2 月
29

小学校時代最も印象に残った場面

Posted by a6hootazemi in せり

2月29日、閏年の日はなんだかお得に感じますが、何がお得なのかと言われても、感覚的にはわかりづらいですよね…。にくの日がいつもの年より増えたくらいでしょうか(笑)のんきなことから始まってすみません。b0のせりです。
それと今日は雪がすごいですね!!でも明日は暖かくなるそうです。不安定な天気が続いていますが、みなさん体調には十分に気を付けていきましょう!

文章練習第二弾!~小学校時代最も印象に残った場面~ 添削よろしくお願いします。
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晴天の日の運動会、5・6年生による午後1番の演技「マーチングバンド」。私は総勢120人の先頭で指揮棒を構え、笛を銜えてアナウンスを待っていた。5人いる指揮者の中で、金管バンドを引き連れ、ひとまわり大きな指揮棒をもてるのは、主指揮ただ一人。私の笛の合図からスタートするこの演技の前に、構えのポーズをしている左肘を見つめて、主指揮選抜試験のことを思い起こしていた。

「今年のマーチングバンドの主指揮をやってもらう人は……」
自分は主指揮になれる、そんなイメージはできていた。しかし隣にも、同じくらい自信を持った顔つきの女の子がいる。それは、遥だ。私たちは幼稚園からの気があう友達で、指揮も夏休みから一緒に練習し始め、棒の角度や笛の吹き方をアドバイスしあうほど仲良しだった。そんな親友も、今この瞬間は憎らしいと感じてしまうようなライバルなのだ。主指揮は自分がやりたい、しかし遥と気まずくなってしまわないだろうか、そんな不安もありながら、押しつぶされてしまいそうな緊張感に覆われた音楽室のなかで、先生の言葉を待った。
「……せりさん。」
「それと、遥さん。2人にやってもらいたいと思います。」
え!?という顔でお互いを見合わせたライバルは、たちまち仲の良い友達の表情にかわり、抱き合って喜んだ。遥も私との関係を心配していたようだった。そしてお互いに憧れていた主指揮を諦めなくてよいこと、仲良しな2人でマーチングを引き連れられることは想像していなかったため、私たちの喜びは何倍も大きなものとなった。

リコーダー隊や金管バンド隊との練習も進み、運動会まで2週間となった休日。バスケットの試合に出た私に悲劇が起きてしまった。「床にぶつけた衝撃により、左肘の靭帯が伸びてしまっていますね。運動は2週間ほど休んでください。」という医師の宣告。……冗談じゃない。私は2週間後の運動会で主指揮をすることが決まっているのに!自分の失態に悔し涙が止まらなかった。幸い、指揮棒を持つのは右手で、左手は肘を曲げた構えの状態だったため、少々痛みを我慢すれば指揮をすることが可能になった。しかし、音楽の先生は1時間ある演技中ずっとその姿勢を保つことができないのであれば、主指揮は遥だけに任してはどうかという案を出してきたのである。
憧れの主指揮は諦めたくないが、皆に迷惑がかかってしまうかもしれない、と私は弱気になっていた。そんなときだった。「あと2週間リハビリすれば大丈夫だよ!前代未聞の2人主指揮、やりとげようよ!」言葉をかけてきたのは、友達でありライバルである遥だ。主指揮を1人でできるかもしれないチャンスと言える場面で、遥は2人で主指揮をすることを選び、私を励ましてくれたのだった。いつまでも悔し涙を流していられない。そう思って、さらにリハビリと指揮練習に打ち込んでいった。
指揮の練習、選抜試験、怪我、リハビリ。様々な試練は、一人で乗り越えたものではない。一時期は憎らしいとも思えたライバル、遥がいてくれたからこの場に立っていられるのだ。私はその気持ちを胸に前を向き直し、自信を持って合図の笛を吹きだした。そして、演技中盤にある、主指揮の見せ所である観客席への敬礼。歩み寄ってくる遥と満面の笑みを浮かべ、何度も練習した技を成功させ、2人でポーズを決めた。浴びるような拍手を受けたとき、何とも言えない高揚感と誇らしい気持ちでいっぱいになった。指揮棒交換のときには「お疲れ!」「後半頑張れ!」と声を掛け合い、私はサイドの立ち位置へ行き、今度は遥の笛の合図で競技が再スタートした。演技終了後、私は遥のもとへ走りより、選抜発表のときのように抱きついた。そこに見えたのは、喜びの表情と達成感の涙だった。ライバルであり、大親友といえる存在である遥には、感謝の言葉をいっても言い足りなかった。遥の存在がなければ、怪我のときの一言がなければ、この達成感の涙は全く違うものだったであろう。マーチングバンドでの指揮は、私の小学校生活で最も感動的で印象的な出来事であった。

その後、遥とは中学生になっても、勉強の成績やクラス行事ごとで競い合うライバル関係だった。高校・大学と全く違う道に進んだ現在でも、お互いの将来の夢に向かって、どんなことをしているのか報告しあったり、励まし合ったりする仲である。このように、よい刺激になる親友がいるということは、人が成長する上で大切なことであると思った。しかし大人になるにつれて、この刺激を避け、人と競い合うことを恐れるような付き合い方になってしまいがちだと感じる。ライバルの役割は優劣の確認でなく、自分の成長のために行動を見直す方法だと思って、前向きに付き合うようにしていきたい。そして、自分自身も相手のことを考えて人間関係を築いていくことを心掛けたい。

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私はこのブログで文章を書いたり、同輩や先輩方の文章を読んだりすることで、よい刺激を受けることができるようになりました!もっともっと自分を成長させられるように勉強や文章の練習していき、みなさんにも刺激を与えられるような人になっていきたいと思います!!これからも、どうぞよろしくお願いします(^^)


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2 月
28

表現活動の楽しさとはたらき

Posted by a6hootazemi in はせ

こんにちは。もうすぐ2月も終わりますね。春休みも折り返し地点にさしかかり、「だらけずにやることはやる」日々にしたいです。

 今回は、冬休みに触れた、総合的な学習について書こうと思います。
 私の母親は小学校の教師をしており、専科は音楽です。母親の、子どもとの学びあいの特徴は、一言で言うと「音楽制作」です。たとえば、総合の時間で作った農作物について、歌を作ります。子どもたちは育てる過程で苦労したこと、成長していく過程の楽しさ、収穫の喜びをグループごとに歌詞にします。そこに母が曲をのせて、「一つの作品」が完成され、主に参観日に発表会を開き、子どもたちは元気よく歌うのです。

 私はふと疑問に思いました。子どもたちは歌詞作りにつまずかないのか、ということ、そしてグループ単位で作っていかなければならないので、まとめ役がいなければ進まないのではないか、ということです。
 しかし母親は、私の心配をよそに、不思議と子供たちは自主的に取り組むのだと答えました。各グループに、自然と「リーダー」となる子供はでてきて、話し合いは進行します。(リーダーをあらかじめ決めることもあったそうですが、今は特に決めないそうです。)教師の役割は、子どもが脱線しないように注意すること、子供たちがどのような言葉の表現にすれば相手に伝えやすくなるか困った時にヒントを与えることです。しかしこれらの指導もほとんどせずに、子供たちは歌づくりに励むということです。
 自分たちの経験したことなので、言葉の表現のアイデアはたくさんあります。特に「楽しさ」「嬉しさ」「喜び」といった感情を歌詞にたくさん含んでいます。自分たちが経験したことをテーマにすること、そして世界に一つしかない歌を自分たちが一からつくり、工夫してよりよいものにしていく楽しさを見出すことから、子供たちの意欲や関心が向き、増進していくのであるのだろうと思いました。

 実際に映像またはCDで聞いたときに印象的であったのは、歌の強弱や抑揚がはっきりとしていて、一つの歌の中に子供たちが経験した様々な出来事、それに伴う様々な感情が表わされており、ギュッと凝縮されていて、聞き手も非常に楽しめる作品になっていたということです。身振り手振りも、小さな動作から大きな動作まで、多様な動きをしていました。(たとえば農作物の大きさを表すために手を横にいっぱい広げたり、収穫の際の土から掘り出す動作などです。)

 このような活動を通して、子供たちが変わったことは、発表や音読に対する姿勢であるといいます。(もちろん学年、学級ごとに効果の大きさは様々ですが総合的にそのように感じたということです。)
 直接的に関係しているとみられる国語と音楽ではその姿が特にあらわれ、ほかの教科でも同様に、声を大きくはっきりと出すこと、そして自分の考えを述べる回数が増えたそうです。言語的、または非言語的な表現、そして操作的ではなく自主性を重んじた活動によって、子供は創造力を働かせ、工夫して作っていくことの楽しさを感じることができるのではないかと思います。また、友達の考えをきいて、お互いに良さを尊重しあい、協力して一つのものをつくることも重要な学びであるのだと感じました。
 


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2 月
28

第2回*論作練習

Posted by a6hootazemi in なっちゃん

みなさんお久しぶりです。0bの木田です。
26日に北欧研修が終わり無事日本に帰ってきました!
実際に自分の目でみて、肌で感じるフィンランドとスウェーデンはとても刺激的なもので、なにより現地の方々のあたたかさを感じ、私自身を見つめなおすとても良い時間となりました。
もっと自分の言葉で話せるように整理ができたら、少しずつみんなに伝えていけたらなと思います。

 さて、気合いを入れてセミナー練習2回目を書こうと思います。
*小学校時代の最も印象的だった場面*

 よーい、どんっ!!
勢いよくスタートを切った。どんどんスピードを上げてハードルを飛び越えていく。

 小学校6年生で迎えた陸上記録会の女子80mハードル決勝。
私はハードルと走り幅跳びの選手に選ばれ、この日のために放課後、先生と毎日必死になって練習をしてきた。
正しいハードルの跳び方から空中での姿勢などを先生に教わり、走り込みや柔軟に取り組む日々。
小学校最後の陸上記録会であり、特にハードルにおいては1年前の大会で予選落ちしたということもあり、絶対優勝するんだ!という気持ちがとても大きく、その想いは日に日に強くなっていったのを今でも覚えている。

 緊張ではちきれそうな胸の鼓動を感じながらスタートラインに立った。
大丈夫大丈夫大丈夫。何度も自分に言い聞かせた。
 努力は絶対裏切らない。その言葉のように、私はリズミカルにどんどんハードルを飛び越え、トップで走り続けた。
よし、行ける!もう少し。心の中で思った。
加えて聞こえる先生の行けるぞー!!の声。
ゴールまであと1台。誰もがこのまま私が1番でゴールテープを切れると思っていた。
と、次の瞬間。

がらがらどってーん!!
最後のハードルに足が絡まり転倒。
トップで走っていた私は一瞬にしてビリになった。

あと1台だったのに、どうして転倒してしまったのだろう。あんなに練習したのに。
努力は人を裏切らないのではなかったのか?悔しさが涙と一緒にこみ上げてくるだけだった。
ただただ泣きじゃくる私に先生から一言。
まだ幅跳びがあるじゃないか!この悔しさ幅跳びでぶつけてこい!!

