野村裕幸って?
野村 裕幸(のむら ひろゆき)は、千葉県出身のトロンボーン奏者。
武蔵野音楽大学卒業。大学在学中よりトロンボーン奏者、作編曲家として活動開始。
ライブ活動のほか多数のアーティストのステージサポート、レコーディング、ホーンアレンジ、バンドアレンジ、オーケストラアレンジ、コーラスアレンジ、プログラミングなどを務める。
参加した主なレコーディング
B'z、TUBE、Dreams come true、大黒摩季、松岡直也、織田哲郎、増崎孝司、春畑道哉、ザ・バレット、大塚明夫、近藤房之助、DEEN、サーフィス、Sakura、及川光博、田原俊彦、スクープオンサムバディ、ココナッツ娘、モーニング娘。、慎吾ママ、Orange Pekoe、CHEMISTRY、SMAP、石井竜也、にしん、等他多数。ステージサポート
矢沢永吉、B'z、TUBE、Dreams come true、浜田麻里、渡辺貞夫、織田哲郎、松岡直也、てつ100%、COM-BAD'S、小比類巻かほる、KUSU-KUSU、ダイヤモンドユカイ、少年隊、谷村有美、川内淳一、九宝留璃子、西田ひかる、SILVA、SMAP、石井竜也、スガシカオ、及川光博、にしん、TUBE等他多数。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 No commentsWP:ISBNって?
ウィキペディアのソフトウェア(MediaWiki)は、文中にある13桁の ISBN を認識し、例えば ISBN 978-0-12-345678-9 は ISBN 978-0-12-345678-9 (ハイフンは省略可)という、特別:Booksources/isbn=9780123456789 と同等のリンクになります。リンク先の特別ページの内容は、テンプレートの一種と言えますが、この用途に限った特別な文法に従います)。この特別ページからリンクされる数々のサイトでは、その本の最安値を探したり、批評や読者の反応など、その本に関する様々な情報にアクセスできます。ISBNリンクを作るとき肝心なのは、「ISBN」の後にコロン(:)ではなく半角スペースを入れることです。
読者がオンライン書店に行って本を購入することができるので、これを便利だと考えている人がいます。しかし、ISBN は本の特定の版を指すので、販売されているその本の全ての版の情報を見ることができません。ですから、本を指定するのに ISBN 「だけ」を用いず、ISBN と共に適切な情報も記載して下さい。Wikipedia:スタイルマニュアルやWikipedia:出典を明記するも参照して下さい。
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技術的な補足
この機能は2003年5月ごろ、MediaWiki の開発者の一人であるエリック・メーラー(Erik Möller)さんによって追加されました。Special:Booksources の元になるテンプレートページ(現在は「:」)は Project 名前空間(ns:4)に置かれますが、そのページ名は固定ではなく、MediaWiki:Booksources の内容でカスタマイズ(ローカライズ)されます。
注釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 No commentsポール・ボキューズって?
