天間バスストップって?
上崎駅って?
上崎駅(かみざきえき)は、宮崎県延岡市北方町上崎にあった高千穂鉄道高千穂線の駅である。2007年の同線部分廃線によって廃駅となった。
駅構造
単式1面1線片面ホームの棒線地上駅である。無人駅。駅舎は無く、緑色の待合室がある。現在では軌道が撤去され、面影がうっすらと伺える程度である。駅周辺
利用状況
1日平均乗車人員は5人であった。(2003年度)歴史
- 1937年9月3日 - 国有鉄道日ノ影線の駅として開業。
- 1987年4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道の駅となる。
- 1989年4月28日 - 第三セクター転換により高千穂鉄道の駅となる。
- 2005年9月6日 - 台風14号による被害で高千穂線が全線運休となる。
- 2007年9月6日 - 延岡駅~槇峰駅間廃線により廃駅。
隣の駅
関連項目
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海_(ドビュッシー)って?
フランスの作曲家クロード・ドビュッシーの管弦楽曲『海』(うみ, La Mer) は1905年の作品。
題名の通り、海の情景を表した標題音楽であり、交響詩と呼ばれることもあるが、作曲者自身はこの作品に管弦楽のための3つの交響的素描(エスキス)の副題を与えた。彼の最高傑作の1つであるばかりでなく、印象主義音楽を代表する作品であり、近代音楽史上最も重要な作品の1つである。この作品の次作にあたる管弦楽のための『映像』の作曲中にドビュッシーは、「音楽の本質は形式にあるのではなく色とリズムを持った時間なのだ」と語っているが、本作はこの言葉を裏付ける「音楽」である。
作曲の経緯
この作品は1903年の夏に着手された。この頃ドビュッシーはブルゴーニュ地方にある妻の実家にいた。この年の9月12日付の手紙でアンドレ・メサジュ宛に、この作品に取りかかったこと、この作品が、「サンギネールの島々の美しい海」「波の戯れ」「風が海を踊らせる」という副題を持つ3つの楽章から構成されることを伝えている。同じ手紙の中で彼は、自分が今いるブルゴーニュから海は見えないが、記憶の中の海の方が現実よりも自分の感覚には合っていると述べている。しかし、実際にはこの作曲は難航し、しかも私生活では1904年妻を捨ててエマ・バルダックと駆け落ちをするといった事情もあって、完成までには時間を要し、結局完成したのは1905年3月5日であった。
作品の概要
初演
初演は、1905年10月15日、カミーユ・シュヴィヤール指揮のコンセール・ラムルー管弦楽団によって行われた。楽器編成
- ピッコロ
- フルート 2
- オーボエ 2
- コーラングレ
- クラリネット 2
- ファゴット 3
- コントラファゴット
- ホルン 4
- トランペット 3
- コルネット 2
- トロンボーン 3
- チューバ
- ティンパニ
- 大太鼓
- トライアングル
- シンバル
- タムタム
- グロッケンシュピール(またはチェレスタ)
- ハープ 2
- 弦五部
- 弦楽器の演奏者数については指定されていないが、チェロは第1楽章のdivisi演奏箇所に於いて16人の指定がされている。
楽曲の構成
- 「海の夜明けから真昼まで」 (De l'aube à midi sur la mer)
- 「波の戯れ」 (Jeux de vagues)
- 「風と海の対話」 (Dialogue du vent et de la mer)
の、3つの部分で構成される。
演奏時間は全曲で約25分弱。
その他
1905年に出版されたスコアの表紙には、葛飾北斎の浮世絵である冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」が使用された。これはドビュッシーの、あるいは当時のパリの東洋趣味を象徴するものとしてよく知られている。
また、ドビュッシーはこの曲をピアノ連弾用に編曲したが、彼自身、演奏不可能であると認めた。
「踊る大捜査線」で使われている曲「危機一髪」のクライマックス部分は、「風と海の対話」の練習番号63からの4小節をそっくり用いている。
外部リンク
参考図書
- 作曲家別名曲解説ライブラリー10 ドビュッシー (音楽之友社、1993年) ISBN 4276010500
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アンタールって?
