Posted by a6hootazemi in りほ
こんにちは、りほです。
卒業研究に向けての文献を読んだので、ひとまず報告です。
卒業研究のテーマとしては、人間関係と動機づけを考えています。
友人関係と動機づけを調べていく中で、「競争」と「協同」は議論の対象になっていることがわかりました。
友人とは仲間にも、ライバルにもなりえます。
ある研究では、協同、競争、個別で作業課題と記憶課題を行わせ、成績の比較をしたそうですが、
協同で行った場合が最も成績が良かったそうです。
競争は高い動機づけにはなっても、成績に反映されにくいとの考察でした。
また、協同的目標は道徳志向的な活動、競争的目標は自己中心的な活動、個別的目標は達成を志向する活動になるようです。
人間は競争に生き残るために、自分の失敗を失敗として認めがたい場合に、他人を低評価し、自分の有能感を維持しそうとするようで、結果として努力しなくなることも考えられます。
競争よりも協同が重視されているのには、こういった理由が挙げられるのですが、ほかにも学習者同士の相互作用を通してなされる豊かな情報交流があることに加えて、仲間同士で高まり合おうという相互の信頼関係に基づく望ましい人間関係が生む学習の動機づけになるという考えもあります。
協同学習と一言でいっても、種類はたくさんあります。
仲間支援学習、ピア・ラーニング、ジグソー法、生徒チーム学習、グループ研究法、協力学習法、ケーガン・ストラクチャー、バズ学習などです。
現段階では、効果や実践例など調べられていないので今後調べたいと思います。
友人関係は社会的行動及び学業達成に関連していることがわかっており、関係性として相互受容が特に重要視されています。
向社会的行動や学業成績の高さ、ストレスの低さはいずれも相互的な友人関係をもつ子が該当しています。
動機づけには友人に受け容れられる環境づくりが欠かせないことから、教師として何ができるのか、実践は何が考えられるのかをこれから調べていきたいと思います。
簡単ではありますが、随時報告していきます。
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Posted by a6hootazemi in りほ
こんばんは^^
今さっきレポートが終わって、一安心しているところです。
ただ、まだレポートが残っているので明日もやらなければならないのですが、とりあえずテスト勉強もし始めないと単位を落としかねないので、明日はレポートにテスト勉強に頑張ろうと思います。
今週はテストが少しずつ始まって、忙しくてあっという間だったように思います。
自分のテストもそうですが、ちょうど一週間前、私立高校の入試がありました。
今週は受験生が合格の報告をしてくれて、本当に良かったと思う一方、自分も頑張らないとと思いました。
受験シーズンになると「すべる」とか「おちる」とか禁句ですが、月曜日に雪が降って、しかも積もったおかげで多くの子は自転車でこけたり、歩いていてすべったりと散々だったようです。
気にしすぎる必要はないのですが、とにかく道路が凍結すると本当に困りますよね。
雪が降った次の日に、補助教に行ったのですが、スーツで行くのも大変で、小学校に行くと多くの先生が「足元が悪い中ありがとうございます」と声をかけてくださいました。
その日は雪かきを朝からしていて、最近はめっきり見なくなった光景だなと思いました。
私が小学校の時は雪が結構降っていて、校庭に雪が積もっていたし、休み時間になれば校庭で雪合戦をして雪だるまを作ったような気がします。
10年経って、雪遊びというのはできなくなってしまっているのだと少し寂しいような気がしました。
日本海側では大雪のおそれがあるみたいですね。
ここら辺では少し雪が降っただけで電車は動かなくなるし、車の事故は増えるし、さらにけが人まで出てしまいます。
でも、私の中で年に数回は雪が降ってもいいかなという気持ちがあるので、この気持ちがあるうちはまだまだ子どもなのかなと思います。
きっと、雪が降ることが疎ましくなったとき、大人になった証拠なのだと思います。
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Posted by a6hootazemi in りほ
こんにちは、りほです。
もう1月も約半分終わってしまいましたね。
遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします!
それから、B0のみなさんもよろしくお願いします(^^)
今週の月曜日あたりは成人式だったんですよね。
成人を迎えたみなさん、おめでとうございます。といっても私は早生まれなので、まだはたちです(笑)
去年の成人式が懐かしくもあり、そう思うともう1年経ってしまったのかと時の流れを早く感じます。
私たちは10歳のときに9.11の衝撃を受け、20歳のときに3.11を体験した世代なのだそうです。
世界や日本の情勢が大きな転換期をむかえ、その激動の中私たちは生活してきたわけですが、特に去年は人生に大きな影響をもたらしたと思います。
他にもゆとり世代や就職氷河期世代のような言われ方もしていますが、あまりいい世代じゃないイメージがしますよね。
バブル世代が良い世代だったのかなーと思いますが、なんというか良いというイメージしかないので、そう思ってしまいます。
先日、塾で教えている子に「なんでゆとりじゃなくなるの」「今の政治の何がいけないの」などと聞かれました。
話をするかぎりでは、今の時代のよしあしもよくわかっていないようでした。
自分より下の世代も良い世代とは言えず、さらに大変な思いをする世代になってしまうのではないかと思いました。
これから良いネーミングがつく世代が出てきてほしいものです。
話が大分広がってしまいましたが、今、世間的に大変だと言われている世代の私たちは、悲観することなく、今起こっていることに影響を受けながら将来のことを考えていかなければならないと、被災地の成人式の様子、新成人の言葉から考えました。まとまらずにすいません。
大学生活も残り1年なので、将来のことをしっかり考えようと思います。
その前に今学期のテストとレポートがあるので、早めに手をつけて後で苦労しないように計画的に実行していこうと思います。
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Posted by a6hootazemi in りほ
こんばんは。
昨日は皆既月食でしたね。みなさん見ましたか?
