1 月
6

あっという間にお正月もおわりですね。

Posted by a6hootazemi in あさの

あけましておめでとうございます<(_ _)>今年もよろしくお願いします!
私は、年末にひいた風邪がまだ完全に治っておらず、一日にティッシュを1箱使いきるほどの鼻水と今もたたかっています!笑

それでも、お正月は年越しを楽しんだり、バイトで福袋も頑張って売りました(*^_^*

 

前回アップした内容について、先生から指摘していただいた部分についてですが、小論文的な書き方は自分なりに修正してみました。人名の「○○さん」も、「○○氏」に直しました。

常識的な内容にとどまっているという部分については、今は、手持ちの資料しかないので、また学校が始まって、新たに書き加えられたら加えていきたいと思います。今日は、前回が学級についてだったので、そのつづきの学級経営についてまとめたものを載せます。また常識的な部分だけになってしまっているのではないかという不安もありますが、自分なりに進めてみました。


 

1-3 学級経営について考える

 学級経営について考えた際、はじめは生徒指導や子どもたちの人間関係、教師と子どもの関係などが主なものだろうと考えていたが、教育実習やインターンシップ先の小学校で、実際に見たり、聞いたりしていく中で、先に述べた他にも、教室環境、事務処理そして授業も学級経営の大切な内容であることがわかってきた。こうして考えていくと「学級経営」と一言で言っても、その範囲は広く、内容も様々である。ここでは、学級経営の意義やねらい、内容についておおまかにまとめていく。

 

学級経営の意義とねらいとは


 学級経営とは、学級の教育目標の実現を目指して、学級教育の総合的で意図的な計画を立案し、その効果的な運営と展開を図ることである。

 学校における児童生徒の人間形成や成長発達は、その大部分が学級の中で行われるし、また学校生活も学級を単位とし、学級生活を基盤に展開する。

 したがって、学級経営が効果的に行われるかどうかによって、児童生徒の学校生活や人間関係が豊かになるかどうかが左右される、といえるほど学級経営は大切な教育活動である。[1]


 


学級経営のねらいは、一般に学級の教育活動をいかに盛り上げ、その改善を適切に図っていくかにある。

 学級経営は、一人ひとり独自の個性をもった児童生徒を、ひとつの学級組織において、学習・生活の2つの指導の面にわたって集団的諸活動を基本としつつ、生かし伸ばしていく経営活動として学校教育において重要な意義と役割を有しているのである。[2]


 

学級経営とは、学級を基本の組織として展開される教育活動にかかわる学級担任のすべての職務活動、仕事であると言える。学級は、児童生徒にとっては毎日の学校生活のよりどころとなる場所であるので、子どもたちの学習意欲や生活の基本的習慣を身につけさせる経営の仕方が大切になってくる。学級経営は児童の学校生活に密接にかかわってくるものなので、とても重要な教育活動である。それぞれの学級、学年、学校の実態に即して、学校教育の目標につながる学級経営をしていかなければならないことは、いうまでもないだろう。

学級経営の教師による教育活動の内容としては、一般的には6つ挙げられると言われている。その6つとは、集団経営、教室経営、事務経営、連携経営、生徒指導経営、学習指導経営である。以下にその6つの活動を簡単にまとめていく。

 


    集団経営(人的経営)

児童生徒相互の人間関係づくりの支援や、個々の子どもと学級内諸集団との適応関係の調整等を行う。集団の好ましい雰囲気づくりに重点を置く「集団維持機能」の育成と、集団として共通の目標の達成に重点を置く「集団目標達成機能」との2つの機能に分けて考えることもできる。

 

    教室経営(物的経営)

児童生徒の生活の場である教室について、学習や生活がよりよくできるための条件整備の教育活動である。教育的に意味のある施設や設備。健康で安全な採光・換気・保温。魅力があり、美しく清潔な教室などを目指す。

 

    事務経営

学級経営事務(学級経営案、学級だより)、指導要録、出席簿など

 

    連携経営

「開かれた学校」の趣旨に基づく「開かれた学級」の観点に立つ学級経営である。学級経営の目標や内容、努力点等を他の学級の教師、保護者、地域の方々に理解・信頼してもらうとともに、協力や相互の仕事の分担もしてもらう。また、日常の相互の、児童生徒の教育のための連携も不可欠となる。学年経営、学年会との連携や、ティーム・ティーチング、他学級との交流、学級懇談会の開催などがある。

 

    生徒指導経営(適応指導経営)

学級内において、児童生徒が心理・情緒的に安定し、心の居場所を得ることによって自分のよさや可能性を生かし、当面する諸問題を主体的に解決し、豊かな学級・学校生活を送れるように、支援する。そのためには、学級内における教師と子ども、子ども相互の人間関係を育てるとともに、自己指導能力を育成していくために努力していく。

 

    学習指導経営

児童生徒にとって学校生活の大部分は教科等の学習の生活であるが、その学習生活が豊かに充実したものとなるよう、その基盤づくり、条件整備を行うのが、学習指導経営である。まずは、教師が知識・理解に偏らない新しい学力観を身につけることが大切である。次に、子どもたちが相互に教え合い、教師が支援することで、各教科の学習の仕方を学んだり、学習の習慣化を図ったりしていく。また、朝の会や帰りの会でその日の学習の計画や準備、一日の学習のまとめや整理を行い、翌日への動機づけができるように、支援していく。そして、児童生徒一人ひとりのよさや可能性の生かし方は、集団の中での相互の高まり合いを通してこそ、より効果的に行うことができる。子どもたち相互のよさの高めあいのできる場を日常的に用意していく。[3]


 

 このように、学級経営における教師の教育活動は多様であり、どれも重要であるとわかった。また、この6つの教育活動は互いに密接にかかわっているように思う。例えば、集団経営と生徒指導経営はどちらも人間関係づくりにかかわっているので、目的が同じとなる場合もあるだろう。教室経営と学習指導経営においても、学習環境の整備という点でかかわってくると言える。

先にも述べたように、私は学級経営と言うと、子どもたちにとって居心地のよい学級づくりにむけての「子ども同士や教師と子どもの人間関係」の部分を重視していたが、子どもたちがよりよく学級生活を過ごしていくためには、それだけではなく、他の教育活動も大事にしていかなければならない。特に、学校生活の大部分は、教科の学習ということなので、授業も重要な一つの柱であるといえる。授業は授業、学級経営は学級経営と切り離して考えるのではなく、授業においても学級経営の発想が必要なのである。そして、学級の子どもたちが学校生活の大半を過ごしている「教室」の環境づくりも学級経営の大切な仕事である。教室環境についても意図的・計画的におこなっていくことで、居心地のよい学級につながっていくと考える。

 これを踏まえて、次に、学級経営にかかわる学習指導、そして生徒指導、教室環境についてのポイントをまとめていきたい。

 

1-4 学習指導を支える学級経営

 学級が教科指導のために授業の効率化という観点から誕生したことは第一章のはじめでも述べたし、歴史の部分で詳しくまとめていく。このように、教科指導のために組織された学級であるが、その教科の授業の在り方が子どもたちに疎外感を与えてしまうこともあるだろう。授業が理解できず、クラスの仲間とも連携ができずに孤立し、それがだんだんと問題行動へと結びついていくということも起こってくるという。

 そこで、そのようなことが起こらないように、学級経営の発想を取り入れた学習指導を行っていくことが大切なのである。以下にそのポイントをまとめる。

 


・教科の授業1時間1時間が子どもに自分の存在感を感じさせたり、自信を育てたりするものとなるようにする

・子どもたちの学習意欲を育てるために、問題解決学習や課題選択学習の重視、子ども自身にやりたいことを発見させたり、問題意識を持たせたりする指導など、さまざまな工夫をする

・学級において学習を支える連帯感をつくる。互いに支え合って学習していく、また、人とかかわり合って学習していく学級をつくり上げていくことが、学習意欲を育てることや、学習の継続にとって重要となる [4]


 

子どもたちの自信を育てる授業は教科指導のねらいを達成するとともに、自己実現をもたらす学級経営の展開にもなると言えるだろう。子どもたち一人ひとりの「わかる、できた」という気持ちを大切にしていくことによって、授業での存在感や自信を育てていきたいと考える。その存在感や自信が学習意欲とも深くかかわってくる。そのような授業を行っていくことが学級経営においても重要なのであり、そのために教師は、授業の方法、内容、学習形態等をはじめ、常に授業研究を行っていく必要があるということは言うまでもないことである。「教師は授業で勝負する」と言われているが、授業のよしあしが学級経営に大きくかかわってくるということを忘れずに日々取り組んでいかなければならない。

 

 

1-5 生徒指導と学級経営

 学級経営には、子どもの人間関係を育てる働きかけを通して、それぞれの子どもに自らの存在感を与える人間形成の機能がある。これは、生徒指導と表裏の関係にあるもので、子どもたちの人間関係や個々の自己存在感を育てる充実した学級経営は、そのまますぐれた生徒指導となるものであると言われている。このことは、先に述べた学習指導でも同じといえるだろう。

 生徒指導については、発生した問題行動に対する対処や指導としてとらえられることがあるが、実際はいかに問題を起こす子どもを育てないかということが大切なのであり、日常からの指導の積み重ねが重要となってくる。そのために、日々のわかりやすい授業の展開、学校行事などの充実、深みのある人間関係の育成、それぞれの個に応じた学習環境の提供、などの学級経営の存在が欠かせないのであるという。学級経営の充実は生徒指導の充実に結びつき、子どもたちの人間的な成長につながっていくのである。生徒指導において学級経営はなくてはならないものなのである。このような点からも、子どもの自己実現を図る働きかけが、学級経営の重要な柱となっていると言える。そこで、生徒指導の基盤となる、人間関係や自己実現、自己存在感を育てる学級経営のポイントを以下にまとめる。

 


・学級経営では担任の教師がさまざまな側面から子どもをトータルにとらえて、理解を深めることが重要である。(子ども理解に始まり、子ども理解に終わるのである)

・学級担任として個々の子どもの姿や相互の人間関係をしっかりととらえる子ども理解のスペシャリストとして、また、人間についての深い洞察力をもち、子どものよき理解者として自らの力量をみがいていく

・個を大切にした学級経営、一人ひとりの個性の違いを受容する学級経営の展開

・あらゆる場面、活動を通してさまざまなリーダーを育成していく。リーダー観、リーダー指導観の転換を図る。

・問題行動への対応として、早期発見と早期対応を心がける。そのため、学級担任は、日頃から、子どもたちから出されるサインを見逃さないように、きめ細やかな観察を継続していく

・子ども自身に考えさせ、自分で何かを得たという経験を通して自信をもたせる

・クラス全体で協働してひとつの事を達成したという充実感や満足感を味わわせること。さらにこれらを通して共感的な人間関係を育てていく

・学級担任は、子どもの成長や人生の歩みを間近に見ることができるが、同時に、その生き方を子どもたちに見られるところに立っているので、年齢を越えて、人生という共通の土俵をともに歩んでいく共感的な交流を育てていくことを大切にしていく

・出会いの大切さを確認する。たった一度の運命的な出会いを自覚し、学級における子どもたちとの出会いの喜びを大切にし、それを豊かに育て深める学級担任であり続ける [5]


 

