5 月
19

スチューデントアパシー的無気力と抑うつ的無気力

Posted by a6hootazemi in はせ

考察と疑問

 今回の学習性無力感の無気力は、抑うつ的無気力と同義であると考えます。今回この抑うつ的無気力のモデルと援助法を詳しくみて、前回の無気力の分類の先行研究は合致するところがいくつも見られました。また、スチューデントアパシーの構造とは異なる点がいくつも見られました。スチューデントアパシーは、悩めない行動障害があります。回避や否認という行動をとるので、悲観的・否定的に考えることをしないのです。また、援助方法も、ほかの心理療法に見られるような言語のやり取りを中心に進めていくのではなく、今陥っている関係・行動からの脱却が必要であると考えられています。そして「悩みが出てきた」ということが、回復傾向にあるということなのです。(下山、1999)分類の先行研究でも、スチューデントアパシー的無気力群は、分析的考え方が他の群に比べて低く、援助方法として効果が期待されています。スチューデントアパシー的無気力の援助としては、面談による治療よりも、行動療法の色合い強く出るのかな、と思いました。
 このようにみていくと、スチューデントアパシーと抑うつ的無気力は全く別のモデルであり、メカニズムと考えざるを得なくなってくるのですが、私は今回この文章を読んで、「成功体験」はどちらの無気力にも関係するのではないかと感じました。抑うつ的無気力は、先ほど要約で述べたとおりですが、スチューデントアパシー的無気力についても、考え方や効果の根本的な考え方は違ってくるのですが、「成功体験の繰り返し」(もっと広く言えば、失敗体験との反復)が「悩めるようになる」ことにつながってくると思うのです。分析的に考えてみることはもちろん重要ですが、成功と失敗を自らの感情を伴って体験しないことには悩む=自分を振り返ることはできないのではないでしょうか。成功したから「うれしい」、失敗したから「悔しい」という感情が後々の「自信や意欲」と「無気力」につながるのだとしたら、「成功体験」(あるいは失敗体験)は重要なことだと考えます。また、その体験を通して、行動変容にも繋がっていくことも考えられます。
スチューデントアパシーに効果的だといわれる生活分析・行動分析の論文も探していきたいです。あと、抑うつ的モデルとスチューデントアパシーに共通しているようなモデルはあるのか見ていきたいです。

卒論もやらなければ!!!


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5 月
18

学習性無力感の構造と援助

Posted by a6hootazemi in はせ, 未分類

前回、スチューデントアパシーについて論文の要約などを書き込みましたが、これは私が大学院に入ったらやりたい研究内容の作成の材料集めということです。前置きがなくいきなり書いてしまい、何のことかわかりませんでしたよね?申し訳ないです。
今回は少し長いので、2回の投稿に分けます。ここでは広い定義での無気力を扱っている文章(桜井茂男)の要約を紹介します。

無気力とは、一般的にはやる気がなくて落ち込んだ状態のことを言うが、専門用語ではない。
軽い落ち込みや短期持続的なものも含めると抑うつには分類されないので抑うつとは言い切れないのだが、広い意味で捉えるのであれば、無気力も抑うつの一種といえる。

学習性無力感
セリグマンによって定義された概念である。次のような3つの障害を伴う。
①認知的な障害
ものの考え方にまとまりがない、注意が散漫になりやすく物忘れがひどいなど
②動機づけの障害
行動を始発することが鈍く、他律的となる。困難に出会うとすぐにあきらめるなど
③情緒の障害
物事に悲観的否定的、怒りっぽく落ち着きがない
また、無気力現象は成人より青少年(15~24歳)に顕著である。近年は不登校生徒の主たる原因にもみられ、無気力の蔓延は子どもにまで及んでいる。

セリグマンは、犬が電気ショックによるのではなく、電気ショックを自分で統制できなかったことによって無気力が生じることを実験によって証明した。予告なしに電気ショックが与えられ、何をしても回避できなかった犬は、同じ量の電気ショックを受けたものの鼻でパネルを抑えれば逃れられた犬よりも後続の回避学習における成績が極端に劣っていた。電気ショックの量ではなく、統制できないという認知が無気力を発生させたのである。
同じ原理で人間でも無気力が生じることが分かっている。

非随伴的な      統制不可能の         学習性無力感
 体験     →     予期     →  (動機づけ・認知・情緒の障害)

改訂学習性無力感
その後の研究で、統制不可能な経験をしても、無気力にならない人たちが相当数いる。当該経験の原因を体調不良にあると考えたのであれば、次回はそうではないことが予想されるため、将来も統制不可能であるとは予期しない。この場合には無気力にならない。この点に配慮しセリグマンらは従来のLH理論に「統制不可能な経験の原因帰属」を導入し、「改訂学習性無力感」を提唱した。原因は三つの次元に分類される。
①原因が自分の内部にあるのか外部にあるのかという「内在性」
②原因が比較的安定的か変化しやすいかという「安定性」
③原因がどのような出来事にも共通するのかその出来事だけに当てはまるのかという「一般性」
                                            
絶望感理論
改訂LH理論との主な違いは、
①発生のきっかけとして非随伴的行動を否定的経験にしていること
これにより、ストレス理論とのつながりを持たせた。
②否定的な原因帰属と個人差としての原因帰属を分けたこと
改訂LHの実証的研究の混乱を解決した。
③抑うつ的帰属様式を素因として位置付けたこと
このモデルでは、否定的な経験と帰属様式との交互作用がによって無気力の発生が予測される。
④原因帰属の内在性の次元を無気力の発生と関係ない次元にしたこと

このモデルは改訂LH理論をさらに緻密化し、ストレス理論との整合性を高める理論として位置付けることができる。


動機づけ概念を中心にしたモデル
無気力の発生は対人関係の要因が重要な役割を演じていることが予想され、対人関係の要因を積極的に取り入れたモデルである。(桜井 1994)

社会的特性 → 学習目標 → 学業達成・失敗場面の原因帰属様式 → 無気力

・社会的特性には、公的自己意識(容姿を気にする傾向)や愛着、他者からのサポートなどが含まれる。
これらとはほぼ反対に、他者からのサポート感は周りの人から支えられているという感覚、認められ援助してくれると思える傾向で、愛着は自分を大事にしてくれる人たちだと思える傾向である。
・学習目標は、周囲から能力が高いと認めてもらいたく努力をしないでよい成績を取ろうとする成績目標と、努力してわからないことがわかるようになることを大切に考える熟達度目標がある。
・学業達成・失敗場面の原因帰属様式は、学業達成場面の中での失敗場面の原因を何に求めるかという原因帰属の個人差である。
・公的自己意識を持つ人の流れ
公的自己意識を持つ人は他者からの目を気にするので成績目標を強く持つ。そして学習達成・失敗場面の原因帰属では能力不足に原因を求める。努力しなければならないことを認めてしまうことは、自分の無能力を認めることになってしまう。当初は「運が悪い」などと外的で変動的な要因に原因を求めるが、いずれは能力不足に原因帰属せざるを得なくなる。
・他者からのサポート感をもち愛着を形成している人の流れ
サポート感があり愛着が形成されている人は他者の目を気にしなく自分の目標を持つことができるため、熟達目標を強く持つ。次の学習達成・失敗場面の原因帰属で熟達度目標を持つ人は努力不足に求める。自分が学業で失敗しても努力不足であったと思うため、さらに努力すれば成長できると思うのである。
しかし、これらは成績目標から努力不足、熟達目標から能力不足へのマイナスの影響も考えられる。

最終的には原因帰属様式が無気力に影響を及ぼすと予想する。
失敗の原因を能力不足に求める人は、能力は固定的なものと考えることから無気力になったり助長させるかもしれない。一方失敗の原因を努力不足に求める人は、努力さえすればよい結果となると考えているために無気力にならなかったり無気力を軽減したりするものと考えられる。

無気力の克服と予防
学習性無気力感で重要なことは原因帰属の仕方によっては無気力にならないということである。基本的には、失敗の原因を安定的で一般的な要因(能力)に帰属しなければ良いのである。つまり、外在的で変動的で特殊的な要因に帰属すれば良いのである。具体的に言えば運だが、運は不安定でコントロールできない。たまにおこる失敗であるなら運に帰属すれば良い。長い目で見れば成功経験を多く持つことが無気力にはならないための前提条件であることがわかる。
日本の研究からは逆に「運」を原因帰属しないことが必要であるという考えがある。つまり「能力」に帰属するのである。しかし少ない成功経験を能力に帰属することは難しいので、この場合も成功経験を多く持つことが有効である。
達成動機付けモデルでは、失敗の原因を努力に帰属すれば良いと考えられている。しかし、いまだに研究結果は芳しく、今後の研究が必要である。
また、愛着や他者からのサポート感を生むことが重要であるといえる。(桜井2000b)
これらを育むことができれば、成績目標を持つ人は確実に少なくなり、結果として無気力を抑制することも可能である。他者からのサポート感が強い人は成績目標を持ちにくいことは実証されている。したがって能力不足に帰属することなく結果無気力にならないと考えられる。

考察と疑問に続きます。


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5 月
15

論文の要約と研究の意義

Posted by a6hootazemi in はせ

今回は、スチューデント・アパシーの最近の研究についての論文をまとめました。論文の書き方の確認も兼ねました。(考察以下が箇条書きですが、あくまで要点をおさたかったので。)先行研究を詳しく調べること、そして今後自分はどの部分を掘り下げて研究をしていきたいのかを明確にすることの重要性を学びました。


大学生における無気力の分類とその特徴 (狩野・津川 教育心理学研究 2011 59 168-178) 

