山田勝己って?

山田 勝己(やまだ かつみ、 1965年10月22日 - )は、TBSSASUKE』のSASUKEオールスターズの1人。クイックマッスル(3分間腕立て伏せ)全国大会準優勝。鉄工所アルバイト兵庫県加古郡播磨町に生まれる。身長175cm、体重75kg。



人物

1996年筋肉番付のクイックマッスル全国大会に出場し、準優勝となる(この大会の詳細は「本大会以外での出来事」参照)。これがきっかけとなり、その後SASUKEにも第1回大会から出場。数々の優秀な成績を収めるが、のめり込んでいくあまりボンベ配送業の仕事をリストラされてしまう。今は鉄工所アルバイト(奥さんの実家で)で働いており、家族の反対を押し切りSASUKE挑戦を続ける。野球場ビール売りのアルバイトでは1日で2万円近く稼いでおり、サスケについての応援の声も多い。完全制覇者長野誠は、山田に憧れてサスケ出場を決めた。近年はCM出演や多数のイベント出演などで活躍の場を広げつつある。

あだ名は、浪速のターミネーター、Mr.SASUKE、人生サスケ、職業サスケ、無冠の帝王、完全制覇に最も近い(近かった)男 など。浪速のターミネーターとは、山田がアーノルド・シュワルツェネッガーに似ていることから当時の実況者であった古舘伊知郎がつけた一番最初のあだ名(クイックマッスル時に既にそう呼ばれていた)。最近はMr.SASUKEと呼ばれることが多くなった。<br/>また、ソフトボール陸上経験がある。第1回大会のSASUKEでは、「山田勝巳」だった。



SASUKEでの戦歴


第1回大会~第4回大会

クイックマッスル全国大会準優勝という肩書きで初出場した第1回は、見事1stをクリアするも、2nd五連ハンマーで脱落。第2回は、前回クリアした2ndスパイダーウォークで雨の影響により足を取られ、無念の脱落。その後、自宅に失敗したスパイダーウォークのセットを作ってしまう(これがサスケセットを自宅に作った最初の出来事である)。その悔しさをバネにして、見事に2nd、3rdを突破した第3回は、ファイナルステージ残りわずか30cmでリタイア。完全制覇に最も近い男と呼ばれるようになる。

初のゼッケン100番となった第4回。3rdステージで盟友の秋山和彦が先にクリアし、直後のインタビューで「多分山田さんが来る(ファイナルに)と思う。」と語った。期待に応えたかった山田だが、3rdに新設された難関クリフハンガーで力尽き、涙を流した。秋山は今大会、初の完全制覇を成し遂げた。山田のサスケトレーニング量は日に日に増していき、それが災いしたためボンベ配送業のリストラにあってしまう。1日のほとんどの時間をサスケトレーニングに費やし、命綱もつけずにクレーン車を使ってのファイナルステージ再現などもした。それでも職を探さずに山田はサスケに人生をかけた(第5回、第6回の肩書きは無職。それ以降は鉄工所アルバイトとなっている)。



第5回大会~第8回大会

第5回は大リニューアルした1stステージをクリア(この大会1stをクリアしたのは山田を含め3人だけ 山本進悟竹田敏浩)。しかし2ndスパイダーウォークで滑り落ち、まさかのリタイア。このリタイアは、時間を気にするあまり急ぎすぎたこと(一つ前の山本がギリギリのクリアだった)、またオーバーワークが原因だと言われている。第6回は再びオーバーワークが原因で、万全の体調ではなかったものの1st、2ndを完璧なパフォーマンスでクリア。3rdステージ最後の1人になり、パイプスライダーまで進出。しかし最後の着地に成功はしたものの、ゴール地点の上でバランスを崩し一回転、コース外へ転落のリタイア。この時山田はを強打した。着水はしていないが、クリアは認められず。家族の反対を押し切りサスケ挑戦を続けていた山田。もうやめてくれという声も山田には届いていただけに、今大会はラストチャレンジのつもりでもあった(さらに詳しくは「パイプスライダーコースアウト事件」参照)。<br/>この大会の最後に山田は、「身体(気持ち)の続く限りですかね。頑張ります。」と語った。

