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Juan Pablo Ángel(ファン・パブロ・アンヘル, 1977年9月3日 - )はコロンビア出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。
来歴
1993年に母国リーグでデビュー。
1996年からは
コロンビア代表にも招集され、
1997年に
アルゼンチンの名門
リバープレートへ移籍。さらに
2001年には16億円の移籍金で
プレミアリーグアストン・ヴィラへ加入した。
加入当初は相手の激しい当たりが特徴のプレミアリーグに馴染めなかったものの、翌年にはチームの中心選手へと成長、ダリウス・ヴァッセルと共にチームの攻撃を支えた。しかし、2007年は監督の構想から外れ、同年4月にMLSニューヨーク・レッドブルズへ移籍。19得点を挙げ得点ランク2位につけるなど、主力としてチームに大きく貢献した。
プレースタイル
テクニックに優れたストライカー。パスを出して良し、競り合って良し、決定力も高くスピードもあるとまさに万能で、アストン・ヴィラでもエースストライカーに君臨していた。
エピソード・アラカルト
所属クラブ
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DRDAは、IBMの分散リレーショナルデータベース体系 (Distributed Relational Database Architecture)、もしくはそのプロトコルおよび実装のことを指す。分散された複数のデータベースマネージメントシステム (DBMS) およびアプリケーション・プログラムの協働と連携を行い、データアクセスとトランザクションを制御する。DRDAをサポートするDBMS同士であればどのような組み合わせでも
分散データベースシステムを構成することができる。
DRDA(R) は、DBMSとの通信プロトコルを定義するが、API は定義しない。
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<新潟市
<新潟市の行政区域の変遷
東区(ひがしく)は、新潟県新潟市の行政区のひとつ。旧新潟市域の中地区(山ノ下、藤見、下山地区。下山地区には松浜町のうち、阿賀野川左岸側の地域のみを含む。なお同右岸側の松浜地区は北区の区域)、東地区の一部(木戸、大形地区)、石山地区で構成され、区役所は山ノ下地区(旧中地区事務所)に置かれている。
区内には新潟港の区域の一部(西港のうち、山の下埠頭、臨港埠頭)と新潟空港があり、県及び市の「海と空の玄関口」という側面を持つ。
概要
地理
北は
日本海、西は
信濃川および栗ノ木川、南は
日本海東北自動車道、東は
阿賀野川に囲まれた地域で、中心を通船川が東西に走る。
阿賀野川を挟んで東に北区、日本海東北自動車道を挟んで南に江南区、信濃川および栗ノ木川を挟んで西に中央区を配する。
新潟市の区では中央区とともに、ほぼ全域が平成の大合併前の旧新潟市で構成されている区である。
海岸部では空港及び港の地域を除いて海水浴が可能で、海水浴を行ないながら空港から飛び立つ飛行機を間近に見ることも出来る。
その昔、阿賀野川は信濃川に接続しており、江戸時代は幾度も水害に悩まされた地域でもある。通船川は過去に接続していた名残である。
現在では主に区域の北部や南部が主に住宅地、中部が主に商業地や工業地となっている。商業地は特にマーケットシティの発展が目覚ましい。
歴史
- 1914年 - 新潟市と沼垂町が合併(沼垂町の山ノ下が東区となる)
- 1943年 - 大形村・石山村を新潟市に編入(石山村の石山・木戸が東区となる)
- 1954年 - 松ヶ崎浜村を新潟市に編入(松ヶ崎浜村の阿賀野川左岸が東区となる)
政令市移行前
政令市移行後
- 2007年4月1日 - 新潟市の政令指定都市移行に伴い東区が設置される。
- 2007年4月2日 - 東区バスの運行が開始される。
- 2007年4月28日 - 山ノ下みなとタワー隣接地に大型複合遊具を配した公園「山の下みなとランド」が開園する。
面積
面積は中央区に次いで新潟市の区では2番目に小さい。
新潟市の全面積の約5%を占める。
人口
人口は中央区、
西区に次いで新潟市の区では3番目に多い。新潟市の全人口の約17%を占める。
イメージカラー
空港や港など海と空の玄関口があり、日本海をはじめ信濃川に阿賀野川など、水辺をイメージした「アクアブルー」。
市が2007年3月に策定した「新・新潟市総合計画」で示された区の将来像は『暮らしと産業の調和を活かした、世界と共生するまち』
経済・産業
農業
