4 月
14

卒論報告

Posted by a6hootazemi in みさきん

こんにちは。みさきんです。1か月後の今日から教育実習が始まります。気を引き締めていきたいと思います。


「発表すること」がなぜその人の能力UPにつながるのだろうか、
(本当に能力UPがしているかはこれから研究していきます。私の仮説として『発表することがその人の能力UPにつながる』とした)
と考えたときに、①自分ひとりではなく、周りの人も巻き込む作業だから②言葉にすることによって、頭で考えていることを外に出せるから。という2つの事が考えられると思ったので、春休みはその2つのことをすこし調べてみました。

① 自分ひとりではなく、周りの人も巻き込む作業だから
私がまず注目したのはヴィゴツキーの最近接発達領域論です。
最近接発達領域とは…
 何かある種類の能力について、子どもが今自分一人でもできる事柄があります。これをその能力の発達の現在領域ということができます。そして、同じ子どもが、一人ではなく大人に、あるいは仲間の子どもに助けられれば、一人でやるよりももっと高度なことができるでしょう。この時のできる程度と、先の一人でやってできる程度との違い、その二つの間の領域のことを発達の最近接領域といいます。この発達の最近接領域がやがて一人でもできるようになり、つまり次の時点での発達の現在領域となります。教育の仕事とは、発達の最近接領域を作り出すことであり、それによって発達が起こるようになる、というのがヴィゴツキーの考えです。

発表するという作業は、発表する自分と多くの場合それを聞く他者がいます。自分一人で考えている時には気づかなかったことや、反対の意見などが反応として返ってくることがあります。私は、その反応が発達の最近接領域を広げるのではないかと考えました。

では、良い反応とはどんなものか。最近接発達領域を作り出す反応とはどんなものか。と考えたときに、授業で出てきた斉藤喜博が思い浮かびました。

斉藤喜博は、子どもの発言を、それに対して教師がどう対処すべきかという観点から7つに分けているそうです。
1.教えてしまい、その場で解決してしまったほうがいいもの
2.捨ててしまったほうがいいもの
3.問題はあるが、授業の展開には役立つもの
4.曖昧なもの―この場合は問い返してもう一度言わせたり、教師が補足することによってはっきりさせる
5.完全にまとめて表現しているが少しも内容がないもの。-これも捨ててしまう
6.断片的で不完全な表現だが、内容を持ち、発展の可能性を十分に持っているもの。
7.子どもの表現は違っているが、子どもの心の底にあるものは、表現されているものとは違うものであり、重要な問題を提出しているもの。-この場合は、教師が子どもの心の底にある本当のことを読み取ってやり、問い返すことによって引き出してやったり、教師が、「こういうことか」と言って、子どもの本当に言おうとしていることを表現してやったりする。

このように、子供の発言の種類(?)によって、対応を変えることで斉藤喜博は授業を展開していたようです。このような先生の対応が子供の最近接発達領域を作ることに直接つながるかはわからないが、3・4・7、特に7の場合は、先生の助け(反応)によって子供が一人では言えなかったこと、まとめられなかったことがしっかりと表現されるようになり、最近接発達領域を作ることにつながっていると考えられます。


また、発表とは少し離れるのですが、周りの人・他者の力を借りるということで「対話」を重視した授業もあります。ここからは、読んだ本をそのまま引用します。
 アメリカで対話としての授業という考えが盛んに提唱されるようになったのは1980年代だろう。思想的な底流としては第三章に出たデューイなどの子ども中心主義の考え方があった。だが、1980年くらいになって、改めて対話がキーワードになり、具体的な学習法なども提唱されるようになった。
(→具体的な授業方法の提案ということでは、算数教育のランパート、読みの教育のパリンツァーとブラウン、などがあげられる。理論的には授業を談話、つまり言葉のやり取りとしてとらえ、分析する立場が密接に関連する。ヒックス、ウェルズなどがあげられる。)
 そこで、強調されるようになっているのは、子どもたち同士が学びあい、教えあうことの大事さである。また教師も子どもと共に学んでいるということが強調される。協働性がもう一つのキーワードだ。そのなかで子どもたちは受動的な知識の受けてではなく、能動的に知識を探していく。探求が三つ目のキーワードになる。
 学問的には、特に協働性が大事だ。八十年代になって対話としての授業が強調されるようになった学問的な理由は、この頃から学びの協働性が重視されるようになったからだ。学びとか、世界を理解する働きというのは、それまでの心理学が想定していたように一人の頭の中だけで起こることではない。ほかの人たち、コミュニティ、社会との協働で起こるんだ、ということが強調されるようになった。

学ぶのに、一人ではなく他の人と協力することが大切とされている、このアメリカの教育の事について、今度調べてみたいと思います。


② 言葉にすることによって、頭で考えていることを外に出せるから
発表のいいところのもう一つに考えたのは、このことです。何か自分の中で考えたことがあった時に、それを文字や発言に表わすと、以外にも手こずってしまいなかなかまとまらない、ということがあります。発表する場合、それをまとめることをしてから行います。なので、頭の中でなんとなくしか考えられていなかったことを、しっかりとした形で表れられるので、それがプラスになるのではないかと考えました。

