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Archive for 4 月 28th, 2008

カステロリゾ島って?

カステロリゾ島( [Καστελόριζο] 、Kastelorizo)またはカストロリゾ島は、ドデカネス諸島に属する地中海に存在するギリシャ領の島である。現在の公式名称は、メギスティ島( [Μεγίστη] 、Megisti)。ロードス島アンタルヤのほぼ中間に位置し、トルコ沿岸から僅か3kmの距離にある。


カステロリゾとは、城を意味する(Kastelo、イタリア語のCastelloより)に起源を持つ語であり、後半の「rizo」は、

  • イタリア語の「rosso」(赤:島の赤みを帯びた岩か、ロードス島騎士団の紋章の色)
  • ギリシア語の「rizon」(根:城が建設された折のスロープより)、
  • フランス語の「horizon」(水平線:14世紀にこの島を占領したロードス島騎士団の風景を見た印象より)



のいずれかに由来すると考えられている。


公式名称のメギスティは、「最大」を意味するギリシア語であり、カステロリゾ島とその周辺の島嶼の中では最大であることからこの名が付いた。なお、カステロリゾ島自体は、ドデカネス諸島の中では最も小さい島であり、僅か9.2km2の面積しかない。



地勢

地中海東部に存在する島であり、ドデカネス諸島の一部ではあるがエーゲ海に存在する島ではない。アナトリア半島リキア地方の沖合3kmに位置し、6km×3km程の北東から南西へ向かう三角形の島で、面積は9.2km2。北端のAgios Stefanos岬からカシュまでの距離は2,250mしかない。東のNifti岬との間は湾となっており、この島で唯一の街がある。


島は山がちで沿岸部も高く荒れており、西部への移動は容易ではない。土壌石灰岩からなり、少量のオリーブブドウなどが生産される。また、島には飲料水の水源が欠けている。


南東5海里の距離にある無人島が、ギリシャ最東端の領土となっている。



洞窟

新生代から中生代にかけての地層に植物を欠き、石灰岩が多くを占めていたことから、数多くのカルスト地形が見られる。海中の洞窟も多く、青の洞窟(Blue Grotto)と呼ばれる洞窟の他、2006年には多数の洞窟が確認された。

現状

湾に沿って島で唯一の居住地が広がっている。沿岸部にある建物の多くは白く塗られ、窓や戸は明るい色調となっているが、内陸部の建物は廃墟となっている。これは、20世紀初めには15,000人の住民がいたが戦災により島を離れ、沿岸部のみが修復されたためである。


内陸にはロードス島騎士団の築いた城が残っており、対岸のカシュから、沿岸部の街並みと併せて美しい風景を望むことが出来る。また、博物館、ドーリア式の墓所などもあり、街の西の丘には紀元前4または3世紀頃のギリシア人が築いたと見られる城跡がある。


最大の観光資源でもある青の洞窟は、島の南東部に位置している。有名なカプリ島青の洞窟よりも規模は大きいが、入り口の高さが1m程しかないため、海が穏やかでなければ入ることは出来ない。


ロードス島からオリンピック航空が就航している他、フェリーによる渡航も可能である。



関連項目



外部リンク


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ㅍって?

[子音] 13番目の字母。ピウ피읖)と呼ばれる。



音声

有気両唇閉鎖音 [pʰ] の発音を表す。朝鮮語の破裂音には気音を伴うかそうでないか、喉頭緊張(テンス)を伴うかそうでないかによって三系統が存在する。この字母は気音を伴った破裂音(激音)を表している。

初声(語頭)では [pʰ] 、終声では 内破音 [p̚] = [p_<](X-SAMPA)である。


外来語の音訳には、無声音の p のほか、 f にも使用される。



訓民正音

訓民正音』初声体系では次清唇音に分類されている。その字形は『訓民正音解例』制字解によるとに筆画を加えて作った加画字とされる。


訓蒙字会』(1527年)では初声独用8字に含まれており、、皮)と名付けた。ピウという名称は1933年朝鮮語綴字法統一案で名付けられたものである。



文字コード

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奨学金って?

奨学金 に関するカテゴリ


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石狩炭田って?