研究の目的は、大学生の示す無気力がスチューデントアパシー的無気力と抑うつ無気力に分類可能かどうかを検討し、それぞれの特徴について考察することである。スチューデントアパシーとは、特定の原因が内にも関わらず勉学に対して選択的に無気力を示して、無感情化した大学生の状態を指した言葉である。今までの無気力研究はスチューデントアパシーという視点と抑うつの視点の二つから研究がされてきたが明確に区別できなく、混合してしまう危険性が考えられる。また、両者を区別して考察されているものがほとんど存在しない。
このことから狩野・津川(2008)は、質問紙調査を行った。私的自己意識は学業に対する意欲低下と負の相関、抑うつ気分と正の相関があることが指摘される。
しかし、心理的特徴の差異となりうる私的自己意識(自己の内面に考える傾向)に有意差が認められなかった。

スチューデントアパシーの特徴としては
(1)悩めない心理障害
(2)悩まない行動障害
(3)適応強迫性的性格
があり、(1)と(2)について、自分自身について考えられない、また考えようとしない状態が考えられる。(下山1997)

抑うつの特徴は、自己没入傾向の高い人ほど抑うつ状態を呈しやすく、また持続してしまうことが示されている。(坂本1997)

以上のことから両者の差異を説明する上で、「自分について考える傾向」は重要な特徴であるといえる。
しかし、先行研究と一致しているとはいえないので、問題点を提起し、新たな尺度を使って質問紙調査を行う。
問題点と尺度の変更
①抑うつ尺度(SDS)を抑うつ気分尺度へ
SDSの身体症状項目には倦怠感・睡眠障害など、スチューデントアパシーにも当てはまる項目がふくまれるため
②私的自己意識から反応スタイル尺度へ
心理的特徴の差異として自己の内面についてだけではなく抑うつの発生や維持についても示唆する。個人の反応として現れる認知や行動のことであり、自分について考える頻度だけではなく、考えている内容も検討する。
③縦断的データの収集
一時的に無気力・憂鬱な気分になることは誰しも経験する。よって、縦断的にデータを収集し、継続したものと確認したうえで無気力が分析可能かどうかを検討する必要がある。

仮説1:持続的に学業に対して無気力を呈する群は持続的に抑うつを伴う群と伴わない群に分類することができる。
仮説2:抑うつ的無気力群は、スチューデントアパシー的無気力群よりも、抑うつになった時に考え込む傾向が高い。特に抑うつ的無気力群は否定的考え込みが顕著に高く、スチューデントアパシー無気力群は分析考え込みが顕著に低い。


検査方法
質問紙による調査で実施回数を三回、その間隔を4週間とし、持続的な無気力・抑うつを捉えるようにする。

平均と標準偏差
PAS全体と下位尺度(勉強 授業 大学意欲低下)
RQS各界尺度(否定的 分析的考え込み)
における得点の平均の標準偏差を表す。

尺度
①改訂版大学生用ストレス自己評価尺度におけるストレス反応の抑うつ情動反応(最近二週間のうつ気分を測定)
②意欲低下領域尺度(大学生に各領域における意欲低下を測る)
③反応スタイル尺度(否定的に考え込む傾向、分析的に考える傾向を測る)
①②はネガティブな結果ほど高く、③はその傾向が強いほど得点が高くなる。


分析方法
持続的に抑うつを伴う群と伴わない群に分類できるかクラスター分析を行った。クラスター分析とは、与えられたデータから似た者同士を集めていくつかのまとまりに分類する方法である。
クラスター分析を行い、5クラスターを採用した。
①スチューデントアパシー群:抑うつ気分得点は平均以下 勉強意欲得点は持続的に高い
②平均群:全ての得点が平均的
③高意欲群:全ての得点が低い。意欲的に大学生活を送っている
④高抑うつ群:抑うつ気分得点は高い 勉強意欲低下得点は低い
⑤抑うつ的無気力群:全ての得点が高い

PASとRQSそれぞれの尺度を従属変数とした分散分析を行い、それぞれ有意であった。さらに多重比較検定を行う。


考察
・持続的な抑うつを伴う群と伴わない群の存在が明らかになり、分類可能ということがわかった。
・スチューデントアパシー的無気力群の大学意欲低下得点がさほど高くないことから、学業以外での活動に没頭している人は大学意欲低下得点も低くなるとは考えにくい。
・抑うつ的無気力群は意欲低下を示す得点が有意に高く大学生活前の案に意欲低下を示していると言える。
・抑うつ的無気力群はRSQの否定的考え込み得点、分析的考え込み得点が有意に高く、スチューデントアパシー的無気力群は分析的考え込み得点が顕著に低いことから、仮説が全面的に支持される。
・各群の特色から、先行研究の結果と一致が見られる。


援助・予防
・否定的に考え込む傾向を低めることが、抑うつ的無気力の軽減及び予防的関わりとして考えられる。→及川・坂本(2007)の心理プログラムは考え込みからの脱却を期待できる
・白石(2005)の認知行動療法を基にした心理的介入プログラム
・レジリエンスとして自分の判断や行動を見直し自己解決する自立的傾向
・分析的に考える傾向を平均程度まで高めることがスチューデントアパシー的無気力の軽減・予防へ
・現在の生活を分析し、やるべきこと・したいことを整理する生活分析的カウンセリング(松原 2003)の効果の可能性


課題
・各群のデータが少ない
・無気力の予防・援助について実際の効果を示すものを検討していく必要がある
・スチューデントアパシー的無気力群、抑うつ的無気力群の学生が、実際生活場面においてどのように考え行動しているのかを知る必要性→インタビューや自由回答の質問紙調査
・生態学的妥当性の高い結果を得ること
・無気力得点の現象を予測する要因、ストレスへの緩衝効果を持つ要因を検討


まだ不十分だと感じたところは、課題にもありますが、スチューデントアパシー的無気力群の実際の生活や行動ではないかと思いました。インタビューや自由回答での質問調査での実態把握は必要であると思いました。
レジリエンスについても興味を持ちました。先行研究で少しだけ触れているものも見つけたのですが、スチューデントアパシーが中心となっている研究の記述ではなかったため、ほかに先行研究がないか、または詳しい研究がされていないのかを調べたいです。


卒業研究の目的と意義についても考え直す学びともなりました。「研究」とは一体どういうことのなのか、自分の認識の曖昧さに気付き、恥ずかしくなりました。既存の文献を用いて記述するのは授業のレポートと一緒です。太田先生もおっしゃっていましたが、研究は自分でテーマを掘り下げて新たなものを見出す作業です。行き詰ることは当然で、最初からゴールはないのです。私の現状の場合だと、ただ文献や記事から引っ張るだけではなく、そこから自分は新しく何を見出していきたいのかをもっと色濃く、明確にしていかなくてはと思いました。今更ですが、研究の意義を再認識できて良かったとプラスに考え、今後も卒業研究に励みたいと思います。


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5 月
1

負傷した少年の回復

Posted by a6hootazemi in はせ

みなさんGWをどうお過ごしでしょうか。GWのせいか、今日はなんとなく学校が静かな気がします(笑)
5月に入り、いよいよ教育実習が始まります。完全朝方にしなければ!!

今回は、2月に起きたオハイオの少年の銃乱射事件について、回復したWalczakという少年の話の記事があったので述べていこうと思います。


負傷した男子学生は事件が起こった2月27日以降、記事によると3月30日に初めて学校に戻りました。彼が学校の扉を車いすで通ると、生徒たちは拍手喝采をしました。
彼は、彼を助けてくれた先生や、現場の医療補助員に非常に感謝の意を述べていることがわかりました。
男性教師は、射撃後、彼の足を引っ張って部屋の中に入れ、安全なところにとどめさせ、興奮している彼を落ち着かせようとしました。記事には、そのことが繰り返し述べられていました。
また、彼は回復するまで地元の病院にいました。彼は足を撃たれ、感覚を失いました。病院では弱ってしまった半身を使うことなく動くことが大変であり、ベッドに入ることを学ぶのに一週間かかったと述べました。
彼はこのことを通して、惨事の後のお互いの結びつきによって明らかになったように、コミュニティの強さを学んだと語っています。
そして、亡くなった他の学生の冥福を祈り、彼らの家族に対しても静かに祈りをささげると述べました。

また、事件を起こしたT.J.Laneについて、事件を起こした動機は未だ不明であるということです。彼に対し、メンタルにおいての検査がされ、大人のように試行できるか、という聴取を引き延ばしているということです。この心理検査について、詳しい記事がないか今後調べていきたいです。

★この記事の考察
まず、事故後約一か月で負傷した少年が学校に戻ることができたということに驚きました。読み進めていると、彼が戻ることが可能であった背景には、周囲のひととの強い結びつきがあったのだと推察します。
彼自身のメンタル面や体の状態について詳細には書かれていなかったので一概に言えないのですが、病院での生活で大変であったのは体を自由に動かすことであり、睡眠障害やフラッシュバックについては書かれていませんでした。また、事件が起きた現場に一か月で戻ることができたという事実から、外傷体験に関する情報や場への回避行動はみられません。このことから急性のPTSDには陥っていないと思われます。
自分を助けてくれた周囲の人々に感謝したり、遺族を悼む気持ちもあるので、現在の心理状態は比較的しっかりしているのではないかと思われます。

今回この記事はThe Columbus Dispatchというオハイオ州の日刊紙から見つけました。この新聞はオハイオ州のベスト新聞ということで、地域の情報や調査など総合的なニュースが詳細に記載されています。このような地域新聞の活用もしていきたいです。




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4 月
23

アメリカの心理治療の体制について

Posted by a6hootazemi in はせ

前々回のゼミで、米国の災害時のメンタルヘルスの支援体制についてもう少し調べていきたいことをお話しました。今回は、アメリカにおけるメンタルヘルスの実際はどのようなものなのかを調べました。簡単にまとめながら、感じたことも含めて述べていきたいと思います。