ポール・ボキューズ(Paul Bocuse, 1926年2月11日 - )は、フランス、リヨン近郊にあるレストラン「ポール・ボキューズ」のオーナー・シェフで、ボキューズ・ドールの創設者。
ボキューズはリヨン近郊のコロンジュ・オ・モン・ドールの料理人の家系に生まれる。
1946年から「ラ・メール・ブラジエ」などで見習いを始め、パリでもキャリアを積んだが、「ラ・ピラミッド」のフェルナン・ポワンに大きな影響を受けた。
1959年に生家のレストラン「ポール・ボキューズ」を継いで、1961年にはMOFを取得、1965年に得たミシュランの3つ星を40年以上維持している。
1970年代に、ボキューズが辻静雄の招きでトロワグロらと来日したとき、「吉兆」や「千花」などで、懐石料理・京料理の料理法や、盛りつけに触発され、素材を活かす料理法を取り入れたり、盛りつける皿を料理ごとや、季節ごとに変えたりするなど、地味だったフランス料理の盛りつけを根底から変えて、新たなフランス料理の時代を作りあげたため、「ヌーヴェル・キュイジーヌ」の旗手とされていたが、現在はクラシックへの回帰を説き、国際的な知名度とともに現代フランス料理界で特別な存在である。
鱸(スズキ)のパイ包み焼きや、料理人としてはじめてレジオン・ド・ヌール勲章を受勲した際のV.G.E.に捧げたトリュフのスープはあまりに有名。また、クレーム・ブリュレもボキューズの作である。
日本での展開としては、かつてボキューズとの提携店として、銀座「レンガ屋」や、六本木のアークヒルズ内「ル・マエストロ・ポール・ボキューズ・トーキョー」が営業していたが、その後いずれも閉店した。2007年からはひらまつと提携して再びボキューズ・ブランドによる店舗展開を行っている。
日本におけるボキューズの弟子としては、ボキューズのスー・シェフを務めた後1972年に銀座レンガ屋開店のため来日し、現在は東京ミッドタウンの「キュイジーヌ・フランセーズJJ(cuisine francaise JJ)」のシェフを務めるジョエル・ブリュアン(Joel Bruant)がいる。
また、日本人では、「アピシウス(APICIUS)」の総料理長である小林定や、「シェ・ナカ(Chez Naka)」のオーナ・シェフ中村通武、「ラ・ベカス(La Becasse)」の渋谷圭紀、「レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ(Les Creations de NARISAWA)」の成澤由浩などがレストラン「ポール・ボキューズ」で修行している。
スペシャリテ
前菜
- オマール海老のサラダ仕立て トリュフ風味 ソース・オロール(Salade de homard aux truffes, sauce aurore) :フレッシュなオマール海老と酸味をきかせたソースの前菜。
- サーモンのマリネ ディルの香り(Saumon Frais Marine a l'Aneth) :1980年代にパリ8区にある北欧料理のレストラン「コペンハーグ(Copenhague)」からポール・ボキューズが取り入れたといわれているサーモンのマリネ。
スープ
- V.G.E.に捧げたトリュフのスープ / 1975年にエリゼ宮にて(Soupe aux truffes noires V.G.E. / Plat cree pour l'Elysee en 1975) :スープエリゼとか、スープ・ヴェ・ジェ・ウ(V.G.E.はヴァレリー・ジスカール・デスタン大統領の頭文字)とも呼ばれているが、1975年にフランスの料理人として初めて「レジオン・ド・ヌール勲章シュバリエ」を受勲したポール・ボキューズが、その際のエリゼ宮での晩餐会で、時の大統領V.G.Eに捧げた伝説のスープ。
- このスープは、スープ鉢の上面に、懐石料理の「椀」のふたに見立てたパイをかぶせて焼き上げたもので、パイにナイフを入れた瞬間立ち上るトリュフの香りと、パイ自身の持つ芳香が絡まることで、独特の効果があり、懐石料理をフランスで再現したものといえる。
- ムール貝のスープ サフランの香り(Soupe de moules de Bouchot Aux pistils de safran) :ブイヤベースに似た魚のスープで、それにたっぷりのムール貝が入り、生クリームで乳化したもの。
魚料理