私はアルバイトがあったので、帰り途中空を眺めながら月の欠けていく様子を見ました。月が満ちていく様子は寒かったので少ししか見ていませんが、オレンジ色の月はしっかりと見ました。
朝は電車から富士山がくっきり見えて、朝も夜も良い景色を見ることができました。
普段は電車の中で寝てしまうのですが、外を眺めるのも悪くないなと思いました。
歩いているときは当然周りの景色を見ますが、真っ黄色のイチョウの葉が地面いっぱいで、辺りの木々は数えられるくらいの葉しかついていませんでした。寒いし、色もなんとなく寂しくなって、やっぱり冬だなーと感じます。
変わった景色といえば、最近家の近くに新しい老人ホームができました。できる前は畑があったのに、いつの間にかその面影もなく、きれいでおしゃれな建物になっていました。というか、その過程を毎日見ていたのですが(笑)。
建っていく様子を見るのは結構面白くて、外装は網というかシートというか、とにかく覆われていて全然途中経過がわからなかったのですが、それがなくなって外装全体を見たときは感動しました。しかも、結構早くできあがったので驚きもありました。
内装はガラス張りのところから見ることができたのですが、柱数本からどんどん部屋がつくられていって、装飾も増えていって…
当たり前の工程なのですが、毎日何かが加わっていったので見るのが楽しかったという話です。
完成しての感想としては、今の老人ホームはすごいなということです。良い人生を送るためには良い環境を!ってことですよね。
今なら120万円引きで入れるようですが、お金の価値というかなんと言っていいのか…お得とかそういうのがわからないなって思いました。
あ、別に老人ホームの話がしたかったわけではないです。
景色も変わっていきますけど、普段見ているつもりでも今思い浮かべてもはっきり出てこないってことがあるかと思います。毎日見ているつもりでも、意識をして見ることで何か発見があるかもしれませんね。
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Posted by a6hootazemi in りほ
今日は聞き苦しい声ですいませんでした。
そして、みくからのど飴を貰いました。
死ぬ前の一言ではありませんが、ありがとうと言いたいと思います。(ゼミで言ってたやつです)
みんなもいろいろ気遣ってくれてありがとうございます。頑張って回復させようと思います。
そもそも、この声は突発的なもので、前兆がなかったような…。というのも、
土曜日の昼間から声が出にくくなり、その日の夜にあったバイトでは今日よりもひどい状態でした。
土曜日は午前中に授業があったのですが、その時はいつもと同じように声が出ていたので、朝から喉の調子が悪かったわけではないのですが、よくよく思い返してみて思い当たるのは生活科の授業で育てている大根を食べてから声がおかしくなったかなと思います。
私の班で育てている大根は、一見おいしそうに見えたのですが、食べてみたらとっても辛くて、甘みが全くありませんでした。
その辛さがとても喉にきて、しばらく痛かったなーと今更ながら思い出しました。
多分、風邪の引き始めがあって、そこに刺激物がきたために結果としてこうなったのだと自分なりに解釈しています。
体は元気なので、いつもの声が出るようになるのを待つばかりです。みんなもこうならないように気をつけて下さい。
ちなみに朝起きて声を出す瞬間が1番ドキドキします。明日は高い声が出るようになることを祈って寝ることにします。
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Posted by a6hootazemi in りほ
こんばんは、りほです。
今日のゼミで決めた目次です。
1:震災ボランティアの現状と問題点
2:受け入れと交通網の復旧
3:受け入れとボランティア者数の内訳
4:これからのボランティア教育の在り方
おおまかにこの4つで原稿を作成していきます。もちろん、各項目、さらに細分化して見出しをつけていきますが、まだ決まってはいないので決まり次第報告します。
Posted by a6hootazemi in りほ
こんにちは、りほです。この前の書き込みからさらに調べたことを書きこみます。
文部科学省の専門家会議で学校を防災拠点にすることに決定したとの新聞記事を見ました。今までは自治体で学校の防災機能強化をしていたのに対し、今後は国主導で進めていくそうです。学校には避難所として学校としての機能を果たすことが必要となってきます。運営はもちろん教職員が中心となり、今回の避難所運営も教職員が中心となって行っていたことがゼミの発表で分かっていました。しかし、地方公務員としての職責に災害時のこういった明文規定はなく、子どもたちだけでなく被災者のためにも動いていたのにもかかわらず、手当は何もなく「ボランティア」状態になっているのが現状です。自衛隊の活動についても言及しましたが、教職員の場合もまた検討する必要があるようです。
先生から送っていただいたボランティアの情報もボランティアによる支援活動が必要とされる一方で被災者の自立支援のことも見通していかなければならないと感じました。阪神大震災の時も被災者による不満が爆発するケースがあったようです。避難所(学校)で最初は教職員が運営していたものの、1か月後にはニーズも増え、教職員がすべてを負担することが難しくなり、学校自体の運営も手に負えない状態だったので、ボランティア団体に運営を委ねたそうです。教員は一生懸命に活動をしていたために被災者の人は文句が言いづらく、逆に教員が指示を出して被災者に対して強く出れたとの報告もありました。だからか、ボランティアに対しては些細なことで文句を言ったり、不満をぶつけるようになったそうです。ボランティアは慈善活動ですが、被災者にあまりに文句を言われてしまったために、一時ボランティアの数が激減してしまったそうです。それでも、少ないボランティアの努力の結果、継続してボランティア主導の運営ができたとのことです。これも「ボランティア依存」にあたりますが、阪神大震災の際には避難所解消が早かったそうです。しかし、行政の役割が課題となり、教員やボランティア任せが問題として挙げられたとのことです。ボランティアと教員の線引きや協力体制についてもそうですが、今回の行政はどうだったのかといえば混乱して指示が細部まで行きとどかないといった様子でした。行政だけでは限界があり、災害が起こったときに誰がどのように動けばいいのかの役割がある程度決まっていなければ混乱は解消されないように思います。行政とNPOが協力して細部まで行きわたるシステムを作ることが大事なのではないかと思いました。学校とボランティアの関係も密接な関係にあり、受け入れ体制と行政についても関係し合っていることがわかりました。このことから、日ごろからの連携が必要になると感じました。震災時のボランティアだけでなく、震災のような災害を想定して日ごろから何をしていけばいいのか考えたいと思います。
Posted by a6hootazemi in りほ
こんばんは、りほです。
遅くなりましたが、ボランティアについて調べたことを書きこみます。