●臨床心理士の立ち位置の違い
日本の臨床心理士は国家資格ではありません。アメリカでは、医師も臨床心理士も、州ごとの免許制なのです。簡単に言えば、日本では、医師の下に臨床心理士がつきますが、アメリカでは、医師と臨床心理士は対等な関係にあるのです。治療には保険の不適応が関係します。日本では心理治療に保険は適応されないのです。大体の診療所は一回の面談につき5、6千から1万円となるでしょう。保険が適応されれば、多様なニーズに対応できます。病院内の専門の科に渡りやすくもなるでしょう。その分日頃から医師と心理士の連携も密なものになるのではないでしょうか。
臨床心理士の地位の問題から、臨床心理士が独自に動きやすくなることは関連しているのではないかと思いました。以前ブログにアップした、ハリケーン・カトリーナの災害時に、メンタルヘルスケアチームと警察が連携を密にとりあって動いていたというのは、「州のお墨付きの臨床心理士」という認識も、パートナーとして一緒働くことに強い信頼を持つことができる一因なのではないかと思いました。災害時の緊急支援の際に、国が臨床心理士を管理していれば、もっと迅速かつ機能的に派遣できるのではないか、という疑問は、3年生のゼミでの研究の時から思っていたことです。たしか、多くの団体は登録制であったと思います。また、民間などで既存の○○カウンセラーという肩書にも疑問が残ります。多様性という広がりはあると思うのですが、市民の方々に専門的なことはわからないので、はっきりと選別できるような制度は必要であると思います。

●日頃からの体制の整備と認識、そして応用
 米国では、通常のメンタルヘルスの支援を、災害時に応用する、という考え方を持っています。通常時の事故や自然災害、火災または社会的弱者への支援などで、各支援団体がそれぞれこなす業務を把握しているのです。そうすることで、大きな災害時にも具体的かつ迅速な対応ができます。また、米国では資金提供を行う財団が、各NPO団体の日頃の防災活動への支援を行っているため、災害時にも各団体に適切な財政支援をすることができます。各NPO団体の特性を把握しているので、このようなことが可能となるわけです。
 すべてに通じることなのですが、各分野と連携をとって支援を行うことです。心理面だけではなく、身体の異常がみられるという側面から考えると、医師や、指圧・鍼灸師といった医療関係者との連携が不可欠です。また、障害者や高齢者のための福祉という側面や、衣食住などの環境の整備をしていくことも、生活していく上で重要です。災害後の様々なニーズに対応できるように、それぞれの分野が特性を把握しあい、意識して支援体制を組んでいく必要があります。

●アウトリーチについて
アウトリーチとは、医療・福祉関係者が直接的出向いて心理的なケアとともに必要とされる支援に取り組むことです。これは、マイノリティグループに向けられる支援であり、マイノリティグループとは、災害時における「災害弱者」のことを指します。日本はマイノリティグループであるが故にアウトリーチが難しいとする見解もあり、それは、日本人の日常の少数派コミュニティとも深く関連しているのではないかということです。
この「アウトリーチ」に関しては、具体的な直接的支援の事例などと合わせて、まだまだ深めていく必要があります。

まだまだアメリカの体制の把握、日本との比較研究をするには材料が乏しいので、引き続き材料を集めていきたいと思います。





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4 月
15

得意な覚え方で、「できた」という喜びを

Posted by a6hootazemi in はせ

 皆さんは「知能検査」を受けたことはありますか?私は、友達の実験のお手伝いということで、WAIS-Ⅲを受けたことがあります。小免の授業でも、WISC-Ⅲについてとりあげていたし、ウィクスラー式の知能検査はなにかと耳にするので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。
子どもを対象にした知能検査はWPPSIやWISCだけではありません。今回取り上げるK-ABC知能検査は、学習困難な児童、LDなどの発達障害児の子どもにどのような指導をしていけばよいか導くことができる知能検査だという印象をうけました。子どもを対象にした心理・教育アセスメントバッテリーとして利用されているK-ABC知能検査について述べていこうと思います。

K-ABC知能検査とは?
 K-ABC知能検査は、1983年に認知・神経心理学を基礎としてカウフマン夫妻によって開発されました。日本では10年後の1993年に日本版K-ABCが刊行されました。
 この知能検査は、子どもを対象とし、心理・教育の両局面からアセスメントを行い、子どもの適した教育的働きかけの方向性を示すものです。
 心理・臨床的アセスメント、LDやその他の障害児の心理・教育アセスメント、教育計画の作成と適正就学、就学前児のアセスメント、などに用いるのに有効だとされています。
 構成として、大きく分けて認知処理過程尺度と習得度尺度の2つの尺度があります。
 認知処理過程尺度はさらに継次処理尺度と同時処理尺度の2つの尺度に分かれます。継次処理尺度では、それぞれの単語をそのまま覚える継時処理、つまり連続的・時間的な順序で情報を処理し、解決する力を測定します。同時処理尺度では、グループ化して覚える同時処理、つまり一度に与えられた情報を空間的に統合し、全体的にに処理して課題を解決する力を測定します。この2つの統合が認知処理過程尺度であり、K-ABCにおいて全体的知能をあらわします。
 習得度尺度では、2つの認知過程を実行して蓄積された知識を測定します。言葉・数・計算などです。
継次処理、同時処理の比較、さらには習得度との比較により、各処理能力が学習場面において十分活用されているかをみることができます。

K-ABCの特色
K-ABCとウィクスラーと比較しながら特色を述べていこうと思います。
 ウィクスラーは子どもが習得してきた事実に関する知識を問います。学校での学習困難な子どもの「問題解決能力としての知的能力」を正しく測定することはできません。
 一方K-ABCは、知識を問題とすることをできるだけ避けており、新奇で公平な内容による問題解決を要求するものを設定しています。また、聾・難聴・言葉の障害を有する子どもたちを測定できるように、ジェスチャーなどの非言語尺度も取り入れています。
 このことから、様々なニーズをもつ子どもたちにアセスメントができるようになっていることがわかります。

結果と教育的な応用
 継次処理と同時処理の間に有意差がみられる場合、子どもの得意な処理様式に合わせた指導を提案することができます。
継次処理(ボトムアップ)が優れている:入ってくる情報を一つずつ順番に処理して問題解決をするのが得意。順序性を踏まえた教え方や聴覚的・言語的な手がかりの重視します。段階的な考え方(スモールステップ)や部分から全体への方向性をふまえた教え方も効果が期待されます。
同時処理(トップダウン)が優れている:入ってくる情報を全体として空間的・類推的に統合して問題解決をするのが得意。関連性をふまえた教え方や、視覚的・運動的な手がかりを重視し、継次処理とは逆に、全体から部分へ方向性を踏まえた教え方が合うでしょう。

 以上を踏まえ、継次処理・同時処理を用いた漢字の書き方、覚え方の指導を考えてみました。
 継次処理形式では、漢字の書き順を一画ずつ目の前で見せます。その際に「1、2、3・・・」と声に出して書いていきます。漢字の読み方を確認し、ノートには漢字の覚え方やヒントも書き込んでおきます。そして、指導者と一緒に話し合いながら、漢字の形を具体的な言葉にしたり、日常に似た形のものを見つけたりして理解していきます。
 同時処理形式では、漢字の全体像を見せて、どのような形であるか目でイメージを捉えさせます。子どもは書き順ではなく、概念で捉えようとします。それから、徐々に漢字を分解していきます。「この形とこの形がくっついていたね?」と紙に書きながら覚えさせるのです。さらに、「この形はこっちの漢字にも使われていたよね?」と、漢字の「偏と旁」を他の漢字と関連させて覚えさせていきます。そして、線と線を組み合わせて偏や旁などの形ができることを理解させ、書き順通りに書けるように指導していきます。
これは、あくまで私の案なので、ほかにもっと良い方法があるかと思います。

注意すべき点として、どの知能検査でも言えることなのですが、知能検査のみで子どもの持つ知能を全て測れると考えてはいけません。子どもの状態や、検査の場所、検査者との信頼関係によって、結果が変わることもあるのです。検査中の子どもの状態も観察しながら、総合的に判断していくことが大切なのです。

最後に、 教師は学習困難な子どもの状態を把握し、その子どもが自分の持つ能力を十分にひき出せる「その子どもに合った指導法」で共に勉強していくことが大切なのだと感じました。そして、その指針となるであろうK-ABC知能検査を用いて、効果的な指導を行えば、「できた!」という喜びや自信につながっていき、学習への興味や意欲も増進していくのではないかと思いました。


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4 月
9

スチューデント・アパシー

Posted by a6hootazemi in はせ

異常心理学を勉強していて、この「スチューデント・アパシー」という言葉と出会いました。このスチューデント・アパシーは私たち学生と切り離せない症状ではないかと思います。勉強していて、この症状について耳にしたことのない人にはぜひ知っておいてほしいな、と思ったので、述べていこうと思います。

 そもそも「アパシー」とは、感情や興味の欠如と定義されます。また、精神医学用語として無感情や感覚順痲を意味します。基底には知性・情動・分裂という精神的傾向をもち、親や周囲の期待に応えるために偽りの自己をつくりだします。
そのアパシー状態に「スチューデント」という言葉がつきます。言葉通り、学生の無気力状態です。スチューデント・アパシーは生活の一側面に関する部分の限定的アパシーであり、精神分裂病における全面的なアパシーとは質的に異なるとされています。 特に「学習」に対して無気力になります。むしろ、バイトなどの他の活動は積極的・活動的にこなす傾向があります。
 スチューデントアパシーの行動障害は以下の3つに分類されます。
1 悩まない
批判が予想される状況のみを選択的に避け、それ以外の場面では適切な能力を発揮することがあります。また、困難な状況に関して事実経過は認めるが、自らが対処していかなければならない深刻な状況として受け止めません。
2 悩めない
自分の内的欲求を意識できず、自分がやりたいことがないことも意識できないまま、周囲の期待に合わせて自分を保とうとします。日々の生活にメリハリがなく、興味や関心を持たず、ぼーっと過ごすことも多いです。
3 自立適応強迫 性格
主観的にきちんとしていないと気が済みません。きちんとできない場合、それを避けることできちんとした状態を保ちます。期待されることを先取りして行動します。他者の気持ちを組むことに優れている半面、自己の欲求に基づく行動ができません。

