可能の0番台と不可の20番台に区分されていた。1997年からは「スーパー雷鳥」から転用のクモハ485形200番台を組込んだ3両のK11~13編成も登場し、7+3の10両編成も登場した。7両固定編成は引退までクハ481形100番台を中心に組成されていた。
- 「かがやき」「きらめき」用(S編成) ハイグレード車6両編成(登場当初は4両編成) 1988年~1996年
- 「かがやき色」と呼ばれる専用塗装。金沢方にクロ481形2300番台を連結。
- 「はくたか」用(V編成) ハイグレード車8両編成 1996年~2002年
- 当初は「かがやき」「きらめき」でも使われていた。ATS-P形取付とともに塗装変更が行われ、のちに「JR西日本色」と呼ばれるものになった。このカラーは現在福知山所の183系や京都所のキハ181系でも採用。
- 「スーパー雷鳥」用(R編成) ハイグレード車10両(登場当初は7両)編成 1989年~2001年
- 大阪方先頭車にクロ481形2000・2100番台を連結し、2号車にサロ481形2000番台を組込んでいたデラックス編成。1997年までは7+3両編成で7号車にクハ481形200番台、8号車にクモハ485形200番台を組込んでいた。一部編成はその後、7号車がサハ481形500番台、8号車がモハ485形にそれぞれ差替えられ、10両固定編成となった。
- 「しらさぎ」用(Y編成) ハイグレード車10両編成 2001年~2003年
- Y01~04は7両編成で3両編成のY11~13編成と併結運転を行っていた。Y21~23編成は7両固定編成、Y23編成以外は富山方にクロ481形2000・2100番台を連結。通称「あおさぎ色」。
- 「加越」「北越」用(O編成) 6両編成 1988年~2001年
- 米原方にクロ480形1000番台を連結。2001年3月改正で4両編成に減車された。
- 「加越」用(K編成) 4・6両編成 2001年~2003年
- O編成とV編成の余剰車をベースに組成。旧国鉄色。金沢方にクロ481形2200・2300番台を連結。4両のK1~K3、2両増結MM'ユニットのK4~K6、6両のK11~K13の各編成が存在した。
- 共通予備編成(Y31~Y33編成) 2001年~2005年
- 元K編成でサロ481形組込。Y33編成は増結用MM'ユニット。臨時特急「ふるさと雷鳥」などに使用された。Y33はH04編成に組込んで「はくたか」や「能登」運用に充当もあった。
四国旅客鉄道
電化区間が1986年まで存在しなかったこともあり、国鉄時代から485系の四国への入線はなかったが、2001年5月12日・13日に
高松駅再開発事業で完成した施設「
サンポート高松」の名称をそのまま列車名に使用した大阪~高松の臨時急行で初入線している。なお、電化区間であっても
予讃線箕浦以西は狭小トンネルのため入線不可となっている。
九州旅客鉄道
JR化後は南福岡・鹿児島に続き、大分鉄道事業部大分車両センターにも配属された。また下関発着の「にちりん」が廃止されたため、現在では直流区間専用の機器を撤去して交流専用車となっている。
1989~1992年には「有明」がキハ183系1000番台「オランダ村特急」と世界初の気動車との動力協調運転を行ったが、783系以降の新型特急電車の台頭に伴い充当列車も徐々に減少していく。1992年の「つばめ」への787系投入により鹿児島本線熊本以南から、1994年には「有明」の783系統一により同線鳥栖以南から姿を消した。廃車も民営化前から初期車を中心に進められており、1995年からは改修車にも廃車が始まり、サロ481形およびボンネット車は全廃となった。
その一方で、1992年に登場した「ハウステンボス」、1995年に「にちりん」を系統分割した「きりしま」へ、1997年には博多~大分間の「にちりん」から改称された「ソニック」に大分区への入出庫を兼ねた1往復へ充当された。