個性の違いを受容する学級経営の展開をしていくことで、それぞれが独自の存在であることを受容する人間関係を育てていく。そうすることで、子どもたちの中にある過度の同調志向の改善を図っていくことができる。子どもたちは、クラスの仲間がそれぞれどのような性格や力を持っているのかを互いに評価し合っていることが多く、それが学級の雰囲気を重いたいものにし、クラスに存在する価値体系を固定化してしまうのだという。同調志向が強くなると、「仲間はずれ」というようないじめの手段に発展していってしまう可能性がある。そこで、教師が、固定化した子どもたちの価値観を揺さぶり、「新しいものの見方や価値観を広い視野からとらえることのできる子どもたちを育て、多元的な学級文化の創造を図っていく学級経営の展開」[6]が必要とされている。教科の授業や学級活動、学校行事などにおいて、一人ひとりの個性を引き出す指導や、学級の仲間それぞれの互いのよさを認め合う働きかけが大切となってくるのだ。

リーダーの育成に関しても同様である。これも学級における人間関係育成の問題と言えるだろう。学校や学級のリーダーというと、たとえば、面倒見のよい子や聞き分けのよい子、みんなをまとめる力のある子などというように、限られた特定の人と考えてしまいがちである。そのため、リーダーの育成ということは、特定の子どもに対する指導ととらえられてしまう場合もある。しかし、ここで大切なのは、学級の中にさまざまなリーダーを存在させるということである。例えば、運動や特技などでみんなの先頭に立つ子がいれば、授業において活躍する子もいる。ボス的な存在として力を持っている子もいれば、学級の人気者やみんなを笑わせてくれるお調子者の子もいるだろう。授業の場面をはじめとしたさまざまな場面において、それぞれの異なるタイプのリーダーが存在し、リーダーシップを発揮しているのである。教師はこのことをしっかりと把握して、そのうえで「さまざまなタイプのリーダーの育成を目指してどの子もリーダーの体験をという方針を掲げ、多様な質や種類の活動を企画し実施する学級経営の展開」[7]をしていくことが重要となってくる。

これらのポイントにあることを心がけていくことで、お互いを認め合える人間関係を育成していくことができるだろう。そして、認めあえる人間関係があることで自己実現、自己存在感を育てていくことへもつながっていくと考える。一人ひとりが居場所を感じられる学級づくりにむけて、日常の積み重ねを大切にしていかなければならない。

 

 

1-6 教室環境と学級経営

 学校に登校してきた子どもたちは、学校生活の大部分を教室で過ごしている。学級の子どもたちにとって教室は自分たちの部屋と言えるだろう。そのように、子どもたちにとって「自分たちの部屋」と思える教室環境を作っていくことを目指していきたい。教室環境を整備することは、学級の雰囲気を形成するのに非常に重要であり、そこには教師の教育観や、子どもたちの個性がはっきり表れると言われている。教室環境の在り方は学年によって異なってくることは、言うまでもないだろう。教室環境の整備は、子どもの発達段階に合わせて行っていくのである。たとえば、インターンシップなどで学級に入った際に、低学年の教室に入ってみると、かわいいイラストや掲示物が多く、また、高学年の教室に入ってみると、授業の内容にかかわる資料が多く掲示されているのをよく目にする。

 


 発達と教室環境について考えるときには、生活環境としての教室と、学習環境としての教室の2つの側面を念頭に置く必要があるだろう。というのは、学年発達の初期の頃は、生活環境と学習環境がほぼ同義であるのに対して、学年が上がるにつれて、それらが乖離してくるからである。 [8]


 

 学級の特質が生活集団と学習集団の2つの側面を持つと同様に、教室の環境も生活環境と学習環境の2つの側面を持っているのである。小学校低学年の子どもたちにとっては、学校における生活全般が、基礎的な認識を形成する場であるので、学習はなるべく「生活」と密着した部分で行われる方がよいという。

一方、高学年になると、教室は生活環境としての性格を残しつつも、学習環境としての意味づけをはっきりもってくるので、学習の内容が高度になるに従って、学習の対象が身の回りの物から抽象的なものへと変わってくるのであるから、教室も生活の場としてではなく、学習の場として認識されるようになってくるのであり、教室のもつ「資料性」が高くなるのであるという。

生活環境、学習環境のどちらにおいても、だれが構成するかも変わってくる。学年が進むに従い、教師主導の環境づくりから、だんだんと子どもに任せる部分を増やしていくことが重要となってくる。子どもたち自身で教室環境づくりを行うことによって、より「自分たちの部屋」と感じられるのだろう。

 

学年の進行とともに、教室環境の整備はかわってくるということで、小学校の場合で低学年、中学年、高学年ごとにその工夫を以下にまとめていく。 

 

低学年の教室環境


○教室は楽しくカラフルに

・掲示はあまり文字に頼らないようにしたい

・すべての掲示に、動物などのかわいいキャラクターを作るなどの工夫をすることで、掲示がとても楽しくなる

・入学当初は、子どもたちを学校の雰囲気に慣れさせるために、小さなぬいぐるみを置いておくなどの工夫で、教室はぐんと明るくなる

・生活科との関連も踏まえ、ザリガニや魚を教室で飼うと、いきいきとした教室になる

○作品を継続的に掲示する

・自由に表現させることを大切にし、表現に興味をもたせたり、意欲を高めていったりするようにしていく

○季節に応じた教室環境づくり

・低学年の場合は、あらゆるものが生活科に結びついているといっても過言ではないので、生活科を意識した環境づくりをしていかなければならない

・季節感を出すことで、気温の変化や季節の変化と一年間の生活・学習の過程を関連づけていくことができる

○椅子や机の使用は柔軟に

・低学年の授業では、身体を使った表現が重要だし、製作活動にも力を入れたい。こういったことをダイナミックに行うために、教室の机の配置を固定的に考えず、その時の中心になっている教科や単元に合わせて、柔軟に配置する [9]


 

教育実習では2年生、インターンシップでは1年生の学級に入っているので、低学年の教室に入る機会が多い。実際に見てきた中で、上にあるような工夫がたくさんされていたことに気づく。実習で入った2年生の教室は、学級担任の先生がネコのキャラクターで掲示物をかわいらしく統一していた。インターンシップ先の1年生の学級では、担任の先生が「ラビちゃん」というウサギのぬいぐるみと、そのお友達ということで、いくつかのぬいぐるみを置いており、雨の日の休み時間など、子どもたちは教室の中でラビちゃんと遊んでいる様子もあった。その先生は、ウサギのキャラクターで教室をかわいく掲示している。このように低学年の教室は先生の好きなキャラクターなどで掲示物を統一していき(キャラクターで統一していない学級ももちろんあるが)、教室を明るく、かわいくしていくことで、子どもたちに親しみをもたせているのだろう。

 

中学年の教室環境


○学習に関連した資料を準備

・社会科や理科の授業で必要な年表、絵図、国語の詩等を、教室の壁に掲示しておく

・単元の進行に従って増えていく資料を、一度に見ることができるように計画する

○実物やモデルの持ち込み

・単元で扱うものに興味を持たせたり、観察させたりするために、教室の窓際の棚の上などに置いておく。同じものを長期にわたって置いておくのではなく、授業の進行に合わせて、次々に新しいものを持ちこむようにする

○ロッカーなどの自己管理

・教室のロッカーなどの収納スペースには、絵や習字の道具等のほかに、休み時間や学級活動で使うものを整理して入れておく。ボールや縄跳び等であるが、同じ者同士でまとめるか、班ごとに違うロッカーに入れるなどの決まりを作って、自分たちで管理させるようにしたい

・工作や壁新聞づくりで使う、マジックインキ、サインペン、色鉛筆、画用紙、模造紙、のり等も自分たちで管理させるように、徐々にもっていく [10]


 

中学年になると、教室の環境にも学習内容と絡んだものが増えてくる。この段階での留意点は、徐々に子どもに環境整備を任せていくことでるという。生活班やそれぞれの係の活動もしっかりしてくるので、班や係を使って、独自の環境づくりを行っていける。

 

高学年の教室環境


○多様な資料

・例えば、社会科の場合、学習資料をそろえるといっても、単一の資料だけではなく、ひとつの事について、いくつかの角度から見たものを、並行して準備しておく

・興味をもったことをすぐに調べられるように、事典や資料集を教室図書に入れておくことも考える

・図書コーナーの本は、常に置いておくもののほかに、単元の進行に合わせて、関連のあるものを図書室から持ち込めるようにする

○学習結果の交流

・個人やグループによる調べ学習の結果を模造紙などに書いて掲示することは多いが、その学習結果を互いに読まなければならないような授業を行うなど、学習結果の相互交流を工夫する [11]


 

高学年になると、学習の内容が高度になってくるので、単元ごとに置かれる資料はもちろん、教室の図書コーナーに置く本の吟味も重要となってくるだろう。

 

このように、発達の段階によって教室環境の整備も工夫していくことが重要であるが、学年の進行にかかわらず、教室環境において共通しているポイントもある。

 

学習環境の整備のポイント


・教室空間を魅力的なものにするために、変化を与え、子どもの学習意欲を刺激するような動きのあるものにする。月ごと・季節ごと・学期ごとと教室に変化をもたらす年間を通した学習環境の整備に関する計画を作成する

・個々の子どもに応じた学習指導の実現を目指し、子どもの学習意欲を刺激し、育てる手だてとして、子どもたちの手にいつでも届くような身近なところに豊富な教材・教具を準備しておくこと

・授業の単元や題材の展開に並行して教室の学習環境も計画的に変化させていく

・子どもたちにとって教室が自分たちの空間であるという意識を育てるために、教室の学習環境整備に当たって子どもの参加や、学級担任と子どもの協同による環境づくりの計画を練る

・掲示や展示のゾーンを目的別に分けることで、教室の中をすっきりさせる  [12]

・教室前に掲示するものは必要最低限にすること。余計なものをやたらと掲示すると授業中、掲示物以外の情報が入ってきて、注意欠陥の障害を持っている子をはじめ、集中力に欠ける子は、そこばかりに注意が行き、学習に集中しなくなる

・子ども一人ひとりの名前があるようにする。教室の中に子どもたちの名前があふれていることにより、それだけで「自分の名前がある」という安心感や所属感がうまれる

・教室をいつもきれいな状態にする。乱れた教室環境では、乱れた心しか育たない [13]


 

 いじめや学級崩壊などが起こる教室では、教室内が整理・整頓されていなかったり、ゴミがよく落ちていたりしているというような共通点があると言われている。教室の中が荒れていると、子どもたちも荒れてくるということらしい。人は環境に適応する能力が高いため、落ち着かない環境でも生活を送ることができる。教室が散らかっていたり、ゴミが落ちていたりしても、気にならなくなってしまう。だんだんと慣れていってしまうという。しかし、それでは、無意識のうちにそのアンバランスな環境が心の安定を崩しているのだという。教室環境を整備していくことは、子どもたちにとって、快適に生活や学習しやすい環境を整備することだけでなく、学級の秩序づくりにもつながっていると言えるのではないだろうか。学年や学習内容の進行とともに、教室環境を整備していくことで、子どもたちにとって居心地のよい教室を作っていくことが大切である。教室が学級一人ひとりの子どもにとって、「自分たちの部屋」と感じられるように、環境整備を工夫しておこなっていく必要がある。

 

 

 

 

 

 




[1] 「新学校教育全集12 学級活動」 小林 一也/永岡 順:編 19941120日 株式会社 ぎょうせい p.57


[2] 「新学校教育全集22 学級・学年経営」 永岡 順/奥田 眞丈:編 1995120日 株式会社ぎょうせい p.6


[3]「新学校教育全集12 学級活動」 小林 一也/永岡 順:編 19941120日 株式会社 ぎょうせい p.5762より抜粋


[4] 「新学校教育全集22 学級・学年経営」 永岡 順/奥田 眞丈:編 1995120日 株式会社ぎょうせい p.4547より抜粋

 


[5] 「新学校教育全集22 学級・学年経営」 永岡 順/奥田 眞丈:編 1995120日 株式会社ぎょうせい p.5055より抜粋


[6] 「新学校教育全集22 学級・学年経営」 永岡 順/奥田 眞丈:編 1995120日 株式会社ぎょうせい p.52


[7] 同上 p.53


[8] 「新学校教育全集22 学級・学年経営」 永岡 順/奥田 眞丈:編 1995120日 株式会社ぎょうせい p.148

 


[9] 「新学校教育全集22 学級・学年経営」 永岡 順/奥田 眞丈:編 1995120日 株式会社ぎょうせい p.150-153より抜粋


[10]  「新学校教育全集22 学級・学年経営」 永岡 順/奥田 眞丈:編 1995120日 株式会社ぎょうせい p.153-154より抜粋


[11] 同上 p.154-155より抜粋


[12] 「新学校教育全集22 学級・学年経営」 永岡 順/奥田 眞丈:編 1995120日 株式会社ぎょうせい p.47 ,151より抜粋


[13] 「“子ども集団づくり”原理原則入門 Ⅳ 子どもが集団力を発揮する基礎技術70」 青坂 信司:編 20067月 明治図書出版株式会社 p.136~150より抜粋



12 月
30

今年もあと二日!