また、上記の3つに加えて、「悩まされる」関係者という要素が加わり、障害の進行を固定化する悪循環の回路が形成されます。本人は悩んでいないのに、その状態に対して周囲の人々が悩んでしまうのです。

このスチューデント・アパシーは大学生において、よく出る症状です。自分のイメージしていた環境とのギャップや、周囲の競争意識、将来自分は何になりたいのか、という不安などから現れると考えます。そして「学習」がストレスとなってしまうのです。5月病や、無気力症候群などと言われることもあります。受験戦争を勝ち抜き燃え尽きるというバーンアウトや、将来のイメージ形成にかかわるモラトリアムなどが関連してくると思われます。

この症状は、どの国にも普遍的にみられる障害ではありません。これは日本の文化も問題となっていると考えられます。また、生物学的な機能障害ともいえません。日本以上に受験進学戦争の激しい韓国でも青年の無気力やアパシーが広がっているとの報告があります。日本文化、さらには東洋の文化がこのような症状の形成に与える影響なども検討していく必要があるでしょう。

私たちも時々、学習に対してイライラしたり、もうやりたくないなあ・・・なんて思うことがあると思います。しかし、それが慢性化してしまうと、日々の楽しさや喜びなども次第に減少していき、マイナスな考えしか浮かばなくなってきてしまうのです。
予防としては、、(1)睡眠の良否に注意する、(2)朝の気分をバロメーターにする、(3)物事を楽しむ能力を大切にする(4)進歩の感覚を大切にする、(5)几帳面はほどほどにすることが大切である。 などがあげられます。
また、なんでも話せる家族や友人を見つけることも大切です。話しやすい環境づくりという点で、教師やカウンセラーもその役を担うべきであると思います。
そして、個人が一日一日、一か月、はたまた一年の「目標」を持って生活することが大切だと思いました。










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4 月
2

米国においての災害の状況と対応

Posted by a6hootazemi in はせ

新年度になり、学年もひとつあがり、四年生になりました。四年生という自覚を持ち、一層気をひきしめて日々すごしていこうと思います。

卒論で扱う文献でまだアップしていないデータがあったので、まとめて載せたいと思います。私の卒論のテーマが、海外における心のケアということで、今回は災害について調べました。

2005年8月に、アメリカでハリケーン「カトリーナ」が発生し、多くの被害をもたらしました。ルイジアナ州の都市であるニューオーリンズもその中のひとつです。筆者は心理学者であり、緊急のメンタルヘルスケアのチームに所属し、主にニューオーリンズで災害の被害を受けた人々の援助にあたりました。その中で筆者は緊急にたちあげたメンタルヘルスケアのチームについて、また、入念に作り上げたメンタルヘルスケアの体系について述べています。

● カトリーナがもたらした被害状況について
ハリケーンのエリアにいた人々でも、避難しなかった人々は多かったようです。町は洪水となり、堤防は決壊し、市民は閉じ込められてしまいました。
支援している人々のほとんどは家を失いました。市内の避難所はカジノのフロントやホテルでした。9月の中旬には巡航の船で住めるようになりました。受け入れ可能な地域に移住した人々もおり、子どもたちも地域の学校に通うことができました。
被害は深刻なもので、道といえる道はなく、もちろん信号機もありませんでした。そして、たくさんの瓦礫が山ずみになっていました。

● 筆者の取り組みと援助の方法
 避難所には多くのストレスを抱え、涙を流す人々がいました。筆者はニューオーリンズの同僚たちに何ができるかを聞いて、どんなことが助けになるのか理解をして援助を行いました。避難所で支援している人々のほとんどが家を失ってしまい、住まいを移した子供や家族のためのメンタルヘルスプランの作成に当たりました。
 筆者が災害時に所属していたルイジアナ州の大学の健康科学センターは、12年もの間、児童虐待に携わる警察の課と連携をとって仕事をしていました。なので、今回の災害時にも、警察と連携をとり、協力して援助をしました。
 主な支援の方法は状況の把握や、情報集めから始まります。個人や家族とともに問題を解決していきますが、このとき利用する情報には限界があることに伴い、関連させ行います。そして、彼らの生活習慣、日課の間隔を取戻し、彼らの生活基準により回復力をつけて援助します。
 援助する側の心的外傷についても述べています。支援者の男性二人の自殺が発覚し、彼らの心的外傷について明らかにしなければなりませんでした。筆者たちは自らの心的外傷と、避難民たちのメンタルヘルスをどのようにしていくかという重要性について話し合いが行われました。
 子どもの支援についても多く述べられています。筆者たちは、スクリーニングの改訂版と、児童期・思春期の子どもたちのためのアセスメントを体系づけました。主に避難の間や緊急事態の後、そして移住している間の体験に関してです。このアセスメントで10000万人以上の子どもが回復しました。
 ニューオーリンズの隣町では、被災した子どもたちの受け入れをしており、被災した子どもたちを学校に通わせることができました。しかし、受け入れにより、子どもの人数が25%もふえてしまったため、筆者たちに、職員向けの被災した子どもたちのためのガイダンスをしてほしいという依頼がありました。心的外傷がある個人やグループと同様に、たくさんの生徒が増加している学校のシステム、職員の心的外傷や災害後の経験について、支援をしたとのことです。
 災害後にハリケーンごっこをして遊ぶ子どもたちもいます。両親など周りの大人たちがこれをみて心配したりやめるように言うのも無理はありません。しかし、この行動はトラウマを減少させるための行動であり、心配には及ばないのです。筆者たちセラピストはそのことについて両親にじっくり説明し、理解してもらいます。また、子どもがトラウマ体験を話すことも重要です。そして、あおのトラウマを自分のことのように感じて、共有するのです。その上でセラピストは言葉をかけるのです。

簡単にですが、考察を・・・
この文を読んで、アメリカのメンタルヘルスケアにおける支援体制で気になったのが、警察との連携です。東日本大震災の時に、日本の多くのメンタルヘルスにおける支援をしている団体を調べましたが、警察と連携をとっている様子は見受けられませんでした。アメリカ全体がこのように普段から警察と連携し、信頼関係を気づいている状態にあるのか、州によって異なるのかも気になります。援助体制に日本と違う点がみられたので、調べてみようと思います。
まだ解釈があいまいな部分があるため、もう少し読み込む必要があると思いました。
これに限らず、また新たなことがわかったら、ブログにアップしていきます。


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3 月
26

専門の学科ではないからこそ

Posted by a6hootazemi in はせ

 教養を学ぶことについて、太田先生の投稿がありましたので、私の考えを述べたいと思います。
 私も、教養を身につけることは重要なことであると考えます。専門科目の知識だけを増やしても、それが教師に必要な多様性や柔軟性、そしてより良い問題解決ができるようになるとは到底思えません。先生のおっしゃっているように、教養のない専門職(教師・カウンセラー・ソーシャルワーカーなど)の人々には期待しないという方が自然です。専門職というのは、その領域だけを極めれば良いということではありません。特に現代には様々な人がいます。そして、様々な子どもたちがいるのです。さらに言えば、人々を取り巻く環境も多種多様です。それに対応するには、教養を身につけ、なおかつ自らが専門とする領域と結び付ける必要があるのではないかと考えます。
 かくいう私も、まだまだ十分に身に付いていません。しかし、これを機に教養について見つめなおし、自らが学んできた学部。学科での学習を省みて、まだまだ足りないところは補っていくように努めたいです。
 少し話は脱線してしまうかもしれないのですが、先日他大学で教員志望をしている友人たちと(彼らもまた教育学部ではありません)教育学部ではないからこそ、多様な考え方ができるのではないかという話になりました。特に人間科学科は、「何を専門にやっているかわからない学科」と頻繁に聞かれることも多いと思います。しかし、生かすも殺すも自分次第、というように、本当に様々なことを学べる学科であるのだな、と思います。私は特に、福祉の授業が印象に残っています。福祉と教育は結びつきやすいので、興味を持ちやすいとは思っていたのですが、福祉の制度(保育や児童に関連するものだけではなく老人福祉法や障害者自立支援法などの基礎知識も含め)について具体的に学ぶことが出き、教育(学校教育と限定するのではなく、もっと広い意味で)と分離することなく連続的に考えることが重要であるのだと授業を通して学びました。
 教授が教育専門ではなかったり、友人たちも必ずしも教師志望ではありませんよね?だからこそ、学べる範囲が広いことも事実なのです。私は心理学を専門にこれから学んでいこうとしているのですが、違う道に進む友達との会話から、凝り固まった自分の概念が溶けて、より良い学びをすることも多いです。
 専門知識だけでは勤まらないという意味においては、カウンセラーが学校カウンセリングをする際に、子どもや保護者、教師を相手にする者が学校の制度や学習のカリキュラム、子どもの成長についての知識が十分にないとはいかなるものか、という議論がでてきます。私もこれについては同じ意見であり、学校の組織や仕組みを理解した上で、その環境の中にいる子どもたちや教師を援助できるのであると考えます。
 専門を極めることは重要ですし、私もより磨きがかかるように努力をしていきます。しかし、教養を身につけることで、多様な問題に対応でき、修正や改善をして、向上していくことによって、より理想に近づくことが可能になるのではないかと思います。
 教養は、時代、民族の文化理念の変遷に応じて異なるものでもあります。その点においても、古典を読むというのは必要であるように感じました。