石狩炭田(いしかりたんでん)とは、北海道夕張空知両山地にある炭田。日本最大の炭田であり、地質構造の違いから北部を空知炭田、南部を夕張炭田という。



代表的な炭鉱



歴史



関連項目



外部リンク


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ラリアットって?

ラリアット (lariat) とは

  1. 英語投げ縄、輪縄の事。
  2. 派生語でプロレス技の一種、本項目で記載。




プロレス技におけるラリアットは、相手の首元や胸に自分の腕の内側部分を打ち当てる技。


ラリアートと表記されることもある。一説には、ある専門誌のライターが「発音はラリアットが正しい」と主張し、テレビ中継の解説者が「ラリアット」と呼ぶようになったことから、こちらで統一されたといわれている(後述 #技名称の曖昧)。



概要

1970年代後半にスタン・ハンセン(前PWF会長)が自身のフィニッシュ・ホールド「ウェスタン・ラリアート(西部式投げ縄打ち)」の名称で使い始め、以後日本マット界で広く使われるようになった。海外マットでは同型の技がクローズラインとして普及しているが、ハンセン曰く「ラリアットは自身のアメフト経験を活かしたオリジナル技であり、激突時の衝撃を吸収する柔軟かつ強靭な下半身が必要」という(後述)。1970年代後半、ハンセンはこの技でアントニオ猪木のライバルとなる足がかりを掴み、やがて日本でスーパースターの地位を築いた。それと同時にラリアットは彼の代名詞的な必殺技となる。

1980年代に入るとハンセン以外の選手にも使用されるようになる。ハンセンとほぼ同時期に新日本プロレスに来日していたハルク・ホーガンは、改良型のラリアットを「アックス・ボンバー」という名前で日本マット参戦時の必殺技として使い(肘の角度と打点にラリアットとの差異がある。後述を参照)、ロード・ウォリアーズによるアニマル・ウォリアーが肩車した対戦相手へホーク・ウォリアーがコーナーから飛び込んでラリアットを使う複合技など、アレンジ技も開発されるようになった。


現在の使い手として著名で迫力のあるものの一つとして、WWE世界チャンピオンにもなった"JBL"ことジョン・ブラッドショー・レイフィールドの「クローズライン・フロム・ヘル」が挙げられる。フットボールで鍛えたダッシュ力を生かし、体ごとぶち当たる勢いで突進し、腕を振り抜いて叩きつけることで、迫力ある必殺技として認知させた。彼は同郷であるスタン・ハンセンを尊敬しており、かつてはハンセンのリングコスチュームまでそっくり真似ていたこともあるが、ラリアットに関しては、テリー・ゴディの打ち方を参考にしたと語っている。


日本のプロレスにおいては、1970年代まではフィニッシュホールドやオリジナルホールドは、他のレスラーは使ってはいけないという暗黙のルールがあったが、アントニオ猪木がハンセン戦で掟破りの逆ラリアットを決めてみせた。そんな中、長州力はハンセンと何度となく対戦し、ラリアットによってことごとく撃沈されていた。その破壊力を身をもって知った長州は、これを自分の技に出来ないものかと工夫した結果、スタン・ハンセンが新日離脱後の1982年1月1日後楽園ホールでの試合で、アニマル浜口への試し斬りに成功し、自分のフィニッシュ・ホールドにしてしまう。レスラーとしては背の低い(実測170cm台前半)長州の出すラリアットは相手に低い体勢をとってもらう必要があった。彼は後に藤波辰爾との抗争で、自らロープに飛んだ反動で相手向かって走って行き、相手の喉下に腕を叩き込むのと同時にマットに叩きつける技を「リキ・ラリアット」と呼ばせている。全日本プロレスでは長州同様に背の低い阿修羅原が、同じようにハンセンにラリアットによって倒され続けた後、これを真似て自らの必殺技とした(「ヒットマン・ラリアット」と呼ばれた)。その後、様々な選手のラリアットに、レスラーのリングネームやニックネームに関連した名称が付けられた(ラッシャー木村の「ラッシング・ラリアット」、ジャンボ鶴田の「ジャンボ・ラリアット」など)が、多くのレスラーが使うようになった現在では、一部の例外を除いて(後述の項目を参照)単に「ラリアット」と呼ばれている。


