1 月
7

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Posted by a6hootazemi in おおゃ

 一応今回ブログに載せたのは①詩の多様化の章(以下事物詩、物語詩…)と②授業実践記録「かたつむり」の二つあります。①については詩の分類であるので、ほとんど本からの紹介です。確かにこれは資料集ですね。自分の言葉を入れませんでした。もともとあれは書き途中であったのですが、今後載せるかどうかは後で考えます。

 ②は授業実践記録であるので、その授業実践記録の紹介をまず載せました。それを載せないとわかりませんから。その授業や詩教材自体での私の分析や考えなどは今回の記事の一番最後にまとめて2ページ分載せたのですが、書き方が悪かったですかね? 「間に、『引用以上の自分の文章』をはさまなければいけません。」とあったので、間にはさんで書き直した方がいいのなら書き直します。自分の考えを書いてないわけじゃないですよ^^


1 月
7

こたつから抜け出せない

Posted by a6hootazemi in おおゃ

 あ、あけましておめでとうございます。ものすごい久しぶりの投稿です。カボチャ祭り以来です(^^;)

 明日から学校始りますね。年末年始遊びに行くか食べるか食べるかばかりしてました。家にいちゃダメですね。この時期家に食べ物多いのでほんとに食べることが止まりません。顔が一回り二回り大きくなった気がします。正直冬休み入る前は、年内に卒論と課題をかなりすすめてやるぞっ!と意気込んでいたのですが、正直卒論に取り掛かったのが学校始まるぞとあせりだした二日前でし・・た・・・。なんか自分で自分を追い込んでいる気がします。やればできる子だと信じて頑張ります。

あ、あと1月2日に放送された、NHKスペシャル「ふしぎがり~まど・みちお 百歳の詩〜」をビデオに録画したので今日観てみました。救命救急24時とかぶってたので録画で。100歳になったからか、このような番組がやっていて驚きました。大河「龍馬伝」のあとにやっていたのですが、観た人いますかね?新聞欄で見つけた時はテンション上がりました↑↑↑ まどさんや阪田さんなどの詩人は写真をよく見たことがあったのですが、谷川俊太郎さんははじめて見た気がしました。はじめて知った内容もあったので機会があったら紹介します。詩の紹介もあり、結構知っている詩が紹介されてなんか嬉しかったです(^U^* )100歳記念のまどさんの新しい詩集も手元にあるので、後でじっくり読みたいです。

 では卒論を載せます。正直卒論のやらなければいけないことが多すぎて今ヤヴァイです。資料集めもせねば。

〇詩の多様化

詩。一口に詩といっても、その領域は様々であり、多様な主題(テーマ)と方法がある。詩の出版作品が増えるに従って、それぞれの詩の書き手が書きとどめた作品を順次に並べていくのではなく、意識して子どもの読書層に向けた作品構成のうちに一冊の詩集が組み立てられていくようになっていきている。たとえば、まど・みちおの作品で、詩集『動物のうた』[i]では虫・鳥・獣など身近な動物のうたを集めた一冊、『人間のうた[ii]』では自分・友だち・おとななどについてのうたを集めた一冊など、それぞれのテーマごとに集めた詩集などがある。このように、詩の領域は多様化してきているのである。

詩の多様化では、『少年詩・童謡の現在』で菊永謙は、「今日の子ども向けの詩が、話しことばによる幼年詩、わらべうたを今日風に活かした詩、ことばあそびやユーモア詩、動植物などはじめ身の回りの事物を対象として新鮮な発見や比喩表現のもたらす事物詩、一篇または数篇の連作によるある物語の要素を含んだ世界を詩作品によって展開しふくらませていく物語詩、民話を素材にしたり、民話的な語りをモチーフにしたりした民話詩の試み、高い人生の思想や理想へと導く詩、方言を用いて生活の底辺や人々の日常をうたった方言詩、また方言によるユーモラスな笑いを誘う詩、視覚性を強く意識したビジュアル・ポエトリィの試み、詩による絵本化の試みなど、いくつもの詩の方法が模索されている。」[iii]と、詩の領域を表している。しかしこれはまだ一例であり、これからも様々な詩の試みがなされることだろう。

詩はこれからますます新しい試みがなされ、新しい詩の領域や表現方法が生まれてくるだろう。そのため、これからの詩教育などの詩を用いた教育実践も多様化され、子どもたちの豊かな人間性を育み、また言葉を豊かにしていくことができるように感じる。

 

 

○事物詩[iv]

 事物詩とは動物、植物などをはじめとする身のまわりの事物や風景を対象として、新鮮な発見や比喩表現をもたらす詩のことである。事物詩は19601970年代以降から少年詩が新たな展開をなしていったことに伴って多くの事物詩が書かれるようになり、新鮮な世界を言い当て、提示されるようになった。事物の持っている普段見逃してしまうよう表情やいまだ語られなかった存在の感触について言葉を用いることで表現をする事物詩は、今なお少年詩の大きな位置を保っている。詩が比喩としての表現を持つときに、子どもにも大人にも、今までに気付かなかった新鮮な見立てによる驚きや発見をもたらすだろう。誰もが共通に感じる素材を用いつつも、独特な視点や味付けで意外性や物語性に満ちた世界をつくる。事物詩の魅力は、その意外性の強さとその発見をどのように作品化し、読む人が納得できるように普遍化しているかどうかだろう。

 例を挙げよう。たくみな比喩によって、事物の再発見と再生をもたらした新しい感覚で表現された詩、まど・みちおの『てんぷらぴりぴり』[v]より、「かぼちゃ」である。

   *かぼちゃ

     すわったきりだが

     かたがこる

  

   *もやし

     うえを

したへの

おおさわぎ

 

   *ほし

     ほしに

     はたをたてておいたら

     ひるまも

     みえるとおもうんだけど

 

またさりげない風刺や寂しいユーモアが含まれている作品もあげてみよう。間中ケイ子の詩集『ちょっと首をかしげて』[vi]より、作品「どしゃぶり」は私たちの日常にありふれた事物たちの一つの姿であり、寂しい笑いを誘う死角をついた作品である。

   「どしゃぶり」

     どしゃぶりの雨

     駅の改札口を出て

     雨のなかを歩いていく

 

    泣きたくなって

    ポケットのハンカチをとりだすと

    ずぶぬれのハンカチが

    すまなそうに

    まるまっていた

 

詩の楽しさは、日ごろ見慣れた事物や風景たちが、 ときに全く違う表現を私たちに見せる一瞬にあるのかもしれない。思いがけない死角の場所に導く言葉たちの不思議な力もまた、詩の魅力といってもいいだろう。

 

 

○物語詩[vii]

 物語詩とは一篇ないし数編の連作によってある物語を含んだ世界を詩作品によって展開し、ふくらませていく詩のことをいう。物語詩はいまだ多くはなく、四、五冊の詩集を除くと物語詩で一冊の詩集を組み立てるほどに至ってはいない。物語詩の方法論はまだ完全には提唱されていないが、その方法には歴史の事実性から物語へと展開していく方法、行動を通じての人間の発達心理や認識世界の広がり方を物語る方法、ナンセンスな意外性に満ちた物語展開のある方法、深い森を舞台にして、色々な動物や昆虫や植物たちが、四季折々の会話をささやきかわしたくみなドラマを組み立て、メルヘン的な世界をつくり出す方法、長短の詩篇を組み合わせながら季節季節の物語詩もしくは劇詩的な世界を試みる方法などがある。

 例を挙げよう。間中ケイ子の詩集『ちょっと首をかしげて』における物語詩「大きな木」「秋の日に」「交差点」などには、くっきりとした風景やのびやかな情感が漂っている。登場人物の少女やネコを語り手として、遠い日の出来事や事件や記憶たちが心に沁みるようにしてゆっくりと物語られていく。ここで挙げる「大きな木」は町はずれにどっしりと植わっている大きなケヤキの周辺で、子どもたちが四季のめぐりで遊び成長していく作品である。

   「大きな木」

     町はずれに  大きな  ケヤキの木が一本

どっしりと  立っている

 

さわやかな風の中  大きな木の下に立って

夏の空をみあげると  小さな緑の葉が  いくえにも重なり合って

細い枝先までも  みずみずしく  息づいている

 

こどもたちは  むぎわらぼうしをかぶって

虫とりあみとかごを  手にしながら  大きな木の幹のまわりに

ぐるりと輪になって  足をなげだし  ひとやすみする

 

やがて  夏がすぎて  秋がおとずれると

すきとおった月の光が  ふりそそいで

木は  地面に深くのばした  根に  月の光をまきとっていく

 

大きなケヤキは  そこに立って  何百回もの  秋にめぐり会い

光の糸で織りあげた  こがね色の葉を  大地にしきつめる

 

こどもたちは落葉の中で  声をあげながら

おにごっこに  むちゅうになる

 

町はずれの  大きな  ケヤキの木は

あそびつかれた  こどもたちが  あたたかいねどこで

ねむる真夜中も  じっと 立ったまま

夜が明けるのを  まっている

 

巡りゆく季節の中で多くの子どもたちを招く、長い年月を重ねてきた大きな木がゆったりと描かれている。ケヤキの大木の持つ昼と夜、地上と地下、明と暗が多重層に幻想化して描かれている新しい物語詩である。

 

 

○民話詩[viii]

 民話詩とは、民話を素材にしたり、民話的な語りをモチーフにしたりした詩のことである。日常の生活の中で語られた言い伝え、風習、行事、風聞などを生かした方法、古代書風に文体をこらしながら民話的な語りでの方法、祖父母から聞かされた言い伝えや近所の人々のこっけいな生き方や地元に伝わる昔話を活かした詩などがある。民話詩は、激しく、もしくはゆるやかに変化していく時代や暮らしの移り変わりの中で、長い歴史の重圧や豊かな自然の中で歩んできた人々の知恵や叫びと出会うことができる。

 例を挙げる。城の持つもう一つの側面を描き出した宮崎在住の前田繁の作品「城」も、味わい深い民話詩である。

   「城」

土台は石垣でできている

一つ一つ手で運ばれた石でできている

汗がしみている、石でできている

指が擦れ、血が滲み…

生爪をはがした石でできている

涙がしみている石でできている

ピシっ! ピシっ! むちの音がしみている石でできている

恨みがしみている石でできている

どこだか知らない

町の真中に城がある 残照に映え、

ゆうゆうたる天守閣がある

名城と呼ばれている

城がある

 

城の持つ雄大な美しさと対照的な人間の歴史性に注目した詩である。血が滲み生爪を剥がした人々の手で運ばれた大きな石でできている城を、見事に描いている。残照に映える白い城と民衆の底強い生き方とが対照とされている詩である。ここにも私たちの生活の中にいくつもの過去の時間が流入し、大切な何かを問うているように思われる。少年詩の世界が多重層な時間を描くためには、これらの民話的な語りや歴史的な、民俗史的な語り部の精神を、詩そのものに取り入れることが大切になってくるであろう。

 

 

○方言詩[ix]

 方言詩とは、方言を用いて生活の底辺や人々の日常を歌った詩、また方言によるユーモラスな笑いを誘う詩などのことをいう。方言で詩を書く意義について、大阪弁のおもしろさやおかしみを巧みに活かしたユーモアあふれる詩を多く書いている島田陽子は、次のように語っている。「大阪弁で書く方がよりよく表現できるもの、大阪弁でないと書けないものは大阪弁を使い、書きことばの共通語を用いた方がよい場合は、大阪弁にこだわらない。」[x]と。

 例を挙げよう。岩手の方言を効果的に活かした宇部京子の詩集『よいお天気の日に』[xi]より、方言詩「ねこやなぎ ほっ!」を挙げてみる。

   「ねこやなぎ ほっ!」

はるだべが

ふゆだべが

めっこを だすべが

んだども

どどっと ゆぎっこ

くんだべが

これんす

そごの わがいしゅう

ちょこっと さぎに

めをだして

ぐぐっと おっぎぐ

なれるが どうが

ぎんのべんべろ だしてみろや!

 

「ねこやなぎ」の「ぎんのべんべろ」の感触は、北国の春先の訪れを見事に歌いあげている。多くの子どもにも、どうにか読み理解できる限度内の方言詩といえるだろう。

次に方言のおもしろさを表現した詩も挙げてみる。島田陽子の評論集『方言詩の世界』[xii]より、「あかんたれ」である。

   「あかんたれ」

あかんたれほれたんかあ

あかんたれがこがれたんかあ

あかんたれふられたんかあ

あかんたれあれたんかあ

 

思考ではなく、自らが生まれ育った大地との一体感の中から発声された言葉によって、詩が組み立てられている。方言詩はその土地、その風景、人々、日々の思いから生まれる言葉の中から息づいている詩なのであろう。

 

 

○視覚詩(ヴィジュアル・ポエトリィ)[xiii]

 視覚詩とは視覚性を強く意識した詩のことをいう。詩のもたらす美しさや驚きは、秩序だった均整とれた美や洗練された表現による場合が相対的には多いだろう。詩とは秩序や端正さのもたらすようなきれいに整列された美と同時に、非常識や常識をくつがえす言葉の有り様の持つ美も含むといえる。言葉はただ並べるだけではない、色々な表現を挑戦することで、言葉だけで表現することとはまた違った印象を受けることができる。教室や教科書においても、言葉のもたらす衝撃性の一面を手渡すことも「詩教育」の大切な側面といえるだろう。

 例を挙げてみよう。詩の教材としても広く知られている視覚的な作品に関根栄一の「かいだん」がある。(※本来は縦書きの詩であり、三角形△の形をしている)

   「かいだん」

だん

かいだん

かいだんだん

かいだんのぼるよ

かぞえてだんだんだん

とまってうえみてかいだん

かいだんだんだんのぼるよだん

いちばんうえだよたかいなかいだん

あちこちみえるよたのしいかいだん

かいだんだんだんおりるよだん

とまってしたみてかいだん

かぞえてだんだんだん

かいだんおりるよ

かいだんだん

かいだん

だん

 

かいだんを視覚したイメージ詩である。かいだんを一段一段、登ったり降りたりする思いで子どもたちも楽しめる作品であろう。詩って、こんなにおもしろいこともしてみせるんだという意外性に気付かせたい。意外性のもたらすおもしろさも、一面においての詩の効果、触発性もしくは喚起性を持つといえるであろう。




[i] 銀河社 「まど・みちお詩集 動物のうた」 

まど・みちお/著 周郷博、門馬正毅/編  1975


[ii]銀河社 「まど・みちお詩集 人間のうた」 

まど・みちお/著 周郷博、門馬正毅/編  1975


[iii] 株式会社てらいんく 「少年詩・童謡の現在」 菊永謙、吉田定一/編 2003年 p71


[iv] てらいんく「少年詩・童謡の現在」 

菊永謙、吉田定一/編 2003年 p72748590


[v]