今まで被災地のボランティアの動向について調べてきましたが、最終的にボランティアは規制されるべきなのかというところにいきつきました。そもそも「ボランティア」というのは「自発性」を出発点として活動が成り立つものであるという概念があるのにもかかわらず、活動ができなかったり制限されてしまったりするのはボランティアと言えるのかという疑問が出てきました。震災をきっかけにボランティアとは何のかを考える必要があると思いました。
ボランティアが現地で混乱してしまう理由として、行政が制限をかけてしまうことが原因だといわれています。それを解決するために①創造性のある情報提供②情報の提供方法の多様化③ボランティア個人の意志を尊重した対応、が挙げられています。要するにボランティアをする側が自発性を損なわないように行政が対応しなければならないということで、ボランティアをお客さん扱いにするわけではないとも言われています。そこの線引きも曖昧で、ボランティアをする側に対してされる側があれこれと準備をしてあげているような印象を受けます。調べていると、ただボランティアという名目だけで何もしていないのに「ボランティアをした」と満足気に被災地を後にする人を見て、被災者はとても気分が悪くなるという記事も見かけました。ボランティアには行政とボランティアをする人、される人の協働が必要であって、行政とする側だけではいけないように思いました。震災ボランティアは数カ月先を見据えて行動し、被災者との付き合いも重要だとされています。「自分にできることを何かしたい」という気持ちはもちろん必要ですが、ボランティアとしての心構えを震災が起こったから調べるのではなく、平時から学べる機会があれば良いのではないかと感じました。平時のボランティアネットワークも重要であることが指摘されています。日ごろから活用することによって、災害時に他地域のボランティア団体が急激に押し寄せても、地元の主体性のある行動がとれるそうです。今回の震災ではどうだったのでしょうか?このことに関しては現地に行って調査をしてみないと実際の活動はどうだったのかわからないので、実態の調査をしたいと思います。
ボランティア活動について行政に望むこととして、①学校でのボランティア教育の充実②ボランティアの総合窓口の設置③ボランティアに関する情報提供④災害時に対応できる体制づくり⑤養成・学習・交流の機会充実⑥団体への経済支援、以上の6点が挙げられています。今回の震災で見られたボランティアの混乱をなくすためには行政の体制を強化していくことが有効であるのか検討する必要がありそうです。ただ上で挙げたボランティア教育や育成も内容や最終的にどこを目標とするのかを調べてみるのもいいかと思いましたが、実際にボランティアに行くにあたっては受け入れについてに絞って調べを進めていこうと思います。
以前、「ポストイット方式」というボランティアの受け入れ方法を紹介したのですが、実際の評判もいいそうです。今回も使われているとの情報を得ましたが、事例が見つけられなかったので、この点に関しても現地調査をしたいと思います。また、「ハンバ方式」という受け入れ方法も見つけました。これはボランティア希望者に対し、ボランティア依頼内容、場所、人数等を読み上げ、活動希望者を集める方式だそうです。簡単に言うと自分でやりたい活動はできるが、見知らぬ人と活動することになるということです。多くの場合、この方式がとられていて、調べている限り評判はあまり良くないそうです。見知らぬ人と活動することで、コミュニケーション能力や協調性が必要で、ただ専門性があるだけではうまくいかないという問題点があるそうです。ボランティア同士のトラブルに発展させてしまうことや非効率であることであまり評価されていないのだと思いますが、ここで問題にあげられるのは、制度自体を変えるべきなのか、もしくはボランティアの人材育成を強化していかなければならないのかということです。社協(社会福祉協議会)がボランティアセンターを設置してボランティアの拠点を作っていたわけですが、その方式は団体の受け入れはあったとしても基本的には「ハンバ方式」と言えます。やりたい活動があったとしても選択権はなかった場合がほとんどだと思います。ボランティアのマナーや心構えももちろん大事で、知識は身につけておく必要があると思います。どちらが良くて、どちらかが悪いというわけではありませんが、この震災を機に何を改善すればボランティアは生かされるのかを検討するために、ボランティアセンター・被災者・ボランティア活動者の3つの視点から考えることが必要だと思います。このことを軸に被災地で実際に調査をしようと思っています。
また、以上に述べたことを自分なりにさらに詳しく調べてみます。
Posted by a6hootazemi in りほ
セミナー小論文試験受けたみんな、お疲れ様です。
とりあえず、あとは面接。頑張りましょう!
太田先生、小論文指導ありがとうございました。面接指導も引き続きお願いします。
さえこさんが書いていたので私も夏について書こうと思います。
私が夏を感じるのは、地元で太鼓の音が聞こえ始めた時です。私の地元では7月12、18日に提灯祭りというものがあります。関東でもわりと大きい祭りのようで、テレビで毎年紹介されたりしています。山車が確か7あって、それが駅周辺を駆けぬけていきます。お祭りが近付くと、お囃子の練習がどこからともなく聞こえてきて、「あー、夏だな」と感じます。小学生の時は、寝過してお祭りに行けなかった時もあって、その時はすごく泣いたような記憶があります。今となっては全然行っていませんが(笑)。
越谷も花火大会がありますよね。高校の時は地元ではなくこっちの花火大会に行っていました。みんなも機会があったら行ってみてください。土手で観るときれいですよ。
今年は、というか今年もバイトがあるのでお祭りには行けませんが、またいつか行きたいです。
埼玉で有名なものと言われて「これだ」というものは今思いつきませんが、地元の有名なものはお祭りかなと思います。
みんなの地元の有名なものってなんですか?
でもそれ以前に、埼玉県民でもまだ埼玉の市町村を完全に把握しきれていないので、まずはそこから知っていきたいと思います。
Posted by a6hootazemi in りほ
こんばんは、りほです。書きこむのすっかり忘れてました。
あ、まゆちゃんお誕生日おめでとう!夏生まれって多いんですね。
私には1つ上の兄がいるのですが、6月生まれでつい最近22歳になりました。といっても私は早生まれなので2歳違いみたいな感じです。小中学校では全然見た目が違うので兄妹だと気づかれず、兄妹だと知った先生は「雰囲気は似てるよ」と何とも言えないコメントをしてくれました。確かに見た目は何一つ似ていません。ちなみに兄は韓国人顔です(笑)。最近韓国人アーティストがよく出るので、見るたび韓国っぽいと感じてしまいます。ただ性格は似てるかなと思います。性格というか考え方というか…なんて言っていいかわからないんですけど。そう思うとやっぱ兄妹だなって思います。でも、だんだん兄妹は似てくるといわれたので、見た目は似たくないなって思います。