- ルージェ(ヒメジ類の白身魚)のポワレ ジャガイモのクルスティヤンをうろこに見立てて (Rouget en ecailles de pommes de terre croustillantes):薄くスライスしたジャガイモをきれいに並べてうろこのように見立てたもの。
- スズキのパイ包み焼き ソース・ショロン (Loup en croute feuilletee):フェルナン・ポワンから伝えられた料理で、スズキ一匹を魚の形そのままパイで包んで焼いたもの。
肉料理
- 特選黒毛和牛フィレ肉のロッシーニ ペリゴール風(Filet de boeuf Rossini aux legumes de marche, sauce Perigueux) :別名 「トゥルヌド・ロッシーニ(Tournedos Rossini)」
- 美食家でもあった音楽の巨匠ロッシーニが愛した料理で、オーギュスト・エスコフィエ(Auguste Escoffier)の名著「ル・ギッド・キュリネール(Le guide culinaire)」(1903年パリ刊)にも作り方が書かれている。
- フォアグラの鶏胸肉包みとモリーユ茸(Supreme de Volaille au Foie Gras et Morilles) :フォアグラをブレス産鶏胸肉で包んだもので、周りにフレッシュのモリーユ茸、下にはちょっとくたっと茹でられたほうれん草を敷いたもの。
- ブレス鶏のヴェッシー(豚膀胱)包み ソース・フルーレット(Volaille de Bresse en vessie "Mere Fillioux") :風船のように膨らんだ膀胱のなかに、しっとりと火が通ったブレス鶏が入ったもの。
デザート
- クレーム・ブリュレ(Creme Brulee) :「Creme」は「クリーム」、「Brulee」は「焦げた」のことで、こくのあるカスタード・プディングの表面に砂糖をふりかけて表面をこんがり焼いたもの。
- バスク地方(Basque)のクレーム・カタラーニャ(Creme Catalana)をもとに、今の形にしたのはポール・ボキューズで、映画「アメリ」で有名になった。
- ウ・ア・ラ・ネージュ(OEufs a la Neige 泡雪卵) :フランス語で、「OEufs」は「卵」、「Neige」は「雪」のことで、「Neige」は卵白を泡立てた状態を表すときにも使う。
- ポール・ボキューズの本には、このデザートはおばあちゃんにおそわったとあるが、卵白に砂糖を加えて泡立てたメレンゲに火を通して固め、クレーム・アングレーズ(Creme Anglaise)に浮かべたもの。
- 同じようなデザートにイル・フロタント(Ile Flottantte 浮島)があり、これはクリームにメレンゲをひとつだけ浮かべた盛り付けからきている。
略歴
- 1926年2月11日: リヨン郊外コロンジュ・オ・モン・ドール(Collonges au Mont d'Or)で生まれる。
- 1946年: リヨンの「ラ・メール・ブラジエ」(La Mere Brazier 1933年3つ星 オーナー・シェフ: ウジェニー・ブラジエ Eugenie=Brazier (1895~1977)に見習いに入る。
- 1950年: 様々なレストランで修行した後、ヴィエンヌの「ラ・ピラミッド(La Pyramide)」に入り、「フェルナン・ポワン(Fernand Point)」のもとで修業を続ける。
- 1959年: 生家のレストラン「ポール・ボキューズ(Paul Bocuse)」を継ぐ。
- 1961年: フランス国家最優秀職人章(MOF)を取得、ミシュランの1つ星を獲得
- 1962年: ミシュランの2つ星を獲得
- 1965年: ミシュランの3つ星を獲得
- 1972年: 辻静雄がポール・ボキューズらを招き、公開技術講座を開く。
- 1974年: 辻静雄がフランス料理の研究と日本における正しい知識の普及につとめた功績からMOF名誉賞を受けたとき、ボキューズはトロワグロ(Troisgros)などと来日し、辻調理師専門学校において、MOFの料理とは、どのようなものかについて講義した。
- 1975年: フランス料理界における功績が評価され、レジオンヌ・ド・ヌール勲章シュバリエ(Chevalier dans l'Ordre de la Legion d'Honneur)受勲
- 1987年: レジオンヌ・ド・ヌール勲章オフィシエ(Officier dans l'Ordre de la Legion d'Honneur)受勲、ボキューズ・ドール国際料理コンクール(Bocuse d'Or)を設立
