12 月
30

ガリレオ=イケメン理屈教授

Posted by a6hootazemi in もっぺ, メルヒェン

かなり久しぶりに、アップします!!

最近、冬休みに入ったということで、時間が自由に使えて嬉しいです(*^∪^*)

ちょっと前は、大隈講堂(早大)で落語公演を見てきました♪ファンの春風亭昇太さんが出ていると知ったからです。早大の落研が主催しているということもあり、タダで見れました(^^*)ところで、みなさんは落語は聞いたことありますか?私は初めて生で本物の落語を堪能しました。でも…落語って難しい!!笑い話を聞くだけだから気楽な気持ちで行ったら、大変!最後のオチがさっぱり分かりませんでした・・・。つまり、落語は浅い知識では楽しめないということです。古典落語ならその時代の単語の意味や言葉の意味、噺を少しは知っていないと、オチが分からない、というモヤモヤした気持ちで帰ることになります(;д;)今度は、きちんと落語や時代背景を踏まえて、聞いて、オチで大声で笑ってみたいものです。

そして、今日はドラマを見っ放しでした。「ガリレオ」にハマってしまいました。あんなに天才なのに、あんなにイケメンなのに、あんなにさわやかなのに、理屈っぽいところが残念でもあり、なぜか安心します。完璧ではないところが良い(安心する)んだと思います。主人公の教授が物理学者なのですが、物理って難しく、奥が深いことだけは分かった気がします。でも、本当に物理を研究している人と話してみたいです。本当にあそこまで(主人公のように)論理的に会話をするのか確かめてみたいです(笑)

さて、私も今年最後の卒論アップをします。約1ヶ月前の発表内容の続きです・・・。・・・卒論がんばるぞぉ・・・(*д*;)ノ”

第2章第2節「友だち屋」の資料研究と実践研究です。今回のアップ内容は実践研究の「児童の反応に対する考察」です。

ワークシートの記述をもとに、児童たちがどのように「友だち屋」を読み、どのような"友情観"を巡らせたのか、また「本当の友達」をどう考えたのかを考察したい。

(1)発問1「『友だちから金を取るのか。 それが本当の友だちか。 友だち屋なんかよんでいないぞ。』とオオカミに言われたキツネはどんなことを思ったでしょうか。」

物語の核となる場面である。キツネが抱いていた"友情観"がオオカミの上記のような言葉によって変化する。物語のテーマである「友達はお金では買えない、そして売ることはできないものであり、お互いを必要とすることでつながっているものだ」ということを表現する一場面でもある。

この場面を児童たちは、「そうだけれど、商売だし...」という葛藤の気持ちを考えた児童、「友だちからお金をもらうのはひきょうだ。」などと改心した気持ちを考えた児童、または「オオカミの声が大きくて怖かった。」などとその時の感情を挙げる児童など様々であった。または、「キツネは商売をしているのに、オオカミに友だちから金をとるのかっていわれたのがかわいそうだと思った。」と記述した児童もいた。

全体としては、キツネの改心した気持ちを読み取った児童が6割であり、その他、葛藤する気持ちを読み取った児童、キツネの感情を読み取った児童などが2~3割である。そして残りの少数意見では「でもお代は欲しかった。」や「どうしてオオカミは怒るのだろう。」、「キツネがかわいそう。」などその状況理解が十分ではない読み取りもあった。

しかし、ここで興味深いのは、「キツネは商売をしているのに、オオカミに友だちから金をとるのかっていわれたのがかわいそうだと思った。」という読みとりである。一見、物語の文脈やオオカミの言葉を理解できていないような受け取り方だが、「事実」ということをしっかりと踏まえている。キツネは「お金」を得るために商売をしたのに、「友達だから」という理由で「お金をとってはいけない」

と怒鳴られているのだ。確かに、商売人が友人から商売をしてお金を得てはいけないという決まりはな

い。だから、オオカミが「友だちから金を取るのか。」とキツネの商売を罵倒したことについては、キツネに同情してしまう気持ちはよくわかる。しかし、この物語の場合、商売の内容が、つまり売られている"もの"が「友だち」という目には見えないものであったのだ。それを金銭でやりとりすることに対してオオカミは怒ったのだ。このことについては「友だちから金をとるのか。」という曖昧な言葉で表現されているところに「事実」だけを読み取ってしまった所以があると考える。また、「友だちを売りますよ。」というキツネの言葉に「友だちから金を取るのか」というオオカミの言葉も矛盾しているように思える。「本当の友だちは売り買いできない存在」という物語のテーマであれば、オオカミは「友だちなんて売るものではない!」と怒鳴るほうが、そのテーマ性を確立させるのではないだろうか。

キツネに同情した児童の「事実」のみの読み取りは、物語全体のテーマ性をも掘り下げて考えさせてくれた。おそらく、その児童自身にとって、オオカミの言いたかったことは矛盾しているままであり、「どうして商売していただけなのに、それを怒られるのだろう。」という疑問を残らせてしまったのではないかと反省する。物語の言葉一つ一つに様々な見解があり、どう解釈することが児童たちに分かりやすいのかということをしっかりと踏まえなくてはいけない、と感じた児童の記述であった。

 

(2)発問2「『友だちがいて、よかったな』と思ったことはどんなことでしょうか。」

この発問は、児童たちに自分の"友情観"を見つめさせるために、導入的な意味で発問したものである。自身の友だちとの関わりや、思い出、経験などを想起させ、「よかった」と振り返れる心情を自分の中に見つけることがねらいである。

児童たちの記述には、「一緒に遊べること」、「困ったとき助けてくれること、相談に乗ってくれること」や、「一人でいるより気持ちが楽しくなること」、「一人のときに声を掛けてくれるときに嬉しいと感じたこと」などが多数の考えであった。

小学校3年生にとって、友だちがいてよかったと感じることは、一緒に遊べることで、遊びの中で友情を育み、人間関係を築いているのだと改めて実感した。また、それと同時に、「困った時に助けてくれること、相談に乗ってくれること、声を掛けてくれること」なども挙がっており、精神的なつながり、それによる安堵感、満足感を獲得できている児童が多いことがわかった。しかし、中には、休み時間にも一人でいて、あまり周りの児童たちと遊ばないような児童も少数ではあるが、いることは事実だ。そのような児童たちは自身の"友情観"をとらえているのだろうか。

Aさんは発問2について自分なりの立派な回答をした。「三年生であたらしくともだちがふえてよかったです。二年生では3人だったけど三年生では、7人です。」この回答は私が求める「道徳の時間」のねらいであり、子供たちに学習させたかった姿である。Aさんは資料となる物語から「友だちの在り方」を考え、そして自らの「友だち」と照らし合わせた。その結果、「去年に比べて、本当の友だちが増えてよかった」と実感しているのだ。そしてそのことを、短い言葉ながらもリアルに正直に綴ってくれた。自分の内面から出る嬉しさ、発見を正直に書いたのだ。この自分の内面からにじみ出る気持ちを正直に綴り、「より良くなろう、よい方に向かおう」という前向きな気持ちになることを、私は「道徳の時間」に求めている。

また、Aさんはあまり友だちを作れずに休み時間も一人でいる、というこちらの心配もあったが、そんな心配はいらなかった。AさんはAさんなりに「本当の友だち」ということと向き合い、「(増えて)よかった」という気持ちに至っているからだ。大人の目から見て、あまり友達がいないのかな、と感じる児童であっても、「本当の友達」ということに向き合わせると、立派な考え、心情を持っていることがわかった。

 

(3)発問3「自分にとって『本当の友だち』とはどんな友だちでしょうか。」

前述の発問で、「友だち」とのよい意味での関わりを想起させた状態で、いよいよ"友情観"について考え、まとめさせる発問だ。

児童たちの考えとしては、やはり同じ意見は全く無い。それぞれに自分が思い描く「本当の友達」を挙げてくれた。言い方や表現は様々である。子供たちのどの"友情観"もしっかりとしていて立派だったが、何人かの意見を載せたい。

Aさん:「けんかをしてもすぐになかなおりできるおともだち。あとわたしのことをたいせつにしてくれる友だち。」

Bさん:「仲がよくて元気があっていじめられているときはたすけてあげられるのが本当の友だちだとおもいます。」

Cさん:「ぼくにとって本当の友だちは、やさしくて、弱虫でもぜったいに仲間はずれにしない友だちです。」

Dさん:「やさしくて、めいれいをしなくて、注意してくれて、ぼうりょくをふらない人です。」

Eさん:「①人の気もちがわかる人②いつもやさしくしてくれる人③正しい事を教えてくれる人④いじわるをしない人。」

Fさん:「自分は友達を、友達は自分をいい人だなと思っているのが本当の友だち。」

Gさん:「注意してくれてたすけあっていっぱいケンカしていっぱいあそぶのが本当の友だち。」

その他にも、「親切にしてくれる、やさしくしてくれる、思いやりのある、楽しい友だち、元気が無いときに声を掛けてくれる友だち」など自分の経験を基に自らの"友情観"を巡らせる記述や、Cさん、Dさん、Eさんのように、「~のような友達」というように理想や願望の気持ちをこめて記述する児童もいた。また、今回は「自分にとって」というように観点を「自分」にし、「自分がこうしてもらいたい、相手がこうあって欲しい」などの意見が多かったが、「相手と自分にとって」というように一歩先の段階で"友情"というものを十分に考えることができた児童もいた。そのような意味では、BさんやFさん、Gさんの記述は「~し合う」という相互関係というものが自らの"友情観"のキーワードだと考えられる。

 

(4)ねらいと評価の達成について

本時の指導では、「『本当の友達』について考えを深めることができたか。」というねらい、評価項目があるが、これはワークシートや授業中の発言等から十分に達成できたものだと考える。また、「友達と互いに理解し、信頼し合おうとする態度を養うことができたか。」というものに関しては、相互関係の"友情観"の児童達は、その「友達と互いに」という面では達成されていると考える。しかし、「~態度を養うこと」というねらい、評価項目は、どの児童も到達できていなかった。これは、「態度を養う」ための学習内容が無かったからである。この点は私自身の反省点だ。「態度を養う」とは難しい内容だが、考えられるのは、指導の終末での教師の説話の中で「これからみんなにも本当の友達だと思える人と理解しあって、信頼しあって欲しいと思います。」などと教師の願いを伝えることや、学習感想の中で「自分が本当の友だちとどう付き合っていきたいか」などの展望を書かせることだろうか。

「道徳の時間」とは「道徳的実践力」をつけることが目標として掲げられている。それは、「態度」や「心情」を養うことだ。実際に道徳的態度や心情を用いて「実践」することは、他教科、他学習で「道徳教育」としてやるべきだというのが、現在の考え方だ。それならば、なおさら他教科、他学習で「実践」できる「態度、心情」となる「動機付け」を児童達に持たせなければならない。

そのような理念をもって「道徳の時間」を創り上げていく必要性に気が付き、実感した授業実践であった。

それでは、みなさん、よいお年を~☆三 

(もっぺ)


11 月
29

先生とたまごのがっこ

Posted by a6hootazemi in もっぺ, メルヒェン

今日は、おおやさんと「先生とたまごのがっこ」という若手教員と教員志望の学生が集う勉強会に参加してきました。

ベテランの先生や素晴らしい教育実践をされている現場の先生方の実践報告や講義などを伺ってきました。

正直、私は先日まで行っていた1週間実習でかなり「意気消沈」していました。授業以外の学級経営的な指導も実践させていただいて、失敗してしまったことから「自分は学級崩壊をさせてしまうタイプの教員かもしれない。」という思いから始まり、「本当に教師になれるのか?」と思い、ついには「教師に向いていないのではないか。」と思っていました。

しかし、今日たくさんの講師、現場の先生方、若手の先生方からのお話や会話からとても励まされました!あんなに自信に満ち溢れ、充実して授業をされていたり、熱い教育理念や思想を持った先生方でも「たくさんの失敗、苦労」をされていたと「生の声」を、そしてキレイゴトではない「実情」を聞いたからです。

ある先生は「子供たちには『失敗してもいいんだよ。』と必ず言っています。失敗してもいいんです。わずか6・7歳の子供が間違うからやらない、という言ったりします。痛々しいです。子供たちが色んなことができないのは当たり前、むしろ間違いや失敗から多くのことを学ぶのです。教師も一緒ですね。」とおっしゃっていた。最後の「教師も一緒ですね。」にとてつもなく反応してしまいました。まったく、そうです。私自身、実習中に「間違うこと、失敗すること」を恐れていて、「間違えない、失敗はできない」というプレッシャーで自分の首を自分で絞めてしまっていたところがありました。私も、自分に「間違いや失敗から多くのことを学ぼう!」という気持ちを持ち、子供たちに「失敗してもいいんだよ。」と安心感を与えられるような教師を目指そうと思いました。

そして、なんとこのお話をしてくださったのは、やまざきさんが以前、発表したこともある学級通信の実践者、霜村三二先生だったのです。実際にその学級通信や子供たちとの関係作り、学級経営方法を紹介していただきました。

また、社会の授業実践を紹介してくださった先生は、なんと自由の森学園の現役の先生でした!こちらは、おっくんにそのお土産話をぜひ、したいと思いました!菅間先生とおっしゃる方でしたが、教材開発、教材研究等、とても素晴らしかったです。実際に中3の日本国憲法の模擬授業と授業づくりについてのお話をしていただきました。

日本国憲法の本質を第99条「憲法尊重擁護の義務」(天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負う。)から教えるというものでした。具体的には、1981年に起きた「綾瀬母子殺害事件」での中3男子冤罪逮捕の際の取調べ方法から、「違憲」箇所を探して、第99条の条文を提示し、日本国憲法を考えさせる、という学習でした。素晴らしさを感じたところは、まず教材です。生徒達と同じ中3男子をめぐる冤罪事件を取り扱うことから学習対象(日本国憲法)が生徒達にとって身近なものになります。そして、日本国憲法の「本質」を第99条に焦点をあてたことです。日本国憲法といえば、戦争の放棄や国民の義務、権利などを取り上げて学習を進める実践例が多いのではないでしょうか。しかし、菅間先生は、第99条を取り上げ、「日本国憲法は国家権力から国民を守るものだ。」とまとめて、その本質を生徒達に伝えていました。それは、先生の教材研究の深さや専門性の結果だと感じました。そして子供たちとその教材をどう出会わせ、いかに子供たちに「衝撃」を与え、考えさせるか、教師の授業力として、とても大切だと思いました。

長~くなりましたが、今週、発表した内容をアップしたいと思います。なお、第4項もアップする予定でしたが、間に合いませんでした。でき次第、アップします。また、発表時に授業実践の授業記録(文字起し)をしたらよいとアドバイスをいただいたので、可能な限り挑戦してみようと思いました。

*テーマ:「道徳の時間」の教材開発*

第2章    副読本教材の資料研究と実践研究

 

(1)絵本「ともだちや」[1]

同じゼミの仲間に、何かいい絵本(あわよくば、教材になりそうな)はないかと尋ねたところ、この「ともだちや」を紹介してくれた。さっそく、検索したところ、この絵本は道徳の時間の資料として教材化されていることがわかった。

ストーリーのわかりやすさ、テーマやねらいがはっきりしていることや、絵がとても印象的であったため、この絵本「ともだちや」を通して、子供たちに「本当の友達」というものを伝え、体得させられるのではないかと考えた。

 

(2)資料「友だち屋」本文

キツネは「友だち屋」を始めることにしました。

「えー、友だち屋です。友だちはいりませんか。

さびしい人はいませんか。

友だち一時間、百円。

友だち二時間、二百円。」

のぼりをふりふり、キツネが歩いています。

 

「友だち屋。」

さっそく声がかかりました。

「まいどありーい。」

キツネが岩かげからのぞきこむと、クマがイチゴを食べていました。

「一人ぽっちの食事はつまらないと感じていたところだ。」

「友だちと食べるイチゴは、いちだんとおいしい。なあ、キツネ。」

「ええ、おいしいですね。」

キツネは、まずくてたまらないイチゴを飲みこみながら、うなずきました。

キツネはイチゴなんて食べません。

 

「あまいだろう、キツネ。」

「あまいですねぇ、はちみつは。クマさん。」

「友だちじゃないか。クマでいい。クマとよんでくれ、キツネ。」

「...ク、クマ。」

「なんだ、キツネ。」

キツネは、イチゴでしくしくするおなかをおさえながら二百円いただきました。

 

「えー、友だち屋です。友だちはいりませんか。」

さびしい人はいませんか。

友だち一時間、百円。

友だち二時間、二百円。」

木のかげから、ぎとぎとする声がよび止めました。

「おい、キツネ。」

「......ま、まいどありーい。」

キツネが、こわごわとのぞきこむと、オオカミがいました。

「トランプのあいてをしろ。」

「......はい。」

 

キツネは、オオカミの向かいがわにすわりました。

トランプは、オオカミが三回勝って、キツネが一回勝ちました。

「あのう......。」

キツネは、申しわけなさそうに手をさし出しました。

「何だい、友だち。」

「まだ、お代をいただいていないのですが......。」

「お代だって!」

とたんにオオカミは目をとがらせました。

「と、友だちから金を取るのか。それが本当の友だちか。」

オオカミはきばをカチカチ鳴らせました。

「ほ、本当の友だち?」

「そうだ。はじめっから友だち屋なんかよんでいないぞ。」

そういえば、オオカミは、「おい、キツネ。」とよんだのでした。

「それじゃあ、明日も来ていいの。」

キツネはそーっと手を引っこめながらききました。

「あさってもな、キツネ。」

 

オオカミは、ミニカーをくれました。

「これを、もらってくれるか。」

「ありがとう、オオカミさん。」

オオカミのいちばん大事なたから物でした。

「えー、友だちはいりませんか。

さびしい人はいませんか。

何時間でもただ。毎日でもただです。」

キツネは、スキップしながら帰っていきます。

 


もうすぐ、星が出てきます。

 

 

 

(3)資料解釈

・キツネの"友情観"とは

キツネは「えー、友だちやです。友だちはいりませんか。さびしい人はいませんか。友だち一時間百円。友だち二時間二百円。」と言いながら「友だち屋」の商売を始める。この時のキツネの「友情観」は、おそらく、「お金でやりとりできる"もの"」のような存在であり、相手との「つながり」を軽視しているようだ。だから、「さびしい人はいませんか。」と軽く相手のことを示すような言い回しをしたり、軽快な謳い文句で森に入って行っているのではないだろうか。

そして、クマに「友だち」を売り、一緒に過ごすが、色々と苦労する。おそらく、このクマも「友だち」や「つながり」ということに関して軽く考えているところがあったから、気軽にお金を払って「自己満足」を得たのだと考える。しかし、「友情観」が似ているクマと過ごしていても楽しくない、というのがキツネにとっての現状であった。実際に挿絵を見てみると、お腹をおさえ暗い表情で自分の手に持っている二百円を見つめるキツネが描かれている。この時のキツネはまさに複雑な気持ちだったのではないだろうか。「お金はゲットできたけど、なんだか苦しかったなぁ・・・」というように。

・キツネとオオカミとの認識のズレ

そして、どんより暗い表情でいつもの謳い文句を言っていると、「きのかげからぎとぎとする声が聞こえました」~「こわごわとのぞきこむと」、オオカミがいるのだ。そして、オオカミと一緒にトランプをさせられる。

この場面は後半で重要になっているオオカミの呼び止め方が描かれている。オオカミは「おい、キツネ。」と「商売をしているキツネ」を呼んだのではなく、「友だちとしてのキツネ」を呼んだという。そして「トランプの相手をしろ。」と言い放つ。

一方キツネは、またもや怖そうな「客」だと思いおそるおそる「・・・・・・へえ。」と返事をし、一緒にトランプをして、応える。

しかし、このトランプをする交渉の段階で両者の間に「すれ違い」があるように考える。

オオカミはキツネを「友だち」だと思って呼びとめ、一緒にトランプをしているが、キツネは「お客」に呼び止められたと思いトランプをしていたのだ。しかも、オオカミは「友だち」として誘ったというわりには、「相手をしろ。」と命令口調で、いかにも「客だ」という感じでキツネに対応する。

この、口調や態度が悪いのは、オオカミの「性格=キャラクター性」ともとれる。それは、その他のキツネとオオカミが出てくる絵本を読むとわかる。このキツネとオオカミの出てくる絵本はシリーズ化[2]されていて、その中でも、オオカミの性格は、見た目はとても怖く、周囲を驚かしたり、乱暴な言葉やふるまいをするけれども、不器用ながらも、どこか温かい心を持っていてお茶目で愛嬌のあるキャラクター(性格)だという印象を受けたからだ。そう考えると、「友だち屋」のオオカミの言葉づかいやふるまいにも納得してしまう。

・オオカミが"本当の友達"を諭す場面

また、この物語の一番の見せ場である、オオカミがキツネに「本当の友だち」を諭す場面では、キツネの心情は2つ、挙げられると考える。

まず、先ほど述べたように、オオカミはキツネにとっては「お客」という認識だ。「お客」から「友だちから金をとるのか」と言われても、「そんなこと今さら言われても・・・。」という戸惑い、という心情である。お金をもらうために、一緒にトランプをしたのに、なぜ今さら、そのようなことを言われなければならないのか、という疑問もわいてくるのではないだろうか。

次に考えられるのは、キツネが「自分のやっていた『商売』は間違っていたのだ。」と気が付いた心情だ。キツネがオオカミとトランプをする場面(絵)で、そこそこ「楽しんでいる」キツネが描かれているところに注目すると、最初はオオカミのことがお客とはいえ怖かったとしても、だんだんリラックスして「遊ぶ」という対等な関係になっていったととらえられる。そして、キツネは「申し訳なさそうに」お代を請求した。この時のキツネは「こんなに楽しかったのにお金なんてもらってもよかったのかなぁ」という葛藤があった。そんな時にあのダイナミックなオオカミの顔で「お代だって!お、おまえは友だちから金を取るのか。それが本当の友だちか。おれは友だち屋なんか呼んだんじゃないぞ。」と諭されてしまうのだ。

そうすると、自分の葛藤していたことが見透かされていたかのように驚き、「やはり、自分のやったことは間違っていたんだ。」と、キツネは思ったのではないかと考える。

「今さらそんなこと言われても・・・。」というキツネの気持ちと、「自分のやったことは間違っていたんだ。」という気持ち、間逆の心情が読みとれる場面であり、この物語の中核を成すところだ。

・キツネの"友情観"の変化

物語の後半で、キツネは「それじゃあ、明日もきていいの?」とオオカミに尋ねる。するとオオカミは「あさってもな、キツネ。」と言葉を交わす。この段階では、相思相愛のようにお互いが「本当の友だち」だと認識したことがわかる。

では、どのあたりからキツネはオオカミを「本当の友だち」と認識したのか。

それは、オオカミの「おれは友だち屋なんか呼んだんじゃないぞ。」という言葉を聞いてからだ考える。「最初から、おまえのこと本当の友だちとして呼んでいたんだ。」というオオカミの「友だちとしての認識」に触れたキツネは「相手から必要とされること、友だちだと思われること」を通して「本当の友だち」ということを知ったのではないだろうか。ここで、キツネの"友情観"は変化し、また「本当の友だち」というものを体得することができたと考える。

その後のキツネとオオカミは、「子供らしく」、大切なものを譲渡することで「信頼感」と「好意」を表わしている。

そして、最後にキツネは「えー、友だちはいりませんか。さびしい人はいませんか。何時間でもただ。毎日でもただです。」とスキップをしながら、新たな「本当の友だち」を求めて帰る。ただし、キツネにとって「本当の友だち」とはお金のやり取りが発生しないこと、「さびしい人」であること、に限るように感じる。そう考えると、この最後のセリフは、「友達」ということをもっと広い意味で子供たちに示すような言葉を選んでほしいという気持ちになった。あるいは、このキツネの言葉を掘り下げて、子供たちに「自分だったらどんな友達がほしい?」や「どんな友達が本当の友達だと思う?」などと投げかけ、検討することができる。

そうして、子供達もキツネの心情に沿って物語を読むことで、オオカミの「本当の友だちとは...」という諭しを受け止め、さらにキツネが体得したように「本当の友だち」について考えるきっかけや判断材料を得ることができる資料であると考える。


 

2009年7月10日に練馬区立高松小学校3年1組で、実践した時の記録と、考察をまとめる。


学習指導要領に位置づけられる内容項目は、「2 主として他の人とのかかわりに関することの(3)友達と互いに理解し、信頼し、助け合う」である。


 

遊ぶ相手、話す相手、一緒に登下校をする相手、児童の周りには様々な「相手」がいる。しかし、「本当の友達」とはどのような「相手」なのだろうか。ただ一緒に遊んでいるだけ、自分のわがままを押し通せる相手や、いつも言うことを聞いているだけの関係からは本当の友情は築けない。

一緒にいると安心感を得られたり、お互いのことを分かり合い理解し合っていたり、本音で話ができたりする信頼できる「相手」が「本当の友達」である。

また、お互いを理解し、信頼関係を築いて「真の友情」を得ることは豊かな人間関係を築くことでもある。たくさんの出会いがある児童期から、「真の友情」とはどのようなものかを考え、それを実生活でも生かしながら人間関係を築いていくことは、自分自身の人生をも豊かにしてくれる要素になると考える。


 

(3)資料の概要と学習活動との関連

「友だち屋」を始めたキツネはさびしい動物の友だちになってあげて、お金を稼いでいた。クマに買われたキツネは美味しくないイチゴを一緒に食べたりして「友だち屋」としての時間を過ごす。そして、次にオオカミに呼び止められたキツネは一緒にトランプをして「友だち屋」として遊んであげる。しかし、オオカミに代金を請求した時に「友だちから金をとるのか。それが本当の友だちか。おれは友だち屋としてよんだのではない。」と言われてしまう。その時キツネは、お金では買えない「友だち」に気がつく。さらにオオカミからは大切なものをもらい、また遊びに来る約束もしてもらった。スキップをするほど嬉しい気持ちになったキツネは「本当の友だち」を得ることができたのだ。

クマに無理に合わせて「友だち」をやっているキツネの気持ちや、オオカミに「本当の友だち」ということを教えられたときのキツネの気持ちを児童に考えさせたい。そのようなことから、自分にとって、「本当の友達」とはどのような存在か、また「本当の友達のよさ」という点にも気がついてほしい。

また、多様な意見や考え方を引き出すために、ワークシートに自分の考えを自由に書かせ、それをみんなに発表する学習活動を目指したい。


 

(4)児童の実態と教師の願い

本学級の児童は、素直な児童が多く、困っている児童を手伝ったりする優しい児童も多い。休み時間はドッジボールや大なわとび、鉄棒や一輪車などで、集団として楽しそうに遊んでいることも多い。