そこでまず注目したのが「合理的ディスコース」というものです。
「ディスコース」(談話)とは、ふつう「まとまりをもったいくつかの文(発語)」を意味しています。つまり、「ディスコース」とは、語ること、表現すること、プレゼンテーションすること、物語ること、などです。こうした「ディスコース」は、話されたり、書かれたり、演劇や絵画や身振りやダンスの中で行動に移されたりすることができます。

 教室もまたディスコースとコミュニケーションを実践する場です。この教室ディスコースの形式は、学校教育という特別な社会的・文化的・制度的な状況にもとづいており、独自の特徴を有しています。ワーチとミニックは、そうした学校教育における教室ディスコースの特質を、「合理的ディスコース」という用語を使って示そうとしているそうです。

まだ、あまり調べていないので書けないのですが、この「ディスコース」という発表の様々な方法が学校教育の中に存在しているという考えが、そうかと思ったので、今後もっと調べていきたいです。


また、言葉に出すことがなぜいいのか?それを考えたときにこれか!と思ったのが、韻とリズムの関係です。ちさまみさんが音読・朗読の意義について述べていました。私はそれにプラスして、この韻とリズムの関係があると思いました。

ここからは本の引用です。
韻・リズムが、特に文化史上で書き言葉が発明される前に、非常に重要な認知的道具であったことは言うまでもないだろう。書き言葉のないころ、先人が得た知識はある世代が忘れてしまえば永遠に失われた。そこでよく記憶するために作られた認知的道具が韻・リズムだ。そしてむろんこれは現代の子どもたちでもよくつかわれている。たとえば算術の「九九」はその最も広く、またうまく使われている事例だろう。

九九のあのリズム。あのリズム無意識に歌ってしまうあのリズムがあったからこそ、私たちは九九を暗記することができているのではないかと思いました。
また、この本を読んでふと思ったのですが、琵琶法師や各地に伝えられている三番叟などの伝統文化も、もとはといえば、のちの人に伝えたいがために、歌や劇にしているものです。昔から、この方法は、良いものとして根付いていたのだなあと、感じました。





このような感じで、発表することがどう能力UPにつながっているのか、研究していきたいと思います。


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2 月
12

バルトークのルーマニア民族舞曲

Posted by a6hootazemi in みさきん

2月も半ばになりました。私は、テスト・レポート提出が終わったその日にインフルエンザにかかり、1週間ほど寝込みました。そして、病み上がりの体で中央大学と文教大学の金管・打楽器パート合同合宿に参加し、昨日帰ってきました。
合宿は2月16日に行われる「ドリームブラス2012」という、中央大学と文教大学の吹奏楽部合同の金管バンドの演奏会のための練習合宿でした。

そこで、私がトップをする曲に「ルーマニア民族舞曲」という曲があります。
私は、この曲が最初好きになれませんでした。作曲者のバルトークの作品で「中国の不思議な役人」という曲があります。この曲にはトロンボーンの長く難しいソロがあり、コンクールの自由曲としても多くの団体に演奏されている曲です。私は、「ルーマニア民族舞曲」もそのように、トロンボーンが活躍できる曲だと思っていたのですが、いざ譜面をもらってみると、休みは多い、目立つのは少し、はまりにくい和音が随所にある、という曲で、なんだか期待外れの印象を持ってしまいました。

しかし、曲について調べてみると、その面白さを発見することができました。
まずは、原曲はピアノの独奏曲であること。これにはびっくりしました。確かに言われてみれば、楽器同士の複雑な絡みもなく、主旋律と伴奏の2つで構成されています。オーケストラの曲をブラスでやることは多いですが、ピアノ曲をブラスでやることはめったにないので、面白いと思いました。
また、作曲者のバルトークが民族音楽研究家でもあったことを知ったのは、この曲に対するバルトークの思い入れが感じられるようになり、大切に演奏したいと思えるきっかけになりました。第一次・第二次世界大戦下の中で、民族音楽について研究することは容易ではなかったと思います。その中でも、民族音楽をテーマにした曲を書き上げたバルトークの思いを大切にしたいと思いました。



話は変わりますが、1つの曲を演奏するためにその曲について調べることで、曲の奥深さや面白さに気づきます。そして、知らなかった時よりも楽しく演奏できたり、その曲のことを好きになったりすることができます。作曲者やその曲ができた時の時代背景のことを知ると、その曲のイメージが頭に浮かび、「こう演奏したい」という思いが生まれます。

卒論もきっと同じなのだと思います。

私は「発表すること」をテーマに研究したいと思っています。研究を進めていき、発表することの奥深さ・面白さを発見して、自分が教師になった時に「こう活かしたい」と思えるような研究にしたいです。
その研究の結果を、このブログにどんどん書いていけるように、こつこつ頑張ります。



最後に…
♪♪Dream Brass 2012♪♪
~Bunkyo & Chuo British Brass Concert Vol.13~

 日時:2012年2月16日(木) 
 場所:府中の森芸術劇場ウィーンホール
 開場17:00/開演17:30
 曲目:たなばた(酒井格)
ハイランド讃歌(P.スパーク)  ほか
指揮:濱本広洋  ほか
入場料:無料(全席自由)

ドリームブラスとは中央大学・文教大学吹奏楽部の金管打楽器パート有志で結成される英国式ブラスバンドです。毎年両吹奏楽部の活動が一段落するこの時期だけ楽器を持ち替え、吹奏楽とは違った音楽形態に挑戦しています。
ぜひ皆様お誘いあわせの上ご来場ください。団員一同心よりお待ちしております!!