言われるがままに泣きながら走って、思いっきり悔しさをぶつけて踏みきった。
ぽーん!!
3m84cm。まるで背中に羽根が生えたかのように空を飛んだ。
私は負けた悔しさをぶつけて、自己最高記録を走り幅跳びで出し、優勝することができたのだ。

 この時私は思った。もしさっき転倒していなければ、この優勝は100%なかった。幅跳びで優勝するための転倒だったのではないか、と。
そして、何よりやっぱり努力は必ず報われる、と。


太田先生添削の方よろしくお願いします。


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2 月
27

私の「好き」

Posted by a6hootazemi in さえこ

こんばんは。春休み、皆様いかがお過ごしでしょうか。
ついついだらけてしまう長期休み。今回はそうはすまいと、極力早寝早起きを心がけております。
そしてまた担当の木曜日に書けず…。すみません。


最近、西原理恵子さんの『パーマネント野ばら』という漫画を読みました。
西原理恵子さんの漫画は、ちょっと乱暴なところがあるようで、でもなんだかあったかくて、切なさも感じる漫画です。
嫌なことがたくさん溢れている世の中。嫌な出来事。嫌な現実。マイナスな感情。駄目なところ。人はそういうものを抱えて生きている。
でもそんな世界の中でもあったかいもの、いいこと、素敵なものもある。
迷い、悩みながらも生きているヒト。そんなものを感じる漫画です。

『パーマネント野ばら』の他に、『はれた日は学校をやすんで』とうい漫画と『この世でいちばん大事な「カネ」の話』という本も読みました。

『パーマネント野ばら』の最後の二コマのセリフが素敵だったので、そのセリフを紹介します。

「そばに好きがあったら人生毎日正月やで」
「好きはきれえな花みたいやし」

私の「好き」ってなんだろう。そばにあるかな。
自分のそばにある「好き」を大切にしたい。
そんなことを考えました。

きっと自分の周りにたくさんある、私の「好き」。
普段は特に意識して生活しているわけではないですが、こうやってふと考えた時に思いつくたくさんの「好き」。
みなさんの周りにもあるはず。

それらを失くしてしまわないように、時々でいいから、その大切さを思い出したいです。
「好き」ってとてもキラキラしていると思います。それが何に対してのものであっても。

友達のことが好き、音楽が好き、ブロッコリーが好き、晴れた日が好き。
ちょっとした好きが、自分の世界を色鮮やかに見せてくれるように思うのです。

数多くの「好き」は私の今までの人生を形作ってくれていて、そしてこれからの人生も支えてくれるでしょう。

自分の中の「好き」を大切に、そこで生まれる気持ちを大切に、生きていきたいですね。


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2 月
25

東日本大震災について

Posted by a6hootazemi in かなこ

こんばんは.かなこです
もうすぐ未曾有の大災害、東日本大震災がおきて一年がたとうとしています。
今回はそのことについてまとめてみました。

私自身は、地震が起こったその時北越谷の家にいました。突然歪む視界、家財道具が揺れる音、何より怖かったのはその後の情報の錯綜でした。携帯電話は何度かけてもつながらないので安否を確認することはできないのに、テレビでの被害状況はどんどん明らかになっていきます。震度はココとさして変わらないのだから大丈夫だろうと思いつつ、頭の中で「もしかしたら…」と最悪の事態を考える自分と「でも…」と必死に不安を打ち消すように言い聞かせている自分がいました。私は不安と焦りに支配されていました。数時間たってから実家と電話がつながり、母親の「もしもし?」という声を聞いて安堵したのを今でもはっきり覚えてます。逆にそれまでの数時間はあまりはっきりとは思い出せません。

先日、報道写真全記録2011.3.11〜4.11 東日本大震災という写真集をみました。そこには海に浸る車、形あるものがバラバラにされ、津波に引きずり込まれて行く、水浸しの町は海との境界線がわからない世界が広がっていました。人間が住むところと海、昨日までははっきりとわけられていた世界が混沌としていました。日本は島国のため四方を海に囲まれ元来、水産資源が豊富な国です。 その豊富な水産資源を利用しながら生活してきました。特に東北は漁業の盛んな地域です。日々、海と共に生きているからこそ海の怖さも知っている。だからこそ防波堤も他の地域より高めに設置されていたようです。でも、人々の生活を守るはずの防波堤はただのコンクリートの塊となっていましたのです。その後は汚れた水と白煙と炎と瓦礫の世界でした。この写真集の写真は被災者が提供と書かれているものも多くありました。この情景をファインダー越しに見ていた人の気持ちを考えるとページをめくる右手がひどく重く感じました。

その後、被災地は今も放射能という見えないという恐怖にさらされています。放射能は癌を誘発するといわれていて、さらに癌は完治するのが難しく死に直結するというイメージがあり見えない恐怖にさらされています。放射線は母体にも影響を与え、奇形児や障害を持った子どもが生まれてくる確率が格段にあがるそうです。本書の中のインタビューの際に「お母さん、私は子供を産んではいけないの?」と中学二年生の女児が泣きながら聞いていたそうです。自分自身はもちろん今はまだ生まれていない、次の世代を担って行く子どもたちにも大きな影響があるのです。調べてみると原子力発電所の設置する土地では地震などが起こった事態を危惧して反対のデモがあったそうですが、 結局、原発は危険とわかっていながら私たちは便利さを失うことへの恐怖から認めてしまっていたのです。確率○%といっても数字で示されても、実際はおこるかおこらないかの二択で、悲しいことですが日本は火山列島です。いつかはわからないけれど、必ず地震はやってきます。

地震は天災でしたが原発事故は人災だといわざるをえません。読んだ本の中で特に印象的だった詩を引用します。

汚染した土地 海 ひと
幾百年ひょっとして幾千年
堂々と住み続け 耕してきた土地が
森が 歴史が 牧舎が放射能を浴び
泣いている 怒っている
かすかに聞こえてくる 憤怒の声は
まだ生まれていない
ひとたち からです    石川逸子(詩人)

私はこの詩をどのような気持ちで受け止めて良いかわかりません。そして昨日、国立新美術館で行われた第十五回文化庁メディア芸術祭受賞作品展に行ってきました。文化庁メディア芸術祭受賞作品展には東日本大震災をテーマにした四コマ漫画も展示してありました。四コマ漫画のオチはユーモアや明るいものが多く、被災者の「前を向かなくては」という意思を代弁していたように感じる一方で、漫画家のコメントの欄には被災地を忘れないで、過去におこったことではない、今も続いている現実であるっと書いてありました。

私は被災地をこの目でみたわけではなく恥ずかしながらメディアを通した情報しか知りません。けれど3年生のゼミでは東日本大震災をテーマにと考えています。被災地での生の声など体験談経験している方がいましたらお話を聞かせていただけると大変嬉しいです。自分が感じたことを書こうと思って書いてみたのですが、事実確認の文章になってしまいました。次は上手に書きたいと思います。まだまだ寒い日が続きますので皆様暖かくして風邪など引かないようにご自愛くださいませ。
ではでは(^^)

〈参考文献〉
・報道写真全記録2011.3.11〜4.11 東日本大震災
・『さようなら原発』編者 鎌田慧
2011年12月7日 岩波書店より発行
〈参考サイト〉
•第十五回文化庁メディア芸術祭受賞作品展
http://plaza.bunka.go.jp/festival/


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2 月
22

フロムストックホルム!

Posted by a6hootazemi in 未分類

こんばんは、渡辺です。
私は今北欧研修でスウェーデンのストックホルムに来ております。2月14日に日本を立ち、19日までフィンランドのヘルシンキで研修してから舟でスウェーデンに渡り、今にいたっております。

スウェーデンのホテルではWiFiが利用できるため、こうしてブログを書いています。ただ、毎日朝早くから夜まで視察でいろんな所を回り、レポートも書かなくてはならないので、教採の勉強も卒論のための課題もなにもできないでいます。帰国は26日ですが、戻ったら遅れを取り戻せるよう頑張らなくてはです。

研修はなかなかハードで、ほとんど観光もできず、夜はインスタントらーめんを食べてレポートをやっているような日々ですが、日本とは大きく異なる生き方や文化にとても良い刺激を受けています。

小学校や幼稚園へも視察に行ったのでぜひそこでの体験をみんなにもつたえよう!と思ったのですが、現在日本では9:17ですがこちらは深夜1:17。小さい明かりの下でケータイから文字を打っているのですが、そろそろ隣で寝ている友達になにか言われそうなので今日はこれでおさらばします。

では、Hej da! (さよなら)


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2 月
20

小学校時代の最も印象的だった場面

Posted by a6hootazemi in ゆうたろう

こんばんは。今回は小論文課題の第2弾として「小学校時代の最も印象的だった場面」について書きました。文章を書くことは苦手なのでこれからもたくさん練習していきたいと思います。
話は変わりますが…
先日介護実習で特別支援学校に行ってきました。2日間本当にあっという間で有意義な時間を過ごすことができました。私が1番難しく感じたことは、生徒にどこまで自分でやってもらってどこから補助をすべきなのかという線引きです。先生方にお聞きしたところ、生徒に自分でやらせることが最も良く、生徒が出来ることの少し上の段階のことを生徒に教えていくことが大切であると先生方はおっしゃっていました。他にも様々なことを学ぶことができました。この2日間の経験を礎として日々教員になるために励んでいきたいです。
3年生になったら出来るだけ早く補助教にチャレンジして経験を積みたいと思っています。
また、春休みのうちに本をたくさん読んだり、いろんなところに行きたいです。春休みに入ってから、バイトとサークルしかしていないのでもっといろんなことをしたいと思います。
それでは太田先生、文章の添削よろしくお願いします。