 


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3 月
19

米国におけるメンタルヘルスケアの支配者

Posted by a6hootazemi in はせ

こんにちは。私は今、地元長野に帰省をしています。新幹線を降りたら空気がつめたくて驚きました。風邪をひかないように気をつけたいです。

私は今、卒論のためにオハイオ州で起きた少年による銃乱射事件について追っているのですが、銃の発砲事件を調べる中で気になる記事に出会ったので、紹介したいと思います。

「海外に行ったら病気にかからないようにしろ」といわれたことはありませんか?たしか同じゼミの誰かさん(笑)は保険をかけずに海外にいったんですよね!それを聞いたときはそのことについて気にしていなかったのですが、それがどれほど危険なことか思い知らされました。

アメリカの医療費はとにかく高額です。外務省が海外旅行をする人々に勧告するほどです。
その実態はどのようなものなのでしょうか。そして患者に対してどのような影響を及ぼすのでしょう。

私の見つけた記事にはまず、「メンタルヘルスケアをするよりも銃の購入のほうが簡単である限り、たくさんの銃乱射事件は今後も起こるだろう」と書かれていました。
アメリカのヘルスケアは「利益」を優先し、ビジネスが絡んできます。病院経営が株式会社化しているという現状があるのです。そして、それをコントロールする実質的支配者は保険会社にあります。いわば患者も治療者も、さらに病院という大きな組織さえも、保険会社の利益のために踊らされているといえるのです。マンハッタンのSt.Vincent Hospitalでは、良い薬物治療(詳しくは書かれていなかったのですが切り詰めるのではなく、患者のためといえる薬物療法を行っていたということだと推測します)を施行してきたが、bad business(=利益だけを追い求めること)のために病院が破たんしたとのことです。そもそも医療を切り詰めるなど治療者の道徳に反することであり、この点についても激しい批判がありました。
また、アメリカは訴訟王国でもあります。訴訟を恐れた病院側の過剰な診断という点も問題視されています。
過剰な診断によって医療費は高騰し、さらなる利益に繋がるということです。

私は以前、ADHDの過剰診断についてブログで書いたのですが、過剰診断の原因として、このbad businessが絡んでいるのではないかと考えました。州や地域によって診断の差が激しいということは、病院側の治療に対する過剰さからの違いとするならば頷ける部分もあります。でもこれって、診断基準を設けること以前の根本的な仕組みや制度の改善から考えなければいけないということなのでしょうか。それについても今後調べていきたいです。

さらに記事には、治療者を失った統合失調症患者の発砲事件についても述べられていました。保険料を支払えず保険会社と言い争いをした医師が、500万の借金をして彼のカウンセリングを急遽やめてしまい、彼は長い間治療が受けられずにいたとのことです。このような状態は残念ながら、今の時代のカウンセリングを反映するものであるということです。

カウンセリングもビジネスの一貫。貧しい人は高額な治療費から病院で相談することもままならない時代。
そのようなことで良いのでしょうか。

ふと、「美容院のような感覚で、気軽に来れる場所」という歯医者のキャッチコピーを思い出しました。
カウンセリングもそのような場所であるべきだと私は思います。
わずかな心の異変に気付いたのであれば、我慢したり見過ごすことなく相談することです。虫歯も初期にみつけて正しく治療すれば治りは早いです。心の病も同様です。それには相談しやすい環境があるということを理解してもらうことからはじまると思うのです。そして、カウンセリングは何のために行うのかという根本的な部分を決して見失ってはなりません。

アメリカは社会の枠組みから、本当に反道徳的な治療をせざるを得ない状況でしかないのでしょうか。まだまだ疑問は残るので、今後も調べていきたいと思います。


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3 月
12

東日本大震災発生から1年

Posted by a6hootazemi in はせ

昨日は3月11日、東日本大震災発生から1年が経ちました。
あるSNSで友人がこの「発生」という部分を強調して述べていました。「東日本大震災から1年」というと、地震は1年たった過去のものというニュアンスが言葉の中に含まれているように感じます。物理的な「大きな揺れ」はありませんが、今もなお地震の影響は続いています。私たちはそのことを忘れずに、被災地の状況に目を向け続け、原発の動向や政府の対応に注意し、自らの中にある「東日本大地震」を風化させてはならないと思います。

私は去年の学祭で発表した、東日本大震災の調査・レポートで、「こころのケア」について取り組みました。
調査活動をしたのは主に夏の次期でありました。その後はどのような取り組みがされているか気になったので、調べたことを述べていきたいと思います。

・現地の状況
 当時よりも仮設住宅の建設が進み、被災者は大きな避難所から仮設住宅で生活するようになりました。慣れない生活が始まり、一日一日生きるのが精一杯であった生活から、自炊をして、布団で寝るという本来してきた生活を徐々に取り戻してきました。しかし、フラッシュバック・罪悪感・家族を失った悲しみ・将来の不安などから心理的ダメージを受けて、PTSDになる人々もいるということです。
 労働環境は依然厳しく、漁業をしていた人々は仕事がなくて仮設住宅に引きこもりがちになります。
 仮設住宅の壁は薄く、隣の人の声が気になったり、子供の声がうるさかったりなどでトラブルがおこるというような、心理的ストレスもあります。昨日まで話していたお隣さんが突然いなくなることもあるそうです。
 冬の時期は、被災地は雪で覆われます。お年寄りは足が悪く外にでることができません。一人で生活する方も多くて、話し相手がいないという状況なのです。また、お酒を飲みすぎたり健康を害してしまうケースもあります。冬になるとボランティアの数も減ってしまい、仮設住宅に閉じこもりになった人たちのこころと身体を気遣うように、個別の訪問をして、仮設住宅で暮らす方々のお話をきくそうです。
 2012年1月より自治体の要請を受けて、全国心理業連合会の心理カウンセラーが毎週被災地でこころのケアの相談員として活動しています(最低でも2012年12月まで継続予定)。被災地で活動するカウンセラーの数はまだまだ足りなく、参加を募る呼びかけがされていました。

・クリニクラウンの活動
 現在も引き続き、クリニクラウンは被災地(宮城・岩手)の病院(小児科)を訪問しています。3月になり、子どもたちや病院スタッフの複雑な思いを推察するが、次回のクリニクラウンの訪問を「楽しみにしています」と声をかけられるのだそうです。2月には「東日本大震災におけるクリニクラウンの被災地特別派遣」の写真展や、様々な団体と共同して、ワークショップやセミナーを開催していました。クリニクラウンの活動や、現場の声に触れることができる場があることによって、より理解が深まります。機会があれば参加したいと思いました。(主な開催地が大阪なので、時間や費用がかかるため考えものではあるのですが・・・)

震災から数カ月がたち、心のケアにおいて重要であるのは、自分の考えていること、もやもやするものを何らかの形で表出することだと思います。「身近な人の喪失」、「生き残ってしまった罪悪感」や、「仕事に就けない将来の不安」、「日常生活でのストレス」などを、心の中に閉じ込めたまま抱え込むと、それが蓄積されてPTSDに陥ってしまいます。そのために、言葉として相手に伝えることは重要です。現地に向かうことができる心理カウンセラーの派遣の数が増えることが望ましいのですが、現地のボランティアの人々が被災地の方々の話に耳を傾ける時間が少しでも増えることで、被災地の方々にとってよりよいこころのケアができるのではないかと思いました。


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3 月
5

花の温かさと思い出

Posted by a6hootazemi in はせ

今日は雨で図書館に来るのも一苦労でした。今週は雨が続くようで、春らしい気候を待ち望むばかりです。
駅には梅園公園の看板がありました。もう梅が見ごろの時期になるのか、と思いました。

 みなさんは学校の近くにある梅園公園に行ったことはありますか?私は越谷に越してきた当初、この梅園公園の存在を知りませんでした。しかし、一年ほど経った大学一年生の春休みに偶然見つけたのです。
 大学の第5グラウンドのちょうど裏側に梅園公園はあります。私は毎日土手を通って学校に行っており、以前5グラにも何回か行ったことはありましたが、立派に生い茂る木々があるせいか、土手からはその場所を見ることはできませんでした。春には、土手に咲き乱れる桜に私たちは心を奪われ見入ってしまいます。桜を今か今かと待ち焦がれ、気づいたときには梅の見ごろは通り過ぎていたようです。
 梅園公園には予想以上にたくさんの梅の木々があり、白い花やほんのり赤みを帯びた花をつけて、あたり一面に広がっていました。いままでこれだけ多くの梅の花をいっぱいに見たことはなかったので、しばらくの間立ち止まって眺めていました。
 梅の木は桜の木と違って、「背」が低いように感じます。花の細部まで観察でき、ほんのり色づいた花は小さく可愛らしいです。着けている花の量も、桜の木に比べて、梅の木は少ないです。一つ一つの花が枝につく姿をみると、堂々としており誇らしげに咲いているようにも感じました。
 外の気温はまだ低く、時々吹く風も冷たかったのですが、梅の花は心をほんわかと、和やかにさせました。

 季節の移り変わりは、周りの木々や花など植物の衣替えによって感じさせられます。3月は梅、4月は桜、5月にはハナミズキ、そして、新緑が美しい季節へと移り変わっていきます。
 植物は私たちの心を和ませるだけではありません。季節の節々に植物をみることによって、過去の出来事も想起させられます。「小学生の頃に家族と桜のお花見をした時の思い出」や、「新緑の中を通って学校に通った日々」など、人それぞれ、その植物に対しての様々なエピソードがあるでしょう。それを懐かしむことも、花々を見るときに感じることであり、「今年は誰とお花見をしようかな」と花が咲くもう少し先の未来に、わくわくした気持ちにもなります。