現在ではこの技は強靱な上半身を誇る小橋建太佐々木健介小島聡らがフィニッシュ・ホールドとして使っている他、繋ぎの技として多くのレスラーが使っている。



受け方

ラリアットは食らった相手が倒れる際後頭部に高い衝撃がかかるため、通常は打たれたら後ろ受け身をとる場合が殆どである。だが、後ろ受け身の他に以下のような受け方をするレスラーもいる。

  • 真正面から受けて倒れずに、挑発して更にラリアットを打つのを促したり、自分がラリアットを打ちにいったりする。パワーファイター同士の対戦では打ち合いになることもある。
  • 回転して(半回転~1回転半)受け身をとる。身体能力が優れていて受け身がうまいレスラーが使用する。後頭部強打を防ぐだけでなく、相手のラリアットの威力を引き立たせる効果がある。パット・タナカがニコライ・ボルコフのクローズラインを受けた際、勢いがつき過ぎて腕を軸にして後方一回転する形になったことから多用するようになり、広まった受け方だといわれている。


受けない場合のバリエーションには次のようなものがある。

  • 上半身を丸くして相手の腕の下をくぐり抜ける。
  • 飛ばされたときにロープをつかんで戻って来ないようにする。
  • こちらもラリアットに行く(猪木の有名な逆ラリアット)。

    • ラリアットを得意とする選手同士の場合、ラリアットをラリアットで迎撃する場合もある。

  • ラリアットに来る腕を取って脇固めに行く。
  • ラリアットに来る腕にカウンターキックを打つ(1984年7月のPWF戦で馬場がハンセンを破ったときに使用)。




クローズライン

アメリカ合衆国ではラリアットのことをクローズライン (clothesline) と呼ぶのが一般的である。語源は、 洗濯物を干す縄が転じて、道に糸などを張りオートバイなどで通過する人間の首に引っ掛ける。また、フットボールで腕を相手の首に引っ掛けて倒す反則としても知られる。スタン・ハンセンがフットボーラーだった頃に当時は反則でなかった「腕タックル」としてよく使用していた、と著書「魂のラリアット」で述べている。

クローズラインの元祖はジェーク・ロバーツであり、ラリアットとは由来が別とされ、ラリアットという呼称が一般的なのは日本だけである(ジョシュ・マシューズなど日本マットに詳しいアナウンサーがごく稀に「ラリアット」と呼称する程度)。

両者は単純に名称の違いというだけで扱われる事も多いが、認識・使用状況・動作に違いを見いだすことも出来る。日本では繋ぎ技から絶対的なフィニッシュとして使われる幅の広さがある一方、アメリカのエンターテイメントプロレスの象徴であるWWEリングでは、試合途中に間を取るかの如く特に盛り上がりのない場面で軽く使われることが多い。また、日本の選手は小橋建太をはじめ「腕を振り抜く」ラリアット型を使う選手が多いが、アメリカでは腕を真横に広げ、自身の突進力のみで喉元や胸を打ち抜くクローズライン型が一般的である。


日本にはスタン・ハンセンが居た、という決定的な差もあるが、グラウンドの攻防、レスリングテクニックで魅せるクラシックプロレスから、エンターテイメント性を重視し、威力よりも見栄えとしての説得力を求めたアメリカと、四天王プロレスに代表されるハードヒットを追求していった日本とでの環境の違いもまた、ラリアットという技の立ち位置を変えていったと考えられる。


このように二つの名前の間に少なからず違いを見出す事はできるが、クローズラインをフィニッシュとして使用するレスラーもおり("JBL"ことジョン・ブラッドショー・レイフィールドの「クローズライン・フロム・ヘル」など)、結局のところ明確に分ける基準は存在しない。英語版ウィキペディアのProfessional wrestling attacksおよびProfessional wrestling attacksも参考にされたい。



技名称の曖昧

日本においてこの技は、暫しラリアートと呼ばれたり、表記されたりしている場合がある。

これは技の考案者であるスタン・ハンセン新日本プロレスの常連外人として来日していた時代にテレビ実況を務めていた古舘伊知郎アナウンサーが「ウェスタン・ラリアート」と呼んだ事が全ての始まり。