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1 月
29

生きがいについて深く考えた

Posted by a6hootazemi in みさきん

神田先生の『生きがい論』で提出したレポートを載せたいと思います。

先に言っときます!!!
2012年12月26日(水) 文教大学吹奏楽部第35回定期演奏会 
この日の引退まで、自分の生きがいである吹奏楽を楽しみたいと思います。どうぞ皆様、予定のほうをあけておいてください。


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授業の中で特に印象的だった梅棹忠夫と神谷美恵子の生きがい観を比較して、自分の生きがい観について述べたいと思う。

1.梅棹忠夫の生きがい観
 梅棹は生きがいを「生き」と「がい(かい)」に切り分けている。
『「何々がい」があるということ、あるいは「何々しがい」があるということは、要するに何か、緊張、努力があって、その結果として成果がある、そういうことでしょう。何かがんばってよかった、ああよかった、よかったというのが、「何々がい」があったということだと思うんです。』
と梅棹は著書の中で述べている。つまり、生きることをがんばって、その結果「よかったな」と思えたら、それが「生きがいがあったな」ということにつながるのだととらえた。そして、梅棹は
『実は、そういうことを考えますと、生きがいがあるということは、要するに未来に対する期待の問題だということです。』
とも述べている。(未来でこうなったらいいな)という期待を持ち、それを抱きながら生活して、それが結果に表れ、(よかったな)と思えたら、生きがいがあった、という結果になる。

2.神谷美恵子の生きがい観
 神谷は生きがいを「生きがい欲求」と結び付け、生きるために必要なものと考えている。
 著書の中で
『人間は自分の生きていることに対して、自分を取り巻く世界から、何か手ごたえを感じないと心身共に健康に生きていきにくいものらしい。』
と神谷は述べている。
また、生きがい欲求として「生存充実感への欲求・変化への欲求・未来性への欲求・反響への欲求・自由への欲求・自己実現への欲求・意味と価値への欲求」の7つを挙げている。

 マズローは人は低次の欲求から生理的欲求・安全の欲求・所属と愛の欲求・承認の欲求・自己実現の欲求があるとしている。人間は満たされない欲求があると、それを充足しようと行動(欲求満足化行動)するとしている。その上で、欲求には優先度があり、低次の欲求が充足されると、より高次の欲求へと段階的に移行するものとしている。例えば、ある人が高次の欲求の段階にいたとしても、例えば病気になるなどして低次の欲求が満たされなくなると、一時的に段階を降りてその欲求の回復に向かい、その欲求が満たされると、再び元に居た欲求の段階に戻る。このように、段階は一方通行ではなく、双方向に行き来するものである。また、最高次の自己実現欲求のみ、一度充足したとしてもより強く充足させようと志向し、行動するとしている。

 神谷の生きがい欲求はマズローの自己実現欲求で考えると、高次の欲求であるように思われるが、よく見てみると、どの自己実現欲求の段階にいる人にも、神谷の生きがい欲求は生まれるのだと受け取れる。
 神谷は
『人はそれぞれの生涯の中で、違った時期に違った形で人生の行く手に立ちふさがる壁のようなものに突き当たり、その威力をしる。その時には必ず生きがいということが問題になるであろう』
と述べている。マズローの低次の生理的欲求の段階の人で(ご飯が食べたいな)と思っている人は、生きがいとして「食事をとること」があげられるだろう。高次の自己実現の欲求の段階の人で(あのきれいなドレスがほしい)と思っている人は、生きがいとして「ドレスを手に入れること」があげられるだろう。このように、どの段階にいる人も神谷の言う「生きがい」を持つことができる。また、(ご飯を食べたいなあ)と思うこと自体が生きがいとなることもあると考える。

3.2人の比較
 梅棹と神谷の2人を比較すると、違うのは、梅棹の生きがい観は、何かした《結果》が生きがいになるのに対し、神谷は結果に加え、《それを得るまでの過程》も生きがいとなりえる点であろう。