[vii] てらいんく「少年詩・童謡の現在」 菊永謙、吉田定一/編 2003年 p93101


[viii] てらいんく「少年詩・童謡の現在」 菊永謙、吉田定一/編 2003年 p102109


[ix] てらいんく「少年詩・童謡の現在」 菊永謙、吉田定一/編 2003年 p109113


[x] 「うたと遊べば」 島田陽子/著


[xi] 「よいお天気の日に」 宇部京子/著


[xii] 「方言詩の世界」 島田陽子/著


[xiii] てらいんく「少年詩・童謡の現在」 菊永謙、吉田定一/編 2003年 p113115

☆詩の授業



○渡辺増次の授業実践「かたつむり」

 『続・詩の授業のすすめかた』[i]より掲載されている、当時板橋区立上板橋第二小学校の教師である高田聡子先生の授業実践記録を載せる。その先生が自分のクラスの二年生で行われた授業実践記録であった。このクラスの児童の実態としては、「このクラスの子どもたちは、予想を立てて調べていく授業や連想あそびが好きだ、自分なりの予想を立てることで意欲をもってかかわることにもなるし、「予想」は自由が保障されているものだからだろう。」[ii]としていた。

 この授業を掲載した『続・授業のすすめかた』で著者の渡辺増次は、この授業の章のテーマとして「作品の一部を伏せてイメージをかきたてる」としている。

 この授業で使われた教材、「かたつむり」の詩を載せる。

 

かたつむり[iii]

リュー・ユイ作  出沢万紀人訳

かたつむり

おかしいな

 目玉が つのの うえに ある

 

おかしくない

おかしくない

 目玉が 上なら よく みえる

 

かたつむり

おかしいな

 おうちを しょって あるいてる

 

おかしくない

おかしくない

 敵に あったら もぐりこむ

 

かたつむり

おかしいな

 おなかが そっくり 足に なる

 

おかしくない

おかしくない

 足が 大きけりゃ 安全だ

 

かたつむり

のろいなあ

 動かないのと おんなじだ

 

のろくたって

のろくたって

 とまらなけりゃ いいんだよ 

 

  

○作品観[iv]

 身近な生物であるかたつむりにたくして、作者の思いをスッと表現している作品である。かたつむりに親しんだことのある人ならよく知っているだろう、かたつむりの姿形のおもしろさを「おかしいな」ととりたてながら、次にはそのおかしな形態がかたつむり自身が生きている上で必要なものであることをわかりやすく表現している。そして自然に形態上のおかしさを超えて、「おかしくない」と思える世界に誘い込んでしまう。

 第七連では、かたつむりの一番の特徴であるそののろさを、「かたつむり/のろいなあ/動かないのと/おんなじだ」と言いたてている。これではもう言い返せない―という緊張の中で、「のろくったって/のろくったって/とまらなきゃいいんだよ」と言い切る。作者の想い、価値観そのままなのだろう。「のろま」を自覚していたり、普段「早くしなさい」と言われている人にとっては、この第八連は自分が許されたような、なんともうれしい気持ちになるだろう。

 連構成も内容にピッタリしている。「かたつむり/おかしいな」と、「おかしくない/おかしくない」が生み出す軽やかなリズムは、「おかしい」と指摘する形態上のことと「おかしくない」と反論する機能上のことを浮きたたせている。そして、そのリズムを少し変化させたところに、さらに浮きだって七、八連がある。繰り返して音読していくうちに、だんだん元気がでてくるような詩である。

 

○教材化の視点<作品を少しずつ提示して、先を予想しながら読む授業の展開>[v]

①連ごとに、内容を予想しながら進める。

…はじめから作品全体を通して読むのではなく、連ごとに様子をイメージとして浮かべながら読み、その次の連を予想し、他のやり取りをしたうえでその連を開いて紹介し…とする方が、集団として読むことの楽しさも出るだろう。しかも、この作品は子どもたちにとって身近な生物であるかたつむりを素材にしているだけに、またかたつむりの姿形などの形態上のおもしろさを取り上げている部分がいくつもあるだけに、子どもにも親しみやすいものとなることが感じられる。

 

②様々な形での音読をして詩を楽しむ。

…問答形式の詩であるため、連ごとに交互に読むだけで立体感のようなものが出てくる。一対一、一対多、多対多という数の違いをつけた読み、また男子対女子、教師対子どもたちなどやり方は色々である。それぞれの味わいも違ってくるだろう。何回も読むうちに、自然に元気がわいてくるし、読みにも表情がついてくることができる。

 

○目標

 集団で読むことの楽しさを体験する。

 

○授業計画(全二時間)[vi]

 ①導入

 ②各連ごとに予想しながら読む

 ③様々な形式で音読して詩を楽しむ

 ④感想を交流する

 ⑤感想文を書く

 

○授業の展開 ≪T:教師の発言 C:児童の発言 *留意点(作業・指示・流れ)≫[vii]

①導入②各連ごとの予想しながらの読み・鑑賞

T「今日は詩の勉強をします。思ったことや感じたことをみんなに話して、みんなの考えも聞いて、心を太らせる勉強です。本当に思ったり感じたりしたことなら、ダメってことはありません。」(導入)①

*「かたつむり  リュー・ユイ」まで板書し、この詩人が中国人であることや中国は日本の隣の国であることを説明。

その後、第一連まで板書。 「かたつむり/おかしいな」まで

T「何がおかしいんだと思う?予想してみよう。」

C「つるつるしててね、あとぬるぬるしてるとこ。」

C「顔が出たり、ひっこんだりするところ。」

C「自分の住んでいるところをもってる。」

C「おなかみたいなところが足なんだよ。にょーろーってでてくるんだよ。」

T「このリュー・ユイって人もみんなとそっくりだよ、考えることが。」

*第一連の最後「目玉が/つのの/うえに/ある」まで板書。

C各々のうれしそうな反応

T「これで第一連は終わり。第二連は」

*第二連 「おかしくない/おかしくない」まで板書。

C「どうしておかしくないの…?」

C「次書いて!」

*「目玉が/うえなら」まで板書。

T「どうだと思う?」

C「おかしくない!」「かたつむりだもん」

*第二連最後の「よく/見える」を板書。その後一連・二連を全員で何回か読んで、考えたことを交流。

C「よく見えるわけないじゃん。下の方だもん。」

C「上にあればよく見える気がするんじゃない?」

C「目玉は動くからよく見えるんでしょ。」

*以下の三連~六連まで、同様なやり方で行った。子どもはあふれるように発言していった。体をかたつむりのように動かす子も多くいた。

 先を予想しながら進むうちに、「かたつむり/おかしいな/…」「おかしくない/おかしくない/…」のパターンに気付く子も出てきた。また言葉の四・四(三)・五のリズムであることに気付いて、言葉をリズムを考えて探すようになった。

 第七連も子どもたちは「かたつむり/おかしいな/…」だと予想していたが…

T「第七連はちょっと今までと違っているの」

*第七連の「のろいなあ」まで板書。

T「どう?これは賛成ですか?」

C「いやだなー。」「動くよー」

T「じゃあリュー・ユイはその後“そうだ、そうだ”って言うかな?それとも“そうじゃない”かな?」

C「そうじゃないだよ。」

*第八連「のろくったって/のろくったって」まで板書。そして次も予想する。

C「歩けないより ましですよ」

C「歩けるんだよ、ぼくは」

*最後の「とまらなけりゃ/いいんだよ」を板書。

 全体が見えたところで、連構成が問答の形をしていることに気付いた。

C「さいしょの人がへんなこと言って、あとの人が教えているみたい。」

 

③音読

音読は次のように行った。

ⅰ)クラスを半分のグループに分けて

ⅱ)班と班で(班は四、五人)

ⅲ)一人対他の子で

ⅳ)班対他の子で

ⅴ)教師対子どもで

ⅵ)希望者一人対一人で

連の中をさらに分けて音読したりもした。どの場合も、偶数連の方が人気があり、元気な読みになった。たっぷり楽しんだ後、感想の交流。

 

④感想交流

 連構成のこと、好きな連のことが中心となった。

T「さっきA君が、かたつむりが言ったんじゃないかって言ってたんだけど、どうしてそう思ったのかな?」

C「本当は言わないよね。」「かたつむりのことばは聞こえないよ。」

C「心で言ったんじゃない?」

C「リュー・ユイはかたつむりの心がわかったんだよ。」

C「そうだよ、ぼくんちの犬の気持ちわかるよ。」

もう一度全員で読んで、感想交流は終了。

 

⑤感想文

時間十分ほどで書かせた。

C「①のろくったってのろくったってのところがおもしろい。まだおもしろいところがあるけど、一番おもしろい。

 ②おかしくない、おかしくないっていうところがすてき。「さんせい」って思う。」

C「『かたつむり おかしいな』とか言っている人は、『おかしくない おかしくない』って言っている人をいじめているみたい。それにかたつむりがきらいでさわらない人みたい。リュー・ユイは心のやさしい人で、かたつむりのことをよく知っている人みたい。かたつむりをいっぱいかっているみたいな感じがする。」

C「 リュー・ユイへ

  わたし、あなたの書いた詩、『かたつむり』、見なくても言えるようになったよ。それにすきなれんがあるの。「おかしくない/おかしくない/てきに あったら もぐりこむ」と、「のろくたって/のろくたって/とまらなきゃ いいんだよ」このれん。わたしは、一組で一番のんびりやなの。」

 

○授業が終わって[viii]

 “かたつむり”自体の身近さと、連構成のたくみさで楽しむことができた。

 「おかしいな」とする形態上の見方は、子どもたちにも予想できることであり、「おかしくない」とする見方も三連以降はほぼ予想できた。

 かたつむりを「おかしい」とする見方と「おかしくない」とする見方を、くっきりと対比するとよかった。子どもたちは「おかしい」とはほとんど思っていない。「おかしい」とする見方がもっと子どもたちに入りこめば、逆に「おかしくない」とする見方を広げることができただろう。

  子どもがかたつむりになって体を動かしてみたり、感じたことを自由に全部発言したりなどの自由さをこの授業で感じられた。            (高田聡子)

 

 

 

○授業実践「かたつむり」についての考察

<「かたつむり」の詩について>

 このリュー・ユイの「かたつむり」の詩は私は初めて読んだものだった。「かたつむり/おかしいな(のろいなあ)」ではじまる奇数連と「おかしくない(のろくたって)」ではじまる偶数連が対話をするような、問答形式の八連構成の詩である。短くかんたんな言葉で書かれているので、低学年の子どもにもわかりやすく、すぐに受け入れることができる詩であろう。

私はこの詩から、かたつむりを見てその姿や動きなどの形態に「おかしいなぁ」と不思議に思いながら聞いている子どもと、それに対して教えている大人の姿。またかたつむりに否定的に見て悪口を言っている子どもと、かたつむり自身とがお話している姿、という二つをイメージが浮かんできた。一つ目の聞いている子と教えている人のイメージは、この授業の実践記録内でも子どもの反応でも、C「さいしょの人がへんなこと言って、あとの人が教えているみたい。」として書かれていた。もう一つの悪口を言う子どもとかたつむり自身とが話しているイメージでは、私は同時にまど・みちお作詞の「ぞうさん」[ix]という童謡を思い出した。まど・みちおの「ぞうさん」の詩も問答形式で書かれており、まどさん自身がこの詩にこめたこの本来の詩の姿には、「おはなが/ながいのね」と悪口を言ってきた子に対して、「そうよ/かあさんも/ながいのよ」とぞうさん(小ぞう)自身が自分のことを誇りに思いながら肯定的に答えている様子が描かれている。「ぞうさん」については別の章で書いているのでここでは詳しい説明は省く。つまり、リュー・ユイの「かたつむり」とまど・みちおの「ぞうさん」には、同じ“自分が自分であっていい”、というような自分自身を認め誇りすら感じている姿を描いているのだと感じる。もしも実際の授業の流れで、子どもたちから悪口を言う子にかたつむり自身が答えている姿のイメージが出たならば、最後にまど・みちおの「ぞうさん」の詩にこめられた本当の想いを、子どもたちに聴かせても良いように考える。今まで歌ってきた「ぞうさん」にもこんな想いがこめられていたと知ったら、子どもたちは何を想い、考えるのかが楽しみである。

 

<授業のすすめ方について>

次に授業のすすめ方について考える。この授業は、最初から詩の全文を提示して読むのではなく、はじめ連を少しずつ板書して、次にくる言葉を子どもたちに予想させながら次を板書し、その連ごとに読みを深めながらすすめている。普段詩の授業では最初から全文が提示され、それを音読してから読み深めていく形式が多いので、子どもたちにも新鮮に感じられ、またクイズゲームのように遊び感覚で楽しむことができる。特に高学年では間違えることを恥ずかしがり発言を控えてしまうこともあるが、低学年では発言することが楽しく感じられる時期であるため、活発な子どもの言葉が多くでてくる授業を行うこともできるだろう。

また授業の中で国語教育としての詩の構造として見事に、奇数連と偶数連で同じような言葉が繰り返される「反復(類比)」や、奇数連と偶数連との問答形式のような「対比」という基本的な詩の表現の方法が授業内に子どもの反応として出てきている。子どもは順に予想していくにつれて「かたつむり/おかしいな」と「おかしくない/おかしくない」が繰り返されている「反復」に自然と気付き、教師よりも先に発言してくる。そして反復よりは気付くのが遅くなるだろうが「対比」にも気付き、奇数連の内容を受けて偶数連の言葉を考えるようになった。この「反復」と「対比」に気付きやすくするために、奇数連と偶数連をチョークの色を変えて板書してみてもよいと考える。また③の様々な形式で音読する授業の中でも、偶数連と奇数連を分けて読むなどの工夫により、そのことを浮き立たせることもできるだろう。時間があるならば群読にしてもいい。この「かたつむり」の詩は群読の台本にも用いられることも多い。ただ、二年生で「反復(類比)」と「対比」という言葉自体を教えるには少し難しいように思うので、それは簡単に紹介するだけで、詳しい内容や方法は中学年以降に学習するようにしたい。

 

<まとめ>

高田聡子先生もかかれているように、かたつむりは小学生にとってとても身近な生き物だ。私自身も小学校の時代によくかたつむりを手にとってさわって遊んだものだった。

特に梅雨の時期に、通学路で雨が降っている中帰り道のコンクリートの壁や葉っぱの上などにかたつむりを見つけていた。小さなかたつむりから大きなかたつむりまで色々。目をさわると急いで顔を引っこめるのがおもしろかった。童謡の「かたつむり」も歌ったことがあっただろう。しかし大学生となった今、道端などでかたつむりを実際に見かけることはほとんどなくなった。今でも小学生はかたつむりは身近であり、親しみのある生き物であるため、私も小学校時代の気持ちに戻ってかたつむりを探してみてもいいだろう。実際に見つけたら教室に持ち込んでもいい。

 梅雨の時期の6月、小学校の教室などの掲示物にはかたつむりやあじさいの折り紙や絵がかざられる。その時期にこのリュー・ユイの「かたつむり」の詩を扱い、みんなで声に出して読んでいきたい。

 




[i]文化書房博文社 「続・詩の授業のすすめかた」渡辺増次/著 1987


[ii] 文化書房博文社 「続・詩の授業のすすめかた」渡辺増次/著 1987年 p97


[iii] 日本書籍 「一年上『少年少女世界文学全集』第50巻」


[iv]文化書房博文社 「続・詩の授業のすすめかた」渡辺増次/著 1987年 p96


[v]文化書房博文社 「続・詩の授業のすすめかた」渡辺増次/著 1987年 p97


[vi]文化書房博文社 「続・詩の授業のすすめかた」渡辺増次/著 1987年 p98


[vii]文化書房博文社 「続・詩の授業のすすめかた」渡辺増次/著 1987年 p99101


[viii]文化書房博文社 「続・詩の授業のすすめかた」渡辺増次/著 1987年 p102



10 月
31

Trick or treat!