まだ20歳というよりもう20歳という方が私には合っています。いまだに成人したという実感がないです。たまーに「高校生?」とか聞かれちゃうし、嬉しいんだか嬉しくないんだか。とりあえず、精神的には確実に成長を遂げていきたいです、はい。
誕生日といえば太田先生からいただいた本。まだ冒頭しか読んでいないのでこれからちゃんと読もうと思います。太田先生、ありがとうございました。
Posted by a6hootazemi in りほ
こんにちは、りほです。
最近、ずっと小論文を書こうと思いつつ、まとまらずに2週間くらい経ってしまいました。学習障害について考えていたのと、生徒指導の授業で問題行動の分析があったこともあり、障害と障害ではない区別はあるものの対応は似ているので参考にして、いろいろ資料を引っ張ってきて調べてみました。臨床の授業で、カウンセリングや発達関係、学校関係の授業をたくさんとっていたのでレジュメを見直してみました。「そうだったんだ」と思うことはいくつもありましたが、思えばちゃんと授業でうけてるはずなのに…と思ってしまいました。すぐに抜けてしまっていることを実感します。授業は受け身なものが多いので、聞きっぱなしでその先がないなと感じます。課題があって調べて考える。問題に対して、どう対処していけばいいのか、自分なりに調べて考えるのは大事だと思いました。でも、1年くらい前に、認知心理学に興味を持って自分で調べてみましたが、調べた内容を部分的にしか覚えていません(笑)。自発性だけでは足りないですね。
小論文の2つ目「学習障害の対応」を書いてみました。
流れがある構造、3つの柱の関連性に気をつけるようにしました。添削お願いします。
学習障害への対応は、個別に、連携しながら、学級の調和を図ることであると考える。教師も児童も学習障害を理解できるようにすることが重要である。
まず、個別指導を行う。どの分野を苦手としているのかを認識し、情緒面をフォローする。努力しても出来ないことから劣等感をもつ傾向が強い。できることを徐々に増やしていくことで自信をもたせるようにする。そして、出来ていることに関しては褒めて、出来ていないところばかりに着目しないようにする。指導内容として、担任と児童で面談を行い、児童の現状を把握する。それから、小さな目標を立てて反復学習していく。その後の経過を観察し、課題を順次変える。
次に、専門家と家庭、学校で連携する。担任だけで個別指導するには限界があり、自己判断で指導するのはトラブルの原因となる。面談内容から養護教諭や特別支援教育コーディネーター、学校カウンセラーに相談し、助言を求める。そして児童の様子を保護者に連絡し、家庭で悩んでいることはないかを聞く。育児への悩みを聞くことで保護者のストレス発散のはけ口をつくる。また、担任だけでなく学校全体で情報共有をする。家庭にも目を向け、家庭任せにするのではなく一緒に問題に取り組んでいく。
最後に、学習障害児が学級の中で孤立しないように調和を図る。指導が手厚くなるため、他の児童は学習障害児に偏見をもつようになる。いじめや不登校、授業妨害のような問題行動を防ぐために、コミュニケーションのとり方を練習する。これは学習障害児に限ったことではなく、学級全体で取り組んでいく。場面設定をして教師が良い例、悪い例を見せる。行動について児童に考えさせてからグループ活動を取り入れるようにする。集団行動のルールを実践していくことで道徳心を養っていく。
以上のことから、学習障害児の支援だけでなく、学級全体を観察して実態を把握し、綿密に連携をとりながら指導を行っていく。
Posted by a6hootazemi in りほ
こんばんは、りほです。
今日(日曜)は高校時代の友達とレイクタウンに行ってきました。今年くらいしか遊べないだろうなーと思って、遊ぶ約束をしましたが、予想外に課題がたまり、小論文もたまり、あたふたしてます。
昨日(土曜)はいろいろ課題をやろうと意気込んでたのですが、バイトが終わって帰ろうとした時、定期もお金もないことに気づいて、タクシーで帰ろうか一瞬迷いましたが、交通費が出るわけでもないので、50分かけて歩いて帰りました。ちなみに行きは車で送ってもらったのですが、帰りは必要ないと言ってしまったので家に電話しても誰も出てくれず…。雨の中、ヒールでスーツできつかったです。久々に運動した気分でした。
みんなにはかなり遅れをとってしまいましたが、学力を高めるために必要なことの小論文です。
太田先生、お願いします
「学力を高めるために必要なこととそのための実践」
子どもの学力を高めるために必要なことは、学習意欲をもたせること、基本を身につけさせること、知識を活用させることだと考える。
まず、学習意欲をもたせることとは、達成感から自信をつけさせることである。勉強が分からず、自信をなくしてしまう子どもが増えている。そこで、漢字ドリルなどの基礎ドリルを使って検定試験をし、満点を合格とする。こうすることで基本的な知識が身につき、児童のつまずきが把握できる。つまずき対しては個々に指導する。授業で対応しきれない個別指導を補い、できるようになったことを褒めて自信をつけていく。
次に、基本を身につけさせることとは、規則正しい生活習慣を身につけさせることである。忘れ物や姿勢の悪さが習慣化すると授業に身が入らない。メディアの利用が増え、家庭学習時間も減少した。そこで、一日ずつ宿題を出し、家庭学習の習慣を図る。そして、出来たかどうかチェックリストを渡して記入してもらう。忘れ物に関しても同様にチェックリストを渡し、自分で準備する習慣を図る。その他にも、しつけは家庭という役割を作らず、教師と児童の間でルールを決めて守らせる。家庭と連携しながら、生活環境をよりよいものにしていく。
最後に、知識を活用させることとは、自分で考える力をつけることである。教科書の内容を暗記しただけでは生きる力は育たない。そこで既習のものから発展させるために、少し難しい課題を与える。生きる力を養うために、課題は日常生活に結び付いたものにする。一人で考えることも大切だが、出来る子出来ない子をつくらないように小グループで話し合いながら解決策を見つけさせる。思考の中で、人にどう意見を伝えるかは表現力につながり、他の人の意見を聞いて比べることは判断力につながる。考える活動から多面的な視点を養っていく。
以上のことから、子どもに自信をつけさせ、しつけをし、協力して考えさせることで学力を高めていく。
Posted by a6hootazemi in りほ
こんばんは。日曜担当のりほです。
今週は雨ばかりで天気が悪かったですね。私は月曜~土曜まで6連勤だったのですごく疲れました。しかも課題をためてしまったために課題提出の前日に一生懸命やっていたこともあり、疲労が増しました。やらなかった自分が悪いのですが、反省です。話は変わりますが、最近はピアノを頑張っています。私は初心者なので、日ごろから練習をしないと授業についていけません。困ったときは助けてください。
この間添削してもらった小論文の書きなおしがあったので先にアップします。新しい課題は早めに提出します。
ちさまみさんが「新しい課題の小論文を書かなきゃ」と言っていた日に小論文をきちんと提出していました。有言実行できていて尊敬します。私も見習おうと思います!