『アンタール』(Antar)は
- ロシアの作曲家ニコライ・リムスキー=コルサコフの管弦楽作品。本項で説明。
- フランスの作曲家ガブリエル・デュポンの遺作となったオペラ。
『アンタール』(Антар, Antar)作品9は、ニコライ・リムスキー=コルサコフが1868年に作曲した管弦楽作品である。当初は交響曲第2番嬰ヘ短調『アンタール』として作曲されていた。その後1875年と1897年に2度の改訂を行っているが、第3版(1897年)で交響曲でなく交響組曲とされた。曲の内容が標題的で、多楽章形式の交響詩に近いからだと考えられる。今日演奏されるのは第3版であるが、「交響組曲」としてよりも「交響曲第2番」として扱われることが多い。
曲は4つの楽章からなり、6世紀アラビアの詩人アンタール(アンタラ・イブン・シャッダード、Antara Ibn Shaddad)の見る夢と、彼が夢の中で実現を約束される3つの願望を表している。『シェヘラザード』同様、リムスキー=コルサコフ好みの東洋趣味あふれた作品である。また、中東の民謡などが実際に曲中で主題として使われている。
初演
1876年にペテルブルクにて初演(第2版)楽器編成
以下の編成は第3版にもとづく。フルート3、ピッコロ(第3フルートの持ち替え)、オーボエ2、イングリッシュホルン(第2オーボエの持ち替え)、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン2、バストロンボーン、チューバ、ティンパニ(3台)、トライアングル、タンバリン、大太鼓、シンバル、タムタム、ハープ、弦五部(第1ヴァイオリン(16人、ソリあり)、第2ヴァイオリン(14人、ソリあり)、ヴィオラ(12人)、チェロ(10人、ソリあり)、コントラバス(8人))
標題のあらすじ
現世をはかなんでパルミラの廃墟に隠遁していたアンタール。彼はある日、一頭のカモシカを襲う巨大な鳥を槍を投げつけて追い払う。カモシカの正体はパルミラの妖精の女王ギュル・ナザールであった。彼は夢の中で女王の宮殿に招待されて、彼女から礼として「人生の3つの喜び」を贈ると約束される。構成
- 第1楽章 『アンタールの夢』
- Largo(廃墟の描写、アンタールの主題) - Allegro(女王の主題、鳥の攻撃と撃退) - Largo - Allegretto(宮殿の描写) - Adagio(女王とアンタールの会話) - Allegretto(宮殿の描写) - Largo
- 第2楽章 『復讐の喜び』
- Allegro - Molto allegro - Allegro - Molto allegro
- 第3楽章 『権力の喜び』
- Allegro risoluto alla marcia
- 第4楽章 『愛の喜び』
- Allegretto vivace - Andante amoroso (再び人生に疲れ果てたアンタールは、女王との愛の喜びの中で死んでいく)
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日吉村_(愛媛県)って?
日吉村(ひよしむら)は愛媛県の南予地方にあった村である。合併して北宇和郡鬼北町の一部となっている。
地理
位置・地形
愛媛県の南部、高知県境に接する山村である。宇和島市中心部から北東に35㎞。国道197号が北の城川町から入り、村の中心部で大きく東に向きを変えて、高研山トンネルへと通じる。これを抜ければ高知県梼原。国道320号が日吉村の中心部で国道197号と接し、広見町方面へと広見川に沿って下る。
村境付近は高研山をはじめとして1000メートル級の山がそそり立ち、地形は急峻。93%が林野で、耕地は3%しかない。
村名の由来
村の中心地の祭神に「日吉権現」があり、村人は日吉様と呼んでいたが、これが地域の名に転化した。歴史
- 古代から中世
- 646年(大化2年) - 孝徳天皇が大山上安部小殿大臣小鎌を伊予国に遣わし朱砂を採ったという言い伝えがあり、村内の富母里の水銀鉱から採ったものであろうとされている。(ただ、続日本紀には伊予国としか書かれていない)
- 近世
- 1615年(元和元年) - 宇和島藩の成立により宇和島藩領となる。以後貞延組と称された。
- 1657年(明暦3年) - 吉田藩の分藩により吉田藩領となり、鍵山が上鍵山と下鍵山とに分村、黒土郷16か村の内に含まれた。日向谷は土佐藩との境として番所が置かれていた。
- 後に時期不明だが、山奥筋と呼ばれるようになる
- 1793年(寛政5年) - 武左衛門一揆(武左衛門騒動)
- 近代~日吉村となって以降
- 1890年(明治23年) - 町村制施行にともない、父野川村(ちちのかわむら)・上大野村(かみおおのむら)・下鍵山村(しもかぎやまむら)・上鍵山村(かみかぎやまむら)・日向谷村(ひゅうがいむら)の5村が合併し、日吉村となる。