しかし、集団遊びをしていても、自分のわがままや主張を押し通してしまう場面や、自分の考えを押さえて相手の言動に従ってしまう時などがある。また、グループワークなどでは言動の強い児童を中心に偏って進んでしまったり、上手く相手に自分の考えが伝わらず、けんかをしてしまったりする場面もある。

嫌われたくないから自分の考えを言わないことや、自分のわがままだけを聞いてもらう関係が、果たして「本当の友達」なのだろうか。本時の指導では、資料をもとに、自分にとってどのような相手が「本当の友達」なのかを考えさせ、お互いを理解し、信じ合える友達のよさに気がつかせたい。


 

 

学習活動

指導上の留意点(*) 指導工夫(☆)

導 入

1 自分の友達はどんな友達か発表する。(5分)

○みんなの友達はどんな友達ですか。

・困った時に助けてくれる友達

・一緒に遊んでくれる友達  ・おしゃべりができる友達

*ねらいとする価値への方向付けをする。

展                  開

2 「友だち屋」を読んで話し合う。(25分)

○イチゴを飲み込みながら、キツネはどんな気持ちだったの

でしょうか。

・がまんしよう。  ・おいしくないな。

・クマを怒らせちゃいけないから、がまんだ。

・にがくてまずくて、もう嫌だ。

 

◎オオカミに「それが本当の友だちか。」と言われて、キツネはどんな気持ちになったのでしょうか。

・びっくりした。でもオオカミが言っていることは正しいな。

・友だち屋なんてやらなければよかったな。

・友だちからお金を取るのはおかしいよね。

・大きな声だったからびっくりした。

・オオカミを抱きしめたい気持ちになった。

 

○キツネはどんな気持ちでスキップをしながら帰って行ったのでしょうか。

・オオカミと本当の友達になれてよかったな

・うれしい気持ち。

☆資料の絵本版を読み聞かせる。

*「友だち屋」として無理にイチゴを食べているキツネの気持ちを感じとらせる。

 

 

☆自分の考えを持たせるために、書く活動を取り入れ、多様な考えを引き出す。(ワークシート)

*オオカミの「友だちから金を取るのか」、「それが本当の友だちか」、「友だち屋なんか呼んだんじゃないぞ」の言葉を十分に考えさせる。

*机間指導をして、児童に発表をする自信をつけさせる。

*本当の友達の意味を知り、オオカミと本当の友達になれたキツネの嬉しい気持ちを押さえる。

3 今までの自分の生活をふり返り、発表をする。(10分)

○今までいろんな友達とかかわってきて「友達がいてよかったな」と思ったことはどんなことでしょう。

・一緒にいつも遊んでくれること。

・一人のときに声をかけてくれること。

(※他、参考になった記述は第4項で詳しく述べる。)

 

○自分にとって「本当の友だち」とはどんな友達でしょうか。

(※参考になった記述は第4項で詳しく述べる。)

☆ワークシートに記入することで自身の経験を想起させ、まとめさせる。

*心から友情を感じた経験を想起しながら、「本当の友達」についての自分なりの考えを深める。

 

*机間指導で個別に対応し、多様な意見を引き出す。

終末

4 教師の説話を聞く。(5分)

*「本当の友達」に出会えた経験を話す。

 

 

・本当の友達」について考えを深めることができたか。


・友達と互いに理解し、信頼し合おうとする態度を養うことができたか。

※省略します。

ワークシートの記述をもとに、子供たちがどのように「友だち屋」を読み、どのような"友情観"を巡らせたのか、また「本当の友達」をどう考えたのかを考察したい。

 

(もっぺ)


 


 

[1] 「ともだちや」内田麟太郎 作 降矢なな 絵 偕成社より絵本として出版されている。

[2] 「おれたちともだち」という絵本シリーズで、作者・絵は内田麟太郎・降矢ななである。シリーズの中には「ともだちや」をはじめ、他7つの物語があり、いずれも偕成社から絵本出版されている。


11 月
8

「ライオンキング」

Posted by a6hootazemi in もっぺ, メルヒェン

先週の土曜日は、劇団四季のミュージカル「ライオンキング」を観に行ってきました(*^^)v毎年、夏に友達と行っているくらいファンです。ストーリーも曲も全部わかっているのに、毎回、新鮮な気持ちになって楽しんでいます。

でも、毎年、毎年、「同じ」なのではなく、キャストも微妙に入れ替わりがあったり、セリフも毎回変わっています。そのようなところがまた、飽きずに観られるところなのかもしれません。

あと、毎年思うのですが、いつかは、2階席ではなく、1階席のいい席で観たいものです。一番近くの席は1万円近くしますが、頑張っていつかはいい席で「プライドロック」(舞台に設置してある主人公の住家)を眺めたいと思います!!

さて、今週進めた卒論をアップします。副読本資料の内容研究をおもにまとめましたが、かなり主観が入っているので、変なところがあったら、ぜひコメントしてくださいm(__)m

*テーマ:「道徳の時間」の教材開発*

第2章    副読本教材の資料研究と実践研究

 

第1節                     「大切なものは何ですか」(光村図書出版)

•第1項       資料研究

この資料は、実習先の小学校で使用している副読本に載っていた資料である。授業実践用に選んだ資料だが、この物語の内容検討、道徳的価値はどのようなところにあるのかを研究していく。


 

 

夏のはじめの、ある日のことです。

くらい土のトンネルから出たセミが、茶色のコートをぬぎながら、たずねました。

「いちばん大切なものはなんですか。」

「そりゃ、お金さ。」

と、コガネムシが、せなかをきらりと光らせました

「ぼくは、食べ物だと思うな。」

と、アリがさとうを運びながら言いました。

そばにいたカブトムシが、

「体がじょうぶなことだよ。」

と、大きな角をぐっと前につき出しました。

となりにいたカタツムリは、

「自分の家だな。」

と、らくだ色のからをゆすりました。

するとトンボがとんできて、

「勉強も大切だと思うよ。」

と、大きなめがねをふきながら言いました。

じっと聞いていたアゲハチョウが、

「そのとおりだね。でも、もっと大切なものがあるよ。」

と、遠くを見ながら、ゆっくりと大きな羽を合わせました。

アゲハチョウは、友だちだったモンシロチョウのことを話しました。

モンシロチョウは、クモの巣にふれて池に落ちたのです。

モンシロチョウは、お母さんの見つめる中でついに動かなくなりました。お母さんは池の上を、いつまでもいつまでもとんでいたのでした。

太陽が西の山にかくれて、森がしずかになりました。

セミは、みんなの話を思い出しながら、いちばん大切なものについて、ずっと考えこんでいます。


この物語は、セミである主人公がさまざまな虫たちに、「いちばん大切なもの」について聞き、考え込む、という展開になっている。オープンエンド(完結していないストーリー展開)のような形で終わっているが、物語の中心となっているのはアゲハチョウが体験した「友人(モンシロチョウ)の死」であり、その話はセミの「一番大切なもの」に影響を与えている。

・セミと"いのち"

やっとの思いで土の中から出てこられたセミがなぜ、「何が大切なのか」、または「命の大切さ」を考えるのかが疑問であった。もし、セミが土の中から「やっとの思い」で地上へ出て、これから始まる地上生活のことを考えるのであれば、「これから何が大切か」を考えるのではなく、「どんなことをしたいか」や、「何をするか」を考えるのではないだろうか。

例えば、念願であった大学に合格し、これから4年間の生活を考える状況にあったとしよう。その時にまず、「大学4年間で一番大切なことは何か」を考えることは一般的だろうか。大学合格まで、多かれ少なかれ苦労や努力(おもに勉強などで)はしてきているのが普通だから、そのような状況から解放された気持ちと、これからの生活に希望や期待が高まるのが一般的だ。そのような時にはやはり、「大学では、何がやりたいか」、「どんな部活やサークルに入ろうか」などと楽観的なことを考えるのではないだろうか。

このように考えると、セミが土の中から出てきて、成虫になり、これから地上生活が始まるという時に、楽観的なことを考えようとするのではなく、「何が大切なのか」を考え込むことに不自然さを感じた。しかも、さまざまな虫たちがいる場所で、大衆に向かって切実な疑問を投げかけている。そこで、なぜセミが開口一番に、「いちばんたいせつなものは何ですか」と訊いたのか、その真意を考えてみた。

「いちばんたいせつなもの」や「命の大切さ」を考える時とは、どのような時か。それはおそらく、ある程度の余裕(精神的な)があるときや、向上心をもっている時などであろう。または、期限や余命、生きている時間が定まってしまっている場合など、自分の「ゴール」が決まっている時にこのような追究心が出てくるのではないかと考える。

では、セミはどうだろうか。セミは、土で幼虫から成長し、地上で成虫になり、1週間~2週間ほど、生きたら、死んでしまう。一見、「短命」のように思われがちだ。しかし、土の中にいる「地下生活」は種類によって様々だが、3~17年間にも及ぶという。そして、その人生の1割にも及ばない期間を地上で生き、そこで死ぬ。

このように考えると、セミにとっての「地上生活」は人生の中でも「終盤」であり、ある意味「セカンドライフ」(より短期間だが、)的な存在なのではないだろうか。そのような、生の終わりに近づいていっている「地上生活」で、「いちばんたいせつなもの」を考えている。このことは、「いちばんたいせつなもの」=「生命」を表現していることを彷彿させているようだ。

当初の疑問であった、「地上生活」を始めたばかりのセミが切実に「生命」について考えることに不自然さを感じた点は、セミの、一生に対しての「地上生活」の短さや、その1~2週間という「余命」があることなどから考えると、「いちばんたいせつなものは何か」を考える心情に、納得がいく。むしろ、「余命」が読み手(子供たち)にも明確な分、セミが「いちばんたいせつなもの」を考える時点で、「生命」の重みを感じさせることができるのだ。

・クモの巣の存在

モンシロチョウの子がクモの巣にふれ、命を落としたことから、「生命」の大切さを悟ったアゲハチョウである。そして、その話を「もっとたいせつなこと」と言って、セミに伝える。

「生命」の大切さを教える話だが、それを聞いている虫たちは誰一人としてクモの存在を責めたり、クモを「悪者」にしていない。むしろ、「しょうがない」や「不慮の事故」という形にもとれる。

しかし、クモの巣とは、本来、えさを捕まえるためのもので、えさとなる虫を「殺す」という役割がある。「生命」の大切さを教えている話(アゲハチョウが)にもかかわらず、「殺すため」というクモの巣がこの話に登場してきた意図はどこにあるのだろうか。

ただ、本文には「クモのすにふれて、池に落ちたのです。」と記載されており、モンシロチョウがクモに直接的に「殺された」ということは書かれていない。間接的に「事故」のように死んでしまった、という解釈もできる。

この話には、「生命」の大切さ以外にも、「食物連鎖」のように、「サイクルする生命」という観点も入っているのではないだろうか。クモは巣を張ってほかの虫たちを食べるし、ほかの虫たちも他の生命を貰って生きている。このことは、「全ての命を殺さず、大切にする」という生命観ではなく、「命は命を"いただいて"生きている」という生命観をもたらしている。その生命観こそが、「生命尊重」の道徳性を達成しているのではないだろうか。そして、そこにクモの巣を登場させた意図があると考える。

 

(4)道徳的価値の検討

この資料の道徳的価値はどのようなことなのか、考えたい。

セミが「いちばんたいせつなもの」は何かを考え、さまざまな虫にとっての大切なものが挙げられる。だが、アゲハチョウは「もっとたいせつなもの」を「命」なのだと伝える。そして、その話から、「サイクルする生命」のことや、「生命を失った家族や友人の気持ち」を考える。そして、セミ自身、限りある生命だということを表している。

このように考えると、この話の道徳的価値は、「生命」に観点を置くことができる。さらに、この物語の要点でもあるモンシロチョウの死は、「サイクルする生命」と「生命を失った家族や友人の気持ち」を発現している。前者については、前項でも述べた、「命は命を"いただいて"生きている」という生命観がある。後者は、1つの命が亡くなることは、周囲の者を悲しませること、命は自分ひとりのものではないことという生命観がある。

このように考えると、このような生命観があるからこそ、「生命を大切にする」ことが"よいこと"で、その「生命尊重」がこの資料の道徳的価値だと考える。

 

この続きの、第2項「授業実践」~第5項「児童の反応に対する考察」は、グループゼミ・全体ゼミで発表します。

(もっぺ)



 

[1] 3年どうとく「きみがいちばんひかるとき」光村図書出版 P28~29


10 月
25

お笑いライブ!!

Posted by a6hootazemi in もっぺ, メルヒェン

今日は、他大学の学祭に行ってきました。目当ては「よしもとお笑いライブ」です(*^^)v

劇場でのライブと違って、学祭なので観賞料は無料です。野外ステージでのライブでかなり冷えましたが、すっごくすっごくおもしろかったです!!「もう中学生」と大ファンの「フルーツポンチ」が出てくれました。

やっぱり、音楽や演劇もそうですが、「生」はいいですね!本物です!!迫力が違いますね!今はブルーレイや高画質、高音響のメディア等がありますが、エンターテイメントや芸術物は、「生」が一番!!と実感した一日でした。

今日は、今週のゼミで発表した第4章「道徳の時間」の教材開発 第1項と、付け足しで第2項をアップします。

*テーマ:「道徳の時間」の教材開発*

•第4章                       「道徳の時間」の教材開発

 

•第1節            「たいせつなこと」(マーガレット・ワイズ・ブラウン作 )

第1項                         「たいせつなこと」の資料研究

(1)絵本「たいせつなこと」


 

教育実習の研究授業で道徳の時間を任されたこともあり、思い切って教材開発をした。資料となる絵本「たいせつなこと」と出会ったのは地元の図書館である。道徳の時間に使うのであるから、メッセージ性が強く、子供たちの心に残るような「絵本」を探していた。「絵本」で資料となるものを探していた理由は、比較的、短い言葉と豊かな色彩で子供たちの感性を刺激してくれると期待を持ったからだ。また、第3学年という発達の段階を考えて、文章があまり難しくないものが好ましいと考えた。しかし、「たいせつなこと」は絵画こそ魅力的で豊かな色彩やものを描いていたが、言葉(文章)は、以外にも難しかった。詩を読んでいるかのように、言葉一つ一つが深く、子供には言葉の意味を理解させ、その裏にあるものを感じ取らせるというより、言葉の持つ雰囲気を「感じさせる」ことが適しているような表現が多かった。

 


 

(2)「たいせつなこと」本文[1]


 

①コオロギは くろい 

トンと とんで

ピョンと はねて

チリリリ ないて

なつの よるを

ひとしきり うたいあげる

でも コオロギにとって 

たいせつなのは 

くろい と いうこと

 

②グラスに とって

たいせつなのは

むこうがわが

すけてみえること

 

③スプーンは たべるときに つかうもの

てで にぎれて

くちの なかに あうんと おさまり

たいらじゃ なく くぼんでいて

ちいさな シャベルみたいに

いろいろな ものを すくいとる

でも スプーンに とって

たいせつなのは

それを つかうと

じょうずに たべられる 

と いうこと

 

④ひなぎくは しろい

まんなかが きいろく

ながくて しろい はなびらには

はちが ちょこんと すわり

なんだか くすぐったい

かおり がして 

ひろい みどりの そうげんに

よりそい ささやきあっている

でも ひなぎくに とって

たいせつなのは

しろく あること

 

⑤あめは うるおす

あめは そらから おちてきてしとしと 

ざぱざぱ おとがして

いろんな ものを

つやつやに かがやかせ

どんな あじにも にてなくて 

くうきと おんなじ いろを している

でも あめに とって

たいせつなのは

みずみずしく うるおす と いうこと

 

⑥くさは みどり

くさは おおきく のびて

あまく あおい においで

やさしく つつみこんでくれる

でも くさに とって

たいせつなのは

かがやく みどり であること

 

⑦ゆきは しろい 

ゆきは つめたく かるく

ふんわり そらから おりてきて

まぶしくちいさな ほしや 

すいしょうの ように

きらめいている

ゆきは つんと つめたい

ゆきは そっと とけていく

でも ゆきに とって

たいせつなのは 

いつも かわらず しろい 

と いうこと

 

⑧りんごは まるい

りんごは あかい

したくの できた りんごは

きから ぽたんと おちてくる

かじると なかは しろく

あまずっぱい つゆが

ほおに はじける

そして りんごの あじが

くちいっぱいに ひろがる

でも りんごにとって

たいせつなのは

たっぷり まるい と いうこと

 

⑨かぜは ふく

かぜは めに

みえないけれど

ほおで かんじることが

できて

こずえを ゆらし

ぼうしを ふきとばして

ふねを はこんでゆく

でも かぜに とって

たいせつなのは 

ふく と いうこと

 

⑩そらは いつも そこに ある

まぎれもなく あおくて

たかくて くうきに みちている

そして ときおり

くもが とおりすぎていく

でも そらに とって

たいせつなのは

いつも そこに ある

と いうこと

 

⑪くつは あしを つつむもの

あるくときに はいた くつは

よるには ぬいでしまい

ぬいだ くつには

ほんのり ぬくもりが のこっている

でも くつに とって

たいせつなのは 

あしを つつんでくれる と いうこと

 

⑫あなたは あなた

あかちゃんだった あなたは

からだと こころを ふくらませ

ちいさな いちにんまえに なりました

そして さらに

あらゆることを あじわって

おおきな おとこのひとや おんなのひとに

なるのでしょう

でも あなたに とって

たいせつなのは

あなたが あなたで あること


 

 

(3)資料解釈

・「たいせつなこと」=「価値のあること」という解釈

この絵本はアメリカ人の絵本作家によって作られた。よって、原作は英語だ。私は、それを読んだことはないが、その題名に着目したいと思う。

タイトルは「The Important Book」だ。"Important"とは訳すと「重要な・たいせつな・価値のある・評価の高い・重大な影響力をもつ」などの意味である。このように直接訳すと「たいせつな」以外にも微妙に言い回しが違う。(詳しくは、「(5)自己翻訳の考察」でも述べている。)

そこで、もう一度、本文を最初から読んでみると、どうも「~にとって たいせつなのは・・・」という言葉が意味しているものは「~にとって価値のあることは・・・」とも解釈できると考えられる。

特に、「スプーン」は「それを つかうと じょうずに たべられる」ことがスプーンにとって「たいせつなこと」とあるが、このページには大中小のスプーンが描かれていて、それぞれ用途に合ったスプーンが存在して、それを利用すると「じょうずに たべられる」という利点を表している。つまり、用途に合ったスプーンを使うことが(スプーンにも、)利用者にも「(利用)価値」のあることとなる、という解釈だ。

また、「りんご」にとっては「たっぷりまるい」ことがたいせつだと書かれているが、「たっぷりまるい」りんごは見た目にも美味しそう、甘そうなどという「魅力」になる「価値」がある。では、「でも あなたに とって たいせつなのは あなたが あなたで あること」はどうだろうか。

「でも あなたにとって 価値のあることは・・・」と換言して解釈をすると、「あなた」はこれから様々な経験をして、成長して、たくさんの「価値あるもの」に出会うけれど、あなたにとって「価値のあるもの」とは自分自身のことである、という解釈が考えられる。これには「自分という価値のある存在を大切にして欲しい」というメッセージ性も含まれているのだとも考える。

・絵本の"役割"からの解釈


必ず最後に書かれている「~にとって大切なのは、...ということ」は、挙げられている「もの自身にとって」ではなく、「他者(利用者や受容者)にとって」の"たいせつなこと"が書かれているように思う。
そう解釈し、最後の⑫を読むと、やはり「あなたにとって」と書かれているが、第三者の言葉掛け、あるいは想いが現れているのではないだろうか。
「あかちゃんだったあなたは~」や「~になるのでしょう」という表現は「あなた=自分」ではなく第三者の観点であり、期待が込められている。ではこれは誰が誰に向けている言葉なのか。

それは、「母親」の言葉と考えると納得がいく。しかも絵本の役割という点で考えても、絵本は大人が子供に読み聞かせをするから、母親やそれに近い大人が子供に伝える内容としても適切だ。この文章(⑫)の場合、主語は完全に母親又は大人だ。「あなたがあなたであること」の主語は「あなた=自分」で、自分自身を大切にし、思うことを表現した言葉だと考える。
では、第三者の母親や大人からの言葉はどこへいってしまったのか。
母親や大人は、最初からメッセンジャーだったのではないかと考える。いわば、「コオロギ」から「くつ」までを「あなた=自分=我が子」にとって、つまり「他者」にとっての「たいせつなこと」とし、教えてあげた。そして最後の⑫で「あなたがあなたであることが、あなたにとってたいせつなのよ。」と伝えた。
また、「あなたがあなたであることが、あなたにとってたいせつなのよ。」とは当たり前のことである。しかし、「当たり前のこと」をあえて伝える、自覚させるよさがある。ましてや、対象は子供だ。何がよくて、何が悪いのかさえもわからないような子供達に「当たり前のこと」を伝えることは大切だ。

・「あること」と「いること」の相違点からの解釈

本文は「あなたが あなたで あること」と書いてあるが、なぜ、「あなたが あなたで いること」ではないのだろうか。

「いること」と表現すると「何があっても自分は自分で、変わらないこと」という「たいせつさ」を感じる。しかも、「自分に対して、いつまでも普遍性を持ち合わせなければならない」というように、どこか強制的な印象も与えかねない。また、能動的な「動」の意思のようなものも感じる。

しかし、「あること」と表現すると「自分」というのはもうすでに存在していて、周りや自分自身が変わっても、変わらなくても、結局は「自分は自分でしかない」という印象だ。それは、「ありのままの自分を大切にすること」ということだと考える。

このように考えると、「でも あなたに とって たいせつなのは あなたが あなたで あること」という解釈は、「自分は自分でしかないのだから、周りや自分が変わろうとも、それも自分」ということが「たいせつ」だという解釈ができると言える。

・学習指導要領にのっとった解釈

新学習指導要領解説の道徳編(文部科学省2008東洋館出版社)では、この絵本は内容項目の指導観点1-(5)(「主として自分自身に関することー自分の特徴に気付き、よい所を伸ばす。」)に該当する。「あなたが あなたで あること」と解釈の際、自分自身のことを取り上げているからだ。

新学習指導要領解説のP49~50の指導観点には、「個性の伸長のために自分のよさを伸ばす児童の育成を目指す」と書かれている。また、個性の伸長とは、「自分のよさを生かし、自分らしさを発揮して調和のとれた自己を形成していくこと」だという。「自分の特徴」とは他と比べて特に自分の目立つ点で、長所・短所の両方を含むのであり、「自分の特徴に気が付く」とは、「自分のよいところや悪いところなどに気付くこと」とされ、「伸ばす」ためには「友達との交流の中で認め合う場をつくったりして、よいところを伸ばそうとする意欲を引き出すことが求められる。」と書いてある。

これら、新学習指導要領解説をふまえて、「あなたが あなたで あること」の「教育的価値」を考えると、「個性の伸長」をキーワードとして、「よい所も悪い所も、自分は自分なのだ」という意識を持つことが自分にとって「たいせつなこと」となる。


 

(4)自己翻訳

原文と翻訳者うちだややこさん訳とを見比べると、かなり飛躍した表現があった。そこで、原文に忠実になるように、自ら簡単な単語に直して翻訳をしてみた。その際には"Important"の意味の解釈、また、「母親が子供に読み聞かせる」という大人から子供へ伝承的になるような表現にすることなどを留意した。

THE  [2]IMPORTANT  BOOK

(よいところ)


コオロギは鳴いたり、とんだり、はねたり、そして夜どおし歌いつくす。

そんなコオロギだけれども、くろいところがいいところ。)

 


(グラスは透明で見通すことができるところがいいところ。)

 


(スプーンは、使うとこぼさずに食べられるのがいいところ。

スプーンは、少しずつすくえるようになっていて手でも握れて、口におさまるようにもなっている。

平らではなくて、真ん中がくぼんでいて、すくいあげることもできる。

そんなスプーンだけれども、使うとこぼさずに食べられるところがいいところ。)

 


(ヒナギクは、真っ白いところがいいところ。

ヒナギクは真ん中が黄色くて、たくさんの花びらがくっつき合っている。ハチたちは止まるし、

くすぐったい匂いだってする。

緑の草原にはいつもたくさんのヒナギクたちが咲いている。

そんなヒナギクだけれども、真っ白いところがいいところ。)

 


(雨はぬらすところがいいところ。

雨は空から降ってきて、雨の音を響かせ、あたりのものを輝かせる。

雨の味は何の味もしないし、空気のように見えない色をしている。

そんな雨だけれども、ぬらすところがいいところ。)

 


(草は青々と元気なところがいいところ。

草は育つと、やわらかく、緑いっぱいの匂いがする。

そんな草だけれども、青々と元気なところがいいところ。)

 


 (雪は透き通るように白いところがいいところ。

  雪は、つうん、ふんわりと、ゆっくり降ってくる。

  キラキラと輝く小さな星の形で澄みきっている。いつも冷たく、だんだんととけてしまう。

  そんな雪だけれども、透き通るように白いところがいいところ。)

 


(りんごはまんまるまるいところがいいところ。

木から落ちたりんごをひとかじりすると、中身は白く、じゅわっとりんごの味いっぱいの果汁が広がる。

そんなりんごだけれども、まんまるまるいところがいいところ。)

 


 (風はびゅーっと吹きつけるところがいいところ。

風は目には見えないけど、ほっぺでさわることができる。

そして木々をゆさぶり、帽子をとばし、帆を動かす。

そんな風だけれども、びゅーっと吹きつけるところがいいところ。)

 


(空はいつでもあるところがいいところ。

 空はやっぱり高く、青くてたくさんの雲が広がって、空気さえも作りだす。

 そんな空だけれども、いつでもあるところがいいところ。)

 


(靴は、あなたの足にぴったりとくっついてくれるところがいいところ。

    靴を履いて歩き、夜には脱ぐ、そして脱いだ時の靴にはあたたかさがまだ残っている。

  そんな靴だけれども、あなたの足にぴったりくっついてくれるところがいいところ。

 


(あなたはあなたであるところがいいところ。

 あなたは、赤ちゃんだったけど、それからどんどん大きくなっている。

そして、いずれ立派な大人の男の人や女の人になるでしょう。

そんなあなただけれども、あなたはあなたであることがいいところ。

 

(5)自己翻訳の考察

この「THE IMPORTANT BOOK」とは、「たいせつなこと」というよりもう少し踏み込んで、「あらゆる事物、そしてあなた自身の価値となるところ=よところ」を提示する絵本なのだと考える。