1980年当時の金曜8時台は日本テレビ系列「太陽にほえろ」、TBS系列「3年B組金八先生」など著名な人気番組が凌ぎを削る激戦区だった。対するNET(現:テレビ朝日)は同時間帯に「ワールドプロレスリング」のタイトルで新日本プロレスの試合を毎週生中継し、アントニオ猪木のカリスマ的人気と、同年にプロレス中継実況デビューした古舘アナのいわゆる”過激な実況”を背景に、裏番組に負けず劣らずの高い視聴率を叩き出していた。


そういった時代背景の中で、タイガー・ジェット・シンに変わる猪木の新たなライバル候補として来日していたハンセンは一撃必殺の破壊力を秘めたラリアットを武器にメキメキ頭角をあらわし、この時期ついに新日本のトップ外国人として猪木と並びえる位置まで上り詰める。その過程でラリアットを巡る攻防は、猪木対ハンセンを語る上で重要なファクターとなり、その盛り上がりの一翼を担っていた古舘アナが昂揚する激情を込めて「ウェスタン・ラリアート!!」と毎週連呼していたことで、”ラリアット”は”ラリアート”とファンの間に認識されることになる。


その後敵対する全日本、新日本の間で加熱した外国人レスラー引き抜き合戦の中で、1981年末の第4回世界最強タッグ決定リーグ戦決勝戦においてハンセンが全日本に電撃移籍し乱入、場外にいたテリー・ファンクにラリアットと見舞った際、当時の日本テレビ系全日本プロレス中継の実況担当だった倉持隆夫アナウンサーの問い掛けに対し、解説の竹内宏介(当時『月刊ゴング』編集長)が「ウェスタン・ラリアットですね」と答えたことでプロレスファンの間に混同が生じ、「正しいのは”ラリアート”か?”ラリアット”か?」と論争が起こる。


当時はまだインターネットはもちろん無く、テレビ以外でプロレスを伝える主な媒体としては、スポーツ新聞もしくは月刊誌の『月刊プロレス』、『月刊ゴング』だけであり、ファンもその中に書かれた記事に従って技の正式名称を覚えていったように、月刊専門誌から月1回得られる情報は、ファンにとって観る側の知識を決定づける重要な要素だった。竹内はかつてライバルである月刊プロレスの前身『月刊プロレス&ボクシング』の編集長を務めていた時期もあり、その豊富な知識と経験はプロレスファンにとって「最も信頼できるプロレス記者のひとり」として当時から認識されていたのである。


その事を踏まえて


*竹内が全日本社長のジャイアント馬場と個人的にも懇意であったこと
*竹内自らが実況中継の中でアナウンサーの問い掛けに対し「英語の発音としてはラリアットが正しい」と発言したこと
*移籍以後ハンセンが全日本に長期定着したこと

から、「ハンセンに関する報道は、全日本プロレス中継とゴングが正しい」という機運がファンの間にも徐々に浸透し、各報道機関の名称もウエスタン・ラリアットとして統一されていった。(それまでは雑誌も「ラリアート」と「ラリアット」が混在していた状態だった)


その一方で、ハンセン全日移籍後の新日本プロレスでは、初代タイガーマスクが出現。そして若手時代に最もハンセンのウェスタン・ラリアートの餌食にあっていた吉田光雄が海外遠征を経て長州力と改名、当時絶対的な存在だった猪木・同年代の藤波に対し反旗を翻して維新軍を結成。その象徴としてかつて辛酸を舐めつくしたラリアットを使い始めたことから、古舘アナはこの一連の流れに己の想像力を駆使し、”昭和維新における反骨の剣”リキ・ラリアートとまるでオリジナル・ホールドの如く呼び表し、加熱する一方だった新日本人気に更に拍車をかけ、長州とリキ・ラリアートの名は広く知れ渡ることになる。なお古舘の後を継いでメイン実況を務めた保坂正紀アナウンサーは古舘色に倣って、この技を「ラリアート」としていた。


その後長州は1984年ジャパンプロレスを旗揚げし、参集した同志たちと共に全日本プロレスに参戦。当然の如くこちらではリキ・ラリアットと呼ばれたが、


*ファンの間では新日本時代に藤波辰巳との間に展開されたいわゆる「名勝負数え歌」における”ハイスパート・レスリング”と呼ばれるスピード感ある超攻撃型レスリングと古舘の言霊の如き熱い実況中継の印象が強く残っていたこと。
*語呂や韻の意味からも「リキ・ラリアート」と音引きで呼ぶほうが感覚的にしっくり来る。
*他ならぬ長州自身が「ラリアート」と呼んでいる。(滑舌の悪さなどが原因として存在するが、ライバルである藤波も当時は同様に「ラリアート」と呼称していた)