4.自分の生きがい観
 私の考える生きがい観は、神谷の考え方に近いのかもしれない。私は吹奏楽部に所属しているが、そこで生きがいだなと思うことにたびたび遭遇する。それは、本番で成功できたときはもちろんなのだが、そこに至るまでの練習や人間関係にもある。多くの時間とお金を費やす練習の中で、楽器を吹いている喜びを感じ、「絶対に本番を成功させよう」と心に誓う、その気持ちを持てる自分に生きがいを感じる。また、投げ出してしまいそうになったときに支えてくれる友人や先生の存在にも、うれしさと同時に生きがいを感じる。本番の成功という《結果》に至るまでの《過程》にも、生きがいを感じられる瞬間があるのだ。

 そこから、私の生きがい観を考えると、『今自分のしていることに対して、何らかの感情を感じられること』が生きがいであると思う。今していることが、仕事だったり勉強だったりトイレ掃除だったり、人によってさまざまにある。それをしているときに楽しい・うれしいなどのプラスな感情を抱いたり、時にはつまらない・やめてしまいたいなどのマイナスの感情を抱く。私は、その感情を抱けること自体が生きがいなのではないかと考える。どのような感情を抱いたとしても、感情を抱くということは「自分がそれをやっていることを自覚していること」になるからだ。「自分が何かをしている=生きて生活している」ことが自覚できること、それが生きがいなのではないかと考える。


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「生きがい」ってなんですかね?

授業は、なんと出来たばかりの講義。神田先生は今年2年目の開講となっています。他大学で「生きがい論」という授業を設けているところは無いに等しいらしく、文教“発”の講義になりそうですよ。《生きがい》という言葉が使われ始めるようになった時代・歴史のこと、生きがいという言葉の意味、さまざまな人の生きがい観について学べます。

まだ受講していない人、面白いのでぜひ受講してみてください。


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12 月
9

今年は部活最優先だった

Posted by a6hootazemi in みさきん

新太田ゼミのメンバー決まったのですね(^ν^)//ワーイ
ブログを下の学年と一緒にやるのは賛成です!名前はそうですね。「bunkyo-ootazemi」のような太田ゼミを総称できるものが良いと思います。
前にa6太田ゼミの人のブログを拝見させてもらったことがあるのですが、興味深い話がたくさんあって刺激を受けました。同じようにb0太田ゼミの子からも、興味深い話をたくさん聞きたいです。あと、意見交換などもやりたいですね!!
・・・そのためには、まずa9太田ゼミのみんな書き込み頑張ろうーーー


あと、1ヶ月で今年が終わります。ちょうど1年前にたてた目標を見返して、「なんて部活最優先な目標なんだろう」と、面白おかしくなってしまいました。
小学校の先生になりたいという夢と、吹奏楽で全国大会にでたいという夢を両方かなえたくて入学した文教大学。まだ、どちらも叶えられていません。部活は、部としては私が1年2年の時に全国大会に出場しましたが、私はメンバーではありませんでした。今年は、三出制度という制度で大会に出れない年だったので、私に残されたチャンスはあと1回、4年生になった時です。

夢を叶えるのは簡単なことじゃない。このことはこの3年間で嫌というほど学んできました。来年1年は私にとって、勝負の年です。
『妥協』という言葉が世界一似合わない女になってみせます。


2011年12月27日(火) 文教大学吹奏楽部第34回定期演奏会   
場所:川口総合文化センターリリア  開場:16時半 開演:17時半
曲目: 知りたい人は私まで
チケット: ほしい人は私まで


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11 月
25

ルーティンがやる気スイッチ

Posted by a6hootazemi in みさきん, 未分類

論作文ゼミ、私は栗加先生のクラスでした^o^(笑

月曜日はゼミに行けず、すみませんでした。
そこでどんな話が出たのかわかりませんが、やる気スイッチの話が出たようなので、それに関連している(していないかもしれない)話で、最近興味を持ったことがあるので、書きたいと思います。

皆さんには、何かをやるとき「ルーティン」ってありますか?
ルーティンとは、イチロー選手が打席に入ると必ずやるあのポーズのように、自分の気持ちを落ちつけたり、練習と同じテンションにするためにある行動の前に必ず行う動作のことです。
先日、テレビで全日本女子バレーボールチームの特集をやっていたのですが、調子を崩していた木村沙織選手がスランプを克服した方法が、とても興味深かったのです。その方法こそが「ルーティン」だったのです。優秀な選手であるために、相手選手にべったりマークされ、自分の思い通りのプレーができなくなった木村選手。そんな木村選手に真鍋監督は「ルーティンを取り入れよう」と言ったそうです。それから、木村選手はプレーを行う前に、必ず“腕を伸ばして腕の感覚を確認する”というルーティンを取り入れたら、途端に調子が良くなったのです。木村選手自身も「ルーティンだけでこんなに変わると思わなかった」とテレビの取材の中で答えていました。

私にも楽器を吹くときにルーティンがあります。リップスラーで五線内のBから五線上のFの音まで跳躍する…という一連のウォームアップ的なことをしないと、どうしても調子がでない、というか、気づいたらやってしまっているんです。本番前の練習でも、必ず行います。それが自分のルーティンだと意識はしていませんでしたが、全日本女子バレーボールチームの特集を見て、「これが私のルーティンなのかな」と思いました。

