アンジェロ・ブルーノ (Angelo "The Gentle Don" Bruno 1910年5月21日-1980年3月12日)はフィラデルフィアのマフィアボス。暴力よりも話し合いによる問題の解決を好んだ為、「穏やかなるドン」との評判を得ていた。
目次
初期の人生
アンジェロ・ブルーノは1910年5月11日、イタリアのシチリア島で生まれた。そして10代の頃、アメリカに移住し、ペンシルベニア州フィラデルフィアに住み着いた。
彼はニューヨーク・マフィアのボスであるカルロ・ガンビーノとは親しい間柄であった。
1959年、彼はフィラデルフィア・ファミリーのボスとなった。
彼は、ニューヨーク・マフィアで占められているコミッションの中では唯一のニューヨーク以外のコミッションメンバーとなった。
ファミリーのボス
ブルーノが率いるフィラデルフィア・ファミリーは他と違い犯罪組織としては成功している部類に入っていると考えられていた。彼はマスメディアや司法当局からの追求そして他のファミリーが抱えている抗争等を避ける術を心得ていた。いくつかの逮捕にもかかわらず彼は長期の懲役を受けることもなかった。彼が受けた最も長い懲役は、裁判において証言を拒否したことに対して2年の懲役を科せられたことのみであった。さらにブルーノは自分のファミリーの構成員らが
麻薬に手を出すことを許さなかった。そして、スポーツ賭博や高利貸し等の伝統的な犯罪稼業を好んでいた。
反乱
しかしまもなく、ファミリー内で彼に反感を持つグループが現れるようになった。麻薬によって得られる利益が手に入れられない事に業を煮やした彼らは他のメンバーを自分らのグループに囲い込み、年老いたボスへの裏切りを画策した。
そして、1980年3月12日、69歳のアンジェロ・ブルーノは、自分の車に乗っているところを後ろからショットガンで撃たれ殺害された。殺害を命じたのはファミリーの相談役アンソニー・カポニグロ(別名 トニー・バナナズ)と考えられていた。
余波
ブルーノ殺害から数週間後、ニューヨークで、車のトランクに詰め込まれていた遺体袋からカポニグロが発見された。彼の口と肛門には約300ドルの紙幣が押し込まれていた。
彼が殺害されたのは、彼がコミッションから殺人許可を得ずにブルーノを殺害した事が原因であり、その罰として、コミッションが彼の殺害を命じたのだとされている。その後、ファミリーはフィリップ・"チキンマン"・テスタが率いる事になったが、一年後に、副ボスのピーター・カーセラにより、自宅に仕掛けられた釘爆弾により暗殺された。そして、カーセラがファミリーのボスとなった。だが、その後、野心家で頭の切れるニコデモ・スカルフォが、ファミリーの実権を奪い取っていった。
フィラデルフィア・ファミリーは、ブルーノの死から始まった内部抗争、そして裏切り者が出始め、注目を浴びていたスカルフォが起訴された事などにより、組織としてはバラバラになったと言われている。
外部リンク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』