市街地・住宅地の外郭部(下山・大形地区の南東側、石山地区の南側)には水田が広がり、稲作が盛ん。藤見地区の北側(新潟空港の西側)はかつて砂丘地で、タバコやスイカの栽培が盛んだったが、1970年代以降は宅地化が進み、現在耕作地はほぼ消滅した。
製造業
新潟港(西港区)に面しており、古くから多くの企業が製造拠点を置いている。
- 区内に拠点を置く主な企業
- 日東紡績 新潟事業センター(東新町)断熱材など
- 佐藤食品工業 本社(宝町)米飯、餅など
- 東北電力 新潟火力発電所(桃山町二丁目)
- :市域内にある唯一の発電専用施設。最大出力は500,000kw。
- 昭和シェル石油 新潟石油製品輸入基地(平和町)
- :1999年3月までは製油所。老朽化のため、精油施設の稼動を取りやめた。
- 三菱マテリアルPMG 新潟事業所(小金町三丁目)金属焼結部品など
- JFE精密 本社工場(上王瀬町)素形材、金属皮膜加工など(JFEスチール子会社)
- :旧NKK(日本鋼管)新潟製造所。1993年、同社合理化のため業務を縮小した。
- 北越製紙 新潟工場(榎町)紙、パルプなど
- 新潟原動機 内燃機工場・鋳造工場(岡山)エンジン、ガスタービン(IHIグループ、旧新潟鐵工所)
- ニイガタマシンテクノ 本社工場(岡山)工作機械、成形機(新日本工機グループ、旧新潟鐵工所)
- 一正蒲鉾 本社工場ほか(津島屋七丁目ほか)かまぼこ、海産品、惣菜加工など
その他
王瀬の長者
新潟市内では、山ノ下・木戸・藤見地区と中央区沼垂地区にまたがる地域を中心に「王瀬の長者」という民話が伝えられているが、これには長者にまつわる伝説やサケにまつわる伝説、地名の由来に関する伝説など、新潟市内各所(前出の他に大形地区、北区松浜地区、江南区曽野木・大江山地区など)において諸説伝えられている。このうち、地名にまつわるものを下記に要約する。
かつて沼垂の王瀬町(現在の大山・宝町から榎町にかけての地域)には隆盛を誇った長者が住んでいた。藤の山にたいそうな屋敷を構えたが、その屋敷の敷地はとてつもなく広く、屋敷の木戸があった場所が現在の「上木戸」「中木戸」「下木戸」で、牡丹を植えた庭が「牡丹山」、月を見た場所が「月見町」、藤を愛でた場所が「藤見町」、沖の船や天気を見た場所が「物見山」であったといわれている。<br/>
また現在も、周辺には「長者町」「宝町」「錦町」「小金町」という縁起のよい地名が数多い。
市街地構成
東区の地区構成は大きく分けて、海岸側(北側)から順に中地区(山ノ下・藤見・下山地区)、東地区(木戸・大形地区)、石山地区の3つ。中地区・東地区は新潟西港周辺が工業地域で、その東側の大部分が住宅地と水田である。石山地区は北側をJR白新線、西側を同信越本線に囲まれており、1960年代から住宅地として開発が進んだ場所である。住宅地の南側は水田。江南区との区境には日本海東北自動車道が東西に伸びている。
区の中心となる市街地・商業地域はない。区域のほぼ中央、藤見地区と大形地区の境目は水田が広がっていたが、1990年代から道路整備や住宅地開発が進み、「原信マーケットシティ河渡」や「ジャスコシティ新潟東」(ジャスコ新潟東店)、新松崎ストリートなど郊外型店舗の集積地が形成された。
以下、区内各地区について概要を記す。
山ノ下地区
区役所が所在するのは山ノ下(やまのした)で、区の北西部に位置する。元々は現在の大形地区の一部であったが、明治時代に中蒲原郡沼垂町に編入した。このため中央区の沼垂地区との繋がりが深い。新潟港を背後に持ち、山ノ下・臨港両埠頭の南東側には旧来からの市街地が広がる。市街地西側には油槽所や火力発電所があり、その間を
新潟みなとトンネル東詰の地上区間「ポートコリドール」が横断する。市街地の南側は後述の木戸地区との間に工業地域が広がる。
赤道の藤見町交差点角には郊外型店舗の集積地「フレスポ赤道」及び「原信マーケットシティ赤道」がある。
藤見・下山地区
区の北部に位置するのが藤見(ふじみ)。その東側、阿賀野川左岸までの間は下山(したやま)。国内外各方面への航空路が発着する
新潟空港が所在するのは後者。空港周辺はかつて松ヶ崎浜村(現北区松浜)の村域で、現在に至るまで町名整理や住居表示が行われぬままであるため、空港内の地名は現在も「東区松浜町」となっている。
藤見・下山は1960年代半ばまでは砂丘と水田が広がる農村部だったが、1964年の新潟地震以降、住宅地開発が活発に進められ、新潟空港と国道113号、同バイパス(現在は市道として供用中)を中心として市街地化が進んだ。前述のマーケットシティ河渡や新松崎ストリートがあるのは両地区の南側。また区の東側には木工団地や石材団地などがあり、大形地区の津島屋印刷団地などと合わせ、市内外の主要企業が製造・物流の拠点を設けている。