- 1989年: フランス国家最優秀職人(料理・レストラン部門)選抜委員長に就任
- 1993年: フランス国家功労賞の受賞
- 1994年: リヨンにブラスリー「ノール(Le Nord)」(フランス北西部を中心とした伝統的料理)を開店
- 1995年: リヨンにブラスリー「シュッド(Le Sud)」(南仏を中心とした“太陽の料理”)を開店
- 1997年: リヨンにブラスリー「エスト(L'Est)」(フランスから東方への旅の料理)を開店
- 2003年: リヨンにブラスリー「ウエスト(L'Ouest)」(フランスから西方への西インド諸島を中心としたエキゾチック料理)を開店
- 2004年
- 6月3日: ポール・ボキューズ財団(la Fondation Paul Bocuse)設立
- 6月10日: レジオンヌ・ド・ヌール勲章コマンドゥール(Commandeur dans l'Ordre de la Legion d'Honneur)受勲
- 2006年: 「アルジェンソン(Argenson)」開店
- 2007年:
著書
- 「リヨンの料理人 ポール・ボキューズ自伝」 晶文社 ISBN 978-4-7949-6451-9(4-7949-6451-X)
- 「ボキューズさんちの家庭料理」 新潮社 ISBN 978-4-10-226101-9(4-10-226101-X)
- 「ボキューズのフランス料理入門」 柴田書店 ISBN 978-4-388-05594-4(4-388-05594-8)
ほか多数
関連項目
外部リンク
- レストラン「ポール・ボキューズ」(フランス語・英語)
- ポール・ボキューズ財団(フランス語・英語)
- ボキューズ・ドール(フランス語・英語)
- ボキューズ・ドール・ジャポン
- ひらまつ(日本語・英語・フランス語)
- 辻調グループ校
- フランス料理の歴史:ポール・ボキューズ
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ライオーンって?
ライオーン(Laion 、独語:Lajen)は人口2,262人のイタリア共和国トレンティーノ=アルト・アディジェ州ボルツァーノ自治県のコムーネの一つである。
ドロミーティとアルプスのすばらしい眺めが見える、1100mの高原にある。
地理的な関心
ライオーンは標高1,100mにある街である。いちばん低い地点はノヴァーレ・ディ・ソット(Novale di Sotto)で標高470m。最高地点はRaschötzで2,270m。
2004年12月31日にライオーンは866人の住民を数えた。内訳は、Novale 711人、San Pietro 318人、Albions 267人, Ceves 123人, Tanurza 70人、Fraina 46人である。
コムーネの行政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 No comments台湾証券取引所って?
台湾証券取引所(たいわんしょうけんとりひきじょ、中国語: [臺灣證券交易所] 、 [Taiwan Stock Exchange] )は、台湾の証券取引所である。略称は「台証所」または「証交所」。
1961年10月23日に設立され、1962年2月9日に取引を開始した。1980年代以降、上場企業の増加により取引所は幾度か引越しをした。
2005年以降は、超高層ビル「台北101(台北国際金融大樓)」に所在している。住所は、台北市信義区信義路五段7号3階および、9から12階である。
概要
主な取引品目には、株式、預託証券、債権、ワラント、ETF(上場信託投資)などがある。株式市場には東証一部に相当する「集中市場」のみがある。株式指標としては、同取引所が開発した加権指数が主に用いられている。また、FTSEと共同開発した指数もある。台湾には本取引所のほか、店頭市場の [中華民國證券櫃臺買賣中心] (GTSM, Gre Tai Securities Market)、先物市場の [臺灣期貨交易所] (TAIFEX, Taiwan Future Exchange Market)がある。
立会時間
- 通常取引 09:00~13:30(日本時間10:00~14:30)
外部リンク
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EOS_Kiss_Digitalって?