「ガラガラ」と調理室の扉が開く音が聞こえた。音のした方の扉を見るとスーツ姿の母がいた。「来てくれた…」私は安堵の気持ちとともに嬉しさで心がいっぱいになった。今までほとんどの学校行事に来てくれなかった母が小学校最後の授業参観に来てくれたのである。
私の母は朝早くから夜遅くまで仕事をしていたため、学校行事に来てくれることがほとんどなかった。低学年のうちは母に向かって、「なんで学校行事に来てくれないの?」と泣いて聞いたことも多々あったが、母は「仕事が忙しくて休めないの。いつも行けなくてごめんね。」と言っていつも来てくれなかった。高学年になるにつれて母の仕事の大変さに気づき、忙しい母に向かって「学校行事に来てほしい」と言えなくなってしまっていた。気づくといつの間にか、学校行事に母が来ないが私の中で当たり前になってしまっていて、私だけ親が来てくれない学校行事が心の底から嫌いであった。
今回は小学校最後の授業参観でしかも調理実習であったが、この日の朝も、母は「行けたら行くね。」と言っていたが、仕事が忙しそうだったので、私はきっと来ないだろうと心の中で確信していた。「みんなはお母さんと一緒にご飯を食べるのに、俺は一人で食べるのか…」と学校に登校しながら私は考えていた。
そんな母が調理室の扉のところにいるのである。私は母のところに駆け寄り、班のところまで案内した。母は私のいる班の保護者に遅れたことを謝罪しながら私にも遅れたことを謝ってきた。遅れたことなんてどうでも良い。私は母が忙しい合間を縫って授業参観に来てくれて本当に嬉しかった。この思いを母に伝えたくても恥ずかしくてお礼をその場で言うことが出来ず、母に「野菜切るから手伝って。」とそっけない口調で母に話しかけることしか出来なかった。
調理中は私も母も緊張していたのか、普段と違ってあまり会話をすることが出来ず、夢中で作業に取り組んだ。みんなで協力したため、予定より早くカレーが完成した。
食べ始めてからもあまり母と会話することが出来ずにいたが、「今感謝の気持ちを言わないと絶対に後悔する。」と思い、勇気を出して母に「来てくれてありがとう。」と感謝の気持ちを伝えた。母はにっこり笑って「今まで授業参観に来ることが出来なくてごめんね。」と言ったのを今でも鮮明に覚えている。私と母、班のみんなで一緒に作ったカレーは今でも忘れられないくらいおいしかった。この場面こそ、私にとって小学校時代の最も印象的だった場面である。
私は授業参観を通して、感謝の気持ちを素直に伝えることが大切であるということを学んだ。素直に気持ちを伝えることは年齢を重ねていくほど難しくなる。素直に気持ちを相手に伝えることが出来る豊かな人間性を育むことが小学校では重要になると思う。



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2 月
20

出会うこと、そして学ぶこと

Posted by a6hootazemi in はせ

こんにちは。後輩のみなさんの書き込みも多くなり、ブログが賑やかになってきましたね!今日はやっと春を感じられるくらい暖かで、綺麗に晴れていますね。このまま春一直線になってほしいものです。(長野県民といっても、寒いのは苦手なのです。)

 昨日は図書館が休刊日なので、越谷市立図書館に行ってきました。本を探しに行くことはあったのですが、市立図書館に勉強をしに行くのは初めてでした。
 読書スペースと称された場所で、各々勉強したり、調べ物をしたり、読書をしたりするのですが、開館から15分たらずで半分以上の席が埋まりました。周りをみると、小学生くらいの子どもから、60歳くらいの方まで様々な人が利用していました。
 その中で、目に留まるものがありました。赤本です。皆さんも受験生時には文教大学の赤本を購入して、繰り返し問題を解いていたのではないでしょうか。赤本を持っているのは大体が高校生、浪人生です。私は浪人して、文教大学に入ったので、受験の思い出は強い印象として残っています。
 勉強のことも勿論ですが、浪人中の思い出は、勉強ばかりが印象的だったのではありません。様々な人々との出会いがありました。先生方はもちろん、一緒に頑張る仲間たち、そして社会の中で働くという意味を教えてくれたバイトでの出会い。その中でも私が特に印象に残った方のお話をしたいと思います。

 私は典型的な朝方体質です。部活動もバスケットボール部に所属していたので、毎日6時過ぎには家を出ていましたので、朝起きることは苦ではありませんでした。開館前に着くこともしょっちゅうありました。そんな日々が続いていると、ある方に声をかけられました。
「最近よく見るけど、朝早いね。」
振り返ってみると、高そうなジャケットに、パールのネックレス、髪の毛はショートカットでほんのりと茶色がかっていて、お化粧もきちんとされている、「おばさん」がいました。先生かな?と思ったのですが、私のクラスを担当している先生ではないし、職員室では見たことがなかったので、心の中で少し首をかしげながら
「おはようございます。先生も朝早いですね!」といいました。すると、
「私は先生じゃないのよ。ここで働いている掃除のおばさんですよ。」とおっしゃいました。
それまでも掃除のおばさんは見たことありますが、挨拶をしても顔まではちゃんと見ずに通り過ぎるだけでした。制服姿をみると、たしかに掃除のおばさんです。その後、そのおばさんとどんどん仲良くなって、お互いのことを話すまでの仲になりました。その時に、自分は大学に行けなかったこと、子どものために過酷な労働も耐えて頑張り続けたこと、今の職業のことなどたくさんお話をしてくれました。私はその話を聞いて、自分にはやりたいことがあること、それに向かって頑張れる時間や環境があることに改めて感謝し、更に勉強に励むことができました。
 おばさんはたまに、「この建物ではここが一番汚れやすいのよ」という掃除の話や、「今年の子たちはよく挨拶してくれてうれしい」という話もしてくれました。私たちは、掃除のおばさんのことを普段あまり気にしていなかったのですが、掃除のおばさんは私たちのことをしっかりみていることがわかりました。それに、予備校は高校までやってきたような全体の清掃時間というものがありませんから、掃除はおばさんたちにまかせる形になっています。私たちが当たり前につかっている教室や廊下やトイレも、おばさん達が掃除しているからこそ快適に使えるのです。おばさんと仲良くなる中で、気づくことができた大切なことでした。大学に合格した時も、すごく喜んでくれて、何人かの友達を含めてご飯を食べに行きました。やっぱり外に出るときはブランドの洋服に身をまとった、掃除のおばさんとはわからない姿でした。朝早く来ないとわからない姿であるので、ちょっと得意げになったりもしました。まさかここまで仲良くなるとは思いませんでしたから、本当に素敵な出会いをしたと思いました。

 文教大学にも掃除のおばさんや用務員さんがたくさんいます。私はそのたびに予備校の掃除のおばさんを思い出し、掃除のおばさん達の顔を見て挨拶するようにしています。私たちが気持よく大学で生活できるのは、この方々があってこそだと思いますから。

 出会いはどんな所にあるかわかりません。「予備校は勉強をするところ」と通う前は思っていました。しかし、実際はそれだけではありませんでした。わたしが予備校で得た一番大きなことは、この掃除のおばさんや様々な人々との出会いも含め、「大学で学ぶということがどういことか」や、「実際に社会に出て働くこと」について高校時代には考えられなかったことを考える時間であったことのように思います。

 赤本を持っている高校生は大学に進学するために猛勉強、大学3年生である私たちはそれぞれの道へ進もうと努力しており、将来を考え進路を決める次期は絶えずやってきます。その時に、周りの人の話や会話を大切にし、自分を奮い立たせたり、新しい考えや違った見方を学ぶことの重要さを改めて感じました。



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2 月
20

去年1番印象的だった場面ー書き直し

Posted by a6hootazemi in せり

前回書いた私の文章で、みなさんに不信感を与えてしまっていたら、すみません。書く内容、流れをしっかり考えて、構成していきたいと思います!!そのため、次のテーマに行く前に、書き直したいと思います!


私が「去年1番印象的だった場面」は、「スッカラカンになったスーパーの棚」だ。みなさんの印象にも残ったと思われる東北大震災、後すぐに見た場面である。

私がこの場面を見たのは、山形県のスーパーだ。
 自動車運転免許合宿のために山形の自動車学校に入校したまさにその時、地震が日本を襲った。山形県は東北なのだが、太平洋側であるため津波の心配もなく、被害は少なかったようで、2日間ほどの停電ですんだ。電気が復活して喜んだときもつかの間、テレビで地震当時の揺れの大きさや、津波の映像を見て、今回の地震の被害のひどさを2日後に知ったのだった。
 ホテルでの食事も、食糧が届かないということで、みんなで少しずつ分け合ったり、ちょっとしたお菓子を買ってきて配ってくれていたりすることで数日を送った。しかし、自動車学校は予定通りに進めていくという方針だったため、本当にひどい被害だという実感はあまりなかった。

そんな中だった。スーパーが開店したということを聞き、食糧を調達しに行こうと友達と出かけることになり、この場面を見ることになった。私と友達は、毎日スイーツを食べたいというほど甘いもの大好きだったため、デザートを求めて買い出しに行った。しかし、目の前に現れたのは、品数が極端に少ない棚たちだ。夕方に行ったせいもあるのか、安値で甘い商品はほとんど買い占められており、ヨーグルトやアイスは停電期間中に保存状態が悪くなってしまい、売られていなかった。それにもかかわらず、物質を届けるためのトラックなどがなかなか到着しないため、品薄状態が続いていた。これはデザートコーナーに限ったことではなかった。

またその日の夜、関東にいる友達から「買い占め客が殺到しすぎてスーパーに入場制限がかかった。」という話も聞き、とても驚いた。
東北でも関東でも物が買えないことに対して不安に感じている人がたくさんいたのだ。
『物が買えなくなってしまうことへの不安、棚がスッカラカンの状態を見る不安。』
 これは、社会にあふれるほど物があるからこそ感じるのかもしれないと思う。
品揃えが豊富で、棚にズラーっと並べられた商品を見ると、人は購買意欲をそそられる。棚が寂しいと、売店自体が寂しいと感じる。このような考えに占領されてしまうということは、「物が周りにあることが当たり前になりすぎて、そのありがたみを忘れている」結果ではないだろうか。
 実際に、今までなら、食後のスイーツを夜中にコンビニまで行って買いだすほどだった私も、この期間はスイーツなしで済んだ。コンビニが開店してないので、しかたがかなったのかもしれないが、とにかく、毎日ないといけないと思い込んでいるだけだったことがわかったのである。コンビニが24時間なのも、棚に商品が常に並べられているのも、当たり前ではない。誰かが管理をして、誰かが商品を運んで、並べて、という作業があってこそのものだ。そのような過程に感謝すること、豊富な物に恵まれているのは幸せだということを、すっかり忘れてしまっていた。