第7回は万全の体調で絶対の自信を持って、初めて妻と子供を会場へ呼び寄せるも、前回前々回クリアしていたそり立つ壁で2回失敗してしまったことが原因となり、ロープクライムでまさかの1stステージタイムアップ。初の1stステージリタイアとなり、奥さんも泣き崩れてしまう。しかし山田に涙はなかった。涙が出ないほど無残な結果だったのである。そして遂に山田は引退を決意する。第8回(詳しくは「山田勝己、引退」参照)。



第9回大会~第12回大会

引退撤回して挑んだ第9回は、大会前に精神面を鍛えようと四国の山中(徳島県星谷寺、不動の滝)を訪れ、滝に打たれた。体重を7㎏落とし、仕上がりも順調だった。そり立つ壁で一回ミスをするも、余裕を持って1stをクリア。続く2ndステージで、山田は自分の挑戦前に無駄に神経質になってしまう。過去2回失敗しているスパイダーウォークが第7回にリニューアルし、初挑戦の山田は不安だったのである。しかも先に挑む挑戦者達が、スパイダーウォークの下り部分で滑り苦戦。長野誠に滑ることを確認した山田は、靴の裏(地下足袋を着用していた)にゴミがつかないようにガムテープを貼って本番に挑んだ。しかしそれを剥がすのに時間がかかってしまいタイムアップ(約17秒のタイムロス)。考えが裏目に出てしまう。(さらに詳しくは「地下足袋事件」参照)。

第10回1st(詳しくは「SASUKEオールスターズ 最悪の連鎖反応」参照)。2年ぶりの3rd進出をし、最後の挑戦者となった山田は、持ち前の肉体で次々と難関エリアを突破。パイプスライダーまで進む。第6回でミスをしているエリアだけに、慎重になった山田。右足をかけてゴールにしがみ付くも、無念の転落。直後のインタビューで涙を流しながら、「俺には…、SASUKEしかないんですよ。」との名言を残した。<br/>その後、「気持ちの続く限りはずっと挑戦を続けたいという気持ちは、今でも持っている。」という、第6回の発言とリンクするようなことも言っている。


第10回でサスケへの情熱が揺るぎないものだということを語った山田。しかし、そんな強い思いとは相反する皮肉な結果が、この先山田を待ち構えていた。第11回はオールスターズが全員クリアしていた中、2ndバランスタンクでまさかの落下。第12回1stは、残り0.72秒というギリギリのクリア。しかも特に目立ったミスやタイムロスなどもなかった。<br/>第12回2nd(詳しくは「手袋失格事件」参照)。第13回はSASUKEトライアルで10,58秒を残して12位になり、出場権を獲得はしたものの、第12回のこともあって、初の欠場。「今は家族との時間を大切にしたい」とも語っていた。放送を見た後には「自分は出なかったのだなぁ、と痛感して涙が出てきましたよ」と語っている。



第14回大会~第19回大会

その後の大会では1stリタイアが続いてしまう。2大会ぶりの出場となった第14回は、過去8大会一度も失敗したことのなかった1stジャンプハングでまさかのリタイア。第15回は、1stクロスブリッジ通過後にバランスを崩しコース外へのリタイア。第16回は全くミスもなく1stを進んでいったのだが、ゴールボタンギリギリでタイムアップ。今大会終了時に引退宣言をしたが、ファンの声援で撤回。第17回直前には、白鳥文平宅で3rdステージ中心の練習を行った。3年ぶりのゼッケン100番となり、そり立つ壁まで危なげなく進んでいく。しかし、緊張で足が全く前に進まず、4回目の挑戦で壁を乗り越えるも、時既に遅し。

第18回はゼッケン争奪マラソンで、あえて73番という早めのゼッケンを選択。今大会は初めてスパッツ姿で挑んだ。第16回同様、全くミスもなく進んだのだがタイムアップ。3大会連続タイムアップとなってしまう。第19回はポールメイズで時間を使ってしまい、大幅にタイムロス。その後のジャンピングスパイダーで落下した。これで6大会連続1stリタイアとなってしまった。