各ページには、事物の「The important thing」が1つ挙げられ、その後にはその事物自身の特徴や性質が主観的に書かれている。そしてその後にまた、「But the important thing~」と続いている。このような構造から考察すると、最初に最も伝えたいことを書き、それからちょっと離れた視点でほかの事を書き、さらに最後には「but」を使って強調を含んだ表現で「The important thing」=最も伝えたいことを表現している。つまり、「事物(The important thing about~以下の語句)には、様々な性質・特徴・役割・過程が存在するけれども、作者が考えるそのもののよいところ=価値のあるところ」提示している。そしてそれは、あえて1つの限定的な表現しかしていないが、それは主観の押し付けではなく、もう少し柔和な、「提案程度」であると考える。

また、「important」の語意だが、私は徹底して「価値のある=よいところ」とした。その理由は以下である。

「価値のある」とは、対象となっている事物の「よい面やよいとされる性質がある」ということで、しかもそれは第3者からの視点でみた時に発揮される。

本文中の「The important thing about~」をそのまま「~は・・・が価値のあること。」と翻訳することも考えたが、"絵本"ということを加味するとより噛み砕いた「よいこと、よい面」という解釈で翻訳するほうがセンスがあるかと思ったからだ。


「important」の意味である「大切なこと、価値のあること」もその類似語の「great value」も確かに非常に崇高な、特別なことを意味していると思うし、「よい=good≠important」だという感覚もあるが、「The important thing about~」の表現を読み返してみても、あくまでも1つの価値観から見た"そのもののよいところ(価値となるところ)"を、やわらかい感性と吸収力のある無知な子供の感性や価値観にそっとたたみかけているように考えられる。ここで大切なのは、作者の主観である「The important thing」を押し付けてしまうのではなく、子供の感性や価値観に「提案」するかの如く(つまり、それの信憑性の判断は子供自身にある)、提示していることだ。だから、言ってしまえば「good」のような「軽い」意味の「よい」を使ったとも言える。

次に、うちだややこさんとの翻訳と私の翻訳とを比較して考えてみたい。

うちだややこさん訳の大意とかけ離れた翻訳は特にないが、語句の選択は少し変えてみた。また、うちださんの翻訳は最初のThe important thing~と最後のbut the important thing~の表現に脚色されている箇所がある。(ex:The important thing about rain⇒最初「うるおす」・最後「みずみずしくうるおす」)始めと終わりの表現を変えることで、その内容がより具体的になっていて読み手(子供)の感性や価値観に広がりを与えることができる。しかし、「価値観の押し付け」という誤解も与え兼ねないのではないだろうか。

 


•第2項                     授業実践

2009年6月9日に練馬区立高松小学校3年1組で、実践した時の記録と、考察をまとめる。


学習指導要領に位置づけられる内容項目は、「1主として自分自身に関することの(5)自分の特徴に気付き、よいところを伸ばす」である。

 


「自分のよさを大切にする」こととは、自分の良いところに気がつき、それを伸ばしていこうとする態度のことである。また、自分の良さばかりに目を向けるのではなく、周りの人の良さにも気づくことも重要だ。相手のよさに気づき、認め、伝えること、つまりお互いに「良さ」を認め合うことで、自分でも知らなかった「良いところ」が見えてくるからである。

自分で気がついた「自分のよさ」と相手に教えてもらった「自分のよさ」を自覚し、大切にすることで「自分は自分なのだ。」という自己肯定感を持つことができる。それは辛いことや悩みごとにも負けない糧となり、「自分らしさ」という強みにもなる。そのようなことから、自分に自信を持って、自分らしく前向きに生きていくことや、自分らしく豊かに生きていくことができるのだと考える。

 


本時の資料である「たいせつなこと」はアメリカ人絵本作家のマーガレット・ワイズ・ブラウン作、レナード・ワイスガード絵、うちだややこ訳の児童向け絵本である。最初に出版されたのは1949年(アメリカ)であり半世紀以上もの時を経て、日本で2001年に出版された。

コオロギやスプーン、くさやりんご、そらなど、私達にも身近な「もの」にとっての「たいせつなこと」が綴られている。それらは、どんな「たいせつなこと」であるのかを話し合い、それはそれぞれのものの「特徴」でもあり「良さ」でもあるということに気づかせたい。

また、最後に「あなたにとってたいせつなのは あなたが あなたで あること」という言葉が綴ってある。本時ではこの「あなたが あなたで あること」を「自分にしかない自分らしい良さ」ととらえて「自分の良さ」について考え、発表させたい。そしてそのような学習活動から「自分のよさを大切にする」態度を養いたいと考える。

 


自分の話をすることが好きな児童、思ったことをはっきり伝えられる、などの素直な児童や、誰かが泣いているとすぐに声を掛ける、困っている人がいるとすぐに手伝いにいくことができるなど、思いやりを持った児童もいる。また、点呼の際の返事が立派な児童、歌を歌うときには大きな声で上手に歌う児童、遊びの名人、物知りな児童、知的好奇心の旺盛な児童など、たくさんの「よいところ」を持っている。

しかし、授業になると決まった答えなどを発言することは得意だが、自分の考えや感じたことに自信を持って発言できる児童は少ない。自分の感じたことや感想を書かせる学習では非常に良いことや素晴らしいことを書いているのだが、授業での発言となると自信が持てないようである。

そこで、本時の授業では各々が持っている自分の「良さ」に気づき、それを発言させることで、自分の発言と「良さ」に自信をつけることをねらいとしたい。さらに、自分の良さに自信を持ち、大切にすることで、より「自分らしく」前向きに学校生活を送ってほしい。

 


•第3項                     工夫・改善した点

本時のねらいである「自分のよさ」を大切にすることは、自分に自己肯定感を持ち、自信を持って生きていくことだとも考える。しかし、わずか9歳の子供たちにそのようなことはできるのだろうか。発達段階を考えると、自己肯定感を持つことは自力では難しい。そこで、資料「大切なこと」の「あなたがあなたであること」という核心の表現をとおして、「自分にしかないよさ」につて考えさせた。「あなたがあなたであること」とは、「あるがままの自分」を認めることだ。それは、自分いいところも悪いところもひっくるめて「あなた=自分」であることを自覚して生きていく、ということだと考える。授業ではその「あるがままの自分」の「いいところ」に焦点を当て、学習指導要領に位置づけられた内容項目と関連させて、授業づくりをしていった。

子供たちにこのような意図であるねらいを達成させるためには、以下のような工夫・改善を試みた。

(1)「自分のよさ」を自覚させるために

子供たちに「自分のよさ」はどんなところ?と訊いても、しっかりと答えられる場合はあまりない。天真爛漫そうで、毎日を活き活きと過ごしている子供でも「自分の長所」を自己申告することはあまりない。それは、大学生でも一緒でも、いざ「長所を言ってください」となるとなかなか出てこないのではないだろうか。

そこで、「自分のよさ」を自覚し、自信を持たせるために、前時に「友だちインタビュー」という学習活動をした。座席の隣同士で好きな遊び、得意なことや、目標にしている人、自慢できるところなどを質問し合わせる。そして、相手の「よいと思ったところ・自慢できるところ」を探し、ワークシートに書き、発表し合うという学習だ。ここでは、こちらが思っていたよりも、子供たちは真剣に相手にインタビューをしていたし、しっかりと相手の「よいところ」を発見していた。また、相手から見た「自分のよいところ」を聞くことで、客観的に自分のよさを認識できたのではないだろうか。

この活動を活かして、抵抗なく「自分のよさ」を大切にする、という今回の授業が実施できた。

 


(2)ねらいの根本である「自己肯定感」を感じさせるために

私の目指す「道徳の時間」すべてに言えることだが、教師が授業中の児童の発言にはすべて「肯定観」を持ってとらえる姿勢を持ち、そこから「肯定感」を子供たちに味あわせることが大切なことだと考える。だから、今回の授業でも子供たちの発言には大げさととらえられる位に、「いいね。なるほどね。そういう考えもあるよね。」などの反応をしてみせた。その結果、発言数が多くなるだけでなく、真剣にその発問について考える姿勢がうかがわれた。それは、「これを言ってもいいんだ。間違えじゃないんだ。」という自信を持った姿なのだと考える。実際に、授業後に子供たちが書く「学習感想」には「今日はたくさんてをあげられてよかった。」や、「先生がほめてくれてうれしかった。」、「また手をあげようと思った。」など、自信をつけた子供たちが多くいた。この自信は必ず自己肯定感につながると確信している。

 

•第4項                     指導案

(1)本時の展開

 

学習活動

指導上の留意点

導 入

1 前時の「友だちのよさ」についてふり返る。

○「先週はお隣とのペアで2つの活動をしました。何をしましたか。」

・質問をした。       ・発表会をした。

・インタビューをした。   ・ワークシートを書いた。 ・コンテストをした。    

○ワークシートのコメントでふり返る。

*自分の良さを聞いた時の気持ち、相手の良さがわかった時の気持ちについてふり返る。

*自分のよさに向上心を持っている、相手のよさに気づいている、などの児童の記述を読み上げる。

展           開 Ⅰ

2 「たいせつなこと」を読んで話し合う。

○*「くさにとってたいせつなことってなんだと思いますか。自由に想像して下さい。」

・成長すること。     ・元気にのびていること。 ・虫がたくさんいること。 

・きれいな色であること。 ・水があること。     ・風にふかれていること。

○「そのようなくさを見て、みんなだったらどんな言葉をかけてあげますか。」

・もっと育ってね。    ・もっときれいな色になってね。

・とってもきれいな色だね。 ・風にふかれて気もち良さそうだね。

○「みんなだったら、このくさのどんなところを自慢したいですか。『友だちコンテスト』の時を思い出してみましょう。」

 ・虫がたくさんいるところ。  ・緑色がきれいなところ。 

・まっすぐピーンと生えているところ。

 ・生きているところ。     ・元気に育っているところ。

○「くつがしてくれているように『つつまれている』とみんなだったらどんな気持ちになりますか。」

・気持ちいい気持ち。     ・あったかい気持ち。 ・最後まで使おうという気持ち。 

・守ってくれているんだなぁという気持ち。

○*「このくつと友だちコンテストをやるとしたら、どんなよいところ、自慢できるところを言いますか。」

・やわらかいところ。    ・丈夫そうなところ。・やさしいところ。     

・思いやりがあるところ。 ・あったかいところ

*本文の「くさにとってたいせつなのは・・・」という箇所を隠しておく。

*「~こと」という形で回答させる。

*抽象的な発言には「どんな風に?」や「そのくさはどうなる?」など具体的な発問する。

 

 

*「くさにはくさらしい良さ」があることを押さえる。

 

 

 

*「くつにはくつらしいよさ」があることを押さえる。

*発言が滞ってしまったら、「やさしくつつまれているのかもしれないね。」など、どのように包まれているのかを助言する。

*自分の靴のことでもいいと助言する。

展 開Ⅱ

3 「あなたが あなたで あること」に注目し、「あなたらしい良さ」はどんなところであるかを考える。

◎「あなたらしい良さについて考えてみましょう。」

・前回のワークシート、本時のワークシートが配布される。

・ワークシートに記入する。

・学習感想を記入する。

*今までの「~らしいよさ」を押さえていたことと同様に、「あなたらしいよさ」について考えさせる。

*机間指導をし、児童の記述をチェックしておく。

*書くことに戸惑っている児童には、前回のワークシートを参考にすることを伝える。

終 末

◎ワークシートの「あなたらしいよさはどんなところだろう」を発表する。

○教師のまとめを聞く。

*「みんなにはそれぞれこんなにも良いところがありますね。

 その良さは自分らしさです。

あなたがあなたであることとは、その自分らしさ(自分のよさ)を大切にする、ということだと先生は考えました。」

*(発表者には)自分のよいところを自分で書くことができ、発表もできたことを褒める。

*発表者(児童)が自信をもって発表できるように受容意態度で発表を聞かせる。(姿勢・目線・拍手など)

 

 

(2)評価

「自分のよさ」に気づき、自分らしい良さを大切にしようとする態度が養えたか。

 

(3)板書計画(省略)

 

•第5項                     児童の反応に対する考察

 

ここでは、授業中の児童たちの発言と、ワークシートの記述をもとに、ねらいである「(自分や物・事物の)よさを大切にすること」にどうせまっていったかを考察したい。


絵本に綴られている言葉と絵画でそのものの「よさは何ですか」という発問をした。以下、発問内容と、それに対する児童の発言をまとめる。

*「くさにとってたいせつなことってなんだと思いますか。自由に想像して下さい。

「みどりであること」、や「大きく育っていること」、「栄養がたくさんあること」などの、草が生きていく上で必要だと思われることを挙げている児童が多かった。または「くさ自身にとって大切なこと」や、主語が「くさ」ととらえ、発言している児童も多い。この授業の実践段階では、資料研究が浅く、授業者の私自身、「~にとって」ということを、「~」に書かれているもの自体を主語にしてとらえていたからである。(ex「くさにとってたいせつなのは」=主語は「くさ」)

しかし、私の最終的な解釈は「~にとってたいせつなこと」の主語は、読み聞かせをされている子供自身、つまり児童たちとなる。(詳しくは第1項の(3)を参照)

そんな中、とても深い発言をした児童がいた。その児童は真剣な様子で、「くさにとってたいせつなのは、生きていることだよ。」と言い放った。ほとんどの児童が「くさ」の容姿や外的観点からとらえていた「よさ」を、「くさ」の内的なところからとらえたのだ。草が生きていることは、草以外の私達には、「よさ」ととらえることはなかなかできない。どうしても、いい色であることや、立派な花を咲かすこと、いいにおいがすることなどを考える。しかし、この児童は、まさに「草の身」になって本当の「よさ」や草自身の「本当の価値」を考えたのだ。とても優しい心があるのだと思う。

「このくつと友だちコンテストをやるとしたら、どんなよいところ、自慢できるところを言いますか。」

この発問には、児童は戸惑ってしまったようだ。児童にとって「くつ」とは身近に「使用」しているが、身近な「存在」のように考えたことがないからだ。だが、こちらの発問にも一生懸命、自分自身のくつ(うわばき)を眺めながら、回答を考える様子がうかがえた。なんとか発言した内容は、「サイズがぴったりなところ」、「速く走れるところ」、「いっぱいはける(丈夫な)ところ」などであった。この発言からは、「~にとって」の主語は明らかに「自分自身」であったことがわかる。

しかし、改めて「くつ」というものに向き合って「よさ」を考えたことで、「くつの大切さ」を考えることができたと考える。

 


「自分について振り返る」学習活動が展開Ⅱである。ここでは、「あなたが あなたで あること」に注目し、「あなたらしい良さ」はどんなところであるかを考えさせた。ワークシートを使い、書くこと・発表することをさせた。また、ワークシートの設問項目とそれに対する児童の考えは以下である。

・「あなたらしいよところはどんなところだろう。(前回の学習でお友だちに教えてもらったこともふり返ってみましょう。)」

Aさん:「やったことはさいごまであきらめない。のでどんどん強くなっている。これから先もさいごまであきらめないのがあなたがあなたであること。自分はあきらめない。」

Bさん:4つ以上自分のよいところを挙げられている。

Cさん:「○○さんから、魚のことをよく知っているところがいいところと聞いてうれしくなりました。これからも自分なりにいいところが魚のことをよくしっているということが分かってよかったです。」

上記したように「友だちコンテスト」で自分の「よさ」を認識した児童らは、抵抗なく自ら「よさ」を記述していた。量や表現方法はそれぞれ異なるが、ほとんどが前向きに自分のよさをとらえ、「知れてよかった」、「もっとがんばる」などと述べていた。また、Aさんのように、こちらの「よいところ=important」という語意をおさえて、『これから先もさいごまであきらめないのがあなたがあなたであること。』と記述した児童もいた。「自分のよさ=『あなたがあなたであること』」ととらえたのだ。このことは、まさにねらい通りであった。

・学習かんそう(今日のじゅぎょうをふり返ってどんなことに気づいたかな?どんなことを思ったかな?自由に書いてね。)」

Dさん:「自分にとってよいところは大切なんだなと思いました。いままで自分のよいところは、しらなかったけど、これからはちゃんと自分のよいところを見つけていきたい。」

Eさん:「自分のよさを大切にするというのはとても大切だと思いました。」

Fさん:「くさやくつやいろいろなもののたいせつさがわかった。」

60%ほどの児童が、Fさんのような記述をしていた。これは、絵本の内容をなぞっただけの思想で、こちらの意図するねらいまでは達成していなかった。しかし、このように記述した児童でも「自分のよさ」については具体的に挙げていたので、「自分のよさに気付く」というねらいの一部達成はできていたとかんがえてもよい。

DさんやEさんはこの授業の「目標=ねらい」(第2項の(2)参照)を達成していたと考えられる。また、「評価(規準)」(第4項の(2)参照)も満たしていたと考えられる。


 


 

[1] 「たいせつなこと」...マーガレット・ワイズ・ブラウン作 うちだややこ訳 フレーベル館

[2] important...「(...にとって、...するのに)重要な、大切な、価値のある、評価の高い」

(ジーニアス英和辞典 大修館書店)


[3] but...「~だけれども」と訳した。前文には対象物(The important thing about~以下の語句)の様々な特徴や事象が述べられているため、打ち消しや否定ではなく、むしろ強調というのに近いと考える。

[4] The important thing...

本文中には対象物(The important thing about~以下の語句)にまつわる"こと"が述べられている。しかし、The importantとされているのは1つの事象(thing)である。このことはたくさんの"特徴=「こと」"から"よい面・性質"を浮き立たせたり、焦点化させたりする表現であると考える。


[5] The important thing about you...

ほぼ、うちだややこさん訳の表現に同意する。特に、「you are you」はこの絵本の最もメッセージ性の強い箇所であると考え、私は「自分にとって『自分であり続けること』が価値だ。」という解釈をする。だから、「you are you=あなたが あなたで あること」という表現が適切だと考える。

(もっぺ)


10 月
21

理想とする「道徳の時間」

Posted by a6hootazemi in もっぺ, メルヒェン

先週の自分の担当曜日にアップできなかったので、今日アップします。

第1章            「道徳の時間」の可能性

 

第3節 理想とする「道徳の時間」

第2節でも述べたが、私が目指す「道徳の時間」は次のような展開が望ましい。個人の内にある「道徳性」のさまざまな見解や、観点を提示し、それを交流させることで、それぞれの個人の価値観や倫理観を刺激させることだ。つまり、さまざまな観点からの「道徳的判断」=「道徳性」を伝え合い、刺激され、「学び合い」のある授業展開が望ましいと考える。

そのために教材研究や授業づくりの段階では、現在複数の教科書会社から出されている副読本をそのまま使うのではなく、教師がその学級の実態や課題に合わせて選抜、精選して教材・資料を使って授業をすべきだと考える。教師が道徳の時間ごとに「ねらい・道徳的価値」の軸をしっかりと持ち、資料を選択、精選し、さらには資料研究を重ね、さらに不十分だと感じるところがあれば、自らが教材開発をするような精力的な授業づくりをすることが理想的だ。

そして、授業中の子供の姿としては、できるだけ、自分の言葉で気持ちや考えを表現させたい。副読本や資料の主人公(または動物など)の言葉を、なぞってほしくない。そしてそれを「書く」ことや「話す」ことをとおして学級全体で享受することを目指したい。他の級友の意見や考え、豊かな感性にふれた児童たちが、さらに各々の考えや感性を磨いてほしいからだ。そのような方法も「道徳性」を養う一つなのではないだろうか。

ある、小学校教員は道徳の時間の子供たちについて、以下のように述べている。


[1]「実際に何をするかは、道徳の求めるところではないのだ。そこまで強要されると、児童は冷めてしまう。今までの自分の振る舞いを振り返って何かを感じ、やむにやまれぬ気持ちになって、自然に行動している、というように心情を耕すことが大切なのである。」

私はこの考えに共感した。多くの授業ではまとめの段階で、道徳的価値を「実生活にどのように生かすか」というような設問(発問)をする。しかし、それは「このようなことをしなければならない」と暗黙の了解で児童たちにたたみ掛けてしまうという危惧がある。だから、道徳の時間では、副読本や資料をとおして、自己の生活と重なるところがあれば、そこについて「自分の生活を振り返り」、「自分はどのようにしてきたのか、したらよいのか」という判断をし、少しでも「改善したい、よくなりたい」と思うなら、「できることをから行動してみよう、やってみよう」という気持ち(心情)になるような時間にしたい。このように、子供たちにとって「道徳の時間」は、道徳的価値の押しつけではなく、道徳的価値をきっかけにとなるような時間であると考える。

理想とする「道徳の時間」とは、教師の資料選択・精選、開発、研究が充分であること。また子供たちにとっては「よりよい生活」実現のための手立てとなる時間であることだ。


 (もっぺ)


 

[1]http://www.bunkei.co.jp/d_magazine/pdf/d041001.pdf#search='ブラッドレーの請求書学習指導案'


10 月
15

メルヒェン研究会の報告

Posted by a6hootazemi in もっぺ, メルヒェン

水曜日のグループ研究会(メルヒェン)の報告をします。

当日の発表原稿と、その時の討論内容をアップします。

(1 発表原稿)

*テーマ:「道徳の時間」の教材開発*

第1章            「道徳の時間」の可能性

 

第1節               学校教育における道徳教育のねらい

•第1項                「道徳教育」のねらい

日本の「道徳教育」の意義としては、現代の教育の究極の目標である「生きる力」の育成にかかわっている。「生きる力」とは、「確かな学力・豊かな人間性・健やかな体」をもった状態である。その要素である[1]「豊かな人間性」の基礎として道徳教育が存在する。つまり、道徳教育は「生きる力」を育むためには必要不可欠な教育だと言える。

その道徳教育は、昨年の学習指導要領改訂でも、[2]重点化され、一層の充実が目指された。

道徳教育の目標としては[3]教育基本法や学校教育法の精神に基づき、その基盤として「道徳性」を養うこととされている。「道徳性」とは、「小学校学習指導要領解説 道徳編」(2008)によると、「道徳的な心情・道徳的判断力・道徳的実践意欲と態度」である。そして、この「道徳性」を養う「道徳教育」は、「道徳の時間」を要として全教科、全教育活動において展開される。

「道徳の時間」では、先に述べたように、各教育活動で行われる「道徳教育」と密接な関連を図りながら、[4]計画的・発展的な指導をすること、補充・深化・統合すること、道徳的価値の自覚及び自己の生き方についての考えを深めること、などを目標としている。


•第2項                「道徳教育」の現状と研究動機

学校教育全体で、「豊かな人間性」の基礎となる「道徳性」を養うというねらいをもっている、「道徳教育」だが、実際に学校現場ではどのくらい重要視されているのだろうか。「道徳教育」の要とされている「道徳の時間」でさえ、週に1時間という時間数でありながらも、他の教科に変更されていたり、特別活動のような時間にされていたりするのが現状ではないだろうか。

教師として、学習指導要領他、さまざまな法令に沿って教育活動をしていくことは義務である。それを達成できていないと危惧する現状には、これから教師を目指す者としてやりきれない思いを抱いてしまう。しかし、だからこそ、私は教師になっても「道徳教育」の、「道徳の時間」の必要性や可能性を見いだし、どのような教育活動、教材、学習指導方法が「道徳の時間」を有意義にしてくれるのかを研究していきたい。そのために、卒業研究では「道徳の時間」の教材開発を実践する。

 


第2節               「道徳の時間」の可能性

•第1項                「道徳性」の意味とは

第1章でも述べたが、学習指導要領では「道徳教育」に「豊かな人間性」の基礎となる「道徳性」を身につけさせることに期待している。私は、全ての子供たちが「道徳教育」を受けたからといって確かな「道徳性」が養われるのかは疑問であったし、「道徳性」という言葉自体、抽象的であり定義が難しい。そのような心境で、「道徳の時間」の授業実践をする機会がめぐってきた。何回か実践はしてみたが、授業づくりや教材研究に追われ、肝心の子供たちの「道徳性」は伸ばせたのか、養えたのか、などということまでは観察することができなかった。ましてや、「道徳性」の具体的な意味も自分の中で定義することができないままであった。

そして、3回目の授業実践の時には「まずは、何事も経験すること」という意志のもと、初めて教材開発をした。資料となったのは、マーガレット・ブラウン作の「たいせつなこと」という絵本だ。詳しくは第4章でまとめている。その授業実践を行った結果、曖昧であった子供の「道徳性」とは何かを学ぶことができた。そして子供たちの「道徳性」を養い、伸ばすことの素晴らしさにも気がつくことができたのだ。


•第2項                「くさは いきていることが たいせつなこと。」

教材開発をした資料「たいせつなこと」は、各ページに花やりんご、草、くつ、空などの物や現象についての「たいせつなこと」が印象的な絵とともに綴られている。私は、これらの「たいせつなこと」を「(その物や現象の)よいところ」と解釈して、子供たちに「くさはどんなところがいいところだと思う?」や「くつはどんなところがいいところかな?」などと発問した。大人に聞けば、すぐに答えられないような発問であったとも思う。しかし、子供たちは一生懸命に答えてくれた。授業者の私から見れば、今までの自分の経験や、想像力をはたらかせて、色々な発言をしてくれたようにさえ見て取れた。

そのような児童の自発的な学習活動が「道徳の時間」、あるいは「道徳教育」の素晴らしさを感じることができた場面である。また、教師の発問を聞き、自分にしかできない考えや感性を、みんなに発表して共有するという学習形態は、子供たちに「自信」を与えることができる。

そして、子供たちからの発言にこそ「道徳性」が現れるのだとも実感した。

「くさにとってたいせつなことって何かな?」と発問をしたときのことである。ある児童が、手を挙げて「くさは、生きていることがたいせつなんだよ。」と発言した。私は、子供たちから「生きていること」つまり「生命の大切さ」を聞けるとは思ってもいなかった。また、普段、授業をきちんと受けることができない児童もこの時間にはきちんと発言していることにも驚いた。状況によっては、この発問に対して、茶化したり、答えようとしなかったりする児童もいるのではと思っていたからだ。

しかし、実際はどの子供たちの発言からも「向上心」のような「よくなりたい、物事をよい方から見たい」という気持ちが伝わってきた。そこに子供たちの「道徳性」を感じたのだ。

つまり、「道徳性」とは、どのような生活態度、性格をもった子供であっても「今よりよくなりたい、もっと物事のよいところを見たい」という気持ちを持つことでもあると気がついたのだ。