- 明治20年代 養蚕が盛んになる。
- 1894年(明治27年) - 藤田組が父野川鉱山を開坑、水銀を生産
- 1909年(明治42年) - 父野川鉱山休鉱、その後昭和20年代まで断続的に採鉱が行われていた。
- 1913年(大正2年) - 宇和島に通じる道路が開通。村外へと通じる車道として、宇和島方面、野村方面、檮原方面への道路が構想されたが、この時点で初めて村外への車道が開通した。
- 1922年(大正11年) - 井谷正吉の指導で四国で初めてとなるメーデー開催
- 1935年(昭和10年) - 下鍵山で大火、家屋焼失多数
- 隣町と距離のある山間地のため、昭和期の合併は経験していない。
- 2005年(平成17年) - 北宇和郡広見町との合併で鬼北町となり、自治体としての歴史を閉じる。
<pre>
日吉村の系譜
(町村制実施以前の村) (明治期)
町村制施行時
父野川 ━━━┓
上鍵山 ━━━┫
下鍵山 ━━━╋━━━ 日吉村 ━━━━━━┓
日向谷 ━━━┫ ┃ 合併、町制
上大野 ━━━┛ ┃(平成17年1月1日)
┣━━━ 鬼北町 ━━━ 現在に至る
┃
広見町 ━━━━━┛
注 広見町の合併成立までの系譜は広見町の記事を参照のこと
</pre>
行政
- 村長 山本雅之(やまもと まさゆき)
- 庁舎 村の中心部、下鍵山地区にある。この地区には、診療所、郵便局などもあり、行政機能が集中している。
- 第三セクター
- 日吉村原木市場
- 日吉村農林公社
- 平成の合併の経緯
- 日吉村としては、昭和の大合併を経験していないだけに不安もあったが、山村として将来の財政を考えると合併への異存はなく、西隣の広見町と歩みを共にした。広見町とは国道で接しているとともに、四万十川の支流の一つである広見川流域でもある。
- 鬼北地域全体の合併が志向されたが、結果として、松野町や三間町が加わらず、広見町・日吉村の2町村の小さな合併となった。(加わらなかった町の事情はそれぞれのページを参照)
- なお、宇和島市を含む大合併に対しては、日吉村としてはむしろ警戒していた。仮に合併すれば、市街中心部から40km近く離れる、高知県境と接する日吉村は新たな宇和島市の東端であり、しかも並大抵の距離ではない。結果的に、小さな山村である日吉村が省みられなくなるとの恐れから、仮に要請があっても拒否に近い姿勢であった。おそらく広見町も同様であろうと日吉村ではみていた。宇和島市からの大宇和島市構想に向けての合流の呼びかけが無くもなかったようだが、鬼北合併で既に走り始めていたこともあり、時期的に遅く、また村民の不安を拭い去るだけのインパクトには欠けていた。同市は伝統的に水産に力を入れているが、林業はほとんど「業」になっていないほど弱いことから、日吉村の基幹産業である林業や山村のことは宇和島市幹部には理解してもらえまいとの意見が関係者に支配的であったことも一因である。
経済・産業
主力産業は農林業である。- 林業
- 山は杉・檜の美林でおおわれ、村で原木市場を有している(第三セクター)
- 農業
- 米作は自給程度で、その他ユズ、ヤマイモ、キュウリなどを産する。農産物等の直売を希望する生産者等のために「道の駅日吉夢産地」を国道197号沿道に第三セクターで設置し、交流人口の獲得と地域物産の拡販に勤めている。
- 農林業の担い手不足を解消するため、「株式会社日吉村農林公社」(第三セクター)を設立し、森林の植え付け、下刈り、伐採、搬出を請け負っている。
- 商業
- 役場のある下鍵山に商店が若干集積している。
教育
- 小学校 1、中学校 1
- 高等学校 1 (愛媛県立北宇和高等学校日吉分校)
交通
専ら自動車交通による。宇和島市から日吉を経由して野村町(西予市野村町)に至る宇和島自動車の路線バスがある。国道197号、国道320号が村外と結ぶ幹線であり、両路線ともに宇和島市や西予市等に出るには距離があるためやや時間はかかるものの、道路そのものは村内は全線2車線で、比較的整備がされている。鉄道
- 村内に鉄道はない。
道路
観光
- 観光地・名所旧跡
- 道の駅・日吉夢産地(特産品市場、生産者市場、飲食店ほか)、節安渓谷、節安ふれあいの森、歴史民俗資料館、武左衛門一揆記念館、勝山城跡、日吉神社、武左衛門広場、武左衛門イチョウ、
- イベント・祭り
- 武左衛門ふる里まつり、ゆずまつり、清流まつり、
- 特産物
- しいたけ、栗、ユズ
関連項目
- 日本の廃止市町村一覧
- 鬼北町 - 合併後の新町
- 北宇和郡
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ソーク族って?