SASUKEで出場した大会の結果

()の中はその時のゼッケン ★、太字は大会最優秀成績、もしくはファイナリスト 第13回大会は欠場


  • 第1回大会 (92) 2nd、五連ハンマー
  • 第2回大会 (91) 2nd、スパイダーウォーク
  • 第3回大会 (89) Final、15m綱登り(残り約30㎝)
  • 第4回大会 (100) 3rd、クリフハンガー(2個目の空白)
  • 第5回大会 (100) 2nd、スパイダーウォーク(3枚目)
  • 第6回大会 (99) 3rd、パイプスライダー(コース外転落)
  • 第7回大会 (100) 1st、ロープクライム
  • 第8回大会 (100) 1st、そり立つ壁
  • 第9回大会 (99) 2nd、ウォールリフティング(2枚目)
  • 第10回大会 (1000) 3rd、パイプスライダー(ジャンプ)
  • 第11回大会 (100) 2nd、バランスタンク
  • 第12回大会 (98) 2nd、スパイダーウォーク改(ルール違反、手袋取り忘れにより失格)
  • 第14回大会 (99) 1st、ジャンプハング
  • 第15回大会 (99) 1st、クロスブリッジ(コース外転落)
  • 第16回大会 (99) 1st、ロープクライム
  • 第17回大会 (100) 1st、そり立つ壁(クリアした瞬間タイムアップ)
  • 第18回大会 (73) 1st、ロープラダー
  • 第19回大会 (91) 1st、ジャンピングスパイダー



特筆

パイプスライダーでは片方が順手、もう片方が逆手という特徴的なグリップをしており、当初は山田のみがしている手法だった。第6回のコース外転落はこのグリップのせいではないのか?という説もあり、本放送で古舘伊知郎が「振り子のように横に振られるから、反動がついて落ちやすくはなる」と解説している。しかし、第8回のヨルダン・ヨブチェフが山田のような順手・逆手の手法をとり、さらにその後オールスターズにも順手・逆手の手法が普及していった。その為、現在はこの順手・逆手のやり方もポピュラーなものになっている。

上半身の筋肉は徹底的に鍛え抜かれており、クイックマッスルでの好成績からも察することができる。3rdステージでは進出した過去4回中3回パイプスライダーまで到達しており、適正の高さを物語っている。かつては2ndが最大の鬼門であった。第12回までは12回中、半分の6回2ndでリタイアしており、特にスパイダーウォークは山田にとって鬼門であった。時間との戦いに追われるあまり思わぬところでのリタイアが多かった。山田はかつて「速く行って落ちるか、遅く行ってタイムアップになるか、どっちか選べと言われたら、速く行くほうを選びますね。タイムアップは嫌なんで」と語っている。


筋持久力は高い反面、足腰のスタミナはあまり高くない。第12回以降、1stステージを以前のように早いペースで進めなくなっている。エリアとエリアの間で頻繁に休むようにもなった。上半身を中心に鍛えている山田だけに、3rdステージまで駒を進めなくては自身の力を発揮できない。山田は「第1、第2ができても、第3自信ないなら、出ないほうがいいんですよね」と語ったこともある。かつては2ndが最大の鬼門であったが、現在は1stの時間との戦いが最大の鬼門となっている。


第17回の長野誠の完全制覇を見て、「みんなでクリアするということ」を教えられたという。長野は度々、「オールスターズみんなでクリアしたい」という発言をしてきたが、山田自身はあまりその考えに賛成はしてなかったようである(山田は、オールスターズが脱落していると活躍し、逆に好調だと自分が脱落してしまうという癖がある)。


既に年齢は40歳を越え、限界なのではという声も少なくない。しかし山田のサスケ挑戦は、まだ続いている。山田はここ最近の不本意な成績を、自身が最も痛感しており「みんなについて行きたい」ということも話している。