•第3項                「道徳の時間」の可能性

この授業実践の経験から、「子供たちの主体的な学び」があること、「向上心という道徳性」を自覚させ、伸ばせることが、「道徳の時間」には存在するのだと考える。また、「道徳の時間」で自分の内面にある考えや経験を表現することで、教師はその子供自身の新たな一面を発見することもできる。これらのことは、単に「道徳の時間」の授業を充実させるだけでなく、児童理解や学級経営にも活用できる。

子供たちにとって、「道徳の時間」では、道徳的価値のある資料や教材と出会い、それに刺激され、正解のない自己の「道徳性」を自覚し、表現し、他者と交流させることが大切だ。それにより、さらに「よりよい自己」と出会うことができる時間となるからだ。

そして教師は、子供たちが「よりよい自己」と出会うことができるように、「道徳の時間」を創意工夫し、「教える・指導する」というより、「支援する」姿勢を持つことが大切だと考える。

このように「道徳の時間」を実践できたのなら、そこには、子供たちの人格形成の大切な要素である「向上心」を自覚させ、伸ばすことのできる、という「道徳の時間」の可能性が広がっていくのだと考える。

 

 


 

[1] 「豊かな人間性」・・・「子どもたちに必要とされる豊かな人間性とは、美しいものや自然に感動する心などの柔らかな感性、正義感や公正さを重んじる心、生命を大切にし、人権を尊重する心などの基本的な倫理観、他人を思いやる心や社会貢献の精神、自立心、自己抑制力、責任感、他者との共生や異なるものへの寛容などの感性及び道徳的価値を大切にする心であるとらえられる。」(「小学校学習指導要領解説 道徳編」(2008)P3参照)

 


[2] 「重点化され、一層の充実」・・・小中学校で一貫して道徳教育を行うこと・新たに「自己の生き方」などキャリア教育を導入したこと・道徳教育推進教師の導入(道徳教育の全体計画等を校長と積極的に展開していく)

 

[3] 「教育基本法や学校教育法の精神に基づき」・・・「道徳教育」の目標は以下のように設定されている。

①人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を培う

②豊かな心をはぐくむ

③伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し、個性豊かな文化の創造を図る人間を育成する

④公共の精神を尊び、民主的な社会及び国家の発展に努める人間を育成する

⑤他国を尊重し、国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献する人間を育成する

⑥未来を拓く、主体性ある日本人を育成する


⑦その基盤として道徳性を養う

 

[4] 「小学校学習指導要領解説 道徳編」(2008)P29・30参照

 ※第3節「理想とする『道徳の時間』」は後日、ブログまたは、全体会等で発表します。

 

(2 討論・質問内容)

1教材開発は「道徳の時間」だけを行うのか。それ以外の教科は「道徳教育」という視点から見ての教材開発は行わないのか。

私は「道徳の時間」で「道徳性」を養えるような教材を開発していきたい。しかし、まずは「道徳教育」の要とされている「道徳の時間」で、どのような教材が子供たちの道徳性を伸ばすことができるのかを研究してから、将来的に、他教科で活かせるところがあれば、そこでも活用はしていきたい。

2「道徳性」は「よくなりたい、もっと物事のよいところを見たい」という「向上心」だと述べているが、それだけなのか。

授業実践で気が付き、学んだ「道徳性」は「よくなりたい、もっと物事のよいところを見たい」ということだが、それは一部であるとも考えられる。また、「道徳性」とは何かということについては今後、教材開発・資料研究等をとおして追究していきたい。また、「今のままでよい」という現状維持の考えには「道徳性」があるのか、ないのか、という点はその状況によって有無が異なると考える。

3「豊かな人間性」とは、文科省等では発表内容の通りだが、自分達にとっての「豊かな人間性」とはどのようなことだと考えるか。

人間としての感情があり、感性が豊かなで「人間味」があること・文科省の文言と近い考え。

4「道徳の時間」に教師は子供達に「支援する」という立場をとっていくのならば、「道徳教育」は「性善説」のような立場に立って、子供達を指導していくのか。また今までの「道徳教育」は「~という道徳性(徳目)を身に付けさせる」といっているのだから、どちらかというと「性悪説」の立場に立って教師は指導していっていたように感じる。

 

以上が、私が発表した内容・その後の討論・質問内容です。

(もっぺ)


10 月
12

卒論仮目次完成

Posted by a6hootazemi in もっぺ, メルヒェン

遅くなりましたが、仮目次が完成しました。

作ってみると、「あれも、これも!」となってしまい、「本当にできるのかなぁ」と思ってしまいました。出来る限りこの項目ができるように、計画的にやっていきたいと思います。

*テーマ:「道徳の時間」の教材開発*

*仮目次*

•第1章            「道徳の時間」の可能性

•第1節               学校教育における道徳教育のねらい

•第2節               「道徳の時間」の可能性

•第3節               理想とする「道徳の時間」

 

•第2章            副読本教材の資料研究と実践研究

•第1節               「大切なものは何ですか」(光村図書出版)

•第2節               「友だち屋」(文溪堂)

•第3節               「七つぼし」(文溪堂)

•第4節               「ブラッドレーのせいきゅう書」(文溪堂)

 

•第3章            心理学からみた「道徳教育」

•第1節               ローレンス・コールバーグの「道徳性認知発達理論」

•第2節               コールバーグ理論は「道徳の時間」に活用できるのか

•第3節               「ジレンマ資料」の授業実践

 

•第4章            「道徳の時間」の教材開発

•第1節               「たいせつなもの」(マーガレット・ワイズ・ブラウン作 フレーベル館)

•第2節               「(未定)」

 

•第5章            研究のまとめ

第1章はきちんとまとめていないので、これからグループ発表・全大ゼミ発表等でまとめて発表していきたいと思います。あと、第4章の教材開発は「たいせつなこと」以外にもう一つ、何か開発する予定です。

(もっぺ)


10 月
6

「七つぼし」

Posted by a6hootazemi in もっぺ, メルヒェン

先週の土曜日は養成塾の公開ゼミがありました。塾生がグループに分かれ、模擬授業を一般の人たちに公開しました。(ちなみにうちの班は1年生の音楽をやりました。)塾生同士も参観できたので、私は道徳の時間を参観しました。3年生の「七つぼし」(トルストイ作 猪野省三訳 文溪堂)という資料を扱っていました。

この話、知っている人もいるかもしれませんが、私は初めて知りました。

内容は、女の子が病気の母親のために水を探しに出かけます。夜遅くなり、女の子は歩きつかれてその場で寝てしまうのですが、目を覚ましたときには持っていたひしゃくに水が入っているのです。驚いた女の子は急いで家に帰ろうとします。しかし、そこには苦しそうな犬がいました。その犬につまずいてしまった女の子はひしゃくを落としてしまいます。しかし、水はこぼれません。女の子は苦しそうに息をする犬に一口水を飲ませてやります。そうすると、木のひしゃくが銀色になりました。女の子は急いで家に帰り、母親に飲まそうとします。しかし、母親は「自分はいいいから、おまえがお飲み」と言ってくれます。そうすると、銀のひしゃくが金色になりました。女の子が水を飲もうとしたそのとき、「その水を、私に飲ませてくれ。」と扉のところに苦しそうなおじいさんが立っていました。女の子は、そのおじいさんに、ひしゃくを渡しました。そのとき、ひしゃくの中から、七つのダイヤモンドがとび出してきたのです。その後からきれいな水が流れ始めました。とび出した七つのダイヤモンドは夜空に上り、七つの星となりました。それを「北斗七星」と呼んでいます。

という資料内容です。主題名は「美しい心」で、ねらいは「美しいものに触れ、すがすがしい心をもとうとする心情を育てる」でした。資料との関連から考えると、ねらいの「美しいもの」とは、女の子や母親の「思いやり」やそ、の結果が招いた「七つのダイヤモンド」でしょうか。「すがすがしい心」とは、やはり「思いやりや善いことをした後の充実感や感動する気持ち」でしょうか。

この資料は徳目で換言すると、「美しいものや崇高なものへ畏敬の念をもつこと」らしいです。

しかし、この授業では、女の子が水をあげる場面を中心に「どんな気持ちで水をあげたのか」ということを主発問にしていました。これでは、「他者を思いやる」という、ねらいからずれてしまった展開になってしまうと思いました。

「他者を思いやる気持ち」がどうして美しいのか、または、ただの水が「七つのダイヤモンド」になった不思議さや、どうして変わったのか、ということを考えさせた方が、ねらいに沿った児童の思考が成り立つと考えます。

もう少し、「七つぼし」を調べてみたいと思います。

 

さて、先週のゼミで発表したものをアップします。

(テーマ:道徳教育の教材開発)

*コールバーグ理論に基づく「ジレンマ資料」の授業実践*

 

1 「ジレンマ資料」を使った授業の構成について

通常の「道徳の時間」では、「①導入(資料に関心を高めることやねらいとする価値への方向づけ)-②展開(主題のねらいにせまる、児童の生活に置きかえさせるような発問をする)-③まとめ(本時のねらいとする価値を整理・まとめる、教師は説話をする)」という構成だ。

しかし、「ジレンマ資料」を使った授業では、1つの主題(資料やねらい)に対して、2時間扱いとしている。

[1]第1時間目では、①資料を提示し児童生徒たちに主人公の置かれた状況を読み取らせ、道徳的ジレンマに直面させる。②その状況を集団(学級)全体で共通理解させ、主人公の気持ちにせまらせ、どのような道徳的葛藤なのかを明確に把握させる。③そのような葛藤の中で、主人公だったらどのようにすべきかを判断させ、その理由をカード等に書かせる。(判断理由が「道徳性」となる)

第2時間目では、①前時の道徳的葛藤を再確認させ、再び明確化させる。②判断理由を交流させ、他者の判断理由などに意見させる(賛成・反対・質問などを)。この時、自己とは異なる他者の考え方に気がつかせることをねらいとする。③自己と他者の考え方を検討させる。(ような点において対立しているのか、または相互しているのかなど)この時、道徳的葛藤(AorB)に分かれ、集団討議をする。④最終的な判断・理由付けを各自で導き出させるために論点を深め、他者と自己の考えを相互させながら、自分の意見を確立させる。⑤ファイナルシンキング。最終的に道徳的葛藤を抱えた主人公はどのような判断をすべきかを再決定させる。そして、各自が最も納得のいく判断理由もカード等に書かせる

第1時間目は3項目、第2時間目は5項目である。後者では、集団討議に多くをさいているのがわかる。自分の意見、判断、判断理由を持つことも大切だが、ここでは、他者との交流によって自己の意見を見直すこともでき、自分とは異なる意見にも気が付くことができると考える。このように、集団での意見交流に基づいて「判断」していくことは、自分の考えを客観的に見ることができ、新たな「価値観」に気が付くことができる。そうして、「判断材料」が増えていくことにもつながるのだと考える

2 「ジレンマ資料」について 

a.「ジレンマ資料」の一例紹介

「ジレンマ資料」の多くは、教師によって「開発」されている。学級の実態や課題に合わせて、教師自身が自作し、実践・研究されている。今回はその中の一部を掲載する。

[2]「われた花びん」 三重県大内山小学校 鈴木憲教諭 作

(資料参照)

 

 b.要点について

ジレンマ資料は、物語に「心の葛藤」を取り入れればいいだけではない。そこには、いくつかの「備えるべき要件」[3]があるという。主なものをまとめてみた。

①状況はシンプルに分かりやすく叙述する。登場人物や話の展開が複雑すぎないようにする。

②「登場人物は何をすべきか」を、児童生徒の意思決定によって判断していく。

③現実の特定個人を傷つけたり、攻撃する状況を設定したりしないこと。

④児童生徒・学級の実態や課題に必要感が合った物語にすること。

⑤"徳目"(「道徳の時間の内容項目または主題」)の葛藤を扱うこと。例えば、「信頼・友情」対「正義・勇気」などである。

⑥ジレンマの内容はオープンエンドであること。(どちらの価値が優先かを物語中において決着しないこと。)

c.考察

このような「ジレンマ教材」の要点をふまえて、副読本の資料等と比較して考えてみたい。

副読本の資料よりも優れていると考える点は主に2点ある。

まず、②で言うように、児童生徒に主人公の判断主体が移るという点だ。副読本の多くは、登場人物の「してしまった行為」や、事後学習(「~すればよかった。~してよかった。」)が述べられていること、また「模範的判断」がすでに提示されている。これでは、児童生徒たちは、「自分だったらどうするだろう」と置きかえて改めて「道徳的判断」をすることになっても、「こうしたほうがいい」という正解が出てしまっている以上、「主体的な道徳的判断」をしなくて済んでしまう。そう考えると、主人公が「道徳的判断」をしていない状態で物語が終わる(オープンエンドの形)、「ジレンマ資料」の方が、児童生徒に「自分で考えた道徳的判断」をさせることができ、「道徳性」を高めることができると考える。

そして2点目は、⑤で言うように2つの"徳目"を扱っているという点だ。副読本は原則、1つの資料に対し、1つの徳目を設定している。その結果、中には強引に「徳目」にこじつけるような展開になっており、「できた話」のように感じてしまう。また、あまりにも「徳目」を明確に意識して表現しているので、他の「視点」ということを考えにくくしてしまっている面もあると考える。

例えば、自分が授業実践をした「大切なことは何ですか」(文溪堂)という資料は「生命尊重」という徳目であった。物語では、クモの巣に引っかかったモンシロチョウの子供が死んでしまい、母親が悲しむ、という展開であった。ここでは、「生命尊重」を明確に意識しているため、ねらいとする価値(道徳性)を考えさせるために「母親が悲しむところ」に着目するようになっていた。(指導書では「命の大切さ、命がなくなるとみんなが悲しむ」ということに気付かせる学習活動が主であった。)しかし、そこには「命を大切にするならば、モンシロチョウの命を奪ったクモの存在はどうなるのか」という「視点」を授業者である自分自身も持っていなかった。このことは、教材研究の浅さから生じてしまったのかもしれないが、物語の展開が「徳目主義」、つまり、明確化され固定化された「道徳的価値」と「ねらい」になっていたということも否定できない。

「ジレンマ資料」では、少なくとも道徳的価値が2つ提示されているので、1つに固定化されることはない。また、道徳的判断を主体的にすることによって変容、改善される価値もある。

しかし、高めることのできる「道徳性」が、葛藤する項目である2つの道徳的価値(判断)しかないとも言える。多様な道徳的判断や方法が児童生徒から湧いてきたらどのように応じるのだろうか。


3 授業実践例について

[4]ここでは、実際の「ジレンマ資料」を使った授業実践を考察したい。資料については、岡山県牛窓東小学校、畑耕二教諭のものである。以下、資料の全文を載せる。

(資料参照)

a.主題とねらい

第4学年、主題名は「ぜったいひみつ」(信頼友情)であり、葛藤する道徳的価値は、「明朗誠実」対「規則尊重」である。ねらいは、「友達の気持ちを考えて助け合ったり、励ましあったりすることの大切さに気付かせる」ことだ。道徳的価値の「明朗誠実」は、主人公がのり子さんの気持ちを考え、行動(「お別れ会のことを伝える」)すべき、という道徳的価値観だと考える。一方、「規則尊重」は主人公は学級会の班長でもあり、学級会で「のり子さんにはお別れ会のことを秘密にしよう」と決まったからには、約束を守るために「言わない」という行動をとる、という道徳的価値観だと考えられる。

b.展開の細案についてと児童の道徳的判断・理由づけ

「ジレンマ資料」は2時間扱いとするのが通常だが、この実践例は1時間扱いとされている。授業者によれば、第4学年でという発達に応じて、ディスカッションを組織化する必要があったため、論点をあらかじめ教師が示した。そのため、簡潔な1時間扱いとしたという。

(別紙資料参照)

c.児童は道徳性を高められたのか

私の考える「道徳性」とは、「今よりもよりよいこと・課題解決に対しての判断」を理由立てて、考え、行動できることだ。それをふまえると、この実践例では、主人公であるよしえは、葛藤状況の中でどのような判断をすることが課題解決になるのか、またそれはどのような理由でそうするのか、ということを児童自身が自分に投影させて考え、伝え合い(討議・意見交換)、学びあうことが、「道徳性」を高めることにつながると考える。つまり、のり子の気持ちを考え、どうすることが一番よいのかを判断し、理由づけできることだ。

しかし、資料ではよしえの判断が提示されてしまっている。(オープンエンドではない。)本来、この判断は児童自身が葛藤状況を理解し、考え、理由づけをして、判断をしなくてはならないところだ。授業者はこのことを、児童たちが「よしえの判断はおかしい」と思わせたことで、児童たちが「なぜよしえは言ってしまったのだろう」と主人公の判断を考えることができることを期待したと述べている。

主人公よしえに判断させたことにより、表8‐5では圧倒的に「言う」の人数が多くなっている。主人公の判断に無意識に影響を受けているのではないだろうか。また、主人公の気持ちを考えるきっかけにはなったが、「理由づけⒼ・Ⓜ」のように「相手の気持ち」を考え、行動することが達成されていないという結果を招いている。

全体的に理由づけを見ると、ⒷとⒽが多い。これは「友達の気持ちを考えて助け合ったり、励ましあったりすることの大切さに気付かせる」というねらいに沿った道徳的判断を児童たちができたことだと考えられる。つまり、「道徳性」は高めることができたと考える。しかし、Ⓖも多いのはこの実践例の課題点であったと考察する。


4 まとめ

「ジレンマ資料」を使った授業では、それぞれの葛藤により道徳的判断別に討論ができる点が魅力的だ。「道徳の時間」で、さまざまな観点、価値観を知ること、理解することを重視して「道徳性」を養わせることを期待している私にとっては、画期的だとも思った。また、授業スタイルも、2時間扱いであるし、時間にも余裕がある。(副読本の資料内容が端的で「できた話」になってしまっているのも、45分間という限りのある時間で「道徳的価値」を効率よく提示するためではないだろうか。)

一方、「ジレンマ資料」を使った授業実践の難点は、教師の努力が膨大だということだ。資料は教師が細心の注意を払って作成し、児童の実態に合わせた内容でなければならないこと、道徳的価値との関連を考慮しなくてはいけないことなど、1つの資料を作成するのにとても時間を割く。また、時間だけでなく、教師の「観点・視野」も広くし、常に客観的に資料と道徳的価値の検討をしなければならない。

しかし、このような教師の努力によって子供たちの「道徳性」や「人間性」を高めることができることが分かった。私は教師になっても「道徳の教材開発」をしたいと考えている。「ジレンマの資料」のように、「道徳的価値」を対立させ、そこから子供たち一人一人が納得する価値・判断をさせる教材はその骨子として活用していきたい。


 


 

[1] 「道徳教育はこうすればおもしろい」荒木紀幸 著 北大路書房

  p28~29より

[2] 「〃」p183~184より抜粋

[3] 「〃」p41~42より

[4] 「〃」p112~119より

(もっぺ)


9 月
28

コールバーグ理論は「道徳の時間」に活用できるか

Posted by a6hootazemi in もっぺ, メルヒェン

こんばんは。9月も最終週ですね…。早いです。もう卒業式のための袴のことを友達と相談しています。早いです…。

さて、私は来週と再来週に小学校の実習で、初めて理科の授業をやります。研究授業も兼ねているので、とても緊張しています。今まで苦手科目だったことを理由に、避けてきました(笑)

単元は「風とゴムのはたらき」です。NEW単元ですね。新学習指導要領によると、「『エネルギー』についての基本的な見方や概念を柱とした内容のうちの「エネルギーの見方」にかかわるものである。」そうです。風は風力発電とか、「エネルギー」に直結しやすいのですが、ゴムって…。すぐに浮かびません。ゴムの力によって動くものって、おもちゃしか浮かびません…。ゴムの伸びによって固定するものは髪を結んだりすることとか、衣服とかが浮かぶのですが…。でもものを固定させることも立派な「はたらき」ですよね。

この単元では、「風やゴムの力でものを動かすことができることを理解する」ということをねらいとしているらしいのですが、やっぱり、ゴムはやりにくいです。でも、ゴムのところを授業します(笑)

あと、理科は新学習指導要領から、かなり「物作り」や「実験を通しての体得」に力を入れているみたいです。この単元でも「風とゴムの力で動く車」を作ります。自分の不器用さがばれないよう、頑張ります!! そして、実験では体育館でゴムで走る車を走らせます。体育館がサーキット状態になるのでしょうか!児童たちが興奮するぐらい盛り上がる授業になればいいと思います。あ、でも研究授業なので「風やゴムの力でものを動かすことができることを理解させる」ことを忘れずに、やります。とにかく頑張ります!!

長くなりましたが、ここから卒論研究です。

今回は、「コールバーグの理論」と「道徳の時間」を考えてみました。

一度は投げ捨てたコールバーグです。でも、もう一度向き合ってみました。向き合えているかは不安ですが…。

 

1 コールバーグ理論

コールバーグはアメリカの心理学者で「道徳性の発達と道徳教育」を研究した。彼によると、「道徳性」とは「人間にとってもっとも重要な価値(正義)を他の道徳的・社会的な価値との比較や葛藤により解決させ、それに気がつくこと。」と考えた。そして、道徳性の発達は年齢が上がるほど発達し、向上することがあっても退化することはないのだという。そして人間の道徳性の発達段階を「ジレンマ(葛藤)資料」を用いて段階ごとに分けた。(「道徳性の発達と道徳教育」については「2/25報告会」のブログを参照。)

 コールバーグが道徳性の発達を調査したツールとして「ハインツのジレンマ」がある。まさに葛藤状況をつくり出し、「道徳的判断」をさせ、それをもとに道徳的発達段階を設定するというものだ。コールバーグによれば、「葛藤状況」を理由付けられた「判断」によって、解決させることが「道徳性の発達」につながるのだという。

 

2 コールバーグ理論を活用した「道徳の時間」

このような観点から、コールバーグの理論に基づいた道徳の授業が研究されているという。そこでは、児童生徒の実態に合わせたジレンマ資料を作成し、集団的討議によって道徳的(判断の)葛藤を解決する、という授業である。(「道徳教育はこうすればおもしろい 荒木紀幸 著」によると、兵庫県教育大学道徳性発達研究会のメンバーを中心に昭和58年から、兵庫県大学付属小学校などで実践されている。)

では、これらのコールバーグの理論に立った「ジレンマ資料」は「道徳の時間」と、なじむことがきるのだろうか。

 

3 「道徳の時間」について

日本の「道徳教育」の意義としては、現代の教育の究極の目標である「生きる力」の育成にかかわっている。「生きる力」とは、「確かな学力・豊かな人間性・健やかな体」をもった状態である。その要素である「豊かな人間性」の基礎として道徳教育が存在する。つまり、道徳教育は「生きる力」を育むためには必要不可欠な教育だと言える。

その道徳教育は、学習指導要領改訂でも重点化され、一層の充実が目指された。

道徳教育の目標としては教育基本法や学校教育法の精神に基づき、その基盤として「道徳性」を養うこととされている。「道徳性」とは、「小学校学習指導要領解説 道徳編」(2008)によると、「道徳性心情・道徳的判断力・道徳的実践意欲と態度」である。いわば、これらの「道徳性」を養うために教師は「道徳の時間」に教育活動を展開しなければならない。

 

4 「道徳性」を高めるためには

この「道徳性」とは、児童生徒の内面的なものであるし、一概に「指導する」という立場で教師として関われない領域なのではないかと考える。自分の体験や実際に学習指導案を作って、感じたことだが、教師の言いたいこと、つまり、「道徳的価値とされた解答」がはっきりと児童生徒にもわかってしまう授業展開であるし、教材(特に副読本)もそのような解りきったものばかりなのだ。用意された「道徳性」を追求するのではなく、もっと個人の中に根ざす思考や感性、価値観を扱うことが本当の意味での「道徳性」を伸ばし養うことができるのではないかと考える。

 

5 「道徳の時間」はさまざまな「道徳性」にふれる時間

「道徳の時間」では、個人の内にある「道徳性」のさまざまな見解や、観点を提示し、それを交流させることで、それぞれの個人の価値観や倫理観を刺激させることが大切だ。つまり、さまざまな観点からの「道徳的判断」=「道徳性」を伝え合い、刺激され、「学び合い」のある授業展開が望ましいと考える。

このように考えると、「ジレンマ資料」によって、さまざまな価値観が出てくる集団討議で、道徳的(判断の)葛藤を解決して「道徳性」を高める授業展開は、個人の中に根ざす「道徳性」を刺激し、育てると考える。よって、コールバーグ理論の「ジレンマ資料」の活用は「道徳の時間」になじむことができると考える。

 

参考文献「道徳教育はこうすればおもしろい」荒木紀幸 著 北大路書房

私は、コールバーグ理論に立つ、「ジレンマ資料」に興味がわきました。なので、今週の発表では、「ジレンマ資料」による道徳の時間の授業実践例を研究します。

(もっぺ)


8 月
15

絵本翻訳研究②

Posted by a6hootazemi in もっぺ, メルヒェン

こんにちは。毎日暑いですね・・・。

最近、テレビでお笑い番組を見ることで癒され、元気をもらっています。笑いってスゴイ!!(私は、はんにゃとフルーツポンチとオードリーが大好きです(*´∀`*))

いつか、新宿のルミネtheよしもとに行ってみたいです。どうやら¥500でもライブが見られるみたいですね!!行ったことのある人いますか?