木戸地区
区の中西部に位置するのが木戸(きど)。前述の山ノ下地区南部から木戸地区北西部にかけては
北越製紙新潟工場などが立地する工業地域。それ以外は住宅地で、赤道と
県道3号(旧7号・新発田街道)が交差する赤道十字路を中心に、古くからの商店街や住宅地が広がる。宅地化が本格化したのは1950年代後半から。前述の赤道十字路角には1994年に開店した
イトーヨーカドー新潟木戸店があったが、2007年2月に閉店。跡地は
山下家具店が入居する予定だったものの、土地・建物所有者の大川トランスティルが経営破綻した影響でこの計画は凍結され、現在も再開発の目途は立っていない。
地区南部の竹尾・紫竹には新潟市で最初の大規模流通団地「新潟卸センター」があり、市内外の企業が流通の拠点を置いている。
大形地区
区の中東部に位置するのが大形(おおがた)。
新潟バイパス・
海老ヶ瀬インターチェンジまでの間は県道3号に沿って木戸地区とほぼ一体の市街地を形成している。かつての大形村の中心地は、現在の大形本町周辺。海老ヶ瀬以東、阿賀野川に架かる
泰平橋までの間は1970年代から宅地開発が進んだ。その南側には白新線の大形駅や
新潟県立新潟北高等学校がある。
ジャスコ新潟東店は、前述の新松崎ストリートから通船川を挟んですぐ南側。
南部の逢谷内には上越新幹線の新潟新幹線車両センターや新潟原動機・ニイガタマシンテクノ(旧新潟鐵工所)の工場などがある。
石山地区
区の南部に位置する地区。古くからの農村だが、1950年代から急速に宅地化が進んだ。地区内で最初に本格的な団地として開発されたのが、東新潟駅近くの「石山団地」。かつてはモルタル張りの平屋・2階建の長屋風の建物だったが、1990年代から大規模な建替えが進められた。石山東部ではこの石山団地と、西部では越後石山駅を中心としてそれぞれ宅地開発が進められ、新潟市の一大人口集積地に成長した。なお、東新潟駅には貨物駅の
新潟貨物ターミナル駅が併設されている。
その他
住居表示は区内の宅地・集落の大部分で行われているが、現在も未実施のままとなっているところも点在する。
観光
文化・芸術
文化・芸術と施設
図書館・公民館
運動施設
- 新潟市東総合スポーツセンター
- 新潟市庭球場
- 阿賀野川河川公園運動広場
- 津島屋公園運動広場
- 中地区運動広場
- 山の下海浜公園プール
- 山の下船江町浜海水浴場
公園など
- 阿賀野川河川公園
- 大山台公園
- じゅんさい池公園
- 山の下海浜公園
- 山ノ下みなとランド
主な行政施設
国の機関
新潟空港や新潟港があるため、それに関連した機関や自衛隊の基地が置かれている。
県の機関
- 新潟県防災局
- 新潟県警察
- 航空隊
- (新潟東警察署)
- 木戸交番
- 山ノ下中央交番
- 秋葉交番
- 河渡交番
- 大形交番
- 太平交番
- 新潟空港警備派出所
- (江南警察署)
- :東区は元々、中央区の新潟東警察署(石山地区除く)と江南区の江南警察署(石山地区)の所轄区域であったことから、区内には警察署が所在しない。新潟市8区で警察署が所在しないのは東区のみだが、将来的には所轄区域の変更や警察署の移転などについても検討される見込みである。
- ::新潟市内の警察署再編整備実施計画(新潟県警察)
市の機関
- 新潟市東区役所
- 新潟市消防局
- 新潟市環境部
- 新潟市東清掃センター
- 新潟市資源再生センター(エコープラザ)
日本郵政グループ
東区は元々、中央区の新潟中央郵便局の集配区域であったことから、区内には集配局は存在しない(一部は江南区の亀田郵便局の集配地域)。新潟市8区で集配局が所在しないのは東区のみである。
- (新潟中央郵便局)集配局
- 秋葉町郵便局
- 大形郵便局
- 大山郵便局
- 新潟粟山郵便局
- 新潟卸団地郵便局
- 新潟河渡郵便局
- 新潟紫竹郵便局
- 新潟太平郵便局
- 新潟中島郵便局
- 新潟牡丹山郵便局
- 船江町郵便局
- 山木戸郵便局
- 山ノ下郵便局
医療
- 新潟臨港保健会新潟臨港病院
- 新潟医療生活協同組合木戸病院
- 医療法人桑名恵風会桑名病院
教育機関
短期大学
高等学校
中学校
小学校
公立幼稚園・保育園
特別支援学校
その他
交通
港湾
道路
高速道路
政令市移行の際、旧新潟市域の区割りを決定する際に区境の基準とされたのが、北陸自動車道の新潟中央Jctから日本海東北自動車道の阿賀のかけはしまでの間である。区境は高速道路に沿って設けられており、北側が中央区と東区、南側が江南区で、高速道路自体の登記上の所在地は「江南区」となっている。
国道
県道
公共交通機関
鉄道
新潟駅より
信越本線、
