Posted by a6hootazemi in いけなっぱ
こんにちは!!!
あ、グリム童話の書き込みはもう少しお待ちください。
今日ここに書き込みする理由は、なんだか卒論の方向性を明確にするためにいろいろ考えていたのですが、なんだかよくわからなくなったので、そのモヤモヤをぶつけるためです、笑。
先日、今年度最初のゼミに参加し、春休みの報告をしました。そして、みんなの意見を聞かせていただいて、あーなんか自分の考え方甘かったなーと反省しました。「恐怖」の対象を明確に分類していくことや、実在しない存在を対象にするのか、それとも体罰などのリアリティのあるものを対象にするのかなど、曖昧なままにしていたなーと。とりあえず、春休みは自分の興味の赴くままに資料を集めた形だったので、あまり資料に統一性がありません。そんな中でも、この春休み重きを置いたのは、前の書き込みにも記したように、実在しない存在への恐怖です。やっててすごく面白いんです。でも、それが自分の今後にどう役立つのかとか、教育実習で『君の卒論のテーマは何かね?』って尋ねられたとして、『教育と恐怖心です。』って言ってその内容を説明した時、『けしからん!!』という空気にならないかなーとか、余計なことばかり考えてしまっています(笑)。
さらに、昨日インターネット上で『オバケなどを利用したしつけは、オバケにしか反応しなくなり、親の言うことは聞かないようになる。』という書き込みを見つけ、なんだか凹みましたー。いやー、その通りっちゃーその通りだなーって思って、今後の自分のスタンスをどうしようかとまたもやモヤモヤさせられてしまいました。
あらゆる「恐怖」を扱いたいです。だけど、それでは欲張り過ぎですかねー。
あまり関係ないかもしれませんが、先ほどテレビを見ていて『SAD』という症状について知りました。SADとは「社会恐怖・社会不安障害」というもので、人前に出たり、新しい環境、慣れない仕事などを行うにあたり、極度の緊張で様々な症状を併発してしまうというものです。まあ、言ってみればこれも「恐怖」ですよね。この「恐怖」が適度であれば、程よい緊張感となり、良い刺激となりうるわけですが、過度であるならばただの害でしかありません。『初心忘るべからず』という言葉がありますが、『初心』というものも言ってしまえば「恐怖心」でもあります。
例えば、このようなことを裏付けしていった場合、その先に何があるのか、見えませんねー。見えないからモヤモヤしますねー。しかし、先日のゼミにて太田先生が『ゴールが見えたら研究とは言えません。』とおっしゃいました。この言葉を聞いてなんだか少しほっとしました。
とりあえず、扱いたい「恐怖」はいっぱいありますが、今は歴史的な部分の資料をたくさん収集したいと思います。
そして、だんだんのめり込みつつある(いつ飽きるかわかりませんが)グリム童話についても並行して進めていきたいです。
なんだかこれを書いたらスッキリしました。そして、やはり一人で考えていても考え方は狭いままですね!ゼミに出て改めて、いろんな人の考えに触れることがこれほど大切なことなんだと実感することが出来ました。
まとまらない文失礼しました。
頑張ります(^^)
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Posted by a6hootazemi in いけなっぱ
さっきの書き込みの続きです。
幽霊や妖怪など、実在しない存在と教育を結びつけたものはいくつもあります。
みなさんは「肝試し」をやったことはありますか?
私は、ミニバスや部活の合宿などで何度も経験があります。肝試しの季節と言えば夏。夏の寝苦しい暑さを肝試しで涼しくしようというわけですね。しかし、この肝試しですが、昔は武士の間において教育の一貫として、子どもの恐怖心を克服させるために行われていたそうなんです。そして、現在はクラブやスポーツ集団などが、集団行動をする一行事として行われることが多いように思います。ここら辺のことについても、今後さらなる調査を進めて行きたいです。
それから、私は「しつけ絵本」というものにも着目してみました。
しつけ絵本とは、例えば歯磨きの仕方や、手洗いうがいなど、子どもの基本的生活習慣を絵本を読み聞かせすることで子どもに身に着けさせようというものです。その中で、「恐怖心」を利用した絵本はいくつもあります。先日、本屋に出かけた時、児童書コーナーを覗いてみましたが、絵本コーナーのもっとも目立つところに置いてあった本が『ねないこだれだ』(せなけいこ著)という絵本でした。この絵本は「いやだいやだの絵本」シリーズの1冊のようです。ほんの数ページの短い絵本ですが、表紙は真っ黒で白いお化けが一匹描かれていました。簡単に要約すると、早く寝ないとお化けがやってくるぞ!という内容です。
それから、しつけ絵本で有名なのが『Der Struwwel peter』(ハインリヒ・ホフマン作)という本です。日本では翻訳された本がいくつも販売されているようで、タイトルの意味は「もじゃもじゃペーター」です。表紙は非常に印象的で、髪も爪も伸びきったペーターを描いています。一瞬ゾッとするようなタッチで描かれており、非常にインパクトがあります。この2冊の絵本は、アマゾンで取り寄せる予定です!
いずれにしろ、子どもの教育と恐怖は常に一緒に存在してきたように思います。とりわけ、幽霊や妖怪など、実在しない存在に意味を持たせ、教育において助けを求めてきたのが、大人であると私は思います。しかし、そういった存在を利用したしつけがあまり効果を示さなくなってきているという実態もどうやらあるようです。理由は何か。様々な考察が出来ますが、以下を参考にします。
確かにどう考えても、日本のお化けは世界一怖い気がする。四谷怪談のお岩さんのことを考えただけで、背筋が凍るような気持ちがしてくる。薬を飲まされて、夫に醜い顔にされた挙句に殺されたのだから、その恨み足るや、とても普通の幽霊ではない。しかもその醜い顔のまま、「うらめしや…」と化けて出てくるのだから、たまらない。
ところが、どうも最近のお化けは怖くなくなったような気がする。ゲゲゲの鬼太郎以降お化けがメジャー化してしまって、かわいくなってしまったためだろうか?お化け屋敷ひとつをとっても、娯楽ぽくって、お化けの現実感(リアリテイー)がさっぱりない。
成長心理学的に言うと、子供の頃に味わうこの怖いという感情は、精神が成長するために極めて大切な経験だそうだ。子供は怖いという体験をすることによって、恐怖を知り、危険地帯や怖いと思う人物には近寄らなくなる。つまり子供は、恐怖から人生を学んでいくのである。 “
(お化け論http://www.st.rim.or.jp/~success/obake_ye.html)
お化けを教育やしつけに利用することの是非は、議論の対象になりうるものです。
そういったものたちを利用することを、教育における「脅しの方法論」として、否定する人ももちろんいます。ですから、私は今後の調査や考察において、そういった人々の意見を覆すつもりで進めて行きたいと思っています。
次は「グリム童話」についてです。
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Posted by a6hootazemi in いけなっぱ
こんにちは!書き込み遅くなってしまいすみません!