雨は植物にとって待ち望んだ御馳走でもあります。この雨があがったら、きっと色とりどりの植物が咲く季節になるのだろうな、と、期待も込めて、そんなことを思いました。





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2 月
28

表現活動の楽しさとはたらき

Posted by a6hootazemi in はせ

こんにちは。もうすぐ2月も終わりますね。春休みも折り返し地点にさしかかり、「だらけずにやることはやる」日々にしたいです。

 今回は、冬休みに触れた、総合的な学習について書こうと思います。
 私の母親は小学校の教師をしており、専科は音楽です。母親の、子どもとの学びあいの特徴は、一言で言うと「音楽制作」です。たとえば、総合の時間で作った農作物について、歌を作ります。子どもたちは育てる過程で苦労したこと、成長していく過程の楽しさ、収穫の喜びをグループごとに歌詞にします。そこに母が曲をのせて、「一つの作品」が完成され、主に参観日に発表会を開き、子どもたちは元気よく歌うのです。

 私はふと疑問に思いました。子どもたちは歌詞作りにつまずかないのか、ということ、そしてグループ単位で作っていかなければならないので、まとめ役がいなければ進まないのではないか、ということです。
 しかし母親は、私の心配をよそに、不思議と子供たちは自主的に取り組むのだと答えました。各グループに、自然と「リーダー」となる子供はでてきて、話し合いは進行します。(リーダーをあらかじめ決めることもあったそうですが、今は特に決めないそうです。)教師の役割は、子どもが脱線しないように注意すること、子供たちがどのような言葉の表現にすれば相手に伝えやすくなるか困った時にヒントを与えることです。しかしこれらの指導もほとんどせずに、子供たちは歌づくりに励むということです。
 自分たちの経験したことなので、言葉の表現のアイデアはたくさんあります。特に「楽しさ」「嬉しさ」「喜び」といった感情を歌詞にたくさん含んでいます。自分たちが経験したことをテーマにすること、そして世界に一つしかない歌を自分たちが一からつくり、工夫してよりよいものにしていく楽しさを見出すことから、子供たちの意欲や関心が向き、増進していくのであるのだろうと思いました。

 実際に映像またはCDで聞いたときに印象的であったのは、歌の強弱や抑揚がはっきりとしていて、一つの歌の中に子供たちが経験した様々な出来事、それに伴う様々な感情が表わされており、ギュッと凝縮されていて、聞き手も非常に楽しめる作品になっていたということです。身振り手振りも、小さな動作から大きな動作まで、多様な動きをしていました。(たとえば農作物の大きさを表すために手を横にいっぱい広げたり、収穫の際の土から掘り出す動作などです。)

 このような活動を通して、子供たちが変わったことは、発表や音読に対する姿勢であるといいます。(もちろん学年、学級ごとに効果の大きさは様々ですが総合的にそのように感じたということです。)
 直接的に関係しているとみられる国語と音楽ではその姿が特にあらわれ、ほかの教科でも同様に、声を大きくはっきりと出すこと、そして自分の考えを述べる回数が増えたそうです。言語的、または非言語的な表現、そして操作的ではなく自主性を重んじた活動によって、子供は創造力を働かせ、工夫して作っていくことの楽しさを感じることができるのではないかと思います。また、友達の考えをきいて、お互いに良さを尊重しあい、協力して一つのものをつくることも重要な学びであるのだと感じました。
 


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2 月
20

出会うこと、そして学ぶこと

Posted by a6hootazemi in はせ

こんにちは。後輩のみなさんの書き込みも多くなり、ブログが賑やかになってきましたね!今日はやっと春を感じられるくらい暖かで、綺麗に晴れていますね。このまま春一直線になってほしいものです。(長野県民といっても、寒いのは苦手なのです。)

 昨日は図書館が休刊日なので、越谷市立図書館に行ってきました。本を探しに行くことはあったのですが、市立図書館に勉強をしに行くのは初めてでした。
 読書スペースと称された場所で、各々勉強したり、調べ物をしたり、読書をしたりするのですが、開館から15分たらずで半分以上の席が埋まりました。周りをみると、小学生くらいの子どもから、60歳くらいの方まで様々な人が利用していました。
 その中で、目に留まるものがありました。赤本です。皆さんも受験生時には文教大学の赤本を購入して、繰り返し問題を解いていたのではないでしょうか。赤本を持っているのは大体が高校生、浪人生です。私は浪人して、文教大学に入ったので、受験の思い出は強い印象として残っています。
 勉強のことも勿論ですが、浪人中の思い出は、勉強ばかりが印象的だったのではありません。様々な人々との出会いがありました。先生方はもちろん、一緒に頑張る仲間たち、そして社会の中で働くという意味を教えてくれたバイトでの出会い。その中でも私が特に印象に残った方のお話をしたいと思います。

 私は典型的な朝方体質です。部活動もバスケットボール部に所属していたので、毎日6時過ぎには家を出ていましたので、朝起きることは苦ではありませんでした。開館前に着くこともしょっちゅうありました。そんな日々が続いていると、ある方に声をかけられました。
「最近よく見るけど、朝早いね。」
振り返ってみると、高そうなジャケットに、パールのネックレス、髪の毛はショートカットでほんのりと茶色がかっていて、お化粧もきちんとされている、「おばさん」がいました。先生かな?と思ったのですが、私のクラスを担当している先生ではないし、職員室では見たことがなかったので、心の中で少し首をかしげながら
「おはようございます。先生も朝早いですね!」といいました。すると、
「私は先生じゃないのよ。ここで働いている掃除のおばさんですよ。」とおっしゃいました。
それまでも掃除のおばさんは見たことありますが、挨拶をしても顔まではちゃんと見ずに通り過ぎるだけでした。制服姿をみると、たしかに掃除のおばさんです。その後、そのおばさんとどんどん仲良くなって、お互いのことを話すまでの仲になりました。その時に、自分は大学に行けなかったこと、子どものために過酷な労働も耐えて頑張り続けたこと、今の職業のことなどたくさんお話をしてくれました。私はその話を聞いて、自分にはやりたいことがあること、それに向かって頑張れる時間や環境があることに改めて感謝し、更に勉強に励むことができました。
 おばさんはたまに、「この建物ではここが一番汚れやすいのよ」という掃除の話や、「今年の子たちはよく挨拶してくれてうれしい」という話もしてくれました。私たちは、掃除のおばさんのことを普段あまり気にしていなかったのですが、掃除のおばさんは私たちのことをしっかりみていることがわかりました。それに、予備校は高校までやってきたような全体の清掃時間というものがありませんから、掃除はおばさんたちにまかせる形になっています。私たちが当たり前につかっている教室や廊下やトイレも、おばさん達が掃除しているからこそ快適に使えるのです。おばさんと仲良くなる中で、気づくことができた大切なことでした。大学に合格した時も、すごく喜んでくれて、何人かの友達を含めてご飯を食べに行きました。やっぱり外に出るときはブランドの洋服に身をまとった、掃除のおばさんとはわからない姿でした。朝早く来ないとわからない姿であるので、ちょっと得意げになったりもしました。まさかここまで仲良くなるとは思いませんでしたから、本当に素敵な出会いをしたと思いました。

 文教大学にも掃除のおばさんや用務員さんがたくさんいます。私はそのたびに予備校の掃除のおばさんを思い出し、掃除のおばさん達の顔を見て挨拶するようにしています。私たちが気持よく大学で生活できるのは、この方々があってこそだと思いますから。

 出会いはどんな所にあるかわかりません。「予備校は勉強をするところ」と通う前は思っていました。しかし、実際はそれだけではありませんでした。わたしが予備校で得た一番大きなことは、この掃除のおばさんや様々な人々との出会いも含め、「大学で学ぶということがどういことか」や、「実際に社会に出て働くこと」について高校時代には考えられなかったことを考える時間であったことのように思います。

 赤本を持っている高校生は大学に進学するために猛勉強、大学3年生である私たちはそれぞれの道へ進もうと努力しており、将来を考え進路を決める次期は絶えずやってきます。その時に、周りの人の話や会話を大切にし、自分を奮い立たせたり、新しい考えや違った見方を学ぶことの重要さを改めて感じました。



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2 月
13

ADHDの診断基準

Posted by a6hootazemi in はせ

こんにちは。春休み、いかがお過ごしでしょうか。たった今、勉強会をしている12号館の外を通りました。私も実習前に模擬授業やりたいので、後々参加したいです!それぞれが進路に向けてがんばっているなあ、と感じます。今しかできないことを全力でやっていきましょう。今回は、最近読んだADHDの英文について、考えたことを書こうと思います。

AD/HD[注意欠陥多動性障害]という症状はみなさん御存じだと思います。不注意・多動性・衝動性を主な症状とする発達障害のことをいいます。補助教員などをやっている人はADHDの子どもとかかわる場面があったと思います。現在普通学級に在籍している児童で、ADHDの症状がある、もしくは傾向がある児童は2・3名程度いるそうです。家庭での教育や、教師の対応だけではなく、児童を取り巻く地域環境にも目線を向けることが重要となってきています。

この前読んだ、ある英文の話はADHDの過剰診断の話でした。欧米では、ADHDの過剰診断について、前から問題になっているようです。アメリカでは、ADHDの薬物治療として使用しているメチルフェニデートの使用が1990年頃から急激に増加したようで、全ての年齢のグループにおいても増加傾向であったようです。それは、おそらく以前ADHDと診断されなかった症状に対しても、ADHDという診断をくだしているためだと解釈されています。さらに、欧米では、ADHDの州ごとの患者数の比率の差が著しく、隣の州であるのに、ADHDと診断された患者数は4倍の差があったことがわかっています。ADHDの診断基準の曖昧さが表され、重要な問題は診断の対等性ではないとまで記述されています。ADHDの兆しと似ている行動パターンが5歳頃に現れることもあり、全てをADHDととらえるのではなく、子どもの生活の状況であったり、ストレスが含まれている可能性、もしくは薬物の可能性(ここでいう薬物の影響とは副作用のことであると思われます)も示唆する必要があると警鐘を鳴らしています。