ソーク族(英:Sac, Sauk)は、アメリカの先住民族である。1834年、エイブラハム・リンカーンが、ホイッグ・民主党の連立候補としてイリノイ州下院議員に初当選。これにより、イリノイ州軍の大尉となりニュー・セーレムの連隊を率いた。結果、イリノイ州の圧倒的な勝利となり、ブラックホーク率いるソーク族は全滅に近い被害を出した。
ソーク族の格言
- 私の前を歩くな、私が従うとは限らない。
- 私の後を歩くな、私が導くとは限らない。
- 私と共に歩け、私たちはひとつなのだから。
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神奈川県道606号大島明石線って?
神奈川県道606号大島明石線(かながわけんどう606ごう おおしまあかしせん)は、神奈川県平塚市を南北に結ぶ一般県道。
概要
- 総延長:5.1km
- 起点:平塚市大島 大島交差点(神奈川県道44号伊勢原藤沢線)
- 終点:平塚市明石町・浅間町 平塚八幡宮前交差点(国道1号)
- ※括弧内は該当地点で接続する主要道路。
通過する自治体
経路および交差する道路・鉄道路線・河川
- 神奈川県平塚市
- 大島交差点(神奈川県道44号伊勢原藤沢線)
- 立体交差(東海道新幹線)
- 渋田大橋(渋田川)
- 平塚八幡宮前交差点(国道1号)
沿線の主な施設
関連項目
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EXODUS_(Utada)って?
『EXODUS』(エキソドス)は、2004年9月8日(日本)にリリースされたUtada(宇多田ヒカル)の世界デビューアルバム。
概要
あの「宇多田ヒカル」が名義も新たに「Utada」として全米デビューをするとあって発売当初日本ではかなり話題になり、ミリオンヒットを記録した。しかし米国では当初予定されていた大掛かりなプロモーションが行われず(実績などあるはずのない新人なら当たり前のことであるのだが)、肝心の米国では、日本人が国内では無敵の宇多田ヒカルに期待するほどの大ヒットにはならなかった。しかしながら、米国のiTunes Music Storeでは最高位1位、Amazon.comでは最高位32位を記録している。アルバムは全曲英語詞。米国の大手レコードレーベルであるIsland Def Jam Music Groupと契約したのは2003年であり、日本での東芝EMIとは別系列のレコード会社と異例の同時契約を結んだことで話題となった。「Utada」が「宇多田ヒカル」とは別名義の洋楽アーティストとして扱われるのはそのためである。レコード契約から発売まで1年以上を要したのは、レコード会社の幹部が交代するなど環境の変化により、求められる作品のコンセプトが変わったことなどがあると言われている。
このアルバムは対訳を新谷洋子が行っているが、何故Utada自身が訳さなかったかについて、自分で翻訳を行うとつい韻や言葉遊びなどを考えてしまう為、本来の意味が伝わりにくくなる上に、宇多田ヒカルとしての日本語の歌に比べると劣るものになるのは不本意だからという理由で他の人に任せたということである。
レコード会社での分類が洋楽扱いであったため、オリコンでも洋楽扱いとなり、レンタルCDでは発売から1年間はレンタル禁止だった。但し、宇多田ヒカルと同一人物ということでCDショップやラジオ局によっては邦楽(J-POP)扱いされるケースも見受けられた。
日本では2004年9月8日に先行発売された。オリコンの初動売上は52.4万枚(洋楽史上最高)を記録。累計で107万枚を売り上げた。米国では10月6日に発売された。初動セールスは7105枚。発売1か月で約2万枚の売り上げ。最高位160位(ビルボード)。全世界での累計出荷枚数は135万枚(Universal Music)。
「Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.1」と合算すれば、年間セールスのトップとなる400万枚前後を売り上げたことになるが、上記の理由により日本ゴールドディスク大賞の邦楽アーティスト・オブ・ザ・イヤーの対象にならなかった(邦楽はORANGE RANGE、洋楽はQUEENが受賞)。