この春休みは、卒論の方向性を定めるために、いろいろなところにアンテナを張って過ごしていました。私の卒論テーマは「教育を支える恐怖心について」(仮題)で進めて行こうと思うのですが、実際に教育現場においても家庭のしつけにおいても、「恐怖心」は切っても切り離せない関係にあると、この春休みで気付くことが出来ました。
「恐怖心」といっても様々な種類がありますよね。幽霊や妖怪など想像上の存在への恐怖、上司や先生、父親など自分を律したり叱ってくれたりする存在への恐怖心、テストの点数や入試などの学力や身体能力の有無といった劣等感への恐怖・・・、挙げればキリがありません。これらの誰もが抱くであろう「恐怖心」は、過去・現在、そして未来においても教育やしつけに大きく関わってきたことは事実だと思います。しかし、「教育」と「恐怖」を結び付けることは、もしかしたらタブーなのかもしれません。実際、インターネットで検索しても、思うような資料が出てこなかったりします。それは、「教育における恐怖」=「脅し・体罰」などが真っ先に思い浮かばれるからではないでしょうか。もちろん、教育と恐怖心を結び付けて考察していく場合、「体罰」についても言及する必要があると思います。しかし、私はさらに広い視野でも「教育」と「恐怖心」を考えて行きたいと思っています。
まず、私の卒論テーマの決め手となった秋田県の「ナマハゲ」についてです。この春休み、ナマハゲの起源、そしてもっとさかのぼって「日本における鬼の存在意義」などについての文献を読みました。とても面白かったのですが、あれっ、私って現代文化コースだっけ?と思うような内容でした(笑) 。それらについては、また後ほど書き込みをします。
さて、ここでは幽霊や妖怪など想像上の存在に関して書きたいと思います。(ナマハゲもこれに含まれそうですが、別扱いで)
幽霊や妖怪、怪物、都市伝説・・・・、信じない!という人も怖くない!という人も、一度くらいはその存在に怯えたことがあるのではありませんか?無論、私は昔からその類の存在にビクビクするたちでした。まあ、実際に見たことはありませんので、霊感はないのでしょうが。というか、その類の存在が本当に存在するのか否かといった部分は、私には到底手に負えない部分なので考察はしません(笑)。
私の記憶を呼び覚ますと、以前ゼミの時にもお話しましたが、幼少期、夜いつまでも寝ずに兄弟ワーキャー騒いでいる私たちに、母が「早く寝ないとモモンガがやってくるよ!」と言っていたことが鮮明に思い出されます。当時「モモンガ」がどんなものなのか全く理解していなかった私は、母の言い方や身ぶり手ぶりなどでそれがすごく恐ろしいものなのだろうと感じていました。今思うと、モモンガってむしろ愛らしい姿をした動物で、なぜ母が「モモンガ」を選んだのかは謎です、笑。母に尋ねたところ、当時の私たちがイメージしやすいように「鬼」の言い方を考えたところ「モモンガ」にたどり着いたということで・・・、謎ですね(笑)。効果はテキメンだったようですが。
その他に、小学校から私の家まで、およそ徒歩40分の通学路の途中にはお墓があるのですが、田舎ですので街灯も少なく、暗くなるとその横を通るのがなんだか不気味でした。ですから、小学校で友達と遊んでも、暗くなる前に帰るようにしていました。
このように、私もみなさんも記憶をたどると、実在しない存在への恐怖心を利用されたり、その恐怖で己を律したり、そういった経験があるのではないでしょうか。
以前社会現象になった「口裂け女」に関しても、興味深い書き込みがインターネット上に存在しました(都市伝説アーカイブス 口裂け女 で検索してみてください)。
「口裂け女」の正体や起源は諸説ありますが、最も濃厚なのが、岐阜県美濃加茂市近辺(1979年~1980年)が発祥の地であるということです。みなさんによく知られている「口裂け女」の正体の他に、受験戦争の中、子どもに勉強を強いる怖い教育ママがモデルになったとされる説や、逆に貧しい家庭で塾に行かせられない母親が塾に行きたがる子どもに「塾の帰りに夜遅くまで歩いていると口裂け女が出る。」と諭した話がどんどん広まってしまったという説など、様々です。いずれにしても、この都市伝説が大きな社会現象になり、当時の教育現場にも多大な影響を及ぼしたようです。埼玉県新座市などでは、児童の集団下校が行われたり、その他の地域でも、保護者からの問い合わせが学校に寄せられたりしたようです。驚くことに「口裂け女」の噂は韓国にまで広がり、怖がる児童が続出、お守りを持たせる母親、夜間外出を禁じる学校などが現れたようです。なかなか興味深いということで、こういった社会現象についても今後考察していきたいです。
なんか、長くなってしまったので一旦区切ります。
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Posted by a6hootazemi in いけなっぱ
こんにちは!新年がスタートしてもう10日が経ちました。
今年1年がみなさんにとって素敵な年になりますように!
今日は、みなさんも1度は購入したことがあるでしょうか、「宝くじ」について書こうと思います。とは言っても、宝くじについて語れるほど詳しいわけでもなく、つい先日友達と試しで買ってみた「年末ジャンボ」が私の人生初の宝くじでした。
その年末ジャンボですが、見事に1枚も当たらず撃沈。それはそうですよね。買ったのは3枚ですから(笑)。ビギナーズラックと当選しやすい星座はやぎ座という占いにかけて買ったはいいものの、人生それほど甘くはありません。
ですが、ふと「今この日本のどこかに一夜にして億万長者になった人がいるのか。」と思うと、なんだか不思議な気持ちになります。紙きれ1枚が、何億円というお金に変わったとき、一体人はどのような感情を抱くのでしょう。努力とは無関係のところにあるお金が舞い込んで来た時、人はどのような行動に走るのでしょう。なんとなく想像は出来ても、実際当選してみないとわかりませんね。
当たれば嬉しい宝くじ、しかし本当のところ、そのワクワクを楽しむくらいが丁度いいのかなーと思います。そのロマンを楽しむために、今年の年末はまた3枚購入しようかなと思う冬の夜でした。
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Posted by a6hootazemi in いけなっぱ
今年の授業日も残すところあと1週間となりました!!池田です!!
いやー、早いですね!!!!年をとると時間が経つのがすごく早く感じるといいますが、私にとって本当に今年は怒涛の1年でした。
今年の4月にスタートを切った太田ゼミ。毎週のように出される課題に、他ゼミの人から驚かれながらも(笑)私自身得られたものはとても大きかったように思います。初めて挑戦したボランティア補助教員、代持ちのサークル運営、山形・秋田への久しぶりの家族旅行、セミナー試験、文化祭、サークルの代交代……。なんとなく流れてきたような月日を振り返ってみると、そこには本当に中身の詰まった1年がありました。
そして、この2011年、私の中で大きく変わったことは家族への思いです。実はつい最近まで母親に「乳がん」の疑いがあり、私も家族もそして母親自身もかなりのショックを受けていました。現在、乳がんの患者数は右肩上がりで、それに伴い検診の予約もなかなかとれない状況でした。疑いがあるとわかって2カ月が経ち、ようやく全検診を終え、母親の胸にあるしこりは悪性ではないことがわかりました。家族一同心から喜び、母親自身も安心したようです。
検診が終わるまでの2ヶ月間は、母親は自分が死んだら…という話をよくしていました。乳がんではないとわかった今、なんのこっちゃない話です。でも、いつも強くて元気な母が本当は弱かったこと、いつもはだらしない弟が本当は強かったこと、いろいろなことに気づけた日々だったと思います。
私たちはすぐ忘れてしまいます。不謹慎かもしれませんが、「死」は私たちのすぐ近くにあるということを、ときどき振り返らなければ忘れてしまうんです。3年前愛犬が死んだ時、私は人生の中で一番後悔しました。その時、大切な人がいるなら自分やその人が生きている間にたくさんたくさん大切にしようと心に決めたはずなのに、今回の母親の件がある前私はその決意を忘れかけてしまっていました。反省反省。
2012年は、家族を周りの人を今まで以上に大切にし、たくさんの感謝を伝えていけたらと思います!!