Posted by a6hootazemi in あさの

私も久しぶりの投稿になってしまいました。ここ最近、風邪をひいたらしく咳と鼻水に苦しんでいます。

最近の出来事はというと、23日に吹奏楽部の定期演奏会に行き、26日に管弦楽団の定期演奏会に行ってきました。同じ定期演奏会といっても、吹奏楽と管弦楽では曲の感じが全然違うんですね(^^ゞ。音楽はあまり詳しくないのですが、生の演奏の迫力や、4年生の引退の涙にとても感動しました。

そして、何より太田先生がチェロを演奏している姿を見ることができてよかったです。先生だけではなく、ステージに立っている人たちは衣装も、演奏姿もかっこよくて、私も何か楽器が演奏できたらよかったな~という気持ちになりました(^^)笑

今回は、第一章を少し進めたので載せたいと思います。第一章は、学級や学級経営について考えていきたいと思います。

第一章       学級とは

 

1-1 学級とは何か

 まずは、学級経営の対象である「学級」について考えていく。学級について私が率直にイメージするものは、教室の中にいる児童生徒たちの集団である。ここでは、学級の特質や意義、問題点等について考えていきたい。

 

学級とはなにか


学級とは、教師が学習者を指導するに当たって、計画的かつ継続的に有効な教育指導を行う必要上から組織された学習者の集団単位である。[1]


 

学級にはさまざまなとらえ方がある。中でも基本的には次の3つの見方になる。

 


 第1は、教師と児童生徒との間の指導関係、または児童生徒相互間の学習関係を重視する立場から、学級を「教育的学習集団」と見る見方である。

 第2は、児童生徒間の協同的、集団的人間形成関係を重視する観点から学級を「教育的生活集団」と見る見方である。

 第3は、学級は学年・学校の組織編成の基礎となる組織集団であり、学校の有効適切な管理運営を行っていく上で必要な「管理運営の組織単位」と見る見方である。[2]


 

 このように、学級をどう見るかは立場によって異なる。学級経営の視点から考えた際、一般的には、教育的学習集団と教育的生活集団の2つの特質が重要となってくるだろう。教育的学習集団とは、学習指導のための学習集団である。学級の歴史については第二章で詳しく述べるのだが、もともと学級は学習指導の効率化を図るために誕生したものである。そして、教育的生活集団とは、生徒指導のための生活集団である。現在の日本の学級では、生徒指導の役割も学習指導と同様に重要とされている。

 次に学級の意義について学級の特質である学習指導と生徒指導の二つから意義を考えていく。

 

学習指導における学級の意義


少なくとも、一人の教師が数十人の子どもを指導することができることは、学級という組織の最大のメリットである。学級における学習指導は、一斉指導を基本として進められるから、子どもは足並みをそろえて前に進むことができる。個々の子どもの理解力や学習の進度等、子どもの学習上の適性を考慮し、個別指導などを組み合わせていけば、学習指導の効果も期待できる。[3]


 

生徒指導における学級の意義


学級という集団は、子どもの学校生活の基礎となる集団である。同年齢の集団という意味で、その人間関係は限られたものとなるが、社会性の涵養における学級の意義は小さなものではない。自由と規律、権利と義務、分担と協働等、人間の社会生活における基礎的態度や能力を培うことが可能である。[4]


 

以前、何かの本で、「学校は大人社会の縮図である」という言葉を目にしたことがある。子どもは学校の中で勉強を学ぶだけではなく、学校という社会の中で、社会に出たときに必要な態度や能力も身につけていくのだ。

とくに、近年では、少子化や核家族化、地域関係の希薄化などにより、子どもが日常生活の中で自然に人間関係を学ぶ機会が少なくなってきているといわれており、子どもたちのコミニュケーション能力の低下が叫ばれているのをよく耳にする。家庭や地域が人間関係の学習の場でなくなってしまい、その結果、人間関係をうまく築くことのできない子どもが増えているというのだ。つい最近まで子どもであった私が、昔の子どもと今の子どもの違いを比べようがないので、実際のところはよくわからないが、とにかく、これからは学級という生活集団の中で人間関係などを学んでいくことが必要とされている。このことは私も重要だと考える。

 

 また、学級の特質を考えるときに忘れてはならないことは、「継続的指導の必要上から組織された集団」[5]という特質であるという。継続性ということは重要で、ある授業をおこなうために、学習する人が急に一時的に同じ教室に集まったとしても、それを学級とは呼ばないのだ。つまり学級は「期限付きで人為的に学校内に編成された生活集団であり、学習集団」[6]なのである。 

 

 

1-2 学級の特質の問題点について

 学級の意義や特質について二つの面から見てきたが、学級の持つ特質には問題点もある。教師として学級を持つ以上は、学級の問題点を知っておかなければならない。そこで、ここでは学級の特質の問題点について考えていきたい。

 

学級の問題点


 第1は、通常、同年齢(同学年)の子どもによって編成されるということである。つまり、多様な年齢層の人々との接触は保証されないということである。もちろん、人間関係の基本的なことは、学級の中だけでも学びとれる。しかし、大人、年長の子ども、年少者との人間関係には、同年齢の子どもとの関係にはない要素もあり、学級の中で人間関係のすべてが修得されるわけではない。

 第2は、学級はある期間、固定された組織だということである。学級担任制をとる小学校では、担任教師も固定され、同学級に編成される子どもも固定されている。

 子どもの学校での生活の大部分は、学級での生活である。つまり、子どもは四六時中、同じメンバーと生活していることになる。学級は閉じられた人間関係の場であるということになる。こうした人間関係の場は、子どもに安心感をもたらす場合もあろう。

 しかし、その人間関係に不安定要因がある場合には、子どもは常にその不安定要因の中にいなければならないことになる。このような場合、子どもは学級での生活を苦痛と感じるようになろう。[7]


 

 問題点の一つ目は、学級が同年齢の子どもたちで編成されることによって、多様な年齢層の人々との接触がないということである。学級が同年齢の集団であるということは、今日では当たり前になっているが、それ自体に問題があるのだ。さまざまな年齢の人々と関ることでしか学べないこと、学ばなくてはいけないこともたくさんあるのだ。

 この問題については、最近では、小学校において異学年での交流が盛んにおこなわれるようになってきているので改善されてきているのではないかと考える。例えば、私のインターンシップ先の小学校では全校徒歩遠足という行事があった。私も参加させてもらったのだが、一年生から六年生までの児童が一つのグループになって、グループごとに目的地に向かうというものであった。遠足では、学校に入って間もない一年生の面倒を優しくみている五・六年生の頼もしい姿や、お兄さんお姉さんの言うことをしっかりと聞いたり、一緒に遊んでもらって嬉しそうにしたりしている低学年、中学年の児童たちの姿を見ることができた。また、実習先の小学校でも同様に、遠足は一年生から四年生(五、六年生は修学旅行や宿泊学習があるため参加しない)でのグループ行動で、異年齢集団との交流がおこなわれるようになっていた。私が小学生の頃の遠足は、学年全体で先生の指示のもと行動し、動物園や水族館を見学するという感じであった。それに比べて現在では、グループごとに事前に計画を立てて、行動するという感じになっていた。中学年、高学年の児童たちは、低学年の児童が困っていたら助けてあげるなどと、お世話をすることが大切な目的になっているようだった。これは、さまざまな学年の児童たちの交流を重視した活動となっているといえるだろう。最近では、このような形で遠足などの学校行事をおこなう学校が増えてきているようだ。

 平成20年改訂小学校・中学校学習指導要領の「特別活動」において異年齢集団による交流が具体的に示されていることからも、これからもさらに異年齢集団での交流は充実していくと考えられる。同年齢の集団である学級だけで活動するのではなく、学校全体でさまざまな学年の児童たちが交流する活動が重視されることによって、学級の中だけでは学べない人間関係もたくさん学んでいくことができるだろう。学級の問題点を学校の取り組みで補っていくということである。

 

 第2の問題は、学級の特質である継続性により、人間関係が固定化してしまうことである。そのことが、子どもにとって安心できる場となれば良いことだが、相性が合わないなど、人間関係に問題があった場合、子どもはその苦痛を感じて一年間生活していかなければならなくなってしまう。相性の問題には、子ども同士だけでなく、教師と子どもの相性という問題もある。教師はどの子も平等に扱っているはずなのであるが、子どものほうが教師との相性の悪さを感じる場合があるという。

また、閉じられた人間関係の場で起こる大きな問題としていじめがある。日本のいじめは、教室のなかで発生することが多く、同じクラスの同級生の間、特に女子などはグループ間での親しい者同士でいじめが起こったりするなど、一見外からはいじめが見えにくいという特徴をもっている。いじめは昔からあり、現在でも学級で起こる重大な問題の一つとなっている。いじめの問題について研究している森田洋司さんは、いじめには「いじめを取り巻く集団の四層構造[8]」が密接にかかわっていると言っている。単にいじめの加害者と被害者の問題なのでなく、それを取り巻く観衆や傍観者が多く、いじめを許してしまう学級かどうかが重要であるという。つまり、いじめが起こってしまうことはもちろん問題なのだが、いじめは起きるものであり、そのいじめをなくすか、増長させてしまうかが問題である。そして、それにおいて大事なのは、いじめのまわりにいる集団だということである。

学級は一定期間固定された人間関係の集団であるので、人間関係が固定化されやすく、いじめの構造がうまれると固定化されてしまうという危険がある。いじめを許してしまう構造が固定化してしまうことは、いじめを増長させてしまう。学級が編成されると一年間集団は継続される。そのことが児童にとって苦痛となり、学校や教室に行けなくなってしまうという悲しい現実が起こっている。いじめだけでなく、不登校の子や学級に行けない子どもたちは、固定化された学級集団になんらかの問題が起こり、苦痛を感じていることが原因となっている場合もあるのだ。