 

さて、卒論の内容を今日はアップします。

「THE IMPORTANT BOOK」についての追加研究です。先日の翻訳レポートで、わけいさんにいくつか指摘していただいたところをさらに考え直してみました。

まず、「important」の語意訳ですが、私は「よい」と訳しました。私の持っていた英和辞典にも英々辞典にも「よい」ということは明言されていませんでした。しかし、レポートにも書いたように、「important=価値のある」という英和辞典からの訳に注目してみました。「価値のある」ということは、対象となっている事物の「よい面やよいとされる性質がある」ということで、しかもそれは第3者からの視点でみた時に発揮されます。本文中の「The important thing about~」をそのまま「~は・・・が価値のあること。」と翻訳することも考えたのですが、"絵本"ということを加味するとより噛み砕いた「よいこと、よい面」という解釈で翻訳するほうがセンスがあるかと思いました。

また、わけいさんの「important というのは、そういう非常に重い意味をもっており、決して、good のような気軽に言える言葉とは違うのではないでしょうか。」という意見についての私の考えですが、「important」の意味である「大切なこと、価値のあること」も「great value」も確かに非常に崇高な、特別なことを意味していると思うし、「よい=good≠important」だという感覚も十分わかります。

しかし、これは感覚でしかないのですが、「The important thing about~」の表現を読み返してみても、あくまでも1つの価値観から見た"そのもののよいところ(価値となるところ)"を、やわらかい感性と吸収力のある無知な子供の感性や価値観にそっとたたみかけているように考えてしまうのです。ここで大切なのは、作者の主観である「The important thing」を押し付けてしまうのではなく、子供の感性や価値観に「提案」するかの如く(つまり、それの信憑性の判断は子供自身にある)、提示していると考えます。だから、言ってしまえば「good」のような「軽い」意味の「よい」を使ったとも言えます。

しかし、ならば「非常に重い意味のimportant」を使う意味はどこにあるのか、となりますが、正直に言って、語句のインパクトがあるからとか、そういった浅いことしか浮かびません。もう少し、翻訳についての知識や、英語に関しての言語的感覚が豊かならば、論理的にこの「important」の問題が解決できるのかと痛感しています。(言い訳ですが・・・。)

そして、最後の「you are you」についてですが、うちださんの翻訳に同意すると書いていながらも、「あなたであり続けること」と訳しました。わけいさんからは「あなたがあなたであること」と「あなたであり続けるところ」は異なる意味だと指摘してもらいました。ここの箇所は、意味合い的には同じだが、表現上は別の言い方で表現したかった、ということです。だとすれば、「あなたであり続けるところ」という表現はもっと熟考すべき点でした。

再度、「you are you」という訳をわけいさんが問う、「よい属性をもって、それを持ち続けて欲しいと願うのか、そうではないのか」という点から考えてみます。

結論から言うと、「そうでない」方です。当初の解釈でも述べましたが、ここの解釈は、「あなたはこれから、いろんなことを経験して、大人になってゆくけども、忘れてはいけないことはどんなときも、どんなことをしていても、あなたはあなたで唯一無二の存在なのよ。」ということです。「属性から外れても、あなたは、あなた。」ということです。

この点も論理的な説明としては欠けていますね。絵本を、文学作品を、感覚で捉えていた身としては、難しい問題です。

次回こそは「友だち屋」の追加研究、頑張ります。

(もっぺ)


8 月
1

絵本「THE IMPORTANT BOOK」翻訳

Posted by a6hootazemi in もっぺ, メルヒェン

今日のグループゼミで発表する予定だった内容をアップします。

私は教材開発をした資料の絵本「たいせつなこと」の原作を日本語訳し、改めて解釈をし、語句の役割等を検討しました。また、うちだややこさん訳との比較をするなどの考察をまとめました。

(テーマ:道徳教育)

*絵本の翻訳研究~THE IMPORTANT BOOK~

1 語句の大意

*この絵本は、親や大人が子供に読み聞かせをし、さまざまな"ものやこと"の価値あるところ(よいところ)を色彩豊かに、またはモノトーンな絵画とともに、子供の視覚や価値観を刺激しながらも、伝えているのだと解釈する。

*important...「(...にとって、...するのに)重要な、大切な、価値のある、評価の高い」(ジーニアス英和辞典 大修館書店)


 ⇒ ◎価値=ものごとの"よい"面や性質である。

*but...「~だけれども」と訳した。前文には対象物(The important thing about~以下の語句)の様々な特徴や事象が述べられているため、打ち消しや否定ではなく、むしろ強調  というのに近いと考える。

*The important thing...本文中には対象物(The important thing about~以下の語句)にまつわる"こと"が述べられている。しかし、The importantとされているのは1つの事象(thing)である。このことはたくさんの"特徴=「こと」"から"よい面・性質"を浮き立たせたり、焦点化させたりする表現であると考える。

*The important thing about you...ほぼ、うちだややこさん訳の表現に同意する。特に、「you are you」はこの絵本の最もメッセージ性の強い箇所であると考え、私は「自分にとって『自分であり続けること』が価値だ。」という解釈をする。だから、「you are you=あなたが あなたで あること」という表現が適切だと考える。

2 本文翻訳

THE IMPORTANT BOOK

(よいところ)


① The important thing about a cricket is that it is black.
It chirps, it hops, it jumps, and sings all through night.
But the important thing about a cricket is that it is black.
(コオロギは黒いところがいいところ。

コオロギは鳴いたり、とんだり、はねたり、そして夜どおし歌いつくす。

そんなコオロギだけれども、くろいところがいいところ。)

 


② The important thing about GLASS is that you can see through it.

(グラスは透明で見通すことができるところがいいところ。)

 


③ The important thing about a spoon is that you eat with it.
It's like a little shovel,
You hold it in your hand,
You can put it in your mouth,
It isn't flat,
It's hollow,
And it spoons things up.
But the important thing about a spoon is that you eat with it.

(スプーンは、使うとこぼさずに食べられるのがいいところ。

スプーンは、少しずつすくえるようになっていて手でも握れて、口におさまるようにもなっている。

平らではなくて、真ん中がくぼんでいて、すくいあげることもできる。

そんなスプーンだけれども、使うとこぼさずに食べられるところがいいところ。)

 


④ The important thing about a daisy is that it is white.
It is yellow in the middle,
it has long white petals,
and bees sit on it,
it has a ticklish smell,
and it grows in green fields,
and there are always lots of daisies.
But the important thing about a daisy is that it is white.

(ヒナギクは、真っ白いところがいいところ。

ヒナギクは真ん中が黄色くて、たくさんの花びらがくっつき合っている。ハチたちは止まるし、

くすぐったい匂いだってする。

緑の草原にはいつもたくさんのヒナギクたちが咲いている。

そんなヒナギクだけれども、真っ白いところがいいところ。)

 


⑤ The important thing about rain is that it is wet.
It falls out of the sky,
and it sounds like rain,
and makes things shiny,
and it does not taste like anything,
and is the color of air.
But the important thing about rain is that it is wet.

(雨はぬらすところがいいところ。

雨は空から降ってきて、雨の音を響かせ、あたりのものを輝かせる。

雨の味は何の味もしないし、空気のように見えない色をしている。

そんな雨だけれども、ぬらすところがいいところ。)

 


⑥ The important thing about grass is that it is green.
It grows, and is tender,
with a sweet grassy smell.
But the important thing about grass is that it is green.

(草は青々と元気なところがいいところ。

草は育つと、やわらかく、緑いっぱいの匂いがする。

そんな草だけれども、青々と元気なところがいいところ。)

 


⑦ The important thing about snow is that it is white. It is cold, and light,
it falls softly out of the sky, it is bright,
and the shape of tiny stars,
and crystals. It is always cold.
And it melts.
But the important thing about the snow is that it is white.

 (雪は透き通るように白いところがいいところ。

  雪は、つうん、ふんわりと、ゆっくり降ってくる。

  キラキラと輝く小さな星の形で澄みきっている。いつも冷たく、だんだんととけてしまう。

  そんな雪だけれども、透き通るように白いところがいいところ。)

 


⑧ The important thing about an apple is that it is round.
It is red.
You bite it,
and it is white inside,
and the juice splashes in your face,
and it tastes like an apple,
and it falls off a tree.
But the important thing about an apple is that it is round.

(りんごはまんまるまるいところがいいところ。

木から落ちたりんごをひとかじりすると、中身は白く、じゅわっとりんごの味いっぱいの果汁が広がる。

そんなりんごだけれども、まんまるまるいところがいいところ。)

 


⑨ The important thing about the wind is that it blows.
You can't see it, but you can feel it on your cheek,
and see it bend trees, and blow hats away, and sail boats.
BUT THE IMPORTANT THING ABOUT THE WIND IS THAT IT BLOWS.

 (風はびゅーっと吹きつけるところがいいところ。

風は目には見えないけど、ほっぺでさわることができる。

そして木々をゆさぶり、帽子をとばし、帆を動かす。

そんな風だけれども、びゅーっと吹きつけるところがいいところ。)

 


⑩ The important thing about the sky is that it is always there.
It is true that it is blue, and high,
and full of clouds, and made of air.
But the important thing about the sky is that it is always there.

(空はいつでもあるところがいいところ。

 空はやっぱり高く、青くてたくさんの雲が広がって、空気さえも作りだす。

 そんな空だけれども、いつでもあるところがいいところ。)

 


⑪ The important thing about a shoe is that you put your foot in it.
You walk in it,
and you take it off at night,
and it's warm when you take it off.
But the important thing about a shoe is that you put your foot in it.

(靴は、あなたの足にぴったりとくっついてくれるところがいいところ。

    靴を履いて歩き、夜には脱ぐ、そして脱いだ時の靴にはあたたかさがまだ残っている。

  そんな靴だけれども、あなたの足にぴったりくっついてくれるところがいいところ。

 


⑫ The important thing about you is that you are you.
It is true that you were a baby,
and you grew,
and now you are a child,
and you will grow,
into a man, or into a woman.
But important thing about you is that you are you.

(あなたはあなたであり続けるところがいいところ。

 あなたは、赤ちゃんだったけど、それからどんどん大きくなっている。

そして、いずれ立派な大人の男の人や女の人になるでしょう。

そんなあなただけれども、あなたであり続けるところがいいところ。)

 

※うちだ ややこ訳ver


① コオロギは くろい 

トンと とんで

ピョンと はねて

チリリリ ないて

なつの よるを

ひとしきり うたいあげる

でも コオロギにとって 

たいせつなのは 

くろい と いうこと

 


② グラスに とって

たいせつなのは

むこうがわが

すけてみえること

 


③ スプーンは たべるときに つかうもの

てで にぎれて

くちの なかに あうんと おさまり

たいらじゃ なく くぼんでいて

ちいさな シャベルみたいに

いろいろな ものを すくいとる

でも スプーンに とって

たいせつなのは

それを つかうと

じょうずに たべられる 

と いうこと

 


④ ひなぎくは しろい

まんなかが きいろく

ながくて しろい はなびらには

はちが ちょこんと すわり

なんだか くすぐったい

かおり がして 

ひろい みどりの そうげ

んに

よりそい ささやきあっている

でも ひなぎくに とって

たいせつなのは

しろく あること

 

⑤ あめは うるおす

あめは そらから おちてきて

しとしと ざぱざぱ おとが して

いろんな ものを

つやつやに かがやかせ

どんな あじにも にてなくて

くうきと おんなじ いろを している

でも あめに とって

たいせつなのは

みずみずしく うるおす と いうこと

 

⑥ くさは みどり

くさは おおきく のびて

あまく あおい においで

やさしく つつみこんでくれる

でも くさに とって

たいせつなのは

かがやく みどり であること

⑦ ゆきは しろい 

ゆきは つめたく かるく

ふんわり そらから おりてきて

まぶしく

ちいさな ほしや すいしょうの ように

きらめいている

ゆきは つんと つめたい

ゆきは そっと とけていく

でも ゆきに とって

たいせつなのは 

いつも かわらず しろい 

と いうこと

 

⑧ りんごは まるい

りんごは あかい

したくの できた りんごは

きから ぽたんと おちてくる

かじると なかは しろく

あまずっぱい つゆが

ほおに はじける

そして りんごの あじが

くちいっぱいに ひろがる

でも りんごにとって

たいせつなのは

たっぷり まるい と いうこと

 

⑨ かぜは ふく

かぜは めに

みえないけれど

ほおで かんじることが

できて

こずえを ゆらし

ぼうしを ふきとばして

ふねを はこんでゆく

でも かぜに とって

たいせつなのは 

ふく と いうこと

 

⑩ そらは いつも そこに ある

まぎれもなく あおくて

たかくて くうきに みちている

そして ときおり

くもが とおりすぎていく

でも そらに とって

たいせつなのは

いつも そこに ある

と いうこと

 

⑪ くつは あしを つつむもの

あるくときに はいた くつは

よるには ぬいでしまい

ぬいだ くつには

ほんのり ぬくもりが のこっている

でも くつに とって

たいせつなのは 

あしを つつんでくれる と いうこと

 

⑫ あなたは あなた

あかちゃんだった あなたは

からだと こころを ふくらませ

ちいさな いちにんまえに なりました

そして さらに

あらゆることを あじわって

おおきな おとこのひとや おんなのひとに

なるのでしょう

でも あなたに とって

たいせつなのは

あなたが あなたで あること

 

3 考察

"1 語句の大意"でも述べたが、この「THE IMPORTANT BOOK」とは、「たいせつなこと」というよりもう少し踏み込んで、「あらゆる事物、そしてあなた自身の価値となるところ=よところ」を提示する絵本なのだと考える。

各ページには、事物の「The important thing」が1つ挙げられ、その後にはその事物自身の特徴や性質が主観的に書かれている。そしてその後にまた、「But the important thing~」と続いている。このような構造から考察すると、最初に最も伝えたいことを書き、それからちょっと離れた視点でほかの事を書き、さらに最後には「but」を使って強調を含んだ表現で「The important thing」=最も伝えたいことを表現している。つまり、「事物(The important thing about~以下の語句)には、様々な性質・特徴・役割・過程が存在するけれども、作者が考えるそのもののよいところ=価値のあるところ」提示している。そしてそれは、あえて1つの限定的な表現しかしていないが、それは主観の押し付けではなく、もう少し柔和な、「提案程度」であると考える。

うちだややこさんとの翻訳と私の翻訳とを比較して考えてみたい。

うちだややこさん訳の大意とかけ離れた翻訳は特にないが、語句の選択は少し変えてみた。また、うちださんの翻訳は最初のThe important thing~と最後のbut the important thing~の表現に脚色されている箇所がある。(ex:The important thing about rain⇒最初「うるおす」・最後「みずみずしくうるおす」)

始めと終わりの表現を変えることで、その内容がより具体的になっていて読み手(子供)の感性や価値観に広がりを与えることができる。しかし、「価値観の押し付け」という誤解も与え兼ねないのではないだろうか。

(もっぺ)


7 月
14

「友だち屋」事後研究

Posted by a6hootazemi in もっぺ, メルヒェン

こんにちは(*^_^*)

昨日は指導案をアップしたのですが、うまく貼り付けられず、困ってしましました... 。指導案や表をアップしたいときは何かいい方法はないのでしょうか... ( ;一_一)

どーでもいいけど、私も昨日教採が終わった友達と北越で飲みました。久しぶりのお酒は美味しかったです。友達も思う存分飲んでいてよかったです( ^ ^ )

さて、今日は研究授業の資料"友だち屋"の事後研究をアップしたいと思います。気分転換にでも、ながめてみてください。

"友だち屋"の副読本に載っていた内容をまず、載せたいと思います。

 

「友だち屋」 内田麟太郎 作  降矢なな 絵 (文溪堂)

キツネは"友だち屋"を始めることにしました。

"えー、友だち屋です。友だちはいりませんか。

さびしい人はいませんか。

友だち一時間、百円。

友だち二時間、二百円。 "

のぼりをふりふり、キツネが歩いています。

 

"友だち屋。 "

さっそく声がかかりました。

"まいどありーい。 "

キツネが岩かげからのぞきこむと、クマがイチゴを食べていました。

"一人ぽっちの食事はつまらないと感じていたところだ。 "

"友だちと食べるイチゴは、いちだんとおいしい。なあ、キツネ。 "

"ええ、おいしいですね。 "

キツネは、まずくてたまらないイチゴを飲みこみながら、うなずきました。

キツネはイチゴなんて食べません。

 

"あまいだろう、キツネ。 "

"あまいですねぇ、はちみつは。クマさん。 "

"友だちじゃないか。クマでいい。クマとよんでくれ、キツネ。 "

" ...ク、クマ。 "

"なんだ、キツネ。 "

キツネは、イチゴでしくしくするおなかをおさえながらに二百円いただきました。

 

"えー、友だち屋です。友だちはいりませんか。 "

さびしい人はいませんか。

友だち一時間、百円。

友だち二時間、二百円。 "

木のかげから、ぎとぎとする声がよび止めました。

"おい、キツネ。 "

"......ま、まいどありーい。 "

キツネが、こわごわとのぞきこむと、オオカミがいました。

"トランプのあいてをしろ。 "

"......はい。 "

 

キツネは、オオカミの向かいがわにすわりました。

トランプは、オオカミが三回勝って、キツネが一回勝ちました。

"あのう......。"

キツネは、申しわけなさそうに手をさし出しました。

"何だい、友だち。 "

"まだ、お代をいただいていないのですが......。"

"お代だって! "

とたんにオオカミは目をとがらせました。

"と、友だちから金を取るのか。それが本当の友だちか。 "

オオカミはきばをカチカチ鳴らせました。

"ほ、本当の友だち? "

"そうだ。はじめっから友だち屋なんかよんでいないぞ。 "

そういえば、オオカミは、 "おい、キツネ"のでしたとよんだ。

"それじゃあ、明日も来ていいの。 "

キツネはそーっと手を引っこめながらききました。

"あさってもな、キツネ。 "

 

オオカミは、ミニカーをくれました。

"これを、もらってくれるか。 "

"ありがとう、オオカミさん。 "

オオカミのいちばん大事なたから物でした。

"えー、友だちはいりませんか。

さびしい人はいませんか。

何時間でもただ。毎日でもただです。 "

キツネは、スキップしながら帰っていきます。

 


もうすぐ、星が出てきます。

 

1 「友だち屋」資料解釈

キツネは「えー、友だちやです。友だちはいりませんか。さびしい人はいませんか。友だち一時間百円。友だち二時間二百円。」と言いながら「友だち屋」の商売を始めます。この時のキツネの「友情観」は、たぶん「お金でやりとりできる"もの"」のような存在であり、相手との「つながり」を軽視しているように思います。だから、「さびしい人はいませんか。」と軽く相手のことを示すような言い回しをしたり、軽快な謳い文句で森に入って行っていきます。

そして、クマに「友だち」を売り、一緒に過ごしますが、色々と苦労します。おそらく、このクマも「友だち」や「つながり」ということに関して軽く考えているところがあったので気軽にお金を払って「自己満足」を得たのだと思います。しかし、「友情観」が似ているクマと過ごしていても楽しくない、というのがキツネにとっての現状でした。実際に挿絵を見てみると、お腹をおさえ暗い表情で自分の手に持っている二百円を見つめるキツネが描かれています。この時のキツネはまさに複雑な気持ちだったのではないでしょうか。「お金はゲットできたけど、なんだか苦しかったなぁ・・・」というように。

そして、どんより暗い表情でいつもの謳い文句を言っていると、「きのかげからぎとぎとする声が聞こえました」~「こわごわとのぞきこむと」、オオカミがいるわけです。オオカミと一緒にトランプをさせられるのです。

この場面は後半で重要になっているオオカミの呼び止め方が描かれています。オオカミは「おい、キツネ。」と「商売をしているキツネ」を呼んだのではなく、「友だちとしてのキツネ」を呼んだのです。そして「トランプの相手をしろ。」と言います。一方キツネは、またもや怖そうな「客」だと思いおそるおそる「・・・・・・へえ。」と返事をし、一緒にトランプをしています。

しかし、私が注目すべきところだと思ったのは、このトランプをする交渉の段階で両者の間に「すれ違い」があることです。オオカミはキツネを「友だち」だと思って呼びとめ、一緒にトランプをしています。しかし、キツネは「お客」に呼び止められたと思いトランプをしていたのです。しかも、オオカミは「友だち」として誘ったというわりには、「相手をしろ。」と命令口調で、相手の気持ちを考えていないように感じます。そんなオオカミが「それが本当の友だちか。」と言うのです。(しかし、それがオオカミのキャラクター性だとも考えられますが。)

また、この物語の一番の見せ場である、オオカミがキツネに「本当の友だち」を諭す場面では、キツネの心情は2つ、挙げられると思います。

まず、先ほど述べたように、オオカミはキツネにとっては「お客」という認識です。「お客」から「友だちから金をとるのか」と言われても、「そんなこと今さら言われても・・・。」という戸惑いがあってもよいのではとも思います。

次に考えられるのは、キツネがオオカミとトランプをする場面(絵)で、そこそこ「楽しんでいる」キツネが描かれています。ここに注目すると、最初はオオカミのことがお客とはいえ怖かったとしても、だんだんリラックスして「遊ぶ」という対等な関係になっていったのではないでしょうか。そして、キツネは「申し訳なさそうに」お代を請求したのです。この時のキツネは「こんなに楽しかったのにお金なんてもらってもよかったのかなぁ」という葛藤もあったと思います。そんな時にあのダイナミックなオオカミの顔で「お代だって!お、おまえは友だちから金を取るのか。それが本当の友だちか。おれは友だち屋なんか呼んだんじゃないぞ。」と諭されてしまいます。そうすると、自分の葛藤していたことが見透かされていたかのように驚き、「やはり、自分のやったことは間違っていたんだ。」と、キツネは思ったのではないでしょうか。

「今さらそんなこと言われても・・・。」というキツネの気持ちと、「自分のやったことは間違っていたんだ。」という気持ち、間逆の心情が読みとれてしまいました。

しかしその後は、キツネは「それじゃあ、明日もきていいの?」とオオカミに尋ねます。するとオオカミは「あさってもな、キツネ。」と言葉を交わします。この段階では、相思相愛のようにお互いが「本当の友だち」だと認識したようです。

では、どのあたりからキツネはオオカミを「本当の友だち」と認識したのでしょうか。

それは、オオカミの「おれは友だち屋なんか呼んだんじゃないぞ。」という言葉を聞いてからだと思います。「最初から、おまえのこと本当の友だちとして呼んでいたんだ。」というオオカミの「友だちとしての認識」に触れたキツネは「相手から必要とされること、友だちだと思われること」を通して「本当の友だち」ということを知ったのだと思います。

その後のキツネとオオカミは、「子供らしく」、大切なものを譲渡することで「信頼感」と「好意」を表わしています。

そして、最後にキツネは「えー、友だちはいりませんか。さびしい人はいませんか。何時間でもただ。毎日でもただです。」とスキップをしながら、新たな「本当の友だち」を求めて帰ります。ただし、キツネにとって「本当の友だち」とはお金のやり取りが発生しないこと、「さびしい人」であること、に限るように感じてしまいます。そう考えると、この最後のセリフだけは道徳の教材としてそぐわないように思ってしまいます。

 

2 子供達の反応


授業の発問から、子ども達はこの「友だち屋」をどう捉えたのかを考察します。

●イチゴを飲み込みながら、キツネはどんな気持ちだったのでしょうか。

⇒「クマ」の気持ちを考えてキツネは我慢していると発言した児童が大半であった。しかし、キツネは自分の嫌いなものを食べているわけだから、まずい、苦しい、と答えた児童もいた。

●オオカミに「それが本当の友だちか。」と言われて、キツネはどんな気持ちになったのでしょうか。

⇒「どうしてお金を取っちゃいけないの?」や「でも、商売だからな・・・」という戸惑いの気持ちと、「友だちからお金は取っちゃいけないんだ」など、オオカミの言葉により、改心したと考えた児童の、二極化であった。

●キツネはどんな気持ちでスキップをしながら帰って行ったのでしょうか。


⇒「友だちができた」という、嬉しい気持ちであると考えた児童がほとんどであった。

 

3 「友情」としての教育的価値の検証(ストーリー、発問、児童の発言)

●ストーリー

・オオカミが「本当の友だち」とは「お金」でやり取りできるものではなく、「気持ち」なんだ、と諭している場面。

・クマに無理やり合わせて、お金をもらっても「自分にとってよはくないこと」とキツネが実感する場面。

・そして、「本当の友だち」を得たあとのすがすがしい気持ちになり「もっと友だちをつくろう」という前向きな気持ちになるところ。

●発問

今回は指導書や先例の学習指導案を基に発問を選択した形となりました。

主発問である「オオカミに『それが本当の友だちか。』と言われて、キツネはどんな気持ちになったのでしょうか。」では、児童に物語の内容、キツネに共感させることで「本当の友だち」という概念的なことを問いかけ、思考させました。

また、キツネの気持ちで思考していたことを、「自分の生活をふり返る」学習活動で「自分にとってはどんな友達が本当の友だちか。」と視点を変えて考えさせました。そのことで、より実践的に「本当の友達」(本時のねらい)について思考することができたと考えます。

●児童の発言

ワークシートから考察すると、多くの児童が「自分が考える本当の友だち」を述べることができました。つまり、ねらいに対する学習活動がなされていたことにもなると考えられます。発問事項は「友達がいてよかったなと思ったことはどんなことだろう。」、「自分にとって本当の友だちとはどんな友だちだろう。」の2つです。

また、実際に自分の考えを「書く」という活動から、児童のパーソナリティーも見えてくることがわかりました。このことは、児童理解や学級経営でも生かせることであり、教師との一種のコミュニケーションでもあると考えます。

余談ですが、道徳の時間において、自分で考えること、それを表現すること、相手の言葉や気持ちを聴くこと、自分の考えや気持ちを伝えること、自分自身についてふり返ることなどの学習活動は大切にしたいです。このように自分・他者との「ふれあい」から様々な「価値観」を身につけることができると思うからです。

(もっぺ)


7 月
13

「それでも教師になりたい」

Posted by a6hootazemi in もっぺ, メルヒェン

昨日は教員採用試験、お疲れ様でした(*^^)

ひとつ、試練を乗り越えて一安心しているのではないでしょうか。

私も先週の金曜日にひとつの試練である研究授業を無事終わらせることができました。

教材研究では、前回の反省や課題をクリアしなければ、という思いや、子供達の実態に合わせた授業づくりをしなければ、とかかなり息んで授業づくりをしてしまいした。また、授業をするのが3週間ぶりになってしまうため、子供の実態や連続実習で培った授業の技術が鈍ってしまっているのではないかとか、あらゆる不安を抱えてその日を迎えました。(たった一回の授業にずいぶんネガガティブです…)

でも、実際に授業をやってみると、やっぱり「面白い」のです。子供の反応、発言、思考が。私が考えている以上の想像力で資料となる「友だち屋」を読み解き、感じ取るのです。

そのような感覚を味わってしまうとやはり授業準備段階での不安や苦労は吹っ飛びますね。教育実習中に、同じようなことを感じた人も少なくないのではないでしょうか。だから、授業準備や教材研究で多少の辛い思いをしても「それでも教師になりたい」と感じてしまうのです。

今回の研究授業ではまた、新たな課題や学んだことがありました。反省を次の研究授業に活かしてがんばっていきます。

前回のブログでも言っていた通り、研究授業での授業報告をしようと思います。ワードで打ち込んだテキストをそのまま貼り付けるので、見難いかもしれません。すいません。

第3学年道徳学習指導案

平成21年7月10日(金)第5校時

小学校 第3学年1組 計31名

 


 

 1 主題名    友だちいくら?本当の友だちとは 2-(3)

2 資料名  「友だち屋」(文溪堂)

3 本時の指導

(1)ねらい

「本当の友達」について考え、友達と互いに理解し、信頼し合おうとする態度を養う。


 

 

学習活動

指導上の留意点(*) 指導工夫(☆)

導 入

1 自分の友達はどんな友達か発表する。(5分)

○みんなの友達はどんな友達ですか。

・優しくしてくれる友達   ・困った時に助けてくれる友達

・一緒に遊んでくれる友達  ・おしゃべりができる友達

*ねらいとする価値への方向付けをする。

展                           開

2 「友だち屋」を読んで話し合う。(25分)

○イチゴを飲み込みながら、キツネはどんな気持ちだったの

でしょうか。

・イチゴはまずい   ・嫌だな   ・本当は食べたくない

・早くお金が欲しい  ・楽しくない

 

◎オオカミに「それが本当の友だちか。」と言われて、キツネはどんな気持ちになったのでしょうか。

・びっくりした

・本当の友達はお金をとってはいけないことに気がついた

・ごめんなさい。僕は間違ったことをしていたよ

・本当の友達ならお金はいらない

・あれ、お金をもらっていいのかな

 

 

○キツネはどんな気持ちでスキップをしながら帰って行ったのでしょうか。

・大切な宝物をもらって嬉しいな

・オオカミと本当の友達になれてよかったな

・明日も一緒に遊べて嬉しいな

・もっとたくさん本当の友達をつくろう

 

☆資料の絵本版を読み聞かせる。

*「友だち屋」として無理にイチゴを食べているキツネの気持ちを感じとらせる。

 

 

☆自分の考えを持たせるために、書く活動を取り入れ、多様な考えを引き出す。(ワークシート)

*オオカミの「友だちから金を取るのか」、「それが本当の友だちか」、「友だち屋なんか呼んだんじゃないぞ」の言葉を十分に考えさせる。

*机間指導をして、児童に発表をする自信をつけさせる。

*本当の友達の意味を知り、オオカミと本当の友達になれたキツネの嬉しい気持ちを押さえる。

3 今までの自分の生活をふり返り、発表をする。(10分)

○今までいろんな友達とかかわってきて「友達がいてよかったな」と思ったことはどんなことでしょう。

・一緒にいつも遊んでくれること

・けがをして、一緒に保健室に行ってくれて嬉しかったこと

・悲しい気持ちの時に励ましてくれたこと

・できないことがあって困っている時に教えてくれたこと

○自分にとって「本当の友だち」とはどんな友達でしょうか。

・優しくしてくれる友達  ・ケンカのできる友達

・思いやりのある友達   ・いっぱい遊べる友達

☆ワークシートに記入することで自身の経験を想起させ、まとめさせる。

*心から友情を感じた経験を想起しながら、「本当の友達」についての自分なりの考えを深める。

 

*机間指導で個別に対応し、多様な意見を引き出す。

終末

4 教師の説話を聞く。(5分)

*「本当の友達」に出会えた経験を話す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(3)評価

●「本当の友達」について考えを深めることができたか。

●友達と互いに理解し、信頼し合おうとする態度を養うことができたか。


 

…このような指導案で研究授業をしました。事後研究では、「友だち屋」の資料解釈・子供の反応について・教育的価値の検証をしました。この報告はまたアップしたいと思います。 
(もっぺ)


7 月
7

本当の友だち

Posted by a6hootazemi in もっぺ

いよいよ、今週の日曜日ですね!!