2000年3月、885系「白いかもめ」の投入により、「有明」は787系統一、「みどり」「ハウステンボス」は783系統一で、「かもめ」「みどり」「ハウステンボス」の全列車から撤退、長崎本線・佐世保線の定期列車から姿を消した。だが、この改正ではこれらの車両を「にちりん」から系統分割した「ひゅうが」に投入。きりしま&ひゅうが塗装が登場する12月までは暫定措置として一切のレタリングなどを消して充当した。2001年3月には、885系「白いソニック」の投入および博多乗り入れ「にちりん」の783系充当「にちりんシーガイア」「ドリームにちりん」集約により、博多乗り入れもなくなった。
この運用の大幅な縮小により2年間で106両が一気に廃車され、南福岡車の定期運用がなくなったほか、廃形式または廃区分番台となったものもある。また、2004年2月には南福岡への配置も無くなり、約30年の配置基地としての歴史に幕を閉じた。
2007年現在17編成73両が在籍するが、2010年度の九州新幹線の博多延伸開業時に余剰となる783系や787系に置き換えられて全廃される予定である。
大分鉄道事業部大分車両センター(分オイ)
Do1~7編成(3両編成)、Do31編成(5両編成。波動輸送用)、増結用MM'ユニット4組8両の計34両を配置。
- Do1~7編成は鹿児島より転入。また多客期にはMM'ユニットを増結する。「にちりん」(小倉発着除く)、「ひゅうが」、「きりしま」(霧島神宮折り返し除く)、「みどり」(臨時列車のみ)、宮崎・南宮崎~宮崎空港間普通列車に充当。
鹿児島総合車両所(本カコ)
Dk8~10編成(3両編成)、Dk11~16編成(5両編成)の計39両を配置。
- Dk10編成は大分のDo21編成からMM'ユニット2組を外した編成。クハ481-213は現在クハで唯一のRED EXPRESS色。
- Dk8・10編成は「きりしま」(霧島神宮折り返しのみ)、Dk-9編成はRED EXPRESS保留車を再リニューアルした編成で一部宮崎行に、Dk11~16編成は中津発着を除く「にちりん」「ひゅうが」「きりしま」、宮崎・南宮崎~宮崎空港間普通列車に充当。
その他のエピソード
- JR化後には列車別・基地別に様々な塗装が登場したことで、転属直後や貸出、運用変更、故障などで予備車を連結した際など混色編成になることも多かった。上沼垂運転区のT編成に「ひたち色」のMM'ユニットが組込まれたり、「シュプール号」で京都総合運転所の583系との併結運転や旧国鉄色のMM'ユニット組込みが好例。また、北陸地区での103系USJ色の車両展示のために電源車として使用されたこともある。これらを撮影するファンも多く、鉄道趣味雑誌などでもその写真が掲載された。485系の運用が減った現在ではそのような光景が実現することは極めて稀である。
- 富山地方鉄道の所有する16010形と10030形の一部がJR九州の廃車発生品である制御装置、台車、電動機を再利用している。同社はかつて「スーパー雷鳥」で本系列の、急行「立山」などで457・475系の乗り入れ実績があるために扱いに慣れているという理由で廃車発生品を導入した。
- オランダ鉄道のICM型電車の先頭車は、クハ481形200番台に似た貫通型先頭車となっているため「オランダの485系電車」と言われることもある。
- 韓国鉄道庁(現・韓国鉄道公社)が、ムグンファ号用車両として製造した9900系電車は、本系列をモデルにしたとされている。
関連商品
KATO、
TOMIX、
マイクロエースから
鉄道模型が販売されている。
- KATO
- Nゲージのみで、485系初期型(クハは100番台)、485系後期形(クハは300番台)、489系(0番台)がある。すべて国鉄仕様。また、ラウンドハウスから485系「日光・きぬがわタイプ」が発売された。
- TOMIX
- NゲージとHOゲージの2種類がある。様々な種類の485、489系が販売されているのが特徴。Nゲージは2004年頃から製品のリニューアルが始まり、順次HG(ハイグレード)仕様に差替えられている。
- Nゲージ
- 485系初期形(クハ481形0番台のセットとクロ481形0番台のセットがある・国鉄仕様)、485系後期形(クハが200番台のセットと300番台のセットがある・国鉄仕様)、「しらさぎ(あおさぎ色・限定品)」、「スーパー雷鳥」、「ゆぅトピア和倉セット(クハは100番台・サロ481形500番台入り)」、「雷鳥(現行編成)」がある。リニューアル前は485系1000番台(国鉄色)、「かがやき・きらめき色」、「ひたち色」、「上沼垂色」、「かもめエクスプレス」、付属のインレタでどちらかを選択できる「レッド&みどりエクスプレス」(レッドエクスプレスにのみボンネットのクハ481がある)、489系「あさま色(200番台)」、「白山色(0番台)」などがあった。