で、やる気スイッチなのですが
何かしよう、と思ったときに必ずルーティンを行ったら、そのことに集中できるようになるんですかね?
たとえば、勉強する前に必ずほっぺをパンパンとたたく、というルーティンをしていたら、勉強したくない時でも、ほっぺをたたくと勉強に集中できたりとか…
そのほっぺをたたくという行為がやる気スイッチになったとしたら、、、なんだか、面白いですね。


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11 月
12

理科のお話

Posted by a6hootazemi in みさきん

寒くなりましたね。
私はこの時期に毎年はまるものがあります。何だと思いますか?避雷針ではないですよ。避雷針は季節限定のブームではありませんので。
…それは、“放射冷却現象”です。放射冷却現象って面白い現象だと思いませんか?寒い夜に雲ひとつなく星がきれいに見える空を眺めると、「明日の朝は放射冷却現象が起こって、すっごく寒くなるぞ!!」と、わくわくしてしまいます。
そもそも、放射冷却現象はなぜ起こるのか?
それは、昼間暖められた空気が夜の間に地球の外に逃げていってしまうことで起こるのです。(こんな感じですよね!?)
しかし、夜に曇っていると雲が温かい空気を逃がさないために、次の日の朝、寒さがそれほど厳しくなかったりします。
寒さの厳しい朝は、起きるのがつらいし、家を出るのもつらいので気分が下がりがちですが、「放射冷却現象が起こったんだ!昨日の空気が入れ替えられて、気持ちのいい朝じゃないか」と、考えるとすごくハッピーな気分になれます。

話は変わりまして、私には今1つの疑問があります。
それは「冬になると多くの葉は、落ち葉となります。なので葉緑体、つまり光合成をして酸素を出すところが無くなります。しかし、緑いっぱいの夏よりも冬のほうが、空気が澄んでいて酸素が多い気がします。酸素の量が減っているはずなのに、なぜ、冬のほうが酸素が多いような気がするのだろう」という疑問です。
私は、
『夏も冬も酸素の量は変わっていない(厳密には葉の光合成の有無で酸素の量は変わっているが、とても小さな変化でしかない)。日本は「夏じめじめ冬乾燥」という特徴がある。夏は酸素が水素とくっついて水となる割合が大きいが、冬はその割合が小さい。なので、酸素自体の量は変わっていないが、冬のほうが酸素のままの酸素(?)の割合が大きいため、酸素が多く感じられる。』
という答えを出しました。

あっているかどうかは別として、こういうことを考えていると楽しくなりますね。
なんか、最初から最後まで理科のお話になってしまいました(笑)


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7 月
8

確認した内容(防災教育)

Posted by a6hootazemi in みさきん

防災教育班です。

・学校の役割は何だろう?
 学校外にいる時の対処法はどうやって教えるのか
 停電になって放送が使えないときはどうするのか
 「おかしも」「あおしひも」等の避難に関する標語←今後内容が変わることはあるのか
 カリキュラムは実際に行なわれているのか
 防災訓練←最低ラインのことだけでは足りなかった。最大ラインは大きすぎる、どこまでやればいいのか

・地域の防災教育はどうなっているのか?
 どんなことがおこなわれているのか
 液状化も防災教育に入るのでは
 ショッピングセンター等の人が多く集まるところの防災対策
 マニュアル



 


6 月
3

来月の今日は

Posted by a6hootazemi in みさきん

最近のマイブームはアイスコーヒーです。
砂糖もミルクも入れません。にっがいアイスコーヒーが無性に飲みたくてしょうがない今日この頃。


来月の今日は・・・
教員採用試験1次試験ですね。その前日は・・・
そう、我らが吹奏楽部のサマーコンサートです。
毎年、4年生の先輩は採用試験とサマコンの時期が重なるため、とっても忙しそうです。サマコンに出ないで採用試験に専念する、という選択肢もありますが、ほとんどの先輩はどちらの手も抜くことなく両立させています。私は、そんな先輩たちを誇りに思ってきました。そして、その両立する力が文教大学吹奏楽部が全国大会で優秀な成績を残す1つの理由だと考えます。来年は絶対に妥協しない、教採もサマコンも両立させてみせる!
小免のみんな、一緒に頑張りましょう。

で、
今年はというと、サマコンに97%の力を注ぎます。(残りの3%は授業など)
サマコンは3年生が主体で行ないます。つまり、今年のサマコンは私たちの代が主体なのです。私たちは今年のテーマを「銀幕を彩る映画音楽」とし、E.T.やタイタニック、オズの魔法使いといった不朽の名作の音楽をプログラムに入れました。メインにはジブリ映画の曲を自分たちで構成し作り上げた「ジブリに恋して」という文教大学吹奏楽部オリジナルのジブリメドレーをお届けします。
皆さんにぜひとも聴いてもらいたいです。