図書館に行くと、厚い参考書と問題集と真剣に戦っているみんなの姿を見かけます。

まゆみさんやおっくんが言うように、「同志の仲間」っていいいですね。私は直接、みなさんと同じような境遇ではないのですが、自分の気持ちも引き締めてくれるようなパワーを感じています。

「みんながあれだけ、一生懸命にやるべきことをこなしているのだから、自分も今できること、やるべきことをしなければ!!」という気持ちでいっぱいになります。私の今いちばんに頑張ることは、今週の金曜日に行う研究授業です。

私たちは毎月一回は必ず研究授業をやります。今月は…今月も(?)道徳の時間の授業をやる予定です。昨日やっと指導案等が完成したのですが(毎回思うのですが)、「これでいいのだろうか…」という不安な気持ちは消えませんね。でも、やるしかない、と開き直って頑張ります。

さて、今回の資料となるものは「友だち屋」(内田麟太郎 作 降矢なな 絵 偕成社)という物語です。

何気なく、えべさんに紹介された絵本だったのですが、文渓堂から道徳の副読本として使用されているのを見つけ、内容の「よさ」から、この資料に決めました。

ストーリー展開は、「友だち屋」を始めたキツネは、まずクマに声をかけられますが、無理をして食べられないイチゴを一緒に食べ、「友だち」になりることでお金を稼ぎます。しかしまったく楽しくありません。その次にオオカミによばれたキツネは一緒にトランプをして遊びます、最初はびくびくしていたキツネですが、だんだんと表情が和らいできます。申し訳なさそうに代金を請求すると、オオカミが「友だちから金を取るのか。それが本当の友だちか。-最初から『友だち屋』なんてよんでいないぞ。」と言われてしまいます。オオカミは最初から「おい、キツネ。」と友だちとして呼んだのでした。その後キツネは「本当の友だち」の意味に気が付き、オオカミにも宝物をもらい、明日も遊ぶ約束をします。キツネはこれからもずっとオオカミと友だちでいられることを確認し、うれしい気持ちで帰っていきます。

…というようなお話です。主題は「友情」です。本当の友だちの意味を考え、お互いに理解し、信頼しあう友情のよさを感じてもらいたいです。…しかし、三年生の彼らはこの資料をどう感じ、私の授業から果たして何を考えるのか…また不安になってきました。この授業の指導案等の報告もできたらブログでしたいと思います。

私自身、「本当の友達」について考えてみました。すぐに頭に浮かぶのは、冒頭で書いたようなことです。

「同志の仲間」です。お互いのことを理解(認めて)していて、信頼できる相手です。それが本当の友達だと思います。

教員採用試験を一般とは異なる形で、私は受験しますが、この時期は一層に、みんなとの受験形態の「違い」ということを思い知らされます。正直にいうとよく羨ましがられますが、教師になるためにやるべきことはたくさんあり、その内容はみんな一緒だと思います。しかし、ただその方法が「違う」ということです。このことを、私の「友だち達」はよくわかってくれています。「方法は違うけど、一緒に努力して教師になろうね。」と言ってくれたこともります。嬉しかったです。それまで、どう思われているか不安でした。

でも、このような「言葉」をもらったので、みんなに負けないくらい「自分にしかできないこと」をやって、「よい教師」になろうと決め、これからの実習や講義、課題レポート等を頑張ろうと思いました。切磋琢磨の関係ができた「友情」です。

このような関係が私にとっての「同志の仲間」であり「本当の友達」です。

長々と持論を書きましたが、みなさんもこのような状況だからこそ、「友情」を感じたことが多いのではないでしょうか。

12日は、みんなが全力を尽くせますように!!

(もっぺ)


7 月
2

RE:たいせつなことの解釈

Posted by a6hootazemi in もっぺ, メルヒェン

わけいさん、ご意見をありがとうございます。

私の理解力がないのか、わけいさんの解釈をきちんと汲み取れたかは自信がありませんが、共感した所がいくつかありました。

まず、あの絵本に綴られていた「~にとってたいせつなのは」の部分についてです。
私も読めば読むほど、挙げられている「もの自身にとって」ではなく、「他者(利用者や受容者)にとって」の"たいせつなこと"が書かれているように思います。
そう解釈し、最後のページを読むと、やはり「あなたにとって」と書かれていますが、第三者の言葉掛け、あるいは想いが現れているのではないかと思います。
「あかちゃんだったあなたは~」や「~になるのでしょう」という表現は「あなた=自分」ではなく第三者の観点であり、期待が込められています。
わけいさんが言うように「母親」の言葉と考えるとしっくりきます。
しかも絵本の役割という点で考えても、絵本は大人が子供に読み聞かせをするので、母親やそれに近い大人が子供に伝える内容としても適切です。

しかし、私の疑問点としては、
「私にとっては、あなたの価値は、何ができるとか、そんなことではなく、あなた自身がたいせつなの」
とわけいさんは言っていますが、この文章の場合、主語は完全に母親(仮)です。しかし、私は「あなたがあなたであること」の主語はやはり「あなた=自分」で、自分自身をたいせつにし、思うことを表現した言葉だと思います。
では、第三者の母親(仮)はどこへいってしまったのか。
母親(仮)は、最初からメッセンジャーだったのではないかと思います。いわば、「コオロギ」から「くつ」までを「あなた=自分=我が子」にとって、つまり「他者」にとっての「たいせつなこと」とし、教えてあげた。そして最後のページで「あなたがあなたであることが、あなたにとってたいせつなのよ。」と伝えた。
また、
しかし、「あなたにとって」をそのまま「あなたにとって、あなたがたいせつ」というのは、あまりに当たり前であるし、わざわざ言う意味がありません。それに、なぜ、いろいろなことをあじわったりすることを「でも」で否定する必要があるのか。
と、述べていますが「当たり前のこと」をあえて伝える、自覚させる良さがあると思います。ましてや、対象は子供です。何がよくて、何が悪いのかさえもわからないような子供達に「当たり前のこと」を伝えることは大切だと、私は思います。
また、「でも」の否定は「一番たいせつなこと」を伝えるための役割を持つのではないでしょうか。
かなりストーリー性を持たせましたが、私の考える解釈です。
しかし、原作を読んだり、さらに違う解釈を聞くと、簡単に翻る、私の解釈です。(^_^;)

原作の最終ページは果たしてどのような英文になっているのか興味深いです。

(もっぺ)


6 月
28

絵本「たいせつなこと」本文解釈研究

Posted by a6hootazemi in もっぺ, メルヒェン

皆さん、卒アルの購入希望回答は完了しましたか?期限は今日までですよッ(^^ゞ

まだの人は、よろしくお願いしますm(__)m

さてさて、そろそろ実習ネタは止めて、卒論のことを書こうと思います・・・(^^;)

6/18の発表では、教育実習での研究授業の報告をしました。私は道徳の時間の教材開発をし、自分なりに資料となる、絵本「たいせつなこと」を解釈し、学習指導要領に記載された内容から「ねらいとする価値」に照らし合わせ、授業づくりをしました。

しかし、教材開発をするということは教材(資料)を読み解き、そこにどんな教育的価値があるのかを見出して、様々な角度から価値や教材のよさを検討していかなければいけないのでは、と気がつきました。それは教材研究の一部でもあると思います。

そう考えると、私は教材を様々な角度から検討していくことや、教育的価値を軽く決定していたように思います。また、今回の研究授業を客観的に見ていただいた先生方からもそのことは指摘していただき、この教材からにじみ出る「たいせつなこと」の解釈が広がりました。

また、私はこの教材は絵本であって、文学作品として解釈の断定はすべきではないと思います。だからこそ、本文の中の言葉のひとつひとつも様々な「見解」があると前提で、自分の解釈をまとめようと思います。

そして、様々な「見解」から授業展開としての「教育的価値」をどのように見出すか。それは、学習指導要領の内容項目に沿って考案していくべきかなと考えました。ただ、こちらに沿ってこの教材の「教育的価値」及び学習活動を考えていくと、またちょっと違った「見解」が現れるのでは、となんとなく予測しています。でも、教員は学習指導要領にのっとった教育を展開していく義務があるので否めません。

前置きが長くなりましたが、研究授業の教材であった絵本「たいせつなこと」の本文解釈のまとめを記したいと思います。最後のページの「あなたにとって・・・」の場面をまとめます。


あなたは あなた 

あかちゃんだった あなたは からだと こころを ふくらませ

ちいさな いちにんまえに なりました

そして さらに あらゆることを あじわって おおきな おとこのひとや おんなのひとに なるのでしょう

でも あなたに とって

たいせつなのは あなたが あなたで あること  

「たいせつなこと」マーガレット・ワイズ・ブラウン 作  フレーベル館 より

 

①6/18発表時のみんなの解釈としては・・・

●各ページの「~にとってたいせつなのは・・・」の部分を、対象となって描かれているものの「よさ」と解釈していたが、それが当てはまるのは一部である。例えば「かぜ」にとっては「ふくこと」が「よさ」にはつながらない。

●「あなたが あなたで あること」とは、「あるがままの自分」という意味だと思う。だから、すべてひっくるめた「自分」が大切なのだと思う。

●「でも あなたにとって たいせつなのは・・・」の「でも」に注目し、「自分のよさをたいせつに」ではなく、まるごと自分であること(よい面も悪い面も)の大切さが表れているのでは。

 

②自分の解釈として・・・

(1)「たいせつなこと」=「価値のあること」という解釈

この絵本はアメリカ人の絵本作家によって作られました。よって、原作は英語です。私は、それを読んだことはないのですが、その題名に着目したいと思います。

タイトルは「The Important Book」です。"Important"とは訳すと「重要な・たいせつな・価値のある・評価の高い・重大な影響力をもつ」などの意味です。このように直接訳すと「たいせつな」以外にも微妙に言い回しが違います。

そこで、もう一度、本文を最初から読んでみると、どうも「~にとって たいせつなのは・・・」という言葉が意味しているものは「~にとって価値のあることは・・・」とも解釈できると考えました。

特に、「スプーン」は「それを つかうと じょうずに たべられる」ことがスプーンにとって「たいせつなこと」とあります。このページには大中小のスプーンが描かれていて、それぞれ用途に合ったスプーンが存在して、それを利用すると「じょうずに たべられる」という利点を表していると思いました。つまり、用途に合ったスプーンを使うことがスプーンにも、利用者にも「(利用)価値」のあることとなる、という解釈です。

また、「りんご」にとっては「たっぷりまるい」ことがたいせつだと書かれていますが、「たっぷりまるい」りんごは見た目も美味しそう、甘そうなどという「魅力」になる「価値」があります。また、それが売り物なら「商品的価値」があります。だから「たっぷりまるい」とは、りんごにとって「価値」になるのではないでしょうか。

では、「でも あなたに とって たいせつなのは あなたが あなたで あること」はどうでしょうか。

「でも あなたにとって 価値のあることは・・・」と換言して解釈をすると、「あなた」はこれから様々な経験をして、成長して、たくさんの「価値あるもの」に出会うけれど、あなたにとって「価値のあるもの」とは自分自身のことである、という解釈です。これには「自分という価値のある存在を大切にして欲しい」というメッセージ性もあるのかな、とも思いました。

(2)「あること」と「いること」の相違点からの解釈

本文は「あなたが あなたで あること」と書いてありますが、なぜ、「あなたが あなたで いること」ではないのでしょうか。

「いること」と表現すると「何があっても自分は自分で、変わらないこと」という「たいせつさ」を感じます。しかも、「自分に対して、いつまでも普遍性を持ち合わせなければならない」というように、どこか強制的な印象も与えかねません。また、能動的な「動」の意思のようなものも感じます。

しかし、「あること」と表現すると「自分」というのはもうすでに存在していて、周りや自分自身が変わっても、変わらなくても、結局は「自分は自分でしかない」という感じです。それは、「だからこそ、ありのままの自分を大切にすること」という印象も与えます。また、受動的な「静」の意思(?)のようなものを感じます。

このように考えると、「でも あなたに とって たいせつなのは あなたが あなたで あること」という解釈は、「自分は自分でしかないのだから、周りや自分が変わろうとも、それも自分」ということが「たいせつ」だという解釈になります。

(3)学習指導要領にのっとった解釈

新学習指導要領解説の道徳編(文部科学省2008東洋館出版社)では、この絵本は内容項目の指導観点1-(5)(「主として自分自身に関すること―自分の特徴に気付き、よい所を伸ばす。」)に該当すると考えます。「あなたが あなたで あること」は、解釈の際に自分自身のことを取り上げているからです。

新学習指導要領解説のP49~50の指導観点には、「個性の伸長のために自分のよさを伸ばす児童の育成を目指す」と書かれています。また、個性の伸長とは、「自分のよさを生かし、自分らしさを発揮して調和のとれた自己を形成していくこと」だといいます。「自分の特徴」とは他と比べて特に自分の目立つ点で、長所・短所の両方を含むのだそうです。そして、「自分の特徴に気が付く」とは、「自分のよいところや悪いところなどに気付くこと」とされ、「伸ばす」ためには「友達との交流の中で認め合う場をつくったりして、よいところを伸ばそうとする意欲を引き出すことが求められる。」と書いてあります。

これら、新学習指導要領解説をふまえて、「あなたが あなたで あること」の「教育的価値」を考えると、「個性の伸長」をキーワードとして、「よい所も悪い所も、自分は自分なのだ」という意識を持つことが自分にとって「たいせつなこと」であると解釈できます。

余談ですが、「自分の特徴に気付き、よい所を伸ばす」という内容項目を達成するために、学習活動としては、「自分のよい所、悪い所に気付く」という主題のもと、級友との意見交流からそれを自覚する、というようなことができると思います。そして、「よい所を伸ばす」ための「意欲」を級友との交流から得られるような学習活動をする必要があります。

 

かなり長くなりましたが、以上が様々な「見解」からの、絵本「たいせつなこと」の私の解釈でした。

あ!ちなみに先日ブログに掲載した「アゲハチョウの幼虫くん」は先週の金曜日には、逃走していました・・・(゜o゜;)

せっかく会えると思っていたのに・・・どこかで無事にさなぎになり、蝶になっていることを願います(*^∪^*)

(もっぺ)


6 月
17

早く さなぎに なってね

Posted by a6hootazemi in もっぺ

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こんにちは。

この画像は実習先で子供たちが観察しているアゲハチョウの幼虫です。

実は私はこの手の虫、特に幼虫は苦手でした・・・。

子供の頃から疎遠でした・・・。

なので学校で目撃した時は衝撃でした(@_@;)
しかし、子供というのはすごいですね!!
女の子も「きゃー、ギャー」と叫ぶ割にはかなりこの幼虫さんをかわいがっていました。
名前をつけたり、話しかけたり・・・。
そんな子供たちに混ざっていつしか私も彼に話しかけられるようになっていました(*^_^*)
朝の挨拶、帰りの挨拶は私がいつも最初と最後でした。
なんだか4週間の間で「おともだち」が増えたような感覚です(笑)
小学校教員には欠かせない「虫と仲良くなる」こともなんだかできそうです。
でも、このアゲハチョウの幼虫って、上手くできているんですね!生きていく、つまり外敵から身を守るために。
まず、色も自分が食べる葉(写真はみかんの葉)の色と全く同じだし、でかい顔(頭?)には大きな茶色い瞳!!
でも実際は裏側に素朴でかわいらしい顔があるんですよね・・・(*^_^*)
でっかいうんちもするし、らくだのようにモグモグと葉をたべたりもします!!
足は、吸盤のように丸くしっかりと枝にくっついています。
先週の金曜日に、じっと動かなくなってさなぎになる準備らしきことをしていたので、今週見に行くのが楽しみです♪
教室では、その他に、カイコの幼虫もいます。
カイコのたまごって冷蔵庫や低温のところにいうて「保存」できるんですって!!
つまりたまごが孵る温度が決まっている。
古くから人間に飼われてきたのでそのように進化していったらしいです。
生きものにふれあう実習もいいものですね(*^^)v
みなさんは実習中にどんな生きものとふれあいましたか?
(もっぺ)


6 月
14

「たいせつなこと」

Posted by a6hootazemi in もっぺ

こんにちは(*´∪`*)

私も今週で4週間の実習が終わりました。

私は「あぁ、終わった・・・」というのが正直な気持ちですね(*^_^*)

もちろんこの感想には色んな意味が含まれています。

4週間、私はだいたい240時間以上を実習校で過ごしいていた計算になりました。

昨日、養成塾の個別面談というものがあり、行ってきました。

その中で「実習をしてみてよかった点は1つ、どんなことでしたか。」と質問されました。

実習中は240時間以上分の学びがあるわけで、よかったこともあれば悪かった(嫌だった・辛かった)こともありました。でも全てひっくるめて自分の「身」となっていた確かな感覚はあったので、改まって「一番よかった点は?」と聞かれても困ってしまいました。

無難に「授業実践を通して納得のいく、またはねらいにせまれた授業の感覚を味わえたことです。」と答えておきました(^_^;)

実習を終えられたみなさんだったら何と答えますか?

 

実習のことは、色々書きたいのですが、今回は研究授業について主に書きたいと思います。

私の研究授業にはわけいさんもいらしていただいて、そして養成塾の指導教授、指導主事の方々もいらっしゃっていただきました。

教科は道徳の時間です。専門教科が特にないため、「卒論は道徳教育です・・・。」とボソッと担任の先生に言ったら、「じゃあ、道徳をお願いしてもいい?」と聞かれ、ふたつ返事で決定した、という決まり方でした。

よく考えると、担任の先生は本当に貴重なチャンスを与えてくださいました。

指導技術もないのに、教材開発をさせていただいたし、他学級での先行実践もさせていただきました。そして、今回の研究授業は全て卒論の貴重な資料となりました。(これから、無駄にならないよう、一生懸命研究・まとめをしますッ(*_*)!!!)

私が本時で資料としたものは、絵本でした。

「たいせつなこと」   マーガレット・ワイズ・ブラウン さく

レナード・ワイスガード え

うちだややこ やく (フレーベル館 2001

 

コオロギは くろい 

トンと とんで

ピョンと はねて

チリリリ ないて

なつの よるを

ひとしきり うたいあげる

でも コオロギにとって 

たいせつなのは 

くろい と いうこと

 

グラスに とって

たいせつなのは

むこうがわが

すけてみえること

 

スプーンは たべるときに つかうもの

てで にぎれて

くちの なかに あうんと おさまり

たいらじゃ なく くぼんでいて

ちいさな シャベルみたいに

いろいろな ものを すくいとる

でも スプーンに とって

たいせつなのは

それを つかうと

じょうずに たべられる 

と いうこと

 

ひなぎくは しろい


まんなかが きいろく

ながくて しろい はなびらには

はちが ちょこんと すわり

なんだか くすぐったい

かおり がして 

ひろい みどりの そうげんに

よりそい ささやきあっている

でも ひなぎくに とって

たいせつなのは

しろく あること

 

あめは うるおす

あめは そらから おちてきて

しとしと ざぱざぱ おとが して

いろんな ものを

 

つやつやに かがやかせ

どんな あじにも にてなくて

くうきと おんなじ いろを している

でも あめに とって

たいせつなのは

みずみずしく うるおす と いうこと

 

くさは みどり

くさは おおきく のびて

あまく あおい においで

やさしく つつみこんでくれる

でも くさに とって

たいせつなのは

かがやく みどり であること

 

ゆきは しろい 

ゆきは つめたく かるく

ふんわり そらから おりてきて

まぶしく

ちいさな ほしや すいしょうの ように

きらめいている

ゆきは つんと つめたい

ゆきは そっと とけていく

でも ゆきに とって

たいせつなのは 

いつも かわらず しろい 

と いうこと

 

りんごは まるい

りんごは あかい

したくの できた りんごは

きから ぽたんと おちてくる

かじると なかは しろく

あまずっぱい つゆが

ほおに はじける

そして りんごの あじが

くちいっぱいに ひろがる

でも りんごにとって

たいせつなのは

たっぷり まるい

と いうこと

かぜは ふく

かぜは めに

みえないけれど

ほおで かんじることが

できて

こずえを ゆらし

ぼうしを ふきとばして

ふねを はこんでゆく

でも かぜに とって

たいせつなのは 

ふく と いうこと

 

そらは いつも そこに ある

まぎれもなく あおくて

たかくて くうきに みちている

そして ときおり

くもが とおりすぎていく

でも そらに とって

たいせつなのは

いつも そこに ある

と いうこと

 

くつは あしを つつむもの

あるくときに はいた くつは

よるには ぬいでしまい

ぬいだ くつには

ほんのり ぬくもりが のこっている

でも くつに とって

たいせつなのは 

あしを つつんでくれる と いうこと

 

あなたは あなた

あかちゃんだった あなたは

からだと こころを ふくらませ

ちいさな いちにんまえに なりました

そして さらに

あらゆることを あじわって

おおきな おとこのひとや おんなのひとに

なるのでしょう

でも あなたに とって

たいせつなのは

あなたが あなたで あること

 

・・・という内容です。

皆さんはこの資料を読んでどんな感想を持ちましたか?

どのような道徳的価値があると思いましたか?

最後の「あなたが あなたで あること」をどう解釈しますか?