- HOゲージ
- 485系初期形(クハ481形100番台のセットとクロ481形100番台のセットがある・国鉄仕様)、485系後期形(クハは300番台・国鉄仕様)、「かがやき・きらめき色(限定品)」、489系200番台「あさま色」がある。
- マイクロエース
- Nゲージのみで、485系RED色、K&H色、国鉄色(DE10とヨ28000を加えた特急「有明」の豊肥線乗り入れ仕様)といった九州の485系が販売されている。2007年6月にジョイフルトレイン「華」「やまなみ」「せせらぎ」、7月に「あいづ(あかべぇ色)」、8月に「あいづ(東武色)」が発売された。
このほか、チョロQ(旧国鉄色・JR西日本しらさぎ色・JR九州レッドエクスプレス色)が発売された。
脚注
参考文献
- 交友社
「鉄道ファン」
- 1964年10月号 No.10「481系の登場と151系の改造」
- 1965年1月号 No.43「特急のすべて」
- 1965年3月号 No.45「交直流電車のすべて」
- 1965年10月号 No.52「東北特急483系の試運転」
- 1978年10月号 No.210「交直流特急電車PART.1」
- 1978年11月号 No.211「交直流特急電車PART.2」
- 1983年3月号 No.263「電車の引越し大作戦」
- 1985年4月号 No.288「485系20年」
- 1985年11月号 No.295「がんばれボンネット特急」
- 1987年4月号 No.312「485系とその一族」
- 1990年12月号 No.354「新車ガイド シルフィード登場」
- 1991年6月号 No.362「新車ガイド RESORT EXPRESS ゆう」
- 1992年3月号 No.371「485系特急形電車」
- 1992年7月号 No.375「惜別485系“つばさ”」
- 1994年8月号 No.400「新車ガイド JR東日本485系お座敷電車『宴』」
- 1996年6月号 No.422「新車ガイド JR東日本485系3000番台」
- 1997年2月号 No.430「ボンネットSTYLE」
- 1997年7月号 No.435「新車ガイド JR東日本485系お座敷電車『華』」
- 1998年4月号 No.444「新車ガイド JR東日本485系『ニューなのはな』」
- 1998年10月号 No.450「今どきの485系」
- 1999年7月号 No.459「新車ガイド JR東日本485系お座敷電車『やまなみ』」
- 2001年6月号 No.482「新車ガイド JR東日本485系お座敷電車『せせらぎ』」
- 2002年2月号 No.490「新車ガイド JR東日本485系『きらきらうえつ』」
- 2003年12月号 No.512「月光形 その顔の世界」
- 2007年8月号 No.556「ラストスパート485・583系」
- 「JR車両ファイル」各年度掲載号
- 鉄道ジャーナル社
「鉄道ジャーナル」
- 1997年8月号 No.370「JR特急のスタンダード485系電車」
- 2001年12月号 No.422「今も活躍を続ける国鉄標準型特急電車485系の現状」
- 2007年3月号 No.485「JR20年を駆け抜けた485系特急電車を語る」
- 電気車研究会
「鉄道ピクトリアル」
- 1988年7月号 No.498「485・489系特急形電車PART.1」
- 1988年8月号 No.499「485・489系特急形電車PART.2」
- 2001年8月号 No.705「485系電車の現状」
- 「JR電車ライブラリーシリーズ2 特急形交直流・交流電車」
- ネコ・パブリッシング
「レイルマガジン」
- 1991年3月号 No.89「I LOVE ボンネット」
- 1991年7月号 No.93「新ジョイフルトレインゆう」
- 1991年8月号 No.94「もっと知りたいボンネット」
- 1994年12月号 No.135「485系総整理」