Posted by a6hootazemi in おおゃ

お久しぶりです。おおゃです。今日10月31日はハロウィンですね!買い物に行くと、色々なものがかぼちゃとお化けづくしでした。この時期はかぼちゃを使った食べ物がたくさんでてうれしいです♪あ、今かぼちゃプリンにはまっているのですが、おいしいかぼちゃプリンを知っている人がいたら教えてください(*・・)ノv

でわ、今までアップしていなかった卒論の内容を載せます。結構長い間投稿していなかったので、たまっちゃってます(汗)今は群読をやっているのですが、軽い気持ちで群読を項目に入れたら、かなり奥が深くて今大変です。。。

<目次>

 はじめに

第1章 詩教育とは

第2章 表現教育と表現活動…学習指導要領を中心に

第3章 詩の授業

1、               鑑賞編

2、               活用編

第4章 群読

第5章 学級運営・学級通信

おわりに

 



第4章 群読

 

○はじめに

 今回私は、詩を扱った教育活動の一つである「群読」について調べていきたいと思った。私が初めて群読を体験したのは、「ことばは 生きもの 粋なもの ――教師の朗読――」というセミナーの講義でのことであった。講師は劇団歩座の代表、亀山歩先生である。そこでは声の出し方や口の形や姿勢、朗読についてだったので群読が中心ではなかったが、亀山先生の指導のもと、講義の参加者60名全員で北原白秋の「お祭」の群読を行った。初めて体験した群読の「お祭」には勢いや躍動感があり、なんともいえないスカッとした気分になった。これは学級でも活用できると思い、今回卒論として調べていくこととした。

 





○群読とは

 群読の方法を創始した木下順二は、「“群読”というのは、複数の読み手による朗読のことである」[i]と述べている。そして「その文体が持っているところの、時に力強く、時に幽かなまでに美しい言葉のうねりを表すには、あるとき複数で、あるときソロで朗誦するという方法を駆使するのが適当なのではあるまいかと考えだした」[ii]とある。

つまり、ただ複数で朗読したものが「群読」となるのではなく、内容に合わせて複数で読んだり、ソロで読んだりと、人数などの表現方法を自在に駆使しながら行う朗読が「群読」となるのだと考える。

 群読では人数には二人以上で行うこと以外の制限はない。(全て一人で読む場合には個人の朗読となる。)そのため学級全体、学校全体といった大人数で行うものから、二人読み、三人読みなどの少人数で行うものもある。

 

 群読の最大の目的として、群読を理論化した高橋俊三氏は「教室における群読は、他者の読みが存在することを認識し、他者の読みに耳を傾け、他者の読みに触発されて自己の読みを確立すること」[iii]とした。この目的は、群読の教育効果である②聞き合いと③学び合いに通じるものと考える。(「群読の教育効果」参照)

 

○群読のはじまり

 群読という朗読法が木下順二によって創始され、大きく取り上げられるようになったのは、〈山本安英の会〉の“ことばの勉強会”においてだった。それは、「日本古典の原文による朗読はどこまで可能か」という演劇上の課題を追究している過程によって生まれ、古典の体験・鑑賞・音声表現による現代化の方法として出発した。もともと古典からの朗読だった。19685月に木下順二構成の「『平家物語』による群読―――『知盛』」という作品が第一作目として生まれ、山本安英、野村万作らによって演じられている。しかし、群読は演劇の中で使われていたものであり、この当時は教育現場には入り込んでいなかった。

 その後、平家物語の群読を実際に触れたり、出版された「『平家物語』による群読―――知盛」と付属のレコードに刺激されたりなどして、教育現場で実践する人々が現れはじめた。群読が教育界に取り入れられたのは、1970年代からであり、一般的に国語科教師に知られるようになってくるのは1980年前後である。

群読が取り入れられたのは、子どもたちの活動を能動的にするためというねらいのものであったが、演劇教育と国語教育との二つの窓口が認められていた。演劇教育として記録に留められている最初のものは、1980年『演劇と教育』(日本演劇教育連盟編集二九一号、晩成書房)である。筆者は演出家の酒井誠氏であり、演劇教育を担当する教師によるものではなかった。国語教育としては、1983年『大村はま国語教室 第三巻』(筑摩書房)に中学における大村氏の指導実践録が載せられている。そして1984年には実践的研究を進めるための群読研究会が設立され、教育としての群読が確立されるようになった。[iv]




[i]  福音館書店「古典を訳す」 著:木下順二 1978


[ii]  福音館書店「古典を訳す」 著:木下順二 1978


[iii]  学文社 「声の力と国語教育」著:大津雄一 2007年 p25


[iv] 三省堂「声を届ける 音読・朗読・群読の授業」 2008年 p221222





○群読の特徴

 群読の特徴として、群読研究会代表の葛岡は「群読―――表現教育としての」[i]で以下のように述べている。

 

・複数で読んだ方が、立体化した表現になるという計算ができる部分、必然性のあるところだけを複数で読むということであり、それ以外はソロで読む。

 

・中心の読み手がいる…中心となる人物のことを表現する。群読の心棒のような役割。

           古典であれ、現代文であれ、詩であれ、群読を構成する場合、それがあるかないかで、表現する側も聴く側も、一貫性を感じ取れるか無原則になるかの分かれ道になる

 

・声質の違いを大切にする…異なった声の持ち主が、二人あるいは三人四人で群読時に醸し出されるハーモニーを楽しむ。群読の読み手は等質であってはならず、声をそろえることにより、個と個が自己表現をやった上でハーモニーをつくりだすということだから、一人一人の読みを確かなものにしていかなければならない

 

・ひとり読みが基本であり、もっとも重要な命題として〈個〉が大切にされる

 

私が群読の特徴としてもっとも重要だと考えるのは、最後に挙げた「ひとり読みが基本であり、もっとも重要な命題として〈個〉が大切にされる」ということだと考える。つまり群で読んでいる時でも、単なる群れでなく、個が確立された群であることが必要である。声の抑揚やタイミングを、声量を合わせながら行うのではない。「複数の読み手の微妙なズレ、生理のかすかなズレを問わない。そういう異なった個が共に読むことによって醸しだされる一体感、ハーモニーがすばらしい」[ii]のである。

私ははじめ群読を、子どもに複数であったり、ソロであったりと分担して読んでいくため、周りと呼吸を合わせながら声を合わせて行っていくことが必要だと考えていた。しかしこの考えは間違えてあり、子どもに教師の望むように読ませていくことになってしまうことに気づいた。これでは「さぁ、みんなで声を合わせましょう!」と、形に囚われたり、声をそろえることに躍起になるだろう。これでは一斉教育で終わってしまう。群読は〈個〉を大切にし、〈個〉を育てていかなければならないと感じた。

演出家の酒井誠は、「群読は合唱や斉唱ではなく、シュプレヒコール(注)でもない。たとえていうなら、それは『雑草のうた』だ。エノコログサもある。アカマンマもある。カヤツグリもある。それぞれが自立し、わざわざ他の草の姿に自分をあわせようとはせずに独自の葉や花をつけ、全体としてたくましく、勢いのある『群れ』を造る。それが群読だ。逆に、斉唱はよく手入れをされたチューリップの花園といっていいだろう。ところが、昨今の群読教育はむしろ個の自立を殺している。声をそろえることに腐心している」[iii]とあった。

また木下順二は、「群読は新しい演劇の世界を切り開くだけではない。教育の場では、硬直した一斉教育主義をときほぐし、『個のない集団』にやいばを突き付ける力を持つ。あえて群読教育のすすめを説きたい。」[iv]とあった。

 

(注)シュプレヒコール

   …呼びかけ。主に卒業式などでよく行われるもの

 

○音読・朗読・群読の違い

 音読、朗読、群読と、文章を読み上げる音声表現の言い方は主にこの三つが挙げられるが、その言葉の違いが明確ではなかったため、辞書でその定義を調べてみた。

 

 

<広辞苑(岩波書店)より>                 

音読:声を出して読むこと

朗読:声高く読み上げること

群読:(表記なし)              

 

<新明解国語辞典(三省堂)より>


音読:書いてあることを声を出して読むこと
朗読:(鑑賞・紹介などのため)文学作品や手紙などを、感情を込めて音読すること
群読:(表記なし)

 

<国語教育研究大辞典」(国語教育研究所編 明治図書)より>

音読:広義には、声を出して読むことすべてを言う。黙読に対する言葉である。また狭義には、表出や伝達を意識することなく(自分自身の理解のために)声に出して読むことを言う。朗読に対する言葉である。

朗読:表出や伝達の意志を持って文章を音読すること

群読:(表記なし)

 

音読と朗読については、気持ち(感情)を込めているか、相手に気持ちや思いを伝える伝達意識があるかどうかの違いであると言える。つまりは教科書や詩、物語などの教材をすらすらと感情を込めずに読んだ場合は音読であり、聞き手を意識したり、内容に合わせて感情や抑揚をつけながら読んだ場合は朗読となる。

また音読と朗読の定義づけはあったものの、群読にいたっては辞書・辞典に言葉そのものがなかった。そのため、群読は学校などの教育現場や劇団だけの特有の言葉とも考えられる。私は今回群読を、複数、ソロなど、読み手の人数を自在に駆使しながら行う朗読であるととらえる。

 

○群読の台本

 群読として読むものは「台本」と呼ばれることが多い。その内容は古典や詩、物語だけでなく、国語の教科書にある説明文の台本もあるなど幅広い。群読に適した作品の条件として、酒井氏は「すぐれた文学であり、すぐれた日本語で書かれたものであることです。次に、音のイメージが豊かであること――古典なら語り物、現代ものであれば朗読のために、あるいは声に出して読まれることを想定して書かれた文学がよいでしょう。叙情豊かな作品よりストーリー性のある叙情文学のほうがふさわしい」[v]とあった。また時期や学習環境、子どもの実態などに合わせたものが良いと考える。




[i] 晩成書房「群読―――表現教育としての」 著:葛岡雄治 1993年 p8587


[ii] 晩成書房「群読―――表現教育としての」 著:葛岡雄治 1993年 p88


[iii] 朝日新聞 「天声人語」 著:酒井誠 1986129


[iv] 朝日新聞 「天声人語」 著:木下順二 1989129


[v]  晩成書房「群読―――表現教育としての」 著:葛岡雄治 1993年 p70



 

 


8 月
1

黄金(きん)の魚

Posted by a6hootazemi in おおゃ

こんばんわ!おおゃです☆

今日の発表内容の一部をアップします(・v・)ノ

 



『子どもたちと谷川俊太郎の作品を読む』 清水左知子:著 より。

この本は小学校教師である清水先生が1984年~2004年までに実践されたものの記録集です。実践されたものの中で子どもの反応が良かったものを載せたそうです。指導の記録は実際授業を行ったときの児童の反応です。



<深い意味をもった詩を読んでみる(幸せの陰にある一滴の涙)>

5,6年対象

 

黄金の魚(谷川俊太郎:作)

 おおきなさかなはおおきなくちで

 ちゅうくらいのさかなをたべ

 ちゅうくらいのさかなは

 ちいさなさかなをたべ

 ちいさなさかなは

 もっとちいさな

 さかなをたべ

 いのちはいのちをいけにえとして

 ひかりかがやく

 しあわせはふしあわせをやしないとして

 はなひらく

 どんなよろこびのふかいうみにも

 ひとつぶのなみだが

 とけていないということはない

 

●題材について

 この詩は、谷川俊太郎がパウル・クレーの絵に(黄金の魚)に触発されて作った詩である。その絵は、大きな金色の魚が中央にいて、周りに何匹もの小さな魚がいるが、黄金の魚を中心にすると、みんな別の方向を向いている。そっぽをむいているのである。黄金の魚は金色で、その周りの水は深い青色をしている。

 詩の前半は、大きな魚が中くらいの魚を食べ、中くらいの魚は小さな魚を食べ、小さな魚はもっと小さな魚を食べるという自然界で起こっていることを淡々とうたっている。自然の摂理を表現しているのである。

 後半は、前半とはがらりと様子が変わっている。「輝いている生命は、その他の、とくに小さな生命をいけにえにしている」ということを3つの例をあげて述べている。つまり、美しい命のその裏側にあるものに目を向けているのである。

 子どもたちの多くは、普段の生活では表面に出ている美しさ、楽しさに目を向けて暮らしている。そこには、その反対の立場になるものがあるということには心が及ばない。この詩は、そういうことに目を向けている詩なのである。

 

●本時の目標

1、大きな魚は小さな魚を食べて生きているという自然の摂理を知ること、喜びの陰には、悲しみが隠れていることを知る

2、詩の言葉の使い方の工夫を知る

 

●本時の展開


学習内容

教師の働きかけと予想される児童の発言

留意点

・クレーの「黄金の魚」の絵を見る

 

 

 

・詩を1回読       む

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・前半を読む

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・後半を読む

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・情景を思い浮かべる

○クレーという人の描いた「黄金の魚」という絵を見てください。この絵を見てどう思いますか

・全体に暗いから嫌い

・黄金の魚だけが光っている

・周りの魚は向きたい方向を見ている

 

○この詩が好きな人、嫌いな人、どちらでもない人

 

○もう一度読んで、感想を言ってください

・題名は漢字で、内容はひらがなだけ

・題名は「黄金の魚」だけど、内容に「黄金の魚」はでてこない

・命は命をいけにえにして光り輝くがわからない

・はじめと後では感じが違う

・いけにえとやしないがわからない

・大きな魚は~もっと小さい魚をたべ…まで、だんだん文字が少なくなっている

 

○前半を見てみましょう。前半の行ですが、こんな風になっていると考えていいですか

 

 

・そう

・さかなという字が全部で6つもある

・一番上にち・ち・ちとちの字が並んでいる

 

○題名が「黄金の魚」なのに、「黄金の魚」ができこないのですが

・それは大きい魚のことだと思う

 

○「いのちは…」がよくわからないということですが、どういうことでしょうか

・大きな魚は小さな魚を食べた分、立派な魚でしっかり生きている

・光り輝くは、美しく生きているということ

 

○「しあわせは…」というのはどういうことでしょうか

・幸せは黄金の魚で、不幸せは小さな魚

○花開くというのは、花が咲くことですか

・例えでいっている

 

○例えのことを比喩表現といいます。最後の「どんな喜びの…」は何をいっているのでしょう

・どんな大きな喜びがあっても、その陰には犠牲があるということ

 

○3つの例は、みな同じことを言っているわけですね。なぜ、3回もいっているのでしょう

・大切なことをいっていると思う

・幸せは、不幸せの上に立っていることを教えたかったんだと思う

 

○みなさんの心に響いたことはなんでしょう

・命というものは、犠牲の上に成り立っているということ

 

○情景を思い浮かべてください

・大きな魚は、ますます大きくなって光り輝いている

・食べられた魚の家族は、悲しんでいる

・模造紙に書いた「黄金の魚」の詩を提示

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・子どもの意見を板書する時、全体と前半と後半に仕分けする

 

●指導の記録

○(クレーの黄金の魚の絵を提示)

 この絵を見たことがある人?