白新線の両路線が区域を通っている。しかし区内にターミナルとなる駅は存在せず、中央区の新潟駅が実質的なターミナル駅となっている。
越後石山駅 - 東新潟駅(新潟貨物ターミナル駅)間は信越本線の貨物支線としては繋がっているが、直通する列車は無い。
東新潟駅近傍には上越新幹線の車両基地である新潟新幹線車両センターがある。
バス
路線バス
東区内の
路線バスは全て、
新潟交通と同社の地域子会社である
新潟交通観光バスによって運行されている。また、新潟交通は区内の榎に新潟東部営業所、下山二丁目に下山営業所、新潟交通観光バスは寺山三丁目に寺山営業所の、以上計3箇所の運行拠点を設けており、市内の路線バスや観光バス、長距離高速バスの運行拠点としている。
新潟交通の路線バスは全ての路線が新潟市中心部発着である。運行系統を大別すると、市内線は新潟駅前・市役所前・古町から万代シテイもしくは新潟みなとトンネルを経由して山の下地区に至る路線が3系統ある。また郊外線は国道113号などを経由して沼垂・山の下・河渡・下山を通り新潟空港や北区北部の松浜・南浜方面に至る路線、沼垂を経由して河渡方面に至る路線、新潟県道3号新潟新発田村上線(旧7号)を経由して北区中部の豊栄地区中心部や新発田市中心部方面に至る路線、新潟県道5号新潟新津線(旧49号)を経由して石山方面に至る路線などがある。なお、区内を運行する新潟交通グループの全路線でバスカード(路線バス用)が利用できる。
- 新潟市内線(東区北部)
- 4・4A 市役所前-古町-沼垂-北葉町-桃山町-臨港町-山の下
- 5 がんセンター-市役所前-古町-入船町-(みなとトンネル)-山の下-桃山町-臨港病院前
- 13・13A 新潟駅前-(東港線)-山の下-臨港町-桃山町-北葉町
- :4A・13Aは山の下・臨港町地内を循環運行し、再び市内中心部に至る。
- 新潟市中心部から空港通り・山の下・下山経由、松浜・南浜方面(東区北部)
- 300 市役所前-古町-沼垂-北葉町-河渡新町-下山-松浜
- 301 市役所前-古町-沼垂-北葉町-河渡新町-下山-松浜-新潟競馬場前
- 302 市役所前-古町-沼垂-北葉町-河渡新町-下山-松浜-北部営業所
- 303 市役所前-古町-沼垂-北葉町-河渡新町-下山-松浜-島見町-北部営業所
- 305 下山営業所→河渡新町→北葉町→沼垂→古町→市役所前
- 306 【<font color="cc0066">モーニングライナー</font>(I)】下山営業所→河渡新町→北葉町→沼垂→古町→市役所前→学校町→信濃町
- 307 【<font color="cc0066">モーニングライナー</font>(I)】松浜→下山→河渡新町→北葉町→沼垂→古町→市役所前→学校町→信濃町
- 308 【<font color="cc0066">モーニングライナー</font>(II)】松浜→下山→河渡新町→北葉町→(東港線)→万代シテイバスセンター前→南高校前→江南高校前
- 310 万代シテイバスセンター-(東港線)-北葉町-河渡新町-下山-松浜-新潟医療福祉大学
- 311 万代シテイバスセンター-(東港線)-北葉町-河渡新町-下山-松浜-陽光ニュータウン-新潟医療福祉大学
- 312 新潟医療福祉大学→松浜山の上→下山→河渡新町→北葉町→沼垂→古町
- 313 万代シテイバスセンター-(東港線)-北葉町-河渡新町-下山-松浜-新潟医療福祉大学入口-島見浜-太郎代浜
- 314 太郎代浜→島見浜→新潟医療福祉大学入口→松浜山の上→下山→河渡新町→北葉町→沼垂→古町
- 315 万代シテイバスセンター→(東港線)→北葉町→河渡新町→下山→松浜→三菱ガス化学→新潟医療福祉大学入口→島見浜→太郎代浜
- 316 三菱ガス化学前→松浜→下山→河渡新町→北葉町→沼垂→古町
- :300~307系統は古町(柾谷小路)経由。310~316系統の市内区間、復路は沼垂・万代町通経由、古町(新津屋小路)終着。
- 新潟市中心部から明石通・空港通り・山の下経由、船江町方面(東区北部)
- 320 万代シテイバスセンター-(明石通)-沼垂-北葉町-浜谷町-船江町
- :市内区間、復路は沼垂・万代町通経由、古町(新津屋小路)終着。
- 船江町(東区北部)から山の下方面
- :系統番号が付されているバスでは、東区内のみを運行する唯一の路線。船江町地区から市立桃山小学校へのスクールバス路線で、朝1本のみ運行。土休日は運休する。
- 新潟市中心部から新潟空港方面(東区北部)
- 330 【<font color="green">急行</font>】万代シテイバスセンター-新潟駅前-新潟空港
- 331 【<font color="blue">快速</font>】万代シテイバスセンター-新潟駅前-浜谷町-物見山-河渡新町-空港入口-新潟空港
