Posted by a6hootazemi in せり
こんにちは!b0のせりです。
4月は新歓の時期、新しい人たちとの出会いがたくさんあります!しかし、3年になり環境が変わってきたことによって、今まで付き合ってきた人たちとの関わり方を見直す機会でもあるのかもしれないと感じています。
親しき仲にも礼儀あり・・・自分を主張することは大切だけど、仲間を思いやりながら言葉や態度を選ぶことも大切で、いくら慣れてきたメンバーであっても、気持ちを聞きあうことが必要なのだな、と思いました。
忙しい・忙しいと埋もれずに、課題をひとつひとつクリアしていこうと思います!!
まずは、セミナーの課題から、よろしくお願いします。
「義務教育における「落第・飛び級」について、できるだけ多面的に論じなさい。」
義務教育における、落第・飛び級について、政府・児童生徒・教師の面から考えていきたいと思う。まずは、落第・飛び級を考えた政府の理由としては「落ちこぼれ防止」「能力の高い人材の育成」があげられる。義務教育の勉強の内容は、段階的に積まれていくものであり、どこかの学年で理解しきれていない部分があると、そのうえに新しい知識をつみあげていくことができない。そして勉強が身につかない落ちこぼれとなっていってしまう。この流れを防止するために、1年の間に身につけておかなければならない水準まで達していない場合は、もう1年勉強するという落第の形をとることが、子どもにとっても、きちんとした教育になるという考えがある。また、飛び級については、現在千葉大をはじめとする理系の大学で取り入れられている。理系の才能を伸ばすためには早期の学習が効果的であるという視点があり、小・中学校においても資質をもった子どもに合わせた早期的な学習が必要であるという考えがある。この意見を聞いていると、落ちこぼれも防止し、一人一人にあった教育がなされるのではないか、と感じられる。
しかし、児童生徒・教師の面からみてみるとどうであろうか。落第・飛び級をすることによって、子どもたちは、異なる学年の中に混ざって学習するということになる。「水準に達するまで勉強をしなければならない」または「上の学年に混ざったのだから、成績を落としてはいけない」と、学ぶことに対してのプレッシャーを感じてしまうのではないだろうか。
また、児童生徒たちに学年ごとの学校行事を通して、その年齢に合わせた集団行動のありかた等を学ばせている教師たちにとっても、この異年齢集団になることは多くの対応に追われることになるであろう。1年間落第で同じ内容を繰りかえす子どもへの学習の援助・交友関係での援助などはたくさんの子ども達を相手にする中で、クラス運営に難をきたすと考えられる。
よって、落第・飛び級を進めることへの不安要素はぬぐいきれない。しかし、世界に目を向けてみると、これらの制度をとっていない日本は稀であることがわかる。それは、日本には恥じの文化があるなど、価値観に違いがあるからということが理由なのかもしれないが、この恥じの文化にとらわれすぎて、子ども達の学びがどんどん疎かになってしまう現状をこのままにしておいていいものだろうか。
私はこの現状が良いとは思えない。社会の変遷によって子どもたちの生活環境も変わってきている。それは日本だけの視野でとらえ続けることはできず、常に世界への視野を身につけなくてはならない。そうすると、子どもたちがより学びを得られる教育をしていくことが望ましく、子どものレベルにあった環境を、落第・飛び級制度で整えることが必要になってくると考える。
そこで、落第・飛び級の制度を日本で実施するためには、前に挙げた問題点を解決しながら進めていかなくてはならない。年齢主義が浸透している集団行動、義務教育を根本から変え、落第・飛び級を負け組・勝ち組などと位置付けないことを、保護者や世間に理解されるようにしていく必要がある。
そしてもっと大切なことは、落第であっても飛び級であっても、子どもに「もっと学びたい」という意欲を引き出すことができる教育を進めることである。そういった教育の土台を政府がつくり、その上で教育をする教師の力がついたと自信をもっていえるようにしておくことが、制度を始める前に重要になってくると考える。
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Posted by a6hootazemi in せり
報告文について、なっちゃんやゆうたろう君の取り組みを参考にしつつ書いていたつもりでしたが、「普段どうしていたか」の報告が足らないことに気が付けなかったので、発見できるようにならなくてはならないな、と感じました。また、納得してくださる文章になっているのかどうか、というのも難しく、もっと安心感のある文章にできないだろうか、と悩んでしまいます。このような不安を払拭するために、たくさん訓練していきたいと思います!