・0人

○この絵はパウル・クレーという人が描いた絵です。この絵の題は「黄金の魚」です。この絵を見て感じたことをいってください

・黄金の魚がゆらりとした感じ

・色が鮮明できれい

○この絵を見て、詩人が詩をつくりました。題名は黄金の魚と書いて、きんのさかなと読みます。(詩を読む)次は、みなさんが自分で2~3回読んでください。

・(読む)

○この詩が好きな人(24人)嫌いな人(1人)どちらでもない人(7人)

○詩を好きなわけ、嫌いなわけ、疑問点、詩の楽しさの中から見つけたもの、などなど、なんでもいいから発表してください

・「おおきなさかな~もっとちいさなさかなをたべ」まで、ずっと続いている気がする

・しりとりみたい

・「おおきなさかな~もっとちいさなさかなをたべ」まで、大・中・小・もっと小と、だんだん小さくなっている

・行の長さがどんどん短くなっている

・はなひらくだけど、幸せか不幸せは、植物じゃないから比喩表現だと思う

・幸せは不幸せを栄養として、きれいに花開くという意味で、比喩表現です

・「どんなよろこびのふかい~とけてないということはない」の意味がわからない

・自分の大きな喜びを深い海に例えている。これも比喩表現だと思う

・一粒の涙っていうのは次々に食べられて失っていく小さな魚の悲しみを例えていっている。これも比喩表現だと思う

・はじめの2つの例は、嬉しいことは悲しいものの上に立っているということをいっているんだけど、最後の「どんな~とけていないことはない」のところだけ、悲しみを忘れようっていっている

・ちょっと違ってて、最後のところも喜びは悲しみの上に立っていると思う

○これを読んでください。これは美人ということをさしているのでしょうか。それとも美人でないということをいっているのでしょうか

「美人でないということはない

・美人じゃない(2人)

・美人(その他全員)

・はじめの「でない」で、美人を打ち消している。もう1つの「ない」で、また打ち消しているから、美人であるといっている

○ここでは、涙がとけているということで、前と同じように、喜びは悲しみを養いとして成り立っているということなので、前の2つの例と同じことをいっています

・はじめの方は、残酷なことを連呼している

○普通の詩は題と同じ言葉がでてくるものですが、この詩は出てきません。どうしてでしょうか

・大きな魚のことだと思う。題は黄金の魚だし、大きな魚はなんか偉そう

・自分は何も食べられてないし、1番大きいから

・一粒の涙というのは、悲しみの比喩表現

・「よろこびのどんなふかいうみ」というのは、喜びの深い海の深さに例えている。それほど大きな喜びのことをいっている

○やしないとは?

・おなかを満たすこと

○いけにえとは何ですか?

・ほかの生き物を生のままで食べて、自分の栄養にすること

○ここでは?

・その他の魚のこと

 

○まとめてみよう

いのちは       いのいを いけにえとして

↓              ↓

おおきなさかな    その他のさかなたち

 

しあわせは     ふしあわせを やしないとして

↓              ↓

ああきなさかな   その他のさかなたち

 

よろこびのうみ   ひとつのなみだ

↓              ↓

おおきなさかな   その他のさかなたち

 

○ではこの3つの例を読んでみましょう

・この3つの例は、みんな同じことをいってるみたい

・はじめの2つは特によく似ている

○もう一度読んで、情景を思い浮かべてください

・黄金の魚がますます美しくなっている

・きれいだけでなく、ますます元気になって活動している様子が見える

・代わりに食べられたその他の魚の家族は、嘆き悲しんでいる

○この詩から感じる想いをいってください

・大きな魚は立派だけど、その他の魚の悲しみの上に立っている

・大きな魚は光輝いているけど、悲しみの涙の上に立っている

・大きな魚は小さな魚を犠牲にしてきれいに光っているけれど、小さな魚は悲しいだろうな

・この詩はひらがなでやさしい気がしたけど、本当は奥が深い詩だな

・考えさせられる詩だった

・はじめは題名が黄金の魚なのに1つも出てないのが気になったけど、今は多分小さな魚をいけにえにした大きな魚だと思う

 

●指導後の反省

1、比喩についてはかなり大勢の子どもが発見していた。そしてそれが詩の面白さをつくっていることもわかったようだ。「情景」についての子どもの反応は、比喩と比較して不十分だったように感じた

2、同じ内容のことを言葉を変えて表現する詩の手法についても、子どもは声を出して読んでいるうちに理屈ではなく、肌で感じたようだ。声を出して何度も読むとういことは非常に大切だと痛感した

3、相手の立場に立ってものを考えるということが難しくなってきている社会の中で、子どもたちに自分以外の人や生き物に心を寄せるという広い心をもってもらうため、また詩の工夫の面白さを知ってもらうために、この詩はとてもよい教材であると思う

『子どもたちと谷川俊太郎の作品を読む』 清水左知子:著

*******

私もクレーの「黄金の魚」の絵を見たのですが、なんだかドキッとする絵でした。ここで見れます。⇒http://www1.odn.ne.jp/~cci32280/ArtKleeGoldFish.htm

この詩の「しあわせはふしあわせをやしないとして はなひらく」という部分が私の中でいまいち理解しきれてません。なんで「はなひらく」という言葉を選んだのかな…?

人はきれいごとでは生きていけない。食べないで生きることはできないし、人の助けがなければ生活することもままならない。そしてその生活があるのも、過去の人の努力や苦労があるから。

いただきます。ごちそうさま。ありがとう。 いろんなものの上で生かされているのは忘れてはいけなくて。日々感謝する気持ちを忘れてはいけない…ということなのかな。

(おおゃ)

 


6 月
14

携帯とお財布、小学校に忘れた・・・。

Posted by a6hootazemi in おおゃ

どうも、おおゃです。今週で実習を終えられた人が多いみたいですね。おつかれさまです(^ー^)

私はというと今週で3週目が終わり、ついに実習を残すことあと1週間となりました。

実は金曜日に小学校のロッカーに携帯とお財布を忘れ、誰とも連絡が取れない状態になっています(×-×;)土曜日に携帯を取りに小学校まで行ったのですが、さすがに開いてませんでした↓↓↓自分のアホさにあきれます…。

今回2年生の生活科の大きなイベント、町たんけんについて書こうかと思ってたんですが、その内容を携帯にメモしていたのでまたの機会に報告します。町たんけんは準備などがかなり大変だけど、とっても楽しかったです!

来週に研究授業、全日実習ということで、今は色々と大忙しです。特に指導案をつくるのが大変でした。その学校の指導案の書き方があり、それに合わせて書くのが難しかったです。添削を何度もして頂き、担任の先生には本当にお世話になってます。でも指導案を書いているときに色々な先生方に労いの言葉やアドバイスを頂き、とてもありがたかったです!結構遅くまで残ってたりするので、たくさんの先生方と仲良くすることができてうれしいです。先生方はみな話好きの人が多く、よく冗談を言いあったりしています。この前はなぜか方言の話題で盛り上がりました(笑)

実習は本当に時間が過ぎていくのが早いですね~。もうあと1週間しかないです。残り1週間、悔いの残らないように1日1日を大切に頑張っていきたいです!まずは研究授業の準備・・・。これから教具とワークシートづくりをします。

ではまた!(おおゃ)

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6 月
7

やっとこさ2週目終わり!

Posted by a6hootazemi in おおゃ

こんばんわ、おおゃです。教育実習を終えられた方、お疲れ様でした!えべさんの授業の子どもたちの反応で、「女の子って男の子がいると逃げるものだ」「生き別れの兄弟だから離れたかった」というものがあって思わず笑ってしまいました。色々な解釈を発表してもらう時間にしたことでねらいからはそれてしまったかもしれませんが、子どもから多くの解釈がでていたのでとても活発な授業になり、子どもも楽しんでできていたのでは、と感じました。

今週に市教育委員会学校訪問があり、先生方の研究授業や分科会などに参加してそこで学んだことなのですが、教師はどうしても自分の解釈やねらいに重点をおいてしまい、そこからそれた子どもの発言は受け入れずに、自分の決めたレールに戻そうとしてしまうことが多い、と言っていました。単元や自分のねらいとは違っていても、子どもの自由な発想を「おもしろい!」と思えるようになれば授業を行うのも楽しくなり、また子どもものびのびと発言できるだろう、とのことでした。

たとえば公開授業:「同じぶぶんをもつかん字」(2年)では、自分で同じ部分をもつ漢字(例:右と名では口が同じ)を探し、それをカードに書いていく、ということをやっていました。同じ部分を赤で書いていくのですが、子どもは予想外なものをたくさん出してきました。男・思で「田」、目・見で「目」など予想通りのものを書く子や、ねらいの部首をとらえて書く子がいた中で、見・光・先で下の部分が同じだととらえた子や、高・話で口が2つあるのが同じだととらえた子、手・毛で同じ部分を見つけた子など意外な視点で同じ部分を見つける子もいました。

私は巡回していてこれは違うだろう…と思っていたのですが、先生は「これおもしろいよ!」とあえて変わったものを取り上げていました。すると言われた子は誇らしげにし、他の子ももっと他にないかと意欲が上がっていったように感じました。最終的には1人14枚程度として300枚ほどカードを用意して、それが足りなくなるほどでした。

子どもは、特に学年が上がるにつれて教師の意図(やりたいこと)がわかり、教師の望む答えをあえて言うようになってくるように感じます。そのためできるだけ子どもの考えを尊重し、取り上げて評価していき、子どもの発想や感性を伸ばしていける環境をつくっていくことが大切なのだと改めて感じました。私はまだまだ頭が固いので、子どもの意見を受け入れ対応していく柔軟性をこれから身に付けていきたいです。

 

話が変わって、実は今日、実習校で行われたPTAソフトバレーボール大会に参加してきました。…土曜日なのに。クラス対抗で保護者たち(たまに担任も)が競うのですが、正直実習生という微妙な立場の私は少し居づらかったです(T-T)しかもママさんバレーをやっている人も多いため、かなりレベルが高かったです。1セット参加して、あとは応援に周りました。結果はあれよあれよと勝ち進んで、なんと3位になりました。お母さん、お父さん方すごかった!学校行事ではないので基本教師は自由参加なのですが、若手の先生(特に男性)はほぼ強制参加でした(笑)

ただ、朝からだったし、お昼頃には終わって帰れるかなーと思っていたのですが、大会は4時半に終わり、その後も担任の先生に帰っていいとも何も言われなかったので、結局5時半過ぎまで学校にいました。…早く帰りたかったです。

今週は町探検、市教育委員会学校訪問、PTAバレーボール大会と内容が盛りだくさんの1週間でした。町探検については今週と来週の2回行くので、来週書きたいと思います。

では今日はここまで。(∙∀∙) (おおゃ)


5 月
30

実習1週間目

Posted by a6hootazemi in おおゃ

こんばんわ、おおゃです。今日(正確には昨日)実習の1週目が終わりました。ブログではもう実習は残すところあと1週間、または3日だという人がいる中で、私はまだ3週間もの期間が残っています。教育実習は始まる前はかなり不安や緊張があり、どうなることやら…と思っていたのですが、始まってみると毎日が楽しくてあっという間に1週間が過ぎていきました(б∀б)ノ

私は木曜の1限に初めて授業をやりました。2年算数ひき算の筆算です。担任の先生が指導案は別に書かなくてもいいよー、と言っていたので、本当に指導案も書かずに授業に臨みました。だいたいの授業の流れは担当の先生からざっと聞いたので、とりあえずその授業の流れをイメージ(妄想?笑)してから授業を行いました。自分でも驚いたのですが、授業前も授業中も、私はあんまり緊張することがありませんでした。普段私はかなりの緊張しい&あがり症なので、本当に授業のときは頭が真っ白になってしまうのでは…と心配していたのですが、結構普段のテンションでいけました。授業は1時間目に行ったので、朝は朝会があって時間が延びたために26、7分間の授業でした。ある意味綿密な指導案を書いていなくて正解だったかも(^―^)

授業自体は…案外なんとかなっちゃいました。内容自体もそこまで難しくなかったこともあり、みんなが積極的に発言してくれました。私が授業を行う物珍しさもあってか、みんな集中して聞いてくれて本当にやりやすかったです。もちろんイメージ通りに進んだのではなく、みんなできるようだったので予定していた手順を飛ばして進めたりしていました。今回の授業での反省点は、1番は板書。もっと見やすくしたかったです。そして時間の区切り方でした。ただでさえ時間がないのに、子どもに練習問題を時間を決めずにやらせていました。練習問題をやらせながら巡回して丸を付けていくのですが、そこで時間がかかってしまい、担任の先生に「時間決めてやるよー。大谷先生、何分までやるか決めてね」と助言をもらって始めて気付きました。時間気にしてなかった…(×-×;)それでやっと次のテーマにいけました。一応予定していた範囲は終えたのですが、先生の助言がなければ終わりませんでした(汗)

授業を終えて、嬉しかったのは子どもの反応!「先生―、次の時間の授業やるの?やってよー」と言ってくれたので、なんとか及第点には至ったかな、と感じました。中でも1番嬉しかったのは「先生、授業してるとき楽しそうだったよ」、といった子どもの言葉でした。これは本当に嬉しかったです!!私の行った授業の内容の計算ドリルを宿題に出したのですが、今日丸付けをしたら2人のケアミス以外みんなできていたので安心しました。

実習は楽しいのですが、放課後の事務作業の多さには少し疲れてきました。というのも、内容は丸付け、プリントの冊子づくり、印刷、掲示物づくり、色々な種類のカードのチェック、絵日記のコメント、硬筆の丸付け…などの事務作業におわれています。別に自分のクラスの分ならいいのですが、他のクラスの分までやらされます。2年生は3クラスあり、私のクラスの先生はベテランで他のクラスは教師歴2年目と臨採1年目の先生なので、その2クラス分の作業も行います。まあ年は20代後半と30代前半なので、少し年は離れてますが。担任の先生がその2人の先生に「なんかやる仕事があるなら大谷先生に渡してね」と毎回言うので、毎日大量の丸付けなどの事務作業が渡されます。正直、担任の先生よりも他のクラスの先生の方が渡す仕事の量が多いです。確かに手慣れていない分仕事が溜まるのはわかりますが・・・。毎日8時頃までほとんど事務作業です。実習初日に頂いた先生方がよく使う赤ペンも今日で使い切り、インクを新しいのに代えました。とりあえず丸付け等は早くできるようになったし、教師の仕事の多さを知ることができました(°д°;)みなさんは放課後はどんなことをしてるんですかね?