- 332 〔各停〕万代シテイバスセンター→新潟駅前→中央埠頭→北葉町→浜谷町→物見山→河渡新町→空港入口→新潟空港
- :市内区間、復路は東港線・万代シテイバスセンター前経由、新潟駅前終着(空港発は急行・快速のみ)。
- 新潟市中心部から大山経由、河渡方面(東区北部)
- 340 古町-沼垂-大山-河渡-松崎-木工団地
- 350 古町-沼垂-大山-河渡-向陽三丁目
- 351 【<font color="cc0066">モーニングライナー</font>(I)】向陽三丁目→河渡→大山→沼垂→古町→市役所前→学校町→信濃町
- :340・350系統は古町(柾谷小路)発。復路は古町(新津屋小路)終着。351系統は古町(柾谷小路)・市役所前経由。
- 新潟市中心部から赤道・牡丹山・竹尾方面(東区中部)
- 400 市役所前-古町-沼垂白山-山木戸-牡丹山-上木戸-新潟鉄工所前
- 401 市役所前-古町-沼垂白山-山木戸-牡丹山-東部営業所
- 402 【<font color="cc0066">モーニングライナー</font>(I)】新潟鉄工所前→上木戸→牡丹山→山木戸→沼垂白山→古町→市役所前→学校町→信濃町
- 410 古町-沼垂白山-山木戸-牡丹山-竹尾インター前-卸会館前
- 411 古町-沼垂白山-山木戸-牡丹山-竹尾インター前-竹尾
- :410・411系統は山木戸・牡丹山・竹尾地内循環運行、折り返し古町方面行き。
- 新潟市中心部から旧7号・山木戸・大形経由、大江山・豊栄中心部・新発田方面(東区中部)
- 700 万代シテイバスセンター-山木戸-大形本町-新崎-木崎-新発田営業所
- 710 万代シテイバスセンター-山木戸-大形本町-すみれ野-早通駅前-豊栄駅前
- 720 万代シテイバスセンター-山木戸-大形本町-新崎-新潟競馬場前
- 740 万代シテイバスセンター-山木戸-大形本町-一日市
- 741 万代シテイバスセンター-山木戸-大形本町-大江山連絡所
- 742 【<font color="cc0066">モーニングライナー</font>(I)】一日市→大形本町→山木戸→古町→市役所前→学校町→信濃町
- 743 【<font color="cc0066">モーニングライナー</font>(II)】一日市→大形本町→山木戸→万代シテイバスセンター前→南高校前→江南高校前
- 750 万代シテイバスセンター-山木戸-大形本町-津島屋
- 770 東部営業所→山木戸→万代シテイバスセンター前
- :復路は古町(東堀通五番町)終着。
- 新潟市中心部から旧49号経由、石山方面(東区南部)
- 900 万代シテイバスセンター-沼垂白山-山二ツ-亀田駅前-横越-京ヶ瀬支所前-水原
- 910 万代シテイバスセンター-沼垂白山-山二ツ-亀田駅前-横越-沢海-中新田-新津駅
- 911 万代シテイバスセンター-沼垂白山-山二ツ-亀田駅前-横越-沢海-中新田-京ヶ瀬営業所
- 920 万代シテイバスセンター-沼垂白山-山二ツ-亀田駅前-二本木-荻島-新津駅-秋葉区役所
- 930 万代シテイバスセンター-沼垂白山-山二ツ-亀田駅前-早通-酒屋車庫
- 940 万代シテイバスセンター-沼垂白山-京王団地-南長潟
- 941 万代シテイバスセンター-沼垂白山-京王団地-スポーツ公園前-丸潟-曽川-大野仲町
- 950 市役所前-古町-万代シテイバスセンター(前)-沼垂白山-山二ッ-石山駅入口北-石山団地-新潟鉄工所前
- 960 万代シテイバスセンター-沼垂白山-東明-石山駅入口南-中野山-新潟鉄工所前
- 961 万代シテイバスセンター-沼垂白山-東明-石山駅入口南-中野山-北高校前
- 962 万代シテイバスセンター-沼垂白山-東明-石山駅入口南-中野山-大渕団地-大江山連絡所前
- 963 【<font color="cc0066">モーニングライナー</font>(I)】新潟鉄工所前→中野山→石山駅入口南→東明→沼垂白山→万代シテイバスセンター前→古町→市役所前→学校町→信濃町
- :復路は古町(三越前)終着。
コミュニティバス
東区内ではこの他、市及び区による
コミュニティバス「区バス」を政令市移行後の
2007年4月2日から、区役所と石山出張所を結ぶ2ルートで運行している。前述の新潟交通の路線バスは市内中心部から郊外に向けて放射状の路線網を構築しており、区内東西間の公共交通による移動は比較的容易なものの、区内を南北に縦貫する路線は皆無であり、区役所のある区北部の山の下地区と、住宅密集地である区南部の石山地区との間を連絡する公共交通がなかったことから、区役所への交通手段を確保するため設けられたものである。運行は区役所・出張所が開庁している平日のみで、運賃は全区間大人200円(子供100円)均一。運行業務は新潟交通新潟東部営業所が受託している。