キヤノン EOS Kiss デジタル(キヤノン イオス キス デジタル)は、2003年9月20日に発売された、630万画素のキヤノン製デジタル一眼レフカメラである。上位機種にEOS 10Dがある。
なお、ここでは後継機種のEOS Kiss デジタル N、EOS Kiss デジタル X、EOS Kiss X2についても取り上げる。
EOS Kiss デジタル(初代)
2003年9月20日発売。一眼レフカメラのユーザー層を広げたEOS Kissシリーズのデジタル版として登場、上位機種EOS 10Dと同等の画素数の撮影素子を搭載しながら、ボディ単体での実売価格が12万円前後(レンズキットは14万円前後)という低価格を実現させ、普及型デジタル一眼レフカメラの先駆けとして注目された。ライバルメーカーへの影響は大きく、後に登場するニコン D70は正式発表前に「開発発表」として早々と公表されるなど異例の対応が取られた。当初はシルバーボディのみであったが、2004年4月24日にブラックボディが追加発売された。アメリカでの名称はEOS DIGITAL REBEL、ヨーロッパ、アジア、オセアニアでの名称はEOS 300Dである。なお、専用レンズ(EF-S 18-55mm F3.5-5.6 USM。EOS 20Dなど、当機種以降のAPS-Cサイズセンサー採用機種でも使用可能)が開発されており、このレンズとのセット販売もされた。2004年にはカメラ記者クラブ特別賞を受賞している(グランプリはD70)。
主な仕様
- 撮影素子:22.7×15.1mmAPS-CサイズCMOSセンサー
- 有効画素数:約630万画素(総画素650万画素)
- 画像エンジン:DIGIC
- マウント:キヤノンEFレンズマウント(EF-Sレンズ使用可能)
- フォーカス:7点オートフォーカス
- ISO感度:100~1600相当、1段ステップ
- シャッター速度:1/4000-30秒(1/3段ステップ)、バルブ、X=1/200秒
- 測光方式:35分割TTL開放測光(評価測光、部分測光、中央部重点平均測光)
- 露出補正:±2段(1/3段ステップ)
- ホワイトバランス:オート、太陽光、日陰、くもり、白熱電球、白色蛍光灯、ストロボ、マニュアル
- ファインダー:ペンタダハミラー使用、視野率は上下左右とも約95%
- モニタ:11.8万画素1.8インチTFT液晶モニタ
- E-TTL自動調光対応
- 最大連写枚数:2.5枚/秒(JPEG、RAW共に最大4枚)
- 大きさ:142.0(幅)×99.0(高さ)×72.4(奥行)mm
- 重量:560g(本体のみ)
EOS Kiss デジタル N(2代目)
2005年3月17日発売。EOS Kiss Digitalの後継機種。新設計のシャッターユニット(フィルム巻上げ音に似たシャッター音を発する)やシャーシ、小型バッテリーの採用によりボディの小型軽量化を実現、有効画素数もEOS 20Dに迫る800万画素にまで向上した。
アメリカでの名称はEOS DIGITAL REBEL XT、ヨーロッパ、アジア、オセアニアでの名称はEOS 350Dである。また、販売促進用としてNew EOS Kiss Digitalの名称も用いられ、当初よりシルバーとブラックの2種類のボディが用意された。
主な仕様(初代との変更点のみ)
- 撮影素子:22.2×14.8mmAPS-CサイズCMOSセンサー
- 有効画素数:約800万画素(総画素820万画素)
- 画像エンジン:DIGIC II
- シャッター速度:1/4000-30秒(1/3、1/2段ステップ)
- 露出補正:±2段(1/3、1/2段ステップ)
- E-TTL II自動調光対応
- 最大連写枚数:3枚/秒(JPEG:最大14枚、RAW:最大5枚、RAW+JPEG:最大4枚)
- 大きさ:126.5(幅)×94.2(高さ)× 64.0(奥行)mm
- 重量:485g(本体のみ)
その他変更点
- 起動時間が0.2秒に短縮された。(初代は2秒)
- イージープリントボタンが装備され、PictBridge対応プリンターでの印刷が簡単に出来るようになった。
- 応用撮影ゾーン(P, Tv, Av, M, A-DEP)において、測光モードとAFモードの選択が可能になった。
- 20Dと共通のノイズ除去回路を搭載、高感度撮影時のノイズが少なくなった。
- 別売のバッテリーグリップ及びそれに付属のバッテリーマガジンを使うことで単3乾電池6個でも起動することが可能になった。
EOS Kiss デジタル X(3代目)