「どのような教師になりたいか」パート3
私は学習することの楽しさを伝えられるような教師になりたい。そのために教師に求められる要素は、分かる授業をする、子どもとの信頼関係を築く、優劣をつけないの三つだと考える。
まず、分かる授業をするとは、身の回りのことと結び付けながら授業を行うことである。学校教育では日常との繋がりが薄い。そのため、学んだ知識は日常で使われないことも多くなってしまう。身近なものと関連付けることで頭に浮かびやすくなる。こうすることで興味を持ち、学校外で役立てる知識を養うことができると考える。私は塾講師のアルバイトをしており、身近なものを例に出しながら説明するようにしている。子どもの周りのことも知っていなければならないため、情報収集も子どもと話すことで行っている。「わかった」という言葉と一緒に笑顔が見られる。この場面を授業の中で増やしていきたい。
次に、子どもとの信頼関係を築くとは、児童の考えを受け入れ、認めることである。これは授業と生活指導の二点が挙げられる。一点目の授業については、考えた答えを褒めることである。教科によって答えの数は異なる。しかし、答えを出すために自分なりに考えたことに対して褒めるのである。二点目の生活指導については、叱るときには叱ることである。しつけも学びの一つであり、きまりを破った時には指導をしなければならない。単に叱るのではなく、理由を聞き解決策を共に考える。そのためには児童の話に耳を傾け、教師の考えを押し付けないことが必要となる。私はカウンセリング実習の経験を活かし、日頃から傾聴するように心がけている。児童主体の環境を作ることで、授業が活発化する。意見を取り入れながら学級の雰囲気を良くしていきたい。
最後に、優劣をつけないということは、児童同士を比較しないことである。他人と比較するのではなく、児童ひとりひとりの成長を比較する。そうすることで自分の成長に気付き、「できた」という実感が持てる。これが自信となり学習意欲を高める。しかし、教師は日頃から児童の様子を把握しなければならない。教師が児童の成長に気付くことも大切だが、児童自身何が出来るようになったのか自覚することも大切である。そこで、「振り返りシート」を用意し、自己評価をしてもらう。その後、教師が児童と保護者にわかるように学級通信を作成し、配布する。こうすることで喜びを共有する人が増える。また、振り返りシートには出来るようにしたいことも書き、自分で目標を決めてもらう。そうすることで学習目的を明確にさせる。児童に自信をつけさせ、学習する意味を持たせたい。
このように、子どもの目線で楽しめる授業を考えることのできる教師になりたい。試験で測る力ではなく、「なんでだろう」「知りたい」という気持ちを育て、同時に児童と共に学び合う教師でありたい。
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※優劣をつけないという点で信頼関係を築くことと少しつながりがあるかもしれないと考えましたが、検討するうちによくわからなくなってしまったのでそのまま書いてしまいました。
Posted by a6hootazemi in りほ
連休中にいろいろ出かけましたが、どこもかしこも混雑していましたね。
休み中に本屋に行ったのですが、震災の特集コーナーができていました。震災から約2カ月、落ち着いてきたとはいえども被災地に目を向ければまだまだ問題は山積みです。時間が経つにつれて、震災に対する意識が薄れていってしまわないように情報に注意していこうと思いました。今日の新聞の教育欄に、被災地の避難について書かれてありました。ゼミの発表で聞いた通り、教師の判断によって子供を避難させられなかったとの記事でした。教師は判断力が求められるものだと実感しました。その記事と一緒に、子どもを家族に引き渡すときに苦労しているという記事もありました。家族自体、津波の被害に遭い、引き渡しができず、どうしたらいいのかわからない状況になっているようです。孤独遺児は百人以上も出ているとのことで、今後どうなってしまうのかと考えてしまいます。家もなければ、家族もいない。こんな状況で学校に通えるのだろうか。経済的支援はあってもお金で解決できない問題はたくさんあると思います。子どもが抱えるには大きすぎる問題だと思います。ゼミが始まって、メディアを多く活用するようになりました。今まで関心がなさすぎたのもありますが。情報を把握して、批評まで出来ればいいのですが、知らなすぎることが多いので、まずは情報を自分が正確に受信することを第一にしようと思います。
小論文ですが、先生に添削してもらったので、アドバイスをもとに書きなおそうと思います。
以下に載せるのは最初に書いた小論文です。2番目に書いたものとは大幅に変わっていると思います。
「私はこんな教師になりたい」
私は学習することの楽しさを伝えられるような教師になりたい。学習することの楽しさが分かれば、何か興味を持ったとき自ら調べることができる。その結果として、子どもの自立を助けるだけでなく、可能性を伸ばすことにもなると思う。
しかし、受験が流行しており、受験に必要な学力を求める家庭が増加してきた。特に中学受験では小学校で学習する内容だけでなく、さらに高度な知識まで求められている。そのため、中には学習塾の方を優先させてしまう家庭もあるという。高校、大学受験にもそれは当てはまる。学校の授業は軽視され、進学に必要な学力は学校外でつけるという人が増えたのも現代の特徴である。また私は中学時代、数学が苦手で「なんでこんなことを勉強しなければならないのか。将来役に立たないものだ。」と思ったことがあるが、受験に失敗しないために勉強をし直した。少しでも偏差値の高い学校に行くことが良いという概念が私の中で自然と出来上がっていたのである。いわゆる進学校に合格すれば世間的に良い肩書きが出来ることを兄や姉を見て知っていた。受験の影響は大きく、その人の価値まで決めてしまうような気がした。
夢を持たない子や学習をする意味が分からない子が増えているのは受験が一因となっており、その背景には競争社会といった日本社会の構造がある。競争をするということは勝敗を決め、成績が重視される。成績は試験の結果で数値として表わされることが多い。数値が高ければ優秀とされて褒められる。このようなことから子どもたちはいい成績をとらなければならないとプレッシャーを感じ、学習の楽しさを感じられなくなってしまう。数値だけにとらわれる親は子どもを学習塾に入れ、余計に子どもは苦痛を感じてしまい悪循環になる。学校教育は学習塾と同じ機能であってはならない。学校では授業だけでなく人間関係や生活も学ぶことができる。学校という環境で興味が湧くきっかけ作りができるのは教師である。勉強は勉め強いると書くが、学力偏重の今、学校教育は勉強という言葉の方が適当に思える。させられるのではなく何かやってみたいという気持ちは子どもを成長させ、自立させることにつながるのではないかと考えることから、学習することの楽しさを伝えられる教師になりたいと思っている。
そのために、私は今小中学生に学習塾でどうしたら楽しい授業ができるのかということを教材研究を中心に授業内容を考えるよう努力している。学校で習ったことをまた同じように説明してもその子の学習意欲は高まらない。だから、身近なことと結び付けて具体例を出し、生活と関連付けることで興味を持ってもらおうと工夫している。どんなところでつまずきやすいのか、子どもの親しみのあるものは何か、今となっては良く考えないと出てこない。大人の目線からではなく、子どもの目線から、授業を一緒に楽しむことを第一にこれからも授業づくりをしていきたい。
ちなみに添削の内容は以下の通りです。細かい添削は割愛します。
まず、短い小論文では、いいたいことの骨格が明確であることが必要です。そして、読む方が印象的に思えるのは、やはり、ポイントが整理されていることです。まだ、ちょっと整理が不十分な気がします。
ただ、どういう風に組み立てるかが、いくつかの方向が考えられるので、複数書いてみるのもいいかも知れません。
まず基本として、「学習することの楽しさを伝えられる教師」ということはいいと思います。ところが、そこからすべてを発展させるというのは、少々分かりにくくなります。
やはり、そこからすぐに分岐させていくつかに分ける。そうすると、
1 そのためには、教師には**と**と**の力が必要である。
2 子どもが学習の楽しさを感じるには、**と**と**が必要である。
3 子どもが学習の楽しさを感じられない理由には、**と**と**がある。
それで、1の場合には、そのために、私は今**、**、**という努力をしている、と続けることになるでしょう。
2の場合もほとんど同じであるように思います。
3も基本は同じなのですが、子どもの環境を変えねばならないので、そのためにどんなことができ、そして、そのためにどんな努力をしているというような、少々努力部分が丁寧に書かれねばならないことになると思われます。