- 新潟市東区区バス
- 中野山ルート
- 石山出張所前 - 石山 - 石山駅入口南 - 粟山 - 中野山5丁目 - 竹尾インター前 - 牡丹山小学校入口 - 牡丹山4丁目 - 牡丹山2丁目 - 赤道下木戸 - 聾学校入口 - 宝町 - 東区役所前
- 紫竹ルート
- 石山出張所前 - 石山中学前 - 東明2丁目 - 江南小学校前 - 江南2丁目 - 南紫竹1丁目 - 紫竹 - 市営住宅前 - 牡丹山4丁目 - 牡丹山2丁目 - 赤道下木戸 - 聾学校入口 - 宝町 - 東区役所前
しかし2007年度の運行実績(4~12月)においては、1便あたりの平均利用者は2人強、利用率も10%前後に低迷し、市が定めた区バス運行継続条件の「30%」を大きく割り込んだ。また利用者からも「市内中心部や駅などの交通拠点から利用しにくい」「運行は昼間時間帯のみで、朝夕の通勤・通学時間帯に利用できない」などといった意見が寄せられた。このため区では2008年4月1日から両ルートの運行経路を大幅に変更し、新潟駅南口から木戸、河渡を経由して区役所に至るルートと、石山出張所から石山地区を東西に横断し、松崎、空港西、臨港町を経由して区役所に至るルートの2路線に再編する。また駅南口発着のルートは通勤需要に特化したダイヤを編成し、区役所発を朝2本、駅南口発を夕方2本の計2往復とする。
高速バス
東区内には高速道路上の
バス停留所が1箇所ある。江南区との区境の西野にある日本海東北自動車道の
西野バスストップは、日東道経由の高速バスが発着する。下り停留所側(中条方面・東区側)にはパークアンドライド用の駐輪場・駐輪場が設けられている。なお、日東道の道路自体は江南区に位置する。
- 西野バスストップ
- 県庁~中条~村上営業所線
- 万代シテイバスセンター~小国~飯豊~山形線(Zao号)
外部リンク
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未分類
定形衛(さだかた まもる、1953年 - )は、日本の国際政治学者。名古屋大学教授。専門は東欧の政治外交史。
略歴
在外研究
著作
単著
- 『非同盟外交とユーゴスラヴィアの終焉』(風行社, 1994年)
共編著
訳書
論文
- 「ユーゴにおける「介入」の変遷と国家の統合・解体」(『研究論集』,河合文化教育研究所編, 3, 123-134, 2006)
- 「ユーゴスラヴィア民族紛争とチトー主義再考」(『アソシエ』,アソシエ編集委員会編,御茶の水書房, 16, 54-63, 2005)
- 「コソヴォのNATO空爆と人道的介入」(『名古屋大学法政論集』,名古屋大学大学院法学研究科編, 202, 353-386, 2004)
- 「旧ユーゴスラヴィア終焉の諸相―連邦・民族・国際社会」(『国際問題』,日本国際問題研究所, 496, 2-14, 2001)
- 「60年代ユーゴスラヴィアの内政と外交」(『国際政治』,日本国際政治学会, 126, 102-116, 2001)
- 「コソヴォ紛争とNATO空爆」(『国際問題』,日本国際問題研究所, 483, 27-40, 2000)
- 「「チトー主義」の崩壊とその意味―コソヴォ問題とミロシェヴィチの登場を中心に」(『ロシア研究』,日本国際問題研究所, 29, 23-27, 1999)
- 「コソヴォ危機と50年目のNATO」(『法律時報』,日本評論社, 71(9), 24-28, 1999)
- 「一九九〇年のクロアチア複数政党選挙の一考察」(『金沢法学』,金沢大学法学部, 40(2), 35-64, 1998)
- 「ユーゴスラヴィア非同盟外交の理論とその変遷」(『金沢法学』,金沢大学法学部, 36(1-2), 79-127, 1994)
- 「戦後国際政治の変動と非同盟運動」(『金沢法学』,金沢大学法学部, 34(1), 125-149, 1992)
- 「社会主義連邦国家の国家主権問題―ユーゴスラヴィアの対ソ外交と党・国家関係」(『国際政治』,日本国際政治学会, 101, 57-71, 8, 1992)
- 「アジア・アフリカ連帯運動と中ソ論争―アジア・アフリカ会議と非同盟会議のはざまで(一九六四~六五年)」(『国際政治』,日本国際政治学会, 95, 115-130, 12-13, 1990)
- 「国際化時代の地域外交―大分県の事例を中心にして」(『大分大学経済研究所研究所報』,大分大学経済研究所, 23, 75-124, 1989)