5 月
19

競争はプラスかマイナスか

Posted by a6hootazemi in みさきん

“横やん”みたいな人が旦那さんにほしい、木曜担当のみさきんです。


りほさんといけなっぱさんの小論文にあった「子どもの学習意欲や学力を向上させるために、競争はプラスなのか、マイナスなのか」についての私の考えです。

皆さんは「1番より2番のほうがいいんだよ」って言われたことがありますか?
私は小学生・中学生だった頃はとっても1番にこだわりがあったようで、2番になると悔しすぎて泣き叫ぶということがありました。そこで言われたのがその言葉です。「1番というのはもう上がないけど、2番は上がある。だから上に行こうと頑張ることができる」
あー、なんでポジティブな言葉なんでしょうね。でも、確かに2番になると「次こそは負けない!」という気持ちから、なんでも頑張ることができました。

競争することのプラスってそこですかね?上に行きたいと思い、頑張る。それが結果にも表れるようになる。
でも、私はそれは上位にいる人に限ることなのではないかなと思ったのです。
学力の低い子の中には(もしかしたら全員が)他人と比べられると自分がみじめになると感じる子がいると思います。私も学力は低いほうだったので、定期試験や授業の小テストですら他の子と比べられるのが嫌だなと思っていました。
学力の低い子は他人との比較でなく、「自分の過去との比較」を望んでいると思います。少しでも学力が付いたという結果がでたらほめてもらいたいし、以前より下がった結果になったら先生にアドバイスをもらいたい。先生にそうしてもらえることが学力の低い子の学習意欲・学力の向上につながると思います。
意識的に競争させる環境をつくることは、かえって「自分はできない子だな」と感じさせてしまうと思いました。

しかし、学力がある程度ある子たちには競争はプラスだと思います。最初に書いたように1番を取りたいと努力することができると思うからです。

今は習熟度別で学習のクラスを分けることを小学校からやっていますよね?(少なくとも私の地元では)
学力の高い子のクラスではいけなっぱさんのように「授業の中で、子ども達に少しお互いを意識させる」こと、学力の低い子のクラスではりほさんのように「他人と比較するのではなく、児童ひとりひとりの成長を比較する」ことが学習意欲・学力の向上につながると思います。

結局、「競争はプラスなのか、マイナスなのか」の答えですが、児童に合わせて競争させることができればプラス、無理に競争させることはマイナスといった感じです。


なんか曖昧ですみません。
ちなみに私は「子供たちがたくさん発表すること(手を挙げる発表に限らない)」が学力向上には必要だと思い、そのために教師になったら子供たちに考えさせる授業をして、たくさんの発表の場をつくりたいと思っています。
自分の考えを頭に浮かべるだけでなく、それを言葉や文章にまとめることで、自分の中で整理することができ理解につながります。発表の機会を多く作ってあげることで、子どもたちは自然と「理解すること」ができるようになると思います。


4 月
22

次はにっこり

Posted by a6hootazemi in みさきん

 「子どもってすごいな」と、皆さんも1度は思ったことがありますよね。

私もいろいろな機会に思うのですが、先日とても心が温かくなる出来事があったのでお知らせしたいと思います。

 

 それは、私が電車に乗っていた時のことです。前に1歳くらいのまだしゃべれない女の子とそのお父さんお母さんと思われる人が座っていました。楽しそうにしていたので、私はその親子を観察していました。そのうち車内のアナウンスで「次は日暮里ー、日暮里です」と流れました。すると、女の子が両手の人差し指をほっぺにあて、にこっと笑ったのです。女の子の両親は大笑いしていました。「次はにっこりね!!(笑)日暮里をにっこりと聞き間違えたのね」と。私もその光景を見て、思わず笑ってしまいました。そして、とても温かい気持ちになりました。

 私たちは日暮里という名前を知ってしまっているので、アナウンスで「にっぽり」と聞いても「日暮里か」と気にも留めません。しかし、日暮里を知らない子どもにとっては「にっこり」という“笑顔”を連想させる言葉に聞こえたのでしょう。

 

 

 私はゼミで「心のケア」を担当しています。まだ現状を調べているところなので、なんとも言えませんが、子どもたちの笑顔を取り戻すことが、子どもたちだけでなく大人たちの心のケアにもなるのではないかと思いました。子どもたちが持っている力はとても大きいです。被災地の子どもたちは震災によって失ったものを、その力で必死に取り戻そうとしています。その時に直面する不安やネガティブな気持ちにより、心に深い傷を負ってしまう子が出てくると思います。その子たちが1日も早く笑顔になれるように願うと同時に、ゼミを通して私たちにできることを考えていきたいと思います。



4 月
22

ディズニーの情報力

Posted by a6hootazemi in みさきん

 前回のゼミで地震発生時のディズニーシーの対応の話を聞きました。

ディズニーと言えば「夢の国」。

(私は実際に聞いてみたことはありませんが)掃除をしているキャストに「何をしているのですか?」と聞くと“ごみ拾い”ではなく「夢のかけら/星屑を拾っています」と返事が返ってくる、というのは有名(?)な話ですよね。