Posted by a6hootazemi in りほ
GW中に書きあげるというのがとりあえずの目標でしたが、少々遅れました;;
先生にいくつか提示された中で自分なりに選んで書いてみました。
前回とは結構変わりました。というよりは、先輩の資料を見てフォーマットをまねて書きました。
添削お願いします。
私は学習することの楽しさを伝えられるような教師になりたい。そのために教師に求められる要素は、分かる授業をする、子どもとの信頼関係を築く、身の回りのことに結び付けるの三つだと考える。
まず、分かる授業をするとは、児童に合わせて授業を構成し、授業中に手が止まってしまう子がいないような授業の工夫をすることである。学力低下が嘆かれる現代において、教師にとってこの能力は最も必要なものだと考える。十分な授業時間が確保されていない中で、効率よく教えることが教師には求められる。時代によって子どもの置かれる環境は変わる。だから教材や内容は児童に合ったものを選ぶ必要がある。また、授業が分からないと感じる合図は手が止まることである。この様子に気づいてあげられるのも教師に必要とされている能力である。但し、個々の躓きに授業を中断することは難しい。そこで、グループワークを行い、互いに教え合うという活動を取り入れたい。そうすることで協調性や理解度が高まると考える。「わかった」という言葉と一緒に笑顔が見られる。この場面を授業の中で増やしていきたい。
次に、子どもとの信頼関係を築くとは、授業の中で児童の考えを受け入れ、認めることである。近年受験ブームとなっている。そこで問題となっているのは正解となる考え方である。試験では答えが殆ど一つしかない。その答えにとらわれすぎて考え方が狭まってしまう危険性がある。だから教師には一つの答えに誘導することではなく、児童が自由に発言できる環境をつくることが求められる。そのためには児童の話に耳を傾け、教師の考えを押し付けないことが必要となる。私は大学でカウンセリングの実習を行った。今でもその経験を生かして、日頃から傾聴するように心がけている。子どもも認められていると分かれば自由に発言してくれると思う。間違った考えと言われれば恥ずかしい、いけないという気持ちになる。正解にこだわらないことこそ楽しさの根源だと考える。
最後に、身の回りのことと結び付けるとは、日常生活のことに触れながら教えるということである。学校教育では日常との繋がりが薄く、勉強する意味が分からないと感じている子も少なくない。私は塾講師のアルバイトをしており、よく身近なものを具体例に出しながら説明するようにしている。子どもの周りのことも知っていなければならないため、情報収集も子どもと話すことで行っている。今学習しているものが何に役立つのか分かる、つまり学ぶ意味が分かることに繋がるし、何かに使えることが分かれば、家庭でも使おうとしたり、応用しようとする力が身につくのではないかと思う。これが生きる力であると考える。
このように、子どもの目線で楽しめる授業を考えることのできる教師になりたい。試験で測る力ではなく、「なんでだろう」「知りたい」という気持ちを育て、同時に児童と共に学び合う教師でありたい。
Posted by a6hootazemi in りほ
もう5月ですね。カレンダーを剥がしたり、出席カードを書いているときにふと思いました。
GW前はいろいろな授業で課題が出ました。後回しにすると終わらなくなりそうなので早く手をつけようと思います。
今日はサブゼミで面接や小論文の話を聞き、確かに自分には応用力が全然ないと感じました。大学の授業でディベートがあったのは1年生の数時間だけだったような気がします。しかし最近の授業で意見や考えを求められる機会が一気に増えました。今まで全然頭を使ってこなかったのだと痛感しています。普段書いているレポートは自分で何を書いているのか途中でわからなくなることが多々あります。かといって特別推敲を重ねるといったことはなく、そのままにしてしまうことがほとんどです。だからなのか、いざ小論文を書こうとしたときにどうするんだっけ?と考えてしまいました。今日は小論文の構成や書き方を教えてもらったので、それを参考に書いてみようと思います。
それから、だらだら書くことが多いので当分の目標は「てきぱき」にします!課題はいろいろありますが、1つずつ潰していきたいです。
Posted by a6hootazemi in りほ
日が変わってしまいましたが、気持ち的にはまだ日曜気分です。
今日はゼミの資料集めと発表の準備をしました。ゼミが始まってから気をつけてニュースや新聞、インターネットの情報を見るようになりましたが、流して見ていることもあり情報がごちゃごちゃになっています。これからはメモをとったり、記録を残そうと思いました。私はボランティアについて調べていますが、調べてみればきりがないほどに情報がありました。ボランティアのいい面も悪い面もあって、情報を得れば得るほど「ボランティアってなんだろう」と思ってしまいます。それは半年をかけて自分なりの答えが出せればいいなと思っています。GWには多くの方が被災地にボランティアをしに行くと言っています。長期支援が必要とされている中、大型連休を利用するのはとてもいいことだと思います。しかし、一方で観光地に経済的ダメージを加えてしまうのではないかと思ってしまう部分もあります。復興はしてほしいし、観光地にも賑わいが戻ればいいと思いますが、県外の人にとってはどう行動したらよいのか迷ってる人も少なくないのではないかと思います。私は全然決まっていませんが、とりあえずだらだら過ごさないように気をつけます。授業も始まったばかりで連休になるので、怠け癖がまた出そうで心配ですが…
内容が薄いのですが、ここらへんで終わりにします。
Posted by a6hootazemi in りほ
またまたりほです。今度は17日分を書きます。
このゼミには多いのかもしれませんが、私も塾講師のアルバイトをしています。かれこれ2年くらいやっていますが、最近は私自身楽しさを感じています。何が楽しいかといえば、生徒とのおしゃべりです。信頼関係を築けるし、何より生徒のことがわかるので授業中にどう進めていけばいいのかの指針になります。私の働いている塾では授業の開始10分程度はコミュニケーションの時間として生徒と話す時間が設けてあります。その時間に学校のことやその日にあったことなど、いろいろな話をするのですが、今の小学生や中学生の話についていくのにやっとです。もちろん、今のアニメや漫画の話、アイドルも少しは知っておこうと情報を得ることもあります。しかし、時代が違うことを気付かされることもしばしばあります。
まず、今の小学生はゲームボーイを知らないということです。なぜこんな話題が出たかというとテキストにゲームボーイらしき絵が載っていたのですが、その子が「なにこれ」と言ってきたことからこの話題になりました。その子にとってはDSが主流のゲーム機であり、Wiiが知っているのゲーム機といったかんじでした。私たちのときは64とかゲームボーイカラーとかが主流だったのに、今の子は言っても通じないのかと今更ながら思いました。思えば、中学生は誰でも携帯電話をもっているし、音楽プレーヤーも持っていますよね。電子機器に囲まれているなーと思いました。地震があったからというのもあってか、便利すぎる日常生活を改めて実感しました。
さらに衝撃的だったのは、中学生はあらかじめ一緒に行動する人を決め、約束するということです。新学期、クラス替えがありましたが、クラス発表があった直後、クラスで一緒に行動する友達、中学生の間では「いつメン」というそうですが、それをメールで「一緒にいよう」と相手に言って約束しておくようです。要するに約束をしなければ一緒に過ごさないということだそうです。聞いたときは驚きました。約束する必要はあるのか、知らない子と仲良くなる機会が減ってしまうのではないかということを心配しました。今の子は帰属意識が強いのかと感じました。私は一緒にいようと言わなくても、自然と一緒にいることが普通だと思っていました。しかし、一緒にいようという約束をすることで自分は孤立しないといった安心感が得られ、不安がなくなるのかとも思いました。
なんとなく塾で働いていながら学校の様子や子供の変化が垣間見えます。変化し続ける時代に、子供は良くも悪くもなります。子供たちと話しながら考えさせられることはたくさんあります。でも、もっと子供のことを知りたいとも思いました。1つの結果を出すというよりは、いろいろ考えてみようと思う今日この頃です。
説明が下手なのでうまく伝わらなかったらすいません;
Posted by a6hootazemi in りほ
こんばんは。春休みに課題は書き込みましたが、ブログは初投稿のりほです。改めまして宜しくお願いします!