- 「国際共産主義運動と非同盟外交―ユーゴの対ソ連、中国外交(1977-78年)」(『大分大学経済論集』,大分大学経済学会, 40(4-5), 227-240, 1989)
- 「80年代のユーゴスラヴィア外交」(『大分大学経済論集』,大分大学経済学会, 40(3), 101-119, 1988)
- 「「バルカン化」についての覚書-1-バルカン戦争(1912~13年)を中心に」(『大分大学経済論集』,大分大学経済学会, 39(6), 136-147, 1988)
- Small-State Security in the Balkans/Aurel Braun(1983)(『季刊国際政治』,日本国際政治学会, 84, 167-171, 1987)
- 「ユーゴスラヴィア―民族問題と非同盟外交」(『国際政治』,日本国際政治学会, 86, 54-67, 9, 1987)
- 「アジア・アフリカ「精神」とユーゴ非同盟外交―「バンドン」から「ブリオニ」へ」(『大分大学経済論集』,大分大学経済学会, 38(3), 51-68, 1986)
- 「試練に立つ非同盟運動」(『大分大学経済論集』,大分大学経済学会, 38(1), 50-71, 1986)
- 「コソヴォ問題についての覚書」(『大分大学経済論集』,大分大学経済学会, 37(4-5), 315-330, 1986)
- 「ポスト・チトーとユーゴ非同盟外交」(『大分大学経済論集』,大分大学経済学会, 37(3), 42-62, 1985)
- 「非同盟とヨーロッパ:デタント期のユーゴ非同盟外交」(『六甲台論集』,神戸大学, 31(4), 128-144, 1985)
- 「非同盟と中立―ユーゴスラヴィアにおける研究を中心にして」(『国際法外交雑誌』,国際法学会, 83(3), 310-329, 1984)
- 「「積極的平和共存」についての一考察:ユーゴ非同盟外交の萌芽」(『六甲台論集』,神戸大学, 31(1), 82-93, 1984)
- 「ユーゴスラヴィアにおける非同盟研究の動向(研究ノート)(国際政治の理論と実証)」(『季刊国際政治』,日本国際政治学会, 74, 154-166, 1983)
- 「ユーゴ非同盟外交の論理」(『六甲台論集』,神戸大学, 30(1), 31-48, 1983)
- 「非同盟運動の軌跡(岐路に立つ非同盟運動<焦点>)」(『国際問題』,日本国際問題研究所, 245, 19-39, 1980)
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造兵廠(ぞうへいしょう、Armory)とは、武器・弾薬などの設計・製造・修理などを行い、その蓄積のために使われる軍隊直属の工場、及び機関のこと。海外においては、M1ガーランド自動小銃を開発・製造したアメリカのスプリングフィールド造兵廠が有名。
旧日本陸軍における造兵廠の前身は、明治12年10月に設置された砲兵工廠で、本廠である東京砲兵工廠と、支廠である大阪砲兵工廠の二つが在った。これらは、大正12年3月29日に陸軍造兵廠に改編され、昭和15年4月に従来の陸軍兵器廠と統合された。新たな造兵廠は、この兵器廠の下に支廠として置かれることとなり、東京第一・東京第二・相模・名古屋・大阪・仁川・南満の各地に置かれた。
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『くるりんパラダイス』は、2002年12月6日にゲームボーイアドバンスのソフトとして任天堂から発売されたアクションゲーム。
ストーリー
くるりん村に、人気のあるマジシャンズ「マジック大魔術団」がやってくることになり、クルリンたち家族は見に行くことに。だが当日、クルリンの寝癖がなおらず、家族はクルリンをおいて先に会場へ行くことに。
ようやく寝癖はなおったが、公演会場は、すでに誰もいなかった。
しかたなく家族を待つクルリンだが、夜になっても家族が帰ってこなかった。不安になったクルリンは、ヘリリンに乗って家族を探しにいくことになる。
外部リンク
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岐阜工業専門学校 (ぎふこうぎょうせんもんがっこう) は、1942年 (昭和17年) に岐阜県によって設立された公立の旧制専門学校。創立時の名称は 「岐阜県立高等工業学校」。
概要
- 第二次世界大戦下における工業技術者確保のために国策に合わせて増設された高等工業学校 (高工) の一つ。
- 創立時は本科 (修業年限3年) に機械工学科・応用化学科の 2科を設置した (のちに紡織科・土木科を増設)。
- 第二次世界大戦中に岐阜県立工業専門学校に、1947年に岐阜工業専門学校に改称された。