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Posted by a6hootazemi in いけなっぱ
久しぶりの書き込みです!すみません!!
いやー、とにかく寒いですね!!冷え症で、この季節になると指先やつま先が冷たくなる私は、最近生姜をたくさん食べるようにしています。千切りにしてご飯と一緒に炊いたり、すりおろして紅茶に混ぜたりと、生姜に頼りっきりの日々が続いております。
さて、今日は太田先生からお借りした『グリム童話』をご紹介したいと思います。なぜ『グリム童話』なのかということは、今度のゼミにでもご説明出来たらと思います(^^)
【岩波文庫 完訳 グリム童話集】断篇234(Ⅰ)
●絞首架の男
どこやらのばあさんのところへ、夜遅くなってからお客さんがいくたりも来ましたが、食べるものは、もう何にも残っていず、何をお料理したらいいか途方に暮れる。ばあさんは死人が1人ぶらんとしている絞首台へ行って、その死人の肝臓を切り取ってきて、それを火であぶってお客さん達に出す。お客さん方は、ぺろりとたいらげてしまう。
真夜中ごろ、小屋の戸をとんとんと叩くものがある。ばあさんが戸をあける。戸をたたいたのは、くりくりぼうずの死人で、目玉が二つともなく、お腹に傷口があります。 「お前の髪の毛はどこにあるの?」
「おらの髪の毛は、風がふき飛ばしちゃったのさ。」
「お前の目玉はどこにあるの?」
「おらの目玉は、カラスがほじくり出しちゃったのさ。」
「お前の肝臓はどこにあるの?」
「おらの肝臓は、お前がむしゃむしゃ食べちゃったのさ。」
あーコワイコワイ。太田先生、これ怖すぎますよ(笑)。
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Posted by a6hootazemi in いけなっぱ
太田先生、コメントありがとうございました(^^)!!
自分の感情だけで、開放制刑務所のことを考えてしまいましたが、深く考えると、もっともっと考えを及ばせないといけないことがたくさんあるんだなーっと思いました。勉強になりました(^^)★
今日書くことは、昨日の補助教について。
朝少々寝坊したため朝ごはんが食べられず、朝食抜きで小学校に行ったのですが、あまりの空腹に担当クラスの子ども達と話した時に「私、今日朝ごはん食べられなくて、今すごくお腹減ってるんだけど、今日朝ごはん食べなかった子いる?」って聞いてみたんです(笑)
そしたらなんと、数人から「食べてなーい。」という声。寝坊とか諸々の理由で食べてない子がいることは、まあ想定内。しかし、その後が問題でした。私が「じゃあ食べた子は何食べて来たのー?」とみんなに尋ねてみたら、四方八方から今朝の献立を説明する声が飛んできました。子A「おにぎり食べたー!」 私「わー!いいなーおにぎり!何おにぎり?」子A「コンビニの鮭おにぎり!」私「……。」 子B「ココアとヨーグルト食べたよ!先生もちゃんと食べないとプールは入れないよ!」私「う、うん…。そうだね…。」とまあ、こんな感じなわけです(笑)。一体このクラスの中に、しっかりバランスのとれた朝食を食べた子は何人いるんだろうと心配になりました。しかもこの日の時間割の3時間目には、プール授業があったのでなおさら。育ち盛りの子ども達が、元気よく、そして集中して給食までの授業を受けるために、こんな朝食メニューでよいものか!と思いました。だけどそれ以前に、いろんな本やニュースで、子どもの食について言われているわけですが、本当にこういう実態があるんだ!!と、なんだか改めて実感して、驚きとショックが隠しきれませんでした(;;)
それぞれ家庭の事情があるのは、十分承知の上。しょうがないのかなって思います。だけど、子ども達が勉強するのも運動するのも、遊ぶのも喧嘩するのも、ご飯を食べなければ始まらないですよね。だから、食事をもっと大切にしてあげられたらいいのになーって思いました。私の両親は、昔から、どんなに忙しくても朝早くても、私にしっかりとした朝食を食べさせてくれました。だから、私が親になったら、子どもにはしっかりと朝食を食べさせてあげたいって思います。だけど、ココアとヨーグルトが当たり前の朝食メニューだと思っている子は、大人になって親になったら自分の子どもにも同じようなメニューを与えるのだろうかと思うと、負の連鎖だなって思いますよね。
こんな実態だから、子どもたちは給食の時間になるとすごく嬉しそうなんです(^^)
給食がいかに大切かということも改めて痛感します。「先生、どこの班で給食食べるのー?!私の班で食べてよ!」という嬉しい声。しかし、私の分の給食はなし(笑)。私は前々から、食育についてすごく興味があったので、本当は一緒に給食を食べて、子ども達の様子を見て、子ども達といろいろな話をしてという風にしたいなって思うんですが、なかなかそうもいかず。
まあ、このまま、どんどんこの朝食欠食状態が悪化していった場合、朝ごはん給食が出来たりするのかなーなんて思ったりもします。
どうかどうか、日本中の子ども達が栄養満点の朝食を食べられる未来が来ますように!!
Posted by a6hootazemi in いけなっぱ
こんにちは(^^)!!
誰か一緒にバナナマンのライブに行きましょう!!笑
バナナマンのネタの中に「朝礼」っていうのがあるんですけど、もしよかったらみなさん見てみてください!
という、どうでもいい話は置いておいて、今日の1限 太田先生の臨床教育学の授業で、私は初めて「開放制刑務所」というものの存在を知り、とてもとても驚きました。この「開放制刑務所」というのは、スウェーデンの刑務所制度のことで、簡単に言うと、罪を犯した受刑者が刑務所から学校などに通い教育を受けることが出来るというものです。だから、同じ教室で服役中の殺人犯が一緒に勉強するなんていうこともあるわけです。この制度は、受刑者の教育を重視したもののようです。(太田先生、説明間違ってたらすみません。)
みなさん、この制度どう思いますか?
私は、こんな制度が存在していいのか!って少し思ってしまいました。でも、それは私が日本人で頭がかたいからなのでしょうか?