平均台は、私が小学生の頃は校庭にありましたが、最近確認したところ、もう撤去されてしまっているようでした。(平均台が遊具であったのは古い情報でした)そのほかも、自分の小学校時代と変わっている部分が多くあると思うので、もっと情報集めを積極的にしていきたいです。
田中翔子さんのお母様へ。
前回の説明に至らない点があり、すみませんでした。
ご指摘いただきました、普段どうしていたかの説明をしたいと思います。
学校全体で事故を防ぐために、平均台を使う上での安全教育として、①地面を確認してから降りること。②危険な降り方をしないこと。③友達とつかみ合ったり突き落としたりしないこと。を新学期の始まりに確認したり、廊下に掲示したりするという対応をとっていました。クラスでは、へびじゃんけんゲームのルールを決め、じゃんけんで言い合いになったら、台の上での事故を避けるために、落ち着いてやり直しするというルールがありました。また、普段「相手を思い合って行動しよう」ということをクラスの目標としていて、男女の成長の違いによる力の差も確認していました。お友達と喧嘩をしてしまったときは、話し合って解決するように、ということにもなっていました。今回翔子さんを突き落してしまった拓也君も、普段は女の子の仕事を手助けしてあげる面もある男の子でした。
しかし今回、子どもがルールを守れず、危険な行為とわかっていながらも行動してしまい、結果、翔子さんに怪我を負わせてしまったことは、安全教育・安全対策が不十分であったからであると思います。
そこで、学校における平均台のあり方について考え直し、撤去するという案を進めさせていただきたいと思います。そのため、しばらくは平均台の使用を禁止するという対応を取らせていただくことになりました。
そして、子ども同士の喧嘩などの対応・指導につきましては、前回ご報告した、学校全体の確認をしっかり実行していき、同じ自己が起きないように安全教育・安全対策の強化をしていきたいと思います。
このたびは、学校側の対策の不十分により、翔子さんにお怪我を負わせてしまい、大変申し訳ございませんでした。
また、何かございましたらご連絡ください。失礼いたします。
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Posted by a6hootazemi in せり
あれから1年経ちました。毎年、早い1年だったなあ…と感じてしまいますが、同じ1年を、気が休まらない長い時間に感じている人もいるのではないかと思うと、ただ日々を過ごすのではなく、もっと意欲的に過ごしていかなければならないと思います。自分の課題はもちろん、それだけでなくて震災をはじめとする社会のこともしっかり考える時間を作っていきたいです。
課題③、言葉を選ぶこととか、文章を構成することがとても難しかったです。乱文になっているかもしれませんが、添削よろしくお願いします。
田中翔子さんのお母様へ。
こんにちは、担任の新井です。このたびは翔子さんに骨折・入院という怪我をさせてしまい、申し訳ありませんでした。私は当時、教室で他の児童の指導をしていたため、今回の怪我の状況は、一緒に遊んでいた児童と、校庭に出ていた川上先生から聞いた情報をまとめ、報告させていただきたいと思います。
4月15日木曜日の昼休み時間12時40分頃、翔子さんは校庭の平均台で、同じクラスの足立拓也さん達6人でへびじゃんけんゲームをしていました。翔子さんと足立さんの順番で、足立さんが後出しした・しないで翔子さんと言い合いが始まり、つかみ合いの末、翔子さんを突き落す形になり、着地に失敗してしまった、というのが怪我の経緯だそうです。翔子さんは足を地面に着いて歩けない状態でしたので、校庭にいた川上先生がおんぶの形をとって保健室まで運び、養護の井上先生が捻挫よりひどい場合だと心配もあると判断されたので、私が付き添って病院へつれていきました。病院で翔子さんは左足首の骨折で全治5週間、まず固定のため3日間入院し安静にすることが必要だと診断されました。