- 学制改革で新制岐阜医工科大学工学部 (1950年 岐阜県立大学工学部 → 1952年 岐阜大学工学部) の母体となった。
- 同窓会は 「岐阜大学工業倶楽部」 と称し、旧制・新制合同の会である。
沿革
前史
日中戦争下の時代、文部省によって
1939年に官立高等工業学校が増設されることが伝わると、岐阜県でも誘致運動が起こった。
1938年12月、岐阜県会は県下への高等工業学校設置を要望する意見書を可決している。しかし、1939年3月に文部省が発表した新設高等工業学校 7校はいずれも県外ばかりで、岐阜県は誘致に失敗した。やがて県立の高等工業学校を設立する機運が高まり、岐阜県は
1942年8月、県立高等工業学校設立認可を申請。1942年11月には、県議会で高等工業学校設置予算が可決された。
岐阜県立高等工業学校時代
- 1942年12月8日: 専門学校令により岐阜県立高等工業学校設立認可 (12月19日付 文部省告示第645号)。
- 1943年1月12日: 岐阜県立高等工業学校学則制定 (岐阜県令第2号)。
- 本科 (修業年限3年) に機械工学科・応用化学科を設置。
- 既存の工業学校 (岐阜県立第一工業学校、現・岐阜県立岐阜工業高等学校) に併設された。
- 1943年4月: 開校。12日、第1回入学式・授業開始。22日、開校式を挙行。
岐阜県立工業専門学校時代
- 1945年2月20日: 岐阜県立工業専門学校への改称認可。
- 1945年3月8日: 岐阜県立工業専門学校学則制定 (岐阜県令第6号)。
- 本科学科を改称: 機械工学科 → 機械科、応用化学科 → 化学工業科。
- 1945年9月: 第1回卒業 (1943年入学者)。
- 1946年2月: 専修科設置 (化学工業科・紡織科、1946年12月廃止)。
- 1946年5月: 本科に紡織科を増設。
岐阜工業専門学校時代
- 1947年2月7日: 岐阜工業専門学校への改称認可 (文部省告示第17号)。
- 1947年5月: 本科に土木科を増設。
- 1948年7月: 岐阜県知事、新制 「岐阜医工科大学」 設置認可を文部大臣に申請。
- 当初は 「県立岐阜大学」 との名称だったが変更された。
- 1949年2月21日: 新制岐阜医工科大学設置認可 (文部省告示第42号)。
- 医学部 (実際の開設は1952年4月) と工学部を設置。
- 旧制岐阜工専は、工学部 (土木工学科・機械工学科・繊維工学科・工業化学科) の母体として包括された。
- 1949年5月10日: 新制工学部第1回入学式。
- 1950年4月1日: 岐阜県立大学と改称認可 (5月6日県告示で、3月31日以降改称とされる)。
- 1951年3月31日: 岐阜県立大学岐阜工業専門学校、廃止。
歴代校長
- 校長事務取扱: 高田覚 (1943年1月12日 - 1943年1月31日)
- 初代: 高田覚 (1943年1月 - 1945年12月21日死去)
- 校長事務取扱: 若杉専太 (1946年1月 - 1946年10月)
- 第2代: 大森貫一 (1946年10月 - 1948年6月)
- 校長事務取扱: 服部武夫 (1948年6月 - 1949年2月)
- 第3代: 北澤忠男 (1949年2月 - 1949年11月27日死去)
- 校長事務心得: 服部武夫 (1949年11月 - 1950年2月)
- 第4代: 高橋逸夫 (1950年3月 - 1951年3月)
校地の変遷と継承
岐阜県
羽島郡笠松町常盤町1700番地の岐阜県立第一工業学校 (現・
岐阜県立岐阜工業高等学校) に併設され、廃止まで同校地を使用した。笠松校地は後身の新制岐阜医工科大学工学部・岐阜県立大学工学部に引き継がれた (当時 笠松校地に同居していた岐阜県工業試験場の一部研究室も、大学附属研究室とされた)。1952年4月に国立移管により発足した岐阜大学工学部は、当初は笠松校地を使用したが、
1954年9月に
稲葉郡那加町 (現・
各務原市那加門前町) の農学部キャンパス (元・旧制岐阜高等農林学校校地) に移転。さらに、
1981年10月に、現在の岐阜市柳戸地区に統合移転した。
著名な出身者
関連書籍
- 作道好男・作道克彦(編) 『岐阜大学工学部史』 教育文化出版教育科学研究所、1984年10月。
関連項目
外部リンク
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固定リンク方式
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関連項目
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』