ことから、昭和世代のプロレスファンを中心に長州の場合に限り、呼称としてリキ・ラリアートを使うことが現在でも多いのである。(長州のものまねで有名なお笑い芸人くりぃむしちゅー有田哲平長州小力等を見ているとその傾向がよく見て取れる)しかし雑誌・新聞などの文字媒体では既に「リキ・ラリアット」に意志統一されている。


長州が1987年新日本に復帰した後、解説を勤めたマサ斎藤が海外生活が長かった事もあり”ラリアット”と発音したことで実況の辻義就(現辻よしなり)アナウンサーもこれに習い「リキ・ラリアット」と呼称している。これ以降のプロレスのテレビ中継で「ラリアート」の名が聞かれることはなくなった。



派生技

アックス・ボンバー
ハルク・ホーガンのアックス・ボンバーはホーガンがハンセンのラリアットを参考に開発した技で、ハンマースルーで相手をロープに飛ばすのと同時に自らも反対側のロープに走り、反動をつけて腕をL字型に立てたまま相手の首から顔面に叩き込むもの。この名称は、それ以前から使っていた、肘を相手の額に当てる技「アックス・ブロー」とラリアットを組み合わせていることに由来しているという。ホーガン自身はプロレス誌のインタビューで「ホーガンハンマーと呼んで欲しい」と要望していたが定着しなかった(のちにホーガン自身も「アックス・ボンバー」と呼んでいる)。現在は大森隆男川畑輝鎮、稀に丸藤正道が使っている。

ショートレンジ・ラリアット
通常は離れた位置から助走をつけて決めるラリアットを、至近距離から助走なしで、立ったままその場で決める技。相手の頭や肩や腕などを片腕で掴んで逃がさないように固定して放つ場合もある。助走がないので、その分、パワー・打点・タイミング・技術などの要素が必要。
主な使用者は、スタン・ハンセン小橋建太高岩竜一力皇猛ベイダースコット・ノートン荒谷望誉宮本和志潮崎豪など。

カウンター・ラリアット
助走をつけての通常型ラリアットとショートレンジ式ラリアットを足したような型。
通常型(助走型)でも走ってきた相手にカウンターで使用するが、これは走ってきた相手に対し、カウンターで助走なしのラリアットを当てる。
多くのレスラーは逆転技として使用するが、スタン・ハンセン小島聡はフィニッシュとして使用する場合がある。その場合は相手をハンマースルーでロープに振って、返ってきたところにカウンターで決める。

延髄ラリアット
後頭部へのラリアット。助走をつける場合と、ショートレンジ式で放つ場合とがある。
主な使用者は、スタン・ハンセン川田利明など。

起き上がり小法師ラリアット
相手の片腕を自らの片腕で掴んで、もう片方の腕でショートレンジ式ラリアットを放ち、相手が倒れても片腕を離さず、すぐに相手を引き起こしてもう一度ラリアットを放つ。これを数度繰り返す。
主な使用者は、テリー・ゴディ川田利明など。

稲妻レッグラリアット
木村健悟の稲妻レッグラリアットは、相手をロープに飛ばした後、帰ってくる相手に対し体を90度方向に流し、ラリアットの要領でキックを咽から胸板に当てる技。レッグラリアットからの派生技。後楽園ホールでの藤波辰爾との対戦では、ニーパッドに鉄製の凶器を仕込んだ上でこの技を見舞い、フォール勝ちを奪った(直後に凶器を仕込んでいたことが発覚し、木村の反則負けとなる)シーンが有名。木村が第一線を退いた後は、直接の後継者として木村と同郷である垣原賢人(引退)が使用していた。現在は直接の後継者ではないが池田大輔高梨将弘が使用。イナズマ・レッグラリアット、フライング・レッグラリアット、ジャパニーズ・レッグラリアットとも呼ばれる場合がある。