足立さんに直接事情を聴いたところ、意図的に後出しをしようとしたわけではなかったのですが、強い口調で咎められ引くことができず、喧嘩になった弾みで押してしまったそうです。その場ですぐに翔子さんに謝ったようですが、足立さんの保護者様にも報告したところ、入院の3日間中に、改めて翔子さんとご両親に対してお詫びがしたいという一報がありましたので、私も同席して伺いたいと思います。
学校でこのような大きな怪我を負わせることになってしまい、本当に申し訳ありませんでした。3日間の入院中の授業に関しましては、クラスのみんなでノートを代わりに取ろうという話がでていますので、その他のプリントを添え、私が病院に届けるようにしたいと思います。また、退院後は松葉つえになる予定だそうなので、学校内での移動や給食当番なども、クラスを初め学校全体で補助していきたいと思います。
さらに、同じようなことが起きないようするため、学校全体で二点確認いたしました。一点目は、平均台の使い方です。相手を押したりつかみ合ったりしないことを再度確認し、さらにゲーム中はじゃんけんを判断する審判員をもうけ、まずは私たち教師がその役をやり、だんだんと児童だけでも遊べるようにしていくことにしました。二点目は、喧嘩などの対応についてです。ささいな喧嘩を大怪我に繋げないようにするには、お互いの意見をきちんと聞きあうことが大切であることを、児童に理解させていきたいと思います。そのためホームルーム等でとりあげ、どのように友達へ伝えることが喧嘩にならずに解決できるのか等の改善策を児童から出していけるような指導をしていきたいと思います。
以上でございますが、その他ご不明な点がございましたら、またご連絡いただけると幸いです。失礼いたします。
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Posted by a6hootazemi in せり
2月29日、閏年の日はなんだかお得に感じますが、何がお得なのかと言われても、感覚的にはわかりづらいですよね…。にくの日がいつもの年より増えたくらいでしょうか(笑)のんきなことから始まってすみません。b0のせりです。
それと今日は雪がすごいですね!!でも明日は暖かくなるそうです。不安定な天気が続いていますが、みなさん体調には十分に気を付けていきましょう!
文章練習第二弾!~小学校時代最も印象に残った場面~ 添削よろしくお願いします。
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晴天の日の運動会、5・6年生による午後1番の演技「マーチングバンド」。私は総勢120人の先頭で指揮棒を構え、笛を銜えてアナウンスを待っていた。5人いる指揮者の中で、金管バンドを引き連れ、ひとまわり大きな指揮棒をもてるのは、主指揮ただ一人。私の笛の合図からスタートするこの演技の前に、構えのポーズをしている左肘を見つめて、主指揮選抜試験のことを思い起こしていた。
「今年のマーチングバンドの主指揮をやってもらう人は……」
自分は主指揮になれる、そんなイメージはできていた。しかし隣にも、同じくらい自信を持った顔つきの女の子がいる。それは、遥だ。私たちは幼稚園からの気があう友達で、指揮も夏休みから一緒に練習し始め、棒の角度や笛の吹き方をアドバイスしあうほど仲良しだった。そんな親友も、今この瞬間は憎らしいと感じてしまうようなライバルなのだ。主指揮は自分がやりたい、しかし遥と気まずくなってしまわないだろうか、そんな不安もありながら、押しつぶされてしまいそうな緊張感に覆われた音楽室のなかで、先生の言葉を待った。
「……せりさん。」
「それと、遥さん。2人にやってもらいたいと思います。」
え!?という顔でお互いを見合わせたライバルは、たちまち仲の良い友達の表情にかわり、抱き合って喜んだ。遥も私との関係を心配していたようだった。そしてお互いに憧れていた主指揮を諦めなくてよいこと、仲良しな2人でマーチングを引き連れられることは想像していなかったため、私たちの喜びは何倍も大きなものとなった。
