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Archive for 4 月 21st, 2008

パズルボブル2Xって?

パズルボブル2』(Puzzle Bobble2)はタイトーから1995年に稼動したアーケードゲームである。パズルボブルシリーズの第2作目に当たる。ここではマイナーチェンジ版でクリスマスおよびお正月のイベントが追加されたパズルボブル2Xも合わせて解説する。



ゲームのルール

8方向レバー、1ボタン(ボール発射)でバブルを消していればクリアとなる。ボールがデッドラインを超えるとゲームオーバー。

ゲームモード

  • ひとりでパズル


ゲーム開始時に最初にどのゾーンを選ぶか選択可能の1Pパズルモード。全6ラウンド&30ステージ。なお、パズルボブル2Xでは、1人でパズルモードに、レベル選択が可能になった。Xは難しいレベルである。

  • CPUと対戦



練習や本編の2つが選べる。練習は3ステージで終了。本編は全12ステージ。1試合の1本勝負。

  • 2人で対戦



2人で対戦できるプレイヤー同士の対戦モード。3試合2回勝利すればプレイヤーの勝ちとなる。



移植版のみのモード


プレイステーション版(パズルボブル2)

  • タイムアタックモード


相手に勝つため、何分までクリアできるかを競うタイムアタックモード。


セガサターン版(パズルボブル2X)

  • エディットモード



30面まで保存可能なエディットモード。自分のステージが作れる。



クリスマスとお正月シーズンについて

タイトル画面の後にクリスマスシーズンが見れる。またはお正月シーズンも見れるのだが、設定により、シーズンの変更も可能。

キャラの切り替え

ゲームスタート時にレバー、スタートボタン、Aボタンを入れ続けたまま、コース決定。

キャラクター

  • バブルン(1Player)


1プレイヤー側の主人公。泡吐き竜に変身された姿。緑色の怪獣。

  • ボブルン(2Player)



2プレイヤー側の主人公であり、青色の怪獣である。

  • もんすた(プレイヤー共通)



ちゃっくんぽっぷバブルボブルレインボーアイランドに登場した敵キャラクター。練習ステージと本編ステージに登場。また、コースを選ぶ時に条件を満たせれば使用可能。4にも登場している。

  • かじゃく



タバコを吸うくじゃく。練習ステージのステージ2に登場。

  • まいた



ちゃっくんぽっぷバブルボブルレインボーアイランドに登場した敵キャラクター。岩を投げる。ステージ8に登場する。ちなみに「ちゃっくんぽっぷ」でタイマー役として登場していた。なお、勝利すると4体に分身する。

  • ぴかーる



電気性能のキャラ、電気が発生する。ステージ4に登場

  • ぱっきー



猫型ロボットのキャラクター。首のねじがゆるく、よく落ちている。ステージ2に登場

  • がーご



練習ステージのステージ1に登場

  • がらーにょ



エジプトからやってきたツタンカーメン。ステージ5に登場

  • ハンドル



海外版に登場

  • ウサギ



海外版に登場

  • パソコン



海外版に登場

  • どらぼー



ドラキュラのキャラクター。ヴァンパイアに似ていない。ステージ9に登場

  • ちょっきんたぁ



氷のステージでプレイヤーが箱をあけると、出てきてくる。ステージ10に登場

  • うーるん



羊の化身。ナルシストでピンク色が大好き。ステージ3に登場。パズルボブル4にも登場する。

  • バブルンプロトタイプ



巨大メカの登場。ステージ11に登場。これに勝利すると、本体がぶっ壊れ、どらんくに変わる。外見の本名はばぶるんろぼと名前が表示してあるが、メカニックのデザインだった。

  • イラストバブルン&イラストボブルン



キャラの登場が不明

  • ちゅんちゅん



ネズミの化身。イタズラ好き。ステージ6に登場

  • びるがん



岩石の化身。頭のビルには誰も住んでいないらしい。ステージ7に登場

  • どらんく



最後の戦い(ステージ12)バブルンプロトタイプに倒された後で登場。バブルボブルレインボーアイランドに登場したボス。イタズラ好きの魔法使い。



移植作品


1996年3月29日発売



1996年7月26日発売



2005年8月25日発売のタイトーメモリーズ 下巻に収録



関連項目



外部リンク


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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佐世保郵便局って?

佐世保郵便局(させぼゆうびんきょく)は、長崎県佐世保市に位置する郵便局。民営化前の分類では集配普通郵便局であった。



概要

住所:〒857-8799 長崎県佐世保市京坪町3-10

  • 坂道に面している。



併設施設

  • 郵便事業佐世保支店
  • ゆうちょ銀行佐世保店(熊本支店佐世保出張所):取扱店番号760370
  • なお、かんぽ生命保険佐世保支店は、当局併設ではなく、三浦町のウエストパーク佐世保(当局の南約500m)に設置された。



沿革

  • 1874年(明治7年) - 「佐世保等外郵便継立所」が設置される。
  • 1874年(明治7年)12月16日 - 「佐世保郵便取扱所」が設置。
  • 1875年(明治8年)1月1日 - 「佐世保郵便局」(五等)となる<ref name=meiji/>。
  • 1888年(明治21年)2月 - 谷郷町に三等電信局が置かれ、郵便・為替・貯金と電報の取扱開始。6月には二等電信局に昇格。
  • 1895年(明治28年)4月1日 - 「佐世保郵便電信局」となる<ref name=meiji/>。
  • 1903年(明治36年)4月1日 - 通信官署官制施行に伴い「佐世保郵便局」となる<ref name=meiji/>。
  • 1905年(明治38年)2月12日 - 元町佐世保橋付近に新築移転する。
  • 1945年(昭和20年)6月28日 - 佐世保空襲で郵便局庁舎焼失。谷郷町に庁舎があった当局電話課(現NTT西日本)の職員34名殉職。
  • 1950年(昭和25年)以前 - 現在地に移転。
  • 2007年(平成19年)10月1日 - 民営化に伴い、併設された郵便事業佐世保支店、ゆうちょ銀行佐世保店に一部業務を移管。



取扱内容


佐世保郵便局



郵便事業佐世保支店



ゆうちょ銀行佐世保店



周辺

  • 四ヶ町商店街
  • 戸尾市場
  • 佐世保市体育文化館・コミュニティセンター
  • セントラルホテル



アクセス



外部リンク



脚注

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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川本稜って?

川本 稜(かわもと りょう、1993年9月11日 - )は、日本俳優埼玉県出身。身長165cm、体重48kg。血液型A型。アトリエうみ所属。


特技はブレイクダンス・バック転・計算。趣味はダンスバレーボールドラム。好きな学科は体育と数学。



出演


テレビ

  • テレビ東京「のぞき屋」(少年時代ケン役)
  • 静岡テレビ「おぎやはぎのだっぴんぐ」



舞台



その他

  • イベント「HONDAアシモの五才バースデーパーティー」
  • DVD「となりの801ちゃん」



外部リンク


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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ホームレスって?

ホームレスとは、様々な理由により定まった住居を持たず、公園路上公共施設河原架橋の下などの場所等を起居場所とし日常生活を営んでいる野宿者路上生活者一時施設居住家賃滞納再開発による立ち退き、ドメスティックバイオレンスのため自宅を離れなければならない人など住宅を失う危機にある人のこと。



概要

日本ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法などの定義非常狭義で野宿者・路上生活者のみをホームレスと称している。

さらに広義のホームレスの定義には野宿者・路上生活者住宅を失う危機にある人に適切でない住居居住する人(危険だったり修理不能、大修理を要する住居、最低居住水準未満世帯)も含める。テント生活をしていても中東ベドウィンモンゴル遊牧民ロマのような不定住民をホームレスとは呼ばない。金銭的事情等で住居を持てないものだけではなく、米国の実業家ハワード・ヒューズのように、自らの意思でホームレスを選択する場合もある。ベトナム戦争期のアメリカでは、志願してホームレスになる若者が現れた。住所不定になれば、召集令状の送付先がなくなるからである。

かつては乞食・浮浪者・ルンペンなどと呼ばれていたが、差別用語との指摘を受け、海外での同様な状況を指す英語の the homeless に由来するホームレスという呼称がマスメディアを中心に外来語として定着した。

高齢者のホームレスの場合、国民年金の掛け金を払っていた人に対しては年金が受給されるようになり、65歳を期にホームレスを脱することが出来る人もいる。



定住型と移動型

ホームレスは、定住型と移動型に分類される。

  • 定住型は、公園・駅舎などの公共の場を一定期間占拠し、段ボールハウスなどを設置して生活している。しばしば公共の場の不法占拠かどうかを巡り行政と対立する。
  • 移動型は、昼間は仕事をしていたり、公共施設などを転々として時間を過ごしていたりするが、夜間になると雨風を凌げる場所を探して睡眠をとっている。都市間を移動する漂泊型のホームレス(行旅人の一種)も存在する。
  • 冬季は、凍死を避けるために夜間は起きて過ごし、日中、公共施設や駅構内などで睡眠をとる場合もある。



実態

日本でも、段ボールブルーシート等を資材としてテント・小屋掛けをしたりする者が増加し、新たな社会問題となっている。


景気の状況によりホームレス人口の増減があり、バブル崩壊後の不況下でその数は増し、2003年1月~2月の厚生労働省調査では全国で25,296人に達していた。しかし、2007年1月の厚生労働省調査では景気が回復傾向にあるため、全国で18,564人と減少している、平均年齢は57.5歳。



地理的分布

ホームレスは、廃屋や山小屋等に無断で住み着いていたり、無人島のようなところでテント生活をしている者も含むので、都市のみに限定して分布しているわけではないが、実数としては大都市に多い。

日本においては比較的冬が寒い東日本に9,225人(富山県、岐阜県、愛知県以西を西日本とした場合)、比較的冬が暖かい西日本に9,339人によれば、「自立支援システム」の第一ステップとして「緊急一時保護センター」があり、第二ステップとして「路上生活者自立支援センター」を設けている。

  • 第一ステップ(緊急一時保護センター)は、「路上生活からの早期の社会復帰を促進するため、ホームレスの一時的な保護や心身の健康回復を図るとともに、自立支援センターへの入所など以後の処遇方針を明らかにする」。

    • 第二ステップ(路上生活者自立支援センター)では、「緊急一時保護センター入所者のうち、就労意欲があり、心身の状態も就労に問題がないと認められた人を対象に、原則2か月間の入所期間で、食事の提供、職業、住宅等についての相談を行い、ホームレスの就労による自立を促進」する。



  • これらの施設建設に対する周辺住民の反対運動などもあるが、東京都の場合現状では5年毎の都内の他区への移設という手法によって対処しているようである。

    • こうした「自立支援」策にもかかわらずホームレスがなくならないのは、行政の側では、結局本人に自立への意思がなく、好きで路上生活をしているのだという態度もある。
    • しかし他方では、日本のホームレスの多くは驚くほど労働意欲が高いという調査結果もあり、高齢や病気による就業困難、さらには産業構造の変化や不況による社会自体の構造的要因を無視すべきでないと言われる。


  • そもそも「自立支援」とは「法外援護」(生活保護の外での応急援護)をまとめたものだが、これは国籍要件と(他に活用する資産・能力のない)生活困窮だけを要件として適用すべき生活保護法の趣旨に反して、ホームレスなどを同法の保護から不当に排除するものだという批判もある。

    • また一方、たとえばアルコール依存症の人――病的に飲酒が止められない人――が、一度の飲酒が見つかり施設から放逐されたという事例もあるように、粘り強く親身な取り組みが欠けている、または福祉担当職員数や資金の不足によりそれを余儀なくされている現状がある。


  • 東京都は他にも、野宿者の自立を促すため、2004年度から野宿者に対し2年間住宅を安い家賃で貸す「ホームレス地域生活移行支援事業」を行っているが、自立に成功するのは1割ほどしかいない。



行政の課題

日本の行政企業・社会は、失業した人間を受け入れる体制を十分には整えていないため、リストラ(=整理解雇)に伴う生活破綻に備えての消費行動の自発的自粛や日本経済の悪循環を引き起こしている。

  • 日本経済を好循環にのせるためにも、政策の見直し、または、行政による失業者の再チャレンジ支援の充実が切望されている。



政策のモデル

政策の見直しについては、かつてルックイースト政策を提唱したマレーシアマハティール元首相のように、日本は米国式を脱却する必要があるという意見があり、その論調によりホームレス問題を欧米式の雇用形態に根拠を求める説が主張される。

  • その根拠として、欧米流のリストラ再就職の循環による産業構造は、終身雇用制を基準とする日本文化と日本の社会制度(大企業に勤める一握りの人々に限られる文化と制度とする意見もある)に適合しないことがあげられるとする。
  • 欧米式政策を導入したこの10年が日本経済の低迷時期と一致することが、その事実を示していると主張する人がいる。しかし日本のホームレス問題は21世紀に始めて登場した社会問題ではなく、欧米式の雇用形態に理由をもとめるに足る因果関係はない。また失業率は1990年代以降に増加したが、終身雇用が標準的であった1980年代以前においても日本のホームレス問題は存在した。
  • ソフトランディング策について、フランスでは、失業者は社会への貢献活動を行っている間は、手当を受けることができる。カナダでは、失業者も家・医療の保証がある(マイケル・ムーアボウリング・フォー・コロンバイン」に描写された)。