さらに、山形駅には福島や宮城ナンバーの車や、バスがたくさんやって来ていた。そのときの私の状態より何倍も大変だったろうと思われる人々が同じ山形県にいたのに、自分がその状況を軽く見た行動をしていたことは、反省しなければならないと思った。

そして、私は関東に帰って来てから、東北の人々のためになる活動をしたいと考え、文教大学内外で行われた復興支援コンサートや募金活動に参加した。直接被災地などへいってのコンサートではないが、なにか役に立ちたいという気持ちや、今こそみんなで力を合わせることの大切さを再確認したいという気持ちが、活動参加者やコンサートを見に来てくださった方に伝えられたのではないかと感じた。

現在、棚には品物がすっかり戻ってきている。私も震災後すぐは支援活動をしていたが、今は学校や春休みを自分のことだけ考えた生活に戻りがちになっている。だからこそ、震災をきっかけに感じたこと、気づいたこと、考えたことを、様々な機会で振り返えることは、とても大切だ。ここで文章を書いたことをいい機会として、物がすぐ近くに豊富にあるということへ幸せや、それにかかわってくれている人への感謝を忘れずに過ごしていきたい。そして、間接的ではなく、直接被災地などへいって支援をするという活動を行っていきたい。


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2 月
20

思いを感じて

Posted by a6hootazemi in さえこ

こんばんは。すみません、ちょっとご無沙汰です。
先日は、飲み会お疲れ様でした!
それから、色紙ありがとうございます。とても嬉しかったです!大事にします。

さて、私は昨日18日(土)と本日19日(日)の2日間
埼玉県歴史教育者協議会 第42回研究集会 に参加してきました。
テーマは、「震災・原発事故と どう向き合うか~社会科教育と3.11」。

1日目は平和教育についてのシンポジウムと被災地福島からの現地報告がメイン。
2日目は分科会でした。

1日目の中で印象に残ったのは、やはり被災地福島からの現地報告です。
中でも福島県の漁協の方のお話は、その言葉一つひとつが大変切実で、胸に突き刺さりました。
今現在、漁業再会の見通しが立たない中での苦悩は、やはり自分の船を出せないことだとおっしゃっていました。仕事は誇りであり、漁師は海に出てなんぼなんだ、と。
しかも、毎週一度モニタリングを行うらしいのですが、皮肉なもので魚がたくさんとれるのだそうです。だから本当なら今すぐにでも漁業の再開をしたい。でも、できない。それが苦悩であるとのことでした。

テレビの報道番組のなかで被災地の方の声をきくことはありますが、実際に聞く生の声は感じる重みが、やはり違いました。テレビから流れてくる映像をみて、話をきいていても、やっぱりどこか遠くの世界の出来事のように感じてしまうのが私の正直な思いです。
しかし実際に目の前で話をきくと、私たちに訴えてくる思いが耳や目だけでなく全身に伝わってくるようでした。また、メディアを通すことで「自分に訴えかけられている」という認識が薄くなりがちな気がします。流れてくる情報をただ受け止める状態に過ぎないからでしょうか。
でも、同じ空間で時間を共有していることで、まさに「私たちに訴えかけられている」という認識が強く生まれ、言葉一つさえも漏らすことなく聴こうという姿勢になりました。

漁協の方たちは、安全・安心がモットーであるので、もし国が安全だといっても自分たちが納得いくまでサンプリングをやり続けたい、自粛もしたいと言っていました。漁師という仕事を誇りをもってやってきた人の、真剣な思い。
そして最後に、消費者はどう考えているのかを聞きたい。これからもサンプリングをこまめに続けていくから安全になったら、是非お魚を食べてください。とおっしゃっていました。

 水俣病はみなさん知っていると思います。水俣では現在水銀の値は減っており魚も食べることができるみたいですが、それでも魚の値段は6割程の値段しかつかないのだそうです。これからの福島県が同じような状態になることは十分に想定できるでしょう。厳しい状況が続くでしょうが、漁協の方たちはそれを承知したうえで漁業の再開を目指して頑張っていきますと言っていました。私は漁師の方々の言葉を信じ、漁師の方が胸を張って安全だと魚を提供してくれたお魚を食べたいと思いました。そして、おいしいですと心から伝えたいなという気持ちになりました。


本日2日目の分科会。
現役で現場に立つ先生方や、現場はもう去られた先生方。何人もの先生方と近くでお話をして、お話をきいて、
「あぁ、こんなに子どものことを授業づくりを真剣に考えている先生がいるんだ」と正直驚きました。

子どもに「考えさせたい」、子どもたち自身が考えることが大切。
その子どもの中の「学びたい」に寄り添ってあげることが大事。
どうしたらもっと良くなるのか、なにが大事なのか、そしてどこが駄目だったことの反省。
先生方は常に活発に意見を交換し合っており、私のような現場も知らず、教育の何たるかもわからないような若造の意見にも、しっかりと耳を傾けてくださいました。そこには常に真剣な眼差し。

先生たちのことば一つひとつに、子どもへの思い、教育への思い、授業づくりへの姿勢が込められていて、そこに“教師”の姿を見たように思います。

以前もいったように、私は学校が嫌いですし、大学で学ぶ教師像が実際の教師とかけ離れていると思っていました。
その気持ちは今も変わってはいませんが、それでも、いい先生は現場にもいるのだということは、今日実感することができました。

教育に本気で向き合い、子どもと真剣に向き合うことは簡単なことではないはずです。ですが、現場に立ち、また現場を去ってなお教育を考え続け、上手くいかない現実にも立ち向かっている人たち。あの人たちの姿は、私に「教師って素敵な仕事だな」と思わせてくれました。



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2 月
19

フリースクール

Posted by a6hootazemi in かなこ

初めまして、かなこです
ブログを書くのは初めてなのでいたらないところがあったらコメントをいただけるとうれしいです。

まずは私の興味のある「フリースクール」について書こうと思います    
フリースクールって皆さんにとってどのようなものだと思いますか?
フリースクールにボランティアに行っていた経験からそれと個人の私見をまじえて書きます。

スクールといってもほとんどがNPO法人であることが多いです。そして学校と違うのは時間割がないことがあげられます。文字のとうり自由ですが、つまりフリースクールに通っていても高校卒業の資格は得られないのです。学校にしてしまえば良いではないか!という意見もありますが…簡単にはいきません。学校にするには校地校舎の原則という高い壁があるのです。校地校舎の原則とは学校を申請する人が校舎も土地も持っていなくてはいけないというものです。これではよっぽどのお金持ちしか学校を申請することが出来ません。しかも学校ではないので国や地方自治体の助成金はありません。
それでもフリースクールは生徒たちの居場所として必要なのです。そこにいる子どもたちには過去に何らかの理由を抱えている生徒が多かったです。いじめ、持病、家庭の事情、いろいろです。普通高校に簡単には戻れません。不登校の子どもがいて、元の普通の学校に戻れるのが“普通”ですか。私は無理に戻ることはないと思うのです。
こうしてみると日本の教育って見えないものにはお金をかけないなと感じます。

そんな中で新しい学校の形として東京シュ―レ学園とウィザス第一高等学院を紹介したいと思います。ちなみに東京シュ―レ学園は見学させてもらったことがありウィザス第一高等学院は私の母校です。

でも、今日はこのへんで続きはまた
ではでは(^^)


2 月
19

学芸大附属小金井小 研究授業

Posted by a6hootazemi in ふじくん

今日は伊那小の研究授業の前の日に行った学芸大附属小金井小の研究授業について話していきます。

私は4年生と6年生の算数を観ていきました。4年生は「ともなって変わる量」を6年生では「比例と反比例」を取り扱っていました。ちなみに6年生の担任は教採の講座(全科)に来てくださった先生でした。

授業の共通点としては、導入を児童の身近なものを利用している、ノートではなく白紙のプリントを用いている、発表者の名前を黒板に書く、でした。

4年生の授業は模造紙の周の長さを求める問題で2枚、3枚とつなげていったときどう増えていくかという課題だった。その際実際の模造紙を提示しすごい実感があった。しかし初めてちょっとしたら間違えて面積を求めてしまう児童もいた。そのようなとき先生は「なんでそう考えたのかな」や「今は何を求めているんだっけ」などといった問題の再確認を随時行っていた。また児童が式をを発表するたびに計算の確認を全員で行っていた。さらに「反対です」という意見をもつ児童も多く積極的に授業に参加していた。式から表にする子もいてすごいなと感じさせられた。

6年生の授業は駅から学校までを歩いたり、自転車を使ったりなど様々な速さを提示し時間と速さの関係をみていくという課題だった。まず児童はあっという間に距離と速さから時間を求めた。そして複数の速さの場合の関係性を導くことができていた。その後表やグラフを用いて考えていた。しかもそれぞれの児童が自分自身の意見をしっかり持つことができていた。様々な発想が出てきて驚くことばかりだった。


しかしふたつの授業ともに時間内に終わらず70分くらいかかってしまった。また協議会では教材があまりよろしくはないのではないかという意見も上がってきた。課題の必然性が必要みたいだ。
協議会では最初は質問しようかと思っていたが、私たちとは次元が違いすぎて聞いているだけに終わってしまった。今度このような機会があったら発言してみたい。


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2 月
19

セミナー練習 第二弾!