ダブル・インパクト
ダブル・インパクトはロード・ウォリアーズが使い出した合体技で、アニマル・ウォリアーが肩車で抱え上げ、ホーク・ウォリアーがコーナー最上段からダイビングラリアットを放った。この技が有名なため、肩車で抱え上げてもう一人がコーナーから技をかける合体技を~インパクトと呼ぶようになった。また、主に日本国内の多くのタッグチームがこの技を使用し、タッグの合体(ツープラトン)技の代名詞的存在となった。

串刺しラリアット(魚雷ラリアット)
テリー・ゴディ串刺しラリアット(魚雷ラリアットと呼んだ)は、コーナーに相手を振り、その直後自分もコーナーに走り、相手がコーナーのターンバックルに背中を打ち付けた瞬間、ラリアットを打ち込む。衝撃の逃がし場所がないため、相手はもろに体重(ゴディは195cm、135kg)のたっぷり乗ったラリアットを浴びせられて仰け反った後、前のめりに倒れ込む。最近では森嶋猛なども使用している。

ダイビング・ラリアット
トップロープ最上段から飛んでラリアットを放つダイビング・ラリアットホーク・ウォリアーが得意としていたが、ダニー・スパイビーダイビング・ラリアットは、走り込んできた相手に全体重を浴びせる形でダイブしながらカウンターでラリアットを打ち込む。203cm、127kgのスパイビーがこれを打つと迫力満点。WWEのケインもよく使い、214cmの巨体でリング外にまで放つ。

フライング・ラリアット
その名のとおり相手にぶつかる寸前にジャンプして全体重をかけるようにするラリアット。これも使い手はたくさんいるがWWEジ・アンダーテイカーは2m越えの巨体からの高い跳躍力のそれを得意とする。また、三沢光晴は飛びつき式でラリアットを決めるフライング・ラリアットを使用する。この場合、うまく決まった場合には「巻きついた!」と独特の表現がしばしば用いられる。また三沢はラリアットを打ち込んだ後、前受け身を取る形ですばやく立ち上がるという進化系を一時期盛んに見せていたが、膝に不安を抱え殆どの飛び道具を封印した現在ではほとんど見せていない。この三沢独特のフライング・ラリアットはきりもみ式もしくはスクリュー式などと呼ばれ、最近ではAKIRAが使用している。

サンドイッチ・ラリアット(クロス・ボンバー)
タッグマッチにおいて相手の前後から同時にラリアットを仕掛け挟み撃ちにする技を、サンドイッチ・ラリアットクロス・ボンバーなどと呼ぶ。主に龍原砲(天龍源一郎阿修羅・原組)、クラッシュギャルズノーフィアー(ただし大森隆男はアックスボンバーの形)らが使用。プロレスをモチーフとした漫画キン肉マン』ではヘル・ミッショネルズネプチューンマンビッグ・ザ・武道組)やヘル・イクスパンションズ(ネプチューンマン&セイウチン組)がこの技によって対戦相手のマスクや顔の皮を剥いで行くギミックが描写されていた。ただし相手に避けられて誤爆を招き、逆に自チームがピンチを迎えることも事も少なくない。


ラリアットの名称 および得意とするレスラー





■特別な技名はないが、ラリアットを得意とするレスラー



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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福祉法令一覧って?

福祉法令一覧(ふくしほうれいいちらん)は、各種福祉関連法律について紹介する。



現行法律


あ行


か行



さ行



た行



な行



は行



ま行



や行


ら行



わ行


現行政令

○○法施行令などは、記事があるもののみ掲載した。

あ行


か行



さ行



た行



な行



は行



ま行



や行


ら行



わ行


現行省令


あ行


か行



さ行



た行



な行



は行



ま行



や行


ら行



わ行


現行告示



要綱


廃止法令


法律


関連項目


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小笠原長忠_(遠江小笠原氏)って?