高齢化社会の中では

  • 行政による高齢者向けの居住施設の設立が切望されている。

    • 現在は、70歳以上の高齢者の受け入れ先が就業支援目的の自立支援センターであるが、高齢のため就職先が殆どない。野外に寝泊りする年金受給者から、暴力団が「居場所代」として毎月数万円を巻き上げている例もある。
    • この場合、そもそも毎月何万円もの金額を支払える人がなぜホームレスになっているのかという問題がある。たとえば美人局等、何らかの犯罪や倫理的な弱みを暴力団に握られて脅迫されている可能性もあるので、原因に遡った解決策を考慮する必要がある。
    • 公共の場で居場所代を払うこと自体正当性がないので拒否できるが、暴力団の所有地に入り込んだ場合、民事訴訟を提訴されることがあるので、注意する必要がある。
    • 高齢化に伴いホームレス化した人々のための、生き甲斐支援の政策、「死を待つ人々の家」などの死を迎えるための施設の設立を望む声もある。



民間における支援活動


緊急支援

アメリカなどでは教会を中軸とした市民レベルの支援活動が行われている。

  • 日本においても各宗教寺社・教会や民間の支援団体・ボランティア等による炊き出しなどがあり、篤志家・市民から寄せられた衣類等の寄付物品が配られている。
  • 炊き出しは行倒れを防ぐための最低限の活動であり、元野宿者が仲間のために行う場合もある。
  • ホームレスの生活保護受給に関して、保護適用が適正に行われるよう支援している団体もある。
  • 各地の弁護士会がホームレス・野宿者向けのQ&A(一問一答)を公開している例もある。→「弁護士に聞いてみたい 「野宿者からの質問と回答~困ったときのこの一冊 ~京都弁護士会[http://www.kyotoben.or.jp/kikitai/nojyuku.html



自立支援の例

ホームレスの人々を販売者とする雑誌を発行することで、現金収入を得る機会を提供し自立を支援する事業が始まっている。

  • イギリスのThe Big ISSUEを発祥とし、日本独自の記事を中心とした「ビッグイシュー日本版http://www.bigissue.jp/」が発行されている。

    • 東京や大阪などの大都市でホームレスの人たちが街頭に立ち、道行く人達に直接販売している姿が見られる。



問題点

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生活上の問題点


治安

ホームレス襲撃事件が後を絶たず、少年等を加害者とするホームレス殺害傷害事件が発生している(横浜浮浪者襲撃殺人事件など。加害少年たちは「ケラチョ(虫けらっちょ)狩り」「街の掃除」と嘯いており、罪悪感を持たない。東京・北区赤羽では、たまたま公園でごろ寝していたネットカフェ難民の男性が、ホームレスだと思い込んだ少年達にライターオイルをかけられ火を点けられる事件が起きた (男性は火傷で重傷)。また、冬季の凍死など毎年数百人もの路上での死者(官報では行旅死亡人)が出ている。逆にホームレスが一般人を殺害するケースもある。金の欲しさの理由であったり、住むところがなく困っていることの理由である。また、ホームレスが万引き空き巣をしている可能性が高いとも言われている。

市民権

住所不定となるため、住民票が削除されたり(職権消除)、それにともない選挙権が行使できなくなったりすることがある。長年行方不明であったために親族から役所へ失踪の届けがなされ、戸籍が抹消されている例も見られる。住民票を消されると、選挙権・被選挙権を失う他、生活保護や運転免許取得など、行政の手続きが必要な行為のほとんどが実質的に受けられなくなる。さらに、就職でも不利になるため、自力での住民票回復は極めて難しくなる。

[釜ヶ崎#住民登録問題]

大阪市では、あいりん地区釜ヶ崎)の釜ヶ崎解放会館などに便宜上の住所登録を行うことが黙認されていた。市職員が登録を勧めた事例もあるという(また、横浜市でも寿町会館に便宜上の住所登録が黙認されているという)。<br />

しかし、2006年12月に、解放会館の住民票を不正利用した男が逮捕された事件により、大阪市の事例が明らかになった。この事件はホームレスは単なる被害者であったが、これをきっかけにマスコミ、特に『讀賣新聞12月16日号は、市民権行使による参政を「違法投票」と報じるなど、ホームレスへの非難報道を行った。


2007年2月27日關淳一市長は「居住実態のない」ホームレスの住民票削除を発表。建設労働者の男性が大阪高等裁判所に削除差し止めの仮処分申請を行い、3月1日に認められたことなどから、大阪市は3週間の延期を発表。
大阪市選挙管理委員会は3月26日、早急に住民登録の適正化を図るよう求める依頼書を関市長に提出。選管はホームレスなど側との交渉の席上「野宿者は選挙権を行使できない」と主張したとされる(「緊急抗議行動呼びかけ」)。統一地方選挙による大阪市議選告示前日の3月29日、「選挙が無効となる恐れがある(ホームレスの選挙権行使を理由に、選挙無効で訴えられる恐れがある)」として、大阪市はホームレスら約2,000人の公民権を剥奪した。



日常の困難

ホームレスになる直前の職業は、日雇い労働を代表とするもともと不安定な就労形態であった者が多く、建設不況などにより日雇い労働市場が縮小した現在、高齢化の問題も手伝って、仕事に就くのに困難な状況が伴っており、職業訓練や新たな雇用の創出などの対策が求められる。また、アルコール依存症などによる心身面の問題を抱える者については、一旦、生活を立て直した後で、また再び野宿に戻る場合があるなどの問題を抱えている。

行政の対応

法制度的な問題としては、生活保護法によれば、生活に困窮し資産能力を活用し他に手段がない場合には保護の適用を受けて最低限度の生活を営むことが出来るはずである。

  • しかしホームレス本人の稼働能力の不活用などの理由で保護の要件に欠けるとされる場合があり、セーフティネットとしての生活保護法が充分機能していないとする意見が一部である。
  • 特に、男性の野宿生活者に対しては一律に門前払いしている場合も多い。
  • 女性の野宿生活者は性的犯罪の被害者となる危険性が高いので行政側も最優先に素早い対応をしており、これによって多くの女性の人権が保護されている。
  • 働くことを希望しているホームレスが多く、就労による自立が最優先課題であるが、住居・住民票のないことが就職に不利となり、また、アパートなどを借りる際の保証人がいないことが住居を得るうえで障害となっている。住民登録が抹消されている場合は印鑑登録ができず、このため賃貸住宅の契約時に求められる実印の提出ができないことなども障害となる。住み込み労働などについても保証人や現住所が必要な場合が多く、ホームレス脱却の手段とはなり得ない。



ホームレスの裁判

生活保護の申請に際して、住所不定者の「稼働能力」を争点とした裁判が起こされている。


経緯

1993年7月、住所不定であった男性(当時55歳)が、名古屋市中村区社会福祉事務所へ医療扶助、生活扶助、住宅扶助といった生活保護の申請をした。

  • しかし同事務所は、「就労可能」との医師判断をもとに男性への保護決定を医療扶助のみとしたため、1994年5月、男性はこれを不服とし、同決定の取り消しと慰謝料百万円の支払いを求めて、同福祉事務所と名古屋市を相手取り名古屋地方裁判所へ提訴した。



第一審

裁判において男性側は「不況で仕事が少なく、能力を活用しても、最低限度の生活は維持できなかった」「稼働能力があっても、生活が困窮している場合は、生活保護が受けられる」と主張。

  • これに対し名古屋市側は「稼働能力があり、能力の活用が不十分で、保護の要件を満たさない」「就労の機会を得ることは可能で、申請当日に、職が得られなくても、急迫していたとは認められない」として、処分の妥当性を主張した。

    • 1996年10月、名古屋地裁は原告側(男性)の主張を認め、上記決定を取り消す判決を下したが、名古屋市側は控訴した。



控訴審

1997年8月、名古屋高等裁判所は、1審判決を覆し男性敗訴の控訴審判決を言い渡した。


上告審

男性は最高裁に上告したが、2001年2月、最高裁判所第三小法廷は男性の上告を棄却した。

その他


廃品回収と、その周辺事情

彼らの僅かな収入源の一つに、回収業者が廃品の買取をする方法や直接販売可能な廃品の買取がある。前者が段ボールやアルミ缶、後者は週刊誌などの雑誌である。段ボール集めの場合、古紙回収業者がホームレスにリヤカーを提供し、安い料金で街中の段ボールを無断で集めさせる。

ホームレスにとってはいつでも好きな時間にマイペースで仕事ができ僅かだが適当な収入になる仕事である。しかし最近では、段ボールも無料での引取りがなくなり、放火の危険性からも街中では見られなくなりつつある。缶に至っては、“資源ゴミは自治体が所有権を留保する有価物”との方針が広まり、集積所からの持ち出しも窃盗罪に問われる可能性が生じ始めている。

段ボール・ハウス絵画

バブル経済崩壊後の企業倒産激増等により、インテリや芸術家もホームレスとなり、JR新宿駅西口地下街では、ピーク時で300名のホームレスが段ボール・ハウスで寝泊りしていた。1995年からは、若手芸術家(武盾一郎ほか)やホームレスとなった芸術家が、段ボール・ハウスに絵画を描き始め、1998年までに800軒の絵画が描かれた。

2005年には、その10周年を記念して「新宿区ダンボール絵画研究会」が結成され、武盾一郎が会長、深瀬鋭一郎が事務局長、深瀬記念視覚芸術保存基金が事務局となり、美術評論家の中原佑介、毛利嘉孝なども参加して、研究叢書として「新宿ダンボール絵画研究」が発刊された。

まちづくり

日雇い労働市場(寄せ場)には多数の簡易宿所(いわゆる「ドヤ」)が集まった街があり、日雇い労働者がひしめく独特の雰囲気がある。



非合法勢力との関係

ホームレスの中には、暴力団にからむ非合法勢力による犯罪に巻き込まれてしまったため親族・家族に迷惑をかけないようにと絶縁しホームレスとなり、遺体となって初めて家族のもとに帰る人がいる。また近年、ホームレスが中国から覚せい剤の密輸を行う運び屋として利用されるという事件が発生している。

これは、公園等で見知らぬ男から報酬と渡航費や偽造パスポートなどを渡され、詳しいことがわからぬまま覚せい剤を日本に持ち込ます手口といわれる。すでに2004年2月、中国当局によって麻薬密輸罪で日本人1人に執行猶予付きの死刑判決が言い渡されている。2007年、新たに麻薬事犯で2人の日本人男性に対して、執行猶予が付かない死刑が中国で言い渡された(最高人民法廷での執行許可待ち状態に置かれている)。


反社会的勢力(暴力団など)が夜の間にホームレスの枕元にそっと食料をおいておき、朝起きたホームレスがそれを誰から受けたとも知らずに食べた後、反社会的勢力が来て名乗りをあげ、以降そのホームレスを勢力範囲下におく(反社会的業務への「雇用契約」が成立したと恐喝する)という手法が取られるという。



脚注


ホームレス経験者



関連項目



参考文献

  • 青木秀男 編著『場所をあけろ! 寄せ場/ホームレスの社会学』松籟社 1999年1月 ISBN 4879841986
  • ありむら潜『カマやんの野塾 漫画ホームレス問題入門』かもがわ出版、2003年12月、ISBN 4876997829
  • ネルス・アンダーソン 広田康生 訳『ホーボー ホームレスの人たちの社会学』ハーベスト社 上:1999年5月 ISBN 4938551411、下:2000年11月 ISBN 4938551519

    • 原著: Nels Anderson, The hobo

  • 岩田正美『ホームレス/現代社会/福祉国家「生きていく場所」をめぐって』明石書店 2000年3月 ISBN 4750312665
  • 梅沢嘉一郎『ホームレスの現状とその住宅政策の課題 三大簡易宿所密集地域を中心にして』第一法規出版 1995年6月 ISBN 4474004922
  • 笠井和明『新宿ホームレス奮戦記 立ち退けど消え去らず』現代企画室 1999年7月 ISBN 4773899077
  • 風樹茂『ホームレス入門 人間ドキュメント 上野の森の紳士録』山と溪谷社 2001年6月 ISBN 4635330346/改題『ホームレス入門 上野の森の紳士録』角川文庫 2005年1月 ISBN 4043778015
  • 風樹茂『ホームレス人生講座』中公新書ラクレ 中央公論新社 2002年11月 ISBN 4121500709
  • 金子雅臣『ホームレスになった 大都会を漂う』築地書館 1994年2月 ISBN 4806756237 ちくま文庫 2001年11月 ISBN 448003675X
  • 北村年子『大阪・道頓堀川「ホームレス」襲撃事件 “弱者いじめ”の連鎖を断つ』太郎次郎社、1997年10月、ISBN 4811806417、http://www.hanmoto.com/bd/ISBN4-8118-0641-7.html
  • 櫛田佳代『ビッグイシューと陽気なホームレスの復活戦』ビーケイシー 2004年12月 ISBN 4939051323
  • 小玉徹ほか『欧米のホームレス問題 下』法律文化社 2003年2月 ISBN 4589026198
  • 小玉徹『ホームレス問題何が問われているのか』岩波ブックレット 岩波書店 2003年3月 ISBN 400009291X
  • クリストファー・ジェンクス 大和弘毅 訳 『ホームレス』図書出版社 1995年2月 ISBN 4809901955

    • 原著: Christopher Jencks, The homeless

  • 社会政策学会 編『日雇労働者・ホームレスと現代日本』御茶の水書房 1999年7月 ISBN 427501765X
  • 曽木幹太『Asakusa style 浅草ホームレスたちの不思議な居住空間』文藝春秋 2003年5月 ISBN 4163650105
  • 長嶋千聡『ダンボールハウス』ポプラ社 2005年9月 ISBN 4591088308
  • 中村健吾 ほか『欧米のホームレス問題 下』法律文化社 2004年3月 ISBN 4589027143
  • 中村智志『段ボールハウスで見る夢 新宿ホームレス物語』草思社 1998年3月 ISBN 4794208073/増訂改題『路上の夢 新宿ホームレス物語』講談社文庫 2002年1月 ISBN 4062733501
  • 福沢安夫『ホームレス日記「人生すっとんとん」』小学館文庫 2000年12月 ISBN 4094050213
  • 藤井克彦、田巻松雄 共著『偏見から共生へ 名古屋発・ホームレス問題を考える』風媒社、2003年4月、ISBN 4833110598
  • ふるさとの会 編著『高齢路上生活者 山谷・浅草・上野・隅田川周辺その実態と支援の報告』東峰書房 1997年11月 ISBN 488592040X
  • 松繁逸夫 安江鈴子 共著『知っていますか?ホームレスの人権一問一答』解放出版社 2003年6月 ISBN 4759282467
  • 松島トモ子『ホームレスさんこんにちは』めるくまーる 2004年2月 ISBN 4839701156
  • ジェームズ・D・ライト『ホームレス アメリカの影』三一書房 1993年3月 ISBN 4380932028

    • 原著: James D. Wright, Address unknown

  • E・リーボウ 著 吉川徹 轟里香 訳『ホームレスウーマン 知ってますか、わたしたちのこと』東信堂 1999年4月 ISBN 4887133251

    • 原著: Elliot Liebow, Tell them who I am

  •  山崎 克明、奥田 知志 ほか『ホームレス自立支援―NPO・市民・行政協働による「ホームの回復」』明石書店 、2006年9月 ISBN 4750324094
  • いちむらみさこ著『Dearキクチさん、ブルーテント村とチョコレート』キョートット出版 2006年10月 ISBN 4990263715
  •  田村裕著『ホームレス中学生』 ワニブックス 2007年 ISBN 4847017374



外部リンク


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アミ族って?