リコーダー隊や金管バンド隊との練習も進み、運動会まで2週間となった休日。バスケットの試合に出た私に悲劇が起きてしまった。「床にぶつけた衝撃により、左肘の靭帯が伸びてしまっていますね。運動は2週間ほど休んでください。」という医師の宣告。……冗談じゃない。私は2週間後の運動会で主指揮をすることが決まっているのに!自分の失態に悔し涙が止まらなかった。幸い、指揮棒を持つのは右手で、左手は肘を曲げた構えの状態だったため、少々痛みを我慢すれば指揮をすることが可能になった。しかし、音楽の先生は1時間ある演技中ずっとその姿勢を保つことができないのであれば、主指揮は遥だけに任してはどうかという案を出してきたのである。
憧れの主指揮は諦めたくないが、皆に迷惑がかかってしまうかもしれない、と私は弱気になっていた。そんなときだった。「あと2週間リハビリすれば大丈夫だよ!前代未聞の2人主指揮、やりとげようよ!」言葉をかけてきたのは、友達でありライバルである遥だ。主指揮を1人でできるかもしれないチャンスと言える場面で、遥は2人で主指揮をすることを選び、私を励ましてくれたのだった。いつまでも悔し涙を流していられない。そう思って、さらにリハビリと指揮練習に打ち込んでいった。
指揮の練習、選抜試験、怪我、リハビリ。様々な試練は、一人で乗り越えたものではない。一時期は憎らしいとも思えたライバル、遥がいてくれたからこの場に立っていられるのだ。私はその気持ちを胸に前を向き直し、自信を持って合図の笛を吹きだした。そして、演技中盤にある、主指揮の見せ所である観客席への敬礼。歩み寄ってくる遥と満面の笑みを浮かべ、何度も練習した技を成功させ、2人でポーズを決めた。浴びるような拍手を受けたとき、何とも言えない高揚感と誇らしい気持ちでいっぱいになった。指揮棒交換のときには「お疲れ!」「後半頑張れ!」と声を掛け合い、私はサイドの立ち位置へ行き、今度は遥の笛の合図で競技が再スタートした。演技終了後、私は遥のもとへ走りより、選抜発表のときのように抱きついた。そこに見えたのは、喜びの表情と達成感の涙だった。ライバルであり、大親友といえる存在である遥には、感謝の言葉をいっても言い足りなかった。遥の存在がなければ、怪我のときの一言がなければ、この達成感の涙は全く違うものだったであろう。マーチングバンドでの指揮は、私の小学校生活で最も感動的で印象的な出来事であった。
その後、遥とは中学生になっても、勉強の成績やクラス行事ごとで競い合うライバル関係だった。高校・大学と全く違う道に進んだ現在でも、お互いの将来の夢に向かって、どんなことをしているのか報告しあったり、励まし合ったりする仲である。このように、よい刺激になる親友がいるということは、人が成長する上で大切なことであると思った。しかし大人になるにつれて、この刺激を避け、人と競い合うことを恐れるような付き合い方になってしまいがちだと感じる。ライバルの役割は優劣の確認でなく、自分の成長のために行動を見直す方法だと思って、前向きに付き合うようにしていきたい。そして、自分自身も相手のことを考えて人間関係を築いていくことを心掛けたい。
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私はこのブログで文章を書いたり、同輩や先輩方の文章を読んだりすることで、よい刺激を受けることができるようになりました!もっともっと自分を成長させられるように勉強や文章の練習していき、みなさんにも刺激を与えられるような人になっていきたいと思います!!これからも、どうぞよろしくお願いします(^^)
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Posted by a6hootazemi in せり
前回書いた私の文章で、みなさんに不信感を与えてしまっていたら、すみません。書く内容、流れをしっかり考えて、構成していきたいと思います!!そのため、次のテーマに行く前に、書き直したいと思います!