本大会以外での出来事

  • 1996年筋肉番付内で開催されたクイックマッスル(3分間腕立て伏せ)全国大会で大阪府代表として出場し、準優勝の実績を持つ。また、その大会の準決勝で、最高記録307回を記録していた秋山和彦と当たる。当時はセンサーが用意されてなく、秋山が低い姿勢の腕立てをしたとして2度の警告をうける。結果はなんと両者298回。しかし秋山が2度の警告をうけていたため、山田が決勝へ駒を進めた。山田と秋山は、この大会がきっかけでサスケ出場をした。
  • 第17回終了時に、お台場マッスルパークにて10年ぶりの腕立て勝負が行われた(秋山は同じ回数なのに2度の警告で負けたことを根に持っていたらしい)。10年のブランクを感じさせない両者は、秋山253回、山田222回で幕を閉じた。しかし、両者ともあまり記録には満足していない様子であった。この勝負はサスケマニアにて放送された。
  • 2001年、筋肉番付内の1コーナー、筋肉行脚にて秋山和彦と三色筋肉(1分毎に腹筋、背筋、腕立て伏せをする)対決を行った。結果は山田202回。秋山200回で山田の勝利となった。両者200回越えというのは、相当なハイレベルである。後ろでNo.1決定戦の垂れ幕が下がっていたため、収録されたのはスポーツマンNo.1決定戦時だと思われる。<br/>ちなみに山田の自己記録は214回。
  • 池谷直樹と三色筋肉対決をしたこともある。全体的には山田のペースのほうが早かったのだが、結果は池谷212回。山田201回で池谷の勝利。敗北の原因は、腕立てでのカウントミス。早いペースで行こうと焦るあまり、なかなかセンサーが反応しなかった。しかしそれでも200回越えである。
  • 2001年、GBA専用ソフト「筋肉番付 ~決めろ!奇跡の完全制覇~」に使用キャラクターとして登場し、パッケージにも出ている。パワーとスタミナの値が高いキャラクターとなっている。
  • 第12回前に、鹿児島県、最福寺に訪れ、「護摩行」と呼ばれる荒行を行った。この護摩行とは、3mもの火柱の前で、およそ2時間もの間、「不動真言」のお経を唱え続ける修行である。体感温度は300℃を超えると言われており、普通の人であれば、耐えられるのはせいぜい2、3分である。しかし山田は「不動真言」を唱え続け2時間、修行が終わるまで炎の前から離れることはなかった。この護摩行は、かつて清原和博金本知憲らも挑んでいる。
  • 第16回前に、大学で山田勝己のためのイベントが開催された。サスケのようなセットや、生徒達を乗せたトラック引き、ファイナルステージを連想させる綱登りなど。生徒達から沢山の応援の声が届き、山田の心を熱くさせた。
  • 第16回大会終了時には引退も考えたが、体感ゲーム「SASUKE&筋肉バトルスポーツマンNo.1決定戦」のイメージキャラクターとなり、参加したイベントで多くのSASUKEファンからの励ましに触れ、引退を撤回した。このイベントでは腕立て伏せも披露した。
  • フジテレビの「海筋肉王」にも出場している。家族大会には毎回参加しており、好成績を収めたこともある。またVIKINGの予選会では、1分間腕立て伏せ152回の記録を作っている。
  • 2006年12月13日、お台場マッスルパーク報道イベントに、秋山和彦長野誠と共に参加。山田はこの他にもマッスルパークのイベントに何度もゲストとして呼ばれている。マッスルパークのSASUKEでは39秒台で完全制覇したりと、まだまだ健在ぶりをアピールした。
  • 2007年9月5日、テレビ朝日の「すくいず!」に出演。番組内のモンキーバーで佐藤弘道に勝利した。山田は海筋肉王に続き、他局出演したことになる。
  • 2007年10月11日、フジテレビCHIMPAN NEWS CHANNEL2時間スペシャルの1コーナー、SARUKEに佐藤弘道ワッキーとともに出演、チンパンジーのゴメス・チェンバリンと激闘を繰り広げた。(この番組は元は同年2月20日に放送予定だったものが延期されたため、収録自体は今年初め頃に行われていた)


☆2007年10月16日〈「サスケ」に挑戦しよう 春日モリモリまつり〉に参加。同じ日に、長野誠・竹田敏浩も参加している。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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