アミAmi, 中国語:阿美族。別名:パンツァハパンツァPangcah)は、台湾原住民のなかで一番多い14万8992人(2000年の調査による)の人口規模を持つ民族集団。台湾原住民の総人口の37.5% を占めている。


居住地域は台湾の東部一帯、花蓮県台東県屏東県に亘る広い範囲である。主に平地に集落を構え、中央山脈海岸山脈(東岸山脈)の間にある細長い渓谷地域(花東縦谷)、その両端の花蓮市台東市周辺の平野部、海岸山脈の東側の太平洋沿いの平地、台湾南端の恒春半島に住んでいる。また台北市高雄市など、台湾各地の大都市にも拡散しており、「大都市の原住民」の多くを占めている。


アミ族はコメなどの農業ブタなどの畜産で生活し、海岸部では漁業を営んでいる。伝統的な集落は他の原住民の集落に比較して大きく、500人から1000人規模が典型的である。また花蓮や台東、あるいは遠く離れた台北や高雄で都市生活を送る者も多い。


花蓮県瑞穂郷の舞鶴には石器時代の遺跡があり、その二本の石柱はアミ族の発祥神話に関連付けられておりアミ族発祥の地とされている。



言語

アミ語オーストロネシア語族の一種であり、固有の文字は持たない。年配の世代は日本語も使う一方、若い世代は中国語(台湾国語)を使用している。

分類

アミ族の人々は一般的に自分たちのことを、「人間」「仲間」を意味するパンツァハと呼んでいるが、今日の台湾ではアミという呼び名がより一般的に使用されている。「アミ」とはアミ語で「北」を意味する。なぜ「アミ」という語がパンツァハの人々を指す言葉になったのか、学会でも定まった見解はない。一つの仮説は、台東付近に住むプユマ族が、自分たちより北に住んでいるパンツァハに対してこう呼ぶようになったというものである。別の仮説は、台東平野に住むパンツァハの人々が、祖先が北方から来たために「アミ」と自称していたことから来ているというものである。(台東平野のアミ族に関するこの記述は、日本統治時代の1913年-1918年に編纂された『蕃族調査報告書』第8巻4ページに登場する)この仮説は、アミという語が、人類学者が「卑南アミ群」(ファランガウ・アミ、Falangaw Amis)と分類している台東市から成功鎮にかけて住む集団から誕生したことを示している。

原住民の歴史によれば、アミ族は大きく5つの集団に分類される。

  • 南勢アミ群(北部アミ、奇萊(現在の花蓮)一帯の平野に住む)
  • 秀姑巒アミ群(中部アミの一部、中央山脈と海岸山脈の間の平野に住む)
  • 海岸アミ群(中部アミの一部、海岸山脈よりも海岸沿いの一帯に住む)
  • 卑南アミ群(南部アミの一部、別名ファランガウ・アミ、成功鎮以南の海岸沿い、および台東平野に住む。ファランガウは台東市の馬蘭という集落のアミ語の名前)
  • 恒春アミ群(南部アミの一部、恒春半島に住む)



しかしこうした分類は、広く受け容れられているものの、地理的な区分や部族の移住の結果に基づいているに過ぎない。文化、言語、身体的特徴などの調査から分かったアミ族内部の相違とは一致していない。



風習

アミ族は母系社会で、家族の仕事は女性主体であり女性が責任を持つ。家業・財産は長女が受け継ぎ、以下優先順位は女性側にある。またも母方の姓が引き継がれる。

家長は女性であるが、一方で集落の決め事をするのは家長の夫である男性たちが形成する長老会議であり、年齢の長幼によって階級が決められ責任などもこの階級によって決められている。


アミ族の祭りには豊年祭、播種祭、捕魚祭、海祭などがある。豊年祭は最も重要な祭祀儀式で、毎年7月から8月に行われ、期間は2週間ほどであり、時期も日数も村によって異なる。祭ではブタが殺され、皆で肉を分けて食べる事が行われる。祭では色彩豊かな衣装が着られ、歌や踊りが行われる。また、10月から11月にかけて、アミ語でシカワサイと呼ばれる女シャーマンが主催する祭りがおこなわれる。これには8~15歳の子供が集められ彼らは盛んに踊る。特に祭りの終りの半月ほどは激しく踊り、その間にトランス状態に陥った童女が次代のシャーマンに任命される。



歌と踊りはアミ族の特徴でもある。集落ではリズミカルな歌が歌い継がれ、フォークダンスのような踊りが日頃より行われている。花蓮の「阿美文化村」のような観光施設では、恋愛や狩りなどアミ族の物語に基づいた歌や踊りを披露するアトラクションが行われている。また張震嶽のような歌手もアミ族から出ている。日本時代にも陽気な性格が知られており、高砂義勇隊にあってもその性格を存分に発揮していた。

Return to Innocence

アミ族の歌はかつてエニグマ1993年のヒット曲、『Return to Innocence』にフィーチャーされ世界的に有名になったことがある。1996年アトランタオリンピックのテーマソングともなったこの曲では、アミ族のパフォーマンスグループの一員郭英男(ディファン、Difang、中国名クオ・インナン)および妻のイガイ(Igay、中国名クオ・シウチュ)が1988年のパリでの文化交流で披露した「老人飲酒歌」のコーラスが使われた。

パリでのパフォーマンスはCDにされ、ここからエニグマのメンバーであるミヒャエル・クレトゥがコーラスをサンプリングして曲にしたが、後に夫妻から無断使用およびクレジットに名前を載せなかったことにより訴えられた。クレトゥは、この音源をパブリック・ドメインと勘違いしており著作権違反のつもりはなかったと述べたが、和解金の支払いと今後クレジットに夫妻の名を載せることを条件にして裁判は終了した。和解金はほぼアミ族文化振興のため寄付されている。



日本との関わり



外部リンク


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東京農業大学って?


概観


大学全体

日本で初めて設立された私立の農学校(国公立を含めると、札幌農学校駒場農学校に次ぐ3番目の歴史がある。)であり、2007年現在、農学を専門に扱う日本で唯一の大学である。東京農工大学農業者大学校、日本の各都道府県にある農業大学校とは名称が類似しているが特に関係はない。



建学の精神(校訓・理念・学是)

農大の前身である東京農学校の初代学長横井時敬は、「稲のことは稲に聞け、農業のことは農民に聞け」や「農学栄えて農業亡ぶ」といった言葉を残した。これは、観念論を排して実際から学ぶ姿勢を重視し、学問のための学問を排した『実学主義』を重視することを表しており、現在も農大は、「実学主義」を教育理念とし、「人物を畑に還す」(昨今の国際化社会に伴い、「人物を世界の畑に還す」とする場合もある。)と「農業後継者や地域社会の担い手の育成」を最大目標としている。


また、農大には、農大精神といわれる「質実剛健」「独立不覊」「自彊不息」の3つもあり、現在でも大切に扱われている。



教育および研究

日本唯一の農学専門大学であり、現在では、従来の農学に加え、生命科学、環境科学、情報科学の分野も扱っている。


図書館には、農学書籍や標本類を数多く収集することを目標としており、農業関係者および農学者の間では標本数や貴重な文献が揃っていることで評価が高い。


2004年6月には、河野友宏教授らの研究グループは世界で初めて卵子だけで哺乳類マウス)を発生(単為発生)させることに成功したと科学雑誌「ネイチャー」に発表した。



学風および特色

陸上競技部が東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)に出場した際、応援団が大根を持って踊る(通称:大根踊り 詳しくは、「青山ほとり」参照。)姿が、テレビなどを通じて広く知られている。大正時代の相撲の関東対抗戦日本体育大学の学生が青山ほとりに対抗して初めてエッサッサ(日体大で行われているの応援スタイル及び運動)を披露したという逸話があり、大根踊りがなければエッサッサも考案されなかっただろうと言う話もあるほど伝統があり有名である。



沿革


略歴

A4番出口前に「東京農業大学開校の地」という碑が存在している。

1893年には徳川育英会育英黌から農業科が独立、私立東京農学校となるも、経営悪化から、大日本農會のもとでの経営となり、大日本農會付属私立東京農学校、大日本農會付属東京高等農学校となり、1903年専門学校令による東京農業大学への改組を経て、1925年には大学令による東京農業大学となる。


なお、第二次世界大戦開戦前まで、農学部をもつ私立大学は、農大のみであり、「農学博士」の学位授与にいたっては、北海道帝国大学東京帝国大学京都帝国大学九州帝国大学と農大のみが許されていた。


1898年より、渋谷常磐松(現在の渋谷区渋谷4丁目・青山学院中等部のある場所)に校舎を構えていたが、第二次世界大戦の際、空襲により校舎を焼失したことから、1946年、世田谷の陸軍機甲整備学校跡地に移転。現在の世田谷キャンパスとなる。