実際、このことは、私の行っている小学校の一年生のあるクラスでも起きていた。私はその一年生の学級に毎週お世話になっているのだが、夏休みが明けた9月に久しぶりに学級に入ると、男の子が一人転校していた。両親の仕事の都合などにより突然の転校となったのだろうと思っていたが、学級担任の先生から話を伺った際、どうやら転校の理由は学級にあったということがわかった。その男の子は毎日学校に来ることができなくなってしまったというのだ。そこで、転校をすることにしたという。その男の子の問題だけでなく、もう一人、教室に行けなくなってしまった女の子がいる。その子も夏休み明けくらいから、学校には来ているが教室には入らず、保健室でほぼ一日を過ごし、先生の説得などで気が向いたら頑張って教室に行くという状況である。その子は入学した時からとても人懐っこく、私が教室に入ると近づいてきてくれたり、話しかけてくれたりと、とても明るい感じの子であったので、「どうしてあの子が」と驚いた。保健室に通っている現在でも、明るい性格は変わっていない。担任の先生も、「普段はあんなに元気な子なのに、不思議よね。心に問題があるのかもしれないし、学級に来れない理由があるのかもしれない。」と教えてくださった。

 先生から学級の人間関係のことを細かく聞くことはさすがにできなかったので、詳しい状況はわからないが、学級の表面には見えない、裏の部分に問題があるらしい。学級の中に裏のボス的な存在がいるらしく、その子に強くいわれることが怖くて教室に来れなくなってしまう子が出てきてしまったという。

 その学級は、週に一回入る程度なので詳しくわからなかったのだが、一年生の学級の中では一番まとまっている学級だと感じていたので、その事実を知った際にとても驚いた。その学級担任の先生は、指導力がとてもある先生で(他の先生曰く)、先生方からも信頼されている、ベテランの先生である。先生は、この人間関係の問題に対して、「嫌なことははっきりと言えるようにその都度指導していっているのだけれど」と話してくださった。

 この学級のように、固定化された人間関係に問題が起こってしまい、解決が困難になると不登校や転校といった事態にまで発展してしまうのだ。 

この第2の問題については、学級を開かれたシステムとする方法もあるが、一番は学級担任の指導や努力が重要であると考える。教師は、学級という集団の長所と短所をよく知り、その良さを生かしていこうと努めていくことが大切である。先にも述べたように、学級には一定の意義が認められているが、その反面、問題を引き起こす可能性もあるのだ。教師の適切な指導や、学級経営が学級を良くも悪くもするということを忘れず、日々、最善の努力をしていかなければいけないのだと思った。子どもにとって学級が苦痛の場になってしまうことだけは、絶対にさせたくないと思う。

 

つづきはまたすぐ載せたいと思います!頑張ります!!

それでは、みなさんよいお年を~(^^)/

 

 

 




[1] 「新学校教育全集22 学級・学年経営」 永岡 順/奥田 眞丈:編 1995120日 株式会社ぎょうせい p.3


[2] 同上


[3]「新学校教育全集12 学級活動」 小林 一也/永岡 順:編 19941120日 株式会社 ぎょうせい p.6


[4] 同上


[5]「新学校教育全集22 学級・学年経営」 永岡 順/奥田 眞丈:編 1995120日 株式会社ぎょうせい p.3


[6]文部省委嘱研究(平成1011年度)『学級経営の充実に関する調査』

学級経営をめぐる問題の現状とその対応(関係者間の信頼と連携による魅力ある学級づくり)p.2   http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/12/05/000506.htm


[7]「新学校教育全集12 学級活動」 小林 一也/永岡 順:編 19941120日 株式会社 ぎょうせい p.8


[8] いじめ集団の四層構造    

いじめの場面における反作用のにない手はいじめっ子(加害者)-いじめられっ子(被害者)を取り巻く子どもたち。そしてその周囲の子どもたちはさらに二層にわかれる。一つは、いじめをはやしたて面白がってみている子どもたち(観衆)。もう一つは、見て見ぬふりをしている子どもたち(傍観者)。いじめはこうした四層構造が密接にからまりあった学級集団のあり方の中で起こっている。

「観衆」や「傍観者」が否定的な反応に出れば「いじめっ子」たちはクラスの中で浮き上がってしまう。逆に、周りの子どもたちが、面白がったり、黙って見てみぬふりをしていれば、「いじめっ子」たちはますます図にのってくるという。

 



12 月
9

ビックリ!

Posted by a6hootazemi in あさの

こんばんは。アサノです。

今日はブログの書き込みがなかなかうまくいかなくて、何回も挑戦しています(^^ゞ

今度こそ、うまくいっていることを願っての投稿です。

最近、ブログのデザインがかわりましたが、最初は、ブログ先を間違えたのかと一瞬ビックリしました(^^ゞ笑

今日は、全生研についての説明と、前回のゼミ発表のつづきの「ブリキの勲章」からの班長会のつづき、そして新たに書き加えた班活動について載せます。

これで、「学級集団づくり」については一通りまとめたつもりなので、おわりにしたいと思います。

●全生研について

集団主義教育は、日本では全国生活指導研究協議会[1]の組織を通じて、実践が行われてきた。全国生活指導研究協議会とは、生活指導について研究する研究会であり、全国に支部をもち、主に小・中学校教師と研究者で構成されている。機関誌として月刊「生活指導」(明治図書)を刊行している。その歴史は、「19591月26「全国生活指導研究者協議会」として結成。同年12月2829東京で開催された第一回全国大会において「全国生活指導研究協議会(略称:全生研)」に改称した。かつてアントン・マカレンコ集団主義教育の影響を受けた「集団づくり」教育を推進したことでも知られる。」[2]

 

 



[1]全国生活指導研究協議会 http://zenseiken.web.fc2.com/

 

[2]フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E5%9B%BD%E7%94%9F%E6%B4%BB%E6%8C%87%E5%B0%8E%E7%A0%94%E7%A9%B6%E5%8D%94%E8%AD%B0%E4%BC%9A

 

 「ブリキの勲章」のつづき

班長会の事例

 


文化祭が終わって四日目の木曜日の放課後、班長会をひらいて、文化祭終了後のクラスのとりくみの重点を確認し、具体的な計画について話し合った後、良一の問題について話し合うことにした。

 文化祭実行委員の注意事項を無視して、他校のつっぱり生徒を連れてきた良一の行為が、クラスの名誉を傷つけたという問題だけではない。K中のつっぱりグループから逃れるために転校してきたという良一が、自らすすんで彼らに接近しているという。そのほうが重大である。そのことを学級委員や班長たちに考えさせなければならない。

 藤村や笠原は、良一をきびしい調子で批判した。

 しかし、彼もまたクラスの仲間である。実の母親とは近くにいながら別居し、幼いころから里親に育てられている。そのことを話した。そして、彼のためにもみんなの力を貸してほしいと頼んだ。

 良一の班長の加田は、良一の班長としての自覚からか、わたしの頼みをそのまま受け止めてくれた。だが、学級委員長の山岸をはじめ、ほかの班長の反応はきびしかった。

(「ブリキの勲章p.152」)

 


 

班長会の事例


 

怖さという点からいえば、直接的には当時の根本英雄と砂原良一では比較にならない。藤村の言うように、個人的には良一を怖れる者は、クラスの中に一人としていないといっていい。

 それに、クラスの仲間であるはずの根本英雄を、他校の番長グループを使って脅すやり方には反感を感じていた。良一が他校の番長グループとつながっていることで、クラスの多くの生徒が表面的な態度とは裏腹に、心の中では彼にかかわることを怖れ、彼を特別な目で見ていた。

 だから、いまひとつ英雄にたいするような真剣さが感じられないのだ。

 わたしは、南山の慣れ合いを問題にするまえに、そういうクラスの多くの部分の意識や感情が、良一をK中のつっぱりグループに追いやっていることを話した。そして、英雄の場合と同じように、良一の問題を自分たちの仲間の問題として考えるように訴えた。

 藤村と笠原は、感情的に良一を受け入れようとしなかったことを反省した。

 このあたりが潮時だと判断したわたしは、良一にたいする今後のとりくみの方針を話した。

「いま、砂原にとってたいせつなことは、文化祭のときの行動をひとつひとつとりあげて批判することではないように思う。それより、彼にとってK中グループより魅力のある仲間をクラスの中につくることだ。それでなくても九月に転校してきた砂原にとっては、できあがったクラスの雰囲気になじめないのはあたりまえだ。クラスのこれからのとりくみの重点は、高校受験や就職試験にむけた学習だ。砂原の学力は極端に低い。いちおう進学希望だといっているが、仮に就職するにしても、彼のいまの学力では社会に出てもやってはいけないだろう。この時期にきて、どれだけできるかわからない。それでも彼にやればできることをわからせ、少しでも学習しようとする気持ちを持たせることができたらと思うんだ。そして、そのためには、彼が素直に指導を受け入れることが必要だ。これまでそうさせられなかったのは担任としての先生の責任だが、みんなもクラスの仲間として考えてほしい。加田はよくとりくんでいたが、いま一歩砂原の気持ちをつかむことができなかったように思うな」

「認めます」

 加田がきっぱりとした口調で言った。

「いまの砂原の指導には、南山が最適だと思う。もちろんきびしい批判も必要だがそれを受け入れる下地をつくることが先だ。遅刻とかチャイム着席とかの日常の問題はそのつどどんどん注意してもいいが、彼の性格をいますぐ直そうなどと焦る必要はない」

「班替えですか?」笠原が質問した。

「砂原の問題を除けばあえて班替えの必要性があるとは思わない。したがって、一部分班員を入れかえるだけにしたいと思う」

「一部でも班員を入れかえることを、どう説明するんですか?」

重ねて笠原が質問する。

「学級総会ではわたしが説明しよう。文化祭での砂原の一連の行動を指摘して、そうなった原因は砂原を本当に仲間としてたいせつにしてこなかったクラスのみんなに問題があるということで、先生がみんなを批判する。そして砂原にたいするとりくみを強化するために彼を南山の班に入れることを先生から提案するようにしよう。それならみんなも納得するだろう」

 わたしの提案は班長会の支持をえて翌日の学級総会にかけられ、満場一致で決まった。良一は、みんなの前で私から一定の批判を受けたものの、南山の班になれることでしごくご機嫌であった。

(「ブリキの勲章p.158~159」)

 

 


 

 ここでは、生活態度が悪くなってきた良一について、能重先生が班長会で班長たちの意見を聞きつつ、今後のとりくみについて提案している様子がかかれている。班長会に参加しているメンバーは記述から、教師、班長、学級委員ということがわかる。先生の前ではあるが、班長たちが、良一にたいする思いを正直に話しているところや、ここでは載せてはいないが、前回の班長であった南山の良一にたいする慣れ合いの態度への批判などが、話し合われていた。南山本人のいる中ではあるが、よくないと思ったことはしっかりと班長たちが発言している。班長会はそのような正直に話し合える雰囲気が必要なのだと思う。能重先生は、子どもたちに良一の問題行動は、クラスのみんなの問題であるということを伝え、クラスみんなで責任をもってとりくんでいこうという方針を提案する。このように班長会では、班長たちによる問題にたいする話し合いの内容も大切なのだろうが、それだけでなくどのような話し合いや方向にもっていくかといった教師の考えや進め方がとても重要になってくるのであろう。

 問題行動を起こした生徒にたいする指導というと、その子自身やその子の抱えている問題にたいして教師が親身にとりくんでいくというイメージがあったが、学級集団づくりでは、一人としての問題ではなく、学級の問題としてクラスみんなに意識させてその子の問題にとりくんでいくのだとわかった。

 班長会での話し合いとはいえ、先生が良一の学力が極端に低いということなどの個人の情報を、ほかの生徒たちに話すということは、いいことなのだろうかという疑問もあるが、班長会での班長たちと教師との信頼関係があるからこそ、そのような話も出せるのであろう。