私が「去年1番印象的だった場面」は、「スッカラカンになったスーパーの棚」だ。みなさんの印象にも残ったと思われる東北大震災、後すぐに見た場面である。
私がこの場面を見たのは、山形県のスーパーだ。
自動車運転免許合宿のために山形の自動車学校に入校したまさにその時、地震が日本を襲った。山形県は東北なのだが、太平洋側であるため津波の心配もなく、被害は少なかったようで、2日間ほどの停電ですんだ。電気が復活して喜んだときもつかの間、テレビで地震当時の揺れの大きさや、津波の映像を見て、今回の地震の被害のひどさを2日後に知ったのだった。
ホテルでの食事も、食糧が届かないということで、みんなで少しずつ分け合ったり、ちょっとしたお菓子を買ってきて配ってくれていたりすることで数日を送った。しかし、自動車学校は予定通りに進めていくという方針だったため、本当にひどい被害だという実感はあまりなかった。
そんな中だった。スーパーが開店したということを聞き、食糧を調達しに行こうと友達と出かけることになり、この場面を見ることになった。私と友達は、毎日スイーツを食べたいというほど甘いもの大好きだったため、デザートを求めて買い出しに行った。しかし、目の前に現れたのは、品数が極端に少ない棚たちだ。夕方に行ったせいもあるのか、安値で甘い商品はほとんど買い占められており、ヨーグルトやアイスは停電期間中に保存状態が悪くなってしまい、売られていなかった。それにもかかわらず、物質を届けるためのトラックなどがなかなか到着しないため、品薄状態が続いていた。これはデザートコーナーに限ったことではなかった。
またその日の夜、関東にいる友達から「買い占め客が殺到しすぎてスーパーに入場制限がかかった。」という話も聞き、とても驚いた。
東北でも関東でも物が買えないことに対して不安に感じている人がたくさんいたのだ。
『物が買えなくなってしまうことへの不安、棚がスッカラカンの状態を見る不安。』
これは、社会にあふれるほど物があるからこそ感じるのかもしれないと思う。
品揃えが豊富で、棚にズラーっと並べられた商品を見ると、人は購買意欲をそそられる。棚が寂しいと、売店自体が寂しいと感じる。このような考えに占領されてしまうということは、「物が周りにあることが当たり前になりすぎて、そのありがたみを忘れている」結果ではないだろうか。
実際に、今までなら、食後のスイーツを夜中にコンビニまで行って買いだすほどだった私も、この期間はスイーツなしで済んだ。コンビニが開店してないので、しかたがかなったのかもしれないが、とにかく、毎日ないといけないと思い込んでいるだけだったことがわかったのである。コンビニが24時間なのも、棚に商品が常に並べられているのも、当たり前ではない。誰かが管理をして、誰かが商品を運んで、並べて、という作業があってこそのものだ。そのような過程に感謝すること、豊富な物に恵まれているのは幸せだということを、すっかり忘れてしまっていた。
さらに、山形駅には福島や宮城ナンバーの車や、バスがたくさんやって来ていた。そのときの私の状態より何倍も大変だったろうと思われる人々が同じ山形県にいたのに、自分がその状況を軽く見た行動をしていたことは、反省しなければならないと思った。
そして、私は関東に帰って来てから、東北の人々のためになる活動をしたいと考え、文教大学内外で行われた復興支援コンサートや募金活動に参加した。直接被災地などへいってのコンサートではないが、なにか役に立ちたいという気持ちや、今こそみんなで力を合わせることの大切さを再確認したいという気持ちが、活動参加者やコンサートを見に来てくださった方に伝えられたのではないかと感じた。
現在、棚には品物がすっかり戻ってきている。私も震災後すぐは支援活動をしていたが、今は学校や春休みを自分のことだけ考えた生活に戻りがちになっている。だからこそ、震災をきっかけに感じたこと、気づいたこと、考えたことを、様々な機会で振り返えることは、とても大切だ。ここで文章を書いたことをいい機会として、物がすぐ近くに豊富にあるということへ幸せや、それにかかわってくれている人への感謝を忘れずに過ごしていきたい。そして、間接的ではなく、直接被災地などへいって支援をするという活動を行っていきたい。
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Posted by a6hootazemi in せり
はじめまして!今年度から太田ゼミ生となる、b0の新井です。
埼玉or群馬で小学校の教員になりたいと思っています。
先生をはじめ、先輩方・同輩のみなさん、よろしくお願いします!