そんな「夢の国」であることを徹底しているディズニーが、地震という自然災害にどんな対応をするのか、私は少し興味がありました。まさか「この揺れは、大地がダンスを踊っているのです」と、いうような説明をするのだろうかと、一瞬考えましたが、キャストの素早い指示・情報共有、プチプチシート・お菓子の配布など、適切だといえる対応をすべてのキャストが行なっていたようなので、私はただ感心するばかりでした。

 

 私は以前にもディズニーのキャストに驚いたことがあります。

吹奏楽部では毎年、ディズニーランドでの演奏の機会があります(ちなみに今年も来たる29日に演奏に行ってきます^-^)。昨年の演奏後のことなのですが、私たち部員が楽器を片付けている時にキャストから「あと10分で雨が降るから、急いで片付けてください」と言われました。その日は太陽も出ていたので(そんなまさか)と思っていたのですが、本当に10分後に通り雨が降ったのです。

その時は驚きを隠せませんでした。なぜ、キャストは10分後に雨が降ることがわかったのか。いまだに不思議です。ディズニーランドには屋外のアトラクションやパレードがあります。雨がそれらに影響を与えるので、雨の予想に関してとても優れているのかもしれません。

 

 ディズニーの卓越した情報収集・情報共有の方法についてもっと知りたいなと思ったみさきんでした。



4 月
8

エジソンの姉

Posted by a6hootazemi in みさきん

おはようございます。木曜担当みさきんです。

うとうとしながら書いてたら、金曜日になってました(笑)

今日は第2回の課題「あのとき~」を書きたいと思います。

 

 

 

 

「あのとき、私は弟がエジソンに見えた」

 

 私には2歳年下の弟がいる。鼻の下にほくろがあって、疲れると一重の目が二重になる、そんな少しかわいい弟だ。

 

 「あのとき」は私が中学3年生の時だったと思う。勉強部屋を共有していた私たちは、その日も同じ部屋で勉強していた。定期試験が近く、必死で勉強しなければならないのは弟も同じはずなのに、弟に勉強している様子が見られなかった。それどころか、はさみを使う音・テープをちぎる音がしきりに聞こえて来て、私の勉強を妨害しているかのようにも思えた。

「ねえ、何やってるの」

耐えきれなくなった私は弟に聞いた。すると弟は

「タイムマシーン作ってる」と。

 

「…はあ!?」

私は耳を疑った。しかし、弟の方に目をやり納得した。そこには、本当にタイムマシーンがあったのだ!!

弟が作ったタイムマシーン、それはドラえもんに出てくる勉強机の引き出しの中にある、あのタイムマシーンだった。弟は自分の机の1番上の引き出しの中に黒い画用紙を隙間なく貼っていた。そして自慢げに「タイムマシーンがあったらこんな感じだよね」と言った。確かに、中が真っ黒になった引き出しは、そこにタイムマシーンがあるように見えた。

 

 タイムマシーンを作ろうと考えて、マシーン自体を作るのではなく、「タイムマシーンがある空間」を作り出した弟に、私は舌を巻いた。弟の満足げな顔に、発明家エジソンの顔が見えた。

 

 

 そんな弟もこの春大学生になった。工業系の大学に進んだ弟が4年間でどんな発明をするのか、姉の私は今から楽しみだ。



2 月
23

石川先生のこと

Posted by a6hootazemi in みさきん

こんにちは。a9太田ゼミの みさきん です!!

私は吹奏楽部に所属しているのですが、皆さんは、文教大学吹奏楽部に入部すると一人一人にとってもユニークなあだ名がつくことをご存知ですか?ちなみに私は部内では「タスポ」と呼ばれています^-^

同期には「おとうさんスイッチ」「そば屋」「つまさき」「かかと」(つまさきとかかとは同じ楽器を担当しています)笑))といったあだ名の仲間がいます。

 

 

4月から本格的にa9太田ゼミが始動しますが、呼び方はみさきんでもタスポでも本名でも何でもいいので、どうぞよろしくお願いします!!

 

 

 

 

本題です!!

私は今のところ埼玉教員養成セミナーを受けようとは思っていませんが、文章を書く練習ということで、課題に取り組みたいと思います。

 

 

石川先生のこと

 

 石川先生は現在64歳。私の高校1・2年の時の吹奏楽部の顧問だ。今でも私の演奏会に、遠く静岡の地から足を運んでくれている先生である。私が大学でも吹奏楽を続けていることを1番喜んでいる人なのではないかと思う。

 

 ちょうど5日前、石川先生から便りが届いた。そこには先生の「退職記念演奏会」として地元で昨年の12月に開かれた演奏会の録画DVDが入っていた。その演奏会は、フルート奏者・北川森央さんのリサイタルなのだが、そこで、石川先生が作曲した作品「幻想曲」が演奏されていた。北川さんが石川先生の幻想曲を気に入り、ぜひということで実現した演奏会なのだそうだ。私は、プログラムをみて驚いた。バッハ、ドビュッシー、シューベルト…といた作曲家たちの作品と並んで、石川先生の作品が演奏されているのだ。自分ではないのにとても嬉しくなった。