私は実際にやってみて、授業の内容や教材研究に関しては万全の状態で臨んだわけではなく、やはり自分の授業づくりに対する姿勢が、「浅いな、甘いな・・・」と露呈してしまった箇所が幾つもありました。(指導案等、詳しくはゼミで紹介ができたらと思います。)

なので、これからしばらくはこの「たいせつなこと」の教材研究(主に教材解釈)、授業内容の検討などを研究していきたいと思います。

 

そして、研究授業に関してはもう一つ、感動(?)、嬉しかった(?)ことがありました。

私の実習学級は、ベテランの素晴らしい指導力をお持ちの先生が任されるような学級です。

つまり、独特の課題を抱えた子が少なくないような学級です。また、3年生ということもあり、クラス替え直後の時はなんだか「すごい雰囲気」でした。(具体的に言えないのですが、なんとなく想像してください。)

そのような学級が、担任の先生の見事な指導力でまとまりを見せ、授業力もなく、なんだかよくわからないような実習生(私)の授業さえもきちんと受けられる学級になったのです。しかも、きちんと自分の考えを発表できる、真剣に考えることができる子供達が確かにそこにいました。

このことは、子供達とずっと一緒に過ごしている担任の先生や私には気がつかなかったことなのですが、私の研究授業後に私は改めて気づかされました。

それは、研究授業を見てくださっていた校長先生が涙ぐまれたのです。そして担任の先生に向かってこう言いました。

「立派な学級をつくって下さいました。どうもありがとうございます。」

私は、そのような光景を初めて見ました。(めったにないことですよね(゜o゜))

校長先生が担任の先生に感謝の意を表したことに私は驚きましたが、それ以上に、担任の先生の指導力や学級経営力のすごさを改めて実感した時でした。また、子供達の発言から飛びだす「可能性」、「懸命な気持ち」がはっきりと伝わってきました。

このような素晴らしい学級経営力をお持ちの指導教諭の下、可能性に満ちた学級で実習をできたことを嬉しく、幸せだと感じました。

・・・昨日の面談でこのことを挙げればよかったです(-_-;)

長くなりましたが、私の研究授業での出来事でした。

 (もっぺ)


5 月
31

「自然」と「学習かんそう」

Posted by a6hootazemi in もっぺ


実習生活も2週間が過ぎました。

授業実践も回数を重ね、大忙しの一週間でした(^^)

私は放課後に、指導教員との反省会や打ちあわせなどをして、実習ノートを書き上げ、明日の授業準備をして8時までには退勤するように心がけています。

みなさんもそうだと思いますが、放課後って時間が経つのが本当に早いですよね!?「もう6時!」・・・「もう7時!!?」みたいな・・・(o゜;)

おおゃさんは指導教員以外のお仕事も手伝っているのですね!?すごいです(o)

でも、頼まれると断れませんよね・・・・。(>_<)お疲れ様です。

そして家に帰ると疲れ果てて、夕飯も面倒くさくなっていることがよくあります(いけませんね!)その後はぐっすりと眠ります(-_-)zzz

 

今週は「子供達と自然」、「学習かんそう」について書きたいと思います。

 

私の実習校は東京23区でも珍しく校庭にも畑がある地域です(^^

生活科・理科・社会科・総合で、この畑は大活躍します。私の学年はキャベツを育てています。校庭の「学年園」というスペースとご近所の畑をお借りして栽培中です。理科・総合ではキャベツの観察やキャベツの情報集め、新聞作りなどの学習活動を行っています。作物など育てたことのない私にとっては毎時、子供達と同じようにキャベツの成長に驚き、また、知識を得ています。

そして、校庭内や学校の周りにはたくさんの樹が立っています。

植物にたくさん触れ合うことを目的としている3年生は、たびたび樹の観察やスケッチなどをおこなっています。私も一緒に観察に出かけるのですが、子ども達はとってもよく樹の名前を知っているのです!!!驚きました!!私が3年生だった頃にはこんなに植物に興味を持って観察やスケッチをしていたかな(*_*)!?と思ってしまうほどです。毎回、感心しています。

私はどちらかというとビルで囲まれた場所で育ったので畑や樹木、草花について何の知識もありません。しかし、この学校のような自然に囲まれた中での体験や知識の習得は知的好奇心を揺さぶられる学習活動を生むと思いました。

例えば「キャベツは丸いけど、いつからどうやって丸くなるのだろう?」、「花はどうやって咲くのだろう?」、「あじさいはどうして枝があるのだろう?」などなど・・・観察しているだけでもたくさんの「?」が浮かんでくるようです。

最初は自然を教材にした学習活動は、自分に経験的知識がないから少し気が引けていましたが、今となっては、私も早く自然を使った学習指導をしてみたいな、と思うようにもなりました(^^)ちなみに5年生は稲を育てています。こちらもどのような学習展開になっていくのか楽しみです。

 

次に「学習かんそう」についてです。

えべさんも学習感想をもとに発問方法や学習活動をしていけば・・・ということを書いていましたが、子供達の「学習かんそう」は有意義に活かした方が良いと私も実感しています。

私の担当している算数ではノートの書き方が決まっています。色々あるのですが、最後に「学習かんそう」を書かせるようにしています。そこには「今日のべんきょうはすこしわかった。」や「今日のは少しかんたんだった。」など児童が学習を振り返るような言葉が短く書かれています。

先々週、わり算の学習をした時に「わり算はかけ算でも答えが求められるのだから、いつもかけ算でやればいいとわたしは思いました。」と自分の意見を書いてくれる児童がいました。また「今日はかけ算になおして答えをだしたけど、ぼくはひき算でもわり算の答えをもとめられると思います。」と自分の気づきを書いてくれる児童もいました。

早速、指導教諭に相談し、彼らへの疑問点解消やレスポンスについて考えました。

次の日、私は算数の導入で、「みんなに伝えたいことがある。」と切り出し、「昨日の学習感想に素晴らしいことや「なるほどね~」と先生が感じたことを書いてくれた人がいました。」と言いました。そして、2件の感想を読み、「1つ目は、自分の意見をしっかり書いてくれました。」と述べ、「2つ目の感想は自分で気がついたことをきちんと書いてくれました。」と述べました。まず、自分の考えや気づきを書いた、という点を賛美しました。

そして、「わり算はかけ算でも答えが求められるのだから、いつもかけ算でやればいいとわたしは思いました。」という感想について、5年生以上で学習する3桁÷1桁のわり算(414÷9)を例に出し、「こんなに大きな数を一気に9の段で探していたら時間がかかるよね?だから、わり算の筆算っていうものを使って、筆算のきまりに沿って計算していくんだよ。」というような解説をしました。このコメントが厳密に正しいのか、また3年生である彼らに伝わったのかは全く自信がありませんが・・・(>_<)

また、「今日はかけ算になおして答えをだしたけど、ぼくはひき算でもわり算の答えをもとめられると思います。」という感想については、実際に36÷9=4(36-9-9-9-9=0)という計算式で確認しました。

一連の解説が終了したら、もう1回、「学習かんそうにこれからは、自分の意見や先生はこうやって計算したけれど、自分はこうやっても解けると思う、などの気づきがあってもいいですよね。」とまとめた。

それ以降の「学習かんそう」には以前よりも全体的に文章の量が増え、「○○というところがわからなかった。」や「水かさをあらわす単位にはリットルなんて多いものもあるのだとわかった。」など具体的にも書いてくれるようになりました。

そして、なんとも嬉しかったのは「水のかさがふえたりへったりするのには、たし算やひき算をつかうことができるのだとわかった。」など本時のねらいに沿ったコメントを書いている児童がいたことです(*^∪^*)

その後の学習活動の資料にもなるだけでなく、児童の習得状況や自分の指導力が把握できるのが「学習かんそう」なのだと感じました。

来週は、おとなりの学級で道徳の時間の授業を実践させていただきます。この実践が授業研究の参考になれば、とも思います。すごく、すごく緊張しますが、頑張ります(*_*)!!

あと、今週行った初道徳の授業については面白い学習結果になったので卒論に活かしたいと思います!

(もっぺ)


 


5 月
24

わり算パラダイス

Posted by a6hootazemi in もっぺ

小学校での実習もやっと一週間が終わりました。
やはり、教師というのは毎日忙しいですね(^^;)
私は今まで週に1度行かせていただいていた学校での教育実習です。
そして、私の指導教員の先生は色々なことに挑戦させる、というご指導なので、挑戦の日々でした。
まず、月曜日から一日1時間の算数の授業を担当させていただいています。私の学級は3年生なので「わり算」の単元でした。等分徐と包含徐との戦いでした・・・(笑)
5回の授業のうち、「まあ、この時間は児童たちにもねらいが伝えることができたなぁ」と思う授業は2回だけでした(‐‐;)自分の教材研究の浅さ、技量のなさに自己嫌悪に陥りながらも、「明日につなげよう」という思いで鼓舞させて1週間やりぬきました。
1週間の授業実践で学んだことは、(うちの学級の場合)理論をそのまま言葉で教えても全く吸収してくれないので、その理論や理由を体験的な活動によって理解してもらうことが大切なんだと気がつきました。いわゆる「算数的活動」です。
例えば、一番くいついきがよかったのは「0や1のわり算」で、工作したあめ玉を実際に4人の児童に1つずつくばったら一人当たりはいくつもらえるか?その式はどうなるか?や、0このあめ玉を4人に配ったら一人当たりいくつもらえるか?それには式があり、表せることができる、などの等分徐の理論でした。
実物や模型を教具にする学習活動や、実際に児童がアクションをする学習活動などは児童の集中力も途切れず、積極的に授業に参加してくれました。
しかし、留意点は実物などを用いると、そっちにばかり関心がいってしまい教師のまとめやポイントを聞いていない児童が出てくる、という点です。メリハリをつけて声の調子やトーンを変えて児童をひきつけるようなしゃべり方をしたいです。

1週間を過ごし、教師の仕事の流れや会議等の内容もわかってきたので、来週からは自ら進んで動けるところは動いていきたいと思います。
また、来週は実践実習としては朝の会・帰りの会の運営、一日一時間の授業、卒論テーマでもある「道徳の時間」の授業を担当させていただきます。
来週も頑張りますッ(*´∀`*)ノ〃
また、皆さんに連絡したいことがあります。
来週から3回、「道徳の時間」を授業するのですが、何か良い資料やお勧めの資料があったらぜひ教えてください!!
3年生なので簡単に読めて、ねらいとする価値がわかりやすいものが良いかと思います。


5 月
10

児童の実態に合わせるということ

Posted by a6hootazemi in もっぺ

今週の金曜日に人生初めての授業を行いました。

(おおやさん、のりちゃん、木曜日は付き合ってくれてどうもありがとう!!)

朝からずっとドキドキ!!緊張しっぱなしでした。。(;д;)

私は三年生の国語科、「漢字の音と訓」という単元をやりました。

漢字には「音」と「訓」の読み方があることを知ること、その特徴を考えること、同音読みと同訓読みの漢字を調べて、短文をつくること、をねらいとして授業を展開しました。

この単元は2時間扱いなので、今週の金曜日はその第1時間目をやりました。なので範囲は「音」と「訓」の漢字があることを知ること・その特徴をかんがえること、という学習です。

今回の授業実践は大収穫でした。反省点は山ほどありますが、それ以上に「やってみなければ、わからないこと」というのが本当にたくさんあるのだな、と感じました。

大きなことから小さなことまでそれは様々にあったのですが、一番の収穫は「児童の実態にあわせる」ということです。

授業展開の台本的なものになる学習指導案を作成している時は、指導書や教科書、授業づくりの類の参考書などをすがる様な思いで読み込んでいました。

そして、授業展開は当然、指導書のコピーのようになりました。

しかし、実際には・・・

こちらが意としていたことは伝わらず、時間ばかりが過ぎ、児童の集中力も切れ、児童たちが離れていく感じがするのがわかりました。

どうして、こうなったのか考えてみたら、それは授業内容が難しかったためではないかと思ったのです。指導してくださる先生(学級担任)にも「このクラスはレベルが高くないから、最低限のことを教えるのがいいかもしれない。字も未だにきちんとかけない子もいるし、先生のお話もきちんときけない子もいる。」という言葉をいただきました。

だから指導書のコピーのような授業が通用しなかったのか!と納得してしまいました。つまり、児童の実態(レベル)に合っていない授業をしてしまったのです。

ワークシートを使い、漢字(短文)の読みを書き、さらにそれを教科書を使って「音」、「訓」の読み方に分けるという活動が一番混乱していました。

ワークシートを使って漢字を読んだり書いたりすることはこちらが思っていた以上に児童たちには難しく、わかりづらい活動だったようです。

細かく言えば、ワークシートに記入する欄が小さすぎることや、漢字の読みさえわからないこと、教科書でどうやって「音」、「訓」を調べればよいのかわからないということ・・・

ワークシートでの学習の改善点はたくさんありました・・・。

しかし、私は今回の失敗や反省点を「大収穫」という風に思えるのです。

実際に授業をしてみて、児童たちのことがよく見えてきたし、通用しなかった理由や反省点もわかったからです。本当に「やってみなければ」ということです。

そして、私の意味のわからない発問に懸命に答えようとしてくれた児童たちの頑張り!感謝です(´∪`;)

今回の経験が次回の第2時間目の授業実践につながるように、指導案づくりをしたいと思います。

次こそは、児童の実態に少しでも近づけるような教材、教具を用意して、精一杯の授業を創っていきたいです。

みなさんもそろそろ、実習が始まり、授業実習を行う頃ですね。

その感想やアドバイスがあったらぜひ教えてください(*^∀^*)

(もっぺ)


4 月
19

実習と「重力ピエロ」

Posted by a6hootazemi in もっぺ

「筆まめ」についてです。

以前、「教師は筆まめでなければならない」と先生から指摘されましたね。

実感しています。。。。(;д;)

ゼミの中にも、(教育)実習が始まっている人もいるかと思います。私も4月から小学校で実習をさせてもらっています。まだまだ学校に慣れていません。まさに「全身全霊!!」で実習日を過ごしています。

しかし、ただ一日小学校に行って全身全霊でその日を過ごすのではなく、実習ノートや授業観察のレポート、校長・副校長の講話等があればそのレポート・・・思っていた以上の提出物を書かなければならなかったのです(;о;)

課されたものはすぐにこなすという習慣をつけることも大切ですが、それ以上に自分が感じたこと、考えたことを文章化させる能力とでも言うのでしょうか、「文章力」も大切なんだと気がつきました。

私は、上手く文章化できないので提出物を書き上げるのに時間がかかってしまいます・・・。

私の実習は来年の1月まで続きます。

なので、日々の実習生活(?)の中で「筆まめ」が身につけば、と思っています。

こんなこと言ったら怒られそうですが、長い長い実習なので、自分なりのペースや生活リズムを作って、あまり無理し過ぎないように(バーンアウトしないように。^^;)、なんとか実習生活を全うできたら、と思います。

 

話は変わりますが、最近読み終えた本について言いたいと思います。

このブログでも話題が上がりましたが、伊坂幸太郎さんの「重力ピエロ」を読みました。

伊坂さんの作品は初めてです。手に取ったキッカケはもちろんブログでの紹介もあったのですが、この作品が映画化され、その主演の俳優さん(岡田将生クン)のファンだからです♪♪

ミステリーは読んだことがなく、「殺人」とか「執念」とか「ドロドロの人間関係」とか・・・そういったものを連想しがちで毛嫌いしていました。

また、この作品はミステリーと人間の憎悪と非道なエピソードと家族愛とでできていました。

でもこれが、読みやすかったぁぁ!!!映画化ということもあって出演者を役にあてはめて読んでいったら、とても臨場感たっぷりに読み終えることができました。

あと、じわりじわりと物語の展開が読めたり、逆に裏切られたり、専門的な用語や問題がでてきたり・・・この作品はとても楽しめました。もちろん、映画も期待大です。ガッツリ、4週間の教育実習中ですが、観に行きたいくらいです!!

あ!岡田将生クン・加瀬亮さん主演の「重力ピエロ」は5月23日ロードショーです(*^∪^*)

皆さんもぜひ!!

(もっぺ)


4 月
12

道徳性の発達と道徳教育2

Posted by a6hootazemi in もっぺ, メルヒェン

4月1日に行ったグループでの報告会で発表したレポートです。

今回もアメリカの心理学者、ローレンス・コールバーグ氏の「道徳性の発達と道徳教育」(広池学園出版部 ローレンス・コールバーグ著 岩佐信道訳)の「道徳性の発達段階」についてまとめました。

♢♦ローレンス・コールバーグ『道徳性の発達と道徳教育』について②♦♢

 

研究:「ハインツのジレンマ」について

a.「ハインツの葛藤場面」

「ヨーロッパで、1人の女性が非常に重い病気、それも特殊なガンにかかり、今にも死にそうでした。彼女の命が助かるかもしれないと医者が考えている薬が一つだけありました。それは、同じ町の薬屋が最近発見したある種の放射線物質でした。その薬は作るのに大変なお金がかかりました。しかし薬屋は製造に要した費用の十倍の値段をつけていました。彼は単価二百ドルの薬を二千ドルで売っていたのです。病人の夫のハインツは、お金を借りるためにあらゆる知人を訪ねて回りましたが、全部で半額の千ドルしか集めることができませんでした。ハインツは薬屋に、自分の妻が死にそうだとわけを話し、値段を安くしてくれるか、それとも、支払い延期を認めて欲しいと頼みました。しかし、薬屋は「だめだね。この薬は私が発見したんだ。私はこれで金儲けをするんだ」と言うのでした。そのため、ハインツは絶望し、妻のために薬を盗もうとその薬屋に押し入りました。」

(著書「道徳性の発達と道徳教育」付録5P181~より抜粋)

 

.ネット:「道徳性の発達にかんするコールバーグの理論」より

 たとえば食べ物の好みは人によってみな違うだろう。《酒呑み》にはケーキより塩辛のほうが価値が上だろうが、《甘党》では関係が逆転する。つまり何を価値あるものとするかは個人によって(あるいは社会や文化によって)違ってくる。価値は相対的なものにすぎない。そしておなじことが道徳的価値にも当てはまるとすれば、(ちょうど塩辛のほうがケーキより《絶対に》旨いとみんなに無理強いすることができないように)特定の道徳律を普遍的で絶対的なものとして子どもに教え込むことはできないことになる。

道徳的判断に個人差が出るのは、人ごとに道徳的価値がちがうからではなく、道徳的判断をおこなう能力の発達や成熟の度合いが各人で違うからである。こうしてコールバーグによれば、道徳的判断とその発達の段階は個人や文化のちがいを越えて絶対的で普遍的なものであって、かれはそれを(質問法による調査をとおして集めた)膨大なデータによって経験的・心理学的に裏づけて見せるのである。ただし道徳といっても、コールバーグが取り上げるのは「道徳的な判断」だけであり、とくにかれが道徳の核であるとみなす「正義」の観念についてである。かれによれば正義とは公正さのこと、つまり理想的な対人的相互性の構造のことであって、発達段階が上にゆくほどその相互性がより普遍性の高いものになってゆく。(ようするに道徳的な正義の発達とは、自分の個別的で特殊な立場や観点をはなれて、より一般性の高い立場や観点からものごとが見えるようになること、つまりさまざまな立場や観点を同時に考慮に入れて、万遍なく「かたより」なしにものごとを判断できるようになることだ、とコールバーグは言うのである。)

その意味で道徳的判断の発達は論理的な段階なのであって、それゆえ各段階の順序が入れ替わることはないし、また他者がもつより高次の段階の道徳的判断にふれることによって、子どもの道徳的判断の発達を刺激し促進させることができるのだという。

http://www.edutech.tohoku-gakuin.ac.jp/ujiie/douotku11.htm より抜粋)

 

.道徳判断の6つの段階

「ハインツの葛藤場面」を用いて、10歳~40代の少年・青年・成人の被験者(年代別ではなく、何年もかけて同じ被験者に少年時代~成人に至るまで連動して行われた。)にいくつかの質問をし、ハインツはどのように問題解決をすべきか、またなぜそうしたのか、それはなぜ正しいといえるのかも尋ねる研究調査を行った。

この研究からは、生命の価値と法の価値のどちらを選ぶのかが問われる。妻の命の価値が法の遵守の価値よりも優先されるか、その反対なのか、ということだ。そして、研究結果を「道徳判断の6つの段階」にあてはめ、人間の生命の道徳的価値に関する考え方と関連させた。

「道徳判断の6つの段階」は、3つの水準と6つの段階に分かれる。

*水準Ⅰ:慣習以前レベル*

(第一段階「罰と服従志向」・第二段階「道具主義的相対主義志向」)

*水準Ⅱ:慣習的レベル*

(第三段階「対人関係の調和あるいは「よい子」志向」・第四段階「「法と秩序」志向」)

*水準Ⅲ:慣習以後の自律的、原理的レベル*

(第五段階「社会契約的遵法主義志向」・第六段階「普遍的な倫理的原理思考」)

 

.付録1「道徳性の段階の定義」(P171~)

*Ⅰ慣習以前のレベル*

「善い」「悪い」「正しい」「正しくない」の行為のもたらす物理的な結果や、快・不快の程度(罰、報酬、好意などのやりとり等)や、そのような規則や言葉を発する人物の力(物理的な)によって考える。

●第一段階―罰と服従志向

その行為がもたらす物理的結果(罰を受ける、報酬を得る、好意的に思われる等)によって、行為の善悪が決まる。つまり、罰と回避と力(権力)への絶対服従のみが価値があるという段階。

●第二段階―道具主義的相対主義者志向(互酬性)

正しい行為とは、自分自身の必要性と、時に他者の必要を満たすことに役立つ行為である。相互性は「あなたが私の背中を掻いてくれるから、私もあなたの背中を掻いてあげる」というのになる。忠誠心や感謝や正義の問題ではない。

 

*Ⅱ慣習レベル*

個人の属する家族、集団あるいは国の期待に添うこと、それだけで価値があると認識される。個人的な期待や社会の秩序に一致するという態度だけでなく、社会の秩序に対する忠誠と、その秩序を積極的に維持し、正当化し、かつその中に存在する個人や集団と一体になろうとする態度でもある。

●第三段階―対人関係の調和あるいは「よい子」志向

正しい(善い)行動とは、人を喜ばせ、人を助け、また人から承認(認めれれる)行動である。多数意見や自然だと思われる行動のステレオ的なイメージに従うことが多い。その行動はその時の動機によって判断される。その際「彼は善意でやっているから自分も動こう」というインスピレーションが重要になる。

「よい子」であることで承認をかちえる。

●第四段階―「法と秩序」の志向

権威、定められた規則(法や校則など)、社会秩序の維持等への志向。正しい行動とはこれらの維持や尊重すること、また自分の(社会的地位等に対する)義務を果たすことである。

 

*Ⅲ慣習以後の自律的、原理的レベル*

道徳的価値や道徳原理を、定義しようとする明確な努力がある。それは、集団の権威や道徳権利を唱えている人間の権利から区別し、個人が抱く集団との一体感からも区別すること。また妥当性と適用されるように規定しようとも努力する。

●第五段階―社会契約的遵法主義志向

正しい行為は個人の権利や、社会全体により批判されたり、吟味されたりした(合意された)規準によって決める傾向がある。個人の価値観や意見が相対的であることをはっきりと意識し、またそれに応じて、合意に至るための手続き上のルール(合意の過程となる規準)を強調する。

法の範囲外では、自由意志に基づく同意と契約が(人間の)義務に拘束力をあたえる要素である。

●第六段階―普遍的な倫理的原理志向

正しさは論理的な包括性、普遍性、一貫性に基づき、自ら選択したものが倫理的原理に一致した良心によって決断することで決められる。こうした原理は抽象的であり倫理的である。(黄金律、定言命法)それは十戒のような具体的な道徳の規則ではなく、人間の権利の相互性と平等性、人間の尊厳性の尊重(特に生命の)など「正義」の普遍的諸原理である。

 

.付録4「道徳行為を行う動機(出典―レスト1968年)」の発達段階(P178~)

●第一段階行為の動機は、罰の回避にあり、「良心」は罰に対する非理性的な恐怖心である。

●第二段階―行為の動機は、報酬・利益の願望。罪によって起こるかもしれない後悔などは無視され、罰は実用主義的に考えられる。

●第三段階―行為は現実の、あるいは想像による他人からの非難を動機にしておこなわれる。(非難は罰、恐れ、苦痛から分化している。)

●第四段階―行為の動機は予想される不名誉、すなわち義務を怠ることにたいする制度化された非難を予想することによって、そして他の人々にあたえた具体的な害悪にたいする罪の意識によって動機づけられる。

●第五段階―自分と対等な関係の人々やコミュニティからの尊敬を確保しようと心がける。そのため、自尊心を失うようなことは避けようとする。

●第六段階―自分自身の原理を破ることにたいする自責の念に関心をもつ。社会による尊敬と自尊心が分化している。そして一般的な合理性を達成しているがための自尊心と、道徳原理を維持しているがための自尊心とが分化している。

 (もっぺ)

 


3 月
24

愛国心

Posted by a6hootazemi in もっぺ

やりましたね~ヽ(^o^)丿
WBC!!!侍ジャパン優勝!!!!
やったぁぁぁ~~!!!