Posted by a6hootazemi in あかり

お久しぶりです、田中明莉です。
b0のみなさん、先輩のみなさん、春休みを楽しんでいますか?
そんな私は去年に引き続きインフルエンザにかかってしまいました。
去年も今年も予防接種打っているのに!
神様はいじわるです;;(笑)
先生もみなさんも体調管理に気を付けてこれからも素敵な春休みを過ごしてください。


さて今回はセミナー練習文章二つ目の課題「小学校で最も印象的だったこと」を書いてみようと思います。
先生、添削の方お願いします。


【小学校で最も印象的だった場面】

 私は小学校6年生のときに学校対抗のバスケットボール大会に出場した。相手は市内で最も荒れていると言われている学校だ。その印象が強かったのか私たちの学校の児童は皆、相手のチームにおびえていた。怖そうで強そう…私自身相手を見たとき直観的にそう感じた。バスケットボールは皆未経験だし、勝てるのか心配だったが、体育の授業で一生懸命練習してきたから、負ける不安よりも勝ちたい気持ちの方が大きかった。きっとみんなも同じだったと思う。

 そんな相手との最終試合、残り時間わずかで私たちは僅差で負けていた。そのときである、3ポイントラインの少し手前にいた私にボールが渡ってきた。ゴールの下には相手の強力なディフェンスが何人もいる、いま自分の周りには誰もいない…打つしかない。わたしはそう決めて3ポイントラインからボールを打った。
 ピッピ!
…音を聞いてわたしは驚いた。この音は得点が入ったしるし。わたしの打った3ポイントシュートが入ったのだ。偶然とはいえ、本当にうれしかった。心の底からやったー!と叫んだ。逆転することが出来たのも嬉しかったが、それ以上に負けていて辛そうだったみんなの顔が笑顔になったことが何よりも嬉しかった。そして、その後もわたしたちのチームは次々と点を重ね、見事に勝利した。
結果の点数は忘れてしまっても自分が3点を決めた瞬間とみんなの笑顔を今でもとてもよく覚えている。勝った瞬間よりも、あのゴールを決めた瞬間の方が自分にとって嬉しくて印象的な瞬間だったからであろう。
また、普通のゴールの下で打つシュートは2点だが、相手と2点差でも決められたラインの外で打つ3点のシュートを決めれば逆転することが出来るというバスケットボールの楽しさ(の一部)を知ったわたしは、中学校で迷うことなくバスケットボール部に入るきっかけになったのも、この瞬間があったからだ。

わたしは負けていたみんなが笑顔になって次々と得点をしていくきっかけになった、あのシュートを決めた瞬間を、これからも忘れずにいようと思う。そしてどんな機会であれ、自分の行動がみんなをプラスの方向に変えられることが出来るのならば、それはとても嬉しいことだと思う。そしてこれからもそのような機会を大切にしていきたい。


以上です。
お願いします。


p.s
b0のみんなも先輩たち見習って、ブログどんどん書いていこうよー!


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2 月
14

長野→山梨 焦るうえに焦った話

Posted by a6hootazemi in てる, 未分類

私は、伊那小学校公開学習指導研究会のあと、長野から山梨に移動しました。その途中経過の話。

伊那小学校見学が終わり、みんなでゆっくりコーヒーを飲み、みんなが埼玉に帰る高速バスを待っていました。私も電車で山梨に行くのでそれまでの時間をみんなと一緒にいることにしました。駅までは30分と聞いていたので、バスももう少しで来るし、みんなを見送ってから行こうと思っていました。

すると、バスが遅延しています。友達に「ここから駅までは30分くらいだったよね?」と聞くと、「早歩きで30分だよ」といわれました。山梨までの終電19:16発まであと40分。

とてつもなく焦りました。

そこからみんなに挨拶し、駅のほうへ走りました。初めて走る道で駅まで通じている道なのかもあやふやなままとりあえず走りました。途中にコンビニがあったので道を聞き、後何分かと訊ねると、ここから後30分くらいといわれました。時計を見ると電車出発まで後30分。

まずい。

と思いました。そこから自分の足の速さを信じて走りました。途中でカップルが歩いている横を通り過ぎ、「誰あれー?」と女の子に言われ変な目で見られていたことを気にしている余裕もなく走り続けました。電車が来る8分前にようやく駅が見えてきました。助かった、と思いました。でも、どちらのホームかわかりません。駅員さんもいません。

またもや焦りました。

周りを見渡すと人がいました。おじさんが電車待ちをしていました。その人に声をかけようやく安心することができました。トイレに行きたくなったが、電車の中にトイレがあったので救われました。そんなこんなで、そのおじさんと1回目の乗り換えまで一緒に乗ってお話し、乗り換えのホームも教えてもらい、無事に甲斐大泉駅(山梨県)につくことができました。

 JR小海線は2両編成のワンマン電車で線路は一本です。しかも後ろの車両を貸しきれたのでとてもわくわくしながら一番後ろに行って、外を眺めながら写真を撮りながら、電車の2時間半の旅を楽しみました。


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2 月
14

伊那小学校 少々違和感

Posted by a6hootazemi in てる, 未分類

写真はこちらを見てください。見れるかな。伊那小学校以外の写真も載ってますすいません

http://www.facebook.com/media/set/?set=a.240230329392096.60048.100002153936139&type=1&l=b02aec2fc5


伊那小学校に行って私がまず感じたことは、みんな伊那小をよく評価している人ばかりで、異様だなあということ。

気づいたこと
 一ヶ月ごとにクラスの様子を担任が模造紙にまとめている。児童の良さを伝える機会を増やすことで、通常よりもっとよく児童を見るのではないか。自分にもできるから将来教師になったときに実行したい。
 絵や工作がたくさん掲示してある。クラスが育てている動物の絵が多かった。生き生きと表現できていた。
 上履きが運動靴。常に動きやすいように
 机の向きが、ディベートの形だった。
 教室の床がきれいだった。掃除がしっかりなされているようだ
 長靴が常備されている。普段から農業などに触れていることがわかる
 4年生になるときにクラス替えが一度あるだけ。3年間のカリキュラムで授業が行われる
 教師が始めてください、というと子どもたちは自由にやりたいことを進めて、教師と児童が意思疎通していた。

教師自身が怖がっているから危険なことは禁止する。だから、教師が統制した中で子どもにやらせると、責任をもたないので、怪我が起きる。子どもに自由にやらせると、子どもも自分に責任を持ってやるから、怪我はあまりしないという。
 伊那小学校に子どもを通わせている保護者の方は、「一般的な勉強してないし通知表もないし、不安だったが、子どもの様子を見ているうちに、自分のやったことのない体験をしていたり、生き生きとやっているところを見て、応援できるようになった、今では伊那小学校に通わせてよかった。」と言っていた。

 みんな伊那小に取り込まれていく。不思議であり、違和感が少し残る。


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2 月
13

ADHDの診断基準

Posted by a6hootazemi in はせ

こんにちは。春休み、いかがお過ごしでしょうか。たった今、勉強会をしている12号館の外を通りました。私も実習前に模擬授業やりたいので、後々参加したいです!それぞれが進路に向けてがんばっているなあ、と感じます。今しかできないことを全力でやっていきましょう。今回は、最近読んだADHDの英文について、考えたことを書こうと思います。

AD/HD[注意欠陥多動性障害]という症状はみなさん御存じだと思います。不注意・多動性・衝動性を主な症状とする発達障害のことをいいます。補助教員などをやっている人はADHDの子どもとかかわる場面があったと思います。現在普通学級に在籍している児童で、ADHDの症状がある、もしくは傾向がある児童は2・3名程度いるそうです。家庭での教育や、教師の対応だけではなく、児童を取り巻く地域環境にも目線を向けることが重要となってきています。

この前読んだ、ある英文の話はADHDの過剰診断の話でした。欧米では、ADHDの過剰診断について、前から問題になっているようです。アメリカでは、ADHDの薬物治療として使用しているメチルフェニデートの使用が1990年頃から急激に増加したようで、全ての年齢のグループにおいても増加傾向であったようです。それは、おそらく以前ADHDと診断されなかった症状に対しても、ADHDという診断をくだしているためだと解釈されています。さらに、欧米では、ADHDの州ごとの患者数の比率の差が著しく、隣の州であるのに、ADHDと診断された患者数は4倍の差があったことがわかっています。ADHDの診断基準の曖昧さが表され、重要な問題は診断の対等性ではないとまで記述されています。ADHDの兆しと似ている行動パターンが5歳頃に現れることもあり、全てをADHDととらえるのではなく、子どもの生活の状況であったり、ストレスが含まれている可能性、もしくは薬物の可能性(ここでいう薬物の影響とは副作用のことであると思われます)も示唆する必要があると警鐘を鳴らしています。

日本においてはどのような診断基準であるのでしょうか。アセスメントは単にADHDであるかを診断するだけではなく、その子どもに対していかなる援助が必要かを考えるための情報を得ることを目的としています。様々な医学的検査や心理的検査がありますが、行動の観察や、面接による聞き取りを重視しているようです。

子どもの行動パターンについて情報を集め、並行して薬学的、医学的治療を行っていくことを必要としている点においては、日本・アメリカともに同じ認識であるのだと感じました。

診断基準を設けることは必要であるとは思うのですが、ADHDや自閉症は併発している可能性が大きく、症状も様々です。確かな診断基準がないのであれば、ひとりひとりの子どもの行動や情動の特徴を見つけて、対応していくほかはないのだろうか、と考えさせられました。


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2 月
12

人を叱る勇気

Posted by a6hootazemi in まる

こんばんは!まるです。今日駅のところにあるイタリアントマトで勉強していた時、偶然小免の富岡さん(とむ)と会って児童養護施設について聞いたのでそれを書きます。

とむのバイト先にいる子どもたちは大半が家族から虐待を受けている子だそうです。仕事内容は学童と似たものであるようですが、子どもたちは親からの愛情不足からなのかいきなり癇癪を起したり、人の話を聞かないなど普通の子たちとは異なる点が見られるようでした。

児童養護施設について調べたところ、施設から出た人の進路は約7割が高卒就職。その理由は学費不足だそうです。

親が子どもを虐待したり、育児放棄することはなんの罪のない子を己の無責任さから未来を奪う愚かしい行為なのだと再確認させられました。

施設で働く人たちはみな子どもの境遇を知っているため、親からもらえない愛情を与えてあげたいと考えているそうですが、社会に出て自立できるよう、厳しく教えなければならないと、子どもたちには厳しく教育しているそうです。

愛情を注ぐということ=甘やかすは間違いです。しかし虐待という悲しい過去をもつ子どもたちに家庭で甘えられない分せめて施設では甘えさせてあげたいと考え、私ならその子たちに厳しく接する自信がありません。本当にやさしい人っていうのは厳しくもその子を支え続けてくれるひとなのかな。

自分は人に嫌われるのが嫌いで、人を叱ったりするのが苦手です。しかし嫌われてもいいからその子のために「言わねばならないことははっきり伝える」という勇気をもてるようになりたいと思いました。