けど、単純に、受刑者の教育とかを考えないで私の意見を言うと、「刑罰」って、遺族や被害者の、犯人に対するぶつけようのない怒りや憎しみを少しでも和らげるためのものだと思うんです。遺族・被害者の心を守るためのものだと思うんです。
例えばの話、私の母が殺されたとして、犯人が刑務所に入り模範生になって、大学の授業を聴講出来るようになったとします。私から母を奪ったくせして、なんで自分だけ教育の権利を守られてるんだ!って憎悪の気持ちはますます大きくなると思うんです。
でも、受刑者の社会復帰って大きな課題だと思うので、一概に反対!とは言えませんね。
みなさんは、どう思いますか?
ちなみに、太田先生情報では、日本もこの「開放制刑務所」の方向に向かってきているそうです。決して他人事ではないこの問題、みなさんはどう考えますか?
Posted by a6hootazemi in いけなっぱ
太田先生(^^)
素敵な誕生日プレゼントありがとうございました!!
感動で涙がこぼれそうなのを、目頭おさえて必死で耐えました★!
こんにちは。
わたくし、ここ数日、遅れてやってきた5月病のような症状に少々悩まされております。
なんだか気持ちがシャキッとせず、元気が出ないというかなんというか。自分らしさってなんなのかとか、柄にもなくそんなことを考える日々が続いているわけです。
ふと考えてみると、子どもの頃ってそんな余計なこと考えることなく過ごしてたなーって思います。学校から帰ってきたら、日が暮れるまで友達と外を走り回って遊んで、お腹がへったらバクバク食べて、しぶしぶ宿題やって、疲れたら寝て、そんな単純な生活を送ってたなーって思います。
けど、大人になるにつれて、将来の不安とか自分らしさとか世間体とか余計なものばかり増えて、たまーに少し疲れてしまうことがありますよね。きっとみんなもそういうことってあると思うんです。けど、それはきっと、余計に思えるそういう面倒くさい感情が、本当はすごくすごく大切なものだから、こうやって悩むんだと思います。ここで、あー面倒くさい!って考えるのやめてしまったら、きっとダメなんですよね!数学みたいに答えがないから、脱皮するにはなかなか時間がかかるかもしれませんが、この漠然とした悩みとちゃんと向き合っていきたいと思います。
っていう自己完結(笑)。 柄にもなさすぎて気持ち悪いですか?(笑)どうかお許しを。
冷えたトマトに蜂蜜。 これ絶品。w
Posted by a6hootazemi in いけなっぱ
今週の金曜日で、補助教2回目を終えたなおみです。
私は小学3年生を担当しているのですが、先日は、子ども達が寄ってたかって背中に乗ろうとするので、肩の皮膚が剥がれるかと思いました(笑)
こうやって改めて子ども達と接してみると、1人1人自分を表現する方法が違うんだなーと今更ながら実感します。体で表現する子や自分の話で表現する子など、教室には子ども達の数だけ表現の仕方が存在しています。そういった十人十色の表現にちゃんと目を向けてあげられるか、ちゃんと受け止めてあげられるか、なかなか難しいことですが、頑張って取り組みたいと思います。
それから、初めて「机間指導」をしましたが、いやーっ、長年憧れていた「丸つけ」をさせてもらった時は、本当に感激しました^^!! 普段、塾講師のアルバイトで丸つけをすることは日常茶飯事なのですが、なにしろ私のバイト先の塾は、1対2の形式なもので、机間指導で丸つけをしたことはなかったのです。
自分が小学生の頃は、先生が机間指導で、ピンクっぽいインクの、丸つけするとシュッという音がする先生ペンで、さりげなく丸を付けてくれる時がすごく嬉しかったのを覚えています。
私の補助教先の3年生も、机間指導で一言添えて丸を付けてあげると、少し照れたようにはにかんでくれます^^ そのはにかみが素敵過ぎて、私に頑張ろうっていう気持ちを与えてくれます。そして、あー、早く先生になって自分のクラスを持って、クラスでメダカを飼って…、といったような夢がどんどん広がっていくわけです。
そんな夢を早く叶えるために、今の私に必要なものは、自分に自信を持つこと、それから自分の力を信じてあげることです。これが出来なかった、2年前。後悔をしないよう、そして、1年後自分の力を信じてあげられるよう、自分の中にたーくさん引き出しを作りたいと思います。
Posted by a6hootazemi in いけなっぱ
太田先生。前回の課題の2回目 OKもらってないんですけど、2つ目の課題 書いてしまいました。ごめんなさい。私はこう見えてM気質なので、多少のことならへこたれません、多分(笑)。 なので、ビシバシお願いします。それでもし泣いたら、誰かそっと慰めてください。
【学習障害の生徒が在籍していたら、どのような指導をするか
学習障害の症状は幅広く、あらゆる分野に支障をきたし得る。そのような学習障害の生徒を受け持った場合、私はまず、クラスへの意識の定着を図る。次に、学習障害の生徒を中心としたコミュニケーション能力の育成を行う。そして、それらを基盤とした学習指導を行う。
まず、クラスへの意識の定着化は、クラスに学習障害の生徒が在籍していた場合、その生徒にはある程度の特別な指導が必要となる。それにより、当の生徒が劣等感を感じる、あるいは、他の生徒が不平等を感じてしまわぬよう注意する必要がある。そのための実践として、学年の初めに「一人一人を大切にするクラス」というクラス目標を設定し、他生徒の理解を得る。そして、実際に学習障害の生徒だけではなく、全生徒に目を配らせた指導を行っていく。
次に、コミュニケーション能力の育成とは、あらゆる学習困難を補い、克服していくに当たり、その生徒自身の教師・他生徒とのコミュニケーション能力を高める必要がある。そのために、私は、クラス内での班活動を増やし、学習障害の生徒に班長を任せる。その生徒を班員がサポートしていく形を取らせ、班長として教師とも連携を取れる形にする。
以上を基盤として行う学習指導は、視聴覚教材を多く取り入れ、あらゆる刺激によりその生徒の学習を支えていくと共に、他生徒の学習意欲の向上にも繋げる。また、その生徒の躓きの特性をしっかりと把握し、机間指導を有効に使って指導していく。これは、学習の機会を増やすという観点から、学習障害の生徒へ過度な学習サポートをするのではなく、まず、その子の特性によってどのようなヒントの与え方が効果的かを理解する。そして、机間指導の時間を多く設け、補うべきところは補いつつ、ヒントを与える形で指導していく。
これらの実践を行うことで、その生徒の障害の克服を目指し、教師だけではなく、クラス全体でサポートしていけるような形を取ることが出来る。
Posted by a6hootazemi in いけなっぱ
太田先生、お願いします。
子ども達の学力を向上させるために必要なことは、子ども達の学習意欲を向上させることだ。そのための手段として「教材の魅力化」「自身の成長を実感させること」「適度に競争を意識させること」の3点が挙げられる。
まず、教材の魅力化だが、視覚や聴覚などのあらゆる刺激を受けることによって、子ども達の興味関心が高まり、学習意欲の向上を図ることが出来る。また、生徒の生活・地域に関連づけた教材のリアリティ化も有効だ。
そのための実践として、私は、使う教材・補助教材を子ども達が吸収しやすいものにする。子どもたちが興味を持つような視聴覚教材を所々に取り入れ、文章や言葉を目や耳、あるいは触れて感じる刺激として、子ども達の感性に働きかける授業を展開していく。