小笠原 長忠(おがさわら ながただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将遠江高天神城主。


[小笠原長忠]

[戦国時代から安土桃山時代]

[不明]

[不明]

[与八郎(通称)、氏助、氏儀(別名)]

[弾正忠]

[[[小笠原氏]]]

[父:小笠原氏興]



生涯


今川・徳川・武田時代

小笠原氏興の子として生まれる。はじめ父と共に今川義元に仕えたが、義元の死後に武田信玄徳川家康の侵攻を受けて今川氏が滅亡すると、徳川家康の家臣となった。永禄12年(1569年)に家督を継ぐ。

家康に仕えてから、元亀元年(1570年)の金ヶ崎の戦い姉川の戦いに参加して武功を挙げた。元亀2年(1571年)3月には武田信玄が大軍を率いて高天神城に攻めて来るが、長忠はわずかな兵力で籠城し、武田軍を撃退した。元亀3年(1572年)の三方ヶ原の戦いにも参加している。


天正2年(1574年)、武田勝頼が大軍を率いて高天神城に攻めて来る。このとき、長忠は家康に援軍を要請したが、家康は武田軍を恐れて援軍を出さなかったため、やむなく長忠は勝頼に降伏した。このとき、勝頼は駿河富士郷(鸚鵡栖)において1万貫を与え、家臣として迎えている。



死去

長忠の没年は定かではない。天正2年(1574年)に勝頼に降伏した後、ほどなくして病死したとも言われている。また天正10年(1582年)の武田氏滅亡後、北条氏政を頼って小田原に逃れたが、ここで織田信長の命令を受けた氏政によって殺されたとされている。さらに氏政に保護されていたが、天正18年(1590年)に北条氏が滅亡したとき、家康によって捕らえられ、処刑されたとされている。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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黒バイって?

  1. 和歌山県警察本部が導入した、暴走族取締り用オートバイ。→以下に詳述
  2. 交番駐在所で使用されるパトロール用小型自動二輪車の俗称。採用されている車種は主にK90など。2005年頃からはホンダ・スーパーカブの様な“黒でない”、また白く塗られたオートバイも使用され始めている。
  3. 皇宮警察本部に配備されている要人警護用のサイドカー
  4. 80年代に福岡県警察機動捜査隊が覆面パトカーよりも機動力を増す目的で導入した刑事捜査用の大型バイク。(現在の稼動状況は不明)




和歌山県警「黒豹」

黒豹(くろひょう)とは、暴走族の取り締まりに向け、2002年2月和歌山県警察本部暴走族対策室が全国で初めて導入した、黒塗りの暴走族対策専用覆面オートバイ(私用概態警邏車)の名称。導入翌月のゴールデンウィーク中には和歌山県警管轄下で58人の暴走族構成員を検挙しているが、検挙者数を2001年実績の2倍強とした裏には黒バイの活躍が大きく影響したともいわれている。これを受け警視庁をはじめとする一部の府県警察にも黒バイ隊が編成された。1台のみで取締りを行うことは無く、黒バイが2~3台かもしくは覆面パトカーと一緒に行動する。

特種装備

  • 採証用カメラ類


車両の前部分には夜間、雨天でも撮影が可能な超小型の全天候型高性能ビデオカメラと、証拠を収めるためのスチルカメラを搭載。撮影された映像は、後日の検挙に役立てられる。

  • 採証液発射装置アトラス


防犯カラーボールに充填されているのと同じ特殊な染料液を飛ばすことができる。飛距離は15~20メートルほど。

また、一緒に活動する覆面車両には、マーキングをするための小さなライフル銃のような着色球発射機(アメリカのペイントボールガン相当か)を搭載している。またペイント弾だと思われる。


  • 警棒


ハンドル上部に木製の警棒を取り付けている。取り付けは専用のマウントにマジックテープで着けており、有事には速やかに使用できるように配慮してある。

  • 乗車服


上半身は通常の二輪乗車服とは違い黒色系の目立たない二輪用ジャケット(南海部品製品若しくは私物ジャンパー)を着用している。下半身は黒色系のスラックスもしくはジーンズ、冬季には(灰色の側線つきの)二輪乗車服を着用する場合もある。靴は通常の二輪乗車靴を着用している。ヘルメットは通常のオープンフェイスではなく、顎の部分から開閉するフルフェイスを着用、なお無線用のマイク・スピーカは通常と同様に装備されている。