宇多田ヒカルは2007年に雑誌のインタビューでUtada名義の2ndアルバムについて、そろそろやらなきゃいけないと思っているというような発言をしている。また、2007年9月27日の本人の日記で、「ニューヨークでこっちのレコード会社(ユニバーサル)の人たちと、次の英語アルバムについてあれこれミーティングをしていたんですよ。」と書き込みしていることから、2ndの構想はまとまりつつあるようだ。その後、宇多田ヒカルとしての日本語アルバムと同時進行で製作していることも書き込んでいる。
2005年に入ってから、MTVジャパンが立ち上げた携帯電話向け音楽・動画配信サイト「FLUX」のタイアップに全収録曲が使用された。アニメーションはSTUDIO 4℃のアニメーター森本晃司らが担当し、独創的な世界観は高く評価された。「Opening」のアニメーションに似たものが、宇多田ヒカルの「Passion~single version~」のPVにも使われている。そして2007年現在、自身のブログにおいてUniversal Musicの社員たちと次の英語アルバムについて、ミーティングなどをしていた事から、utada名義の2ndアルバムの制作を催すような雰囲気が伺える。そして2007年10月23日自身のブログにおいて次の日本語アルバムと英語アルバムの創作段階に入ったことを明らかにした。
収録曲
- Opening (オープニング)
- Devil Inside (デヴィル・インサイド)
- : 米国でのリードトラック。リミックスがビルボードのクラブチャートで1位を獲得。
- Exodus '04 (エキソドス '04)
- : 米国ではシングルカットされた。
ティンバランドプロデュース。 - THE WORKOUT (ザ・ワークアウト)
- : この曲の歌詞について、Utadaは「いやらしくて歌うのが恥ずかしい」と述べている。また、歌詞を書いている際はその事についてまったく意識していなく、後になって気づいたということである。
- Easy Breezy (イージー・ブリージー)
- : 日本ではアルバムのリードトラックとして使用され、多くの番組でも使用された。シングルCDではなくDVDとして2004年10月6日に発売された。また後にニンテンドーDSのCMソングとなる。
- :"she's got a new microphone"という歌詞が含まれているが、これは実際にUtadaが初めて新しいマイクを購入し、歌入れの際に何気なく口ずさんでいたところ、それを気に入ってしまったという経緯がある。
- Tippy Toe (ティッピー・トウ)
- Hotel Lobby (ホテル・ロビー)
- :第三者からの視点で歌われた曲で、ミラン・クンデラのようだと言われたらしい。
- :Kiss & Cryにこの曲のメロディが一部使われている。
- Animato (アニマート)
- :アルバムの中で最初に作られた曲。アニマートとは「活き活きと」や「元気に」を表す譜面などに使用される音楽用語である。また、この曲のみUtada本人が対訳を行っているが、これはこの曲の歌詞がシンプルな作りになっており、何とでも解釈ができる為、自分で翻訳するべきだとUtadaが判断したためである。
- Crossover Interlude (クロスオーヴァー・インタールード)
- :この曲はopningをリミックスしたものである。
- Kremlin Dusk (クレムリン・ダスク)
- : マーズ・ヴォルタのドラマージョン・セオドアが参加。
- You Make Me Want To Be A Man (ユー・メイク・ミー・ウォント・トゥ・ビー・ア・マン)
- : 2005年秋にアルバムがイギリスで発売される際に先行シングルとして発売された。紀里谷和明の監督によるプロモーションビデオも撮影された。
- Wonder 'Bout (ワンダー・バウト)
- : ティンバランドプロデュース。
- Let Me Give You My Love (レット・ミー・ギヴ・ユー・マイ・ラヴ)
- : ティンバランドプロデュース。
- About Me (アバウト・ミー)
- :このアルバムの中で唯一のミディアムバラードである。
- You Make Me Want To Be A Man (Bloodshy & Avant Mix) (全英ボーナス・トラック)
- You Make Me Want To Be A Man (Junior Jack Mix) (全英ボーナス・トラック)
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