来週は国語の授業を行い、町探検(生活科)に参加してきます。あとなぜか土曜日にPTAソフトバレーボール大会(!!)・・・保護者にまじってやるので正直アウェイ感漂いますが、楽しんでいきたいです。でも町探検はマジで楽しみだw(∙∀∙)w大変なことはあるけれど、それ以上に嬉しかったことや楽しみなことがたくさんあります!私はまだ3週間あるので、まだまだ学んでいきたいです!!でわまた~(*´∪`)ノノ(おおゃ)


5 月
25

ついに実習始まりました

Posted by a6hootazemi in おおゃ, 未分類

こんばんゎ、おおゃですo(^-^)o今日は実習初日でした。週に1度行かせていただいている小学校での実習なのですが、特に実習生のあいさつもなく、1コマ校長先生の講話が入ったくらいで、ほぼ今まで通りに過ごしました。
そして今日授業実習の日程について決め、実習中に11回の授業をすることになりました。実習後半には全日実習なんてあるんですね…。1日全ての活動を受け持つとは知りませんでした(´Д`;)でも研究授業以外指導案を書かなくて良いのは楽です(=^ェ^=)
今日帰り際に、担任の先生に遠足の感想文(絵日記風のもの)のコメントを頼まれ、家で書いています。ちなみに学校出たのは8時頃。…実習の厳しさを知りました(-_-;)
でも子どもの感想文を読んでみると、面白いものがたくさんありました!「東武動物公園で1年生がお金がかかる所に行きたくてずっと動かなかったりして、もう疲れきってしまいました」と苦労したことを書いて「今度はもっと楽しい遠足にしたいです」と書いた子や、「動物公園がとてもきれいだったことが忘れられません。動物公園で働いているみなさん、ごくろうさまです。」と書いた子もいました。まだ2年の始めなのにこの表現は本当に面白いと思いました(*^□^*)コメントは難しく、時間がかかってしまいましたが、有意義なものでした。
でゎ明日はスポーツテストの補助を行うので、やり方についてこれから勉強します。あと算数の授業づくり。まだ授業が少ないので、余裕のある今ブログに書き込みしておきます。でゎみなさん、実習頑張りましょー(*゜O゜)ノ(おおゃ)


5 月
23

東武動物公園

Posted by a6hootazemi in おおゃ

こんにちわ、おおゃです♪昨日今行っている小学校の遠足に参加してきました!!行先は東武動物公園です(*^ー^*)行く前までずっとその日は雨だと言われていたのですが、なんと晴れ!とってもいいお天気になりましたー。雨天決行だったので、動物園は野外だし、本当に晴れてよかったです!!

実は遠足の当日の朝に、埼玉初の豚インフルエンザ確認のニュースがありました…。しか場所は東武動物公園にめちゃ近い鷲宮(0言0;;)おいおい、なんてタイミングだよ…、と思いながら学校に行ったのですが、保護者に緊急連絡網のメールが回ったぐらいで、特にマスク着用を強制するわけでもなく遠足に行ってきました。

遠足は1、2年生合同で縦割りになって行動するので、普段とは勝手が違い大変でした。クラスで行動するなら自分のクラスだけ見ていればいいのですが、赤1班・青1班…と細かく分けているので、他のクラスの子、ましてや1年生もともなると、顔も名前もわからないので本当に苦労しました。1、2年生は勝手に歩き回る子、のんびりの子が多く、私は「前の子についていくんだよー」「1年生と2年生は手をつないでねー」と、ずっと声を張り上げながら子どもの列を行き来していました。結構ずっと先生間の伝言係と子どもの誘導係として走り回っていたので後半はかなりへばってしまい、自分の体力のなさを感じました(汗)

東武動物公園では動物のふれあいコーナーがあり、今回はウサギ、モルモット、ヒヨコ、そしてシカの角(!)を触りました。私もちゃっかりウサギを抱っこさせてもらいました(・∀・)めっちゃかわいかったです!!子どもも動物に触る前は噛まれるかも…と怖がる子もいましたが、実際に抱っこをしたらニコニコと笑っていました♪

子どもたちはサル山とペンギン、ホワイトタイガーがお気に入りだったようです。私も一緒に楽しんじゃいましたv(^皿^)vサル山には赤ちゃんザルもいて、みんな食い入るように見ていたし、私がボスザルの話をしたら、みんなが一生懸命にボスザルを探していました(笑)ボスザルって子どもは知らないんですねー。でももうとにかく楽しかったです!ちなみにチンパンジーに子どもたちが水をかけられてました(笑)子ども喜ぶ喜ぶ!なんだかチンパンジーは機嫌が良かったのか、唇でずっと音を鳴らしていて、それが歌を歌っているように聴こえました。

バスの中では、事前にバスレクをお願いされていたので、宮田先生にアイスブレーキングなどの遊びの本を借りたりしていくつか用意していたのですが、ガイドさんや子どもたち自身が全部やっていたので私の出番はありませんでした(^-^;)子どもはジャンケンや命令ゲーム、なぞなぞをやりました。帰りのバスは全部子どもたちがやっていました。すごいパワフル!1番元気なバスだったようです。なぞなぞも自分が知っているものを出すのではなく、自分で考えたものを出す子も多くて、いまいちなぞなぞになってないものも多くて面白かったです。例えば「夏によく使うものはなんでしょう?」―「答えは扇風機です」など。…それ、なぞなぞか?(笑)

学校に帰ってきて最後に先生のあいさつがあるのですが、恒例の「遠足は家に帰るまでが遠足です」が聞けました(笑)今でも言うんですねー。あ、おやつはなかったので「バナナはおやつに入りますか?」はなかったですけど(*ω-)ノ☆

なにはともあれ、めっちゃ楽しい遠足でした!来週からはついに教育実習がはじまります!!遠足に行った学校にそのまま入るので、クラスの子の名前は完璧です(^‐^)bほとんどの人がもう実習に入っているので、なんだか変な感じです。私は月曜からスタート!気持ちもそわそわ→ドキドキとわくわくに変化しました!大変なことも多いようですが、私なりに頑張ってみます(・・)でわまた~☆(おおゃ)


5 月
5

たんぽぽを探してきます。

Posted by a6hootazemi in おおゃ

どうも、おおゃです。昨日、黄金週間なのに原宿に行ってきました。はい。もっっのすっごい人です。駅着いた瞬間、本気で帰りたくなりました。黄金週間なめてた…(00;)

 

少し前に話が出ていた小2児童の体罰の問題について少し考えてみました。

私は臨時講師が児童の胸ぐらをつかんで注意したのはやりすぎだと思います。相手は小学2年生です。私は昨年の1月から小2のクラスに入って児童と接していますが、講師が児童の胸ぐらをつかむという行為は、注意をする(叱責)というよりも自分の怒りをぶつけるだけだったように感じました。児童がまだふざけている状態で、いきなり胸ぐらをつかんで叱りつけるのでは、自分がしたことよりも叱られたことの方が児童の中に残ってしまうことが多いです。そのため児童を一度落ち着かせて自分のしたことを理解させた上で、きちんと向かい合って「いけない」ということを伝える必要があったように思います。

しかし、私はこれを体罰だとは思っていません。講師側に多少のやりすぎた面はあったとしても、これを体罰としてしまえば、教師は子ども(や保護者)に変に気を使いながら指導していかなければなりません。この問題は保護者が過敏に反応したために事が大きくなったように感じます。体罰か否かを争う前に、子どもの行動を考え、諭していく必要があったのではないでしょうか。そうした上で講師(学校)、児童、保護者が話し合うこうとができたのなら、もっと早くに解決できたのかもしれません。学校を訴えることも、力による指導も、「子どものため」が「自分のため」になっているようでは、子どもは何の学びも得ることができません。何が子どもにとって本当に必要なのか、そのことを常に考えながら行動していくことが大切だと思いました。

 

 

教育実習が刻一刻と近づいてきて、なんだか毎日そわそわしています。研究授業とか何にも考えていないのですが、みなさんはもう考えましたか?せっかくだから卒論で調べたネタが使えたらともくろんでいます。私は25日~なのでまだ時間はありますが、えべさんはもうすぐですね。がんばです!

 

今は灰谷健次郎の『天の瞳』を読んでます。全8巻。結構私は本を読みだすと1日で3,4冊は読めちゃうんですが、『天の瞳』は大事に読んでます。今は3巻目を読み終えたところですが、本当にお勧めです(^^)小説の中にまど・みちおの詩を取り扱った授業の光景が描かれていたので、めっちゃテンションがあがりました!!教育実習で1つくらいはまどさんの詩を紹介したいです♪

 

これから愛犬と一緒に小学校の先生に頼まれていたたんぽぽを探してきます!できるだけ茎の長いたんぽぽが使いたいそうです。目指せ!18㎝!!!ではまたー(・Ω・)ノ~☆(おおゃ)


4 月
25

「さんぽ」~合いの手入りバージョン~

Posted by a6hootazemi in おおゃ, メルヒェン

こんばんわ!土曜担当のおおゃです(・ω・)ノ

昨日小学校へ行ってきました!休み時間子どもたちと一緒に遊んでいるときに、ついでに一緒に歌を歌うように仕向けてみました。そうしたら子どもたちに一風変わった歌を教えてもらいました♪どんな題名がついているのかは知りませんが、みんなが知っている「さんぽ」の曲に合いの手が入ったバージョンの歌でした!ではその歌詞を・・・

あるこう (ール)

あるこう (ール)

わたしは げんき (ぼくはかぜ気味!)

あるくの だいすき (ぼくはきらい!)

どんどん ゆこう (どこへ?)

さかみち (60度!)

トンネル (崩れてる!)

草っぱら (草むしり!)

1本ばしに 

でこぼこ じゃりみち (工事中!)

くものす くぐって (くぐれない!)

くだりみち (地球は回る!)


曲自体はそのままで、間に合いの手が入る感じです。最初の「あるこう (ール)」は「アルコール」と歌います(笑)あとなぜか「1本ばしに~」の後には合いの手が入りません。結構テンポもよくって、子どもたちと一緒に声をそろえて歌うとかなり面白かったです!!!私は初めて聴きましたが、すぐに覚えて一緒に歌いました♪

それとついでに「やぎさんゆうびん」も一緒に歌いました。子どもは「しかたがないので~♪」からの部分が好きなようで、妙にそこは力が入ってました(笑)やっぱ子ども歌には人を笑顔にするのかな、なんて思ったり(^^)あ、あと本を読んでいたら「やぎさんゆうびん」の詩のことについてまどさんが書かれた文があったので、前に発表したものと重なりますが少し載せておきます。

【「やぎさんゆうびん」は食いしん坊の歌です。やぎさんは来る手紙来る手紙、全部食べちゃうんですから。しかし、生きものにとっては、物を食べるということは本質です。にもかかわらず、自分の食いしん坊はわかっても、いつのまにか隣の人も食いしん坊であることは忘れています。現実に人間も、飽食の時代と言われ、身のまわりに食べものが溢れていても、貧しい国の食べることのできない人たちのことは忘れてしまいます。全部の人が、人間はみんなだれでも食いしん坊だということを、もっとちゃんと覚えておったら、この世はずいぶんとよくなると思いますね。】(P118)

『すべての時間を花束にして~まどさんが語るまどさん~』 まど・みちお著 

それでは今日はここまで。でわまた(・・)!(おおゃ)


4 月
18

大きな古時計 歌詞 

Posted by a6hootazemi in おおゃ, メルヒェン, 未分類

「大きな古時計」 日本語歌詞   作詞:保富康午  作曲:H.C.ワーク


1、おおきなのっぽの古時計 おじいさんの時計
100
年いつも動いていた ご自慢の時計さ
おじいさんの生れた朝に 買ってきた時計さ
いまは もう動かない その時計

(*)100年休まずに チク タク チク タク
おじいさんといっしょに チク タク チク タク
いまは もう動かない その時計

2、何でも知ってる古時計 おじいさんの時計
きれいな花嫁やってきた その日も動いてた
うれしいことも悲しいことも みな知ってる時計さ
いまは もう動かない その時計

(*)繰り返し


3、真夜中にベルがなった おじいさんの時計
お別れのときがきたのを みなにおしえたのさ
天国へのぼるおじいさん 時計ともお別れ
いまは もう動かない その時計
(*)繰り返し

 

「MY GRANDFATHER’S CLOCK」  原詩対訳


1、おじいさんの時計は棚に置くには大きすぎたので
90年もの間、床に置かれていたんだ
おじいさんの背丈より半分以上も大きかったけど
重さは(おじいさんの体重と)1グラム程も違わなかった

その時計はおじいさんが生まれた日の朝に買ってきたものなんだ
いつもおじいさんの宝物であり、誇りだったんだ
でも急に止まって、もう動かなくなってしまった
おじいさんの亡くなったその時に

<コーラス>(*)
90年間も休まずに チク、タク、チク、タク
おじいさんの人生の一秒一秒を刻むように チク、タク、チク、タク
でも急に止まって、もう動かなくなってしまった
おじいさんの亡くなったその時に

 


2、時計の振り子が前へ後ろへ揺れるのを見ていながら
おじいさんは少年時代の多くの時間を過ごしてきた
その時計は知っていたんだ おじいさんの子供の頃も青年の頃も
そしておじいさんの悲しみや喜びさえも

おじいさんが美しい花嫁と一緒に部屋に入ってきたときは、
時計は鐘を24回鳴らして祝福したのさ
でも急に止まって、もう動かなくなってしまった
おじいさんの亡くなったその時に

(*)繰り返し

 


3、おじいさんが言ってた 彼が雇った者の中で
時計ほど忠実な召使いはいないと
時間を無駄にせず 望みといえばただひとつ
週に一回ネジを巻いてもらうことだけ

自分の居場所にとどまって いやな顔一つしないんだ
両手をだらしなくぶらさげることもない
でも急に止まって、もう動かなくなってしまった
おじいさんの亡くなったその時に

(*)繰り返し

 


4、時計が突然真夜中にチャイムを鳴らした
何年もの間鳴っていなかったのに
僕たちは分かっていたよ おじいさんの魂が天へ昇っていった事を
おじいさんの旅立ちの時か来た事を

時計は柔らかくやさしい音色のチャイムと共に時を刻み続けていたよ
僕たちがおじいさんのそばに立っているときも
でも急に止まって、もう動かなくなってしまった
おじいさんの亡くなったその時に


4 月
18

大きな古時計

Posted by a6hootazemi in おおゃ, メルヒェン, 未分類

こんばんわ。土曜担当の大谷です。ゼミの発表で子ども歌について発表した者です。まど・みちおについて調べていたら、まどさんの詩の魅力に引き込まれてしまいました。このまま詩へ転向しそうで怖いです(>~<)「バナナのじこしょうかい」、大好きです(笑)

 

今回は誰もが知っている「大きな古時計」について書きます。

この曲は19627月にNHK『みんなのうた』で取り上げられ、♪チクタクチクタクの楽しいリズムと美しい二部合唱で一気に好評を博しました。その後日本中の学校や家庭で親しまれ続けてきました。1991年には『劇場用映画ちびまる子ちゃん』にも登場し、主人公のまる子とそのクラスメートが取り組む合唱コンクールの曲として感動的に歌われました。そして2002年には平井堅のカバーでシングルCDがリリースされ、驚異的な売り上げを記録しています。

このように日本で広く親しまれてきた「大きな古時計」ですが、実はこれは1876年にアメリカで発表された歌曲でした。曲名は『My Grandfather's Clock』で、アメリカの作曲家ヘンリー・クレイ・ワークが手がけました。この曲は、実際に起こった不思議なエピソードを基にしてつくられたものだったのです。

 

大きな古時計が出版される2年前の1874年、ヘンリー・ワークは劇場公演のツアーに加わるためイギリスに渡っていました。旅の際に止まったホテルは、ダーラム州ピアスブリッジ(Piercebridge in County Durham)の川沿いにある小さな民宿「ジョージ・ホテル(George Hotel)」。宿の玄関をくぐったワークは、ジョージ・ホテルに置かれていたロングケース・クロック(long-case clock)に目が留まりました。なぜなら立派ではあるものの、動いてもいない古びた時計が、わざわざ目立つ玄関ロビーに置かれていたからです。針の止まった古時計に興味を持ったワークが尋ねると、ホテルの主人はとあるエピソードを静かに語り始めました。動かない大きな時計をどうしてロビーに置いたままにしておくことになったのか、それにまつわる話を。