次に、子ども達に自身の成長を実感させるというのは、日々の学習の中で、子ども達の前に習熟度に応じたハードルを設ける。子ども達自身が考え努力をすれば決して無謀ではない高さのハードルを設け、飛ばせてあげることで自身を持たせ、学習意欲の向上に繋げる。
そのために、私は授業の中で、1人1人の習熟度レベルをいち早く見抜き、それぞれに応じた目標設定を行う。そして、手とり足とりではなく、目標達成までのプロセスを支え、自力で出来たという自信を与えていく。
3つめの適度な競争の意識化については、授業の中で、子ども達に少しお互いを意識させることにより、学習意欲を高めることが出来るということだ。もちろん、過度な競争にするのではなく、子ども達の自尊心をくすぐるような方法を取り入れる。
そのために私は、授業の中でグループ活動を多く取り入れる。グループ対抗、クラス対抗などの形を取り、ただ競わせるのではなく、そのグループのどこが良かったのか、自分たちに何が足りなかったのかを子ども達自身が発見できるような授業を展開していく。
これらの実践により、学習意欲を引き出し学力向上に繋げることが出来る。
Posted by a6hootazemi in いけなっぱ
こんにちは。先ほど外出したら、突然の雨でずぶ濡れになったなおみです;;
雨は自然の恵みですが、なんだか気分が沈む雨の日を私はあまり好きになれません。
話は変わって、昨晩は私が所属するバスケサークルHELVETICAの新歓でした!いやー、1年生はとにかく若い!フレッシュ!かわいい!!一緒に飲んで、話して、笑って、1年生から若さと元気を分けてもらえた気がする一晩でした!これからのHELVETICAがますます楽しみになりました。
私たちのサークルは、学年カラーが全く異なっていて、それでいて、それぞれの良さがちゃんと光っているサークルだと思います。お互いの足りないところを補い合える家族のようなHELVETICAが私は大好きです。
入学当初は、高校時代のバスケ部の雰囲気が忘れられず、部活に入りたいと少しだけ考えていました。しかし、当時の私はまだ秩父から通っていたのであっさり断念。それ以前に、両親からは小免の選抜試験が終わるまで、サークルには入るなと禁じられていたので、どうしたものかと考えていた時に友達からHELVETICAを紹介してもらいました。それからというもの、小免試験が終わるまでは、親に内緒でHELVETICAに通っていました(笑)
そうやって、出会うべくして出会ったようなHELVETICAですが、メンバーのみんなは常に、どうしたら全員が楽しめるかと考えることが出来る人たちばかりです。初心者も経験者も混同しているサークルだからこそ、スキルの差に悩むこともあるけれど、それ以上に思いやりを育むことの出来る、魅力溢れた私の大切な居場所となっています。
新年度になり、新たな学年カラーが加わった私たちのHELVETICAは始まったばかりです。人数多過ぎ、体育館狭過ぎ、とにかく問題山積み(笑)。けれど、それ以上にワクワクがいっぱいのこのサークルをもっともっと盛り上げて行きたいと思う雨の午後なのでした。
Posted by a6hootazemi in いけなっぱ
私も負けじと早くコツをつかみたいです!スピードを加速していけるよう頑張ります!!
「学力向上に必要なこととその実践」
子ども達の学力を高めるために必要なことは、子ども達の学習意欲を向上させることだ。そのための手段として、「教材の魅力化」「自身の成長を実感させること」「適度に競争を意識させること」の3点が挙げられる。
まず、教材の魅力化だが、視覚や聴覚などのあらゆる刺激を受けることによって、子ども達の興味関心が高まり、学習意欲の向上を図ることが出来る。また、教材を生徒の生活・地域と関連づけたリアリティ化も有効だ。
次に、子ども達に自身の成長を実感させるというのは、日々の学習の中で、生徒の前に低いハードルを設ける。それにより、子ども達に自信を持たせ、学習意欲の向上に繋げるということだ。
そして、適度な競争の意識化については、授業の中で、子ども達に少しお互いを意識させることにより、学習意欲を高めることが出来る。
これら3点について、私が教師になった際には次のことを実践する。
まず、使う教材・補助教材を子ども達が吸収しやすいものにする。授業の冒頭で、子ども達が興味津々になるような物や映像を駆使し、一気に子ども達を引きこんでいく。そして、周りの身近な情報を一緒に提供し、実生活とリンクした授業を展開していく。
さらに、授業中の子ども達との言葉のキャッチボールを意識し、どの子でも答えることの出来る質問をたくさん投げかけていく。教科によっては、記録カードを配布し、子ども達同士でお互い出来るようになったことを見つけ合ってもらう。そして、定期的に小テストを組み込んでいくことにより、可視出来る形で成長を実感させる。
加えて、グループ活動も多く取り入れる。グループ対抗、またはクラス対抗などの形を取り、ただ競わせるのではなく、そのグループのどこが良かったのか、自分たちに何が足りなかったのかを子ども達自身が発見できるような授業を展開していく。
これらを実践することで、学習への意欲を引き出すことが出来、学力向上に繋げることが出来る。
Posted by a6hootazemi in いけなっぱ
ご無沙汰しております(笑)。日曜担当の池田です。昨日は、新入生歓迎スポーツ大会なるもので青春の汗を流し、その後の打ち上げでもって完全燃焼した所存であります。そんな私、本日はお日柄もよいので、電車のことについて書きたいと思います。
電車という乗り物は、乗っていてとても心地よい乗り物だと思いませんか?ラッシュ時の満員電車は勘弁ですが、晴れた休日の昼下がりに乗る電車は、ガタンゴトンという音が心地よく、車内は時間がゆっくり流れているような気がして、私は大好きです。外の景色をポケーッと眺めながら自分の好きな音楽を聴く、なんて贅沢な時間なんだろうと、そう思うわけです。そんな電車ですが、心地よいが故にという出来事は誰しもあるのではないでしょうか。私は、気づいたら眠っているということがよくあります。そして、それによって人様に迷惑をかけたり、赤面したりといったことを繰り返して参りました。私は、電車の中で眠ると、どうしても左に揺れてしまう癖があるようで、私の左が壁や手すりなら問題ないのですが、これが人となるとその被害は甚大のようです。私が大学1年の、まだ実家から通っていた時のことです。いつものようにウトウトしていると、隣に女子高生3人組が乗ってきました。案の定私はユラユラ揺れていたようで、気づくと隣から、女子高生の嫌な視線を感じるわけです。やばいっと思った私は、姿勢を正し眠ったふりを続けました。すると、隣から「マジうざいんだけどー、コイツー。ってか傘おそろいなんだけどー。」という声。恐る恐る、気づかれないように目を薄っすらとあけると、私の隣には確かにお揃いの傘があるわけです。やっちまったー!と思っても、時すでに遅し。女子高生にビビるなんて情けない女子大生だと思いながら、眠ってるふりを続けるしかなかった切ない思い出があります。このような悲しい出来事も多々ありましたが、中にはそっと肩を貸してくれる優しいおじさんもいたりと、日本もまだまだ捨てたもんじゃないなと思うこともあるわけですよ(笑)。その人の優しさを肩ではかることが出来る電車という乗り物に、今日も感謝して、私は揺られ続けたいと思います。
Posted by a6hootazemi in いけなっぱ
さあさ!書き始めるまで、めちゃくちゃ時間がかかるんですが、書き始めると意外にもスラスラーっといくもの。要はやる気次第です、人間なんてものは(笑)溜まってた分の2つめです!