日本においてはどのような診断基準であるのでしょうか。アセスメントは単にADHDであるかを診断するだけではなく、その子どもに対していかなる援助が必要かを考えるための情報を得ることを目的としています。様々な医学的検査や心理的検査がありますが、行動の観察や、面接による聞き取りを重視しているようです。

子どもの行動パターンについて情報を集め、並行して薬学的、医学的治療を行っていくことを必要としている点においては、日本・アメリカともに同じ認識であるのだと感じました。

診断基準を設けることは必要であるとは思うのですが、ADHDや自閉症は併発している可能性が大きく、症状も様々です。確かな診断基準がないのであれば、ひとりひとりの子どもの行動や情動の特徴を見つけて、対応していくほかはないのだろうか、と考えさせられました。


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2 月
8

大学生の時にやるべき3つのこと

Posted by a6hootazemi in はせ

こんにちは。先日は飲み会お疲れ様でした。さえこさんへの色紙も渡せたし、最後に一言ずつメッセージを伝えられてよかったです。またやりましょうね!!
ブログの書き込みがかなり久しぶりになってしまいましたが、これから決められた日にきちんと書いていきます。

 私は居酒屋でバイトをしています。早いものでもう半年以上たちました。忙しいときも多く、失敗することもあって落ち込んだりもしますが、マスターやママさん、他のバイトさんもみんな親切で面白いので、楽しく働いています。
 私は以前、ビュッフェレストランや物販でバイトをしていた経験があります。いままでのバイトで共通していることは全て接客業ということです。しかし、居酒屋は他のバイトと接客において大きく違う点があります。それは、「常連さん」の存在です。常連さんはだいたい来る曜日が決まっています。頼む料理、お酒の順番、こだわりがあることもわかってきました。ありがたいことに、私の名前を覚えて話しかけてくれる方も増えました。その中の一人の常連さんが、私に話してくださったことを書きたいと思います。
 
「大学生の時にやるべき3つのことがあるんだけど、思い浮かぶかい?」
私は、「勉強することとたくさん遊ぶこと、あと自分の視野を広げることですか?」と聞き返しました。
「もっと具体的に、3つだよ。」
私は考えましたが思いつきませんでした。皆さんは思いつきますか?


まず一つ目は、部活かサークルに入ることです。それも、2年以上在籍すること。
社会的な仕組みや、上下の関係、組織とその中での自分の役割を学ぶために、2年はいることだそうです。
二つ目は論文を書くことです。太田ゼミの皆さんなら、論文はお手のものでしょう(笑)論文は、単なるレポートだけではなく、その時の思考、さらには情動も反映するので、「構成を練って論文を書く」という技能だけでなく、自分を顧みる時にも効果的であるということです。
三つめは、大恋愛をすることです。この「大恋愛」を定義するのは難しいのですが、常連さん曰く、「自分を犠牲にして命をかけられるくらいの深い愛」だそうです。こればかりはやろうと思ってできるものでもないのですが、若い感性を持っているうちに体験することに意味があり、あとの人生がより豊かになるということです。

 皆さんはこのうちのいくつを達成していますか?また、達成できそうでしょうか。賛否両論いろいろ思うこともあると思いますが、どれにも共通していることが1つあります。それは、すべて「対人関係の中で培われる」ということです。部活やサークルは1人では成り立ちません。論文をより深みのある良いものにするためには、誰かに見てもらったり、共同研究をしたり、議論をする必要があるでしょう。もちろん恋愛は相手がいなければできません。
 大学という場所は社会と異なって、一人でいようと思えば一人でいることができます。しかし、それでは、大学に入った意味が無いのも同然であるのです。知識や技能を学ぶことはもちろん重要です。しかし、大切な友達ができること、先輩・後輩と関わること、先生から学ぶこと、好きな人と巡り合うことができるのが大学という場所であると思います。そして、このような人間関係の中で、楽しい時間を過ごすだけでなく、より豊かな人生にしていく上で必要となる経験やスキルを学んでいくのだと感じました。


 ちなみにこの常連さんから「人と付き合う時の5カ条」も教えてもらいました。いろいろな視点から考えることができて、勉強になります。聞きたい人はわたしに聞いてくださいね!





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9 月
26

心のケア班 表紙

Posted by a6hootazemi in はせ

遅くなりました。申し訳ないです。
目次です。

こころのケア
~子どもたちのこころを癒すために~

1章 はじめに
2章 震災後のこころのケアの現状
(1)被災地の学校におけるこころのケアの現状
(2)被災地以外の学校のこころのケアの現状
(3)専門機関が行っているこころのケア

3章 私たちのこころのケア教育の指導案
4章 まとめ

とりあえずこれで進めていこうと考えています。


8 月
25

心のケア班 クリニクラウンについて

Posted by a6hootazemi in はせ

最近ご無沙汰していました長谷川です。
心のケア班は先日ブログの書き込みにもあったように主に3つに分けて研究・調査をしていこうとおもっています。
その中で私は「クリニクラウン」ついての研究・調査を進めていこうと思っています。
私たちは教師の心のケアの現状を調べるとともに、それだけではなく、子どもの心のケアを行っている活動にどんなものがあるかを調べていたら、このクリニクラウンに行き着きました。教師の心のケアは、専門性がない分(もちろん皆無とは言いませんが)限界があります。ゆえに、事例などから調査は十分できるのですが、似たような事例や内容が多く、私たちが今まで調査したり、報告会で聞いたものばかりとなって、内容に膨らみを持たないのではないかと思いました。もちろん教師の心のケア活動も調査・研究していきますが、私たちの研究の中心のスポットを「子どもの心のケア」とし、現地での調査活動、そして今回取り上げるこのクリニクラウンの3点から進めていく方向となりました。

ここで簡単にクリニクラウンの活動と特徴を説明します。
クリニクラウンとは、クリニック(病院)とクラウン(道化師)を合わせた造語で、入院生活をおくる子どもの病室を定期的に訪問し、子どもに笑顔を届ける道化師のことです。
主役は「子ども」であり、入院中の子どもを楽しませ、主体的に遊べる空間を作ることを役割としています。
クリニクラウンは2人1組で活動します。これは、子どもにクリニクラウン同士の関係性を理解してもらうとともに、コミュニケーションの大切さや楽しさも体験させるためです。
クリニクラウンには、認定試験があります。これは、病院で活動する以上、正しい知識と子どもたちへの配慮を十分に行きとどいた上での活動が求められるからです。そして、週に1度など、短いサイクルで定期的に訪問しています。

簡単な説明となってしまいましたが、日本クリニクラウン教会のホームページのURLを載せておきます。http://www.cliniclowns.jp/03_cliniclown_tokucho.html
また、検索で「クリニクラウン」と打てば最初に表示されるので、ぜひ見てみてください。

私は今、クリニクラウンとして被災地で活動をしていらっしゃる塚原成幸さんとコンタクトをとり、調査活動を行っています。
新しい情報はまたまとめてアップします。






7 月
11

心のケア

Posted by a6hootazemi in はせ

・これまでの心のケアの発表を踏まえて、教師や外部の支援を再確認し、
 過去の事例や現場の声を聞き、教師を軸にして考えた震災での心のケアの現状とこれからを調べていく。

・インターネットで実際の現場の人々、大学教授、臨床心理に関わっている人々のブログや調査書
 などを探す。
・電話をかけて、お話をきいたり、可能であれば実際に現場に行ってお話をお聞きする。
・さまざまな心理療法があるが、実際現場ではどのようなケアがなされているか調べる。

◎情報共有は常に行う 
◎ゼミの時間などで話し合いを行う

とりあえず今回話し合ったのはここまでです。


6 月
5

色々な進路

Posted by a6hootazemi in はせ

最近は天候が悪いですね。雨ばかり続いています。寒かったり暑かったりで体調も崩しやすいので、気をつけていきたいです。

6月になりました。
課題も指導案を作る教科がでてきました。教師という仕事の中にどんどん足を踏み込んでいく実感がでてきました。

周りの友達は就職活動や教育実習の真っ最中です。内定が出た人もいて、話を聞くことも多くなりました。
私は企業就職は今のところ考えていないのですが、就活の話は興味深いことばかりです。
「自分と向き合う」ことがどれだけ重要か、ということをみんな口をそろえて言います。自己分析に加えて他己分析も必要となってきます。就活の初めのころ(去年の12月からの冬の時期)に何人かから簡単にですが、「わたしの短所と長所を教えて」と、聞かれたことがあります。ESに記入するときや面接のときに聞かれるそうです。
受ける会社も30社が最低の数(業界などによって差はあると思いますが)と言っていた友達がいました。いちいち一喜一憂していると精神的にもたないとも言っていました。
就活のメンタルの持ちようも人それぞれなんだなと感じました。
すごく悲観的にとらえてしまっているひともいれば、むしろいきいきとしているひともいます。「楽しむ」という気持ちを持ちながらというのはなかなか難しいことなのかもしれないのですが、それができている友達をみて、なんだか羨ましいなあ、とも思いました。

学校をやめて違う進路を進む友達もいます。
自分のやりたいことを専門学校で学んだり資格をとったりしています。
「せっかく4大に入ったのに学歴がもったいないよ」という人も多くいますが、私は遠回りしながらも自分のやりたいことが定まったひとを尊敬します。
会うといきいきしながら学校で学んだことや、忙しいなかの充実した日々を話してくれて、それを聞くと私自身もうれしくなるし、自分も頑張らなきゃという思いになります。