その後、新制大学となったほか、短期大学および大学院の設置、厚木キャンパス、オホーツクキャンパスの開設などを行うなどし、2007年、創立116周年を迎えた。



年表

  • 1891年明治24年)3月6日 東京市麹町区(現・千代田区)飯田河岸に徳川育英会育英黌農業科が設立。管理長に榎本武揚が、黌長に永持明徳が就任。
  • 1892年(明治25年)10月23日 農地確保のため、1.28haの農地を有する小石川区(現・文京区)大塚窪町に移転。
  • 1892年(明治25年) 徳川育英会育英黌分黌農業科と改称。
  • 1893年(明治26年)5月11日 徳川育英黌より独立。私立東京農学校と改称。
  • 1893年(明治26年) 全教職員と学生で構成する団体である「農友会」発足。
  • 1897年(明治30年) 経営難に陥ったことから大日本農會に経営移管。大日本農會附属私立東京農学校と改称。教頭横井時敬が就任。
  • 1898年(明治31年)10月13日 東京府豊多摩郡渋谷村常磐松御料地(現・渋谷区渋谷4丁目)に移転。
  • 1901年(明治34年)7月15日 大日本農會付属東京高等農学校と改称
  • 1903年(明治36年)8月21日 専門学校令による認可を受ける。
  • 1905年(明治38年)2月21日 農商務省 から「耕地整理講習部」設置委託の依命を受ける。
  • 1907年(明治40年) 学園祭の前身となる「運動会」開催。東京農大生協の前身である消費組合設立。
  • 1911年(明治44年)11月16日 私立東京農業大学と改称し、本科大学部・予科大学部・高等科を設置。初代学長に横井時敬が就任。
  • 1913年大正2年) 東京農業大学肥料分析講習部(→農芸化学講習部)設置。
  • 1916年(大正5年) 用賀農場(現・日本中央競馬会馬事公苑の一部)設置。
  • 1921年(大正10年) 第二回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)初参加。第5位に終わる。
  • 1922年(大正11年) 図書館開設。
  • 1923年(大正12年) 応援歌青山ほとり」誕生。
  • 1924年(大正13年) 東京高等造園学校設立。東京農業大学出版部(現・東京農業大学出版会)発足。
  • 1925年(大正14年) 財団法人東京農業大学が設立され、大学令 による東京農業大学設立し、農学部農学科および予科設置。同時に、1911年設置の私立東京農業大学は、専門学校令による東京農業大学専門部となり、農学科および農芸化学科設置。
  • 1927年昭和2年) 第二代学長に吉川祐輝が就任。
  • 1927年(昭和2年) 学歌(作詞、尾上柴舟・作曲、山田耕作)制定。
  • 1937年(昭和12年)12月27日 専門部農業拓殖科設置。
  • 1938年(昭和13年)12月16日 大学農学部農業経済学科設置。
  • 1939年(昭和14年) 第三代学長に佐藤寛次が就任。
  • 1940年(昭和15年)4月1日 専門部農業工学科設置。
  • 1941年(昭和16年) 専門部農村経済学科設置。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 満州国委託農業土木技術員講習部設置。
  • 1942年(昭和17年)4月1日 1924年設立の東京高等造園学校を合併。専門部造園科設置。
  • 1945年(昭和20年)4月1日 大学農学部農芸化学科および大学農学部農業土木科設置。
  • 1945年(昭和20年)5月25日 空襲により常磐松校舎の大部分を焼失。
  • 1945年(昭和20年)8月15日 終戦樺太農場(約192ha)および満州農場(7,500ha)を失う。
  • 1946年(昭和21年)3月29日 被災した常磐松の地を青山学院に売却し、陸軍機甲整備学校跡地に学校移転。現在の世田谷キャンパスとなる。
  • 1946年(昭和21年)9月 財団法人農芸振興会発足。
  • 1947年(昭和22年)3月31日 専門部開拓科廃止。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 千葉県茂原市に千葉農学部設置。千葉農学部専門部林業科および千葉農学部専門部畜産科設置。
  • 1947年(昭和22年) 有用植物園設置。
  • 1949年(昭和24年)2月21日 学校教育法による学校法人東京農業大学が設立され、旧制東京農業大学、専門部、千葉農学部改組。東京農業大学農学部農学科・林学科・畜産学科・農業化学科・農業工学科・農業経済学科・緑地学科・協同組合学科設置。
  • 1950年(昭和25年)3月14日 東京農業大学短期大学設置。短大農業科、短大醸造科、短大園芸科、短大営林科、短大酪農科、短大農業経営科および短大造園科設置。
  • 1950年(昭和25年) 大学協同組合学科廃止。
  • 1952年(昭和27年) 戦後初の学園祭「収穫祭」開催。大根踊り誕生。
  • 1953年(昭和28年)1月31日 大学農学部醸造学科設置。
  • 1953年(昭和28年)3月31日 東京農業大学大学院設置。大学院農学研究科修士課程農学専攻および大学院農学研究科修士課程農業経済学専攻設置。
  • 1954年(昭和29年) 大学農学部農業化学科、大学農学部農芸化学科と改称。
  • 1955年(昭和30年) 第四代学長に千葉三郎が就任。
  • 1956年(昭和31年)3月31日 短大園芸科、短大営林科、短大酪農科、短大農業経営科および短大造園科廃止。
  • 1956年(昭和31年) 大学農学部農業拓殖科設置。
  • 1956年(昭和31年) 大学農学部緑地学科、大学農学部造園学科と改称。
  • 1956年(昭和31年) 短大栄養科設置。
  • 1957年(昭和32年) 大学院農学研究科修士課程農芸化学専攻設置。
  • 1959年(昭和34年) 大学院農学研究科博士課程農芸化学専攻設置。
  • 1959年(昭和34年) 第五代学長に三浦肆玖楼が就任。
  • 1960年(昭和35年) 厚木中央農場(現・厚木キャンパス)設置。
  • 1961年(昭和36年) 第六代学長に内藤敬が就任。
  • 1961年(昭和36年) 大学農学部栄養学科設置。
  • 1962年(昭和37年) 大学院農学研究科博士課程農学専攻および大学院農学研究科博士課程農業経済学専攻設置。
  • 1965年(昭和40年)5月22日 死のシゴキ事件発生。ワンダーフォーゲル部員が、合宿の山行途中で、上級生らに生木で殴られるなどのリンチにあい入院先の病院で死亡。同じく1年生部員が全身打撲傷や右手首骨折で2カ月の重傷で入院。
  • 1968年(昭和43年) 大学栄養学科、栄養学専攻および管理栄養士専攻に専攻分離。
  • 1971年(昭和46年) 第七代学長に平林忠が就任。
  • 1975年(昭和50年) 東京農業大学成人学校設置。
  • 1975年(昭和50年) 第八代学長に鈴木隆雄が就任。
  • 1978年(昭和53年) 文部省より「発展途上国との学術交流事業の農学分野拠点大学」に選ばれる。東京農業大学総合研究所設置。
  • 1981年(昭和56年) 図書館農業資料室、博物館相当施設に指定。
  • 1986年(昭和61年) 大学院農学研究科修士課程林学専攻、大学院農学研究科修士課程畜産学専攻および大学院農学研究科修士課程食品栄養学専攻設置。
  • 1987年(昭和62年) 第九代学長に松田藤四郎が就任。
  • 1989年(平成元年) 北海道網走市にオホーツクキャンパス設置。大学生物産業学部生物生産学科、大学生物産業学部食品化学科および大学生物産業学部産業経営学科設置。国際交流センター開設。
  • 1990年(平成2年) 大学院農学研究科修士課程林学専攻および大学院農学研究科修士課程畜産学専攻を博士前期課程とし、博士後期課程設置。大学院農学研究科博士後期課程生物環境調整学専攻、大学院農学研究科修士課程農業工学専攻、大学院農学研究科修士課程醸造学専攻、大学院農学研究科修士課程国際農業開発学専攻および大学院農学研究科修士課程造園学専攻設置。東京農業大学短期大学、東京農業大学短期大学部改組。
  • 1991年(平成3年) 大学農学部農業拓殖学科、大学農学部国際農業開発学科に改称。
  • 1991年(平成3年) 東京プリンスホテルに於いて創立100周年記念式典挙行。天皇皇后臨席。
  • 1992年(平成4年) 短大部農学科を短大部生物生産技術学科および短大部環境緑地学科に改組。短大部醸造科を短大部醸造学科に、短大部栄養科を短大部栄養学科と改称。
  • 1993年(平成5年) 大学院生物産業学研究科修士課程生物産業学専攻設置。
  • 1995年(平成7年) 大学院生物産業学研究科修士課程生物産業学専攻を博士前期課程とし、博士後期課程設置。
  • 1998年(平成10年) 農学部を、農学部、応用生物科学部、地域環境科学部および国際食料情報学部に改組。農学部に農学科および畜産学科設置。応用生物科学部にバイオサイエンス学科(新設)、生物応用化学科(農芸化学科改称)、醸造科学科(醸造学科改称)および栄養科学科(栄養学科改称)設置。地域環境科学部に森林総合科学科(林学科改称)、生産環境工学科(農業工学科改称)および造園科学科(造園学科改称)設置。国際食料情報学部に国際農業開発学科、食料環境経済学科(農業経済学科改称)および生物企業情報学科(新設)設置。
  • 1998年(平成10年) 神奈川県厚木市に厚木キャンパス設置。農学部移転。
  • 1999年(平成11年) 第十代学長に進士五十八が就任。
  • 2002年(平成14年)2月28日 世田谷キャンパス、ISO14001取得。
  • 2002年(平成14年) 大学院農学研究科修士課程バイオサイエンス専攻および大学院農学研究科修士課程国際バイオビジネス学専攻設置。大学院農学研究科修士課程醸造学専攻、大学院農学研究科修士課程食品栄養学専攻、大学院農学研究科修士課程農業工学専攻、大学院農学研究科修士課程造園学専攻、大学院農学研究科修士課程国際農業開発学専攻を博士前期課程とし、博士後期課程設置。
  • 2003年(平成15年)2月 厚木キャンパスおよびオホーツクキャンパス、ISO14001取得。
  • 2004年(平成16年) 大学院農学研究科修士課程バイオサイエンス専攻および大学院農学研究科修士課程国際バイオビジネス学専攻設置を博士前期課程とし、博士後期課程設置。
  • 2004年(平成16年) 「食と農」の博物館開設。
  • 2005年(平成17年) 大学国際食料情報学部生物企業情報学科、大学国際食料情報学部国際バイオビジネス学科と改称。大学院農学研究科博士後期課程生物環境調整学専攻、大学院農学研究科博士後期課程環境共生学専攻に改称。
  • 2005年(平成17年) 第十一代学長に大澤貫寿が就任。
  • 2006年(平成18年) 大学農学部バイオセラピー学科および大学生物産業学部アクアバイオ学科設置。
  • 2007年(平成19年) 多摩川河川敷でサークルが主催していたバーベキューパーティーにおいて未成年の学生が飲酒、同生徒泥酔状態のまま川に入り溺死。サークルの活動停止、顧問の処分などは一切無し。
  • 2008年(平成20年)2月26日 学内・学外での飲酒による事故・事件が多発したため、飲酒が無期限禁止となる。
  • 同年2月29日本学卒業生が、時津風部屋問題で傷害致死罪で起訴。同卒業生は暴行して力士を死亡させた。


             



基礎データ


所在地



象徴


スクールカラー

スクールカラーは松葉緑(まつばみどり)である。この色は、かつて、農大があった渋谷常盤松にあった老松(常盤松)の緑色に由来している。

校章

1893年の私立東京農学校として独立した際、稲穂の向かい合った円の中心に「農」の一文字を入れたものを校章とし、その後、1911年に私立東京農業大学と改大学部本科の角帽に「農大」の校章を入れ、以降はこれを校章としている。

校歌・応援歌

  • 東京農業大学学歌


尾上柴舟 作詞・山田耕作 作曲(1927年)


市村正輝 作詞・作曲(1923年)

  • 応援歌

  • College Song

  • 第二応援歌 緑の精鋭

    • 岩堀紀男 作詞編曲・渡辺浦人 作曲

  • 農大エール

  • 相撲エール
  • 団結節
  • 農大音頭
  • 農大数え歌
  • 農大五万節
  • 応援団小唄
  • 蒙古放浪の歌
  • 惜別の歌
  • 人を恋うる歌(支那浪人の歌)
  • 農大節
  • 関東流れ者
  • 東京農大オホーツクキャンパス讃歌



教育および研究


組織


学部

農学部

1925年、旧制農大設立時より設置されている学部。厚木キャンパス。

  • 農学科:1925年、旧制農大発足時より設置。

    • 農業生産科学分野
    • 園芸(生産)科学分野

  • 畜産学科:1947年4月1日、千葉農学部専門部畜産科として設置され、1949年2月21日、農学部畜産学科に改組。

    • 生命科学分野
    • 生産科学分野

  • バイオセラピー学科:2006年設置。

    • 植物共生分野
    • 動物共生分野
    • 生物介在療法分野

  • 附属機関

    • 農学研究所
    • 食品加工技術センター
    • アイソトープセンター
    • 電子顕微鏡室



応用生物学部

1998年、農学部を改組して設置。世田谷キャンパス。

  • バイオサイエンス学科:1998年、農学部改組にあわせ設置。

    • 微生物分野
    • 植物分野
    • 動物分野
    • 生体機能分子分野

  • 生物応用化学科:1945年4月1日、農学部農芸化学科として設置。1954年に農芸化学科と改称し、1998年の農学部改組の際、生物応用化学科に改称。

    • 生物生産・環境化学分野
    • 生物機能・制御化学分野
    • 食品機能・理化学分野

  • 醸造科学科:1953年1月31日、農学部醸造学科として設置。1998年の農学部改組の際、醸造科学科に改称。日本唯一の醸造・微生物専門教育学科。

    • 醸造微生物学分野
    • 醸造技術分野
    • 醸造環境学分野

  • 栄養科学科:1961年、農学部栄養学科として設置。1968年、栄養学専攻および管理栄養士専攻に専攻分離。1998年の農学部改組の際、栄養科学科に改称。

    • 食品栄養学専攻

      • 食品機能学分野
      • 生体機能学分野
      • 保健栄養学分野
      • 臨床栄養学分野

    • 管理栄養士専攻

      • 食品機能学分野
      • 生体機能学分野
      • 保健栄養学分野
      • 臨床栄養学分野

  • 附属機関

    • 応用生物科学研究所
    • 食品加工技術センター
    • アイソトープセンター
    • バイオテクノロジーセンター
    • 菌株保存室



地域環境科学部

1998年、農学部を改組して設置。世田谷キャンパス。

  • 森林総合科学科:1947年4月1日、千葉農学部専門部林業科として設置され、1949年2月21日、農学部林学科に改組。1998年の農学部改組の際、森林総合科学科に改称。

    • 森林環境保全分野
    • 森林資源生産分野
    • 森林資源利用分野
    • 森林文化情報分野

  • 生産環境工学科:1945年4月1日、農学部農業土木科として設置され、1949年2月21日、農学部農業工学科に改組。1998年の農学部改組の際、生産環境工学科に改称。

    • 地域資源利用分野
    • 生産環境情報・計画分野
    • 環境建設システム工学分野
    • 生産機械・エネルギー分野

  • 造園科学科:1924年東京高等造園学校として発足。1942年4月1日、同校を農大が合併し、専門部造園科として設置し、1949年2月21日、農学部緑地学科に改組され、1956年農学部造園学科に改称。1998年の農学部改組の際、造園科学科に改称。

    • ランドスケ-プ資源・植物分野
    • 環境計画・設計分野
    • 景観建設・技術分野

  • 附属機関

    • 地域環境研究所
    • 生物環境調整室
    • 電子顕微鏡室



国際食料情報学部

1998年、農学部を改組して設置。世田谷キャンパス。

  • 国際農業開発学科:1926年11月に発足した植民研究会を前身に、1937年12月27日、専門部農業拓殖科として設置後、開拓科と改称されたが、敗戦後、GHQの命令のもと文部省の命令により、1947年3月31日廃止。1956年農学部農業拓殖科として復活し、1991年、農学部国際農業開発学科に改称。1998年の農学部改組の際、国際食料情報学部に設置。