今回書くのは、「学校内での教師の喫煙」についてです。なぜ、そんなことを書くのかというと、つい最近これに関する2つの意見に出会ったからです。
記憶は曖昧ですが、確か、先日の「補助教員説明会」でお話をしてくださった先生が、そのうちの1つめの意見でした。その先生の持論は、「教師になるなら、煙草をやめるべきだ。教師が学校で煙草を吸うなんてあってはならないことだ。」というものでした。その理由は述べてらっしゃらなかったのですが、おおよそ、児童生徒に悪影響を及ぼすからという意味が含まれているのだと思います。私も、以前はその先生と同じ意見でした。教師が学校で煙草を吸うことに、メリットなんて1つもないと思っていたし、子どもたちがその煙草に興味を持ってしまったらと思うと、教師の喫煙は完全撤廃すべきとも思っていました。
しかし、この間帰省した時、父の話を聞いて、以上の考えについて少し考えさせられました。以前も投稿した記事の通り、父は中学校教師です。そして、以前はかなりのヘビースモーカーでしたが、5年ほど前に自身の体のことを考え、煙草をやめました。その父が言っていたことは、「先生方は喫煙スペースで煙草を吸っている時、とてもリラックスしているから、互いに普段出来ないような情報交換がしやすい。あの生徒はこうだとか、授業の相談だとか、気張っていないからこそ出来る情報交換の機会が喫煙スペースにはある。もう煙草を吸おうとは思わないが、そういう部分はいいなあと思う。」ということでした。
確かに、教師が学校の中でリラックス出来る場所を作るということは、とても大切なことなんじゃないかと思いました。力を抜ける場所があって初めて、力を入れられる場所があるのだと思うからです。以上のどちらにもメリットとデメリットがあり、人それぞれ考え方は違うと思います。みなさんはどう思いますか?
いずれにしても、教師がいきいきと仕事が出来る現場づくりに、もっと策が講じられればと思う今日この頃です。
Posted by a6hootazemi in いけなっぱ
ブログが復活したので、「私はこのような教師になりたい、そして今、そのためにどのように努力しているかを1200字で」という、教セミの練習課題を、ここに投稿してもよろしいでしょうか?よろしくお願いします!
「どんな先生になりたいか」とふと考えた時、なりたい教師像は次から次へと浮かんでくる。そんな中でも、私が目指す教師像を1つ挙げるとするなら、バラエティ番組の司会者のような教師である。
バラエティ番組の司会者といえば、かの有名な、明石家さんまさんや島田紳助さん、クリームシチューの上田晋也さんなどが挙げられるであろう。
彼らの司会のすごさは、彼ら自身が面白いことはもちろんだが、さらに、人から話を聞き出し、それぞれの個性を引き出すことが出来る部分にある。
多少口下手なゲストであっても、持ち前の洞察力と話術で一気に話題の中心に持っていくことが出来る。しかし、決してワンマンショーにならず、全体を一つにまとめることが出来るのだ。
私の目指す教師像は、まさに彼らのような力を持つ教師である。
教師の言葉や行動は、子どもたちに大きく影響する。ピグマリオン効果というものもある通り、教師の言動による影響力は良い方にも悪い方にも作用するのだ。しかし、だからといって、教室が教師のワンマンショーの場になってはならない。その影響力を持って、教師がその力を上から振り下ろすのではなく、子ども1人1人が光るための土台のような存在になりたいと思う。
授業はもちろん、クラス内や学校全体の活動であっても、教師が先導するのではなく、私の発した言葉が、生徒自ら動き出すためのきっかけとなったり、行き詰った時の道標となるような働きかけが出来る教師になりたいと思っている。
以上を実現するために、私が今、意識して行っていることがある。それは、様々な人と会話をすることだ。子どもたちにとってのきっかけや道標となる言葉の選択が出来るようになるためには、とにかく、言葉や話し方、反応の仕方の幅を広げる必要があると思う。しかし、それらは、1人きりではどうしても身につけることが出来ない。自ら積極的に人の輪の中に入って行き、たくさんの人の話を聞き、また、自分からもどんどん言葉を発した時に初めて身についていくものだと思う。そのため、私は、学内などで友人や先輩とすれ違う時、今までなら挨拶程度で終わらせていたものを、自ら話題を振り、最低でも会話を1つ行えるよう試みている。また、私は現在一人暮らしをしているのだが、実家にかける電話の本数も増やし、会話をする機会を増やしている。そういった自発的な試みもそうだが、塾講師のアルバイトやサークルの副会長など、私の置かれている環境も大いに役に立っていると思う。
様々な世代、様々な価値観を持つ人と会話をする度に、発見がいくつもある。どんな言葉なら、人は心を動かされるのか、どんな話し方なら相手をいきいきとした気持ちにさせるのか、「言葉の力」に気づかされる毎日である。
理想の教師像を語るのは簡単だ。しかし、語るからには、何らかの努力が常に伴っていなければならない。「会話」という私の思う努力を、これからも続けていきたい。
Posted by a6hootazemi in いけなっぱ
ここの復旧に尽力していただき、ありがとうございました。
どうも。やっと学校が始まってこの上なく嬉しい日曜担当のなおみです。
さてさて、今から、溜まった分を書きたいと思います。
今日は、「オレオ」について書こうと思います。
「オレオ」とは、皆さんもご存知の通り、ココアクッキーでホワイトクリームを挟んだ、私の大好物なあのお菓子です。
私オレオデビューは、幼稚園の頃だったと思います。衝撃を受けました。
その真っ黒なビジュアルからは想像も出来ない美味しさに、幼いながらにも感動したことを覚えています。一噛みした瞬間、口の中にココアクッキーのほろ苦い香ばしさが広がります。そして、二噛み、三噛み、噛めば噛むほど、ココアクッキーのほろ苦さと、クリームの濃厚な甘さが美しいハーモニーを奏でるのです。
オレオというのは、ココアクッキーだけではたいして美味しくないし、クリームだけでは、甘ったるくて食べられたものではありません。しかし、なんと不思議なことでしょう。この異質の2つが口の中で混ざり合ことによって、初めて私の大好物となるのです。
だから、と言ってはなんですが、この太田ゼミもオレオのようなゼミになればと思います。
様々な個性を互いに打ち消し合うのではなく、討論という場で1人1人の意見を噛み砕いて、吸収して、この太田ゼミがみんなの大好物になればいいなと思います。
Posted by a6hootazemi in いけなっぱ
「あのとき~」書きます!