今自分が興味を持って動いていることは、とても大切なものだと思います。
まずは「やってみたい」「知りたい」という意欲が大切なのではないかな、と思うからです。
いろんな人と話して、聞いて、見て、無数にある生き方から自分だけの進路を見つけ出したいです。


5 月
27

後輩

Posted by a6hootazemi in はせ

「教育」は、単に大人が子供に指導することを指すわけではありません。
私たちの身近なところに「教育」はたくさんあります。
たとえば、バイトの新人さんへの教育。これは経験がある人もいるのではないでしょうか。時には自分よりも年上の人に対して教育することもあると思います。
地域に視点を向けてみると、市や町の公民館や施設などで、講習会や講演会が開かれています。大人が大人へ教育をするのです。よりよい生活、生涯学習のためのものであると考えます。
もう一度、身近な視点に戻してみると、学校の後輩への指導も「教育」に入ると思います。
私は部活とサークルに所属しているのですが、新入生が入部して、最高学年として取り仕切る場面も増えてきました。
新入部員はわからないことだらけです。わからないことは丁寧に教えてあげたり、一緒にやったりします。お喋りしたり、ご飯に行ったりします。先輩は「こわい」とか「話しかけづらい」という印象をもってもらいたくないのが正直なところです。しかし、あまりにも仲良しになりすぎても、上下の関係が締まらなくなってしまうこともあると思います。的確に、鋭いことを言うことも必要だし、秩序が乱れていたら正すのも先輩の役目であると思います。わたしはなかなか怒れないというか、強く言えない性格なのですが、部活には部活の、サークルにはサークルのルールや秩序があるので、後輩に言うべきときにはしっかり言える自分になりたいです。
サークル、部活ともにあと半年で引退です。
今しかできないことを、いまの仲間でできる最後の期間です。
この部活に入って、サークルに入ってよかったな、と振り返ることができるように、楽しむことはもちろん、自分の役割を自覚して活動していきたいです。


5 月
27

国語の授業でのこと

Posted by a6hootazemi in はせ

かなりため込んでしまいました・・・ ため込んだ分を更新しようと思います。連続投稿失礼します。

毎週土曜日の1限に国語科教育Ⅰという授業があります。小免の人たちは一緒に受けていると思うのでわかると思います。
一週間前の授業のときのことです。「大学生活の改善点について」という題での一分間スピーチがありました。授業前に考えておくように言われていたのですが、おおまかにしか考えていなくて、まさか自分があたると思っていなかったので、かなり焦りました。私は2番目だったのですが、最初に発表した太田ゼミの山田りほちゃんが筋の通ったわかりやすい内容で一分間ぴったりで話し終わるというすばらし発表のあとだったので、かなりプレッシャーでした。
私の発表した改善点は2つ。まず一つ目に、発表する際に大勢の人の前で話すのが苦手であるので、徐々にでも克服すること。二つ目に朝寝坊をせずに、規則正しい生活を送り、頭を働かせて授業に臨むことです。
内容はほとんどアドリブで一分間でなんとかおさまったのですが、私が気になったのは内容の出来ではなくそのあとの先生の一言でした。
「よくできたけど喋り方に癖があったね」
前々から友達にも指摘されていたのですが、自分ではあまり自覚症状がないのでどのような癖があるのかわかりませんでした。
しかし、思い返してみると、友達と喋る時、喋るスピードに緩急というか、語尾を伸ばしたりだとか、そういった「ちょっとした癖」がいくつかあることに気がつきました。
普段友達と喋る分には大丈夫だとはおもうのですが、大勢の人前で、遠くまで聞こえるように話すには、一定の速さと音量で話さなければ、相手も聞き取りづらいということです。
子供たちと会話をするときも、聞き取りやすいように話さなければ、違う解釈をしてしまう可能性もあります。これから人前で発表するときは、このことに気をつけて発表していきたいです。


5 月
2

私の子供のころ

Posted by a6hootazemi in はせ

「子供のころの原風景を思い出してみよう」という授業があった。

原風景とは、生まれてから8歳ころまでの父母や家の周りの風景や遊び場、友達などの環境によって無意識に形成された記憶の一部として投影された忘れられない思い出の風景であり、個人の主観的なものであるとされる。

その時に私が思い出した原風景は、家の近所にある公園の四季の風景である。高い木が茂っていて、葉と葉の間から太陽の光が差し込み、季節によって違う植物が生え、木の実がなっている。神社と隣り合っているため、夏には櫓をたてて盆踊りをし、冬には獅子舞が踊り、初詣の参拝客で賑わう。そんな風景である。

今思うと、自分が子供のころは、自然とともにあった記憶が多い。遊ぶのは裏山だったり、田んぼを走りまわったり、川辺で水遊びなんかもした。綺麗な石を拾っては、集めて瓶にいれて、珍しそうな花や木の実を拾っては、自慢げに両親に見せびらかした。

子供を遊ばせるには、自然の中が一番良いと思う。先月、保育園の子供たちと遊んだのだが、(昔はあったのかもしれないが)私が思いつかないような素敵な想像力があった。「この石麒麟みたいに見えるよ」「この石とこの石をつなげるとゾウにみえるね!」「この花と葉っぱでこんな船が作れるよ」と、子供の発想に驚かされた。

文教大学の近くにはたくさんの植物がある土手があり、子供が走りまわっている姿もある。私の家の近くには緑がたくさんある公園があり、親子連れや中学生くらいの子供たちで常に賑わっている。自然の中で人とかかわることによってコミュニケーション能力はさらに増し、親子間・友達間の会話も増える。子供と遊ぶ時は「たくさんの自然遊び」を教えてあげたいし、自分自身も自然と触れ合いながら子供のときの気持ちと失いかけた創造性を働かせたいと思う。


4 月
23

自分の知らない自分の発見

Posted by a6hootazemi in はせ

4月から3年生になり、今週から授業が始まった。2年生に比べると大分時間に余裕ができるが、時間をどのように活用し、充実した時間が過ぎせるかが課題でもある。大多数のひとが進路について悩み始める時期でもあるだろう。もちろん私もそのなかの一人である。自分が今持っている能力や、物事に対しての興味や関心を見つめなおす大切な時期でもあるだろう。自分が将来やりたいこと、進みたい道を見つけるのは困難なことである。小さいときからずっと変わらない人もいれば、迷って立ち止まってじっくり吟味する人もいるだろう。

わたしはこの前太田先生と面談した時に、職種のパーソナリティについて触れた。自分の性格と職業がマッチしているかということは、それほど真剣に考えたことはなかったので、とても良い気づきであった。自分では自分の性格ははっきりと分かりづらい。他人の目に映る自分の姿は一体どのようなものであるのか興味が湧いたので、仲の良い友達何人かに聞いてみた。すると、自分では気づかなかった自分の姿がでてきた。例えば,私は自分ではそんなにハキハキとしゃべる方ではないと思っていたが、ハキハキとしゃべることもあるということ、初めて会った人に対する接し方などである。職業を考える上で自分の性格を知ることは大切なことであるし、案外自分が思っていたのとは違う自分が、他人の目には映っているかもしれない。それを知ることにより、新たな発見があったり、自分に自信を持つこともできる。もちろん、修正すべき点もあるだろう。自分が改善したいと修正していけば、よりなりたい自分に近づけるのである。わたしも今ある自分の性格や能力を知り、さらになりたい自分をみつけて、実現できるように日々自分を磨いていきたい。


4 月
8

わたしにできる小さなこと

Posted by a6hootazemi in はせ

こんにちは。文章書くのはまだまだ下手ですが書くのは好きです。よろしくお願いします。

 

先日も大きな余震があり、久しぶりに慌ててしまいました。しかし、こうも余震が続くとだんだんと地震時の対処のノウハウが自然とついてしまうものです。震災についてはゼミのテーマにもなり、それぞれ地震について考えることがあると思います。募金活動などを通して震災に対しての人のあたたかさであるとか、嘆きや悲しみであるとか、市民の方々の生の声を聞きました。募金活動は、義援金を通して目に見えて被災地の方々の役にたっているなという実感が湧きました。しかし、それ以外にも、被災地の方々の心を癒す出来事があったので書きたいと思います。

私はバイトでワイナリーに勤めています。ワイナリーといっても、ワインばかりではなくジャムやパスタソース、ドレッシングなども置いてあります。売るだけではなく、簡単なギフトから形式的な贈り物までラッピングもしています。ワインやジャム、ほとんどの商品は震災の影響で割れてしまい、営業再開まで苦労しました。最近は震災後の静かな店内も賑やかさを取り戻しつつあります。

あるお客様が、「すみません、ご相談があるんですけど・・・」と私に声をかけてきました。そのお客様は千葉の被災地のお友達に華やかなギフトを贈りたいとおっしゃいました。震災で暗くなっている気持ちを華やかにしたい、と。どんな品物なら喜んでくれるか吟味され、私もご要望に添えられるように商品について説明しました。ラッピングもとても喜んでくださって、何度もお礼を言われました。いつもの通りにやったことですが、お店の商品で少しでも心が晴れやかな気持ちになってくだされば、こんなに嬉しいことはありません。すべてのお客様に繋がるのですが、人を笑顔にさせることができて、このバイトをやっていてよかったな、と改めて思いました。

普段からの節電、買占めの抑止など、私たちが意識してできることはたくさんあります。復興まで長い年月がかかること、そして決して風化してはいけないことを私たちは頭に入れて、生活するべきだと思いました。


ホットワード 文教大学 人間科学部 太田 いいんちょう
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