私が「去年1番印象的だった場面」は、「スッカラカンになったスーパーの棚」だ。みなさんの印象にも残ったと思われる東北大震災、後すぐに見た場面である。
私がこの場面を見たのは、山形県のスーパーだ。
自動車運転免許合宿のために山形の自動車学校に入校したまさにその時、地震が日本を襲った。山形県は東北なのだが、津波の心配もなく被害は少なかったようで、2日間ほどの停電ですんだ。スーパーが開店したということを聞き、食糧を調達しに行こうと友達と出かけることになったのが、この場面を見ることになった経緯である。
私と友達は、毎日のデザートは欠かせない!というスイーツ女子だったため、何かデザートはないかと出かけることにした。しかし、目の前に現れたのは、品数が極端に少ない棚たち。夕方に行ったせいもあるのか、安値で甘い商品はほとんど買い占められており、ヨーグルトやアイスは停電期間中に保存状態が悪くなってしまい、売られていなかった。それにもかかわらず、物質を届けるためのトラックなどがなかなか到着しないため、品薄状態が続いていた。
またその日の夜、関東にいる友達から「買い占め客が殺到しすぎてスーパーに入場制限がかかった。」という話も聞き、とても驚いた。
東北でも関東でも物が買えないことに対して不安に感じている人がたくさんいたのだ。
『物が買えなくなってしまうことへの不安、棚がスッカラカンの状態を見る不安。』
これは、社会にあふれるほど物があるからこそ感じるのかもしれないと思う。
品揃えが豊富で、棚にズラーっと並べられた商品を見ると、人は購買意欲をそそられる。棚が寂しいと、売店自体が寂しいと感じる。
このような考えに占領されてしまうということは、「物が周りにあることが当たり前になりすぎて、そのありがたみを忘れている」結果ではないだろうか。
実際に、今までなら、食後のスイーツを夜中にコンビニまで行って買いだすほどだった私も、この期間はスイーツなしで済んだ。コンビニが開店してないので、しかたがかなったのかもしれないが、とにかく、毎日ないといけないと思い込んでいるだけだったことがわかったのである。コンビニが24時間なのも、棚に商品が常に並べられているのも、当たり前ではない。誰かが管理をして、誰かが商品を運んで、並べて、という作業があってこそのものだ。そのような過程にに感謝すること、豊富な物に恵まれているのは幸せだということを、すっかり忘れてしまっていた。
現在棚には品物がすっかり戻ってきている。好きなときにスイーツも買える。そのため、私はまた当たり前だという感覚に陥っていた。すぐに記憶が戻ってしまうからこそ、震災をきっかけに感じたこと、気づいたこと、考えたことを、様々な機会で振り返えることは、とても大切だ。
ここで文章を書いたことをいい機会として、物がすぐ近くに豊富にあるということへ幸せを感じ、それにかかわってくれている人への感謝を忘れずに過ごしていきたい。
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