    • 熱帯生物生産分野
    • 熱帯農業環境分野
    • 農業開発経済分野
    • 農業協力普及分野

  • 食料環境経済学科:1938年12月16日、農学部農業経済学科として設置。1998年の農学部改組の際、食料環境経済学科に改称。2005年4月、コース制導入。

    • 食料経済コース
    • 環境経済コース
    • 都市・農村経済コース
    • 国際農業・貿易コース

  • 国際バイオビジネス学科:1998年の農学部改組の際、農業経済学科より生物企業情報学科として独立設置。2005年、国際バイオビジネス学科に改称。

    • 経営・マーケティングコース
    • 経営情報コース
    • 資源環境ビジネスコース

  • 附属機関

    • 国際食料情報研究所



生物産業学部

1989年、オホーツクキャンパス開設に際し、設置。オホーツクキャンパス。

  • 生物生産学科:1989年、生物生産学部設置にあわせ設置。

    • 植物生産・バイオ分野
    • 動物生産・バイオ分野
    • ゲノム・生物資源・自然分野

  • 食品科学科:1989年、生物生産学部設置にあわせ設置。

    • 食品生物化学分野
    • 食品機能学分野
    • 食品応用微生物学分野
    • 食品資源利用学分野
    • 食品理工学分野

  • 産業経営学科:1989年、生物生産学部設置にあわせ設置。

    • 産業経営会計分野
    • 生物産業ビジネス分野
    • 地域環境経済分野

  • アクアバイオ学科:2006年設置。

    • 水産資源分野
    • アクアバイテク分野
    • オホーツク水圏環境分野

  • 附属機関

    • オホーツク臨海研究センター
    • 食品加工技術センター



教職学術情報課程

  • 教職課程
  • 学術情報課程



大学院

農学研究科

1953年3月31日設置。

  • 農学専攻:1953年3月31日、修士課程農学専攻として設置後、1962年、博士課程農学専攻を設置。現在、博士前期課程および博士後期課程を設置。厚木キャンパス。
  • 畜産学専攻:1986年、修士課程畜産学専攻として設置後、1990年、同専攻を博士前期課程とし、博士後期課程設置。厚木キャンパス。
  • バイオサイエンス専攻:2002年、修士課程バイオサイエンス専攻として設置後、2004年、同専攻を博士前期課程とし、博士後期課程設置。世田谷キャンパス。
  • 農芸化学専攻:1957年、修士課程農芸化学専攻として設置後、1959年、博士課程農芸化学専攻を設置。世田谷キャンパス。
  • 醸造学専攻:1990年、修士課程醸造学専攻として設置後、2002年、同専攻を博士前期課程とし、博士後期課程設置。世田谷キャンパス。
  • 食品栄養学専攻:1986年、修士課程食品栄養学専攻として設置後、2002年、同専攻を博士前期課程とし、博士後期課程設置。世田谷キャンパス。
  • 林学専攻:1986年、修士課程林学専攻として設置後、1990年、同専攻を博士前期課程とし、博士後期課程設置。世田谷キャンパス。
  • 農業工学専攻:1990年、修士課程農業工学専攻として設置後、2002年、同専攻を博士前期課程とし、博士後期課程設置。世田谷キャンパス。
  • 造園学専攻:1990年、修士課程造園学専攻として設置後、2002年、同専攻を博士前期課程とし、博士後期課程設置。世田谷キャンパス。
  • 国際農業開発学専攻:1990年、修士課程国際農業開発学専攻として設置後、2002年、同専攻を博士前期課程とし、博士後期課程設置。世田谷キャンパス。
  • 農業経済学専攻:1953年3月31日、修士課程農業経済学専攻として設置後、1962年、博士課程農業経済学専攻を設置。現在、博士前期課程および博士後期課程を設置。世田谷キャンパス。
  • 国際バイオビジネス学専攻:2002年、修士課程国際バイオビジネス学専攻として設置後、2004年、同専攻を博士前期課程とし、博士後期課程設置。世田谷キャンパス。
  • 環境共生学専攻:1990年、博士後期課程生物環境調整学専攻として設置後、2005年、博士後期課程環境共生学専攻に改称。世田谷キャンパス。



生物産業学研究科

1993年設置。オホーツクキャンパス。

  • 生物産業学専攻:1993年、修士課程生物産業学専攻として設置後、1995年、同専攻を博士前期課程とし、博士後期課程設置。




短期大学部

[東京農業大学短期大学部]

東京農業大学成人学校

東京農業大学は、世田谷キャンパス内に各種学校(83条校)の「東京農業大学成人学校」(とうきょうのうぎょうだいがくせいじんがっこう)を設置している。


成人学校は、生涯学習専門機関として50歳以上の人を対象にした学校であり、「園芸・造園」という農大色を出した講座(園芸造園本科・園芸造園専科)と「健康」に関する講座(健康増進Aコース・健康増進Bコース)を行っている。



附属機関

  • 東京農業大学総合研究所
  • ハイテクリサーチセンター
  • エクステンションセンター
  • コンピューターセンター
  • 学術情報センター(図書館)
  • 「食と農」の博物館
  • 健康増進センター
  • 国際協力センター
  • 有限責任中間法人東京農業大学出版会
  • 財団法人農芸振興会
  • 地球資源環境研究センター(※)
  • 家畜診療所(※)


(※印のある機関は、東京農業大学の附属機関ではなく、学校法人東京農業大学の附属機関である。)



研究


21世紀COEプログラム

  • 21世紀COEプログラムの採択はない。



私立大学学術研究高度化推進事業

  • 私立大学学術研究高度化推進事業の採択はない。



教育


現代的教育ニーズ取組支援プログラム

  • 「地域連携によるオホーツク学の展開-コンソーシアムを基軸とした教育プログラム開発-」


生物産業学部採択・2005年度から2007年度まで

  • 「多摩川源流域における地域再生と農環境教育-多摩川源流大学の設置による地域再生プロジェクト-」


地域環境科学部採択・2006年度から2008年度まで
このプロジェクトにおいて、山梨県北都留郡小菅村旧小菅小学校白沢分校跡地に「東京農業大学多摩川源流大学」小菅キャンパスが設置された。

  • エゾシカから学ぶ環境共生と地域産業の連携」


生物産業学部・2007年度から2009年度


特色ある大学教育支援プログラム

  • 「学生主導型体験学習が拓くキャリアデザイン」


短期大学部採択・2006年度から2008年度まで


学生生活


サークル活動

農大のサークル活動は、全て「農友会」という組織のもとで運営が行われている。

  • 全學應援團:応援団ではあるが、他の大学とは異なり、農大は、在籍学生全員が応援団員ということになっていることから、このサークルには、全学生が在籍していることとなっている。ただ、通常の学校における応援団の業務は、「全學應援團リーダー部」、「全學應援團吹奏楽部」、「全學應援團チアリーダー部」という3団体が行っており、この団体が、箱根駅伝などの際、「大根踊り」を踊る。
  • 講演部:1904年発足の、農大で最も歴史がある部活。毎年12月には、「農林水産大臣杯争奪全日本学生弁論大会」を主催している。




収穫祭

農大の学園祭は、「収穫祭」とよばれ、1907年の「運動会」をその始まりとし、1952年より現在の名まえとなった。毎年、文化の日11月3日)あたりに行われる。


なお、農大を代表する「大根踊り」は、1952年の「収穫祭」の宣伝用に作られた踊りである。



スポーツ

  • 体育系の団体は、渋谷常盤松(現・渋谷区渋谷4丁目)から世田谷キャンパスに移転する前より國學院大學と対抗戦を実施してきたことから、現在でも國學院大學の体育系団体と農國戦(國農戦)を行っている。


  • 硬式野球部は、東京(世田谷・厚木)と北海道(オホーツク)に別個の組織として存在しており、東京は東京農業大学硬式野球部として東都大学野球連盟に、北海道は東京農業大学生物産業学部硬式野球部として北海道学生野球連盟にそれぞれ所属している。なお、ドラフト会議では、東京を「東京農大・東農大」と、北海道を「東京農大生産学部・東農大生産学部」と表記し、区別をする。


  • 馬術部は、世田谷キャンパスが、日本中央競馬会(JRA)馬事公苑の前にあることから、練習場所として、馬事公苑を使用している。


  • 陸上競技部は、東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)に第2回より出場しており、通産63回出場で、最高成績は総合準優勝である。


  • 相撲部は、時津風部屋で稽古を行うこともあり、卒業後角界入りする者はほとんどが時津風部屋に入門している。2007年6月に起こった集団暴行致死事件では、2008年2月に本学の卒業生が逮捕された。



大学関係者と組織


大学関係者組織

農友会
東京農業大学の全教職員と学生によって組織される団体。1893年に第1期卒業生の同窓会として誕生したことに始まり、現在は、総務部、文化団体連合会、体育団体連合会の3団体が中心となって、活動を行っている。
校友会
東京農業大学の全卒業生によって組織される団体。卒業生の立場から母校である東京農業大学の発展に寄与することを目的としている。
畜友会
畜産学科の全教職員と学生によって組織される親睦団体。講習会、研修会や研究会の実施や、機関紙「ふじみの」の発刊を行っている。
心友会
バイオセラピー学科の全教職員と学生によって組織される親睦団体。2006年結成。
醸友会
旧醸造学科および醸造科学科同窓組織であり、醸造科学科の全教職員と在学生によって組織される親睦団体。1953年結成。新入生歓迎会、講演会、会誌「醸友会誌」の発行(ホームページ掲載化)を行っている。
農栄会
旧栄養学科および栄養科学科同窓組織。
林友会
森林総合科学科の全教職員と学生によって組織される親睦団体。
林学同窓会
旧林学科および森林総合科学科同窓組織。1960年結成。
農工会
生産環境工学科の全教職員と学生によって組織される親睦団体。講演会、スポーツ大会などを行っている。
緑友会
旧緑地学科、旧造園学科および造園科学科の同窓組織。
拓友会
旧農業拓殖学科および国際農業開発学科同窓会組織であり、国際農業開発学科の全教職員と在学生によって組織される親睦団体。1966年11月結成。
農経会
食料環境経済学科の全教職員と学生によって組織される親睦団体。1938年、前身の農業経済学科初代学長我妻東策教授の発案で結成された。新入生歓迎会、講演会、初代学長墓参会、会誌「農経會誌」の発行を行っている。また、年2回、世田谷キャンパス周辺を、地域住民とともに、ゴミ拾いなどの社会奉仕活動も行っている。
緑指の会
短大部環境緑地学科の全教職員と学生組織によって組織される親睦団体。
千穎会
旧短大栄養科、旧短大部栄養科および短大部栄養学科の同窓組織。
教育後援会
東京農業大学・東京農業大学短期大学部の全学生の保証人で構成される団体。


大学関係者一覧



施設


キャンパス

世田谷キャンパス

  • 学部


応用生物科学部・地域環境科学部・国際食料情報学部・短期大学部・成人学校

  • 交通


小田急小田原線経堂駅より徒歩15分
小田急小田原線千歳船橋駅祖師ヶ谷大蔵駅より東急バス利用、農大成人学校前または農大前下車。
小田急小田原線成城学園前駅より東急バスまたは小田急バス利用、農大前下車。
東急田園都市線用賀駅より東急バス利用、農大成人学校前または農大前下車。

  • キャンパス概要


旧陸軍機甲整備学校跡地。正門門柱は、同学校時代のものである。また、東京農業大学および東京農業大学短期大学部の看板は彫刻家棟方志功が毛筆にて書いたものを彫りおこしたものであり、過去に一度、盗難にあったことがある。

また、2008年現在、教育研究環境の再整備を進めており、高層建物の建築、教育研究機能の移転を実施する予定である。


厚木キャンパス

  • 学部


農学部

  • 交通


小田急小田原線本厚木駅より神奈川中央交通利用、東京農業大学下車。

  • キャンパス概要


元々、農場として整備されたことから、キャンパス内に温室や田畑が数多くある。

オホーツクキャンパス

  • 学部


生物産業学部

  • 交通


JR北海道石北本線網走駅より網走バス利用、東京農大下車。

  • キャンパス概要


北海道という地に設置されたことから、施設が広々としている。


学生食堂

世田谷キャンパスには、「カフェテリア グリーン」と「レストラン すずしろ」の2つの学生食堂がある。どちらも安く、味もよく、一般人の立入りも可能なことから、地域住民や学校見学に来た高校生などの利用も多い。



講堂

世田谷キャンパスには、「百周年記念講堂」と「桜丘アリーナ(体育館)」がある。


講義をはじめ、各種講演会などは「百周年記念講堂」で、入学式・学位授与式(卒業式)は「桜丘アリーナ」で行われる。



学生会館

世田谷キャンパスには「常盤松会館」、「常盤松会館別館」の2つの学生会館がある。常盤松会館別館は、老朽化が著しい。


また、常盤松会館には、東京農業大学生活協同組合の売店が設置されており、大学関係者以外の利用も可能である。



農大は、世田谷キャンパスに隣接するところに、男子専用の「桜丘寮」と女子専用の「若草寮」を設置している。


寮には、通学時間が片道3時間以上の地に住んでいる学生に入寮資格があり、4人1室となっている。



農場

農業に関する専門的な教育・研究を行っているため、日本各地に農場植物園を設置して実習や研究を実施している。

厚木農場
厚木キャンパスに隣接。作物、園芸・環境緑化、農業機械の各分野からなる植物生産農場。農学科、醸造科学科、生産環境工学科、造園科学科、国際農業開発学科、食品科学科、短大生物生産技術学科、短大環境緑地学科が使用。1960年開設。神奈川県厚木市。
二宮柑橘園
厚木農場施設果樹部。柑橘類などの常緑果樹の実習教育・試験研究農場。農学科、国際農業開発学科、短大生物生産技術学科が使用。神奈川県中郡二宮町
宮古亜熱帯農場
熱帯・亜熱帯農業の実習教育・試験研究農場。国際農業開発学科が使用。沖縄県宮古島市
富士農場
肉乳牛約60頭・豚約150頭・鶏約2,500羽や教育用見本動物の飼育農場。畜産学科、造園科学科、国際農業開発学科、生物生産学科、短大生物生産技術学科、短大環境緑地学科が使用。1941年開設。富士箱根伊豆国立公園内。かつては、新入生のオリエンテーション、学生のセミナー、学生父母の懇談会、地域教育機関の林間学校等に利用されることもあった。
奥多摩演習林
林学、林産学実習教育・試験研究農場。森林総合科学科が使用。東京都西多摩郡奥多摩町秩父多摩甲斐国立公園内。
群馬分収林
農林水産省林野庁前橋営林局と契約を結び、地質・土壌・動植物等の基礎的研究から、育林技術・伐出システム等の研究を行っている。森林総合科学科が使用。群馬県富岡市(旧・甘楽郡妙義町。)
網走寒冷地農場
寒冷地畑作大規模農場。生物生産学科、食品科学科、産業経営学科が使用。北海道網走市。