 石川先生の作品「幻想曲」は海・祭・峠という3楽章からなる曲だ。曲にはその作曲者の性格やその時の気持ちが現れると思う。石川先生の曲を聴いて思ったのは、とても日本的で情景が浮かぶ曲だな、ということだ。先生が地元を想ってつくった曲だからというのもあるのだろうが、曲を聴いていると目の前に地元の海、祭、峠が見える気がした。(この海はきっとあの辺だろう。砂浜ではないな。観光客だったら絶対に行かない、そう、あの辺。この峠は、天城峠かな?いや、このくねくねと険しい感じは、ばさら峠のことだろう…)と、私はこんなことを聴きながら自然と考えていた。作品から見える先生は、地元を愛し、地元に感謝する心の澄んだ人だ。

 DVDをみ終え、先生に電話をすると、先生はとてもうきうきした声でこう話してくれた。

「今度、この幻想曲が全国にCD発売されることになるんだよ。自分が大学の卒業作品のために作った曲が40年も経って評価してもらえるようになったことはとても嬉しいよ。今はね、それに向けて忙しくやってるよ。あ、この間のお前の定期演奏会もよかったぞ。お前も頑張ってるみたいで嬉しいよ。また、聴きに行くからな。元気でやれよ」

 去年電話した時には「もう教師を退職したので、これからは趣味で演奏会に出かけたり、おいしいものを食べて回る旅行に専念する」と話していた先生が、新たに音楽活動をして活き活きとしている様子に私もパワーをもらった。

 

 

 石川先生は音楽の授業の先生でもあった。石川先生の授業で印象に残っているのは、最初の挨拶と日本刀だ。最初の挨拶というのは、新学期、授業が始まってまず「おーい。この授業では飴なめててもいいぞ。水飲んでてもいいぞ」と言った先生の挨拶のことだ。「飴なめててもいいぞ」って…。高校の授業で飴をなめていたら、先生に「すぐに出せ」と怒鳴られるのが普通だ。しかし、石川先生はそれを許可した。隠れて飴をなめていた生徒はびっくりしたに違いない。先生いわく、「音楽の授業では歌を歌う。そのためにのどが痛くなってしまった人や、体調不良のためにもともとのどが痛い人は、自分でのどのケアをしなさい。そのために飴をなめたり、水を飲むことは許可する。ただし、ちゃんと歌は歌いなさい」ということなのだそうだ。ここで面白いと思うのは、これを聞いた生徒たちだ。それまでは、先生に反抗しようとしていたのか、飴をなめたり、ガムをかんでいた人もいた。だが、それを許可されてから反抗心がなくなってしまったのか、授業中に飴をなめる人はいなくなった。もう1つの日本刀というのは、先生が授業で日本刀の太刀さばきを披露してくれたことだ。先生は吹奏楽部の顧問ということで、指揮を振る。力強い指揮をするためには腕を鍛えることが必要で、先生は日本刀を使い腕を鍛えていたのだ。しかも、その太刀さばきはプロのようで、日本刀がしなる音・動かす速さは目を見張るものがあった。吹奏楽コンクールに出場した時に、審査員の講評に「先生の指揮すばらしかったです」と書かれていたことがあった。その審査員もまさか石川先生が日本刀で腕を鍛えているとは予想もしていないだろう。

 

 

 最後に、私は石川先生にたくさんのものをもらった。その1つが、言葉だ。「清心澄音」これは、先生のモットーで、先生が退職される時に私たち吹奏楽部員に紙に書いて配ってくれた言葉だ。意味は、「清らかな心でないと澄んだ音は出ない。清らかな心であれば澄んだ音が出る」である。この言葉は今では、私のモットーでもある。音楽をする上で、憎しみや嫉みを持つことが表現力を増すこともあるだろう。しかし、そのような感情を持っていては澄んだ音は出せない。聴いている人に心地よいと思ってもらえるのは、澄んだ音だと思う。奏者も演奏していて楽しいと思えるのは、そのような音が出せた時ではないかと思う。

 石川先生はよく人をほめる。私は、人をほめられる人は心のきれいな人だと思うのだが、どうだろう。誰でも嫌いな人をほめたいとは思わないだろう。また、自分がいらいらしていたり不機嫌な時には他人をほめたいとは思わないだろう。石川先生はいつでも人をほめることができる。だからなのだろか、先生の歌声はその小さな体のどこから声が出ているんだ、というくらい響き、澄んでいて力強くもある。先生のつくる曲は愛にあふれ、澄んでいる。心がきれいであること・清らかであることが、いい音楽作りに影響しているのではないかと私は思う。

 先生からもらった「清心澄音」という言葉は、音楽をする者としてに常に自分の中に留めておきたい言葉だ。そして、この言葉は石川先生を最も簡単に表す言葉であると思う。

 

 

 

 

「石川先生のこと」ということで書いてみましたが…

書いている時は、先生のことを考えながら楽しく書いていたのですが、いざ読み返してみるとうーん。まあ、練習ということで…



ホットワード 文教大学 人間科学部 太田 いいんちょう
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