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2 月
12

バルトークのルーマニア民族舞曲

Posted by a6hootazemi in みさきん

2月も半ばになりました。私は、テスト・レポート提出が終わったその日にインフルエンザにかかり、1週間ほど寝込みました。そして、病み上がりの体で中央大学と文教大学の金管・打楽器パート合同合宿に参加し、昨日帰ってきました。
合宿は2月16日に行われる「ドリームブラス2012」という、中央大学と文教大学の吹奏楽部合同の金管バンドの演奏会のための練習合宿でした。

そこで、私がトップをする曲に「ルーマニア民族舞曲」という曲があります。
私は、この曲が最初好きになれませんでした。作曲者のバルトークの作品で「中国の不思議な役人」という曲があります。この曲にはトロンボーンの長く難しいソロがあり、コンクールの自由曲としても多くの団体に演奏されている曲です。私は、「ルーマニア民族舞曲」もそのように、トロンボーンが活躍できる曲だと思っていたのですが、いざ譜面をもらってみると、休みは多い、目立つのは少し、はまりにくい和音が随所にある、という曲で、なんだか期待外れの印象を持ってしまいました。

しかし、曲について調べてみると、その面白さを発見することができました。
まずは、原曲はピアノの独奏曲であること。これにはびっくりしました。確かに言われてみれば、楽器同士の複雑な絡みもなく、主旋律と伴奏の2つで構成されています。オーケストラの曲をブラスでやることは多いですが、ピアノ曲をブラスでやることはめったにないので、面白いと思いました。
また、作曲者のバルトークが民族音楽研究家でもあったことを知ったのは、この曲に対するバルトークの思い入れが感じられるようになり、大切に演奏したいと思えるきっかけになりました。第一次・第二次世界大戦下の中で、民族音楽について研究することは容易ではなかったと思います。その中でも、民族音楽をテーマにした曲を書き上げたバルトークの思いを大切にしたいと思いました。



話は変わりますが、1つの曲を演奏するためにその曲について調べることで、曲の奥深さや面白さに気づきます。そして、知らなかった時よりも楽しく演奏できたり、その曲のことを好きになったりすることができます。作曲者やその曲ができた時の時代背景のことを知ると、その曲のイメージが頭に浮かび、「こう演奏したい」という思いが生まれます。

卒論もきっと同じなのだと思います。

私は「発表すること」をテーマに研究したいと思っています。研究を進めていき、発表することの奥深さ・面白さを発見して、自分が教師になった時に「こう活かしたい」と思えるような研究にしたいです。
その研究の結果を、このブログにどんどん書いていけるように、こつこつ頑張ります。



最後に…
♪♪Dream Brass 2012♪♪
~Bunkyo & Chuo British Brass Concert Vol.13~

 日時:2012年2月16日(木) 
 場所:府中の森芸術劇場ウィーンホール
 開場17:00/開演17:30
 曲目:たなばた(酒井格)
ハイランド讃歌(P.スパーク)  ほか
指揮:濱本広洋  ほか
入場料:無料(全席自由)

ドリームブラスとは中央大学・文教大学吹奏楽部の金管打楽器パート有志で結成される英国式ブラスバンドです。毎年両吹奏楽部の活動が一段落するこの時期だけ楽器を持ち替え、吹奏楽とは違った音楽形態に挑戦しています。
ぜひ皆様お誘いあわせの上ご来場ください。団員一同心よりお待ちしております!!


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2 月
11

春休み

Posted by a6hootazemi in ふじくん

まず報告としてこの間渡辺さんとも相談した結果、卒論は食育について調べていきたいと思います。
また先週研究授業の報告をしたいといいましたが最近忙しくてそこまで手が回ってないんです。とりあえず保留で。すいません。

最近忙しいといいましたがそれは春休みの予定立てです。主に勉強会の計画がいっこうに進まず悩んでいます。人数も増え、取り組む内容も濃くなり、何を基準で考えていけばよいか分からなくなってしまっています。勉強会にバイト、補助教、地味にサークル、これからは講座、論作文ゼミ、教採合宿などと色々詰まってしまっているのが現状です。少しでも早く把握して効率の良い生活を送っていきたいです。

そのような中、先日少し早いバレンタインのチョコをもらえました。(義理だけど・・)
ちょこっと元気が出ました。女性陣!今年はどんな感じですか?
とりあえず僕はいつでもウェルカムですよ。(笑)
嬉しいような、悲しいようなバレンタインデー。この日に何組のカップルが誕生するのでしょうね?
「イベントがある日にカップルになる可能性」みたいな卒論も面白そうですね。

淡い期待を胸に14日、講座に乗り込んでいきます。

話は変わりますが、私が通っている補助教先ではインフルエンザが流行しています。2クラスが学級閉鎖。
他のクラスも休みがいっぱいでした。そのような状況である先生に「藤田君、先生になるには免疫力や体力が必要だよ」と言われ、給食を学級閉鎖明けの児童10数名のクラスで食べました。休んでいる子がいる反面、教室にいる子どもはすっごい元気でした。昼休みも全力で鬼ごっこをして元気をもらいました。
しかし家に帰ったら少し体調が悪くなってしまいました。寝たらだいぶ良くなったのでよかったです。


友達にもインフルエンザにかかってしまった子もいます。
みなさん、体調管理には十分気を付けてくださいね。それでは今日はこの辺で。


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2 月
10

主体性とは

Posted by a6hootazemi in まる

夜分遅く、さらにいつのまにか土曜を過ぎ、水曜までのびてしまいました・・・すいません。
今日は主体性ってどう身につけさせるのか。まあ自分も欠けているので、どうやって身につけるのかを考えたくなったのでそのことについて書きたいと思います。

主体性=自分の意志・判断で行動しようとする態度

と国語辞典には書かれています。さっきちょろっと調べてて出てきたんですが、実は企業も人材に求める一番大きなポイントは主体性を持った人間かどうかだそうです。

これを養うって結構難しくないですか。
学校教育において協調性は必要不可欠なものだと思います。子ども目線で考えると、自分は本当はこれがしたいと考えていても、周りのことを気にして自分の考えを貫きつづけることをやめてしまう時があると思います。
そんなとき、友達に合わせたほうが正しいのか。自分の主体性に基づいてわが道を進むべきなのか。子どもたちはどう考えるのでしょうか。

まあ主体性をもって行動するというのは色んな場面ごとに意味は変わってくるのだと思いますが。(それが善か悪かなど)

学校や社会などの集団において自分という存在をどこまで通していいのか。学校教育のなかで求められ、養われる主体性というのはなんとなく自分の中で、大人にとって扱いやすいものに見えてくるのです。(私が少々ひねくれているだけかもしれませんが)

主体性とは自分の欲求を理解し、行動できる環境でないと成り立たないものだと思います。それを学校という集団社会のなかでどう養うか。

しばらく考えたけど思い浮かびません(笑)

自分の考えを大事にすることが後々主体性の元になっていくのでしょうかね。

などと考えているマルでした。おわりです。
2年生の方々DVDありがとうございました。頑張って勉強します。


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2 月
8

ゲームで十分?

Posted by a6hootazemi in ちさまみ

こんにちは!ちさまみです♪
暦の上では立春を過ぎましたが、まだまだ風が吹くと、寒くてしょうがないですね。
大好きな春が早くこないかと、待ち遠しくてしょうがない日々を送っています。

さて、先日、先輩の家で、あるゲームをやっていました。そのゲームとは、テレビ画面に向かってリモコンを振ったりしながら、ボーリングやバスケットボールのスリーポイントを決めるゲームなど、いくつかのゲームが入っているものです。そのゲームがあれば、十分に遊べます。

中でも、ボーリングは、何人かでできるので、本当にボーリング場に行ってやっているみたいでした。むしろ、ボーリング場でやるよりも、簡単にたくさんのピンを倒すことができるので、楽しかったです。持つものもリモコンなので、本物よりも軽く、疲れることもありません。テレビ画面に向かってリモコンを振るだけなので、場所もほとんど取りません。

私が子どもの頃は、こんな素晴らしいゲームはありませんでした。ボーリングゲームをしたいと思ったら、空いたペットボトルを集めて、ゴムボールを転がして、狭い部屋を上手く使ってやっていた覚えがあります。それが、部屋のちょっとした空間で、リモコンを振るだけで、スコアも付く、本格的なボーリングゲームができるなんて、時代は変わったな~と、つい思ってしまいました。

楽しみつつ、感動を味わいながらも、こういったゲームで遊ぶことが当たり前になっていったら、怖いなとも思いました。子どもの体力低下はどうなるのだろう、外に遊びに行くことがなくなってしまうのではないかなど…

しかし、今の子どもたちは、忙しい日々をすごしていると思います。その中で、外に遊びに行く時間やボーリング場に行く時間もあまりないかもしれません。そういった状況での、よいストレス発散になればいいなと思いました(^^)



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2 月
8

大学生の時にやるべき3つのこと

Posted by a6hootazemi in はせ

こんにちは。先日は飲み会お疲れ様でした。さえこさんへの色紙も渡せたし、最後に一言ずつメッセージを伝えられてよかったです。またやりましょうね!!
ブログの書き込みがかなり久しぶりになってしまいましたが、これから決められた日にきちんと書いていきます。

 私は居酒屋でバイトをしています。早いものでもう半年以上たちました。忙しいときも多く、失敗することもあって落ち込んだりもしますが、マスターやママさん、他のバイトさんもみんな親切で面白いので、楽しく働いています。
 私は以前、ビュッフェレストランや物販でバイトをしていた経験があります。いままでのバイトで共通していることは全て接客業ということです。しかし、居酒屋は他のバイトと接客において大きく違う点があります。それは、「常連さん」の存在です。常連さんはだいたい来る曜日が決まっています。頼む料理、お酒の順番、こだわりがあることもわかってきました。ありがたいことに、私の名前を覚えて話しかけてくれる方も増えました。その中の一人の常連さんが、私に話してくださったことを書きたいと思います。
 
「大学生の時にやるべき3つのことがあるんだけど、思い浮かぶかい?」
私は、「勉強することとたくさん遊ぶこと、あと自分の視野を広げることですか?」と聞き返しました。
「もっと具体的に、3つだよ。」
私は考えましたが思いつきませんでした。皆さんは思いつきますか?