- 2003年4月号 No.235「さらばボンネット特急」
- 2006年8月号 No.275「485系『雷鳥』最後の戦士」
- 2007年8月号~10月号 No.287~289「ガイドブック最盛期の国鉄車輌 481~485系篇」
- 「列車名変遷大辞典」 ISBN 9784777051823
- イカロス出版
「季刊 j train 」
- 2003年 Vol.9「北陸路のボンネット特急」
- 2007年 Vol.28「原色特急485・489系」
「名列車列伝シリーズ 」
- 「特急雷鳥&485系電車NOW」
- 「特急ひたち&ボンネット特急」
- 「特急はくたか&北陸の485/489系」
「新名列車列伝シリーズ」
- 「東北線の名列車電車篇」
- 「交直両用特急形電車形式485系」
- 誠文堂新光社
「鉄道画報 」
- 学習研究社
「鉄道ナビ」
- 2000年 Vol.2「特急電車485系分類大百科」
- JTBパブリッシング
- 石井幸孝「九州特急物語」 ISBN 9784533066870
- 白川淳「全国鉄道博物館」 ISBN 9784533069079
- テラダプロジェクトDVD
- 「旧国鉄形車両集3 485系交直流特急形電車」(2002年)
外部リンク
関連項目
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未分類
海兵隊(かいへいたい、英:Marine)は軍隊の一部門。現代では、上陸戦など陸海空の複合的な戦闘力が求められる複雑な統合作戦に対応することを主な任務とする。海軍に属することが多い。同様の組織に海軍歩兵や海軍陸戦隊と呼ばれるものがある。
概要
海兵隊は、海上戦闘に付随して地上戦闘を担う軍事組織である。古くは海戦時の接舷戦闘を主な任務としたが、現代においては主に上陸作戦、港湾守備などの
水陸両用作戦を行なう場合に用いられる。世界で最も古い歴史を持つ海兵隊は
イギリス海兵隊であり、最大規模のものは
アメリカ海兵隊である。海兵隊の名称や所属は、国や時代によって異なる。海兵隊を常設していない国家では、
陸軍の舟艇部隊や
海軍の一般水兵による陸戦隊を組織する場合がある。
困難な任務が予想されるため、志願制による場合が多く、徴兵制の一般陸軍部隊と比較した場合、士気は高いといえる。陸軍は、いわゆるカナヅチが多く、船酔いする者も多いため、一般的に上陸作戦などには適していない。歴史的には海軍から生まれた部隊であると考えられている。イギリス、オランダ、イタリア、ベトナム、イスラエル、レバノンなどの海兵隊は、特殊部隊化している。韓国、台湾、スペインなどの海兵隊は米海兵隊を模範としており、規模も比較的大きい。韓国・台湾の海兵隊は自国領内に侵攻してきた敵部隊の背後に奇襲をかける逆上陸作戦を念頭に置いている関係で、特殊部隊としての任務にも力を入れている。
海兵隊の規則や服装は陸軍と同じ場合が多い。なお海兵隊の定義とはやや異なるが、海軍が戦闘や予算削減により艦艇を失うと、大規模な地上部隊化する傾向がある。
各国の海兵隊
イギリス
イギリス王室海兵隊(ロイヤルマリーン)は、帆船時代に敵の船に乗り移る、接舷斬り込みで
マスケット銃や
刀剣で戦闘する
白兵戦部隊が起源である。
大航海時代の
イギリス海軍は
海賊であり、もっともやんちゃな海賊が、イギリス海兵隊であった。
植民地の獲得では、港湾の占領や警備にも活躍した。また、要人警護や水兵の風紀の維持など
憲兵的な役割も果たしている。憲兵化した背景には次のような事情が指摘される。
当時、海兵隊を含むイギリス海軍の水兵は、原則として志願兵制であったが、名にし負う、地獄のような軍艦生活を志願する者は実に少なく、水兵についてはしばしば強制徴募(プレス・ギャング)が行なわれた。これは、士官を長とする数名の下士官兵で編成された強制徴募隊が、港町にいる、漁師・商船乗組員・浮浪者などといった人間を、無理やりに軍艦に徴募するものである。徴募された人間は、身元引受のしっかりした者や、イギリス東インド会社船員などを除いて、そのまま水兵として海軍の過酷な軍規の下に置かれる。ただし、強制徴募から数日以内に自発的に海軍の勤務を希望した者は、志願兵としての待遇が与えられた。