 

ヘンリー・ワークが訪れる数年前まで、ジョージホテルはジェンキンズという二人の兄弟が所有するホテルでした。彼らは生涯独身でしたが、地元の人々からの信頼も厚く、人付き合いのいい兄弟だったといいます。ジョージホテルのロビーには、2mを超える大きな木製の時計が置かれていました。それは、ジェンキンズ兄弟の兄が生まれた日に購入されたロングケース・クロック(long-case clock)で、ジョージホテルの顔となっていました。この大きな時計の正確さには定評があり、宿泊客が馬車の出発の時刻を知るのにとても役に立っていたといいます。時間がずれたりすることは一日もなく、一年中正確な時を刻み続けていたそうです。

ある日、ジェンキンズ兄弟の弟が病に倒れ、そのまま亡くなってしまいます。すると、今まで正確に動いていた大きな時計の時間が急に遅れ始めました。最初はほんの数分程度の遅れでしたが、弟の葬儀が済む頃になると大きな時計は徐々に遅れの度合いを増し始め、ついには一日に15分も遅れるようになってしまいました。そしていくら修理をしても、その遅れは直らなかったのです。

時計が遅れるようになったのは古くなったから、それが弟の死と重なったのは単なる偶然―――。ここまでのエピソードでは、そういえるかもしれません。しかし、このお話にはさらに不思議な続きがあるのです。

弟の死から1年以上経過したある日、後を追うように今度はジェンキンズ兄弟の兄が亡くなってしまいます。彼の死を聞きつけた友人・知人は皆ホテルのロビーに集まりました。悲しみと弔いの中、友人の一人がふと時計の前で立ち止まり、信じられないという表情でポツリとつぶやきました。「…時計が、止まっている」と。

たしかに時計は針も振り子もその動きをまったくとめてしまっています。弟が亡くなって遅れ始めた時計が、今度は兄の死後にピタリと動かなくなっていたのです。ホテルのロビーはざわめきました。そして目の前にある次の事実に気付いたロビーの人々は、愕然とその場に立ち尽くしたのです。動きを止めた時計の針が指している時刻、「1105」。――それは、兄が息を引き取った時刻と全く同じだったのだから。

こうして大きな時計は、1105を指して動かないまま、ホテルのロビーに据え置かれることになったというわけなのです。

 

ジョージホテルのオーナーから聞いた大きな時計のエピソードは、ヘンリー・ワークに強いインスピレーションを与えました。強い創作意欲に掻き立てられたワークは、その日一晩中寝ずにこの逸話についての曲を書き上げます。この曲が今日私たちの知るアメリカ歌曲「大きな古時計」の原曲というわけです。

ワークがこの曲を早速アメリカに持ち帰り発表したところ、たちまち多くの人々の賞賛を得て、この作品はミリオンセラーになりました。この曲がヒットする前は、大きな時計は一般的に「Coffin Clock(棺おけ時計)」や「Long case Clock(ロングケース・クロック)」などと呼ばれていましたが、「My Grandfather's Clock」の発表以来、大きな時計はその曲のタイトルから「grandfather's clock(おじいさんの時計)」と呼ばれるようになったといいます。

 

この「My Grandfather's Clock」をみんなが知っている日本語の歌詞に訳詩したのは保富康午。構成作家としてNHK『紅白歌合戦』やフジテレビ「ミュージックフェア」等の歌番組を手掛けながら、『ドカベン』『一休さん』『科学忍者隊ガッチャマンⅡ』などのアニメソングの作詞も数多く手掛けてきました。その保富康午がつけた日本語のタイトルは『大きな古時計』でした。

原詩と訳詞がまるで違う内容になるケースも少なくないのですが、「大きな古時計」に関してはほぼ原曲のストーリーがそのまま伝えられている訳詞といえます。それでは原詩と訳詞の違いについて考えていきます。

最初に目につく違いは“90年”が“100年”に変わっている部分くらいですが、これは語呂の問題だと思われます。それに日本で歌われる場合、100年とした方が時計の古さが味わい深く伝わる感じもします。

他は細かい部分は違いますが、大筋のストーリーは原曲通りです。しかし、確かに同じなのですが、印象はずいぶん違うように感じます。訳詩に比べて、原詩にはより強くかなしさが漂っています。

原詩には“死(died)”という言葉がはっきりと記されています。しかもそれはコーラスの部分で繰り返し登場し、これでもかと言わんばかりに強烈なイメージを投げかけてきます。対する訳詩には“死”という言葉は一度も出てきません。3番で一度だけ死を表現する歌詞になりますが、それは“天国へのぼる”と言い換えられています。おじいさんが死んでしまうくだりを最後まで伏せたことで、ドラマツルギーでいうところの起承転結の“転”と“結”がすばらしく機能しているのです。

また“私のおじいさん”が“おじいさん”と訳されたことにより、おじいさんを見つめる視線は誰のものなのかわからなくなります。おじいさんのことを語っているのは、隣に住んでいる子どもかもしれないし、あなた自身かもしれない…。日本語訳詩の「大きな古時計」は“私の”を取ったことによって強い普遍性を獲得しているといえます。いつの時代のどんな日本人が歌っても懐かしい気持ちになるのは、これが理由なのかもしれません。

参考文献:『大きな古時計の謎』 「みんなの歌」研究会/著  飛鳥新社 2002年

歌詞は次の記事で載せます。(おおゃ)


4 月
4

さくら。。。あと、おしりかじり虫

Posted by a6hootazemi in おおゃ

どおも、おおゃです(бωб)ノ

桜の話が続いてますが、私も桜が好きなので、なんで好きなのか少し考えてみました。

桜は凛とした姿で咲き誇り、そして潔く散っていく姿がとてもきれいです。その姿が、武士道を重んじた日本の心に投影されたのではないでしょうか?昔のことわざでも、「花は桜木、人は武士」とも言いますしね。これは「花の中では桜の花が1番美しい。また人においては、桜の散り際に似て、死に際し潔い武士が1番である」、と謳っています。またこれは裏返せば、桜が見事に咲いてぱっと散るように、武士はいつでも、どこでも、潔く死ぬ覚悟がなくてはならない、ということでもあるそうです。今の時代には武士という存在はありません。でも、私たちの心のどこかに“武士の魂”がひそんでいるのではないでしょうか?

まぁ、私は根が単純なので、んなこと考えずに桜を見て触って楽しめればそれでいいのですが(^皿^)桜の蕾がほころび始めればなんだかわくわくするし、咲けばその姿に圧倒され、花びらが舞いながら散っているのならその桜の下へ生き、花びらを捕まえようとがんばったり、ただぼーっとそこにいたりしてます(笑)桜には“咲き誇る”という言葉がよく合うし、かなり好きな言葉ですv頭の中には森山直太郎の「さくら(独唱)」が流れてきます(・・*)~♪

はい、では切り替えて卒論を。春休みに行った報告会の内容です。今回は記憶に新しい「おしりかじり虫」!!紅白にもでてましたよね~。歌詞は長いので省きます。では、どうぞ。

●おしりかじり虫

NHKの人気長寿番組「みんなのうた」で放送中の「おしりかじり虫」が大人気だ。一度聞いたら頭から離れない歌詞とメロディ、親しみやすいキャラクター性が幅広い世代に受けている。愉快な振り付けのダンスも園児や小学生に加え、大人にも評判だという。放送開始は20076月だが、視聴者の要望を受け、NHKは異例の放送延長を決定した。

おしりかじり虫は、おしりをかじるのが大好きな陽気な妖精。先祖代々おしりをかじり続け、クレオパトラのおしりもかじったとされる伝説の種族らしい。作中にでてくるおしりかじり虫は、大航海時代に「黄金の国ジパングにある黄金のおしり」を求めて旅立ったご先祖の1世から数えて18世にあたるそうだ。

底抜けに明るくておせっかいな彼は、次から次へと都会の疲れた元気のない他人のおしりをかじって回り、かじられた人を元気にしている。時々、不味いおしりをかじってしまい、食中毒(?)になったりする一面も。旅の途中で出会った、かじりGALSも引きつれ、おしりかじり虫は今日も黄金のおしりを求めておしりをかじり続けてる。


そんなおしりかじり虫がウケている背景には、他人と必要以上に距離を取ったり、過度に遠慮したり、現代の希薄なコミュニケーション事情があるように思う。様々な情報が溢れ、みんな何かしらの「病気」になりたがっている。困っている人をみかけても「事なかれ主義」で行動を起こす人も少ない。隣人の顔も分からない。悩んで悩んで疲れて疲れることにも疲れて…。
「ひとりの力では大きなことはできないが、そんな現代社会に生きる全ての人に元気を出して欲しい、嫌な事は笑い飛ばしちゃおう!」とおしりかじり虫を生み出した作者のうるまでるびは言っている。そして作者曰く、このおしりかじり虫のテーマは、「悩むのはやめて、嫌なことを笑い飛ばそう!」といった「笑い」、またかつて日本にあった「無遠慮なお節介=田舎のばあちゃんみたいな暖かさ」だそうだ。

 

 

本の話ですが、今は「まど みちお」さんのものを探しているのですが詩集ばかりなので少し難しそうです。あとおっくんがブログに載せていた伊坂の『チルドレン』は私も読みましたが、これ本当に面白いですよね!『死神の精度』も読んだことありますが、これも良いです!!映画化もされてます。同じく伊坂で今度映画化される『重力ピエロ』も良いですよ(´∀`)

春休み中私もかなり本を読んだのですが、それは紹介した方がいいんですかね?まぁまたの機会にします。では来週からついに4年生として授業が始まります!太田先生のゼミで会いましょ~(*^ω^)ノ(おおゃ)


3 月
27

学級最後の日

Posted by a6hootazemi in おおゃ

こんばんわ!おおゃです!!最近は私が学校体験実習に行っている小学校のクラスの子どもたちに渡す手紙・・・というか、メッセージカードをずっとつくっていました。私は2年生のクラスに入っているのですが、今の学校に行き始めたのが1月からで、回数も10回に満たないのでクラス全員への言葉を書くのに苦労してしまいました(+-+;)1人ひとりの子どもの素敵なところやできるようになったことなどを思い出しながら伝えたい言葉を書くというのはなかなか大変でしたが、とても楽しい作業になりました(*^U^*)

そして今日はその小学校の修了式と、この学級の最後の授業に参加してきました!修了式は私が受けてきたものと変わらないものでしたが、校長先生のお話をここまで真剣に聞いたのは初めてだったように思います(笑)1年生から5年生までの全クラスに1人ずつ代表として壇上に上がり、修了証書を受け取っている姿はなんだか不思議な光景でした。

そしてそのあとの学級活動で私のお別れ会を開いてくださり、みんなでフルーツバスケットをして遊びました。3回負けたら罰ゲームにモノマネをするというので、スーツの格好なのに結構本気で参加していました(笑)ちなみに私は今子どもに人気なオードリーの春日のモノマネをやろうと考えてましたが、なんとか披露せずにすみました(^皿^)ノ{持ちネタなんてナイヨ!

そして私のメッセージカードを渡し、子どもたちからも手紙をもらいました。すごく一生懸命書いたのが伝わり、読んでいて涙が出てきました。中でもクラス1番の問題児から「いじけてたときにはげましてくれてありがとう」という文を読んだ時、本当にやばかったです・・・。私からのも喜んでくれたようで最後まで手にずっと持っている子もいて、本当に頑張ってつくったかいがありました!

担任の先生は学級を閉じるのにクラスの文集のようなものをつくっていました。あとはクラスでつくった歌を歌い、教室を出る時に1人ひとりと握手をしていました。他の先生はクラスの子どもの1年間の写真を出して音楽を流すなど色々準備して行う先生もいるようでした。どちらかというと若手の先生の方が最後に気合いを入れている感じでした。

学級の終わりはなんだか不思議な感じです。なかなか実感が持てないのに、急にぎゅっと寂しさが募っていく。それは子どもも教師も同じように思いました。私も教師になったとき、少しでも子どもの心に残るような最後にできるように無駄に気合を入れて頑張りたいです!では今日はこれで失礼します(・・)ノv  (おおゃ)


3 月
11

愛のうた(ピクミンCMソング)

Posted by a6hootazemi in おおゃ, 未分類

こんばんわ!昨日友達と2人での1泊2日の旅行から帰ってきました(̀v´*行き先はなんとおっくんと同じ箱根!!!しかもコースも同じようで、ユネッサンやガラスの森美術館にも行ってきましたv他にも箱根神社や小田原城なども周りました。箱根湯本周辺ではお土産屋さんがいっぱいある温泉街(?)があり、温泉まんじゅうなどの試食も豊富でたくさん食べてきました☆いやー、おいしかった(笑)なんかお店の横に干物をすぐに焼くことのできる場所もあり、観光客が買った干物をその場で自分で焼いて食べてました!!臭いがすごかったし、かなり奇妙な光景でしたね(・言・)ユネッサンでは私もドクターフィッシュを体験しましたが、これはかなり面白い!!確かに微量の電流が流れている感じでした。ワイン風呂に入ってたら、なんとるるぶの撮影が来てました!!時間外でしたが本物のワイン投入パフォーマンスを体験でき、すっぴんで写真撮られました。・・・これはるるぶに載せないでほしい(笑)1泊2日でしたが、かなり充実した旅になりましたvまた~りしたいときにはいいですね(´∀̀)ノ

 

では卒論の話です。前回言っていたピクミンのCMソング「愛のうた」です。

 

●愛のうた (ピクミンのCMソング)

「ピクミン」は任天堂ゲームキューブの人気ソフト。不思議な半動植物「ピクミン」と未知の惑星を探索していく新感覚のアクションゲーム。ピクミンは、自分を地面から引っこ抜いてくれた人を親だと思ってついていく習性があり、主人公を助けるために生き生きと働くが、敵に食べられつぶされ死んでいきます。

ピクミンは植物のような生き物で、惑星に不時着した主人公を守るため、敵と戦ったり、物を運んだりするが、最後は敵に食べられてしまうという一風変わったゲームです。ピクミンのCM用につくった歌だった「愛のうた」は、それに沿った内容で「引っこ抜かれて、あなただけについて行く 今日も運ぶ、戦う、増える、そして食べられる――」と何とも切ない歌詞にあると言われています。優しく可愛らしい歌声に「食べられる」というちょっと怖い歌詞が子どもたちに大ウケし、 200110月のCM開始直後から幼稚園や小学校で大流行しました。愛のうたは幼稚園や小学校を発信元に、ママからパパへ浸透していきます。そして購買層の中心はリストラ吹き荒れるサラリーマンやOLとなっていきました。東京・銀座の山野楽器でも「サラリーマン風の方がお買い上げになるのが多い」と話しています。

歌っているのは、京都出身の男女2人組ユニット「ストロベリー・フラワー」で、哀愁漂うメロディーと力みのない歌声が魅力。製作意図について「リストラに遭っているお父さんたちを勇気づけたいという思いもあった」と言っていました。

大人たち(サラリーマン)は、「今日も運ぶ、戦う、増える、そして食べられる~」といった歌詞を、「今日も働き、謝り、しかられ、そして飛ば(リストラ)される~」といったように、替え歌として口ずさんでいたそうです。

 