まず一つ目は、部活かサークルに入ることです。それも、2年以上在籍すること。
社会的な仕組みや、上下の関係、組織とその中での自分の役割を学ぶために、2年はいることだそうです。
二つ目は論文を書くことです。太田ゼミの皆さんなら、論文はお手のものでしょう(笑)論文は、単なるレポートだけではなく、その時の思考、さらには情動も反映するので、「構成を練って論文を書く」という技能だけでなく、自分を顧みる時にも効果的であるということです。
三つめは、大恋愛をすることです。この「大恋愛」を定義するのは難しいのですが、常連さん曰く、「自分を犠牲にして命をかけられるくらいの深い愛」だそうです。こればかりはやろうと思ってできるものでもないのですが、若い感性を持っているうちに体験することに意味があり、あとの人生がより豊かになるということです。

 皆さんはこのうちのいくつを達成していますか?また、達成できそうでしょうか。賛否両論いろいろ思うこともあると思いますが、どれにも共通していることが1つあります。それは、すべて「対人関係の中で培われる」ということです。部活やサークルは1人では成り立ちません。論文をより深みのある良いものにするためには、誰かに見てもらったり、共同研究をしたり、議論をする必要があるでしょう。もちろん恋愛は相手がいなければできません。
 大学という場所は社会と異なって、一人でいようと思えば一人でいることができます。しかし、それでは、大学に入った意味が無いのも同然であるのです。知識や技能を学ぶことはもちろん重要です。しかし、大切な友達ができること、先輩・後輩と関わること、先生から学ぶこと、好きな人と巡り合うことができるのが大学という場所であると思います。そして、このような人間関係の中で、楽しい時間を過ごすだけでなく、より豊かな人生にしていく上で必要となる経験やスキルを学んでいくのだと感じました。


 ちなみにこの常連さんから「人と付き合う時の5カ条」も教えてもらいました。いろいろな視点から考えることができて、勉強になります。聞きたい人はわたしに聞いてくださいね!





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2 月
5

特別活動レポート

Posted by a6hootazemi in ふじくん

こんにちは!
昨日おとといと充実した体験をしてきました。
それは東京学芸大学附属小と伊那小の研究発表会に参加したことです。
その内容はまだまとまってないのでとりあえず今日は特別活動のレポートを載せます。

特別活動の現状と課題(3)
~特別活動の評価をめぐって~

1. 特別活動の評価
現在は通信簿における評価と指導要録における評価がある。
・通信簿
 通信簿は法的拘束力がないので様式等は各学校に任されている。通信簿の意味としては子どもへの動機づけや保護者への連絡があげられる。ここでは最も使用率が多い様式のもので述べていく。まずほとんどの学校で観点別評価が用いられている。評価の表示としては「よくできる、できる、がんばろう」などといった言葉で表すものが多くまた3段階に分けて評価するものが多い。また「総合的な学習の時間の記録」や学校の様子などを示す「行動の記録」の欄を設けている学校が大半であった。行動の記録では特別活動の様子を言葉で記録する欄がありこれを所見欄という。他にも特別活動の内容ごとに○か空欄で評価する状況欄や所属する委員会・クラブ・係等を記載する事実欄がある。
・指導要録
 指導要録は法的拘束力があり法定表簿の一つである。文科省による参考様式は二つあり、様式1は卒業後20年間保護で様式2は卒業後5年間保護しなければならない。指導要録における評価は「特別活動の記録」と「総合所見及び指導上参考となる諸事項」の二つあり、新学習指導要領に対応した指導要録の改善のポイントとしては「学習指導要領の目標及び特別活動の特質等に沿って、各学校において評価の観点を定めることができるようにすることとし、各活動・学校行事ごとに評価すること」や「小学校及び特別支援学校(視覚障害、聴覚障害、肢体不自由又は病弱)小学部における特別活動の記録については、各学校が自ら定めた特別活動全体に係る評価の観点を記入した上で、各活動・学校行事ごとに評価の観点に照らして十分満足できる活動の状況にあると判断される場合に○印を記入すること」とされた。

2. 現状と課題
 まず特別活動そのものの課題としては特別活動が活動の時間は楽しいで終わっていることや活動を通して好ましい人間関係が築けていないこと、幼児教育から小学1 年生、小学6 年生から中学1 年生の接続段階における集団や社会への適応における問題、子どもたちの現代的な課題を解決していく時間となっていないということが挙げられる。それを踏まえて新学習指導要領では目標の改善として小中の指導の接続を重視すること、よりよい人間関係を築こうとする自主的実践的な態度の重視すること、特別活動・道徳・総合的な学習の時間における目標の明確化、がポイントとされている。それが特別活動の学習評価においても反映されており「集団活動や生活への関心・意欲・態度」、「集団の一員としての思考・判断・実践」、「集団活動や生活についての知識・理解」という評価の観点にもつながっている。
各領領域においてもそれぞれの目標があり、①学級活動では話合いや係の活動などを進んで行い学級生活の向上やよりよい生活を目指し諸問題の解決に努めていること、②児童会活動では委員会の活動を進んで行ったり集会に進んで参加したりして学校生活の向上や他のためを考え自己の役割を果たしていること、③クラブ活動では自己の興味・関心を意欲的に追求し他と協力して課題に向けて創意工夫して取り組んでいること、④学校行事では全校や学年の一員としての自覚をもち集団における自己の役割を考え望ましい行動をしていることが趣旨とされている。評価をめぐる動向としてはH12では絶対評価重視の考え方が取り入れられ翌年指導要録を改定した。またH14では観点別評価のための具体的規準の作成の試みをした。観点別評価の基準は領域を9つの内容に分けさらにそれを「関心・意欲・態度」、「思考・判断」、「技能・表現」、「知識・理解」、の4つの観点にわけそれぞれを評価していくものであった。しかし評価のための評価になっていたり、評価の方法が保護者等に対して十分わかりやすいものとなっていないことが挙げられた。そこで中央教育審議会(H20)では各学校における教育活動に合わせて評価の観点を定めて評価することとした。

3. 考察
特別活動は全校又は学年を単位として行う活動もあるので学級担任以外の教師が指導することも多い。評価に当たっては評価体制を確立し学校全体で組織的に取り組む必要がある。また評価を通じて教師が指導の過程や方法を必要に応じて見直すことにより、効果的な指導が行えるような工夫や改善を行っていくことが大切である。そのために各学校で評価実施のための責任と役割の分担を明確にするや特別活動全体及び各活動・学校行事ごとの指導と評価の計画を作成することや計画に基づいて評価のための基礎資料を収集すること、児童一人一人のよさや可能性を生かし伸ばすために好ましい情報や資料を随時児童に伝えたり学級で紹介したりすることが必要となってくるだろう。そして収集した資料を各学校で定めた所定の手続きに従って総合的に判断し評価を行い、評価結果を各学校における指導や評価体制の改善に生かしていくべきだ。
くわしく見ていくと話合いなどの活動の評価については、よりよい学級生活を目指して話合いのねらいや提案理由に沿って考え発表し合っているかなど児童の活動の状況から見とることができるが、その際その場を見て終わりにするのではなく学級活動ノートなどを活用して話合いを振り返らせたり、実行に向けてがんばりたいことを記入させたりすることにより指導の参考にすることにする。事後の活動の評価では決定したことに向け自分の役割に取り組んだり、協力し合って実践したりする児童の活動の様子を見とることができ、その際ノートやカードを活用して評価し指導の改善に生かすことも必要となってくるだろう。
 特別活動を評価していくにあたってはまず学校全体で共通した計画を作成し各教師が理解したうえで日常生活において評価するための工夫を凝らしていけば教師の負担も少しは軽くなると考える。これは評価のための評価と考えるのではなく指導の充実のための評価としてとらえたい。また学校として目標を明確化し保護者などにも積極的に情報を開示していくことで、保護者の理解を得たうえでの目標に準拠した評価を行っていくべきだと考える。


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2 月
5

タイセツって大切!!

Posted by a6hootazemi in ばうわ





こんばんは。ばうわです(*^_^*)
またまた2日遅れになってしまいましたが、頑張りたいと思います。

ちなみに前回、未分類でたいそう短い投稿をしてしまったのですが
あれもわたしです(^^;)すいません、早く慣れなくてはですね


今日は先日サークルの友達と盛り上がった話題、そして説明会にて感動した話題を
書きたいと思います

これはサークルの友達から聞いたのですが
とある女優さん(たぶん江角さんだったかな?)がとある番組で
”お母さんを大切にできる男は彼女も大切にできる”と
言っていたそうです。

そしてわたしがこの前とある説明会で
”物持ちのいい人、物を大切に出来る人は
者(人)さえも大切にできる”
ということを聞きました


わたしはこの二つを聞いてなるほどと思いました。

まあ、ゆうてもたった二者の意見なので偏りがあると
いってしまえばそれまでなのですが
家族・友達・恋人 いずれにしても
人を大切にするって目に見えないものだけど
こうやって、実は形にも自然に現れて出てくるものなのですね

わたしは最近、人を大切にするってどういうことだろう
何が友達で、何が家族で、何が恋人なのだろう…
と考える機会が幾度とあったので
なんか感動してしまいました 笑

みなさまも、自分を大切にしてくれる友達や恋人と
幸せなマイライフを送りましょうね!! 笑

なんだかなんだかな文章ですが、今日はこの辺で失礼いたします(^_-)-☆


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2 月
4

教育者として

Posted by a6hootazemi in いいんちょう

こんちは。二日遅れのいいんちょうです。
昨日は節分ということで季節の分かれ目、そして今日は立春なので暦の上ではもう春なんですね。寒くて春はまだまだ感じられずマフラーが手放せない毎日です。早く春の日差しを浴びながら散歩がしたいです。
オヤジかっ!!!w

今回はセミナー実習で学んだことを書きたいと思います。
昨日は実習校で一日を過ごしたのですが、担当教員の小林先生という方が放課後に打ち合わせと僕へのアドバイスを兼ねていらっしゃいました。
「教育という感じを書いてごらん」
そう言われたので書くとこんなお話を聞くことができました。

「教育という字にはちゃんと意味があるんだよ。
教えるという字の左半分4画目まで。これは「交」という字が崩れてこの形になったんだよ。そしてその次に来るのは子どもの「子」、つまり子どもと交わるという意味を持っている。そして、右半分の「のぶん」は男の人が鞭を持って振りかざしているという象形文字なんだ。これらから、教えるという漢字には、男性的で攻撃的ないわゆる厳格な教えを行っているという意味を持っているんだ。
 次に「育」という字。この上半分は「子」という字を180度回転させた形。そしてその下には人の肉体を表わすにくづきが書かれている。なぜこのように書かれるかというと子どもは母親の体の中にいるときは頭を下にして育っているかららしいんだ。つまり「育」という漢字には、母親的な優しさのあふれるとても慈愛的な意味が含まれているんだ。だから、教育を行うプロとしてこの「教」と「育」のバランスをうまくとりながら頑張ってほしいんだ。」