対外関係


他大学との協定



姉妹校


海外姉妹校

世界各地にある農業大学を中心に18の大学と姉妹校協定を結んでいる。



系列校



社会との関わり


経済

2006年1月より、農大とロイヤルホールディングスは産学連携を行っており、同年12月5日から、ロイヤルホスト全店にて、連携して作られたメニューを販売するほか、生ゴミを肥料化するなどをしている。

科学

応用生物科学部バイオサイエンス学科動物発生工学研究室教授河野友宏らは、2004年4月、世界で初めて卵子だけで哺乳類(マウス)を発生(単為発生)させることに成功したことを科学雑誌「ネイチャー」に発表した。2007年8月、河野らは、「ネイチャーバイオテクノロジー」電子版にて、40%以上の高い確率で子マウスを単為発生させることが可能と発表した。なお、二母性マウスの場合、精子由来の遺伝子が関与していないことから、性染色体はXXとなり、誕生をするマウスは、全てとなる。これまでに哺乳類で単為発生が不可能とされてきた理由は、ゲノムインプリンティングによる遺伝子発現制御の機構が深く関わっている。

テレビドラマ

2007年7月から9月までフジテレビ系列にて放送された「牛に願いを Love&Farm」(関西テレビ企画制作)の農作業に従事というシチュエーションは、国際食料情報学部食料環境経済学科2年必修科目『フィールド研修I』を参照している。なお、ドラマでは、さまざまな学科に属する学生が集まって、3ヶ月間、北海道に研修へ行ったが、実際は、ゼミごとに北海道、山形県長野県などに出向き、1週間、農家の家に宿泊をしながら農作業に従事する。また、ドラマの家畜管理方法に関する監修は、農学部畜産学科教授祐森誠司が行っている。

漫画・テレビアニメ

石川雅之原作の「もやしもん」の舞台である「某農大」は、実学重視の点や沖縄などに実習農場があることから、農大のことと連想する読者が多い。事実、石川の担当編集者の自宅の近所に本校があることから、取材などで訪れており、農大生協には石川のサインが掲げられてはいるものの、漫画はフィクションであることから、直接的な関係はない。なお、アニメ化に際し、撮影協力をしたのは、農大ではなく、東京都府中市にある東京農工大学である。

スポーツ

かつて東京農業大学は埼玉県さいたま市桜区に運動場を設置していた。同運動場は大学内での使用率があまり高くなかったことから、Jリーグが発足した際に浦和レッドダイヤモンズが練習会場として使用することになった。その後、利用率の低さから練習場を移転することとなった。その際、地主との契約で次の賃借人を東京農業大学は探さなければならない状況にあった。一方、同時期にJリーグの理念に基づく複合スポーツ施設の建設を計画していた浦和レッドダイヤモンズは、東京農業大学が運動場を撤退することを知り、以前から練習場として使用していた経緯もあって、同所における賃借権の譲渡を希望。2004年には契約が妥結、同運動場を所有していた地元の地主から浦和レッドダイヤモンズがその用地を借り上げて、レッズランドとして整備されるようになった。

併設学校



関連項目



公式サイト




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ニコラ・プッサンって?

ニコラ・プッサンNicolas Poussin, 1594年6月 - 1665年11月19日)は、バロック時代のフランス画家。「プサン」「プーサン」とも表記する。


17世紀のフランスを代表する画家であるが、画家としての生涯の大半をローマで過ごした。1594年、フランス・ノルマンディー地方のレザンドリーに近いヴィレという村で生まれた。父親は地方の小貴族だったが、プッサンが生まれたのは父親がすでに60歳近くの時だったとされ、恵まれた少年時代ではなかったようだ。プッサンの修業時代のことについては史料が乏しく、当時の作品もほとんど残っていないが、10代後半から20代の大部分をルーアンとパリで過ごした。


1624年、29歳の時、プッサンはローマに出ている。

このローマ行きには当時の高名な詩人ジョヴァンニ・バッティスタ・マリーニ(1569-1625)の助力があった。また、ローマでは教皇ウルバヌス8世の甥にあたるフランチェスコ・バルベリーニ枢機卿(1597-1679)や、その秘書で自由思想家であったカッシアーノ・ダル・ポッツォ(1584-1657)の知己を得た。特にポッツォの思想はプッサンの制作に大きな影響を及ぼした。


バルベリーニ枢機卿を通じてフランスに送られた絵画を通じて、プッサンの名声は母国にも広まった。当時のフランス国王ルイ13世はプッサンに親書を送りフランスへ呼び戻すが、プッサンは1640年から1642年にかけての2年足らずのパリ滞在の後、再びローマへ戻ってしまった。


プッサンの活躍した17世紀はバロックの全盛期であるが、彼の作品においてはバロック的な激しい感情や劇的な明暗の表現は抑制されており、代表作『アルカディアの牧人たち』にみられるような、古典主義的で深い思想的背景をもった歴史画や宗教画が多い。また、1648年頃からは英雄的風景、あるいは悲劇的風景と呼ばれる荘重な風景画を、1650年代後半からは寓意的な内容を持った神話的風景を描いている。



アルカディアの牧人たち

ルーヴル美術館にある『アルカディアの牧人たち』(1638-1640頃作)は、楽園アルカディアで、墓石の周囲にたたずむ4人の人物(羊飼い)を表している。墓石にはラテン語で「エト・イン・アルカディア・エゴ」Et in Arcadia ego という銘があり、画中の人物たちはこの銘文の意味を知ってとまどっているように見える。「エト・イン・アルカディア・エゴ」は、「私もかつてアルカディアにいた」「私はアルカディアにもいる」の2つの意味に解釈可能だが、「私」を「死」の意味に解し「楽園アルカディアにも死は存在する」と解釈するのが妥当とされている。いわば「死を忘るべからず」「死はどこにでも存在する」という教訓を絵画化したものといえる。

この絵は20世紀末から21世紀初頭にかけて世界中を揺るがしたミステリー「ダ・ヴィンチ・コード」のモチーフとなったレンヌ・ル・シャトーを巡る謎にも、アイテムの一つとして登場している。



代表作



関連項目


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DREAM店って?

DREAM店(ドリームてん)は本田技研工業オートバイの大型販売店である。



概要

従来のホンダの2輪の販売店であるPRO'S 店等では、一見さんお断りのお店にみえてしまい、バイク屋に入りにくい等のイメージで敬遠されることがあったが、ドリーム店では4輪車のディーラの同様の接客販売と整備を分けた形で販売する事で、今までのバイク屋に比べて入りやすい事をアピールしている、但し原付等ファミリーバイク層には敬遠されがちでもある。

条件としては、ホンダモーターサイクルジャパン(以下HMJと省略)が示す一定数以上の車両を大規模に展示販売ができ、接客サービスの整った店を目指し外装は共通のイメージを持たした店にしている。



関連項目



外部リンク


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アンハルト公国って?

アンハルト公国(<b lang="de">Herzogtum Anhalt</b>)は、ドイツ中部にかつて存在した公国1863年に成立し、北ドイツ連邦への加盟(1866年)を経て1871年ドイツ帝国の構成国となり、1918年ドイツ革命まで存続した。首都はデッサウに置かれた。



君主一覧


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日産自動車って?

日産自動車株式会社(にっさんじどうしゃ) (英語名: Nissan Motor Co., Ltd.) は、東京都中央区に本社を置く自動車メーカーである。


通称とブランド名は「日産(NISSAN)」。日本国外の一部では、高級車ブランドである「インフィニティ(INFINITI)」も展開する。


トヨタ自動車本田技研工業とともに日本の3大自動車メーカーに数えられるが、1999年以降はフランス・ルノー社の連結子会社となった。



概要


経営体制

芙蓉グループ(旧富士銀行系列)に属する東証一部上場の日本企業であり、現在はフランスの自動車製造大手のルノーの傘下である。関連会社にトラック専門の日産ディーゼル工業ボルボに売却)や、モータースポーツ専門のニスモなどがある。歴史的経緯(日産コンツェルン)によって日立製作所と関係が深い。


現在、親会社のルノーから派遣されたレバノンブラジル人(フランスとの2重国籍)のカルロス・ゴーンが取締役共同会長兼社長兼最高経営責任者(CEO)を務める。なお、カルロス・ゴーンは2005年4月より親会社のルノーのCEOも兼務しており、現在はゴーンCEOの指揮の元、日産出身の志賀俊之がCOO(最高執行責任者)を勤める。



「技術の日産」

一時期企業スローガンで「技術の日産」と称していたように、創業期より先進技術の吸収に積極的で、第二次世界大戦前の段階ではゼネラルモーターズの技術や資本導入を目論み、あるいは戦後はオースチンとの提携下で乗用車のノックダウン生産を展開するなど、ルノーの傘下に入った現在にいたるまで外国企業との連携には余り抵抗感を持たない。


1966年に高い技術力を誇ったプリンス自動車工業株式会社と合併し、同社の技術がフィードバックされたことで技術の日産と巷間呼ばれるようになるが、その反面、技術偏重の社風より販売政策は余り上手いとは言えず、しかも組合闘争とそれにあわせた内部権力闘争が経営の足を引っ張り、オイルショックの頃から長くライバル視してきたトヨタ自動車に営業成績において差を広げられてしまった。



経営危機

1980年代には「90年代までに技術世界一を目指す」という名の下、全車種を対象にシャシー、エンジン、サスペンション、ハンドリング等の技術開発に力を注いだ「901運動」がおこなわれており、日本車の技術向上に大きく貢献したとの評価がある。

[901運動]

1980年代後半のバブル景気時代には高級車シーマをヒットさせるなど、存在感を示していたが、バブル崩壊後は財務体質が悪化。もともと販売戦略が不得手な上に、商品戦略やデザインなどの面でも失敗したことからヒット車種が出ずに販売不振に陥ってしまい、軽自動車市場の拡大を背景に、軽自動車を含めた国内シェアでは一時ホンダに抜かれ第3位に転落。1998年には約2兆円もの有利子負債を抱えるほどにまで財務内容が悪化し、経営危機に陥ってしまった。


しかしその中でも、2代目セフィーロや初代エルグランド、2代目マーチなどはコンスタントに販売台数を記録し、経営危機に陥っていた日産をなんとか支えていた。



ルノーの傘下へ

継続的な販売不振により2兆円あまりの有利子債務を抱え倒産寸前の経営状態となった1999年3月、フランスの自動車メーカー・ルノーとの資本提携(後述「ルノー=日産アライアンス」)を結び、同社の子会社として更正を図ることとなった。当初は両社の文化的土壌の違いやラインナップの重複、日産自動車の負債の大きさなどを理由に、同業他社やアナリストをはじめとする多くの専門家がその行き先を危惧した。


同年中に日本人社長の塙義一は解任され、ルノー会長兼最高経営責任者(CEO)であったルイ・シュヴァイツァーにより同社副社長のカルロス・ゴーンレバノンブラジル人)が新たな最高経営責任者に就任した。ゴーンらのチームは、同年10月に発表した「日産リバイバルプラン(NRP)」のもとリストラを進めた。東京都武蔵村山市にある村山工場や京都府宇治市の日産車体京都工場などの生産拠点の閉鎖、資産の売却、人員の削減などとともに、子会社の統廃合や取引先の統合、原材料の仕入の見直しなどによるコスト削減が行われた。更に、車種ラインナップの整理と同時にデザインなどを刷新し、積極的な新車投入を行った結果、販売台数は増加。国内シェアでは第2位の座を奪回し、2003年6月には負債を完済した。しかし2005年度後半から2006年度にかけて新型車の投入が少なかった為、再び販売不振に陥っている。とくに国内での販売不振が顕著である。


ゴーンは日産自動車の建て直しの手腕が高く評価され、2005年4月からは親会社のルノーのCEOも兼務しており、現在はゴーンCEOの指揮の元、日産自動車生え抜きの志賀俊之がCOO(最高執行責任者)を勤める。しかしながら、日産自動車の3カ年経営計画「日産180」(全世界での売上台数を100万台増加させ、8%の営業利益率を達成し、自動車関連の実質有利子負債をなくす)における販売台数目標達成のために、計画終了(2005年9月30日)前に集中して新型車投入を行ったことによる、計画終了以降の国内やアメリカ市場における販売台数の低迷や、ゴーンなき後を見越した権力闘争など、深刻な問題を残したままの親会社への復帰に疑問の声も上がっている。


なお、ゴーン体制のもと系列解体の急先鋒となり、非日産系部品メーカーや海外メーカーからの部品仕入れを積極的に行ったが、近年は日立製作所と組んで部品メーカーの囲い込みに力を入れている。



ルノー=日産アライアンス

実態は「アライアンス(同盟、協力)」と示されるような対等な関係ではないことに留意すべきであるhttp://www.nissan-global.com/JP/NEWS/2001/_STORY/011030-01.html


2006年5月現在、ルノーは日産株の44パーセントを所有し日産を実効支配しているが、日産の所有するルノー株は全体の15パーセントである。さらに、フランスの法律により日産の保有するルノー株には一切の議決権が付随していない。従って、資本関係上は日産がルノーの連結子会社とされる一方で、日産がルノーに対して有する権限は一株主未満のものである。当然ながらルノーからは多くが日産の役員として送り込まれており、ルノーに日産出身の役員は皆無である。