「愛のうた」   唄:ストロベリー・フラワー

引っこ抜かれて、あなただけについて行く

今日も運ぶ、戦う、増える、そして食べられる

ほったかされて、また会って、投げられて

でも私たちあなたに従い尽くします 

 そろそろ遊んじゃおうかな  そっと出かけてみようかなーんて

 嗚呼 嗚呼 あの空に 恋とか、しながら

いろんな生命が生きているこの

今日も運ぶ、戦う、増える、そして食べられる

引っこ抜かれて、集まって、飛ばされて

でも私たち愛してくれとは言わないよ

 そろそろ遊んじゃおうかな  そっと出かけてみようかなーんて

 嗚呼 嗚呼 あの空に 恋とか、しながら

力合わせて、戦って、食べられて

でも私たちあなたに従い尽くします

立ち向かってって、黙って、ついてって

でも私たち愛してくれとは言わないよ

 

ちなみにCMで流れていた歌詞はもっとゲームの内容に沿ったもので、歌詞が多少違います。

・ピクミンCM(発売前)

僕たちピクミン 貴方だけに ついていく

今日も 運ぶ 戦う 増える そして 喰べられる

いろんな生命が 生きている この惑星で

今日も 運ぶ 戦う 増える そして 喰べられる」

 

・ピクミンCM(発売後)

「引っこ抜かれて 戦って 喰べられて

 でも私たち 愛してくれとは 言わないよ

 引っこ抜かれて 戦って 喰べられて

 でも私たち 貴方に従い 尽くします」

 

・ピクミンCM(第3弾)

「そろそろ遊んじゃおうかなぁ

もっと 頑張ってみようか なんて

あぁ あぁ あの空に 恋とか しながら」

 

・・・切ない。。。特にCM第3弾の「もっと頑張ってみようかなんて~♪」はかなりサラリーマンを意識しているように感じました。最近は「愛のうた」や「赤ピクミンは 火に強い~♪」バージョンの歌がまた流れてますね。Wiiでまたピクミンのゲームが出たみたいです。ぁ、「ピクミン2」では一定条件を満たすことにより、隊列のピクミン隊が鼻歌で「愛のうた」を歌うそうです(笑)

 

本では卒論とは違いますが、道徳教育の一環としてドストエフスキーの『罪と罰』を読み終わりました。今は三浦綾子の『ちいろば先生物語』を読んでいます。これは実在した教師の人生を小説化した話です。もうすぐ読み終わるので、次はのりちゃんが紹介した『二十四の瞳』を読みたいと思います。これは小学校の頃に一度読んだことがあるのですが、その時はあまり印象に残らなかったのでまた読み直したいです。

でわまた(*ω・)ノ~☆ (おおや)


3 月
3

だんごの補足

Posted by a6hootazemi in おおゃ, 未分類

太田先生が私が載せた「だんご3兄弟は戦後教育批判」という記事について検討していたので、その文章の全文が載っているサイトのリンクを貼っておきます。私が載せた文章のは、「諸君!」7月号掲載論文 『だんご3兄弟が教える「日の丸・君が代」反対論者たちの本音』から、だんご3兄弟の部分だけ取り上げたものでしたので。 ちなみに「戦後教育批判」の前にある文章は『子どもうたを学ぶ人のために』を参考にしたものなので別物です。

HP:http://homepage1.nifty.com/1010/dango.htm

あと「だんご3兄弟の歌詞など詳しいことはよく知りません。」ともあったので、歌詞も載せておきます。


「だんご3兄弟」     

歌手:茂森あゆみ・速水けんたろう。作詞:佐藤雅彦・内野真澄。作曲:内野真澄・堀江由朗

 

串にささって だんご だんご  3つならんで だんご だんご

しょうゆぬられて だんご だんご  だんご3兄弟

いちばん上は 長男 長男  いちばん下は 三男 三男

あいだにはさまれ 次男 次男  だんご3兄弟

 

弟想いの 長男 長男  兄さん想いの三男 三男

自分がいちばん 次男 次男  だんご3兄弟

こんど生まれてくるときも  ねがいはそろって同じ串

できればこんどはこしあんの  たくさんついたあんだんご だんご

 

ある日兄弟げんか げんか  こげ目のことでけんか けんか

すきまのあいた だんご だんご  でも、すぐに仲なおり

今日は戸棚で ひるね ひるね  3人そろって ひつね ひるね

うっかりねすごし朝がきて  かたくなりました

 

春になったら 花見 花見  秋になったら 月見 月見

一年とおして だんご だんご  だんご3兄弟 だんご

だんご だんご だんご だんご

だんご3兄弟 だんご3兄弟 だんご3兄弟 だんご!

 

 

明日は高校時代の友達と飲んできます!おもいっきし飲むぞ!!



でわまたっ(^皿^)ノ~☆ (おおゃ)



 


2 月
28

たいやきとだんご。

Posted by a6hootazemi in おおゃ, 未分類

気がつけばもう今日で2月も終わりですね。なんだかあっという間に春休みが終わっていきそうで怖いです(>_<)

今日は友達とご飯を食べる約束をしていたのですが・・・いつまでたってもその友達が来ない!メールや電話をしても返事もこないし・・・。やっと連絡が来たのが、待ち合わせ時間から55分たった後でした(‐_‐#)寝過ごしたそうです。結局友達が来たのは待ち合わせ時間から1時間30分後。私は待つのに飽きて周りをぶらぶらしたり、スタバでコーヒーを飲んだりしてました。いやぁ、我ながらよく待っていたな、と。友達に対しては怒りを通りこして呆れました。 うん。自分、忍耐力すげえ。 みなさんなら何分くらい待てるんですかね?(笑)こういう時の行動って、性格がでるのかな~って思いました。

えっと、今回は今週卒論のグループの集まりがあったので、その時やったことの1部を載せます。色々な世代にヒットした子ども歌をしらべました。今回は昔懐かし、「およげ!たいやきくん」「だんご3兄弟」です。なんだかどちらも食べ物の歌ですね(^v^)

●およげ!たいやきくん(唄:子門真人。作詞:高田ひろお。作曲:佐藤寿一)

この曲は1975年「ひらけ!ポンキッキ」の番組の挿入歌として発表された。発表後次第に評判になり、同年11月、12月では「今月の歌」として1日に2回ずつ放送される。そして年末の1225日には子門真人の歌でキャニオンからレコードも発番されるまでに至った。発売と同時に、子どもだけでなくサラリーマン世代からも熱烈に受け入れられ、1ヵ月足らずで200万枚の売り上げを記録したのである。2009年のギネスブックに、「日本で最も売れたシングル」として掲載されることになった。

歌の内容は主人公のたいやきくんが、毎日鉄板の上で焼かれることに嫌気がさし、海に逃げ出してつかの間の解放感を味わうが、最後には釣りあげられて鯛焼きとして食べられてしまうというものである。「およげ!たいやきくん」が発売された1975年は、オイルショック後の極端な経済引き締めで戦後最大の不況(当時)だった。「毎日毎日 ぼくらは鉄板の 上で焼かれてイヤになっちゃうよ~」の歌詞でサラリーマンにも大流行することとなった。サラリーマンの共感を得た背景には、変わり映えのしない日常を生きるたいやきくんの中に、自らの姿を重ね合わせていたからだろう。

 

●だんご3兄弟


歌手:茂森あゆみ・速水けんたろう。作詞: 佐藤雅彦・内野真澄。作曲: 内野真澄・堀江由朗)

この曲が最初に発表されたのは199914日、NHK教育テレビの「おかあさんといっしょ」の「1月の歌」としてであった。1本の串に刺された3つの団子を3兄弟に見立てたユーモラスな歌詞に、単語のリズムに乗せたユニークな曲を添え、放送画面も愛らしいアニメーションであったために発表と同時に大きな反響を呼ぶこととなった。歌ったのは8代目歌のお兄さんこと速水けんたろうと、17代目歌のお姉さんこと茂森あゆみであった。歌詞は団子に見立てられた3兄弟の性格が巧みに描き分けられており、実際には3兄弟が珍しくなった少子化の日本に一石を投じたとも言われている。

 ・だんご3兄弟は戦後教育批判

歌詞の初めに登場するだんごの「串」に着目し、これをアイデンティティだとしてとらえ直してみる。「串にささってだんご、だんご」「今度生まれてくるときも願いはそろって同じ串」とあるように、三人の兄弟は家族という「串」につながれているからこそ仲が良く、幸福なのである。けっして串から離れてばらばらになることを求めていないし、個性といっても焼け具合のレベルで、アンコや醤油尾、海苔というように兄弟がそれぞれ別種のだんごになることは望んでいない。これは見事に戦後教育的な発想を批判しているのではないか。個が解体されず、「串」というアイデンティティにつながれ、「串」という同じ基盤名に立って生きることこそ幸福なのではないか、と。

現代の日本は、国家や家族といった「串」が希薄になり、個性尊重という名目のもとに個は解体され、使命や責任を自覚しない個がエゴにとらわれたまま生き場を失っている。だからこそ、誰もが無意識のうちに不安を抱き、「だんご3兄弟」の世界に憧憬を感じたのであろう。

平成11年「諸君!」7月号掲載論文 『だんご3兄弟が教える「日の丸・君が代」反対論者たちの本音』より一部抜粋。 筆者:長尾 誠夫

 

歌詞も調べてあるのですが、載せると長くなるのでやめときます。ヒットした子ども歌を調べていくと、J-POPや演歌などよりも子ども歌の方が、その時代の世相を反映しているように感じました。でもだんご3兄弟が戦後教育批判っていうのはその考えに驚き。

 

次回はピクミンのCMソング「愛のうた」について載せたいと思います。でわっ(* ・・)ノ! (おおや)

 


2 月
24

教育研修大会

Posted by a6hootazemi in おおゃ, 未分類

こんばんわ。今日は第81回アカデミー賞で「おくりびと」が外国語映画賞、「つみきのいえ」が短編アニメーション賞に選ばれましたね!だいたい海外で評価される日本映画は時代劇もの、もしくはアニメーション(ジブリなど)がほとんどだとだったと思います。そういう意味で、「おくりびと」のように現代の日本を描いた作品が海外でも認められたのはなんだかとてもうれしい限りです(^U^)v

先日小学校に行った時、ちょうどその日が私の住んでいる行田市の教育研修大会があったので、ちゃっかり参加させてもらいました。教育研修大会とは行田市にある小学校・中学校の教職員全員が参加する研修です。たぶんどの市でも行われていると思います。そのため学校も午前中で終わり、そのあと教育文化センターホールへ移動しました。そこでは「確かな学力と豊かな人間性の育成」をテーマにした研究発表や、文科省の国立教育対策研究所の下田好行先生の講演などがありました。

なんか研究発表や講演があると聞いたので期待してたのですが・・・内容が抽象的だったりやたら高度な内容だったりで、次第に強烈な眠気が・・・(‐_‐;)参加させてもらった手前、なんとか我慢せねば!と思って頑張ってたのですが、周りにいる私が行っている小学校の先生の3分の2くらいの先生はすでに寝てました。やっぱり先生でも眠いものは眠いですよね!(笑)一応頑張って起きていたら、Q-Uテストや長野県の伊奈小学校のことなど、ちらほらと知っていることが出てきました。あとは科学的リテラシーがうんたらかんたら~。・・・まあ、何事も経験です。先生たちに交じって研修を受けたのはなんだか新鮮でよかったです。

卒論の方は、今は『子ども歌を学ぶ人のために』を読んでみたのですが、多くの歌が載っている分歌の説明が少なくてあまり参考になりませんでした。今度は「ぞうさん」の作詞者まど・みちおさんが執筆した『まど・みちお自作自註』を探して読んでみたいです。また息抜きに読んだ『窓ぎわのトットちゃん』は面白かったです。黒柳徹子の自伝だし、と思って今まで読まなかったのですが、これはWW2が終わる少し前の時代の「トモエ学園」という小学校での生活を描いた作品で、ユニークな教育や校長先生の子どもに対する思いはとても興味深く、心に響くものでした。まだ読んでいない人は是非!(おおや)


2 月
1

こぎつねコンコン♪

Posted by a6hootazemi in おおゃ, 未分類

今日は風が強いですね。土曜担当のおおやです。セブンでコピーした紙が、店を出たとたん風で飛ばされていきました。私はそれを見送ることしかできませんでした…。カラーコピーだったのに!(50円)

 

今回は「こぎつね」について調べました。明日のテスト勉強も図工のレポートもせずにこれをやっていた私はただのアホだと思いました。あと一応だいぶ省略したんですが、前回に引き続き長めですいません。携帯でちゃんと表示できるかが心配です。

 

1、こぎつね コンコン 山の中 山の中

  草の実つぶして おけしょうしたり  もみじのかんざし つげのくし

2、こぎつね コンコン 冬の山 冬の山

かれはの着物じゃ ぬうにもぬえず  きれいな模様の 花もなし

3、こぎつね コンコン 穴の中 穴の中

  大きなしっぽは じゃまになるし  こくびをかしげて かんがえる

 

この曲は誰が聴いてもかわいいと思いますよね?ドイツの曲に勝承夫さんが日本語の歌詞をつけました。たぶんほとんどの人が聴いたことがあると思います。

でも、そのドイツ語の歌詞を日本語訳すると・・・

 

1、キツネよ!お前はガチョウを盗んだな!  さあ、それを返せ!

さもなければ 狩人が  お前をめがけて鉄砲をうつだろう

2、大きくて長い銃は  弾丸をお前に 撃ちつけることになる

お前はまるで赤いインクのように  染まるのさ そして死ぬのさ

3、親愛なる キツネよ  お前にちゃんと話をしよう

いいか、泥棒をしなきゃいいのさ

お前にはガチョウは必要ない  ネズミで満足してりゃいいんだ

 

になります。・・・こっわー( ̄□ ̄;;!!!