2006年9月8日発売。EOS Kiss Digital Nの後継機種。キヤノンのデジタル一眼レフでは初の、ローパスフィルタ上のゴミを振動で除去する機能が搭載された(原理はオリンパス E-1などとほぼ同様)ほか、画素数も上位機種のEOS 30Dを上回る1,010万まで引き上げられた。
アメリカでの名称はEOS DIGITAL REBEL XTi、ヨーロッパ、アジア、オセアニアでの名称はEOS 400Dで、先代同様、当初よりシルバーとブラックの2種類のボディが用意された。
主な仕様(2代目との変更点のみ)
- 有効画素数:約1,010万画素(総画素1,050万画素)
- フォーカス:9点オートフォーカス
- ピクチャースタイル:スタンダード、ポートレート、風景、ニュートラル、忠実設定、モノクロ、ユーザー設定
- モニタ:約23万画素2.5インチTFT液晶モニタ(これにより液晶モニタ上部の情報ディスプレイは廃止され、モニタ上に情報が表示されるようになった)
- 最大連写枚数:3枚/秒(JPEG:最大27枚、RAW:最大10枚、RAW+JPEG:最大8枚)
- 重量:510g(本体のみ)
EOS Kiss X2(4代目)
2008年3月下旬発売予定。EOS Kiss Digital Xの後継機種。有効画素数1,220万画素のCMOSセンサー、DIGIC III、ライブビューを搭載する。なお、本モデルより機種名から「デジタル」が省かれ、ブラックボディのみとなるほか、記録媒体もSDHC/SDカードとなる。レンズキットに用意されるレンズには手ぶれ補正機構(IS)を持つモデルを用意する。
参考文献
- 各機種のカタログ
関連項目
外部リンク
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スタニスラス・メラールって?
スタニスラス・メラール (Stanislas Merhar, 1971年1月23日 - )は、フランス・パリ出身の俳優。
来歴
ピアニストを目指していたが、指のけがで断念する。映画監督アンヌ・フォンテーヌに見いだされ、『ドライ・クリーニング』(1997年)でデビュー。シャルル・ベルリングとミュウ・ミュウが演じる主人公夫婦を誘惑する、謎の青年役を演じて注目を浴びた。どこか陰のある男性を演じることが多い。映画出演作品
- ドライ・クリーニング Nettoyage à sec (1997年)
- クレーヴの奥方 La Lettre (1999年)
- ナイト・オブ・ゴッド I Cavalieri che fecero l'impresa (2001)
- イザベル・アジャーニの惑い Adolphe (2003年)
- 恋は足手まとい Un fil ala patte (2005年)
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大芝公園口駅って?
三滝駅(みたきえき)は、広島県広島市西区三滝本町二丁目にある西日本旅客鉄道(JR西日本)可部線の駅である。
駅構造
1面2線の島式ホームを持つ地上駅。無人駅で、構内には自動券売機と簡易型の自動改札機がある。かつては島式ホームの広島側奥に汲み取り式の便所があったが、現在は撤去され、代わりに道路側にプレハブ型の男女共用水洗便所が設置されている。
- のりば
太田川側から、
利用状況
- 1日平均の乗車人員 439人(2004年度)
- JR可部線の駅では、13駅中12位(広島駅・横川駅を含む)。中島駅の次に利用客が少ない。
- 隣の横川駅まで東南方向へ歩いて10分程度で行く事ができる。このため、三滝駅の東側に住む住民は、三滝駅の方が近くても、利便性の高い横川駅を利用している。
駅周辺
歴史
- 1930年(昭和5年)10月ごろ - 広島電気線(後の広浜鉄道線)の大芝公園口停留場(おおしばこうえんぐち-)として開業。旅客駅。
- 1935年(昭和10年)12月1日 - 駅に昇格、大芝公園口駅となる。
- 1936年(昭和11年)9月1日 - 広浜鉄道国有化、国鉄可部線の三滝駅となる。
- 1962年(昭和37年)10月1日 - 太田川放水路建設のため現在地に移転。同時に荷物の取扱を廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR西日本が継承。
- 2007年(平成19年)7月21日 - ICOCA対応簡易型自動改札機設置。
- 2007年(平成19年)9月1日 - ICOCA導入。
隣の駅
関連項目
外部リンク
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