 班長会も、学級の集団の質によって、そのおこなわれ方が変わってくるようである。集団がまだできていないよりあい的段階では、教師は班長たちを真の班長にしていく指導をおこなっていく。この時期の班長会は、「教師の指導のもとに開かれるのを原則とし、班長会では討議は原則として行われない。教師の指示と点検、教師に対する質問と援助要請、班長相互の連絡、援助の依頼のみを行うのを原則」[1]としている。また班長会では指導の内容として、「リーダーとしてのやる気・意欲であり、それに基づいてかれらの班長としての力量を具体的に発揮させ、証明してやることである。」[2]

 班長会を開催するタイミングについてだが、班長会は定期的におこなうよりも、教師が班長の指導をすすめるうえで必要な時点で随時に開くという性格のものである。それは、たんに定例化してしまうと、時に問題も必要性もない班長会となってしまい、班長の指導のゆるみや腐敗さえもつくりだす原因になりかねないからだという。

「ブリキの勲章」のなかでも、ある問題について能重先生と良一がちょっとした言い争いになってしまい、その日の放課後に学級でその問題について話し合い、みんなの意見を聞くことにしようとする場面がある。能重先生は、昼休みが終わろうとしていた時間であったが、急遽、学級総会にむけて班長たちを集め、班長会を開催するという場面があった。良一の問題について、班長たちだけでなく、学級のみんながよく思っていないことがわかったが、このままでは学級総会はたんなる良一の吊るし上げになってしまうと考え、二名ほどの班長に良一を援護するようにあらかじめ頼むことにした。学級総会にむけてのこのような配慮も大切なのだと思う。この場面のように、必要と感じたら、急にでも、時間がなくても班長会を開いていることがわかる。しかし、中学校の場合などは特に教科担任制なので、他の先生に迷惑にならない程度におこなうことがよいと考える。

 このようにして班長会などでの指導をとおして、リーダーとしての強い自覚と、その仕事の困難さを認識したうえで、班長として立候補する者が現れるようになると、先にも述べたように、「班長立候補制」を導入していくようになる。その時期から、班や学級を直接的に指導することの多いよりあい的段階とは違い、「教師の学級集団に対する指導はしだいに班長会をとおしての間接的な指導に、その指導方法、指導形態を変えていくことになり、班長会の確立ということがいよいよ核づくりのテーマになっていくのである。」[3]というように指導形式を変えていくのである。

 

 

いままで、「ブリキの勲章」の中から、いくつかの場面を抜粋して見てきた。班作りや、班替え、班長会、学級総会などの主な活動をとおして、英雄や良一といった生徒一人ひとりの問題を、班長たちをはじめ、学級のみんなが意識を持ち、学級全体の問題として取り組んでいく様子がわかった。また、学級集団づくりでの取り組みだけでなく、能重先生が親身に生徒の問題にかかわっていく姿も、教師の姿勢としてとても勉強になった。能重先生の日々の生徒との真剣なかかわりあいの積み重ねが、教師と生徒との信頼関係を築き、不良少年だった彼らの心を開いていったに違いない。

こうして、英雄や良一は数々の問題をのりこえ、無事に中学校を卒業し、それぞれの進路に向かっていく姿が最後に描かれている。この本に描かれていた場面だけでは学級集団づくりのすべてがわかったというわけではないが、班づくり、班替え、班長会、学級総会といった学級集団づくりの一部分の様子を能重先生と生徒たちのやりとりの中からつかむことができた。

 

班活動について

 ブリキの勲章のなかでは、班活動についての記述があまりなかったので、ここで班活動についても少しまとめていく。班づくりにはさまざまな方法があり、学級の集団の質によってその編成の段階も変わってくるということが分かった。では、さまざまな方法によって編成された班は具体的にはどのような活動をしているのだろうか。班づくりで終わるのではなく、その班での活動内容が重要なのであろう。そこで、全生研についてのホームページなどを探して見ていたところ、全生研に所属している中尾正彦さん[4]という小学校教師が現場での集団づくりの実践の記録を載せたホームページを発見した。そこには、具体的な班活動について書かれていたので、参考にしていきたい。(以下抜粋)

 

班の具体的な活動について[5]

 


(1)学級の目標(課題)を討議、決定し、取り組む。

(2)班独自の活動に取り組む。

(3)学習や仕事、係活動などに取り組む。

(4)班内に生ずる諸問題に取り組む。

(5)コミュニケーション(集団遊び、井戸端会議、班日記など)

 


 




(1)   学級目標にむかって実行する活動が中心だが、自治的な力をつけることが目的なので、活動主義にならないようにしていく。自ら原案を提示し、討議、決定、実行、総括するそれぞれの過程を大事にし、一人ひとりにそれぞれに対応力をつけていく。学級目標としては、抽象的・観念的な目標ではなく、「活動の3原則(誰でも参加でき、短期間に、結果がはっきりしているもの」に照らし、具体的な目標に取り組ませていく。
 また、この学級目標に取り組んでいく過程で、班長会や係、日直などによって、班の取り組みの弱点・欠点を指摘されたとき、班はその克服のために取り組むことになる。


(2)   班員相互の交わりを深めることを主たる目的とする。
表面的な活動そのものの違いはないが、これは、班の必要と要求にもとづいて自発的に行なうものと、学級の自治的活動との関連において創造的に行なうものの二つがあるという。
 班活動に慣れていない、または、班活動の楽しさを早く広げていくには、後者から導入したい。たとえば、「班で宝物を3つ作ろう」など班独自活動を勧め、遅れている班には当面、教師が入っていって手助けする。学校内外を問わず、「遊びの会」「探検隊」「勉強会」など、自主(自由)参加も視野に入れながら交わりを拡大させていきたい。


(3)   これは、大きく二つの活動に分けられる。
 一つは、学級の基礎的な単位集団として、学習や掃除、当番活動などに取り組むものである。 もう一つは、学級の機能的な単位集団として、係活動などに取り組むものである。


(4)   いわゆる「生々しい問題」への相互援助・相互批判を組む活動である。
 班という少人数の中にもさまざまな分裂、問題が生じる。たとえば、男女の対立、いじめ、集団行動が苦手、友達がいない、暴力・暴言、パニックを起こすなど、これらの問題、分裂の克服に取り組む。
 その場合、教師は、特に課題をかかえている(気になる)子どもが、班を自分の居場所とすることができるように配慮することが必要になる。(班を居場所にできない場合は、班にこだわらない。)

 

このことから、班活動と一言でいっても実際にはさまざまな活動がおこなわれているということがわかった。班での学習や掃除、当番活動などは私自身にも経験があるので、ある程度は想像できていたが、学級目標に班で取り組んでいったり、班独自の活動や、班内での問題に取り組んでいったりと、集団づくりならではの班活動だといえる実践があることがわかった。特に班独自の活動を学校の内外に問わずおこなわせていくことは、班の存在が学級のなかだけでとどまるのではなく、子どもたちの学校外での生活においても大きなものとなっていくだろう。言うまでもなく、私が今まで経験してきた生活班の成員たちとの関係とはまったく質が違うものである。また、ブリキの勲章では、学級全体での話し合いが多く取り上げられていたが、このように見てみると、班での討議もおこなっていき、その過程を大切にしていることがわかる。

班活動にたいする教師の指導・支援として、班活動が遅れている班や、特に課題をかかえている子どもがいる班には、教師が気にかけ配慮をしていくことが求められる。

また、教師は指導・支援だけでなく、班の行動にたいして評価をしていくことも重要になってくる。教師や日直が班を評価していくことで、班どうしの競争を活発にしていくからである。初期の段階では、あらゆる機会において班を評価していくという。しかし、評価はどんなものにでもしていけばよいのではなく、たとえば、「班は姿勢がいい人が多いね。」「班は集中しているね。」「班が一番速く席に着いたね。」というように、だれにでもでき、結果がはっきりとしていて、短期にできることについて評価していくことが望ましいという。それは、評価の対象をこのようにすることによって、どの班も努力次第で評価される可能性を持つことができるからだと考える。その可能性が、「次は自分たちの班が一番になるために頑張るんだ」というやる気につながるのであろう。そして、集団の発展につながるように評価していくためには、個人と個人、個人と集団、集団と集団を結びつけた評価を教師がしていくことが重要であり、それが集団を引き上げていくのである。このように、班活動においては活動の内容だけでなく、教師の指導・支援、そして、適切な評価が、班活動を高めていくために欠かすことのできない重要性をもっているといえるだろう。

 

学級集団づくりのまとめ

「ブリキの勲章」での能重先生の実践と「学級集団づくり入門」、中尾先生の実践の記録をとおして、学級集団づくりについてまとめてきたが、学級集団づくりは、教師の高度な技量がなくては、おこなっていくことはとても難しいのではないだろうかという考えになった。どんな教育法においても、最初からだれにでも簡単にできるものなどはないだろうが、学級集団づくりの場合はとくに、安易におこなうことはできないと考える。班づくり・核づくり・討議づくりといった活動を形だけただおこなえば学級の質が高まるというわけではなく、その活動において集団の競争や対立、討議での本音のぶつかり合いというところまで活動の質を高めていかなければ意味がないからである。わたしは、学級集団づくりについて調べてきたが、実際に学級をもった際におこなっていこうとまでは思えなかった。それは、先にも述べたように、学級集団づくりの素晴らしさだけでなく、難しさもよくわかったからである。しかし、学級集団づくりから学んだものの中から学級経営に取り入れていけるものは、積極的に生かしていきたいと思う。

 



[1]学級集団づくり入門 第二版 全生研常任委員会 19721月 明治図書p.136

 

[2]学級集団づくり入門 第二版 全生研常任委員会 19721月 明治図書p.137

 

[3]学級集団づくり入門 第二版 全生研常任委員会 19721月 明治図書p.140

 

[4]中尾正彦(なかおまさひこ) 全国生活指導研究協議会、日本発達心理学会、日本発達障害学会などに所属。福岡県で小学校教員の傍ら県生研などで講師としても活躍している。

参考ホームページ:『ライオン先生の授業づくり・集団づくり』http://www1.bbiq.jp/lion/

 

[5] http://www1.bbiq.jp/lion/syudandukuri-handukuri.htm

 



次回は、新たな章にむけて頑張っていこうと思います!