このお話を聞いたときは、なるほどと感心するばかりでした。確かに子どもたちとの接し方一つで自分の評価や人気に大きな差が生まれます。また、子どもがどんなふうに育っていくかにも影響を与える可能性は十分にあります。教育者のさじ加減は僕たちが現場で経験を積むことによって少しずつ培われていく部分だと改めて考えさせられる出来事でした。

もう4年生になってしまう私には学生の時間があまり残されていません。日々を充実させるとともに大人にそして教育者としての準備を少しずつ進めたいと思います。

P.S.
小林先生と校長先生と3人で話し合いをしたときに間違って小林先生より上座に座ってしまいました><
社会人になってからのミスでなくてよかったです。あせりました・・・


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2 月
2

ポリーニのつまずきと立ち上がり

Posted by a6hootazemi in わけい

 個人ブログに書いた文章の転載です。

 HMVの読者レビューで、ポリーニのリストのソナタに関して、堕落が酷く、ちゃんと練習していない等の批判を読んだ。ポリーニに関しては、実に多彩な評価がある。しかし、事実とは異なる評価を読むと、好き嫌いでは済まないものも感じる。技術偏重とか、機械的等の批判は、ポリーニ全盛のときの演奏に対しても言われるが、一体何を聴いているのだろうかと思う。
 かなり前のことだが、来日したポリーニがテレビの視聴者参加番組に出て、インタビューのあと、参加者の質問を受けるということがあり、非常に興味深かったので、よく覚えている。そこで、練習の話しになり、自由な時間はすべて練習をしていると答え、どんな練習をするのか、技術的なこともやるのか、という質問に対して、技術的な練習は一切やらない、あくまでも作曲家の意図を探るための解釈のために練習すると答えていた。そして、実に驚くことに、技術的な困難というのは、感じたことがないとまで言っていた。6歳で平均律曲集を弾き、11歳でハンマークラビアを、そして、15歳のときには、ショパンの練習曲の演奏で、ミラノでは有名だったとされるほどだから、確かにそうなのかも知れない。アシュケナージも、先生から言われたことでできなかったことはなかったと答えていたのを読んだことがあるから、このくらいの天才になると、弾けないパッセージなどないというのも、ありそうなことだ。テレビでは、ワルトシュタインソナタのオクターブグリッサンドを弾いてみてくれと要請され、気軽に立ったまま、左右の手の双方向のオクターブグリッサンドを猛烈な速さと均質な音で弾いて見せ、一同びっくりする場面があった。ここは、ずっと前に、ある音楽雑誌で、どのように演奏するかについての専門家の座談会が載っており、結局ベートーヴェン時代のピアノなら機能的に弾けるのだが、現在のスタインウェイでは演奏は不可能である、などという結論だったのが、まったくのでたらめであることがよくわかった。
 つまり、ポリーニが練習不足というのはまったく筋違いな批判だということだ。そして、技術偏重というのも、的外れというべきだろう。
 機械的、無機的というのはどうか。これは、全盛期のポリーニの実演を聴いたことがあるので、これもまた全くのナンセンスだといいきることができる。どうせリサイタルのチケットは無理だと思ったので、必ず出演すると思われたNHK交響楽団の定期演奏会の会員になったのだ。ポリーニ出演は一度だけだったが、3年くらい会員を続けたので、かなりのピアニストを聴くことができたのだが、ポリーニの音は全く異なるものだった。NHKホールの3階席だったので、かなり遠い位置だったが、ポリーニの音だけは、完全にクリアに届いたし、ショパンのコンチェルトを実に多様多彩な音色と表情で演奏し、夢見るような趣があった。そして、アンコールのバラード一番は、信じられないようなテクニックとスケールの大きな表現、そして、神秘的な音色やダイナミックなエネルギーの放出で、完全に聴衆を魅了し、一流の演奏家に慣れているNHK交響楽団員たちも興奮の渦に巻き込んでいた。
 無機的な演奏という人たちは、テンポを揺らさず、きっちりとインテンポ、しかも速めに弾く演奏に、歌を感じにくいのだろう。しかし、実演の音を聴く限り、音そのものが歌っており、テンポの変化を伴わなくても、実に表情豊かなのだ。レコードやCDでもそれは明瞭に聴きとれる。他の演奏家でいえば、トスカニーニがそうだ。
 つまり、全盛期のポリーニは、テキニックと音楽的表現力、あらゆる面で、もっとも優れたピアニストだったし、ピアノの演奏の質を変えてしまい、ピアニストたちにこそ、極めて大きな影響を与えたといえる。

 しかし、1990年代後半以降のポリーニがもはや一流とはいえない、普通の上手なピアニストになってしまったこともまた否定しようのないことだろう。うわさにも聞いたし、部分的に聴いた録音でも明確に感じられた。そうなる前のポリーニボックスを購入したあと、新譜の購入をまったくしないまま、ずっと来たのも、幻滅を味わうことが嫌だったからだ。
 ところが、普通のピアニストになってからの演奏の方がいい、という人もいることに最近驚いたこともしばしばだった。ポリーニはアシュケナージと違って、録音の少ないピアニストだから、二度録音した曲は少ないのだが、それでもベートーヴェンとブラームスのコンチェルトとショパンの2番のソナタがある。私の耳では、最初のはまさしくポリーニだが、二度目のはいずれもテクニックが衰え、表現したいことが、十分にできないもどかしさを感じながら演奏していると思われるのだ。にもかかわらず、最初のショパンは嫌いだが、2度目のは好きだという人がいることに驚き、やはり聴いてみようと思って、最近出たショパンボックスを買って聴いた。
 実演のバラード一番をまず聴いたが、やはり、実演のすばらしさは跡形もないという感じだった。2番のソナタもバラードほどではないが、とても1度目よりいいなどとはいいがたい。つまり、明らかにコントロール能力が大きく低下しているのだ。

 ただ、もっとポリーニに拘ってみたいと思うようになった。それは、ポリーニの変貌が、堕落や練習不足ではまったくなく、その逆だからだ。ポリーニがテクニックを失ったのは、練習しすぎによる腕の故障が原因であることは、プロの音楽家に直接聞いたので、間違いないだろう。1995、6年に聞いたので、故障はその前に起きていたことになる。不幸なことに、その故障は、肉体的な衰えを避けることができない年齢において起きた。超絶技巧の持ち主が故障すると、精神的にも大きな壁にぶつかるのだそうだ。ピアニストというのは、アスリート的側面をもっている。妙な比較だが、巨人の投手だった桑田によく似た状況だと思う。桑田は日本を代表する投手だったが、単なる投手ではなく、抜群に守備のうまい人だったのが災いして、普通の投手なら取りにいかないフライを追いかけ、ダイビングキャッチをしたのだが、それで野球生命にかかわる怪我をしたのだった。その後手術をし、投手として復帰したが、往年の速球はついに戻らなかった。しかし、桑田のすばらしいところは、それでも精進を続け、ぎりぎり不可能になるまで、アメリカ大リーグまでいって、野球を続けたことである。その姿勢と野球理論は、大リーグの選手も感動させ、コーチとして残る要請があったという。

 ずっと長い間、ポリーニはなぜ引退しないのだろうと感じていた。教師としては引く手あまただろうし、生活にこまるようなことはありえない。相当きつい批評もあるし、何よりも、前のように弾けなくなったことは、ポリーニ自身が一番よく知っているのだから。全盛期のポリーニは、ドイツグラモフォンがほとんどの演奏会を発売の可能性を前提としてライブ録音していたと言われている。しかし、その発売をほとんど許可しなかったほど、自分に厳しい演奏家だ。

 ショパンボックスは、かの有名な練習曲から始まって、グラモフォンにいれたショパンが全部入っている。そして、1991年のスケルツォをはさんで、1999年のバラード集まで8年のブランクがあるのだ。これが故障によるブランクと精神的闘いの時期だったことは明らかだ。スケルツォのときには、まだ明確な故障が現れていなかったのだろうが、変調をきたしていることが感じられる。そして、復帰第一弾のバラード1番は、もはや私がNHKホールで聴き、聴衆を興奮の渦に巻き込んだものとは、全く違う。バラード1番は、20代で演奏会をあまりしなかった時期から、ロンドンで演奏会を開いたあと、EMIに録音したショパン名曲集に入っているので聴き比べれば、その違いは明瞭だ。まだ20代だったときの演奏は、カンペキなテクニックと曲の雰囲気を出し切った音楽性とで、圧倒的な印象を与える。ホロビッツのカーネギーホールでの演奏の影を薄くしてしまうほどのすばらしさだ。しかし、NHKホールでの演奏は、もっと表現のスケールが大きい圧倒的なものだったのだ。

 なぜ、以前のポリーニだったら絶対に発売許可しないようなものを出すようになったのか。真相は、本人が語らない限りわからないだろう。しかし、私は勝手に想像してみることにした。それは、故障という、本人に責任のない原因で、ある意味どん底に落ちるような状況になった人が、懸命な努力によって、どこまで立ち直ることができるのか、それを見せることによって、人々に勇気を与えることができるのではないか、という「納得」「決意」をしたからではないか、と。どんなに努力しても、50代末ころに故障した人が、60代、70代となるに従って、テクニックを取り戻すことはほとんど不可能だろう。しかし、一歩一歩回復していくことは可能に違いない。ポリーニはそういう決意を実践しているのではないか。そして、最近のポリーニの方に感動するという人がいるのは、ポリーニのそうした努力が、演奏に現れているのかも知れない。比較的評価の高いノクターン集は、ポリーニの「可能性」を表したものといえるし、流石にポリーニだと思わせるとともに、以前の彼なら、もっとバランスのよいコントロールをしたはずだと思わせる、両面をもった演奏だ。

 私は大学のゼミで4月から「つまずきとたちあがり」というテーマで共同研究をすることにしている。ポリーニを想定していたわけでは全くないが、しかし、ポリーニも「つまずきと立ち上がり」を実践しているように思えるのである。

 怪我をしたあとの桑田は、もはや一流の投手ではなくなったが、以前よりずっと、野球人として、あるいは人間として、人々に共感を呼び起こすようになった。
 ポリーニもそのような目で見ることが必要なのかも知れないと思うようになった。


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