当時植民地だったアメリカでも強制徴募は行なわれており、ハーマン・メルヴィルの小説「ビリー・パッド」は、優秀な商船乗組員が海軍に強制徴募されたのちの悲劇を書いている。
強制徴募兵は、常に海軍への不平不満を抱くのは当然で、時として反乱の温床になった。そのために水兵を直接に監視し、取り締まったのが海兵隊であった。海兵隊員は海軍に属しながら、陸軍と同じような軍規で行動し、戦闘中は、戦闘配置を無断で離れる水兵を射殺する権限すら与えられたのである。いわば、督戦隊としての任務も担っていた。
現在のイギリスは沿岸警備隊(日本の海上保安庁に相当)を持たないため、海軍が海上警備活動を担当する。海上警備では、強行接舷を実施するため、海兵隊はその中核となって活躍する。イギリス海兵隊のSBS(特殊舟艇部隊)は優秀な特殊部隊として知られている。各国の海兵隊は、歴史的に見るとイギリス海兵隊を模して創設されたものが多い。
アメリカ合衆国
アメリカ海兵隊は上陸作戦・即応展開などを担当する精鋭部隊である。世界の海兵隊の中で唯一、独立した軍となっており、現在の
アメリカ軍では
陸軍、
海軍、
空軍に並ぶ4番目の軍である(ただし、陸海空軍には元帥位があるが、海兵隊の階級には元帥位が設定されていない)。
同海兵隊の大きな特徴は独自の航空部隊(ヘリコプターのみならず固定翼の戦闘機や攻撃機)を保有していることであり(機体の所属マーキングも“MARINES”となっている)、このことにより海軍機や空軍機に依存せず独自に地上支援任務を行うことができる。アメリカ海兵隊が国外で行動する場合、三軍と違って議会の承認は必要なく、大統領命令のみで作戦を実施できることから、アメリカの殴りこみ部隊として認識され、また“大統領親衛隊”的性格を持つ部隊と看做されている。大統領専用ヘリの運用を行っているのも、海兵隊である。
アメリカ海兵隊の出発点はアメリカ独立戦争の際、酒場で募兵を行い、対イギリス海軍用の殴りこみ部隊(大陸海兵隊)として創設された。平和な時代には何度も廃止の危機にあったが、海賊退治や税関の強行摘発、沿岸警備隊などに協力して存続した。比してアメリカ海軍は、独立戦争後に予算削減のため廃止されたことがある。
第二次世界大戦の上陸作戦では大いに活躍し、武名をとどろかせた。アメリカ海兵隊は独自に戦闘機、戦車などを保有し、海軍の強襲揚陸艦により水陸両用作戦を行って橋頭堡を作ることができる。海兵隊の主任務は水陸両用作戦であるが、本来の任務からは外れるベトナム戦争においても活躍した。徴兵制が実施されていたベトナム戦争当時でも、アメリカ海兵隊に関しては全員志願兵であった。現在の各国海兵隊のうち大規模なものは、アメリカ海兵隊を模範としているものが多い。
ロシア
ロシア海軍歩兵部隊は米海兵隊以外で規模の大きい海兵隊である。日本語では慣用として直訳的に「海軍歩兵」と呼ばれる。もともとロシア海軍は貧弱であり、陸軍を補佐する沿岸防衛海軍という考え方が強く、海軍歩兵部隊は沿岸防衛部隊(海軍の地上部隊の一つで、
地対艦ミサイル・
長距離砲・沿岸レーダーを装備している)と共に海軍作戦の支援任務という事に主眼が置かれている。艦艇を失った海軍軍人を海軍歩兵として運用することが多いため、アメリカ海兵隊のように独立した軍種にはなれず海軍の歩兵部隊という地位に留まっている。
第二次世界大戦においては艦艇を失った多くの海軍軍人が地上部隊として同部隊に配属され、対ドイツ戦で勇名を轟かせたが、戦後、海軍歩兵部隊は廃止された。海軍歩兵部隊が復活したのは1960年代になってからであった。
実戦経験は豊富であり、内陸で行われたアフガニスタン戦争やチェチェン内戦においても出動しており、現在でもロシア軍の精鋭部隊である。また、陸軍・空軍にも存在するスペツナズと呼ばれる特殊部隊も保有している。
フランス
フランスの海兵隊は歴史的に英国・米国・ロシアのそれとはやや異質のものとなっている。組織としては
陸軍の
海兵隊(
Troupes de marine)と
海軍の
海軍歩兵部隊(
Force maritime des fusiliers marins et commandos:通称FORFUSCO)の二本立てである。