あの時、そう、あの時は、私が大学に入学して初めての授業の朝だった。
北越谷駅に着いた時、私の携帯が鳴ったのだ。「ジョンが死んだ。」電話の向こうで母は、震える声でそう言った。
2009年4月14日 我が家の愛犬ジョンが12年の生涯に終止符を打った日である。
私が自宅に戻った時には、すでにジョンの身体は冷たく、そして硬くなっていた。つい昨日まで、私の声に尻尾を振っていてくれていたジョン。持病を抱えながらも、私がつらい時いつも寄り添ってくれていたジョン。その身体に温もりが戻ることはもうなかった。
ジョンが生きていた最後の数カ月、私は受験期真っただ中だった。
自分の精神状態を保つのにいっぱいいっぱいで、自分のことしか考えられない私がそこにはいたのだ。そんな当時の自分を思い出す時はいつも、私は拳をギュッと強く握りしめる。
その痛みがせめてもの償いとなることを信じて。
どのくらいの時間、ジョンの亡骸の横で泣いただろう。途方もない悲しみと、信じたくないという現実逃避の感情の狭間で、まるで夢の中にいるような感覚だった。気づくと火葬場に到着していて、これから何が行われるのか私は考えたくもなかった。あの時ほど、自分の中の人間らしい感情を消し去りたいと思ったことはない。
そして、そこで私は、生涯決して忘れてはならないものを見た。それは、火葬炉の中、一瞬にしてジョンを包んだあの炎の光だ。あの残酷な炎の光を私は決して忘れてはならないのだ。
自分にとってかけがえのないものたちの命は、つい永遠であるように錯覚してしまう。そして、永遠であることを強く願ってしまう。それが人間らしい自然の感情であり、強く願えば願うほど、その喪失感はとてつもなく大きいものだ。
私はジョンを失ったとき初めて、長生きすることの意味を知った。
長く生きるということは、たくさんの「死」を目の当たりにするということであると思う。
そして、その「死」に耐えていくことであると思う。そう知ることが出来たから、命は永遠ではないことを身を持って実感することが出来たから、私は今、周りにあるかけがえのない命を強く愛することが出来ると思う。
Posted by a6hootazemi in いけなっぱ
こんにちは!先日投稿した「パパ先生のこと」を、太田先生のアドバイスをもとに推敲してみました!
もう少しスマートにすることを目指してやったのですが、なかなか上手くいきません(涙)。短い文章の中で、伝えたいことを書ききるのってすごーく難しいんですね;;
これから、練習して良い文章が書けるように頑張りたいです!!!!
「パパ先生のこと」
私が教師になろうと心に決めたのはいつからであったろう。
そう考えを巡らせてみた時、最終的に行きつく先はいつでも、父であるように思う。
父の広くて力強い背中を見てきた私の過去が、「教師」という夢を追う今を、そして私を、突き動かしてくれているのではないだろうか。
「パパ先生」。その人は、私がこの世に生を受けてから初めて触れた教師である。そして、教師であり、私の父でもある人物だ。
「パパ先生」。この呼び名の由来を話す前に、私の父について話しておこう。
父は、中学校の理科の教師歴が二十数年にのぼる、いわゆるベテラン教師である。また、父は自分の経験を生かし、赴任先の学校ではどこでもバスケ部の顧問を務めてきた。そして、ここに「パパ先生」という呼び名の由来がある。
私の両親は共働きである。そのこともあって、休日・長期休暇ともなると、父は、当時まだ幼かった私・姉・弟の3人を、よく勤務先の学校に連れていってくれたものだ。そして、体育館でバスケ部の指導をする父の横で、その光景を見ていたり、時には練習の休憩中になると、お兄さんお姉さんが一緒に遊んでくれたりした記憶がたくさん残っている。そして、その時私たちの面倒を見てくれたお兄さんお姉さんたちが、私たちの前では父のことを「パパ先生」と呼んでいたのだ。
この「パパ先生」は、昔から今までずっと、教師である以前に父であった。
父は、大の酒好きで、飲み会ともなると酔っ払って帰ってくることもしばしばだ。どこにでもいる「お父さん」と同様に、ダメダメな一面をたくさん持っている父。私たち家族の前では、ごく普通の人間臭い父親なのだ。
しかし、そんな父も、学校へ行って生徒を前にすると「教師」になる。そして、私の中で「父親」という存在から、「憧れ」の存在へとシフトするのだ。
父を初めて「教師」と認識したのは、前述したように、部活の指導に連れて行ってもらった時だった。練習中、生徒を指導する父は、大きな声で指示を出し、幼い私からしたら恐さを感じてしまうこともあるくらいの迫力であった。しかし、ひとたび休憩になると、生徒が父の所に寄ってきて、ワイワイ楽しそうに話しているのを見ると、子どもながらにその光景がとても素晴らしいもののように感じた。そして、父を誇らしく思ったものだ。
では、なぜ父は生徒からの信頼を得るのだろう。「パパ先生」を見てきて、一つ確かにわかったこと、それは、父は常に生徒の目線に立って考えているということだ。もちろん、指導すべきところは指導するが、生徒と言葉を交わすときは、生徒の気持ちをくんで、常に生徒の等身大に合わせているのだ。教師の中には、生徒が見上げないと目の合わないような教師がたくさんいる。しかし、教師というのは、生徒と目線が合わなかったら、腰をかがめて、膝を折ってその目線を捉えてあげるべきではないのか。この根本的で最も大切なことを、私は父の生徒に対峙する背中を見て知ったのだ。それから、以前、自宅で父が作成していた理科の授業プリントを見たことがあった。すごかった。そこには、父の手書きのコメントとイラストが添えられていたのだ。あれほど難しくてかたい理科のイメージを、一瞬にして払拭してしまう、そんな魔法の一枚に思えた。そして、父の授業を受ける生徒を少し羨ましく思ったりもした。この魔法の一枚のおかげで、きっとハードルを生徒の等身大まで下げることが可能となったのではないだろうか。
以上のことを私は父から、言葉ではなくその身をもって教わった。むしろ、言葉では伝わっていなかったのではないかと思う。
そして、もう一つ、私は「パパ先生」から、「自分を大切にする」ということを教わった。
父は多趣味である。中でも、料理は、父の最大の趣味であるように思う。というのも、我が家の食事はほぼ毎日、父が自ら好んで作るのだ。父の中で料理はもはや、家事の一環ではなく、一つの趣味なのだと思う。
なぜこれらの趣味が自分を守ることになるのか。ご存知の通り、教育現場というのは、非常にストレスフルな場所である。その環境に負けないように、日常生活のどこかに心の逃げ道を作っておかなければならない。それが趣味だ。父は無意識下でその逃げ道を、毎日の中で見出しているのだと私は思う。強くなろうとするのではなく、自分を大切にしてあげていいのだと、私は父から教わったような気がする。
「パパ先生」。その背中から教わったことはとてつもなく大きい。