 

この曲はドイツの教育家でオルガニストであったエルンスト・アンシュッツ(de:Ernst Anschütz)によって1824年に発表された作品です。本来は『Fuchs, du hast die Gans gestohlen(キツネよ、お前はガチョウを盗んだね)』という題の歌です。現在のドイツ語圏でも広く親しまれた歌となっています。

 

1番では、「盗んだガチョウを返さなければ、鉄砲をつきつけるぞ!」といった恐怖の警告からはじまっています。

2番ではもっと激しくなっています。子どもの歌だからか、比喩的に“赤いインク”とはしているものの、これは“お前の体は血しぶきで真っ赤に染まる”ということです。そしてそのあとに、キツネは死んでしまうのだ、とさらに過激な脅迫を続けます。

しかし、これはただのこわい歌詞ではありません。これはつまり、キツネを主人公にした「他人の物を盗んではいけない」「盗んだ時には罰も覚悟するんだよ」、という子どもたちへの教育の歌だったのです。そのため3番になると、この歌はそれまでの警告や脅迫から一転して、教育と啓発の歌に変わっています。

3番では、今まで「キツネよ!」と怒り狂っていたのが、ここから「親愛なるキツネよ」と、諭すように歌いだしています。これは親か先生が、我が子や児童に説明している状況なのです。「ガチョウを盗んで、返さなきゃ殺すぞ!」は、「だから銃で撃ち殺されないためには、たとえ自分がとても欲しいものであったとしても、盗みを働いてはいけないんだ」と、言い聞かせているのです。そこには子どもを見つめながら教える、真の教育の姿が描かれています。

そして最後にドイツ特有のジョークをこめて、「お前はネズミで満足して、喜んでいればいいのさ」と結んでいます。ここに登場する“ネズミ”は、自分にとって安易に手に入れやすいものという意味で、盗まなくても簡単に手に入るものを指します。

また、この曲には泥棒をすることだけでなく、人間の生きる様々な事態に対する警告と啓発があるのです。“血”や“死”、“銃”など、普通に考えれば子どもたちにはタブーと感じる詩を使うことによって、反対に人間の生きる道の大切さと、忘れてはならない常識を教えているのです。

だからこそ、ドイツでは古いこの歌をいつまでも忘れることなく、教育の一環として歌い伝えられてきたのです。

 

今回これを調べて、このドイツ語の歌詞を教材として子どもに教えることもできるのではないか、と考えました。ドイツの教育家の曲なら教育的価値はあると思います。日本だと一種の冒険ですが。さすがに2年生でこの歌詞を教えてきつねのかわいいイメージを壊したくないので、高学年になってから道徳の授業などで歌詞を提示し、その真意について考えていくこともできるかな、と思いました。教師が真意を説明してもいいですが、あえて子どもに考えさせるのも面白そうです。…難しいかな?まぁ、一応教材のネタの1つとしておきます。(ぉぉゃ)


1 月
25

「唱歌」は授業

Posted by a6hootazemi in おおゃ, 未分類

こんばんわ。土曜担当なはずのおおやです。

なんだか土曜には書かない土曜担当になってきました。

昨日今日とテスト勉強もせずに妹とずっとビデオを観て現実逃避していました。

 

 

今回は「唱歌」について書きました。

 

「唱歌」とは“授業”

1872年、学制が敷かれ、日本の子どもたちはみんな学校に通うことになりました。それまでは寺子屋での読み書きやそろばんに変わり、現在のような一斉教育が開始されたのです。そのときに教科の1つとして生まれたのが「唱歌」という科目でした。つまりはじめは「蝶々」や「ふるさと」、「蛍の光」といった歌の題名、ジャンルのことを「唱歌」というのではなく、1つの授業の科目の名前こそが「唱歌」だったということになります。これは外国の制度を模倣しただけのものでした。今で言う「音楽」の時間こそが「唱歌」の時間だったのです。この「唱歌」の時間で教わる歌が、後々「唱歌」と呼ばれるようになっていきました。簡単に言うならば、唱歌とは学校で教わる歌のことを指しています。

 

 その後、日本では富国強兵のスローガンの下、徴兵制度が敷かれます。同時に学校教育は、戦争の必要性や戦勝の喜びを表した文章や唱歌が多く登場するようになったのです。

 ところが学制が敷かれてすぐに、この唱歌の授業は中断されることになってしまいました。簡単な話、唱歌の授業を教える先生がいなかったためです。教材もなく、教え方も皆目見当がつきませんでした。

 そこで国費を投じて、1人の青年がアメリカの師範教育研究を習得するように命じられました。その人物こそが後年、東京師範学校校長、東京音楽学校の初代校長などを歴任した伊沢修二なのです。

 かれはアメリカで音楽教育家のメーソンに個人授業を受け、音楽教育、体操の授業の内容の実状をしっかり見聞して帰国しました。早速彼は政府に対し、体育の必要性と共に「国楽(こくがく)」の樹立を進める意見書を提出しました。

 子どもに教えるのには雅楽では高尚すぎ、だからといって巷に流れる小唄、俗曲の類では低俗すぎる。そのため我が国が誇る雅楽の歌曲に西洋音楽の善良なものを混合させ、今後「国楽」としたいと言いました。つまり和洋折衷によって唱歌をつくり、さらに音楽教師を育成することを嘆願したのです。

 ピアノやオルガンを輸入させ、宮内庁の雅楽関係者や文学者に協力を乞い、さらに伊沢がアメリカ留学中に師事していたメーソンを日本に招いて「国楽」づくりに励みました。

 

 日本最初の音楽の教科書、『小学唱歌編』が、1881年11月24日に発行されたことにより、唱歌の授業は復活しました。当然「君が代」は入っていますが、他の半数近い唱歌はメーソンが紹介した外国の曲に日本語の歌詞をつけたものでした。

 日本ではじめて子どもたちが歌った教科書には、33曲の歌が収められていました。ところが、その第1番から第12番までには、歌というよりは音階練習用のもので、ドレミ…の代わりに詩をつけたものにすぎませんでした。

 ちなみに第1番には、

  ♪ドドド レレレ ドミドド レレド ・・・    

というメロディーに、

  ♪かをれ。にほへ。そのふのさくら。・・・

と、詩をつけているだけでした。

 そのためはじめて子どもたちが習った歌は、第13番となります。その第13番は「見わたせば」(のちの「むすんでひらいて」)です。第17番には「蝶々」、さらに第20番には「蛍」(のちの「蛍の光」)と、その後日本の童謡の定番になっているこれらの曲が、日本最初の教科書に載せられています。そしてこの3曲全て外国の曲なのです。つまり日本の教育の中で1番最初に学校で教わった歌が外国の曲だったのです。

 「見わたせば」(のちの「むすんでひらいて」)はフランスの思想家、ルソーが作曲したものです。これは有名なので知っている人も多いかと思います。「蝶々」はスペイン民謡、「蛍」(のちの「蛍の光」)はスコットランドの民謡です。

 13番の「見わたせば」の歌詞は、最初にこう書かれていました。

  ♪見わたせが、あをやなぎ、花桜、こきまぜて

みやこには、みちもせに 春の錦をぞ 

佐保姫のおりなして、ふるあめに そめにける ・・・

と、子どもには到底理解できそうにない歌詞がずらずらと並べられていました。しかし、これは「みわたせば柳桜をこきまぜて みやこの春の錦なりける」の『古今和歌集』巻第一春歌上の和歌を引用したものだったのです。

 はじめの唱歌というものは、外国の曲に和歌や故事、わらべ歌や俗曲の歌詞の一節をとったチャンポン歌謡が非常に多いものでした。たとえ日本の作品でも和歌や故事を詩として並べる技法が目立ちました。

1886年には文部大臣の検定を経たものでなければ小学校の教科書として採用することができなくなり、当分の間この規定によって民間から出たものが採用されるようになりました。そして1888年頃から民間出版の唱歌集が出てくるようになります。はじめのうちは外国曲が多かったが滝廉太郎などの日本人の作曲も増えてきた。

1907年、小学校令が改正されて初めて必須科目となります。このとき文部省令の「小学校教則大綱」によって「唱歌ハ平易ナル歌曲ヲ唱フコトヲ得シメ兼テ美感ヲ養ヒ徳性ノ涵養ニ資スルヲ以テ要旨トス」と目的を定められました。1910年、全曲が日本人によって作曲された『尋常小学読本唱歌』を文部省が編纂しました。以後、唱歌については文部省著作の教科書と文部大臣の検定を経た民間の教科書が併用されるようになりました。


唱歌は30年にわたって学校で教え続けられました。そして1941年、国民学校令の施行で唱歌は芸能科音楽へと発展的解消し、「唱歌」という授業はなくなりました。そして現在の音楽の時間になっています。

 

今回は「唱歌」について書いたのですが、戦時中の軍歌について触れないでおきました。今度は戦争とからめての歌の変遷も書いてみたいと思います。そこには多くの国家や社会などの“大人の都合”が入っているので。

 

参考文献:日本人が知らない外国生まれの童謡の謎。 こんなに不思議、こんなに哀しい童謡の謎

 

 

 

 

 


1 月
10

童謡運動

Posted by a6hootazemi in おおゃ, 未分類

お久しぶりです。今更ながら明けましておめでとうございます!

土曜担当のおおやです。

2週間ブログを更新せず、すいませんでした。太田先生に注意されたので早速書き込みます。

 

私は卒論のテーマとして童謡・わらべうた・遊び歌・みんなのうたなどを調べていきたいと思っています。

そこで、『案外、知らずに歌ってた 童謡の謎』『こんなに不思議、こんなに哀しい童謡の謎2』(合田道人/著)を読んでいた時、「童謡運動」や「童謡の日」の記述があったので、今回はそれについて書きたいと思います。

 

明治4年に文部省がつくられたことにより、翌5年10月には学制は敷かれて子どもはみな、学校に通うことになりました。遅れて14年になってから唱歌、つまり音楽の時間が開始されます。(注:この時代には「唱歌」は今でいう音楽の時間のことを指します。詳しくはまた今度)

唱歌の曲目は新作のほかに、雅楽や俗楽、古謡、筝曲などが採用されたした。スコットランドやアイルランドなどの外国の民謡に日本の歌詞を当てはめたものもあります。たとえば「蝶々」「蛍(後の蛍の光)」「見上げれば(後のむすんでひらいて)」などです。

そういえば何の歌だったかは忘れてしまいましたが、戦時中日本兵がどっかの国で捕虜になっていた時、歌を歌っていたらそれがその国の歌に日本の歌詞を当てはめた曲だったため、そこにいた兵は日本兵が自国の歌を歌っていることに驚いて、その後仲良くなった(友好的になった?)といった話があったのを思い出しました。まあ余談ですが。

 

では話を戻して・・・

そして時は流れて大正7年、夏目漱石の門下生として著名だった鈴木三重吉は、生まれたばかりの娘のために子どものための読み物や消火などを片っ端から探していきました。“生まれてきた子どもにいいものを与えたい”、いつの時代も親心は一緒です。しかし、三重吉は当時の読み物、唱歌を読み聞きし、その難解さ、貧弱、低劣さに驚きました。なんといっても唱歌は普段子どもが使わない言葉で書かれたものが多いのです。これらは徳育・情操教育を目的に、主に文語体で書かれ、多くは日本の風景・風俗・訓話などを歌ったものです。

たとえば 「うさぎ追いし かの山 小鮒つりし かの川…」 がありますが、こんな言葉遣いで子どもは話しません。でもこれは意味がつかめるのでまだいいです。「荒城の月」なんかは 「春高楼の花の宴 巡る盃 かげさして…」 と、大人までまごつくような詩で、品格はあるとしても子どもに教えるにはいささか硬すぎます。だいたい「盃」って…いいのかな?

そこで三重吉は“芸術として真価ある純麗な童話や童謡を子どもたちのためにつくりたい”、そう感じてまずは作家や詩人のもとを回って賛同を取り付け、三重吉の運動ははじまったのです。

そしてその年の7月1日に、三重吉主幹の児童雑誌『赤い鳥』が創刊されたのです。つまりこれが童謡運動とよばれ、また今でも『赤い鳥』が創刊された日の7月1日は毎年「童謡の日」とされています。

さて、私たちが思う童謡とは普通メロディーのついた子ども向きの歌と解釈されますが、実際は子どもの美しい空想や情緒を傷つけることなく、やさしく育むような詩のことをさしていたのです。そしてすでにあった童話に対し、その詩のことを童謡と名付けたのです。つまり当時は童謡といえばメロディーのない詩だけのものをさしていました。

この運動に賛同した作家たちは『赤い鳥』に童話や創作童謡を続々と発表しました。その中には芥川龍之介の『蜘蛛の糸』、有島武郎の『一房の葡萄』、新美南吉の『ごんぎつめ』などがあります。

少しして三重吉は“童謡も唱歌のようにメロディーをつけることによって、もっと普及させられないものか”考えるようになりました。そこで北原白秋に詩に曲付けをしたいと出向いたのですが「自分の詩は朗読だけで十分だ」と断られてしまいました。そのため白秋の詩に曲がつくのは後々になってからです。そして今度は西條八十(さいじょう・やそ)にその申し出をしたところ、それを快く承諾し、『赤い鳥』の11月号に西条八十の童謡誌として掲載され、翌年5月号に成田為三作曲による楽譜が掲載された『かなりや』がはじめて曲のついた童謡として発表されます。これまでの難解な唱歌や俗悪な歌謡曲ではない、本当に子どものための歌、子どもに押し付けるのではなく、子どもに自然に口ずさんでもらえる歌を作ろう、という鈴木三重吉の考えは多くの同調者を集め、童謡運動あるいはこれを含んだ児童文学運動は一大潮流となったのです。ちなみに翌9年には「かなりや」は童謡初のレコード化もされました。この「かなりや」はわかりやすい口語対話で綴られた詩に、どこかファンタジックなメロディーが全国でたちまち支持されました。

 

これが童謡のはじまりです。

その後昭和に入ると児童文学雑誌は次第に不振となり、最も長く続いた『赤い鳥』は昭和4年には廃刊となりました。さらに、次第に軍国色が強まるにつれ、童謡は軟弱であるとして排斥されるまでになったのです・・・。

・・・っと、その後も童謡の変遷についていろいろとありますが、長くなるのでやめます。今では現在ではアニメソングなどに押され、家庭で歌われることは少なくなっているのが現状で、アニメソングを童謡扱いするレコード会社もあるようです。童謡を残していくためにはいいのかもしれませんが、なんだか寂しいですね。

 

童謡に入るかわからないけど、最新のNHK「みんなのうた」からのヒットは「おしりかじり虫」かな?(^ー^)

次回は唱歌について書き込みたいと思います。

予定は未定ですが、とりあえずなまけないように頑張ります。それでわ!(おおや)


12 月
20

かごめ かごめ

Posted by a6hootazemi in おおゃ, 未分類

こんばんゎ。土曜担当のおおやです!

今日本屋に行ったら、来年の大河ドラマの雑誌が置いてありました。 来年は妻夫木主演の直江兼次の物語「天地人」!
その雑誌では登場人物として石田三成役の小栗旬が載ってたのですが…その、髪型が……。役者生命大丈夫かっ!?って思いながら爆笑しましたっ!
ある意味1番の見所です(笑)皆さんもぜひご覧下さい。

さて、今日は太田先生が進めてた本『夕鶴』(著:木下順二)を読みました。その中でかごめの歌があったのですが…

「かごめ かごめ
 籠の中の鳥は
 いついつ出やる
 夜あけの晩に
 つるつるつーべった
 うしろの正面だあれ」

…あれ?「鶴と亀がすべった」じゃないの?

って疑問に思ったので、今回はわらべ歌のかごめについて調べてみました。

県ごとにある『日本わらべ歌全集』より。ちょっと変わった「かごめ」を紹介します。

(千葉)
「かごめ かごめ
 かごんなかの鳥は
 いついつ出あう
 夜明けの晩に
 障子を開けて
 鶴と亀が出あった
 後ろの正面だあれ」

(新潟)
「かごめ かごめ
 籠の中の鳥は
 いつ出て遊ぶ
 夜明けのころに
 盃かけて
 そのあとただして
なんて子がかわいかわい」
(京都)
「かごめ かごめ
 かごのなかの鳥は
 いつ出て遊ぶ
 夜明けのころに
 暁かけて
 なにとかつくる
 コケコッコー
 うしろの正面だあれ」

他にも変わったものはありますが、とりあえずここまで。
ちなみに私の1番のお気に入りは京都です!だって「コケコッコー」って…(笑)!

かごめには正確な記録はないそうです。地域差はありますが、また時代と共に変わっていくのかも。

コケコッコーは変わらないで欲しいですね(^0^)ノ

でゎ!長くなりましたが、また来週。。。


ホットワード 文教大学 人間科学部 太田 いいんちょう
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