Troupes de Marineは1622年にリシュリューの発案で編成された植民地警備部隊で、元々は海軍の指揮下にあったが、各地の植民地が次々に独立していったために1967年には陸軍に移管された。現在では歴史的経緯から「海兵」と名乗っているのみで、海兵隊としての上陸作戦能力は無く標準的な陸軍部隊である。部隊は8個歩兵連隊、3個砲兵連隊、2個戦車連隊、4個空挺連隊、1個混成連隊、6個歩兵大隊が編成されており、第9海兵軽機甲旅団を中心に陸軍の主要な戦闘旅団にも海兵連隊が配備されている。多数の連隊ないし大隊は海外領土(フランス領ギアナやフランス領ポリネシアなど)及び旧フランス領のアフリカ諸国(ジブチやガボンなど)に展開しており、かつての植民地の防衛・警備任務の伝統を継いでいる。海外領土に展開している部隊の場合は、現地住民も入隊することが多い。
一方、FORFUSCOは小規模であるが本来の海兵隊(海軍歩兵)の意味を成し、こちらは基地・艦艇警備を担当する海洋銃兵(Fusilier marin)及びコマンド作戦を行う海軍コマンド部隊(Commando marine)で構成されている。
イタリア
イタリアでは、海軍に所属する
サンマルコ両用戦連隊(「サンマルコ海兵隊」と訳されることもある)と、陸軍に所属する
セレニッシマ上陸強襲連隊が上陸戦を担っている。
ギリシャ
ギリシャの海兵隊は陸軍に属している。
スウェーデン
スウェーデンでは海軍沿岸砲兵部隊を改編した
海軍水陸両用軍団が上陸戦を担っている。
中華人民共和国
中国人民解放軍の
人民解放軍陸軍は上陸作戦部隊を保有しているが、海兵隊(海軍歩兵)とは称さない。また
人民解放軍海軍も独自の両用戦部隊である海軍陸戦隊を保有している(
後者の詳細は中国人民解放軍海軍参照)。
中華民国(台湾)
台湾では
海軍に属している。海軍陸戦隊が正式名称である。
インドネシア
インドネシアの
海兵隊は海軍に属している。
コロンビア
コロンビアの
海軍歩兵(Infantería de Marina Colombiana)は、3個旅団が編制されており、
コロンビア海軍の傘下にある。
日本の場合
大日本帝国陸海軍
旧日本海軍は、
明治4年から9年までという短期間であるが英国海軍を模して「海兵隊」という名の戦闘部隊を保有していた。
砲兵科、
歩兵科、楽隊・鼓隊で編成していたが、使用目的が不明確であり、国家財政の逼迫から廃止となった。海兵隊廃止後は必要に応じて艦艇の乗組員を武装させ臨時に
陸戦隊を編成した。のちに常設の特別陸戦隊を創設し
館山砲術学校で兵員を育成したが、上陸戦部隊というよりも上陸後の占領地の警備部隊としての性格が強いものだった。有名なものに
上海特別陸戦隊がある。また太平洋戦争末期では、多くの海軍将兵が地上戦要員として港湾や飛行場の守備にあたった。(
詳細は海軍陸戦隊参照)
旧日本陸軍では、船舶部門の中心地の宇品港(現広島港)付近に所在する第5師団(司令部:広島県広島市)が、上陸戦部隊としての性格をもっていた。日本陸軍は「特殊船」と呼んだ揚陸艦や上陸用舟艇である「大発(大型発動機艇)」など多くの船舶機材、船舶工兵や船舶砲兵などの専門部隊(陸軍船舶兵)を保有しており、海上機動力は諸国の陸軍と比較して大きかった。第二次世界大戦中には、敵前上陸専門部隊である海上機動旅団や、「海洋師団」と呼ばれる限定的な上陸作戦機能を有する歩兵師団なども編成した。
自衛隊
自衛隊では、海兵隊が攻撃的な印象を持つとの政治的な理由から組織していない。
ただし、陸上自衛隊の第13旅団(広島県海田町)が、北方機動特別演習の際に海上自衛隊の呉基地からおおすみ型輸送艦に乗り込んで海上機動訓練を数度行っており、有事の際は日本全国に増援に駆けつける「機動旅団」としての性格付けがなされている。また、LCACホバークラフト揚陸艇を搭載したおおすみ型輸送艦が呉基地に集中配備されていることから、第13旅団は海兵隊に近い運用構想であるとみられている。
また、陸上自衛隊の離島防衛部隊で、海からの侵入・強襲を行う西部方面普通科連隊があり、海上自衛隊では艦船への強襲・浸透のための部隊で、着上陸侵入訓練も行っている海上自衛隊の特別警備隊も小規模ではあるが、海兵隊的な任務を担う部隊と言える。
関連項目
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』