私は、昨日・今日とずっと家にいたので生中継で観戦していました。
ほんと言うと、野球のルールは全くわからないし、選手もイチローぐらいしか分かりませんでした(>_<;)
でも、昨日のアメリカ戦でのバッター陣の執念のヒットは涙がでそうになりました・・・ピッチャーのマー君の力投ぶりも何だか、感動的でした。
そして!!今日の涙ポロリ☆ポイントは、何と言ってもイチローの延長10回での2点タイムリーヒット!!!!!
1人で叫びながら泣いていましたヽ(;o;)丿笑。

無事優勝して、「本当に、侍ジャパンはすごい!!そして、日本人でよかったぁぁ!!!」と胸いっぱいに思いました。
そして、戦友韓国にも、「ありがとう。お疲れ様でした。」と、関係者でもなんでもないのに、思ってしまいました。笑。

日本という国と日本人であるということに「誇り」を感じた2日間でした。
そして、5戦もした韓国にもフェアにお礼が言えるような、尊重という堅苦しい感情ではありませんが、いい気持ちで見ることができます。

このことは、「愛国心」なのではないかと感じます。
教育基本法でも「愛国心」というニュアンスの文言は出てきますが、実際に学校現場で教師が児童生徒にどう伝えて、どう捉えればいいのか分かりませんでした。
でも、今回のWBCのように、「日本人でよかった。韓国もありがとう。」というある意味、スポーツ的フェアな感情は「愛国心」につながるような気がしました。
(もっぺ)


3 月
23

「道徳性の発達と道徳教育」

Posted by a6hootazemi in もっぺ, メルヒェン

2月25日に卒論ゼミ報告会で発表したものをアップします。

ワードで作成したものをコピーしたので、見にくい箇所があると思いますが、スイマセン・・・(>_<;)

太田卒論ゼミ 2/25報告会                         *岩瀬 知美*

♢♦ローレンス・コールバーグ『道徳性の発達と道徳教育』について♦♢

 

●ローレンス・コールバーグについて

●道徳性認知発達理論について

●研究「ハインツのジレンマ」について

●著書『道徳性の発達と道徳教育』第1章「普遍的道徳を求めて」の要約

●今後の研究予定

 

①ローレンス・コールバーグについて

Lawrence Kohlberg

1927年生まれ。1949年シカゴ大学卒業。1962年にハーバード大学教授(教育学・社会心理学)となる。1974年に同大学道徳教育センター所長に就任。

1987年に死去する。

ピアジェの『児童道徳判断の発達』(1965年)の考えに基づき、道徳性認知発達理論を提唱した。

 

②道徳性認知発達理論について

(人教演習Ⅱの最終レポートより)


道徳性の発達における重要なことは“社会的視点取得”であり、これは相手の立場に視点を持っていき、それを客観的に反映させる方法で他者の立場に立つというものである。そして、その社会的視点を子ども達に効果的に取得させることを教師は援助するべきだという。また、子ども達に、自分なりの“道徳判断理由づけ”を考えさせる活動もまた、道徳性の発達にとって大切だと考えた。

コールバーグは道徳的判断理由づけを発達させるため、教師と子どもの相互作用を強調した。また、哲学と心理学を結びつけ、道徳性が何を意味するか、道徳判断理由づけのよりよい適切な様式を人がいかにして発達させるかを説明した。この哲学的分析と心理学的分析研究の成果は、道徳性を発達させる方法について強力論的根拠と説明を教師に与えた。他の心理学者たちの「道徳判断」についての考えは、「認知(思考)と感情(情動)は並行して発達するもので、道徳判断は認知過程の自然な発達を表す」(ピアジェ)や、それとは対照的な見解では「道徳思考は、他のより基本的な社会的・心理的諸過程の関数」とされていた。また、フロイトらは「道徳性は基本的に、人生の初期に学んだ感情の結果であり、合理的な思考過程と関係がない」という仮定をもっていた。(「道徳性を発達させる授業のコツ」 P11 L11~)

コールバーグの「道徳判断」の捉え方は、異なる価値観に基づく対立的な見解に「板ばさみ状」である時に何をすべきか、どうすることが最善なのかを考慮する「葛藤=ジレン

マ」が含まれていると考えた。つまり、さまざまな判断基準の側面に出会い、「葛藤」し、「判断する」ということに真剣になる時、道徳的判断をしていて、「判断した」内容は「理由」になる。道徳的判断をすることは、認知的な過程であり、その過程で自分の価値観を見つめなおし、「価値の優先順位」を論理的に整えているのだ。また、それは日常生活でも起きていることで、道徳的な「葛藤」を解決するのに、用いる思考過程であるともコールバーグは述べている。

 

 

③研究「ハインツのジレンマ」について

a.「ハインツの葛藤場面」

「ヨーロッパで、1人の女性が非常に重い病気、それも特殊なガンにかかり、今にも死にそうでした。彼女の命が助かるかもしれないと医者が考えている薬が一つだけありました。それは、同じ町の薬屋が最近発見したある種の放射線物質でした。その薬は作るのに大変なお金がかかりました。しかし薬屋は製造に要した費用の十倍の値段をつけていました。彼は単価二百ドルの薬を二千ドルで売っていたのです。病人の夫のハインツは、お金を借りるためにあらゆる知人を訪ねて回りましたが、全部で半額の千ドルしか集めることができませんでした。ハインツは薬屋に、自分の妻が死にそうだとわけを話し、値段を安くしてくれるか、それとも、支払い延期を認めて欲しいと頼みました。しかし、薬屋は「だめだね。この薬は私が発見したんだ。私はこれで金儲けをするんだ」と言うのでした。そのため、ハインツは絶望し、妻のために薬を盗もうとその薬屋に押し入りました。」

(著書「道徳性の発達と道徳教育」付録5P181~より抜粋)

.道徳判断の6つの段階

「ハインツの葛藤場面」を用いて、10歳~40代の少年・青年・成人の被験者(年代別ではなく、何年もかけて同じ被験者に少年時代~成人に至るまで連動して行われた。)にいくつかの質問をし、ハインツはどのように問題解決をすべきか、またなぜそうしたのか、それはなぜ正しいといえるのかも尋ねる研究調査を行った。

この研究からは、生命の価値と法の価値のどちらを選ぶのかが問われる。妻の命の価値が法の遵守の価値よりも優先されるか、その反対なのか、ということだ。そして、研究結果を「道徳判断の6つの段階」にあてはめ、人間の生命の道徳的価値に関する考え方と関連させた。

「道徳判断の6つの段階」は、3つの水準と6つの段階に分かれる。

*水準Ⅰ:慣習以前レベル*

(第一段階「罰と服従志向」・第二段階「道具主義的相対主義志向」)

*水準Ⅱ:慣習的レベル*

(第三段階「対人関係の調和あるいは「よい子」志向」・第四段階「「法と秩序」志向」)

*水準Ⅲ:慣習以後の自律的、原理的レベル*

(第五段階「社会契約的遵法主義志向」・第六段階「普遍的な倫理的原理思考」)

※詳しくは、著書『道徳性の発達と道徳教育』第二章「道徳性の発達段階」にまとめてあるので、次の機会、又はブログにて、報告したい。

 

④著書『道徳性の発達と道徳教育』第1章「普遍的道徳を求めて」の要約

*まえがき*(Pⅲ~)

翻訳した岩佐信道氏がこの著書について各章ごとに簡略にまとめている。

第一章→「コールバーグが道徳や正義とは何かを自らの体験から考察する。また、それらの体験から、道徳性の研究へのきっかけを見出した。」

第二章→「道徳性発達理論を展開させている章。ごく最近の理論を記載している。」

第三章→「広池千九郎の『最高道徳』とコールバーグの『道徳性の発達段階の第六段階』は慈悲と正義という点で共通している、という主張が書かれている。」

 

*第1章「普遍的道徳を求めて~私の個人的な体験~」*(P3~)

●「第六段階」とは、進んだ文化や宗教の中に見られる精神であり、一つの普遍的な“倫理的原理”(=「人間の尊厳性の尊重」)に従う生き方でもある。

「人間の尊厳性の尊重」とは、ハインツの事例で考えると、妻の命と人間としての尊厳性に対する尊重を薬屋の財産の尊重よりも優先せよ、と命じる自己判断である。(P4 L7~)

18世紀のドイツの哲学者イマヌエル・カントはこのことを「道徳理性の提言命令」と呼んだ。第一命題は「~して欲しいことを、他人にもせよ。」という普遍性原理であり、第二の命題は「すべての人間を手段としてではなく目的として扱え。」という人間の人格と尊厳性を平等に尊重すること、そして第三命題は「汝の欲するところを他の人になせ。」といういわゆる“黄金律”である。また、この“黄金律”はすべての道徳上、宗教上に由来することであり、人間の人格尊重の原理と同様にハインツの葛藤場面を解決する原理でもある。(P4 L10~)

●ハインツは妻と薬屋の立場から考えなければならない。結局は薬屋の財産に対する権利よりも、妻の生命に対する権利と尊重を選んだ。このことは、すべての人が「道徳的でなければならない」という“黄金律”によって拘束されているからである。薬屋だって、ハインツの妻の立場になったら、財産の要求をあきらめ、自分の財産より自分の生命を救うことを選ぶだろう。また、ハインツの妻が薬屋の立場になっても財産より、自分の生命を優先させると考えられる。そうすると、定言命令の3つの原理は究極的には1つなのだ。また、これらの原理は普遍的慈悲と普遍的正義という2つの基本的徳目を結合させる。(P4 L17~)

●自身は、ユダヤ系アメリカ人であったため、高校時代は軽差別をされていた。第二次世界大戦中はユダヤ人追放難民を非合法でパレスチナへと送る技師となった(P7 L8~)

その後、シカゴ大学に入り、道徳の問題である正義の問題に取り組んだ。戦争体験から、「正しいと思う目的のために暴力的手段を用いることが許されるのは、どのような場合か」「すべての道徳的選択は、文化や国によって異なり、相対的なものだったのだろうか」という研究動機を持った。(P8 L18~)

1955年から、1016歳の子どもの道徳判断の発達に関する研究を始める。そして、ピアジェの研究を追跡調査し始めた。(ピアジェは「子どもは哲学者である」・「子どもの哲学は段階的に進む」という発見をした。)(P10 L20~)

●追跡調査からピアジェの本では論じられていない“新しい道徳哲学”を発見した。アメリカ人被験者は多くの人が第四段階で止まっているが、すべての人が最高で第五段階まで一つ一つ段階を追っている。では、他国圏もアメリカ人のように普遍的なものかという疑問をもつ。(P12 L6~

1962年に、台湾で原住民高砂族の村落、台湾人の村落の子どもを研究対象とし、葛藤場面の研究をした。結果はほとんどの子どもたちは古典的な第二段階であった。(回答例「夫は妻のために食べ物を盗むべきだよ。妻が死んだら、葬式代を出さなければならない、それにはたくさんのお金がかかるから。」)(P12 L14~)

●四つの段階は、どの文化でも見られる。だい5段階は台湾や日本のように複雑な都市文化と教育制度をもったすべての葛藤場面で見出させる。第六段階はアメリカでも稀であった。(P13 L10~)

●実験で、ハインツのような葛藤場面の問題を教師が質問し、生徒間の対話を奨励しながら、討論させることで、そのクラスの生徒の道徳的発達段階が、平均1/2段階を上昇させることができた。(P13 L13~)

1971年のユネティカット州の女子刑務所、1974年のマサチューセッツ州ケンブリッジ市の学校が実践している「ジャスト・コミュニティ(公正な共同社会)プログラム」は、数人の看守または、教師と25人ほどの女囚または生徒らが、話し合いによって規則や処罰を決めることである。また、学校の場合は、生徒と教師が一緒になって不正行為に対する正義の規則を話し合ったりした。この結果、信頼と慈愛が促進されると、慈愛と思いやりの気持ちは強くなった。(P14 L2~)

1983年のスカースデール校でのコミュニティミーティングの事例は、問題児であったリサを退学させるかどうかを生徒と教師が一緒になって話し合うというものだった。そして、賛否両論の議論の末、リサは条件付きで在学させることに決議された。この事例について、コールバーグは「問題の生徒にとって最善の選択が、実は集団共同体意識を高め、出席や参加に見られるような、規則に対する責任感(その後、リサは無遅刻・無欠席で卒業した)を向上させたのでした。(P17  L2~)」と述べた。コミュニティミーティングにおける教師たちの姿勢は、真の解決口が生徒のほうから出てくるまで、それ以外の意見を受けつけないこと、また、待つことであった。(P17 L2~)


(もっぺ)


2 月
25

湯島天神

Posted by a6hootazemi in もっぺ

第一回目の『*探訪記*』です(*^_^*)

今週の月曜に、湯島天神へ行ってきました。

湯島天神は、自分の住んでいる区内にありますが、1回しか行ったことがありませんでした。ちょっとわくわくしましたね(^v^)

行ってみたら、道路沿いに入口があり、向い側には大きなマンションなどもあり、なんだかイメージしてたのとちょっと違いました・・・。(京都の八坂神社みたいな・・・)

でも、「梅まつり」をやっているらしく、境内にはたくさんの梅の樹がありました。まだ2分咲きくらいだったけど・・・。あと、合格祈願の絵馬!絵馬!!絵馬!!!ものすごい数でした。さすがですね(*^^)v

バイト先の受験生と、自分含め、教師を目指しているみんなが無事に合格するように、祈願してきました(*^_^*)

そーいえば、学問の神として湯島天神に祭られているのは・・・菅原道真ですね!!

菅原道真といえば、日本史でちょろっとふれたような・・・結構曖昧な知識をもっている私です(゜_゜)確か、とっても頭がよくて、5歳くらいで和歌を詠んでしまったんですよね。・・・・曖昧すぎるので、ちょっと調べてみました!道真!!

菅原道真は、845年(承和12年)に生まれ、父は菅原是善公(・・・って誰?)。33歳で文章博士、42歳で時讃岐守として四国に赴任したらしいです。いわゆる、エリートな感じですね。

そして897(寛平9)年に、後醍醐天皇が即位すると、四国でのキャリアが認められ、左大臣、藤原時平と並んで、右大臣兼、右近衛大将に899年に任命されたらしいです。55歳でした。

しかし、これをよく思っていなかったのが、ライバル!!(?)の藤原時平さん!!

よくない噂や中傷をして、道真を蹴落とそうとしましたッ\(゜ロ゜)/

結局、九州の太宰府に左遷されてしまったのでした・・・。

でも!!これだけではなかった!道真のレジェンドは!!

なんと、道真の死後に時平に協力して左遷に努めたといわれる藤原菅根が落雷によって死亡し、京都では地震。干ばつ、洪水など、天変地異がおそったのです!!

しかも、930(延長八)年には、宮中で雨乞いの協議中であった藤原清貫が、急な大雨の落雷により、死亡してしまったのです。(゜o゜)!!

ここまで、やられると、さすがに、今でいう「都市伝説」的に「道真の怨念なのでは?」という噂が広がりました。でも、農民たちの間では水田農産物に必要な雨と水をもたらす雷神(天神)としてどんどん崇拝していったらしいです(*^^)v

それから、道真の学問に対する偉大な功績や、人柄から、「天神信仰」として文道の大祖、文学・詩歌・書道・芸能の神、あるいは慈悲の神として崇められるように・・・。

その後、1355年に湯島天満宮(湯島神社)本社に菅原道真公を祀ったといいます。

たしか、福岡の太宰府天満宮も菅原道真が祀られているんですよね。高校の時の修学旅行で行きました!!梅の花がとてもきれいだったなぁ・・・**

 

卒論の方は、今日の集まりで、アメリカのコールバーグが研究した「道徳性の発達と道徳教育」について少しまとめたので発表したいと思います。あと、図書ですが、コールバーグの著書を読み進めるのと、『「心のノート」の方へは行かない』という本を読破したいと思います。とりあえず、3月の中旬までには、この2冊を内容検討も含めて、読もうと考えています。

(もっぺ)


2 月
13

3番目の楽しみ

Posted by a6hootazemi in もっぺ

こんばんは☆

かっなり久しぶりの投稿です。

さてさて、最近私は今年3番目くらいに楽しみにしていたことをやりました!!!

それは・・・・・・・映画『20世紀少年~第2章~』を観たことです!!!

 

いや~あれは何だかモヤモヤした気分になりますねぇ。謎めく謎で、続きが気になります。みなさんはもう観た人はいますか?あるいは第1章は観ましたか?

私は漫画まで読みふけってしまいました。

また、『20世紀少年』を通じてけっこう考えることがありました。

まず、「児童心理」についてです。このストーリーの核たる部分が主人公たちの小学校高学年時代、つまり「ギャングエイジ」です。その時代を歪んだ「ともだち」関係・自己のこころの闇を抱えて育った人が大変な事態を起こしてしまうのです。(まぁ、ギャヤングエイジ期の発達課題がその後の人生の全ての根源だとは言えませんが。)

あとは、「他人から注目されたい、自分が中心にいたい」という欲求である「自己愛的パーソナリティ」を過度に持った子どもについてです。(これは精神分析などの分野では「自己愛的パーソナリティー障害」というらしいです。)

このような思いを抱えた子どもが小学生のときに想い描いた「世界征服」を大人になってから、緻密な計画と、非道的エゴイズム的なやり方で実現してしまうのです・・・・・・。

『20世紀少年』では子どもたちの心理描写もされていて、とても考え深い作品だと思います。

あと、主人公達が「子ども時代」を過ごした1960年代末~70年代前半はすごく興味が湧きました。

アポロが月に行ったり、大阪万博があったり、「love&peace」が叫ばれたり・・・・・・・。映画でもそうでしたが、当時の日本はなんだか、「勢い」があるように思います。まさに「人類の進歩と調和」!!って感じ。

 

今、上野の博物館で大阪万博の展示会がやっているらしいので、ぜひ行ってみたいと思います。

今回の春休みは、今まで滞っていた卒論を計画的に進めること、りえやおっくんを見習ってブログをきちんと書くことを頑張りたいと思いますッ!!!

あと、せっかく東京に住んでいるので文化的な場所に行きたいです。(両国の江戸博物館、上野の美術館、その他各所の博物館など・・・)

しかも、美輪明宏さんが「今年は知性的な女性の年です。」と言っていました。文化的な場所に行き、時間を過ごして、どんどん「知性」を身につけたいですね・・・。

知性を磨けるおススメの場所があったらぜひ教えてください!!!また、自分の「探訪記」もブログに投稿していきたいです。

(もっぺ)


1 月
11

「ひき算」

Posted by a6hootazemi in もっぺ

こんばんわ。もっぺです(*^_^*

今年もよろしくお願いしますm(__)m

 

さて、今日書き込みたい内容は卒論とは少し離れますが、「ひき算」についてです。

来週の水曜日にグループで算数の模擬授業をやります。(えべさん、おおやさん頑張りましょうッ!!)私たちの単元は1年生の「ひき算」です。

この単元は1年生が算数で1番最初に習うたし算の次で、2番目に習うところです。みなさんは自分が「ひき算」をどのように教えられたか、またそれとどのように出会ったかを覚えていますか?

おそらく、はっきりと記憶にある人は少ないと思います。私たちも「ひき算」の概念がない児童にどうそれを出会わせるのか、けっこう考えてしまいました。

 

まず、教科書(東京書籍)を見たり、指導書に目を通していました。

教科書や指導書に書かれた学習内容を簡単に書きます。

                

①導入として「のこりはいくつか」といったもともとあったもの(数)からある数をなくす(とる・移動させる等)といくつ残るのかを数えることを表示していました。おはじきやブロックなどを使い、体験活動を通して「のこり(結果)を数える」という学習内容であると思いました。

②次に体験活動から獲得した残り(結果)を求めることと、その結果に至った過程を「言葉の式」で示されていました。例えば、イラストで水槽から金魚を女の子が2匹すくっていて近くに『2ひきすくうと』という言葉が表示されています。また、その下にはキャラクターがおはじきを2つ移動させている図があります。そして、そのおはじきが3つだけ「のこっている」図があり、そのすぐ下に『5から2をとると、3になります』という「言葉の式」が書かれており、隣には記号で『-』が提示されています。

そしてそのすぐ下に③「数字による式」が「こたえ」と共に提示されています。(『しき 5-2=3   こたえ 3びき』というように)

そして、「ひき算」の定着を図るためか、④イラストによる演習問題が2題提示されていました。1題目は『のこりは、なんだいになりますか。』という課題があり、その下に『1だいでていくと』という文章とイラストで5台の駐車してある車のうち1台が出て行く様子が描かれていました。そのすぐ隣には『5-1=□  (改行して)こたえ □ だい』と「こたえ(結果)」だけを記述させるような表示でした。

2題目は『しきにかきましょう。』という課題で前記したように「言葉の式」+イラストがありその隣に『しき □―□=□』とあり、次の問題では「しき」をすべて書けるようになるための長い□がありました。

④の演習問題を解かせる指導からもわかるように、式をたて、答えを導くという「計算式」の指導手順としては、答えだけを求める→数を式の形に穴埋めできる→式を数・記号を使ってすべてたてられる、という手順のようでした。(a-b=□ → □―□=□ → すべての式を記述)

 

しかし、このようにして教科書内容や指導手順を検討していたら、私たちにはしっくりこなかった箇所がありました。

 それは、「計算式」の指導手順です。私たちの取り扱う教科書の内容では式をたてることより、答えを導き出すことに重点をおいていると感じました。

「言葉の式」があり、すぐに「数の式」を提示してしまい、そしてその読み方(例:『5ひく2は3』)と、答え方(単位や記号の使い方)を教えるのです。ここで、「言葉の式」から「数の式」にするまでを実際にどのように教えるのかはわかりませんが、「数の式」提示のすぐ後に『5-1=☐』のように式(-の記号も)がすでに書かれていて答えだけをまずは☐に入れるような流れになっています。私たちはこのすぐに数字の入った式(『5-1=』)を提示することに違和感を感じたのです。

 

しかし、「ひき算」は「答え=引かれた結果」を出すものであり、計算式はその「手段」である、だから教科書のすぐに式(例:5-1=)を出し、答えだけをまずは考えさせる(=☐)という流れは当然である、という考え方もありました。

確かに、算数や計算をすることの目標はその結果である「答え」を求めることであり、そこにたどり着くまでの「手段」として「式」を利用することは妥当だといえるでしょう。

ならば、極論を言ってしまうと、「答え」だけを求めることができて、そこに至るまでの過程、つまり「計算式」は反射的に、そこに論理的理解がなくても暗記してしまえばいいということだとも考えられませんか。(勝手にこの考え方を「答え至上主義」と名づけました (*^^)v

 

私たちはそのような考えに納得できませんでした。

 

算数や計算をすることは、結果(答え)を出すことも大事ですが、なぜそうなるか、どうしたらそうなるのか、どのような順序でいけばそうなるのか、ということ、つまり「式」を理解してたてられることも重要なのではないか、と考えたのです。

教科書に載っていた問題でみると、『5から2をひくと、3になります。』という「言葉の式」を「答え至上主義」で教えるのならば「5-2=3」あるいは「2-5=3」という「数の式」でも正解だとなります。

しかし、「2-5=3」という計算式は存在しません。なぜそれではいけないのか、という理解は「-(ひき算)」の役割や意味がわかっていないとできません。

だから、「数の式」を教えるときに大切にしたのは「答え(のこり)」を☐に入れられることだけではなく、「-(ひき算)」の役割や意味もです。

 

1年生にとって人生で初めて出会う「算数」での「ひき算」です。「答え」を書けるだけでなくぜひ、「ひき算」の意味や役割も知ってほしいと思いました。

 

ちなみに私たちは「-」という記号と感覚を理解させやすくするために「ひく君」というキャラクターを作りました。役割(はたらき)としては、ひく君が出てきたら数が減ってしまうこと(変化がおこる)・ひく君は式に出てきて、数と数の間にいること・大きいお花を持っている手(左)の方には大きい数がきて、小さいチョコレートを持っている手(右)の方には小さい数がくる・・・といったようなことを設定しました。(ちょっと文字だとわかりにくくてスイマセン(^_^;)

 

まだ、指導案は完成していないのでどうなるかわかりませんが、「ひき算」という授業づくりにおいてこのようなことをけっこう真剣にアツク話し合いました (*_*;

でも、教材研究をこんなに夢中にできて楽しかったです。教師になった時にもこんな風に先生方とできたらいいのになぁぁ(´∀`*)・・・と思いました。


12 月
22

「教訓」と「物語」との関係

Posted by a6hootazemi in もっぺ

こんにちは、もっぺです(^^)私も読んでいる本と卒論内容について書きたいと思います。

私の大まかなテーマは「道徳教育」です。「道徳教育」の教材などを研究して、最終的に一本の「教材」又は「授業」を開発したいです・・・。

まだまだ歩き始めの前足を上げている状態(?)ですが、早くも自分が何をやりたいか分からなくなってきました(@_@;)でもとりあえず、先生が言っていたように、冬休みに関連の本を読みまくりたいです・・・。

今、読んでいる本は「『民話による道徳授業論』 上薗恒太郎 著 北大路書房」です。まだ第一章しか読んでいませんが、そこでは、「教訓」と「物語」の関係性について論じています。現在でも「道徳教育」や「国語科教育」では「物語」による授業展開が多いです。中でも「民話」や「伝承」を「教訓」付きの「物語」として使うことがあると思います。この「教訓」は果たしてその「物語」元来(もともと)のものなのでしょうか。また、大人が子どもに「教訓」をどう学ばせるか工夫をした上の「物語化」なのか、という主張が書かれていました。本文では、

「教訓を意識しない物語に教訓をつける、教訓を物語の形にする、教訓と物語はせめぎ合いながら子どもたちの前に姿をあらわす。」(P2L6~)

「物語を扱うのに、深層心理を明らかにしたり、物語成立史をたどったり、民衆の精神史を念頭において読まなければならないとすれば、授業で、一つの教訓を一義的に学びとらせることは難しい。」(P11L14~)

とうように書かれていました。さらに本文では、「赤ずきん」の物語を取り上げて「教訓」についてせまっています。「赤ずきん」はペローとグリムによって出版されています。みなさんはグリム童話の「赤ずきん」をよく知っていると思います(^^)このグリム童話ではやはり最後に赤ずきんが「おかあさんがいけないとおっしゃるのに、じぶんひとりで森のわきみちへはいりこむようなことは、しょうがい二度とふたたびやるまい」(「完訳 グリム童話集1」金田鬼一訳 岩波文庫)という「教訓」を言っています。しかし、著者はこの「教訓」はもともとの「赤ずきん」の話を改訂してグリムが「教育的教訓」にしたのだと述べていました。では、「もともとの赤ずきん」とはどのようなお話なのか・・・18世紀フランスの農民の間で語られた「赤ずきん」はとても「童話」とは思えない「性的なお話」だったようです・・・(*_*;その名残はグリムの「赤ずきん」でも少し表れていますが・・・。あ、でも一応その「赤ずきん」のも「教訓」めいたことは存在するそうです。

とにかく、「赤ずきん」のお話からもわかるように、「教訓」とは大人が子どもに「こうあって欲しい」という価値観や理想を教えること。でもそこには「大人がつくった子供像、大人による子供意識」があるのだと思いました。だから、「教訓」を「物語」にしてしまったりもともとの「物語」を「教訓仕様」のようなものにしてしまうのかな、と考えました。

教員になって、そのような「教訓仕様」の教材に出会ったら(実際たくさんあるのでは?)、教えるのは困難なのでしょうか。それとも、「教訓」をしっかりとらえ、それだけを子どもたちに教えればいいのでしょうか。・・・なんだかよくわからなくなってきました~(@_@;)もし、そのようなことを考えたことがある人がいたら意見を聞きたいです。

長々とスイマセンでした(*^^)


12 月
22

★Sunday★

Posted by a6hootazemi in もっぺ

みなさん、こんにちは(*^_^*)日曜日担当のもっぺです。

これから、太田ゼミの一員としてよろしくお願いします。

さて、私にとってこのブログは第一回目の投稿です。なので、ウォーミングアップがてら(?)日曜日に経験したことや部活について書きたいと思います。

日曜日は我が部活「なずなの会」の大型企画に参加してきました。他パートではありますが「フラワーパート」のクリスマス会に行きました。(ちなみに私はつばさパート❤)簡単に活動内容を言うと・・・このパートも私のパートも障害をもったお子さん(中高生)と、学生が考えた企画で遊びまくる!!という活動をしています。年に3回、「大型企画」として他パート・OBOGを招いて企画を開催しています。

今回は「クリスマス会」ということで活動内容は以前にえべさんが投稿したこととほぼ一緒です。(劇やゲームをする、おやつをみんなで食べる♪)劇やゲームは、ディズニーのキャラクターが出てきたり、巨大な段ボールで作られたライオンの歯を抜くゲームや、砂絵をみんなで完成させるゲームでした!!「やっぱりフラワーはゲームのクオリティーが高いっ!」と毎回思います。

お子さんにつては、自分のパートもそうですが、みんな素敵な子ども(人)ばかりです(>_<)!!私はみんなと触れ合う中で「可能性」をとても強く感じます。できること・できないことはどうしても決まってしまいますが、それがたまに覆る瞬間というものがあります!!その瞬間を目の当たりすると自分のことのように嬉しくなるのです(^^)/例えば、ずっと座って作業ができなくて外に行ってしまうお子さんや、自分の世界に入って学生の働きかけにびくともしないようなお子さんが、10分でも20分でもきちんと椅子に座って自分のやりたいことや家庭から出た学習(親御さんが考えてくれること)を一生懸命やっているのです!!

そのような時に私は彼らに「可能性」を感じます。「できるようになる」ためには色々な要因があると思いますが、正直、理屈なしに嬉しいですよね!えべさん!アサノさん!!(笑)

あと、日曜も感じたのですが、みんなは人を惹きつける「魅力」がある!!嬉しい時には満面笑みで笑い、歌い、踊り、悲しい時や辛い時にはお構いなしに泣き叫ぶ!(笑)素直で、とっても「豊かな、人間味」のあるお子さんばかりで、見習うべきところもあります(*^^)

・・・・部活の話をするとキリがなくなるので、この辺までにしておきます。とにかく私は文教大学で「なずなの会」に入れたことを幸せに思い、誇りを持っています。みなさんも文教大学で過ごす中で「これは誇りに思う!」と思うことありますよね(^^)追々、みなさんのそのような話を聞きたいと思っています。


ホットワード 文教大学 人間科学部 太田 いいんちょう
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