「銀虎」

和歌山県警では、ホンダ・ホーネットの黒バイ(実際はシルバー色)を追加配備。通称『銀虎』。

250ccの機動力を活かして、活動している。大型二輪車では、追跡が難しい狭い路地などの追跡を行っている。

ヘッドライト横に、四つの発射口を持つインパクトトレーサー(マーキングボール発射装置)を備える。



使用車種


この本田技研工業製のオートバイは、1986年に初代モデルが登場して以来、全国で白バイに最も多く採用されている機種である(車種についての詳細はリンク先を参照)。普通の白バイには、ヤマハの「FZ750P」やスズキの「GSF1200P」を採用しているところもある。白バイに多く採用される理由の一つとして、高速性能はもちろんだがマラソン先導でもわかるように、極低速領域でのパワーを非常にコントロールしやすい機構が特徴だと言われ、ジムカーナというバランスや技術を競う競技に向いているとも言われている。なお現在は従来のVFR 750にかわりVFR 800が後継機として配備が進められ、黒バイ仕様も存在する。

最近、和歌山県警の黒豹を手本に青森、群馬、茨城等他の都県でも「暴走族取締用黒バイ」の配備が進められている。


警視庁ではFZ750P、GSF1200Pの黒バイ仕様も存在する。



主な車体構成の違い

VFR750Pベースの黒バイは通常のVFR750P(白バイ)と違い、追跡時の障害になる車幅を抑える為に、ミラーをハンドルミラーからアッパーカウルへと移動してある。また、元々白バイの車体を改造しているため、ペイントも元は白の車体の上から行っており、タンクラインなどは細かなマスキングにより、元のホワイトペイントがラインとして覗く。バンパーに設置された赤色回転灯も白バイのようにサイレン一体のバンパー上では無く、バンパーの中央部付近にステーを介して設置される。また後部ボックスに後方警告用の赤色回転灯を設置している。しかし、白バイとほぼ車体構成を同じくした黒バイも存在する。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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トラウト_(SS-202)って?



トラウト(USS Trout, SS-202)は、アメリカ海軍潜水艦タンバー級潜水艦の一隻。艦名はマスに因み命名された。



艦歴

トラウトは1939年8月28日にメイン州キタリーポーツマス海軍造船所で起工した。1940年5月21日にウォルター・B・ウッドソン夫人によって命名、進水し、1940年11月15日に艦長フランク・W・フエノー・ジュニア少佐の指揮下就役する。その後は太平洋戦線で戦没までに11度の哨戒を行い、2番目、3番目、および5番目の哨戒が成功とみなされた。これらの戦功によって11個の従軍星賞と三度の殊勲部隊賞を受賞している。

トラウトは就役から喪失までの5年間に85発の魚雷を発射し、そのうち32発を命中させている。この積極的な雷撃によってトラウトは23隻の敵船を沈め6隻を損傷させた。撃沈総トン数は8万7000トン、損傷を与えた敵船75000トンに達した。

このほか水上戦闘を経験すること六回と積極的に戦闘を行い、八回の爆雷攻撃を生き延びた。

魚雷の改良以前には潜水艦隊司令チャールズ・ロックウッドを激怒させた魚雷の不良にも泣かされ、発射した魚雷85発のうち5発の目標到達以前の爆発が記録されている。


太平洋戦争初期にはコレヒドール島で包囲された米軍に弾薬を補給し、またマヌエル・ケソンが大統領を務めたフィリピン共和国の通貨準備金から20トンの金の延べ棒と銀貨を真珠湾に運び出す任務も行っている。


1944年2月29日夜、日本海軍駆逐艦朝霜夕雲型駆逐艦)は、僚艦(岸波) (沖波)とともに、グアム島へ向かっていた輸送船団を護衛中に、22号水上レーダーで浮上中のトラウトを捕らえ、右舷5900メートルを探照灯で照らしながら、12.7センチ砲弾15発を撃ち、潜航した目標に向かって150メートルに設定した爆雷9個を投下し、さらに93式水中探信儀を使用し、10個を投下した。以後反応はまったくない。これがトラウトの最後だった。



関連項目



外部リンク



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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五色ヶ原_(乗鞍岳)って?

五色ヶ原(ごしきがはら)は、乗鞍岳の西側の一帯に広がる台地。岐阜県高山市にある。



概要

標高1,300~1,600m、3,000ha。観光開発などから取り残されたのが幸いし、豊かな自然が現在まで残っている。多くの湖沼が点在している。

2004年7月からインタープリターによるガイドが始まり、日本で初めて、認定ガイドが同行しないと入山できないという制度を導入し、入山者の人数制限を行っている。



外部リンク


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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