ブログは日曜担当です。まずは4月10日分を書きます。
この日は初めてコンタクトを作りに行きました。私は中学生の時まで視力は1.5くらいはあったのですが、何があったのか高校1年生の視力検査の時、左目だけ0.2くらいまで視力が落ち込んでいました。その検査の時まで特に違和感なく過ごしていたのが不思議に思います。それ以降両目の視力は下がりっぱなしなのですが、普段は裸眼で過ごしていました。さすがに授業ではメガネにお世話になっていましたが、大教室の授業ともなると前に座っても板書が見えないこともしばしばあり、解読するのに時間がかかりました。というのもメガネの度が合わなくなっていたらしく、この前の健康診断での視力検査で気付きました。これを機にコンタクトを作ったわけです。ゴミが入らないように注意しないといけませんね。
ちなみに前日には髪の毛をかなり切りました。なんか春にこんなことをすると大学デビューみたいですが(笑)髪の毛は成人式の後に切ろうと決めていたのに、結局昨日切ったし、コンタクトは1年前くらいから作ろうと思っていたのにどうしようと考えていたら今日になりました。決めてから1年かかるって自分でも驚いています。面倒くさがりな性格もありますが、物事を思いたってから実行するまでがかなり遅いのです。
春休みも教採の勉強をやろうと思ったのに、結局半端になってしまいました。問題を見るたび、「やったなー」とは思うものの覚えられず、一年後のことをとても不安に思いました。春休みはだらだらしてしまったことが多かった気がします。地震があったからと理由をつけてやらなかったこともありました。もう大学3年生なのだから、そろそろ時間管理をしっかりしたいと思います。私をやる気にさせるのは、みんなの頑張りです。何か頑張っている様子を見ると、自分も頑張らなきゃっていう気になります。太田ゼミのみんなは刺激をくれる努力家の集まりのような気がします。ゼミの時間、そう思いました。心機一転、大学生のうちにできることをとにかくこの一年間やってみようと思います。
Posted by a6hootazemi in りほ
地震やいろいろと立て込んでて、今更ながら前回の課題の直しです。
推敲ができているか分りませんが、次の課題に生かしたいと思います。
「大山先生のこと」
「ありがとう」という言葉を今まであまり意識して使ってきたことはないが、意識して使うようになったのは中学時代だったように思う。人に感謝することは当然のことだと思っていたが、実際に言葉にするということは思い返せば少なかったのかもしれない。身をもってその大切さを教えてくれたのは大山先生であった。私の勝手な印象だが、教師はプライドが高く、自分が正しいと主張して、感謝したり謝ったりするようなことはしないと思っていた。この教師像は今までに出会った教師がそうであったためにできたのかもしれない。しかし大山先生は違った。生徒に対して感謝の気持ちを伝えてくれただけでなく、それを通して人に感謝の気持ちを伝えることの大切さを教えてくれた。このことが教師への道を志すきっかけになった。
大山先生は中学2、3年時の担任だった。良く言えば気配り上手、悪く言えば口うるさい。思春期の中学生にとっては後者の方が適当な表現になるだろう。口うるさいと思われていた原因として、クラス内で何かと小言を言っていたことが挙げられる。学級の係や委員会のようなことに関して「あれはやったの?」と細かく仕事や役割を確認したり、提出物には「もうすぐ提出期限だけど、ちゃんと進めているの?」と一人ひとりに声をかけるのである。生徒が適当に返事をすれば声を低くしてさらにガミガミと言っていた。まさに家で何度も母親に「勉強しなさい」と言われるような感じである。他の担任はそこまで言ってこないというのを知り、クラスメイトは先生に対して鬱陶しいような顔をしていた。また、学年の女性教師は男子をひいきすることが多く、授業で指名するのも男子、声をかけるのも男子、細かく指導するのも男子と態度の違いを見せた。大山先生も女性教師の一人だが、誰にでも同じように指導していた。女子には甘い先生もいたが、大山先生は低い声と荒れた口調で叱っていた。初めて先生が叱っているのを聞いたのは中学1年の時だったせいか、怖い先生という認識をしたのを覚えている。時が経つにつれて叱ってくれることの方が優しさと気付いたが、当時はまだわからなかった。
多くの生徒がそう思っていた一方で、私は気配り上手だと思った。生徒に対して無関心だったり何も注意をしない教師がいる中、些細なことにでも気付いて声をかけられるということは良く生徒を見ているからではないかと感じたからである。もちろん一日中生徒を見ていたからではなく、「生活記録ノート」、いわば担任と生徒との交換日記があったから気づけた部分があったのだと思う。例えば、私は口数が少なく、話すというよりは書くという方法で先生とコミュニケーションをとっていた。些細なことを書いていて、特に相談を書いたわけでもなかったのに、日記には「部活はどうですか?」とコメントが記されていた。何故こんなコメントがあったかというと、部内で問題が起こって人間関係がぎくしゃくしてしまったことがあり、どうやらそのことを気にかけて書いてくれていたようだった。先生は顧問でもなかったし、友人も話してなかったことから、直接顧問から聞いたらしい。部内の事情を知っていたのも驚いたが、それ以上に部活の問題として扱わずに、担任として気にかけてくれたことに嬉しさを感じた。
これだけではなく、その子の特技を自慢ではなく、目に見えるよう計らってくれたり、いつ見ていたのか分からないが、学級活動で「○○さんが~をしてくれました」と学級通信にこまめに書き記して、感謝の気持ちを伝えてくれていた。試験の結果、大会の結果、全部が数字で、数字が価値を決めていたせいか、世間的に評価の対象はそういったものだと思っていた。しかし、小さな行動でも感謝することでその人の良さをみんなにわかるようにしてくれていたのだと思う。私は習い事で書道をしていたため、学級目標を書いてくれないかと声をかけてくれたり、絵が上手い子には掲示物のイラストを依頼したりしていた。面倒で頼んでいたのではなく、その人の特技が活かせるよう働きかけてくれていたのだ。勉強やスポーツで活躍している人は自然と注目される。高校時代はこの結果が全てだったように思う。テストで上位をとることや大会で良い成績を残すことに比べたら、世間的に小さなことなのかもしれない。ただ、先生の計らいは確かに大きな自信をつけさせたのだと思う。人の良さは目に見えないことが多い。それを目に見えるよう形にするのは容易なことではない。生徒を理解するということはこういうことなのかと思った。
最近の先生の気配りといえば、高校3年生の時に届いた年賀状である。「大学は理系かな?」という言葉に中学の成績を覚えていたのだと、ここでも細かい気配りを感じた。最後に一言、「夢の実現を願っています」という言葉を見てとても嬉しさを感じた。おそらく先生は私の夢を知らない。成人式の時に来ていたので話そうと思ったのだが、会話すらできなかった。中学時代、先生からたくさんの「ありがとう」をもらった。先生が些細なことでも生徒に感謝することで、生徒を評価してくれた。「ありがとう」の大切さがわかり、それから感謝の気持ちを持つことを心がけるようになった。それを教えてくれた大山先生には感謝の気持ちが伝えられていない。だから夢が叶えられたとき、その時は心から「ありがとう」の言葉を言いたい。
Posted by a6hootazemi in りほ
a9太田ゼミのみなさん、こんにちは!
