棚倉藩って?
5 月 2nd, 2008 by atwordbeautifulday
棚倉藩(たなぐらはん)は、陸奥国白河郡・菊多郡・磐前郡・磐城郡などを支配した藩。藩庁は棚倉城。陸奥国白河郡(福島県東白川郡棚倉町)。
藩史
- 1590年(天正18年)以降、棚倉を支配していた石川昭光(伊達晴宗の子)が、常陸佐竹氏の支配下にあった。拠点は、標高345mに山城(やまじろ)の赤館。
- 1600年(慶長5年) 関ヶ原の戦いで石田三成と懇意だった佐竹義宣は西軍につくも東西中立の態度を示したため、戦後に出羽国秋田藩へ減移封の後は棚倉一帯は天領となる。
- 1603年(慶長8年) 立花宗茂が棚倉に1万石で入部、棚倉藩が立藩した。(宗茂は関ヶ原で西軍に与して大津城攻撃などで活躍。9月15日の関ヶ原本戦に間に合わず、大坂城に撤退、徳川家康との徹底抗戦を主張したが、西軍総大将の毛利輝元に聞き入られず、本国である筑後国柳河に戻ってなおも抵抗姿勢を示したが、東軍の加藤清正に攻められ降伏したあとは所領を没収、浪人の身となっていた。宗茂はその人となりから、その武勇が本多忠勝に劣らぬと言われたほどの武将。浪人となったあと清正や前田利長をはじめ、多くの大名からその存在を惜しまれて仕官に誘われている。家康もそのうちの一人で、宗茂を再び大名として取り立てたといわれる)。
- 1604年(慶長10年)立花宗茂、1万石から2万5500石、3万5000石に加増。大坂の陣に従軍。
- 1620年(元和6年) 宗茂は旧領の筑後柳河藩へ国替えとなる。
- 1622年(元和8年) 丹羽長重が常陸古渡藩から5万石で入部。
- 1625年(寛永2年) 丹羽長重は、平地をえらび棚倉城の築城を開始。上方から商人を招き入れ、城下町の建設に尽力。また、海からによる輸送業などに力を注いで藩財政の基盤を敷く。
- 1627年(寛永4年) 平城(ひらじろ)の棚倉城が完成。長重の移封(陸奥国白河藩へ加増移封)と同じ年である。長重の後には、譜代大名である内藤信照が5万石で入り、藩領の検地をおこない支配体制を固めた。その後を継いだ内藤信良も検地をおこなった。また、弟の内藤信全に常陸多賀郡の内で5000石を分与。内藤弌信の頃から、藩財政は窮乏化が始まる。弌信は松波勘十郎を登用して藩政改革を目指したが、あまりに領民から搾りあげる改革を行なったため、領民から松波の解任を求める声があがり、改革は挫折。
- 1705年(宝永2年)内藤弌信 駿河国田中藩へ移封。太田資晴が5万石で入る。資晴は若年寄にまで栄進。
- 1728年(享保13年) 太田資晴上野国館林藩へ移封。代わって松平武元が5万石で入る。
- 1746年(延享3年)小笠原長恭 遠江国掛川藩から小笠原長恭が6万石で入る。
- 1817年(文化14年) 第3代藩主小笠原長昌、肥前国唐津藩へ移封となる。
- 1836年(天保7年)井上正甫 遠江国浜松藩から5万石で入るが、その子・井上正春の代に館林へ移封。その後松平康爵が石見国浜田藩から6万石で入る。松平氏は康爵の後、松平康圭・松平康泰・松平康英と続き、康英が老中に昇進して2万石加増。
- 1866年(慶応2年)阿部正静 陸奥白河藩より10万石で入る。
戊辰戦争では、正静が藩兵を率い奥羽越列藩同盟に参加、白河口において新政府軍と対峙。
- 1868年(慶応4年)6月24日 棚倉城落城、正静は降伏した。維新後は4万石減封。
- 1871年(明治4年)阿部正功の代のときの廃藩置県により廃藩となる。城趾には現在、公園と町の公民館がある。水堀のまわりには桜の木が立ち並び、毎年春には町民の花見場所となっている。
棚倉藩は、江戸時代においてはしばしば中級、下級の譜代大名の懲罰的な目的での転封の対象地になり、又、長期における藩主家の定着が無く、藩の支配体制は不完全を経てきた。石高は、表高より内高(実際に藩の収入になる石高)は少ない藩であった。
特徴
- 戦国時代後期は、陸奥国の伊達家(伊達政宗)が赤館を支配し、常陸国の佐竹家に対して防衛をはっていた(現在の棚倉一帯をとりあげた歴史資料や著作では、この時代のものが他の時代より比較的多く発行されている)。
- 棚倉藩の城下町の祖型は、丹羽長重の棚倉城築城にはじまり、明治4年(1871年)まで246年間つづいた。
- 慶長の立花宗茂から明治の阿部正功まで数えて、藩主は9家18人が入れ替わった。
歴代藩主
立花(たちばな)家
1万石→2万5,500石→3万5,000石。外様。
- 立花宗茂(むねしげ)<従四位下。左近将監。侍従>
丹羽(にわ)家
外様。5万石。内藤(ないとう)家
譜代。7万石。太田(おおた)家
譜代。5万石。松平(越智)(まつだいら(おち))家
親藩。6万5,000石。- 松平武元(たけちか)<従四位下。侍従。右近将監>
小笠原(おがさわら)家
譜代。6万5,000石。井上(いのうえ)家
譜代。6万石。松平(松井)(まつだいら(まつい))家
譜代。6万石。阿部(あべ)家
譜代。10万石。
関連項目
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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