しかし、その背中を目の前にして、父を憧れと称するところで私は止まってはならない。まずは追い付こう。そしていつか、その背中を追い抜き、自分の道を切り開いていかなければならない。その道標となってくれる「パパ先生」の存在に感謝し、明日も明後日も、パパ先生の背中と自分の夢を追い続けていきたい。
Posted by a6hootazemi in いけなっぱ
初めまして。これから太田ゼミでお世話になる尚未です*
カテゴリー名の「いけなっぱ」は、小学校時代につけられたあだ名です(笑)
小学生がつけたあだ名なので、センスのかけらもないことはどうか見逃してください。
「パパ先生のこと」
私が教師になろうと心に決めたのはいつからであったろう。
そう考えを巡らせてみた時、最終的に行きつく先はいつでも、父であるように思う。
父の広くて力強い背中を見てきた私の過去が、「教師」という夢を追う今を、そして私を、突き動かしてくれているのではないだろうか。
「パパ先生」。その人は、私がこの世に生を受けてから初めて触れた教師である。そして、教師であり、私の父でもある人物だ。
「パパ先生」。この呼び名の由来を話す前に、私の父について話しておこう。
父は、中学校の理科の教師歴が二十数年にのぼる、いわゆるベテラン教師である。現在は、教頭という管理職に就いてしまったため、教壇に立って授業をすることこそ少なくなってしまったが、子どもを思う気持ちは昔も今も全く変わらないようだ。
そして、父は、自分が中学・高校・大学とバスケ部に所属していたこともあり、赴任先の学校ではどこでもバスケ部の顧問を務めてきた。そして、ここに「パパ先生」という呼び名の由来がある。
私の両親は共働きである。そのこともあって、土日などの休日、そして夏休みなどの長期休暇になると、父は、当時まだ幼かった私・姉・弟の3人を、よく勤務先の学校に連れていってくれたものだ。そして、体育館でバスケ部の指導をする父の横で、その光景を見ていたり、おもちゃで遊んだり、校庭で砂遊びをしたり、時には練習の休憩中になると、お兄さんお姉さんが一緒に遊んでくれたりと、そうやって休日を過ごした記憶がたくさん残っている。そして、その時私たち3人の面倒を見てくれていたお兄さんお姉さんたちが、私たちの前では父のことを「パパ先生」と呼んでいたのだ。
この「パパ先生」は、昔から今までずっと、教師である以前に父であった。
父は、大の酒好きで、飲み会ともなると酔っぱらって帰ってくることもしばしばだ。何も予定のない休日は、一日中ごろごろしている時もあれば、母に怒られながらも集めた釣竿の手入れを延々としている時もある。
こういった、いわゆる「ダメダメ」な一面も父はたくさん持っているし、疲れていたりするとイライラして家族に当たることだってもちろんある。つまり、私たちの前ではどこにでもいる普通の人間臭い父親なのだ。
しかし、そんな父も、学校へ行って生徒を前にすると「教師」になる。そして、私の中で「父親」という存在から、「憧れ」の存在へとシフトするのだ。
父を初めて「教師」であると認識したのは、前述したように、部活の指導に連れて行ってもらった時だった。練習中、生徒を指導する父は、大きな声で指示を出し、時には生徒を叱り、時には実際に自分がやって見せたりと、幼い私からしたら恐さを感じてしまうこともあるくらいの迫力であった。しかし、ひとたび休憩になると、生徒が父の所に寄ってきて、ワイワイ楽しそうに話しているのを見て、子どもながらにその光景がとても素晴らしいもののように感じた。そして、父を誇らしく思った記憶がある。
そのように、なぜ父は生徒からの信頼を得るのだろうか。そう考えてみても、まだその答えを全て導き出せるわけではない。しかし、父の教師としての姿を見てきて、一つ確かにわかったこと、それは、父は常に生徒の目線に立って考えているということだ。もちろん、指導すべきところは指導する、叱るべきところは叱る、だが、生徒と言葉を交わすときは、生徒の気持ちをくんだり、時には冗談を言ったり、時には自虐をしたりと、常に生徒の等身大に合わせているのだ。教師の中には、生徒が見上げないと目の合わないような教師がたくさんいる。私もかつて、そういった教師にはたくさん出会ってきた。
しかし、教師というのは、生徒と目線が合わなかったら、腰をかがめて、膝を折ってその目線を捉えてあげるべきではないのか。生徒が自然と伸ばした目線の先に教師がいるべきではないだろうか。この根本的で最も大切なことを、私は父の生徒に対峙する背中を見て知ったのだ。それから、以前、自宅で父が作成していた理科の授業プリントを見たことがあった。すごかった。わかりやすかった。面白かった。そこには、父の手書きの説明と、手書きのイラスト、そして、少々のギャグが書かれていたのだ。あれほど難しくてかたい理科のイメージを、一瞬にして払拭してしまう、そんな魔法の一枚に思えた。そして、父の授業を受ける生徒を少し羨ましく思ったりもした。この魔法の一枚のおかげで、きっとハードルは生徒の等身大まで下がり、飛び越えられる、または飛び越えようとする生徒が増えるのではないだろうか。
生徒の目線に立って考えることの大切さ。私は父から、言葉ではなくその身をもって教わった。むしろ、言葉では伝わっていなかったのではないかと思う。
そして、もう一つ、私が「パパ先生」から教わったことがある。それは、自分の守り方だ。この「守る」というのは、心が崩壊しないために、精神的な面において自分を守るという意味だ。
父は多趣味である。前述した釣に加えて、お酒、車、バスケットボール、ギターなど、本当に多岐にわたっているが、その中でも、料理は、父の最大の趣味であるように思う。というのも、我が家では、朝晩の食事は全て、ほぼ毎日父が作るのだ。母が料理が出来ないというわけではない。むしろ、作ろうとするのだが、そうすると父は怒るのだ。だから、父の中で料理は家事の一環ではなく、一つの趣味なのだと思う。
なぜこれらの趣味が自分を守ることになるのか。教育現場というのは、ご存じの通り、非常にストレスフルな場所である。その環境に負けないように、日常生活のどこかに心の逃げ道を作っておかなければならない。それが趣味だ。父は無意識下でその逃げ道を、毎日の中で見出しているのだと私は思う。すとれす耐性を強化していくのではなく、ストレスを少しずつ抜いてあげるのだ、強くならなきゃと思うのではなく、自分を守ってあげていいのだと私は父から教わったような気がする。
「パパ先生」。その背中から教わったこと、昔の私では気付けなかったことが、こうして今自分の言葉で文章に出来ている。そして、今の私では気付けないことが、何年後・何十年後にまた言葉にすることが出来るのかもしれない。
つまりは、その背中から教わったことがとてつもなく大きいものであるということだ。
しかし、その背中を目の前にして、父を憧れと称するところで私は止まってはならない。まずは追い付こう。そしていつか、その背中を追い抜き、自分の道を切り開いていかなければならない。その道標となってくれる「パパ先生」の存在に感謝し、明日も明後日も、パパ先生の背中と自分の夢を追い続けていきたい