4月からゼミでお世話になります。宜しくお願いします(^O^)/
もう3月ですね。あっという間の2月で、1日が早く感じます。
最近、大学入試問題流失事件がひっきりなしに報道されていますね。
あんなにも簡単に不正行為が出来てしまうことに驚きました。
就職氷河期といわれる現代で、やはり高学歴は有利に働くのでしょうか…。企業によってはそんなことはないと言っていますが、大学で何を学んだかということよりも大学のブランドがその人の価値を高めることも実際にはあるのでしょうね。いずれにしろ、高学歴であることはその人のステータスになっていて、大学に入ることが目的になっているように思います。大学での成績がどうであっても、その大学に入ったということは世間から評価されていますよね。この現状が不正を招いているような、そんな印象を持ちました。携帯電話の使用をどうするかということよりも学力がその人の価値を決めてしまうという考えが根底にある限り、不正は起きてしまうように感じます。また中学高校受験での学力偏重が大学受験でも延長として考えられ、そのまま就職に結びつくと考えている人が多いというのも一因かと思います。しかし、一流大学の肩書きをもつということはその人自身の能力が最初から高いと見なされるということで、大学のブランドが有利にも不利にも働きますよね。不正をして大学と相応の学力がなくても入学はできるかもしれませんが、大学の知名度が今後自分の能力と比較されることを覚えておかないと、将来的に苦しむのは自分だと思います。このようなことを考えると、やはり単位認定を厳しくすることがいいのかなと思ったし、その方が入学を安易に考えないし、大学生活の価値が今以上に高くなるような気がしました。こう書いたものの、実際難しい問題ですね…。
本題です
「大山先生のこと」
「ありがとう」
ありふれた言葉だが、この言葉の大切さを教えてくれたのは大山先生である。大山先生は私の中学2、3年時の担任で、私が教師への道を志すきっかけとなった人でもある。今思えば、生徒を常に励まし、生徒想いの教師だったとしみじみ思う。
良く言えば気配り上手、悪く言えば口うるさい。思春期の中学生にとっては後者の方が適当な表現になるだろう。先生はクラス内で何かと小言を言っていた気がする。イメージとしては、家で何度も母親に「勉強しなさい」と言われるような感じである。他の教師は大体一言何か言って終わりか、何も言わないということが多かった。とにかく大山先生は細かいところによく気付き、声をかけてくれた。もちろん良い部分も悪い部分も。毅然とした態度にひいき目がないことこそ信頼できる要因だった。「優しい」先生が好きというのはそれもそうだと思うが、「甘い」先生と捉え間違えてはいけないと今では思う。今までたくさんの教師に出会ったが、叱ってくれることこそ本当の優しさだと感じた。
さらに、先生は誰とでもコミュニケーションをとろうとしてくれていた。よくあるのは、口数が多くない生徒であると現状がわからず、生徒自身が問題を抱えていても話すきっかけをつかめないままになってしまうことである。教師が毎日一人ずつコミュニケーションをとるというのは難しいし、そのような時間もない。私自身、口数が多い方ではなかったし、自分から話しかけるということもほとんどなかった。話しかけづらかったということはない。親しみやすかったのは間違いない。私は直接何か言うというよりは「生活記録ノート」という日記のようなものを使って、自分のことを書き記し、先生に提出していた。返却されたノートには必ず先生のコメントが書いてあり、日記に対することはもちろん、他にも習い事のことや部活のこと、勉強のことまで一言添えてくれていた。よくそんなことまで覚えていたなと感心してしまうくらい細かくて、私のことはあまり知らないかと思っていたから余計に驚いた。友人の日記は見たことはないが、きっと友人の日記にも温かいコメントが書いてあったにちがいない。先生が自分を、生徒を知ろうとしてくれていたことがコメントを読んでいて伝わってきた。他に思い返してみて生徒想いだと感じたところは、生徒の良さを見つけてくれたことである。その子の特技を自慢ではなく、目に見えるよう計らってくれたり、いつ見ていたのか分からないが、学級活動で「○○さんが~をしてくれました」と学級通信にこまめに書き記して、感謝の気持ちを伝えてくれていた。みんなが言わなかった「ありがとう」をいつも見つけて、先生自身が「ありがとう」を言ってくれた。
勉強やスポーツで活躍している人は自然と注目される。高校時代はこの結果が全てだったように思う。試験の結果、大会の結果、全部が数字で、数字が価値を決めていた。中学時代もそういう傾向が強かったが、大山先生は一人ひとりの良さを見つけて、その良さを評価してくれた。テストで上位をとることや大会で良い成績を残すことに比べたら、世間的に小さなことなのかもしれない。ただ、先生の計らいは確かに大きな自信をつけさせたのだと思う。人の良さは目に見えないことが多い。それを目に見えるよう形にするのは容易なことではない。生徒を理解するということはこういうことなのかと思った。
高校3年生の時、大山先生から年賀状が届いた。少し文章が書いてあったが、最後に一言、「夢の実現を願っています」という言葉を見てとても嬉しさを感じた。多分、先生は私の夢を知らない。成人式の時に来ていたので話そうと思ったのだが、会話すらできなかった。中学時代、先生からたくさんの「ありがとう」をもらった。先生が些細なことでも生徒に感謝することで、「ありがとう」の大切さがわかり、それから感謝の気持ちを持つことを心がけるようになった。肝心な大山先生には感謝の気持ちが伝えられていないような気がする。だから、夢が叶えられたとき、その時は心から「ありがとう」の言葉を言いたいと思う。
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変な文章もありますが、一応推敲を重ねました(重ねたつもりです)。
かなり長くなってしまってごめんなさい(´・ω・`)