 


12 月
2

久しぶりの・・・

Posted by a6hootazemi in あさの

久しぶりの投稿になってしまってすいません。浅野です。

今日は、前回発表した内容を少し改善したのでそれを載せたいと思います。前回は、前々回に日本の学級集団づくりについて調べたので、それをうけての発表になります。

前回、日本の集団主義教育である集団づくりの方法が班づくり・核づくり・討議づくりであるということを簡単にまとめた。今回は、実践の記録を通してより具体的に集団づくりの方法について調べてみた。

 

学級集団づくりの実践の記録「ブリキの勲章」を読んで

 実際には、学級でどのように実践が行われていくのか、班づくり・核づくり・討議づくりという言葉や説明を読んだだけでは、なんとなくイメージをすることが難しかったので、全生研に所属しており、学級集団づくりの班活動の実践を行っていた能重真作[1]さんの『ブリキの勲章』[2]を読んだ。

 この本は先生に紹介されたことがきっかけであるが、1981年に映画化もされているそうだ。

大まかなあらすじは、暴走族に入っていた兄の影響で、小学生のころからタバコ・シンナーを覚え、中学一年生のときには暴走族の仲間入りをしてバイクをとばすなど、相当のつっぱりで非行を繰り返していた根本英雄(仮名)が、中学三年生の時に著者である能重先生の学級に転入してくる。不良中学生を改心させようとする能重先生の取り組みや先生と生徒とのかかわり、学級の生徒たちの話し合いでの本音のぶつかり合いの様子などの実践を記録した本である。

本の中で、班作りや、班替え、班長会議など、学級集団づくりの活動の様子が描かれていた。以下に本の抜粋と説明を加えていく。

 


四月六日、クラス替えになって、新しく出発する三年の私のクラスの一員となった。クラスの仲間も彼をあたたかく迎えた。

 班編成でも、私があらかじめ話しておいた一、二年と学級委員長の経験のある班長の笠原康弘が、誰よりも先に英雄を班員として指名した。学級びらきの日の集団遊びでは、英雄は幼児のような無邪気な表情を見せて、みんなと一緒に動きまわった。               (「ブリキの勲章」 p.37) 


 

まず、学級集団づくりの班活動について考えた時に班はいつ、そしてどのように作るのかという疑問があった。私の経験した班づくりは、一カ月に一度おこなわれる席替えでの、生活班というイメージがあったが、生活班といっても給食を食べるときや、授業でのグループ活動というような記憶しかない。集団づくりにおける班活動は、それ以上に班での活動が重視されているように思うので、班づくりの方法なども重要になってくるだろう。

 

時期は原則的には学級開きの日に班をつくる。「現実には、それぞれの学級の状況によって、学級開きの日に班を構成することが困難だという場合もある。班をつくった時から学級集団づくりが始まるのだということをおさえて、学級開きの日か、または、できるだけ早い機会にと考えればいい。」[3]「最初に班をつくるときは、子どもに相談するのではなく、教師の要求としてつくるべきであり、そのつくり方は、教師が指導的力量と学級の集団状況とのかねあいのうえで、自分が最も指導しやすいように編成するというのが原則である。一般には、①好きな者同士で自由につくらせる。②無造作に、あるいは出席簿順などの機械的な方法で編成する。③教師が子どもの指導力、発言力などを考え、また問題児の配置などを考慮して編成する。いずれの場合も、男女混合で、人数は七人から九人前後まで、そして班長は男女それぞれ一名ずつ班内で子どもたち自身が互選するというのが原則である。また、班は子どもたち自身のものであるから、いまの班で自分が不利益だと思ったら、いつでも学級の過半数の賛成を得て編成がえをしてもよいことを教えていく。」[4]

班替えの時期についてだが、「班を替えてほしいという要求は、子どもの方からかなり積極的な形で出てくることがある。「こんな班はいやだ」「こんな班長はいやだ」「こんな班では損だ」というように、班に対する一定の評価が生まれてくる。それらの評価は、教師や日直の班に対する日常の評価の結果として生まれてきたもので、その意味では、教師の指導がこういう要求を子どものなかにつくりだしていくのである。はじめて班を編成したとき、班とはどういうものかも知らなかった子どもたちが、班や班長に対してある種の積極性を含んだ認識を持ち始めたということである。

 

「原則的にいうと、班の編成替えは、子どもたちの集団に対する認識を高めるために行うことになる。けれども、よりあい的段階では、それほど厳密に考えて班替えしているわけではない。教師がその必要を感じ、そしてそのきっかけさえあれば、いつでも、何度でも班替えする。ただその場合、教師は班替えによって子どもたちに何を教えるかということだけははっきりさせておかなければならない。一般的には、次のようなときに班替えの必要がある。

 

  班競争において、同じ班が二度つづけてビリ班になったとき。

  班の優劣、ちからの差が明らかになり、しかも、それが固定し始めた時。

  班の差が顕在化せず、班にも学級にもあまり問題が見えなくなって、一定の安定した状態の中に子どもたちが安住しはじめたとき。(それは集団が停滞しはじめたことを意味する。)

 

こうして何回でも班替えをくりかえしていくわけであるが、そのときどきの集団の質・力量にみあって、班替えの方法・形態を少しずつ変えていかなければならない。たとえば、いちばん最初は教師が編成したが、次には子どもたち自身が好きな者同士を中心にしてつくる。その次の班替えのときは、子どもたちの能力や問題性の組み合わせをいくらか工夫してつくる。さらにその次は、ある種の問題に取り組むためという目的をはっきり持った班を一部に加えていく、といった具合にやる[5]」という。

 

そのよう班替えをおこなっていき、段々と集団の質が変化し、核が確立してくることによって、班長による班編成がおこなうことができるようになる。つまり、上に述べたような班を編成してから班長を決めるという方法は、学級集団づくりの入門編の時期なのである。

班長による班編成のすすめ方は、班長立候補→選挙→班長による班編成という順序をたどる。「班長の立候補はただ立候補者が存在すればよいというわけではなく、核としての自覚と指導力とを身につけた者が、自分の主体的な責任において班を編成したいという意志表明なのである。したがって、その時点での学級集団の課題をどのようにとらえ、どのような見とおしにもとづいて班を指導していこうとするのかはっきりとつかんでいる者でなくては立候補の意味はないのである。

班長の選出は、たんに班長を選ぶことだけではなく、特定の個人に対して、班の編成権をゆだねることを意味する。したがって、学級集団は、立候補した者の方針や、指導力などをじゅうぶんに検討したうえで、班長を選びきる力量を持つまでに成長していなければならない。」[6]

 「班長の立候補による選挙は、班の定数以上の立候補者がいることが要求されるが、立候補以外の不足は、教師のはたらきかけや、推薦立候補という形で補うことができる。」[7]

 

 班長選挙により、班長が選出されると、次は班長による班の編成がおこなわれる。「まず、選ばれた班長は、学級集団全員の前で、班員を一人ひとりその理由を明らかにしながら選びとっていく。このことは選ばれる側からすれば、集団の一人ひとりがきびしい評価を公開の場で受けるという教育的作用を意味する。何人かの班長から重複して選ばれた者が出てきた場合に、これをどの班にやるかは、班長の討論によってきめていく。いずれかの班長が、『もういい、そちらにゆずる。』というところまでもっていく。また、班員を公開で選ぶ場合に、班員の側に班長を選択させてはいけない。もし、班員を選ぶ過程でどの班からも選ばれない者が出た場合は、選ばなかった理由を班長は全体の前に明らかにしたうえで、どこかの班長が、必ず引き受けなければならない。班編成をゆだねられたのだから、ひとりでも残してはならない。」[8]

どの班からも選ばれないものが出た場合は、選ばなかった理由を全体の前に明らかにしたうえでとあるが、そのようなことをしていじめの原因になってしまわないのかという疑問がうかんだ。一人ひとりを選びとっていくのだから、最後のほうまで選ばれないで残っている者は、自分はまだ選ばれないと悲しい気持ちになってしまい自尊感情が低下してしまうのではないだろうか。能重先生の記録のなかでは、班長が選びとっていくことによって誰かが残るという状況はうまれていなかったが、そのような状況になった場合でも班づくりはうまくいっていると言ってよいのだろうか。クラスのなかで自然と優劣がついてしまう気がして私はあまり賛成できないと思った。

班替えの方法などは詳しくかかれていないが、四月当初の班編成で、班長の笠原が英雄を指名したという部分から、班長による班編成がおこなわれているということがわかる。根本の場合は事前に、能重先生が笠原に働きかけをしているが、それがなかったら、相当の悪をしてきた不良転校生をどこの班長もとろうとは思わないのが普通だと思うので、こういった場合の教師の働きかけは重要なのだと思った。

 

 


一カ月が過ぎた。班替えも二度おこなった。

 二度めの班替えでは、班長に一六名立候補した。この班替えで英雄は、はじめて班長になった藤村修一(サッカー部の部長)の班になった。

(「ブリキの勲章」p.40


 

 四月の段階の班編成で班長が班員を選んでいることと、班長を立候補者から決定しているということから、この学級は核が確立している集団であるといえる。

また、班替えの時期については定期的な決まりなどはなく、必要性をかんじたらいつでも何度でもおこなっていくことや、話の中から班替えを一カ月で二度と、頻繁におこなっているということがわかった。そして、班長に十六名立候補しているが、本のなかで十二名の班長がいるという記述があることから、班の数は6つ(各班に男子班長と女子班長がいるので)であるとわかる。班の数は最低3つくらいから6つくらいまでがよいという。班の数が少ないと競争が単純になりやすく、多すぎると自分の班と他の班すべてを競争相手として自覚することができにくくなってしまうからだ。

 

 

話は進んでいき、学校にも少しずつ慣れてきた5月に、英雄は“中らん”と呼ばれる、襟が高く、丈が長い学生服を着て学校へやってきた。能重先生はこの“中らん”事件をきっかけに英雄の問題をクラスみんなの問題にしていこうと取り組む。

 

 


わたしは朝学活で、出欠席をとったあと軽く注意した。

「せっかくまじめになろうと頑張ってるんだから、誤解されるような服装はよそうな」

英雄の出かたをみるつもりであった。

「いいじゃないスか。“ようらん”じゃあるまいし、こんなのつっぱりのうちに入らないスよ。」

 まわりに人がいると、虚勢をはろうとするのがこの子どもたちの特徴である。誰も見ていないところで、個人的に話せば、いまの英雄ならまだ素直にしたがうだろう。しかし、わたしがあえてその方法をとらなかったのは、そろそろ英雄の問題を、クラスみんなの問題にしたかったからである。そうすることによって、英雄のそういう態度を許すクラスの弱さを洗い出して、クラスの力関係を変えたいと考えたからである。

「先生はよくないと考えている。みんなはどう思うか“帰りの会”のときに、話し合ってみよう」

そういいおいて、わたしは教室をでた。

(「ブリキの勲章」p.42


 

 

その後、帰りの会は、反対派と支持派の論争が繰り広げられるが、本人を目の前にしているためか、いまひとつ迫力をかいたものとなってしまう。話は“中らん”がつっぱりの象徴かどうかをめぐって平行線のまま行き詰ってしまった。

その状況を判断した能重先生が“中らん”支持派の生徒に、“中らん”を着てチンピラやつっぱった高校生がたむろしている夕方のK駅に一時間立っていて何も起こらなかったら、“中らん”を着ることを認めるという提案をする。この突拍子もない提案により話し合いは終了することとなる。

 

 


「先生、もういいスよ。おれだって、あそこに一人で一時間も立っている勇気なんかないもん。もう着てこないスよ」

 ずっとうつむいて、みんなのやりとりを聞いていた根本英雄が、やおら立ち上がっていった。あっけない幕切れであった。だが、まとめの話し合いのなかで、

「つっぱりスタイルにあこがれていた」

「ちょっとつっぱってみたいきもちがあった」

「根本君が怖くて、本当のことがいえなかった」

という子どもたちの本音を引き出すことができたのは、大きな収穫だった。

(「ブリキの勲章」p.44


 

 根本の問題に対して一対一の個別指導だけではなく、クラスの問題としてあつかっていく様子が描かれている。この“中らん”事件に対して放課後にクラス討議を行うことになるが、これが討議づくりにあたるものだと考える。討議づくりの主要な実践形態として「総会」があるが、ここでのクラス討議は、総会と言えるだろう。

 

 




[1]能重真作(のうじゅうしんさく)

1993年 千葉県生まれ。1995年 東京学芸大学国語科卒業。195588年 足立区の中学校教師。

その後、教育評論家、国学院大学教師、日本生活指導研究所所員、全国生活指導研究協議会中央常任委員、「非行」と向き合う親たちの会世話人代表、不登校問題を考える東葛の会世話人、東京総合教育センター教育相談員などを務める。

 


[2] 「ブリキの勲章 改訂版 非行をのりこえた45人の中学生と教師の記録」 著者 能重真作  民衆社 2002320日発行


[3] 学級集団づくり入門 第二版 全生研常任委員会 19721月 明治図書 p.96


[4] 学級集団づくり入門 第二版 全生研常任委員会 19721月 明治図書 p.97~98

 

 

 


[5]学級集団づくり入門 第二版 全生研常任委員会 19721月 明治図書p.118~119


[6]学級集団づくり入門 第二版 全生研常任委員会 19721月 明治図書p.121


[7]学級集団づくり入門 第二版 全生研常任委員会 19721月 明治図書p.122

 [8]学級集団づくり入門 第二版 全生研常任委員会 19721月 明治図書p.124


 

長くなってしまいましたが、明日は続きを発表する予定です。よろしくお願いします。

 



10 月
28

今回はちゃんとアップできました!