他方、株式資本の総額は日産本体のほうが多く、「日産に投資するより、親会社のルノー本体に投資するほうが利にかなう」という逆転現象が起きている。ルノーは、買収後に日産の業績を急回復させたことにより、これまでに莫大な配当益を得ている。


ビジネス上では、車台やエンジン、トランスミッションなどの部品の共通化、購買の共同化などを通じてコストダウンを図っているほか、ルノーの車を日産ブランドで販売、日産車をルノーのブランドで販売するなどの相互のOEM供給が行われている。2005年1月には、当時のルノー会長のルイ・シュヴァイツァーが、「2010年までに日産自動車とともに世界市場の10%のシェアを確保し、年間400万台の生産を達成する」という目標を掲げた。ルノーでは傘下の日産を含めて、自社がフォルクスワーゲン・グループを上回る欧州最大の自動車メーカーであるとしている。



沿革

  • 1911年東京市麻布区(現在の東京都港区麻布)に「快進社自働車工場」設立。
  • 1919年大阪府に「実用自動車製造株式会社」設立。
  • 1926年:「実用自動車製造株式会社」と「快進社自働車工場」が合併し、「ダット自動車製造(本社:大阪)」設立。
  • 1931年戸畑鋳物株式会社(現在の日立金属)(本社:北九州市、社長:鮎川義介(あゆかわ よしすけ))の傘下に入る。(事実上の企業買収)
  • 1932年ダットサンのブランドが誕生「ダットサン商会」設立(吉崎良造が開設)。
  • 1933年:「自動車工業株式会社(現在のいすゞ自動車)誕生。(ダット自動車製造株式会社を石川島自動車工業が合併吸収の際改称)」(横浜市神奈川区)に設立される。

    • 注意1:自動車工業株式会社とは、後にヂーゼル自動車工業株式会社と改称し、その後日野自動車が分裂しいすゞ自動車となる。

    • 注意2:自動車製造株式会社は日産の源流であり、名前は似ているが別会社である。

  • 1933年:戸畑鋳物株式会社がダット大阪工場を70万円で購入(しかし、ダット(自動車)の製造権と設計技術者の後藤敬義、そして一群の人員は自動車工業株式会社にあるままであった。)
  • 1933年:戸畑鋳物株式会社の鮎川義介の懇願により、製造に関する一切の権利を自動車工業株式会社より(ダットサンの製造権を)無償で譲り受ける。12月に鮎川義介はダットサンの製造のために「自動車製造株式会社」を設立する。
  • 1934年6月1日日産自動車株式会社に改称した。創業者は戸畑鋳物株式会社社長の鮎川義介である。鮎川は創立と同時に同社取締役社長に就任した。


  • 1944年:9月、東京都日本橋区(現在の中央区)に本社移転。日産重工業株式会社に商号変更。
  • 1946年:同年1月、本社事務所を再び横浜市に移転。1949年8月には、日産自動車株式会社の商号に復帰した。
  • 1966年:名車スカイライングロリアを持つ「プリンス自動車工業株式会社」(富士重工業等と共に分割解体された旧中島飛行機の一部冨士精密工業の後身)と合併。
  • 1967年:宮内庁に、初の国産御料車プリンスロイヤル」を謹製・納入
  • 1968年:東京都中央区銀座木挽町の現社屋に本社事務所を移転。
  • 1970年代1980年代第二次世界大戦後からシェアを積み上げ、一時はトヨタ自動車につぐ日本国内第2位のシェアを占めたが、バブル崩壊後財務が悪化したうえ、デザインや商品戦略などの面でも失敗。販売不振に陥り、国内の販売台数ではホンダにつぐ第3位に転落。さらには、塩路一郎委員長率いる強固な労働組合との激しい抗争が深刻化し、1990年代の後半には経営危機がささやかれるまでになってしまった。
  • 1999年:3月に、フランスのルノーと資本提携し、ルノー=日産アライアンスを結成しルノーの傘下になる。6月にルノー副社長のカルロス・ゴーン(現CEO)が最高執行責任者(COO)に就任し、リバイバル・プランを発表した。
  • 2001年:ゴーンが6月に社長最高経営責任者(CEO)となる。
  • 2002年スズキより、軽自動車MRワゴン」のOEM供給を受け、「モコ」として発売開始。軽自動車市場へ参入を果たし、ゴーンが「日産リバイバルプラン」の目標達成を宣言した。同時期に車種について、あまり利益が見込めないことや近代への日産にはあわないことから、セドリック(現在商業者向け販売)やグロリアローレルおよびサニーといった日産を代表する車種の名(歴史)を捨て、新たに歩み始める。その第1号としてローレル&セフィーロの後継車にあたるティアナ(2003年)を投入。ティアナのデザインは、これからの日産の回復と象徴的デザインの1つと見られる。2004年9月にはサニーの事実上の後継車である、ティーダを発売。
  • 2005年:4月より従来の販売会社別での取り扱い車種を撤廃、全販売会社(レッドステージ&ブルーステージ)ですべての車種の購入が可能となる。それに伴い、事実上のセドリック・グロリア後継車としてフーガを誕生させる。
  • 2005年:経営再建中の三菱自動車工業との包括的な事業提携。それに伴い、事業提携の一環として三菱製軽自動車eKワゴンのOEMとしてオッティを投入。
  • 2005年:4月にゴーンが親会社のルノーの会長兼CEOに就任、日産の会長兼CEOも兼務する。
  • 2005年:9月に、ゴーンが進めてきた日産180(リバイバル・プラン)を終了。その後日米市場で販売台数が急落する。


  • 2007年:12月、スカイラインの名前を捨て、新たな道を歩む日産GT-Rを販売開始。
  • 2009年:当初は、2010年をめどに企業誘致に熱心な横浜市の「横浜みなとみらい21(MM21)地区」66街区に本社を移転する予定であったが、2009年に横浜開港150周年を迎えるを機に1年前倒しとなった。2007年春に着工する予定。この本社立地にあたり、神奈川県から施設整備等助成制度及び横浜市から企業立地等促進特定地域における支援措置を受けることができる。新社屋は建築家谷口吉生の設計。



歴代社長



販売車種

[日産自動車の車種一覧]

日産生産方式(Nissan Product Way)

日産自動車が21世紀の生産・販売戦略として導入した生産方式。顧客の注文に基づく詳細な生産指示書を関係工程に指示し生産する方法で、これにより受注から納車までの時間が最短で3日という迅速な生産を実現した。現在、インフィニティブランドを取り扱う栃木工場などに導入されている。

ロゴマークの由来

日産自動車のロゴマークはもともと「ダットサン」で使われていたもので、吉崎良造(よしざき りょうぞう)と田中常三郎(たなか じょうざぶろう)がシボレーのマークにヒントを得て、赤の日の丸と太陽をベースに天空をモチーフとしたコバルトブルーをいれ、真ん中に白で横一文字で「DATSUN」と書かれていたのが前身である。(なお、1937年に制定された社章=記章、株券等に使用していた=は、日の丸の真中に一本の横棒を挿入し、周囲を“日”を抽象化したもので囲ったもので、日立や日本興業銀行の社(行)章と類似していることから、発足時からの「日産・日立・興銀」の関係も表していた、とされている。現在は「至誠天日を貫く」と位置づけられている。)

その後、文字を筆記体のカタカナで「ニッサン」と書き直し日産コンツェルン全体の社紋として統括企業に普及するが、戦後の財閥解体とともに日産自動車のみの社紋としてローマ字表記の「NISSAN」に変更となった。


創業50周年を迎えた1983年にはアメリカのペンタグラム社が制作したロゴマーク及び指定フォント(書体)に一新され、さらに1999年以降のルノー傘下になってからのゴーン体制下でデザインが社内コンペで募集され、より立体的なものへと小変更され現在に至る。ちなみに、このとき採用されたロゴのサンプルは現在でもゴーンのオフィスに飾られているという。


赤・白・青は、日産自動車のコーポレートカラーにもなっていて、トリコロールの愛称で日産らしさの象徴としても親しまれている。



キャッチフレーズ


メイン・キャッチフレーズ(コーポレート・ステートメント)

  • 世界の日産(1960年代)
  • 技術の日産(1970年代)
  • 人とクルマの明日をめざす 技術の日産(1970年代-1981年)
  • 世界に愛される 先進技術の日産(1982年)
  • もう走り始めています 21世紀へ 先進技術の日産(1983年-1985年後半)

    • 1983年の創業50周年を機に、米ペンタグラム社が製作したロゴマーク及び指定フォント(書体)に一新された。

  • Feel the Beat もっと楽しく感じるままに 技術の日産(1985年後半-1991年9月)
  • LIFE TOGETHER 人間のやさしさをクルマに(1991年10月-1998年)
  • クルマのよろこびを(1999年初頭-1999年半ばのルノー傘下入り直前まで)
  • SHIFT_the future(ルノー傘下入り以降の2001年-現行)

    • 最近のCMでは使われていない。
    • カルロス・ゴーンが社長兼最高経営責任者に就任した2001年からロゴマーク及び指定フォント(書体)が一新された。ロゴは社内コンペ、企業フォントは後述のTBWA開発の「NISSAN AG(Aktidenz Groteskの日産バージョン)」とモリサワ新ゴ」の組合せ、車名バッジは先代ブルーバードシルフィからNE-01というフォントに基本的に統一されている(ただし車種ごとに若干のアレンジはある)。
    • なお、車種名の片仮名フォント(書体)、日産ディーラーの各販売店の大型看板(BLUESTAGE.REDSTAGE.RED&BLUE)の指定フォント(書体)は、1983年に米ペンタグラム社が製作した指定フォント(書体)を引続き使用している。
    • なお、現在のキャッチフレーズは、全世界で日産自動車の広告活動を担当しているアメリカ広告代理店であるTBWAが開発した。



サブ・キャッチフレーズ

  • 無理のない運転で、貴重なエネルギーを大切に(1970年代-1985年)
  • 人とクルマの調和をめざす(1970年代前半)
  • 安全は人とクルマで作るもの(1970年代-1985年)
  • シートベルトは“安全ベルト”正しく使う習慣を(1970年代-1985年)
  • スペース・テクノロジー(1983年)

    • 1983年の創業50周年を記念し、米ペンタグラム社が製作したロゴマーク及び指定フォント(書体)に一新され、数々の50周年特別仕様車(ヒィフティー・スペシャル)などを取り揃えたキャンペーンCMの専属キャラクターとして、読売ジャイアンツ王貞治助監督(当時)が起用された。

  • 20世紀の残りは日産がおもしろくする(1990年-1991年9月)

    • キャンペーンCMの専属キャラクターとしてBEGINが起用された。
    • CM曲は、BEGINの「恋しくて」。

  • いい運転 日産からのお願いです。(1990年-1991年9月)
  • 熱血業界宣言(1990年代前半)

    • 企業CMとして展開していた、「熱血業界宣言」キャンペーンの専属CMキャラクターとして、柳葉敏郎森尾由美村井国夫桜金造などが起用された。
    • 1990年秋に、日産販売会社のセールス(カーライフアドバイザー)の物語をドラマ化した「熱血業界宣言」(柳葉敏郎主演)が、フジテレビで金曜日午後9時から放送の「男と女のミステリー」で1話完結で放映された。
    • 後に、専属のCMキャラクターは吉田栄作に引き継がれた。

  • スピードおさえていい運転(1991年10月-)
  • 変わらなきゃ(1995年)
  • 変わらなきゃも 変わらなきゃ(1996年)

  • もっと日産になる(1997年-1998年)
  • NISSAN, RENAISSANCE(1999年ルノー傘下入り以降)
  • SHIFT_complement word2004年-現在)

    • サウンドロゴは車種によって異なり、基本的には一部改良も含め2004年秋の日産・ムラーノ以降発表された世界中の新型車にそれぞれつけられることになっていて、複数車種掲載時や企業広告には、SHIFT_expectations(日産は、期待感をシフトする。)を使用し、翌年夏ごろから企業広告コピーをSHIFT_the futureに戻す。
    • なお、現在のキャッチフレーズは、全世界で日産自動車の広告活動を担当しているアメリカ広告代理店、TBWAが開発した。

  • SHIFT_ワード

    • 最近のCMでは専らこれが使われる。



フェア&イベント・タイトル

  • 日本全国日産デー(?-1992年)(1994年)

    • 1986年-1987年頃に展開されていたCMには、当時デビューして間もない、歌手・タレントの西村知美がCMの専属キャラクターとして起用されていた。

  • ヨンセンマン(1992年)

    • 日産自動車の生産累計台数が4000万台達成した事を記念し、数々の特別仕様車が発売され、車のボディをモチーフにした顔が特徴的な「ヨンセンマン」のCGアニメキャラクターが存在していた。

  • 熱血大感謝フェア(1993年)

    • 1993年の創業60周年を記念し、数々の60周年特別仕様車などを取り揃えた、「熱血大感謝フェア」と名付けたキャンペーンCMの専属キャラクターとして、「熱血業界宣言」キャンペーン専属のCMキャラクターを務める吉田栄作をはじめとして、島崎俊郎神田利則中山美穂松居直美中條かな子が起用された。

  • イチロニッサン(1995年-1999年)

    • 1993年から1994年にかけて、日産は相次いでフルモデルチェンジした新型車を投入していたが、新型車の評判がフルモデルチェンジ前の旧型車と比較して芳しくなく販売不振が続き、その結果、人気度・信頼度・企業イメージが低下していた日産全体の建て直しと、タクシー・パトカー・教習車モデルを除く乗用車全車種に、運転席SRSエアバッグを標準装備した事で他メーカーとの差別化を図った事による、販売回復の起爆剤になることを願って、野球選手のイチロー、野球解説者の原辰徳(現・読売ジャイアンツ監督)、サッカー選手の川口能活、ボクシング選手の辰吉丈一郎、女優のかとうれいこらをCMに起用し、「変わらなきゃ」、「変わらなきゃも変わらなきゃ」「イチロ・ニッサン」「こんどの週末は、イチロ・ニッサン」「エアバッグなら、イチロ・ニッサン」「エアロRVなら、イチロ・ニッサン」「イチロ・エアバッグ」「イチロ・エアロ」「ワゴンボックスに乗ろう」などのキャッチフレーズで好評を得ていた。
    • ワゴンボックスに乗ろう」のキャッチフレーズのCMでは、元マラソンランナーの増田明美が、マラソンの実況解説風のCMナレーションを担当していた。
    • それに対して、危機感を抱いたライバルメーカーのトヨタ自動車は、全車種エアバッグに加えてABSを標準装備にして、ライバルの野球選手である野茂英雄、ABSという駄洒落的なネタに因んでタレント・漫画家の蛭子能収をCMに起用して日産自動車に対抗していたが、こうした安全装備の標準化による日産VSトヨタでの販売競争が他メーカーにも波及し、後に、軽自動車を除くほとんどの国産車でエアバッグとABSが標準化されるきっかけともなった。



各系列販売会社・オリジナルキャッチフレーズ

  • ブルーバード販売会社へようこそ(1991年-1992年)

    • ブルーバード」をメイン車種として取り扱う、日産系販売会社オリジナルのCMにとんねるずが起用され、「ブルーバード販売会社活動報告」に始まり「ブルーバード販売会社へようこそ」で締めくくる日産系販売会社オリジナルのTVCMが、ブルーバードU12型モデル末期からU13型発売当初の頃まで放映されていた。

  • いい走り。いい生き方。日産プリンス(1997-1999年)

    • 旧・プリンス自動車の車種「グロリア」「スカイライン」を取扱うプリンス系販売会社のCMに女性歌手の相川七瀬が起用され、「いい走り。いい生き方。日産プリンス」のキャッチフレーズで、「スカイライン」に代表される走行性重視のスポーツ系車種をメインに取扱っている独自性をアピールしていた。
    • なお、プリンス系販売会社のオリジナルCM曲として起用された、相川七瀬の楽曲の第1弾目は「Love merry-go-round」であり、第2弾目は「Bad Girls」、第3弾目は「○○○○?」である。



エンジン型式について

日産では、1960年代以降、以下のような規則でエンジン型式を定めている。


1 エンジンのシリーズ名をアルファベット1~2文字で記す。80年代の前半までは1文字のものが多かったが、現在はすべて2文字である。

  • オースチンBMC)「Aタイプ」をコピーした「A」(部品レベルの完全なコピー)
  • メルセデス・ベンツロッカーアーム(locker arm)式OHCのコピーで「L」
  • もと「プリンス自動車」の「G」系はそのまま「G」
  • ツインプラグで「究極」の排ガス対策の意味で「Z」
  • エコノミカルの「E」
  • マーチ/マイクラ用の「MA」
  • スモールディーゼルの「SD」



など、分かりやすいネーミングが多い。また、慣例的にV型エンジンには「V」、ディーゼルエンジンには「D」が使われている。


2 1960年代以前は開発順に番号が付けられていたが、それ以降は排気量の100cc未満を四捨五入し、100で割った値。呼び排気量が1000ccに満たない場合は、頭に0をつける(例 MA09)。ただし、CG13の後継でCGA3DEとなった例外もある。


車検証の原動機型式欄に記載されるのはここまで。


3 無印の場合はSOHCまたはOHV、「D」とついている場合はDOHC、「V」がついている場合はNEO VVL(可変バルブリフトタイミング)である。ただし、FJ系は全機種DOHCであるため空欄となっている。


4 無印か「S」の場合はキャブレター(ガソリン車)、または機械式燃料噴射ポンプ(ディーゼル車)、「i」はシングルポイント インジェクション、「E」は電子制御式燃料噴射装置(ガソリン車:EGI マルチポイント インジェクション、ディーゼル車:EDI 電子制御機械式燃料噴射ポンプ)、「P」はLPGエンジンを表す。


「D」はガソリン、ディーゼルともに「NEO Di」と呼ばれる直噴エンジンエンジンであるが、ディーゼルの場合、通常のインジェクターと、ユニットインジェクター(UI)、コモンレール式のソレノイドインジェクターの区別は無い。


5 無印の場合はNA(自然吸気)、「T」が1つの場合はシングルターボ、「TT」の場合はツインターボ。「R」はスーパーチャージャー(Roots blower:ルーツブロアー)付き、さらに、スーパーチャージャーとターボチャージャを組み合わせると「RT」となる。
ディーゼルエンジンでインタークーラー付きの場合は、後に「i」がつく。


実例


「E15ET」


SR20VE


VQ25DD


  • エンジン系列名に「V」が入っているため、V型エンジンであることがわかる。


「YD25DDTi」


  • エンジン系列名に「D」が入っているため、ディーゼルエンジンであることがわかる。


RB26DETT



日産車のエンジン用語解説

軽やかさ、さわやかさを旨としているトヨタとは正反対とも言える、力強い、ある意味、大仰なネーミングが多いのが特徴。


(Powerful&Econonomic-Lighnweight-Accurate-Silent-Mighty-Advanced)の頭文字を取った造語

日産の新世紀エンジン・シリーズの愛称。トヨタのLASREエンジンに対抗するために付けられた。


日産自動車における新開発エンジンの総称で小型・軽量・高性能・低燃費・静粛性と耐久性など全ての要素を高次元で調和させた新世紀エンジンの意向での(当時の)高性能エンジンシリーズであった。

PLASMAは(当時の)先進のテクノロジーと最新のエレクトロニクスを駆使した日産のエンジンにあたえられた称号であった。


  • NISSAN ECCシステム(EGR)
  • NISSAN ECCS「エックス」(EGI)システム


(Electronic-Conetrated-Engine-Control-System)の頭文字を取った造語。

電子式エンジン集中制御システムの事で一つのマイクロコンピューターにより、エンジンのあらゆる運転状態に応じ、燃料噴射、排ガス還元量、アイドル回転数、フェールポンプ制御などを常に最適なレベルコントロールにする事によって、燃費の向上や排気ガスのクリーン化、運転性の向上を実現させている。
ECCSエンジンの制御はあらかじめコントロールユニットに多くの運転状態における最適制御値を記憶させ、その時々の状態をセンサーで検出、センサーからの入力信号により、コントロールユニットが記憶しているデーターの中から最適値を選出しアクチェーターに出力し、制御する。
名前は大層だが、現在のECUと較べると機能は非常に少ない。



車両形式について

昔は3桁の数字またはアルファベット1文字に2桁または3桁の数字が割り当てられ、モデルチェンジの度に十の位を増やしていったため、ベースグレードに比べてエンジンやボディの形状が違う場合は一の位を変えていた。しかし、C31ローレル以降はアルファベット1文字に2桁の数字を合わせ、モデルチェンジの度に一の位を変えることになっている。そのため、ベースに比べてエンジンなどが異なる場合は形式名の前にアルファベットと組み合わせている。これは車両によってバラバラだが、下記の仕様については共通のアルファベットが割り当てられる。



モータースポーツ

[日産自動車のモータースポーツ]

生産拠点


  • 北米日産会社(テネシー州スマーナ)

  • 北米日産会社(テネシー州デカード)

    • エンジン、トランスミッション

  • 北米日産会社(ミシシッピ州キャントン)

  • 英国日産自動車製造会社

  • 日産モトール・イベリカ会社(スペイン)

  • サイアム日産オートモービル会社(タイ バンナー・トラッド)

  • サイアムモーターズアンド日産会社

  • 東風汽車有限公司(中国)

  • 鄭州日産汽車有限公司(河南省

    • D22ピックアップ、パラディン

  • 裕隆汽車製造股イ分有限公社(台湾

    • セフィーロ、セントラ(サニー)、ベリータ、セレナ、エクストレイル、キャブスター

  • フィリピン日産自動車会社

    • セフィーロ、セントラ、エクストレイル

  • ユニバーサル・モーターズ社(フィリピン

    • フロンティア、パトロール、アーバン

  • タンチョン・モーター・アッセンブリーズ社(マレーシア

    • セフィーロ、セントラ、バネット、セレナ、エクストレイル、フロンティア

  • P.Tインドネシア日産自動車会社

  • ガンダーラ日産社(パキスタン

    • サニー

  • 豪州日産鋳造会社

    • アルミ鋳造部品の製造

  • メキシコ日産自動車会社(アグアスカリエンテス)

    • セントラ、プラティーナ、ツル、ピックアップ、ルノー・クリオ

  • メキシコ日産自動車会社(クエルナバカ)

    • セントラ、プラティーナ、ツル、ピックアップ、ルノー・クリオ

  • ルノー・クリチバ工場(ブラジル)

    • フロンティア、エクステラ(ルノー車:クリオ、セニック、マスター)

  • パルスホドロ社(イラン

  • 南アフリカ日産自動車会社

    • アルメーラ、1400ピックアップ、ハードボディ

  • ケニア・ビークル・マニュファクチュラーズ社

    • アーバン

  • 日産エジプト社

    • ピックアップ



販売会社



海外事業所および販売

  • 日産自動車北京事業所
  • 日産自動車香港事業所(HONEST MOTOR LTD)
  • 日産自動車上海事業所
  • 日産自動車大連事業所
  • 日産汽車(中国)有限公司
  • 日産自動車台湾事業所
  • 日産モータースマレーシアBHD
  • 日産自動車シンガポール事業所(NISSAN MOTOR SINGAPORE PTE.LTD)
  • タンチョンモーターPTE.LTD(シンガポール)
  • ニッサンモーターフィリピンズ(NISSAN MOTOR PHILIPPINES INC)
  • 日産自動車バンコク事業所
  • 日産タイランドリミテッド
  • 日産自動車インディアリミテッド
  • 日産自動車ジャカルタ事業所
  • PT.日産モータースインドネシア(PT.NISSAN MOTORS INDONESIA)
  • 日産自動車シドニー事業所
  • 日産自動車メルボルン事業所
  • 豪州日産自動車PTY(NISSAN MOTOR AUSTRALIA PTY)
  • 日産ニュージーランドリミテッド
  • 日産自動車カラチ事業所(パキスタン)
  • 日産自動車ドバイ事業所
  • 日産セールス・オブ・ミドルイースト(インフィニティも含む)
  • 日産自動車ロサンゼルス事業所
  • 日産自動車ニューヨーク事業所
  • 日産自動車バンクーバー事業所
  • 日産自動車トロント事業所
  • 日産自動車モントリオール事業所
  • 日産ノースアメリカINC(INFINITI/NISSAN)
  • 日産自動車サンパウロ事業所
  • 日産ブラジルLTDA
  • ルノーアルゼンチンS.A.
  • 日産自動車ブエノスアイレス事業所
  • 日産モートル・デ・アルゼンティーナS.A.
  • 日産自動車リマ事業所
  • 日産モートル・デ・ペルーS.A.
  • 日産自動車メキシコシティ事業所
  • メキシカーナ日産S.A.(NISSAN MOTOR DE MEXICANA)
  • ルノー・メキシカーナS.A.
  • 日産自動車サンチアゴ事業所(NISSAN MOTOR SERVICIO DE CHILE)
  • 日産丸紅セルビシオ・デ・チリS.A.(現地丸紅との共同出資)
  • シデフ社(チリ:日産車正規ディーラー)
  • 日産コロンビアS.A.
  • 日産エクアドルS.A.
  • 日産セルビシオ・デ・ベネズエラS.A.
  • 日産セルビシオ・デ・パラグアイS.A.
  • 欧州日産自動車N.V.
  • 日産自動車モスクワ事業所
  • 日産自動車フランクフルト事業所
  • 日産自動車パリ事業所
  • 日産自動車ローマ事業所
  • 日産自動車ブリュッセル事業所
  • 日産自動車アテネ事業所
  • 日産自動車マドリード事業所
  • 日産自動車コペンハーゲン事業所
  • 日産自動車ヘルシンキ事業所
  • 日産自動車マンチェスター事業所
  • 日産自動車ロンドン事業所
  • 日産サウスアフリカ
  • 日産自動車ヨハネスブルク事業所
  • 日産自動車テヘラン事業所
  • 日産自動車ケニア事業所
  • 日産自動車カイロ事業所



関連企業・組織(元を含む)



関連項目


技術関連



モータースポーツ関連



広告関連



イメージキャラクター・CM曲


企業CM・キャンペーンCM

  • 日産グループCM、キャンペーンCM、その他日産関連CM、専属ナレーション


  • 創立50周年記念・イメージキャラクター


  • 「日本全国日産デー」キャンペーン・イメージキャラクター





  • 日産店系列販売会社・イメージキャラクター



  • 日産ビジネスカー・イメージキャラクター



セダン系各車種



コンパクト・軽自動車系各車種







スポーツ系各車種





ステーションワゴン系各車種





ミニバン系各車種










クロカン系各車種





商用車系各車種

  • 日産ビジネスカー・イメージキャラクター





提供番組関連


現在


日本テレビ系



TBS系



フジテレビ系



テレビ朝日系



テレビ東京系



過去


日本テレビ系



TBSテレビ系



フジテレビ系



テレビ朝日系



テレビ東京系



その他(ラジオ等)



冠大会



その他



外部リンク


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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