Posted by a6hootazemi in あさの

 こんばんは、アサノです。先週はアップに失敗してしまいましたが、今週はちゃんとできたようです。先週のぶんもそのうち直します。笑

 前回、ゼミ発表の際、日本の学級の歴史は生活綴方だけでなく集団主義教育も重要なものだと先生から教えていただいたので、集団主義教育について調べてみました。今回は集団主義教育について私なりにまとめたものを載せます。

 

 

 

 

 

 

 

集団主義教育

 集団主義教育はマカレンコの著作『マカレンコ著作集』の刊行によって1952年来から日本に紹介され始めた。それまでの日本には、集団主義教育の形態がなかったわけではなく、生活綴方運動が集団を重視する教育を実践しており、その意味で生活綴方を通じての仲間づくりが、日本の集団主義教育運動の端緒であるという。

 集団主義教育とは、集団との強い連帯の感情、自分を集団の一部として自覚すること、全体の利益を個人の利益より上に置く用意、孤立した個人や集団の幸福に対立する自分だけの幸福への道はありえないといった集団との強い連帯と一体の感情を重視する集団主義の思想に基づく教育活動を指す。そうした集団主義の信念は家庭、さらに学校・学級の中で養われる。

 集団主義教育運動の基礎が築かれたのは、ソビエトでマカレンコの一連の著作が発表され、それが社会的承認を受けた1930年代の後半であるとされる。それ以前にも集団主義的な考え方や実践がなかったわけではないが、抽象的な理念の提示にとどまっていた集団主義教育の目標に具体的なイメージを与え、実践の道筋を開いていく役割を果たしたのがクルプスカヤである。クルプスカヤは「自分たちの達成すべき目標を明確につかみ、その目標を実現するための見積もりをたて、集団の利益の観点からすべてのことについて互いに協力し合えるような人間」を集団的人間像とした。そしてそうした人間を育てるための集団の形成には、組織的な作業と生活の体験が必要とされ、具体的には学校内での遊び、授業、労働、さらに学校外でのピオネール(※1)活動など、広い範囲がその舞台とされていた。ピオネールの舞台でも子どもたちが組織の中で集団的に活動し、集団の意図に従うことに慣れることが期待されていたのである。

 マカレンコはクルプスカヤの教育理論を引き継ぎながらも、浮浪児の教育という教育実践からマカレンコ自身の集団主義教育のモデルを示した。

 マカレンコは子どもたちの集団を高度な自覚をもった集団にまで導く発展の路線として、近い見とおし、中間の見とおし、遠い見とおしの三つに区分した。

近い見とおしの組織化のためには、映画、音楽会、催しの夕、サークル活動、読書と演劇の夕、散歩と見学が取り入れられる。

中間の見とおしは、時間的に少し離れている集団の行事の計画で、祝祭日の示威行進、革命記念日、児童施設開設記念日などの記念日、学年の初めと終わり、卒業式、夏季休暇等が考えられる。一年に二、三回のそうした日の準備は集団的な思考・話し合い・考案といった形で始まり、委員が選らばれ、委員会はたびたび総会に報告をし、集団全体の取り組みのもとで進められる。

遠い見とおしは「施設の将来、それより豊かな、より文化的な生活」を「真剣な高い目的」に置き、その楽しい見とおしを実現するために集団全体が一致協力するところにある。

集団が一定の見とおしのもとに共同の目的を追求しようとする場合、集団の規律が問題になる。マカレンコは集団の規律について、基礎集団という概念と、集団の規律の発展の法則を提示した。基礎集団は個人を集団に結びつける最小の単位集団のことで、施設では隊、学校では学級のことである。単位集団では一人ひとりの問題も個人の問題としてではなく、常にその隊または学級の問題として解決を迫られる。

集団の規律の発展の法則は、「群」の状態にある子どもたちを「集団」にまで高める筋道である。マカレンコによれば、集団が自ら規律を要求するようになるためには、まず教師が断固とした要求を出し、ついで子どもたちの中から積極的な子が要求を出すようになるという手順が必要である。こうした要求の背後には、子どもたちが自分たちの共同の目的を持ち、その実現のために規律ある行動をとることができるという、子どもたちの可能性に対する強い信頼がある。

こうしたマカレンコの集団主義教育の理論、とくに、見とおし路線、基礎集団、集団の規律の発展の法則といった考え方は、日本の集団主義教育運動、中でも「学級づくり」の方法論に強い影響を与えているという。

 

 

 

 

※1・・ソ連の共産主義少年団。全連邦的に組織され、学校とも連絡を保ち、実践的な活動を通じて訓練された。1922年創設。

 

 

 

 

 

 

日本での集団主義教育では、班・核・討議づくりというものがあるそうです。次回はそのことをくわしく調べて載せたいと思います。

 

参考文献:現代教育理論のエッセンス  監修 金子孫市

     学級経営          編集 高旗正人


10 月
20

Posted by a6hootazemi in あさの

こんにちは、アサノです。前回のゼミ発表での内容の一部を載せたいと思います。


 


 

学級文化活動の展開



 


9 月
29

九月末

Posted by a6hootazemi in あさの

こんばんは。もう九月も明日で終わりなんて、あっという間ですね。

先週の発表では、日本の学校の流れを調べてみました。調べたといっても、本をそのまま引用したという感じなので、卒論に載せられるように、自分なりにまとめていかなければならないので頑張っていきたいと思います。次回は、学級制が成立してから学級が今日のような性格をもつようになるまでの流れをまとめていきます。

あと、大池さんからアドバイスをもらい、せっかく実習やインターンに行っているのだから学級環境について比較してみるのもいいのではないかという意見をもらいました。確かに、担任の先生によって(学年で同じにしている場合もありますが)学級の掲示や目標が違うのでそういうのも面白そうだなと思いました。最終的には、現在の学級のことを調べていきたいと思っているので、そのような意見も考えつつ、調べていきたいと思っています。


9 月
15

いよいよ秋学期!

Posted by a6hootazemi in あさの

こんばんは。久しぶりの投稿になってしまいすいません。

8月は毎日のように学校に行っていましたが,9月になってからはいろいろと出かけたりしていて夏休みを満喫していたので,明日は久しぶりの学校です。

先週は青春18切符を使って京都・兵庫・大阪・三重に行ってきました。京都では清水寺,金閣寺や日本三景の一つである天橋立を観光し,抹茶パフェを食べました。兵庫では姫路城をバックに写真を撮り,大阪ではたこ焼きやお好み焼きを食べて道頓堀を満喫し,三重では伊勢神宮に行ってきました。

電車に乗っている時間がとても長く,移動が多かったため,一つ一つをじっくりと観光という感じではなく弾丸ツアーという感じでしたが,はじめて行ったところばかりでとても楽しかったです。

また,土曜日は実習先の運動会に用具係として参加してきました。2年生のみんなや先生方に久しぶり会えたことや,マーチングパレードでの2年生のダンスや競技を見ることができて,感動しました。2年生だけでなく,子どもたちみんなが一生懸命に頑張っている姿は素晴らしかったです。途中,雨で中止になってしまいましたが,行くことができてよかったです。

こんな感じで,夏休みをとても楽しみました。明日からは,学校が始まるので本格的に頑張っていきます!

それでは,学校で会いましょう。アサノ


8 月
18

帰省してきました。

Posted by a6hootazemi in あさの

こんばんは。お盆は二日ほど実家に帰っていました。久しぶりに中高時代の友達と会い,夏休みを満喫してきました。

実家で,スイカとメロンと水羊羹とアイス二個を一日にいっきに食べたらお腹を壊しました。(笑)

暑いからと言って冷たい物の取りすぎは体に悪いので気をつけましょう。と身をもって感じました。

現在,卒論で読んでいる本がなかなか進んでいませんが,読んだことをしっかりとまとめていきたいと思っています。

最近は,夏休みですが,学校に頻繁にいっています。大学4年間の夏休みで今年が一番学校に行っている気がします。

明日の夜は久しぶりに部活の仲間たちとご飯を食べたり,花火をしたりすることになりました。せっかくなので昼間から学校にいって涼みながらいろいろやろうかなと思っています。

それでは,今日はこのへんで。おやすみなさい。(アサノ)


8 月
5

八月

Posted by a6hootazemi in あさの

みなさんこんばんは。気がつけばあっという間に八月ですね。

この一週間はとても早かったように感じています。とくにこれと言って用事がたくさんあったわけではありませんが。

最近は,実技練習でマットの練習などをしています。大学生活4年間で今が一番運動している気がします。

今週はバタバタと過ごしてしまい,読んだ本といえば,バイト先の店長に読まされた小説くらいです。八月になったということでメリハリのある生活をしていかなければと思っています。本を読んだら,また書き込んでいきます。

それでは,おやすみなさい。


7 月
7

七夕

Posted by a6hootazemi in あさの

こんばんは。今日は携帯から書き込みをしてみました!

今日は七夕ですが、梅雨のせいか天の川を見れないのが残念ですね。
七夕と言えば、織り姫と彦星ですが、一年生の時に受けたタジミ先生の授業でのお話が印象的だったので紹介します。卒論の内容でなくてすいません。
心理学の授業で、普段はアイヒマン実験などがメインだったのですが、ある時に、恋愛心理学の話がありました。
先生は、遠距離恋愛は成立しないと言っていました。肝心な名前がうろ覚えなのですが、「近接原理(だったよーな?)」と言うのがあって、人は遠くにいて会えない人より、身近にいる人のほうに好感をもってしまうそうです。

では、織り姫と彦星は一年に一度しか会えない遠距離恋愛なのにどうして恋愛が続いているのか。

それは、織り姫と彦星のまわりには異性の星座がいないからだそうです。

星座は詳しくないのでよくわかりませんが、なるほどと思いました。
うろ覚えなのですが、こんな感じの話だったと思います。七夕が近づくとなんとなくこの話を思いだします。
それでは、試験にむけてがんばっていきましょう。
アサノ


6 月
16

わたしも実習が終わりました。

Posted by a6hootazemi in あさの

毎日うっとうしい梅雨の雨が続きますが,みなさんいかがお過ごしでしょうか。

私も,先週の金曜日に実習が終わり,埼玉に戻ってきました。今日は実習校にお礼の手紙を書きましたが,普段は手紙を書くことがないので,とても時間がかかってしまいました。手紙をポストに出して,やっと実習がひと段落したという感じです。あとは無事に届くことを祈ります。

実習では,指導教官の先生から授業だけでなく,学級経営など,たくさんのことを見て学ぶことができました。みんなのブログを読んでいても,それぞれの先生によって学級経営の方法は違うけれど,どれもいろいろな工夫があるんだろうなと思いました。

今度のゼミでみんなにあったら実習の話などをいろいろと聞きたいです♪

明日は,久しぶりにインターンシップの日なのですが,楽しみの気持ちと憂鬱な気持ちが入り混じっています。久しぶりに子どもたちに会えるという気持ちと,まだ実習の余韻に浸っていたい気持ちです。やっぱり,間があいてしまうと行きづらいというか余計に緊張してしまいますね。でもきっと,行ったら行ったで楽しいと思うので明日も元気に頑張ってきます(^^)/!!

実習も終わったので,気持ちを切り替えて頑張っていこうと思います。それでは,またゼミで会いましょう。おやすみなさい。(アサノ)


6 月
4

遅くなりました。

Posted by a6hootazemi in あさの, 未分類

木曜日になってしまいすいません。アサノです。実習ももうすぐ3週目が終わろうとしています。

今日,研究授業の指導案がなんとか形になりました。明日,先生方に見てもらうので,今はとりあえず少しほっとしています(*^_^*)

オオタ先生すごいですね!先生の言う通り,先輩はタマイ先生です。タマイ先生が,「オオタ先生は忘れているかもしれないけれど,よろしくお伝え下さい。」と初日くらいに言われたので,今この場で伝えます。タマイ先生に,ハニュウさんについて明日にでも聞いてみますね。タマイ先生はとても話しやすく,いろんなことを教えてくれて,とても素敵な先輩です。すごい偶然で出会うことができて本当によかったです!

私もだんだんと授業をやらせていただいています。私は研究授業で国語の授業をするので,国語の授業を多くやっているのですが,エベさんの文を読んで「私もそうだ~。」ととても共感しています。私の授業では,子どもたちが何回も固まってしまい,毎日のように変な汗をかいています。なので,しょっちゅう担任の先生が助けてくれています(*_*)研究授業がすべてではないとは思いますが,最後にむけてわかりやすい内容の授業を頑張っていきたいと思います。

明日も授業を頑張っていきます!残り少ない実習を精一杯頑張って,楽しんでいきたいです!

それでは,おやすみなさい。(アサノ)


5 月
26

お元気ですか。

Posted by a6hootazemi in あさの

こんばんは、アサノです。私も今、実習中で実家に帰っています。実習も2週目に入りました。

私の家は、なぜか未だに携帯電話が圏外なので、ブログでみんなの状況がわかってうれしいです(*^_^*)笑

実習での一番の驚きは、文教大学の人科の先輩が先生として働いているということです。私が入学したときには、もう卒業していたようなので、実際のかかわりはなかったのですが、部活も一緒で、そしてなんと太田先生のゼミだったそうです!共通点だらけで、すごく親近感がわいています!!ほんとうはいろいろとお話が聞きたいと思っているのですが、やはり先生はすごく忙しそうで、担当の先生以外とは全くと言っていいほど話す機会がないので残念です。

私はまだ授業をさせてもらっていないのですが、みんなのブログを読んで、授業をやってたくさんのことを学んでいきたいと思いました。しっかりできるかな、といった不安もありますが、精一杯頑張っていきたいです!

あと、私は実習の一週間前からのどの調子が悪かったのですが、最悪なことに実習初日に声のかれと咳がひどくて、第一印象最悪でした(*_*)今週になってやっと治ってきましたが、本当に最悪のタイミングで風邪をひいてしまいました。担当の先生に、先生は忙しくて暇がないけど、手洗いとうがいはしっかりとするようにと言われました。実習中、こまめに手洗いうがいをすることが、私の課題の一つになりました。

みなさんも体調管理に気をつけて頑張っていきましょう!それでは、おやすみなさい。(アサノ)


5 月
5

こどもの日

Posted by a6hootazemi in あさの

こんばんは。アサノです。

連休もいよいよ残すところあと一日ですね。みなさんは、ゴールデンウィークをいかがお過ごしでしょうか?

私はというと、何人かの人もブログに書いていましたが、2日の実技対策講座に参加してきました。私はマット運動がすごく苦手で、かなり不安だったのですが、リエやマユミ、そしてカサガミ君などたくさんの人にいろいろアドバイスをもらい、今までできなかった後転ができるようになってすごくうれしかったです。調子に乗っていろいろな技に挑戦していたら、翌日ものすごい筋肉痛に襲われました。あまりの痛さに3日はほとんど家で寝ていました。(笑)

やっと今日、痛みも和らいできていい感じです。せっかくできるようになった技を忘れないように、実習で実家に帰ったら布団の上で練習しようと思います!

連休明けに、私は発表があるので今、学級経営にかかわる本を少し読んでいます。発表にむけて頑張っていこうと思います。

実習が始まる人は会えませんが、頑張ってくださーい!

それではおやすみなさい。      (アサノ)


4 月
28

思いつかない・・・

Posted by a6hootazemi in あさの

こんばんは。今日の題名は私の気持ちです。

題名を何にしようか10分くらい考えてみたのですが、なかなか思いつかなかったので、今の気持ちを題名にしてみました。なんでもいいと考えれば考えるほど、悩んでしまいました(笑)

私は、卒論の内容を変えて学級経営などの教師の子どもへの働きかけや実践を調べていこうと思います。なぜ変えたのかというと、教採の勉強との両立を考えたことと、教師になってからもたくさん活かせるような卒論の内容にしてみたいと思い始めたからです。ゴールデンウィーク明けに発表もあるので、しっかりと調べて研究を進めていきたいと思います。

明日は「昭和の日」でお休みですね。といっても、4年生になるとほとんど授業がないのであまり関係ないかもしれませんが。

みんなは明日は、どう過ごしますか(^^)?

私は明日は夕方からアルバイトがあるので、それまでは家にいます。

教育実習も始まるので、朝早く起きる習慣をつけたいのですが、なかなか思うように起きれません。早起きすると一日の生活に余裕が生まれる気がします。私は朝を優雅に過ごしたことがあまりないので、朝に強い人がとてもうらやましいです。

早起きの秘訣などがあったらぜひ教えてください!!明日こそは早起きをしたいと思います。

それでは、おやすみなさい。(アサノ)


4 月
7

春が来た!

Posted by a6hootazemi in あさの

みなさんは靴下の親指のところに穴があいた経験はありませんか?

うちのほうでは(もしかしたら我が家だけかも?)それを「春が来た」と言っています。親指が突き出た感じを、芽が出ていることに例えているのでしょうか(^^)笑?みなさんの春についての日記をみてそんなことをふと思い出しました。

私が春を感じるときは、桜の花ももちろんそうですが、散歩などをしていて「春のにおい」をかいだりした瞬間です。あの独特なにおいなんですが、みなさんわかりますか?あれは何の花の香りなのでしょうか?

今週、私も久しぶりに実家に帰省したのですが、家の周りを散策してタンポポやスミレ、菜の花やナズナなどが咲いているのを見て春を満喫してきました。

また、実家に帰って、高校時代の部活の友達とかなり久しぶりにバスケットをしてきました。運動して汗をかくって気持ちいいなと改めてかんじました。大学に入ってからはめっきり運動しなくなってしまったので、久しぶりの運動で体中が筋肉痛になり次の日はあまり動けませんでした。

今日も日記的な内容になってしまいましたが、卒論の内容もしっかりと書いていけるように頑張っていきたいと思います。それではおやすみなさい。

(アサノ)


3 月
24

侍ジャパン優勝!

Posted by a6hootazemi in あさの

もっぺも書いていましたが、WBCで日本が優勝しましたね!私はニュースで結果を知るくらいで実際に試合を見ていたわけではないのですが、やっぱり日本が勝つのはうれしいですね(^-^)日本てそんなに野球が強かったんだ!と思いました。(ホントに強いんですか?笑)日本や韓国などの国では今回のWBCはとても盛り上がっていたみたいですが、野球が生まれたアメリカではそれほど盛り上がっていないとニュースで言っていました。アメリカはメジャーリーグもあって、日本人選手も憧れていくような国なのに、現地の人たちはそこまで盛り上がっていないのはなんでなのでしょう(*_*)?国によって温度差があるのは少し残念ですが、とにかく日本が優勝したことは本当におめでたいですね!

今日は一年間、お世話になったボランティア先の小学校にいく最後の日でした。私の行っていた小学校は授業見学ばかりでなく、いろいろな事務作業などを頼まれることも多くて、時々嫌になったこともありましたが(笑)、やっぱり一年間お世話になり、先生方もいい人ばかりだったので今日で終わりかと思うと悲しい気持ちになりました。先生方に挨拶をして帰ったのですが、「先生は大変だけどやりがいのある仕事だよ。」とか「がんばって先生になってね。」と言ってくれてうれしかったです。頑張っていこう!という思いが強くなりました!

卒業研究についてですが、今度は『フィンランド豊かさのメソッド』という本を読んでいこうと思います。読み終わったら感想を書きたいと思います。それでは、今日はこの辺で、おやすみなさい~(^^)/

(アサノ)


3 月
17

こんばんは。

Posted by a6hootazemi in あさの

遅くなってしまいすいません。最近やっと「カレワラ物語」の本を読み終えました。物語なので読みやすかったです。この調子でまた本を読んでいきたいと思います。

卒業証書の問題についてですが、私がまず思ったのは、なぜ一度わたしてから取り上げるのだろうと思いました。卒業式で学校の、それとも生徒の面目を守るためなのか。一度わたした卒業証書を取り上げるなんておかしいと思いました。それなら最初からあげなければいいのにとも思ってしまいました。でも、私が一番思うことは卒業の日まで学校に通ってきたのなら、卒業証書を取り上げるなんてことをしないでほしいと単純に思ってしまいます。授業料が払えない家庭、生徒に対してはもちろん、学校教育に対して国がもっと援助していくような姿勢が必要だと考えます。江部さんがいうように奨学金のような形で卒業をしっかりと保証してあげたほうが生徒のためにもなるし、学校にとっても良いと思います。高校を卒業しているのと、していないのでは生徒の将来も変わってきてしまうのではないでしょうか(中卒ではなかなか仕事がみつからないのかも)。

現在の日本の学校は私立だけでなく公立も義務教育を含め、高校、大学までお金がかかってしまうということが問題であると思う。教育は国の未来を担っていく子どもたちを育てていく重要なものなので経済状態に左右されず、誰もが安心して教育を受けていけるように国がもっと支援をしていってほしいと思います。あまりまとまらない文ですいませんが、今日はこの辺で終わりにします。(アサノ)


3 月
3

ひなまつり

Posted by a6hootazemi in あさの, 未分類

こんばんは。今日はとても寒いですね(*_*)さっきバイトから帰ってきたのですが雪がふっていました。寒いわけだ!と納得。

先週卒論のグループで集まったときにこれからどのように進めていくか話し合い、私はまず、フィンランドの歴史や経済状況について調べていこうと思います。あと、カレワラ神話を読むことです。3月10日までには読み終えます!必ず!!

本を読むコツ?読み方?の話も聞いたので、実践していこうと思います(*^^)v笑

みんな本を読むのが早いので私もそれを見習ってすらすら読めるようになりたいです。

あと、先週は人科の北欧研修から帰ってきた人たちにフィンランドなどでの話を少し聞くことができました。その話で印象に残ったことは、フィンランドの教育では頭がすごくいい人を育てようとするのではなく、底辺の人たちを作らないようにするという教育をしているそうです。実際に小学校を見てきた感想を聞くと(その小学校も私立で特殊だったようですが)、「これで学力が世界一なんてうそみたい。頭よさそうには見えない。(笑)」というようなことを言っていました。そこも興味深いなと思いました。

先生の言っていた、上の人を伸ばそうとするのには限界があるけど、底辺の人を伸ばしていくことはそれに比べて簡単だし、伸びも大きいという話も納得でした。

また、いろいろな話がきけたらいいなと思います。

(アサノ)


ホットワード 文教大学 人間科学部 太田 いいんちょう
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